◆ Infomation
9月も終了で、あらら……です(笑)。
早いですねー本当に。
でも、気候的に過ごしやすくなって大変嬉しく思っています。
『自分が思っている自己像』ってありますよね。
私は周りからこういう人だと思われている筈、というやつです。
日頃、その為に色々な言動を考えて選択していると思います。
いわば、外向けの営業用な自分です。
ある日、周りからはそのように受け取られていなかった…ということが判明したとしましょう。
自分が思って欲しいのとは真逆の、絶対にこう見られたくはない! という見え方をしていることが解ったとします。
その時、どんな反応をするでしょうか。
1.周りが間違っていると怒り、認識の訂正を迫る。
2.笑って忘れる、無かったことにする。
3.受け止めた上で、自分の認識の方を変える。
果たして、どれが正解でしょう。
はい、まず1です。
「自分はこういう人の筈なんだから、そう受け取りなさいよ! 私が思っているように思いなさいよ!」
「頑張っているんだから褒めろ、絶賛しろ、四六時中私だけ特別扱いをしろ!」
よくあるのは、これですよね。
あー、言論統制…いや、思考操作ですか(笑)。
「本当の私を誰にも分かって貰えないんです…」と涙ながらに切々と訴える、というケースもあります。
本当の私って何。って思いませんか。
周りが分かってくれないのではなく、他ならぬ自分が自分のことを分かっていない可能性……なんかは無いでしょうか。
周りが『あなたはこういう人間だ』という判断を下しているなら、今の所は実際そうなんです。
怒ろうが泣こうが、今がそれなら今はそれ。
自分がどう思おうが、周りの認識がそれ。以上、終了です。
次。2番。
結構手強いケースですねー。最初から無かったことにしちゃう訳ですから。
こういう出来事があったという認識自体を、抑も抹消してしまう。
確かにご本人はお気楽で居られる可能性がありますが、壮大な否定・抑圧であることは間違いありません。
『自分にとって都合の悪いことは起きない筈』という前提があるので、実際は1とあまり変わらない状態です。
いや、こっちの方がセラピーの現場だと大変かも知れません(笑)。
周囲の信号に対して
「なにそれ。意味わかんない」
というのが常にある訳ですから、正常なコミュニケーションが図れていない。
受け取り、理解し、返す…という手順が存在しません。
そして、他人は自分の都合の良い道具としてのみアリ、ということになります。
ま、いいですけどね。
それで幸せならよろしいんじゃないでしょうか(笑)。
さてさて、3です。
もしやハードルが高いでしょうか。
しかし、最もその後が楽になる選択肢です。
いきなり有り難いと思え、までは言えませんが、
「実際そう見えているのだな。ということは、自分の何らかの部分を拾ってそう言われている訳で、ゼロから捏造しているのではあるまい」
と思えるなら、御の字です。
楽です。とっても。
結果として、事実を踏まえた上であれば、自分の在り方の変更も可能です。
ひいては、それによって周囲からの見る目も変わるという、オマケ付き。らっきー。
環境に対して自分を適応させて行くのか、環境の方が自分に合わせるべきと強制し続けるのか。
どちらが楽でしょう。
そして、どちらが喜ばしい結果を生み出すでしょう。
現実を振り返ると、これまではどちらをやって来たでしょうか。
とは言え、これまでのやり方や在り方というのは、「これが一番良いのだ」と思ってやって来ている訳ですから。
そう簡単には変更しかねる所でしょう。
まずは、自分がいつも思っていることの他にも、世の中には色々な解釈の仕方や反応の仕方があるんだな。
ということを知る所から、で良いと思います。
絶対的な正解はありません。
私個人としましては、それぞれが望む在り方で過ごされたら良いと思います。
怒ろうが喜ぼうが、それはあくまでその人の中で起きていることです。
生き方や選択には当然自由意思がありますから、それは尊重されるべきものです。
でも、日々を楽だったり幸せを感じながら過ごしたいならば、道は自ずと狭まって来ます。
自分にとってのそれはどれかな? と己に問いかけながら生活してみるのも、今までの繰り返しを変化させる突破口に成り得ることでしょう。
早いですねー本当に。
でも、気候的に過ごしやすくなって大変嬉しく思っています。
『自分が思っている自己像』ってありますよね。
私は周りからこういう人だと思われている筈、というやつです。
日頃、その為に色々な言動を考えて選択していると思います。
いわば、外向けの営業用な自分です。
ある日、周りからはそのように受け取られていなかった…ということが判明したとしましょう。
自分が思って欲しいのとは真逆の、絶対にこう見られたくはない! という見え方をしていることが解ったとします。
その時、どんな反応をするでしょうか。
1.周りが間違っていると怒り、認識の訂正を迫る。
2.笑って忘れる、無かったことにする。
3.受け止めた上で、自分の認識の方を変える。
果たして、どれが正解でしょう。
はい、まず1です。
「自分はこういう人の筈なんだから、そう受け取りなさいよ! 私が思っているように思いなさいよ!」
「頑張っているんだから褒めろ、絶賛しろ、四六時中私だけ特別扱いをしろ!」
よくあるのは、これですよね。
あー、言論統制…いや、思考操作ですか(笑)。
「本当の私を誰にも分かって貰えないんです…」と涙ながらに切々と訴える、というケースもあります。
本当の私って何。って思いませんか。
周りが分かってくれないのではなく、他ならぬ自分が自分のことを分かっていない可能性……なんかは無いでしょうか。
周りが『あなたはこういう人間だ』という判断を下しているなら、今の所は実際そうなんです。
怒ろうが泣こうが、今がそれなら今はそれ。
自分がどう思おうが、周りの認識がそれ。以上、終了です。
次。2番。
結構手強いケースですねー。最初から無かったことにしちゃう訳ですから。
こういう出来事があったという認識自体を、抑も抹消してしまう。
確かにご本人はお気楽で居られる可能性がありますが、壮大な否定・抑圧であることは間違いありません。
『自分にとって都合の悪いことは起きない筈』という前提があるので、実際は1とあまり変わらない状態です。
いや、こっちの方がセラピーの現場だと大変かも知れません(笑)。
周囲の信号に対して
「なにそれ。意味わかんない」
というのが常にある訳ですから、正常なコミュニケーションが図れていない。
受け取り、理解し、返す…という手順が存在しません。
そして、他人は自分の都合の良い道具としてのみアリ、ということになります。
ま、いいですけどね。
それで幸せならよろしいんじゃないでしょうか(笑)。
さてさて、3です。
もしやハードルが高いでしょうか。
しかし、最もその後が楽になる選択肢です。
いきなり有り難いと思え、までは言えませんが、
「実際そう見えているのだな。ということは、自分の何らかの部分を拾ってそう言われている訳で、ゼロから捏造しているのではあるまい」
と思えるなら、御の字です。
楽です。とっても。
結果として、事実を踏まえた上であれば、自分の在り方の変更も可能です。
ひいては、それによって周囲からの見る目も変わるという、オマケ付き。らっきー。
環境に対して自分を適応させて行くのか、環境の方が自分に合わせるべきと強制し続けるのか。
どちらが楽でしょう。
そして、どちらが喜ばしい結果を生み出すでしょう。
現実を振り返ると、これまではどちらをやって来たでしょうか。
とは言え、これまでのやり方や在り方というのは、「これが一番良いのだ」と思ってやって来ている訳ですから。
そう簡単には変更しかねる所でしょう。
まずは、自分がいつも思っていることの他にも、世の中には色々な解釈の仕方や反応の仕方があるんだな。
ということを知る所から、で良いと思います。
絶対的な正解はありません。
私個人としましては、それぞれが望む在り方で過ごされたら良いと思います。
怒ろうが喜ぼうが、それはあくまでその人の中で起きていることです。
生き方や選択には当然自由意思がありますから、それは尊重されるべきものです。
でも、日々を楽だったり幸せを感じながら過ごしたいならば、道は自ずと狭まって来ます。
自分にとってのそれはどれかな? と己に問いかけながら生活してみるのも、今までの繰り返しを変化させる突破口に成り得ることでしょう。