◆ Infomation
11月に入りました。
あと少しで今年終了! あっという間ですよね~。
今日はお昼からワークショップです。ご参加の皆様、お気を付けていらして下さいませ。
潜在意識をよーく見て、現実を受け容れる練習を致しましょう。
ところで先日、すごーく久々にパワーストーンでブレスレットを組みました。
リーディングを取って、色々検証して、浄化・浄化・浄化…結構な時間が掛かりました。
久しぶりにやると時間が掛かりますねー。
パワーストーンは定期的に浄化しないと色々溜まって行くので、ちょっと取り扱い注意なグッズです。
神社のお守りやお札は、一年経ったら返しに行ってまた新しい物を頂いて来ますよね。あれと同じような理屈です。
お守りでなくても、普通に身に着ける物なんかは大概色々と溜まります。
なので掃除をしたり、洗ったり、捨てたり、入れ替えたりする訳です。
この世界は全てが流転し変化し滅び朽ちて行きますから、永遠に良い状態・完璧である物は存在しないことになっています。ええ、面倒なのです(笑)。
こういったグッズなんかは(物に限りませんが)、自分の意識がどの方向に固定されているかによって、感じ方が全く変わります。
例えば他人の不幸を心底喜んじゃうような意識状態で居ると、『不幸、悪い』というのが『自分にとって良いこと』になります。
そうすると『良い』エネルギーを発している物を見た時、非常に強い嫌悪感があるでしょう。
対人でも同じです。
全く逆のベクトルで生きている人を見ると、見た瞬間に猛烈な怒りが湧いて来たりします。
何故かと言うと、自分が攻撃されているように、否定されているように自分が解釈するからです。
自分が正しい方向へ向かう為に必要な物を手にした時、目にした時、具合が悪くなったり、嫌悪や反発を感じる時、大概は
「これ自体が悪い物に違いない」
ということにしてまで、遠ざけようとします。目を逸らし、見なかったことにしようと必死に逃げ回ります。
そうして、これまでの自分を延長し続けます。
やっぱり自分が不幸を好んで固定していると、あらゆるものに対して「そういうことにしちゃう」んですよね。
食べ物も同じです。
健康的な食事より、自分の体調が悪くなる食べ物を好んでそればかりを食べ、慢性的に栄養不良になって苛々したり、キレまくったり、その状態を更に助長してくれる「あなたは悪くないのよー」と言ってくれる人に依存したりと、悪循環を繰り返します。
これもやっぱり、自分の生きる目的に準じた選択の結果です。
自分が不幸で居ること、悪い状態で溺れているというのに、例えば色々なグッズに頼っても意味が無いと言えば意味は無い。
その瞬間、何か良いような気がしたとしても、変化は無いと思います。
結果、「何にも変わらなかった」「損した」と文句を言うことになる可能性は高いでしょう。
あくまでも自分の生きる目的が優先されるからです。
人間関係でも、「とにかく自分を絶対に変えないように、過去に執着している」人の場合、似たような人の集うコミュニティに依存します。
それで一瞬正当化(=防御)が出来てホッとしたような気がする訳ですが、現実に良い影響は全く無い為、不満が解消されたり、『良い』現象を体験したり、継続する心からの喜びや安らぎを感じることはありません。
それをまた否認すると、益々自分をダメにするぬるま湯に依存…という状態を繰り返す訳です。
「直感で選んだ」とか「生理的に嫌だと思った」というようなよく聞く理由で選択をしても、実際は自分の目的に沿った取捨選択でしかないのだということですね。
インスピレーションじゃなくて単に過去の情報を参照しているだけなのですが、その処理が超高速なので、「不思議な感覚でそう分かった! 自分は分かるのだ!」ということにしたくなる、と。
一方、『幸せ、調和、感謝、平和』に意識が向いている場合、やはりこれに沿った選択を行います。
いちいち考えたり迷ったりせずとも、無自覚的に手を伸ばしたら幸福に当たります。行く先々で、です。
勿論、画一的な良いことだらけーという訳でもないです。間違って叱られたり、反省を促されることも度々あるでしょう。
しかし自分を良い状態にしてくれるお叱りは謹んで受け止めるだろうし、自分を顧みて改めます。
そうした先は、自分にとってより幸せな状態だからです。
このタイプは100個中99個が呪いの飴玉でも、たったひとつの『幸せな飴玉』を迷いなく選び取ります。
或いは、最後に残った一個を引き受けた時、それこそが『幸せの飴玉』だったりもします。
大元の目的が『幸せ』であれば、プロセスやルートや自分のあれこれに関係無く、結果は必ずそうなります。
ということで、このタイプは自分にとって良い影響のある物が手元に来た時、そのバイブレーションをキャッチして、「あ、これは幸せなやつだー」と気付きます。
同じ方向を向いたバイブレーションには親和性を感じますから、そのエネルギーの中に居られて、よりハッピーです。
「自分だけが得をする」「私は正しい! あっちが間違ってる!」「特別」「一番」が幸せだと思っていると、こうは行きません。
これらは幸せの仮面を被った不幸であり、『我が身を守らねば。自分は疾しいし、だから恐ろしい』という考えに根差した欲求です。
愛されている、守られている…なーんて異次元の話ですよね。
こういう風に独り勝ちやいいこと尽くめに執着する時は、自分の手元に色々掻き集めて、あやふやな自分の身をどうにか護ろうとしている状態です。まさに不幸。
有難い、という感謝に至った状態が私達にとっての『幸せ』です。
我を出してああしたいとかこれが嫌だと言うのではなく、『安心してお預けする、お任せして導いて頂く』ような気持ちですね。
「頂いた」「有難い」と当たり前に思えることが最も自然な状態です。
何かを得た時、「自分が凄いからだ」「自分だけはこうなのだ。凄いだろう!」と、特別性が肥大化しているなら、日頃の怖れを一瞬隠せた気がしているというだけの話です。
日頃の自分の反応や解釈を見直し、向いている意識の方向性をよくチェックして、軌道修正を心掛けることが、長い目で見た幸せに繋がる道だと思います。

クンツァイト、ローズクォーツ、カルサイト等のミックスブレス。
「キャンディみたいで可愛いなー美味しそうだなー」
と作りながら思っておりました♪
あと少しで今年終了! あっという間ですよね~。
今日はお昼からワークショップです。ご参加の皆様、お気を付けていらして下さいませ。
潜在意識をよーく見て、現実を受け容れる練習を致しましょう。
ところで先日、すごーく久々にパワーストーンでブレスレットを組みました。
リーディングを取って、色々検証して、浄化・浄化・浄化…結構な時間が掛かりました。
久しぶりにやると時間が掛かりますねー。
パワーストーンは定期的に浄化しないと色々溜まって行くので、ちょっと取り扱い注意なグッズです。
神社のお守りやお札は、一年経ったら返しに行ってまた新しい物を頂いて来ますよね。あれと同じような理屈です。
お守りでなくても、普通に身に着ける物なんかは大概色々と溜まります。
なので掃除をしたり、洗ったり、捨てたり、入れ替えたりする訳です。
この世界は全てが流転し変化し滅び朽ちて行きますから、永遠に良い状態・完璧である物は存在しないことになっています。ええ、面倒なのです(笑)。
こういったグッズなんかは(物に限りませんが)、自分の意識がどの方向に固定されているかによって、感じ方が全く変わります。
例えば他人の不幸を心底喜んじゃうような意識状態で居ると、『不幸、悪い』というのが『自分にとって良いこと』になります。
そうすると『良い』エネルギーを発している物を見た時、非常に強い嫌悪感があるでしょう。
対人でも同じです。
全く逆のベクトルで生きている人を見ると、見た瞬間に猛烈な怒りが湧いて来たりします。
何故かと言うと、自分が攻撃されているように、否定されているように自分が解釈するからです。
自分が正しい方向へ向かう為に必要な物を手にした時、目にした時、具合が悪くなったり、嫌悪や反発を感じる時、大概は
「これ自体が悪い物に違いない」
ということにしてまで、遠ざけようとします。目を逸らし、見なかったことにしようと必死に逃げ回ります。
そうして、これまでの自分を延長し続けます。
やっぱり自分が不幸を好んで固定していると、あらゆるものに対して「そういうことにしちゃう」んですよね。
食べ物も同じです。
健康的な食事より、自分の体調が悪くなる食べ物を好んでそればかりを食べ、慢性的に栄養不良になって苛々したり、キレまくったり、その状態を更に助長してくれる「あなたは悪くないのよー」と言ってくれる人に依存したりと、悪循環を繰り返します。
これもやっぱり、自分の生きる目的に準じた選択の結果です。
自分が不幸で居ること、悪い状態で溺れているというのに、例えば色々なグッズに頼っても意味が無いと言えば意味は無い。
その瞬間、何か良いような気がしたとしても、変化は無いと思います。
結果、「何にも変わらなかった」「損した」と文句を言うことになる可能性は高いでしょう。
あくまでも自分の生きる目的が優先されるからです。
人間関係でも、「とにかく自分を絶対に変えないように、過去に執着している」人の場合、似たような人の集うコミュニティに依存します。
それで一瞬正当化(=防御)が出来てホッとしたような気がする訳ですが、現実に良い影響は全く無い為、不満が解消されたり、『良い』現象を体験したり、継続する心からの喜びや安らぎを感じることはありません。
それをまた否認すると、益々自分をダメにするぬるま湯に依存…という状態を繰り返す訳です。
「直感で選んだ」とか「生理的に嫌だと思った」というようなよく聞く理由で選択をしても、実際は自分の目的に沿った取捨選択でしかないのだということですね。
インスピレーションじゃなくて単に過去の情報を参照しているだけなのですが、その処理が超高速なので、「不思議な感覚でそう分かった! 自分は分かるのだ!」ということにしたくなる、と。
一方、『幸せ、調和、感謝、平和』に意識が向いている場合、やはりこれに沿った選択を行います。
いちいち考えたり迷ったりせずとも、無自覚的に手を伸ばしたら幸福に当たります。行く先々で、です。
勿論、画一的な良いことだらけーという訳でもないです。間違って叱られたり、反省を促されることも度々あるでしょう。
しかし自分を良い状態にしてくれるお叱りは謹んで受け止めるだろうし、自分を顧みて改めます。
そうした先は、自分にとってより幸せな状態だからです。
このタイプは100個中99個が呪いの飴玉でも、たったひとつの『幸せな飴玉』を迷いなく選び取ります。
或いは、最後に残った一個を引き受けた時、それこそが『幸せの飴玉』だったりもします。
大元の目的が『幸せ』であれば、プロセスやルートや自分のあれこれに関係無く、結果は必ずそうなります。
ということで、このタイプは自分にとって良い影響のある物が手元に来た時、そのバイブレーションをキャッチして、「あ、これは幸せなやつだー」と気付きます。
同じ方向を向いたバイブレーションには親和性を感じますから、そのエネルギーの中に居られて、よりハッピーです。
「自分だけが得をする」「私は正しい! あっちが間違ってる!」「特別」「一番」が幸せだと思っていると、こうは行きません。
これらは幸せの仮面を被った不幸であり、『我が身を守らねば。自分は疾しいし、だから恐ろしい』という考えに根差した欲求です。
愛されている、守られている…なーんて異次元の話ですよね。
こういう風に独り勝ちやいいこと尽くめに執着する時は、自分の手元に色々掻き集めて、あやふやな自分の身をどうにか護ろうとしている状態です。まさに不幸。
有難い、という感謝に至った状態が私達にとっての『幸せ』です。
我を出してああしたいとかこれが嫌だと言うのではなく、『安心してお預けする、お任せして導いて頂く』ような気持ちですね。
「頂いた」「有難い」と当たり前に思えることが最も自然な状態です。
何かを得た時、「自分が凄いからだ」「自分だけはこうなのだ。凄いだろう!」と、特別性が肥大化しているなら、日頃の怖れを一瞬隠せた気がしているというだけの話です。
日頃の自分の反応や解釈を見直し、向いている意識の方向性をよくチェックして、軌道修正を心掛けることが、長い目で見た幸せに繋がる道だと思います。

クンツァイト、ローズクォーツ、カルサイト等のミックスブレス。
「キャンディみたいで可愛いなー美味しそうだなー」
と作りながら思っておりました♪