◆ Infomation
これまで色々なテクニックを試して来ましたが、ワークショップや個人セッションをするにあたり、非常に効果的だなと思ったのがヴィジョン(ビジョン)心理学です。
私とヴィジョン心理学との出会いは10年以上前に遡ります。
ヴィジョン心理学とは、1970年代にチャック・スペザーノ博士が提唱した新しい心理学です。
効果的に人生を変えるテクニックを盛り込んだ内容で多くの成果を上げており、スペザーノ博士やそのお弟子さん方がワークショップやセミナーを世界中で開催しています。
心理学とスピリチュアリティを統合した内容は、具体的にはNLP(神経言語プログラミング)、ヒプノ・セラピー(催眠療法)、ゲシュタルト心理学、ロールプレイ、誘導瞑想などを組み合わせ、柔軟な方法を用いることで最も大きな効果・結果を引き出せるのが特徴です。
私は「本当に良くなるなら何を使ってもいい」派なので(笑)、この心理学との出会いは当時衝撃でした。
色々な関連書籍を読みましたが、最初は理解に大きな抵抗がありました。
多くの人が誤解している所でもあると思うのですが、『愛とはなんぞや』という部分でのつまづきが大きかったのです。
『愛とは甘い砂糖菓子ではなく、エゴを焼き尽くす炎である』という部分を理解するには、かなりの時間が必要だったと思います。
言い換えるのであれば、『真実は必ずしも己が望んだ姿では現れない』ということです。
日本語で言う愛は、何やら甘くて美味しい、都合の良いイメージがあります。
でも、ヴィジョン心理学で言う所の愛は、時に地獄の業火のような形で現れることもある、という訳です。
その人の真実を暴き出す、怖ろしい痛みを伴う何かとしてやって来ることがあると。
世界に散見される神話体系には、「なんでこんな姿なの?」と思ってしまうような神が存在します。
神道でもトリックスター(事件を起こす役割の神や精霊)がいますし、仏教でも憤怒の形相で現れて力ずくで折伏(仏法に帰依させる)する仏様がいますし、どういうことー? と首を捻ることが沢山あります。
しかし、神話世界を人間の内面の表れと捉えるのであれば、さもありなん。
人間一人の中には、多くの顔がある訳です。
日頃、それは理性という鍵を掛けて、表には出て来ない(=自分では知覚出来ない)ようになっていますが、実に多くの面が存在すると言えます。
全てを赦すことも出来れば、殺したいほど憎むことも出来るし、一般的に言う所の異常性を持ち得るのもまた、人間なのです。
こういった話を認めるかどうかはまた個人レベルの話なので別ですが、『愛』というものの役割もまた、認めがたい形で現れることがあるという訳です。
大概は、真実を暴き出す役割を持ってやって来ます。
何もかもを奪う、嵐のような形でやって来る場合もあります。
この時、傷つくのは心ではなく、エゴです。
「このままでいいです! このままでいられれば一番いい!」
「私は間違ってないからこの状態で別に困ってません!」
と、常日頃から自分に暗示を掛けている思考の正体です。
エゴに騙されて生きている時間が圧倒的に長い我々人間は、何かショックな出来事があってエゴが弱まった瞬間初めて、己を問い質すチャンスを得ます。
思考と感情に引きずられるのではなく、ただありのままを見つめる目は、こうしてもたらされるのです。
────とまあ、この辺は一般的な流れのご説明です。
全てはこの限りではない、と言いたい所ですが、あるケースを除いてほぼ100%こういう感じです。
あるケースとは何かと言うと。
思考を停止し、全てを見つめる目を持った状態です。
『悟り』の状態です。
お釈迦様は愛(この場合は執着を指す)・別・離・苦に振り回されるのを良しとせず、修行の道に入りました。
エゴに支配されている限り、悩み・苦しみ・痛み・傷つくというループは終わらないのです。
ですから、古今東西色々な賢者は悟りを模索する道へ入ったのです。
ヴィジョン心理学は、人間関係や生活の中にある気づきから、マスタリー(神との一体化・悟りへの道)を目指す実践心理学なのではないか、と私は考えます。
スペザーノ博士による関連書籍も沢山あり、文章が平易でとっつきやすいのも特徴です。
スピリチュアル一辺倒ではなく、実践タイプがお好みの方にはオススメです。
私とヴィジョン心理学との出会いは10年以上前に遡ります。
ヴィジョン心理学とは、1970年代にチャック・スペザーノ博士が提唱した新しい心理学です。
効果的に人生を変えるテクニックを盛り込んだ内容で多くの成果を上げており、スペザーノ博士やそのお弟子さん方がワークショップやセミナーを世界中で開催しています。
心理学とスピリチュアリティを統合した内容は、具体的にはNLP(神経言語プログラミング)、ヒプノ・セラピー(催眠療法)、ゲシュタルト心理学、ロールプレイ、誘導瞑想などを組み合わせ、柔軟な方法を用いることで最も大きな効果・結果を引き出せるのが特徴です。
私は「本当に良くなるなら何を使ってもいい」派なので(笑)、この心理学との出会いは当時衝撃でした。
色々な関連書籍を読みましたが、最初は理解に大きな抵抗がありました。
多くの人が誤解している所でもあると思うのですが、『愛とはなんぞや』という部分でのつまづきが大きかったのです。
『愛とは甘い砂糖菓子ではなく、エゴを焼き尽くす炎である』という部分を理解するには、かなりの時間が必要だったと思います。
言い換えるのであれば、『真実は必ずしも己が望んだ姿では現れない』ということです。
日本語で言う愛は、何やら甘くて美味しい、都合の良いイメージがあります。
でも、ヴィジョン心理学で言う所の愛は、時に地獄の業火のような形で現れることもある、という訳です。
その人の真実を暴き出す、怖ろしい痛みを伴う何かとしてやって来ることがあると。
世界に散見される神話体系には、「なんでこんな姿なの?」と思ってしまうような神が存在します。
神道でもトリックスター(事件を起こす役割の神や精霊)がいますし、仏教でも憤怒の形相で現れて力ずくで折伏(仏法に帰依させる)する仏様がいますし、どういうことー? と首を捻ることが沢山あります。
しかし、神話世界を人間の内面の表れと捉えるのであれば、さもありなん。
人間一人の中には、多くの顔がある訳です。
日頃、それは理性という鍵を掛けて、表には出て来ない(=自分では知覚出来ない)ようになっていますが、実に多くの面が存在すると言えます。
全てを赦すことも出来れば、殺したいほど憎むことも出来るし、一般的に言う所の異常性を持ち得るのもまた、人間なのです。
こういった話を認めるかどうかはまた個人レベルの話なので別ですが、『愛』というものの役割もまた、認めがたい形で現れることがあるという訳です。
大概は、真実を暴き出す役割を持ってやって来ます。
何もかもを奪う、嵐のような形でやって来る場合もあります。
この時、傷つくのは心ではなく、エゴです。
「このままでいいです! このままでいられれば一番いい!」
「私は間違ってないからこの状態で別に困ってません!」
と、常日頃から自分に暗示を掛けている思考の正体です。
エゴに騙されて生きている時間が圧倒的に長い我々人間は、何かショックな出来事があってエゴが弱まった瞬間初めて、己を問い質すチャンスを得ます。
思考と感情に引きずられるのではなく、ただありのままを見つめる目は、こうしてもたらされるのです。
────とまあ、この辺は一般的な流れのご説明です。
全てはこの限りではない、と言いたい所ですが、あるケースを除いてほぼ100%こういう感じです。
あるケースとは何かと言うと。
思考を停止し、全てを見つめる目を持った状態です。
『悟り』の状態です。
お釈迦様は愛(この場合は執着を指す)・別・離・苦に振り回されるのを良しとせず、修行の道に入りました。
エゴに支配されている限り、悩み・苦しみ・痛み・傷つくというループは終わらないのです。
ですから、古今東西色々な賢者は悟りを模索する道へ入ったのです。
ヴィジョン心理学は、人間関係や生活の中にある気づきから、マスタリー(神との一体化・悟りへの道)を目指す実践心理学なのではないか、と私は考えます。
スペザーノ博士による関連書籍も沢山あり、文章が平易でとっつきやすいのも特徴です。
スピリチュアル一辺倒ではなく、実践タイプがお好みの方にはオススメです。