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resonance/ライター&セラピストの潜在意識とかちょびっとスピとか現実とか

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【works】
★ヒーリングセラピー個人セッション
 都内で対面式の個人セッションを行っています。
 幸せと癒し、学びと気付きを得たい方へ、様々に対応させて頂きます。
 潜在意識を日常へと活用することで、より良い人生へ変えることが可能です。
 随時お受けしておりますので、サイトをご覧下さいませ。

★癒しのワークショップ
 毎月一度、都内で女性向けの体験型ワークショップを開催中です。
 沢山の変化・癒し・浄化・成長・気づきを促すテクニックが山盛りです。
 2018年2月18日・3月18日(全て日曜)
 の開催が現在確定しております。
 ※以降の開催は決定次第upして参ります。
 ※それぞれ内容の詳細はサイトをご参照下さい。

寒~い大晦日、あと僅かで2017年が終わりを迎えます。
コンビニのおにぎりを美味しく頂きながら、本年最後のblog更新です(笑)。



本年も大変お世話になりました。皆様とのご縁に深く感謝致しております。本当にありがとうございます。
皆様の今年はどのような一年でしたでしょうか。


私は奇跡のコース/ワークブックが2周目に入りまして、一年前と全く同じ日に同じレッスンをする、という体験を日々しております。
一年前の同じ日も、全く同じ文章を読んで同じレッスンをした筈なのに、
「うわ、何これ! え! 全然気付かなかった!」
という驚き体験の連続です…一年前は一体何をしていたのか自分(笑)。
自分の思考に、あまりにも無頓着に生きていたなーと反省しきりです。
多分、3周目に入ったら入ったで、また(自分の無頓着さと気付かなさに)驚くんだろうなーと遠い目で明後日を見ております。

日々レッスンをするというのは、自分の中にある間違った考え、怖れに気付き、手放し続けることの連続であると言えます。
その為には「私が自分でやる!」という自我の出張った状態では不可能なんだなーと思います。
「私が!」と言う時、怖れで一杯で防御している状態なのだということを以前より強く感じるようになりました。
常に、私達の心は『愛』または『怖れ』のどちらかにフォーカスしているのです。
いつでもそのどちらかを選んでいます。そうして選んでいる考えは、怖れが大半なのだということも以前と比べて分かって来ました。


私達が体験している『問題』『不幸』とは、自分の心の中にある怖れに基いた考えの現れです。
だから、問題そのものをどうにかしようとしても、その根本がどうにもなっていない為に、再発する・形を変えて続くといった状況に見舞われます。
なので、自分の心の中を真摯に見直すという姿勢が大事なんですね。
問題を作っているのは自分な訳ですから。

自分だけで頑張る、努力するという姿勢では、怖れを本当に手放すことが出来ないのだと思います。
結果、スピリット(宇宙/聖霊/愛)に助けを求め続けることが必要不可欠です。
つまり「私はいつでも完全に愛され、完璧に守られている。愛によって保護され、一つの問題も無く導かれている」という思考を"自分で・常に"採用し続けるのです。
これが真実である故に、一つも例外を作ってはならない、というのが『コース』の教えです。


けれども、愛を信頼し続けるという、たったそれだけのことがどれほどまでに難しいか、自分の心がどれほどまでに恐怖に貼り付いているのかをレッスンを続ける中で痛感します。
一つ苛々を感じる度に、自分は怖れに目を向けたと気付かなければならず、一つ心配事が頭を過る度に、自分は愛を否定したのだと気付かねばなりません。
愛を否定していると言うよりも、『自分は完全に愛されるに値しない罪深い存在である』という思考を取った状態ですね。

毎日毎日、何度も何度も「ああ~またやったわ~」と呆れ半分で笑いながら、でも以前だったらここに気付かず抑え込んで誤魔化していたなと思います。
一度間違った件は、戻って何度も見直してみようと仕切り直し・見直しを続けています。
10年前の自分だったら絶対に気付かなかったし、出来ない自分に失望して、そのままにしようとしたなと思いますから、亀の歩み以下でも一応進歩している……のか?(笑)



今年、自分の心の中で一番使ったフレーズは「これは何ですか?(何これ/なんじゃこりゃ)」でした。
目の前で起きている出来事、誰かの言動を自分で分かった気になることなく、「これが私の思考の何であるか、教えて下さい。私は何故、今これを見ているのか教えて下さい」という風に助けを求めるという意味合いの言葉です。
自分で物事の意味を断定しないでおく、という風にしておくと、ちょっとしてから「あ…そういうことかー!」という風に気付いたりしてですね、本当に早合点しなくて良かったよーと涙目になること数知れず、です。

スピリットに助けを求め続けると、思いも拠らぬ所から思いも拠らぬ形で思いも拠らぬことが現れるんだなーというビックリ体験も、
「何でも自分で分かった気になっちゃいけないな。プロセスや結果を指定することって意味が無いんだなー」
ということの証左になりました。
ここで言う『結果』というのは『形』のことですね。現象。
これは指定しても幸せじゃない可能性がある為、私は個人的にお勧めしませぬ(無論、駄目とは言いません。個人のご自由です)。

でも、見ている・体験している問題が自分の心の中に端を発していることを認めた上で、「どうかこれを解決して下さい」とお願いするのはアリです。お勧めです。
スピリットが見せてくれる解決とは、幸せ以外のことではないので、任せて安心! です。
…任せられるように自分を訓練する必要はありますが(笑)。



それから、忘れてはならないことですが。
お会いする方々は全て、私の心の中にある思考をよく見せて下さいました。
私の心の深層に隠れていた思考に気付いたことが山程ありました。
抑圧が酷い過去の記憶なんかは、自力では絶対にどう頑張っても見えて来ないものばかりですが、本当に有難いことに他人様が見せて教えて下さるのです。

それらを見てはスピリットに助けを求め、一つずつ認めて手放すプロセスを行っています。
それはこの記事を書いている間も続けています。この先もずっとそうでしょう。



私は毎日、自分の心の中を見ている。
自分の思考を見ている。
自分が抱えている間違った考えを手放す為に、見せて頂いている。

それを、これまで以上に強く感じた一年でした。





また、11月初頭に母方の祖母が逝去致しました。90代の大往生でした。
失礼ではありますが、年明けのご挨拶は控えさせて頂きます。


皆様、心も身体もポカポカに暖かくしてお過ごし下さいませ。
来年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。



2017年も大詰めです。あと数日で今年終了~。
皆様にとりまして、どのような一年でしたでしょうか。

色々な節目を利用しなくても、毎日自分を振り返ることで自己理解を進めることは出来ます。
でもやっぱり、こういう年の瀬や節目を感じると、振り返り易いな~という気もしますね。


私達は、自分を誤魔化す為だけ(不平不満を言う、問題を起こす、文句を付ける、人のせいにする、不幸なままで居ようとする等)、その繰り返しの為だけに毎日を使うことも出来ます。
逆に自分の中をよく見て、自分を苦しめる不要な考えを手放す為に…幸せを沢山受け取る為に毎日を使うことも出来ます。
どちらの目的の為に人生を、毎日を、時間を使うかは、自分次第で選べます。

『勝手にどちらかになる』ということは無く、常に私達はどちらかを選んでいます。自分にその自覚が無いのだとしても。
心の状態、気持ちの状態をよく観察すれば、現在どちらを選んでいるかが分かります。
落ち着かない、そわそわする、嫌な感じ、腹が立つ、苦しい、痛い、怖い、辛い、悲しい、寂しい、その他諸々…が少しでも感じられるのなら、不幸にしがみ付いているということになってしまいますね。


これらを『自分の中にあるもの』として認め、手放して行くと、その手放した分量や内容に応じて、来るべきもの、幸せがやって来ます。
これを体験すると、「自分の幸せを阻害していたのは、他でもない自分だったのだ」という事実に気付いて唖然とします。

まるで外側の誰かが、何かが要因で、自分が不幸かのような気がしていたのに、そうではなかった。
『自分では無い何かのせい』という考えも、不幸に縋り続ける為のフェイクになっていた。
それに気付くと、他人様に対し申し訳ない気持ちと同時に感謝も感じるでしょう。



ところで、覚えておくと良いのは
『他人を攻撃する・他人に要求する度合い=自分が何かやらかした罪悪感の分量』
です。

『他人に対する怒りの分量=自分に対する怒りの分量』
と言うことも出来ます。

その他、色々な言い回しが可能ですが、
『他人の言動を見て嫌な気持ちになる=自分が他人に対してやらかした過ちを見ている』
というのも共通ルールです。


「私はあんなに酷いことをしていない!」
と言いたいのは分かるのですが、もし自分が潔白だったら何の反応もしません。
『何も感じない』と言うよりも、心は穏やかで平和な状態です。

他人に自分の要求を押し付けまくって来た人なら、他人様の言動を見て「私は酷い要求をされている!」と感じるでしょう。
「他人に嫌な思いをさせられている!」と憤慨するなら、自分が他人様にそうして来たからです。
それらの過ちを、自ら「悪いことをしている」と断じておきながら、見過ごして来たということですね。

表面的には色んな言い訳が湧いて来ると思います。
「私はトクベツだからいいのよ」
「私だけは許されるでしょ」
「私は被害者だから、沢山いい思いをすべきなのよ」
「私は人より頑張ってるから、その分周りが私に尽くすべきだ」
「だって知らなかったし」
「嫌なら言えばいいじゃん」

等、自分が後ろめたい分だけ、幾らでも際限なく湧いて来ます。でも、全部が嘘です。
自分の過ちを追及されることを怖れるあまり、逃げ回る為にこういうことを言いたくなるんですよね。



私達は毎日、自分の心の中を見ているのです。
「誰かが私にこうした! 私は傷付いた! 被害者だ!」
と言いたくなる時、嘗て過ちを犯した自分の姿をそこに見ています。

過去の未完了の過ちは怖れを引き起こしますから、逃げ回って誤魔化して、また攻撃に転化するなどして、どうにかやり込めようとします。
「これは私じゃありません!」と言いたいんですね。怖いからです。

このように、怯えてガタガタ震えている自分の思考を見直してあげられるのは自分だけです。
他の誰かがやってくれるものではありません。
『怖れで一杯の自分の心を癒す、間違いを糺す』という目的を持つなら、それに応じて手段を与えて頂けるでしょうし、そのプロセスとして他人様のご助力がある場合も考えられます。
でもやっぱり、先ず何よりも『自分が目的を何処に据えるか』です。


いざ自分の心、行いを見て認め、手放す必要があるということに気付くと、
「今まで通りの生活をしたい、嫌だ、見たくない、変えたくない、だって別に困ってないし、周りだってどうのこうの…」
と言い出すでしょう。
現在の生活は怖れから身を守ろうとして必死に作り上げたバリケードだからです。
これを失ったら私はどうなってしまうのか、と考えるだに恐ろしく、喚かずには居られないのです。

このように怖れを基盤にしていると、欠乏を常に感じている状態ですから、「欲しい・足りない」という思考に支配されています。
結果、「とにかくもっともっと得よう、得よう、ちょうだい、ちょうだい、もっと、もっと! 私は満足していないの!」を永久に繰り返します。



この内側に抱える恐怖を取り消して行くこと、過去の過ちを認め糺して行くプロセスがヒーリング、癒しです。
自分の心が体験している現象を作っているというのに、心はそのままで現象だけをどうにか動かそうとするのはナンセンスです。
出来ないことも無い…かも知れませんが、心が不幸で居ることには変わりがありません。

『引き寄せの法則あれこれ』がとても人気なのは、言い換えれば「心を見るのが怖いから」と言えるかも知れませんね。
とは言え、これはこれで、楽しんでやってみられたら良いでしょう。
「自分の心が具現化したものが我が人生なのだ、誰かに勝手に作られたものではないのだ」
と理解するツールになるかも知れないですよね。


でも、自分の心を見てあげましょう。
大切な自分の心ですから。
それが出来るのは、世界でただ一人、自分だけなのですから。







さて、来年3月までのワークショップ予定です。
既にサイトには掲載しておりますが、blogにも載せておきますね~。



★2018年1月
日時:2018年1月21日(日曜) 11時~15時



★2018年2月
日時:2018年2月18日(日曜) 11時~15時



★2018年3月
日時:2018年3月18日(日曜) 11時~15時



テーマ等、詳しくはサイトをご覧下さいませ。
以降は確定次第更新して参ります。



年内、あと一回は更新したいです(笑)。



先日は12月度のワークショップでした。
長時間に渡り、御参加下さいましてありがとうございました!
今後のスケジュールは後日更新しまーす。



捕捉的に、『日常体験についての意識の向け方』をちょっと書いておきます。
リピーターの皆様には度々ご説明申し上げているのですが、改めまして。



何かを体験した時に疑問を持つにあたり、

「○○さんは何故、こうする(しない、言う、言わない)のだろう」

と考えてしまいがちですね。
でも、これだと答えが出ないんです。

だから、



「私は何故、この体験をしているのだろう。これは私のどのような考えを表しているのだろう」



が正しい疑問の持ち方です。




何故なら、自分の心の中にその理由があるからです。
主語を自分にして問い掛けないと、他人のせいで終わってしまいます。
しかも、好転させるとか、良いゴールを迎えることが出来ないままです。



私達は毎日、自分の心の中で起きている出来事を見ています。
自分の心の中を見る、認めるのは怖いこと。見たくないものが沢山あるから。
何処かでそう思っているからこそ、「あれは自分とは切り離された外側で起きているのだ」と言いたくなります。

人のせいにしておいた方が、ラクなような気がします。
でも、解決はしません。
大体は不幸な結末、後味の悪い結末になります。
気分的にも、自分はずっと怒ったままだったり、思い出す度に嫌~な思いを繰り返します。



でも、自分の心の中で起きているならば、自分の考えの間違いに気付き、改めることが出来ます。
他人様は、自分の思考を態々演じて教えて下さっているのです。
潜在意識と自分の体験の整合性が取れて行くと、心底びっくりします。

例えば、他人様から「お前が嫌いだ」と言われたなら、何らかの理由があって「私が私のことを嫌い」なのです。
凄く簡単に言うとこういうことです。
だけど、自分を嫌っているなんて嫌ですよね。認めたくない筈です。
それに、自分のことが嫌いなんて言ったら、自分の中にはっきりした非があることになってしまいます。
それを見るのも嫌だし、人に見られるのも嫌。隠している気持ちがばれるのは、とっても嫌なんです。

だから、「凄く嫌な気分だ。これは自分を嫌っている相手が悪いということにしておこう、そのせいで気分が悪いのだ。変わるべきは相手なのだ」と考えます。
この考えを持ち出すと、一瞬自分の身を守れたかのような気がしますが、根本的な解決を迎えた訳ではないので、また同じことが起きます。
少なくともずっと嫌な気分を引き摺ります。



「あれは私だ! 私は自分のことをこう思っている!」
と気付く時、目の覚めるような体験をします。
冷水を浴びせ掛けられるかのような感覚かも知れませんし、目から鱗…という感覚かも知れません。
何にせよ、大変なショックを受けます。

「自分の体験と自分の心は本当にイコールなのだ、誰かが私に対し言っていたことは、自分に対する私の考えなのだ」
と理解するなら、それまで敵視していた人や、嫌な人だというレッテルを貼っていた方に対し、詫びる気持ちと共に感謝の気持ちが生まれるでしょう。
それを演じて下さっていたことが分かるからです。


「そのような形で見せて下さらなかったら、私はいつまでも自分の心に気付くことが出来ませんでした。私の心、私の間違った考えをあなたが見せて下さったからこそ、私はここで気付いて改めることが出来ます。ありがとうございます」

ですね。

自分を悩ませる問題だったことが、最終的にはそこに漕ぎ着けると、本当にラクになります。
奇跡のコース/テキスト』にも書いてありますが、


『理解するということは、有り難いと思うことです』


ということなのです。
綺麗事ではなく、本当にそうです。



ただ、ここに至るのには理解のプロセスを辿ることが大半でしょう。
いきなり打てば響くことは少ないのではないかと。

現実をよくよく見ましょう。
これが自分の心です。
自分に対する自分の思考です。
嘘だと思いたくても否定したいとしても、とにかく「そうなのかも知れない」と思ってじっと見つめる所から、です。




本日は12月ワークショップの日でございます。
色々ジタジタしていたら、あっという間に当日になっちゃいました。


私が何をしていたかと言うと。
いやーもう、毎日毎日毎日毎日(略)、目から鱗と言うか、これまで何で気付かなかったんだろうなーということの連続です。
自分の思考に気付く度、びっくりしますわ本当に…。
「わー!! ちょっと待って!!」的なことの連続で、ヘロヘロしています(笑)。

何はともあれ見ないと、認めないと、手放す以前の問題ですから、先ずは自分の思考を見て確認しないとどうしようもないのですが、見てビックリの段階でポカーンだったりします。
自分の潜在意識の思考があんまりなので、「なんじゃそりゃー!」って言ったりしてもいます。あ、一人で(笑)。
スピリット(宇宙)に心の軌道修正を毎日お願いしているので、適切な順番で自分の思考を見せて頂いているのですが、「私…なんでこんなこと考えてんだろう…」って呟いたりしておりますよ…。




さて、本日のワークショップは8時間にわたり、ご自分の生きている世界を見直して行く機会です。
自分の人生を作っているのは自分の意識。
だから、軌道修正が出来るのも自分です。

私達は自分の思考で自らの人生を作っています。
もしもこれまで幸せだと思えなかったのなら(或いは納得行かなかったのなら)、自分で使っている考えを喜んで手放し、新たな善きものを沢山受け取れるんですよね。
その意欲を持つことが出来るのは、自分だけです。

幸せな人生を送りたい! と願うなら、必ずそちらへ向かいます。
幾ら他人様が幸せを願ってくれたとしても、自分が拒絶していたら全くそれは為されません。
より素晴らしい人生へとシフトして行かれますよう、この機会を是非ともご活用下さい。



ご参加の皆様それぞれが、『今、受け取るべきもの』を受け取ることになり、『今、知るべきこと』を知ることになると思います。
これを一つずつしっかり見て、認めて行くことが非常に大切なステップです。
これをしないと、変えるとか良くするということが絶対に出来ませんからね。

会場では、主催者からのプチギフト(気は心レベルですが 笑)もご用意致しております~♪
10:30から会場に待機しておりますので、11:00までにお入り下さいませ。
皆様にお会い出来ますこと、また素晴らしい贈り物を受け取られますことを楽しみに致しておりまーす!




12月に入って、今年も残す所あと……です(笑)。
一年を振り返る時期ですね。色々と思う所がおありの方も多いことでしょう。
また、クリスマスや年末あれこれのイベントもありますねー。
毎日、心穏やかに過ごせますように。


今日は『体験していることに目を向けてみましょう』というお話です。
私達が日々体験していることというものは、主に二種類に分けることが出来ます。


1:物理的体験

2:心理的体験



この二つをほぼゴチャゴチャにして、見分けがつかない状態で生活しているのが私達です。
外的な環境や人間関係や身体的な問題等、自分の外側に見える出来事は概ね1に該当します。
2は、それらに対して精神的にどういう反応をするかというものですね。
これらのどちらも、私達は体験した後で『とある目的』を以て捻じ曲げちゃったりします。

そのまま体験をストレートに受け取る、解釈することが出来る人は、幸せです。
何かの問題があっても、逃げたり否定したりせず、速やかに軌道修正が出来るからです。
でも、その内容を歪曲させてしまうと、迷宮入り確定です。


例えば、自分が何か悪意のある行動を取ったからこういう結果が出た、という場合。
当然ですがそれを認めて、心から反省する必要があります。
しかし、「だってそれは誰々がああでこうで…だから自分は悪くないんだ」と言い張る場合、「私は攻撃を続けます。絶対にやめません」と言っているのと同じことですから、解決は宇宙の彼方。

また、一見『外側からとんでもないことがやって来て、嫌な思いをした』という場合でも、「それはどうしてだろう」という解明をしないと、納得行くことはありません。
ただ自分は被害者であり、これからも被害者で、ずーっと嫌な思いをし続けることになってしまいますね。

斯様に私達は「嫌な体験・嫌な思いをすること」に慣れてしまっていて、「私とはそういうものなのだ」とどこかで信じています。
信じていなければ、体験する筈が無いのですから。




例えば個人セッションなどにいらっしゃる方が、

「何でもいいから変えて!」
「とにかく今よりちょっとでも良くなればいい」
「ラクにさえなれば何でも良い」

と仰ることがありますが、ターゲットを絞れない以上は不可能です。
追い詰められている時に、そう言いたくなる気持ちは分からないでもないのですが…でも無理です。
私達が体験することの全ては、無制限に広がっている潜在意識から浮かんで来るものですから、全部をポイッと丸投げされても何の結果も出ません。


しかし、
「私はこれこれこういう体験の記憶やパターンを持っているので、それを手放したい」
とか
「私は赫々云々という目的を持っているので、可能なら達成したい」
とか
「自分が何故このような受け取り方を繰り返すのか、知りたい」
…というように、意識を向けるターゲット先が具体的であれば、それが出来る可能性はかなり上がります。
とにかく『これ』と主観的に指定出来ることが非常に重要です。

「嫌だ、嫌だ、とにかく嫌だ、一瞬も見たくもない」
「何でもいいから変えて!」
と言っている時、自分が体験していることを否認している状態です。
『"自分が"体験している』ということさえ、拒絶しているのかも知れません。

「認めたくない!」を分かり易く言うと、がっぷり四つに組み合っている、ということです。
自ら膠着状態を作り出していることになります。「あれが嫌だ」と否認(否定)するには、事実が必要ですからね。
そうやって問題を停滞させるのがこの思考です。


何故、このように「絶対に認めたくない」とか「見たくもない!」と強硬に主張するのかと言えば。
自分の心の中に、後ろめたさ、疾しさ、罪悪感を抱えていて、それを見るのが恐ろしいからです。
見たくない、認めたくないのは怖いから。
自分に対して疾しさを感じないなら、「怖い」などと思う訳がありません。
我々が抱えている怖れの量は物凄く莫大な量なのですが、それが漏れて来ないようにする目的で生活を忙しくしたり、外側に目を向けたり、誰がどうしたとかあれがどうだと言い続けている状態です。

何らかのトラブルが起きた時、恐れが一気に噴き出して来て目の前に迫ります。
隠しているつもりだったのに、無かったことにしていたのに、と慌てます。
平時、何も無いように見える時でも、なんだかそわそわして落ち着かないとか、何かせずにいられないとか、モヤモヤしてスッキリしない…ということがあるでしょう。
これも、心の下の方に押し込んである未処理の恐れが蠢いているという証です。



例えばプロの先生にお願いしたとしても、自分が「絶対に見ない。認めない」とコミットしている場合、結果はそれに従います。
何しろ結果とは、自分の意欲に比例するのですから。
ここで体験した結果を元に「…ということは、私は認める気が無いんだ」と理解するのが正しい解釈であると言えます。
ここで更に「…でも、それって何の為だろう。どうしてだろう」と疑問を持つなら、意識的に問題へフォーカスしていることになりますから、遅かれ早かれ必ず解明されます。

ここでついつい、自分の体験したことの責任を相手に押し付けて、「損した」「大したことない人だった」と文句を言いたくなったり、出した結果を見直さずに「別の人なら」と期待を新たにするかも知れませんが、自分が体験したことをそのまま言語に直せば、イコール自分の思考です。
不満を感じたなら、それが自分の体験した結果です。最初からこれを目指していたということになります。
しかし私達は『これも自分の責任』と言うのが嫌だから、他人のせいにしまくるんです(笑)。



逆に言えば、手段を自分で講じなくても、何かをしようとしなくても、結果に対して意欲さえ持てば必ず変化が訪れます。
「怖れに踊らされる繰り返しをやめたい」
「安心していられる状態を体験したい」
「自分が幸せだと心から思える状態になりたい」
といった意欲があれば、必ず結果が伴います。
私達の心はそれほどまでに強力な力を持っているんですねー。

自分の心に解決や幸せへの意欲があるなら、
「だからこういう体験をしたのか…」「私はこれを怖れて逃げ回っていたのだ」
と、それまでしがみ付いていた考えに直面する機会がやって来ます。
自分で自分の心に制限を掛けて、幸せにならないようにしていたことに気付きます。
どのような形でそれが訪れるかは人によります。タイミングもあります。
ただ、自分でどうにかしようとせずとも、びっくりするようなものが目の前に提示されます。
宇宙(超意識/聖霊)は親切ですからね。必ず見るべきものを見せて下さいます。



「どうしたらいいんだろう」
「どうにかしなきゃ」
と言う時は、心が怖れで一杯になっています。ガタガタと震えています。
この後、自分がどうなるか分からなくて、嫌な目に遭うと信じていて怖くて苦しいから、それを回避する目的で自分で状況をコントロールしたくなります。
コントロールは何の為かと言うと、「私は全てを分かっている」と言う為です。

「分かっていない、知らない」という状態は、我々にとって非常に恐ろしいのです。
怖くてどうにかなってしまいそうだから、この怖れから目を背けたくて「自分で全てをどうにかしよう」と思います。
その一環で、過剰にキレたり、暴れたりということをする人も居るでしょうし、その恐怖心を無理矢理抑え込んで「何も感じません」「別に問題ありません」と言う人も居るでしょうが、どのような対策を取るにせよ、根元には必ず『恐怖』が居座っています。
もうちょっと細かく言うと、「『罰せられるに違いない』という恐怖」…つまり、悪いことが沢山起きるに違いない、って妄想ですね。

この時、「愛されている」「守られている」という思考は完全に消し飛んでいます。
自分は無価値で、何かとんでもない目に遭うような人間なのだ、と信じ切っています。
あるのは、「逃げなければ。身を守らなければ」という怖れによる防御の考えだけです。


自分の心を観察する習慣を付けて行くと、自分の中は常に怖れで溢れ返っているように見えます。
何があっても無くても、いつも怖れがある。
しかもそれに慣れ切っていて、「私は怖がっている」という風にも思わなくなって久しい。
或いは、「私は怖がっている」と認めることさえも怖い。だからその言葉自体を絶対に使わない…等々。

しかしこれはゴールではなく、怖れを認めて手放して行くことで、心が平和になって行きます。
「私の心が今、体験していることは何かな。何を感じているのかな」
「私は何故、この体験をしたのだろう」

と疑問を持ちながら、毎日自分の体験を眺める練習をされるのが宜しいかと思います。

物理的体験でも心理的体験でも、「見よう」とする意識を持ち続けること、
「私がこの体験をしているのは、こう感じるのは、思うのは何故だろう」
と疑問を持ち続けることで、見ないように頑張って来た本当のこと、自分の心を曇らせているものがはっきりと見えて来ますから。



今日で11月が終わりますね。
あと一か月で来年です。うーん、毎年思いますが、あっという間です。





自分のパターンを変えられない、人生を変えられない、繰り返してしまうという時、とても苦しい思いをします。
変えたいのに変えられない、それがどうしてか分からない…という葛藤で、罪悪感で、自分の首を絞めている状態です。


「これを見なきゃいけない、でも見たくない」
「(事実を)認めなきゃいけない、でも嫌だ」
「これを変えなきゃいけない、でもどうしてもそれが出来ない」
「こうせずにいられない! やめたい! でも出来ない!」
「あれをしなきゃ、これをしなきゃ」


と頭の中で逼迫している時、怖れに追われ、雁字搦めになっています。
そうすると、結果的に罪悪感を増幅させ、同じ場所をぐるぐる回ることになるでしょう。
そこで、時にご提案しているのですが。


「これをしても、しなくても、どちらでも良いのだ」
「出来ても、出来なくても、どちらでもいい」
「このまま生きて行っても良い。これまでの繰り返しを続けても、ここで手放しても別にいい」
「これが絶対に必要な訳ではないな」



と自分に伝える時、思考に隙間が出来ます。


「どうせしなきゃいけないんでしょ! でも絶対に嫌だ!」
「駄目だって思っているのに、これが無いと(しないと)いられない!」
「あれをしなければ、これをしなければと自分を追い立てずには居られない」


等という強迫的な思考を自分に使っていると、ずっと同じ行動を反復的に取り続けます。
結果、苦しい思いを繰り返すでしょう。
自分を責め、でもその自責の念から逃れようとまた足掻き…を繰り返してしまう。

でも、「どちらでもいいのだ。この瞬間、どちらを選ぶかは自由なのだ」と自分に伝えられると、ほんの僅かでも隙間が出来ます。
その僅かな隙間の中にじっとして、自分を緩めた時、それでもそれをしたいのか、不要だなと自然に思えるかはまた分かりません。
どうしてこれまでその考えを執拗に使い続けていたのか、その原因に気付くかも知れない。
それをすることで実際は何を試みていたのか、またそれが何故一度も叶わなかったか、気付くかも知れません。


しても、しなくても。
出来ても、出来なくても。
分かっても、分からなくても。

どちらでもいい。
絶対に必要なのではない。



ガチガチに固まった考えに隙間が出来るよう、自分にゆっくり繰り返し伝えると良いのではないかと思います。
先ずは、自分の考えを緩めること。です。

勿論これは、「どっちでもいいや。じゃあ無かったことにしちゃえ」「逃げちゃえ」ではありません。
「どちらも、選べる」のです。
どちらかに吸い寄せられる、どちらかに引き付けられる、どちらかを凝視しておきながら目を逸らす、ということではないんですね。
「ああ、私は本当にどちらかを今、選べるのだ」という理解をすることです。

どうしてもそうは思えないよーと言う時、「私は絶対に○○しなければならない、何故なら…」という考えがその下にあります。
じっと堪えて、その考えの正体をよーく見てみると良いでしょう。
これを見るのが嫌で、何かせずに居られなかったりするので、逃げ出したくなるかも知れませんが、じーっとしてじわ~っと見る。
勿論その時、「この正体を見ても、見なくてもいい。どちらをするか、私は選べる」という選択を自分に与えることも出来ます。どちらでも良いからです。


自分に選択の余地を与える、その余地がある、というのを思い出させる為に、是非、語り掛けてみて下さい。







大分気温が下がって参りましたねー。
気付けば11月も下旬に入りました。もうすぐ12月! ですね!
皆様、暖かくしてお過ごし下さいませ。



普段、何事も無くルーティンで生活している折には意識されませんが、私達は心の中に『自分は無力である』『自分は足りない人間だ』『自分は無価値だ』という思考を抱えています。
そんな中、非常事態が起きたりすると、それが目の前に突き付けられたように感じるのです。
そうして、弾かれたように動き出そうとします。「どうにかしなきゃ」と。

何をどうにかしなきゃいけないのかと言うと、このずっと隠していた無価値で無力な自分を、それによって感じている疾しさや後ろめたさを誤魔化さねばと思う訳です。
自分だけでなく、誰か(家族や近しい人)が大変な状態である時もそうです。
「役に立たねば」
「何とかしてあげなきゃ」
と焦ります。


でも、大体どうにかは出来ません。
何かを肩代わりしたり、引き受けたりするという『形』に纏わることは、何か出来るかも知れない。
でも、その行動の背景にある「自分はどれだけやっても足りないのだ」「こんなことしか出来ないのか」「こんなに酷い」という自分に対する思考自体はそのままなので、苦しいと思います。

その苦しみから逃れたくて、またその自分を責め苛む考えに操られて衝動的に行動してしまうと、結果は動機の通り…つまり自分が苦しむ、自分の足りなさを嘆くという結果を体験します。
後ろめたい気持ち、無力感を穴埋めしようとする時は、フォーカスしている先が無力感や疾しさですから、見ている通りの結果を私達は体験するんですね。
何故なら、心(思考)が見ている先に向かって私達は進み、心の通りの体験をするからです。
それが物理的な現象であってもそうだし、精神的な状態でもあっても全く変わりません。


こんなことも出来ない。
こんなことしか出来ない。
私はこんなに足りていない。

ということが事実として認められない時、そんな価値の自分が後ろめたいあまり、それを誤魔化そうとします。
外側を動かそうと躍起になったり、人を助けたくなったりしたら、実はその背後には自分に対する無力感、無価値観と裁きの思考が隠れている。
この、自分では未だに認められないことを、他人様や外側の何かを使って誤魔化そうとしている。
動き出そうとする前に踏み止まって、それを疑いたいと思っています。


「何とかしなきゃ」
と言う時、焦っています。何故焦っているのか。
状況は幾らでも出て来るでしょう。
だって時間が無いし。だって今こんな非常時だし。他にやる人が居ないから。

でも、本当は『こんな状況・状態を目撃・体験してしまった自分の価値』『何も出来ない、足りない、何が出来る訳でもない自分』から目を背けたくて焦っているのです。
そのままにしておくと、何かとんでもないことになってしまうに違いない。という大きな恐怖に飲み込まれて怯えているのです。


過去を振り返って自分の反応やその前後関係を見直すと、大体そうだったなーと思います。
私はそういう、何も出来ない自分が、何の役にも立たない自分が非常に疾しかったのです。
そのままで居るなんて、とてもとても恐ろしくて出来ませんでした。
こんな酷い自分をそのままにしておくことなんて、とんでもない。何かしなくては、と。

「何も出来ないんです。だから何の価値も無いんです。そんなの嫌だから、何か価値を付けなくては」
「何か出来ることがある筈だ!」
ではなく、『何も出来ないな~』というのがもしも本当の事なら、
「確かにな~。本当にそうだわ」
と頷くだけです。だって事実そうなら、ただもうそれだけですよね(笑)。
仮に何か出来そうなことがあるのなら、それを粛々とやる。ただ、やる。以上。です。

私の場合ですが。
「それが事実だったわ。そういえば私はずっと、元々そうだったもんなー。出来ることは無いけど、あってもこれ位ですかねー」
と気が付いてから、以前のように「なんでこんなに何も出来ないんだろう」と自分を裁いて苦しむことが大分減りました(ゼロになったと言う気は全然ありませんけども)。


『自分はこんなに足りない。なんて無価値なのだろう』
という思考を使っていると、幾ら何をやっても「自分は足りない。無価値だ」とリピートし続けます。
「何かもっと出来ることがあったんじゃないか」
「あれではダメだったのではないか」
という台詞が、ずーっとぐるぐるします。
これ以上出来ない、と思う程にやっても、足りなさを責め続けます。

その思考に出口はありません。
やってもやっても、苦痛は減りません。別の手を使っても、別のことをしても、変わりません。
自分の心を見よう、本当のことを見直そうとしない限りは。



良い悪いのジャッジを挟むこと無く、ただ「そうなんだな」と事実をそのまま受け止めるというのが、実は我々にとって一番難しいことのように思います。
特に、自分についての事実ですね。
自分を何者だと思っているか。自分にはどんな価値があると思っているか。
既に自らがその考えを持っていながらにして、それを見ることを厭うあまりに、様々な問題を起こしたり、苦しんだりします。

怖れて逃げ回るのではなく、抑え込み誤魔化すことに労力を費やすのではなく、ただ
「ああ、そうなんだな。事実こうだな」
「私は自分のことをこんな風に思っていたんだな」

と素直に見つめ、認めることを心掛けて行きたいと日々思っています。




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Sachi

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潜在意識を活用した、ちょびっとスピリチュアルな総合セラピー、癒しのワークショップ・タロットカードセッションをしているSachiです。
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※記事の内容、情報については一個人の捉え方、考え方に纏わるものが大半です。
絶対的な事実という訳ではありません。
また、私の理解や気付きの段階に応じ、記事の内容にも随時変化がありますことを何卒ご理解下さい。
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