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resonance

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Date : 2019年06月

◆ Infomation

【works】
★ヒーリングセラピー個人セッション
 都内で対面式の個人セッションを行っています。
 幸せと癒し、学びと気付きを得たい方へ、様々に対応させて頂きます。
 潜在意識を日常へと活用することで、より良い人生へ変えることが可能です。
 随時お受けしておりますので、サイトをご覧下さいませ。

★癒しのワークショップ
 毎月一度、都内で女性向けの体験型ワークショップを開催中です。
 沢山の変化・癒し・浄化・成長・気づきを促すテクニックが山盛りです。
 現在、お客様からのオファーで行うオーガナイズ形式での開催です。
 ※以降の開催は決定次第upして参ります。
 ※それぞれ内容の詳細はサイトをご参照下さい。

今回は、私が大昔「この違いがよく分からないなー」と思っていたことについて書いて参ります。


昔の私は、「自分がそれを欲しいと思わなきゃ、ならないじゃないか」と思っていました。
「"欲しい"を手放す? じゃあ、永久に自分の手元にそれは来ないってことですよね?」って。
だから手放すなんてジョーダンじゃない、って思っていたことがあります。

思考の仕組み・作用を理解していなかった、という理由でこんな風に考えていたんです。
否認・欠乏によるニーズと、自分の中に元々あるものを確認することの違いを全く理解していませんでした。
何か既にある体験を否定する為・誤魔化す為に上乗せ用のニーズを持っていて、それが執着であり、そのニーズがある限りは絶対に自分はその体験が出来ないのだ、ということが分かっていなかったんですね。


だから根本にある考えは『現実の否定』であって、実際はそれ自体が欲しいのではなかった、という訳です。
否定するには否定するべき事実が必要ですから、否定を続ける限りループを続けます。
自分は求めているのではなく、否定しているのだと分かれば、何を否定しているのか、何を誤魔化したいのか見ることが出来ます。

そこの見分けが出来ていれば早かったなあ、と思います。
自分が願っていることが否認由来であるかの簡単な判定基準は、それを想う時に怒りや苦痛が伴うかどうかで直ぐ分かります。




世に言う『引き寄せ』は今回『願望実現』と同ジャンルと見做しますが、これはざっくり纏めると『上乗せ方式』の考え方です。
あれが欲しい、あそこに行きたい、あれになりたい、等々。
これは、『自分本体』はそのままで、これにプラスして服をどんどん着込んで行くようなイメージでしょうか。
先に着ていたものはずっと着たままで、また上着を欲しいと言う。どんどん増える。溜め込んで行く。
元の自分の体型が見えなくなっていて、それでも更に着込む。どんどん着込む。もう着られませんー。


『ホ・オポノポノ』や『奇跡のコース』はそれとは真逆で、『お掃除方式』です。
私達は既に物凄く沢山、「これ以上無理ー!」って位に着込んでいて、本体が見えない位着膨れしているから、先ずはパンパンになっている服を脱いでどんどこ捨てて行きましょう、と。
脱いで行くことで元々の体型や体質がやっと見えて来るから、そこまで行って初めてそれに合った服を選び直せますよ…って感じでしょうか。
『引き寄せ』が足し算なら、『ホ・オポノポノ』『コース』は引き算です。


ここで言う"服"は"過去、記憶"のことです。
既に私達は過去の記憶を身に着けたまま記憶と一体化しており、それを自分だと思い込んでいます。
また、昔歩んだ道程を外れることなく、また同じ考えのままで同じように歩んでいます。

全く同じ歩みをしている以上、同じ結末を迎えてしまうのは確実です。
だからその状態で「あれが嫌だ」とか「あれが欲しい」と言ったとしても、それは今の素の自分が思ったのではなく、嘗ての記憶にある台詞をそのまんま喋っているに過ぎないのだ、ということです。



願望実現も、やってみたら楽しいと思います。
でも、ならないことも沢山あります。限界があるでしょう。
そこを素直に受け容れられるかどうか、そこに正しく疑問を持てるかどうかで、また先行きが変わります。

間違いの上には間違いしか乗って来ません。途中で「やっぱりあれで良かった」にはなりません。
これを巻き戻して手放すことで、身軽な素の自分に戻れます。
だけど間違いをそのままにして、その上に色々なものを載せても、下にある間違いが消える訳ではないですよね。


私達は怖れや苦痛を隠したり、誤魔化す為に、様々なものを望みます。
苦手なものは苦手だという認識のままで変えることなく、永遠に避け続けて生きて行きたいのです。
怖いものに手を突っ込んで分解するのはどうしても嫌だから、です。
そんな理由で、あれがあれば、これが起きれば、あれを避け続ければこの恐ろしさから逃れられるんじゃないか。これを認めないで済むんじゃないか。無かったことに出来るんじゃないか。等々を並べ続けるんですね。

となると、欲する抑々の動機が苦痛や怖れになりますから、一所懸命色々なメソッドやツールを使っても、フォーカスしている所に着地する羽目になるのです。
それは自分がそこに一点集中で注目しているから。
喜びや幸せを受け取るのとは、別次元の話になってしまいます。


特に『奇跡のコース』では、私達の本質は完全な愛であり、欠けたり足りない箇所の無い完全性が本体であると述べています。
これは、私達が日頃特に疑うこともなく使っている「無いから欲しい」「あれが無いから不幸だ」「足りないから外から得なければならない」という考えとは真っ向から対立します。

自分が抱えている『私は不完全です、怖れです、欠けています、足りません、過去です、"今"ではありません』というその考えを本当に抱えていると認め手放して行くことで、本体が段々見えて来ますよ、ということを教えている訳です(その理解の為に『ワークブック』があり、日々の心のトレーニングの実践を推奨しています)。

結果、どんどん本体にあたる幸せや愛を受け取れる(外側に見る)量が増えて行く、そういうことですね。
私達はこの世界で、自分の内側にあるものを外側に映し出して見ているに過ぎません。
自分の抱える不要な思考が整理されて行けば、当然外側に見出すものは内側にある整理された心…ということになるのです。



一つずつ見て、認めて行くことで、どんどん理解が速くなって行きます。
「あの時に自分が望んだものは、怖れを隠したいからだったのだ」
と分かって行くと、取っ組み合いをする必要がなくなります。

欲しい、なりたい、ならない…という考えが減って行くと、ラクになります。
自分の心をよく観察し、不要な物をどんどん捨てて行かれますように。




先日、新潟地方で地震が発生しました。
被災された皆様には心よりお見舞い申し上げます。



自分の体験していることと、その反応をクリーニングして行く、ということを日夜地道に続けていると、
「本当にあの体験は、自分の記憶だったのだ。私の中にある考えだったのだ」
という確認事項がどんどん増えて行きます。


私は自分の考えを見ている。
私は過去を見ている。
私は記憶を見ている。



本当にそうなんだ。本当だったんだ。
私がその考えを持っていたからなんだ。
毎日そう思うことばかりです。


となると、まだ未解決の事例や不可解に思って来た何かも、私の中の記憶なのだということになります。
つまり、「私がそのように想っている(このような記憶を持っている)から…」ということです。


私達はインスタントなアプローチを好みます。
一発逆転とか、全てをすっ飛ばしてとか、フィクションのように一夜にして…みたいなプロセスが良いのです。

でもそれは、自分が抱えている思考を全て無視して捻じ曲げる、という不可能な考えに他なりません。
自分で特定の考え(記憶)にしがみ付いておきながら、「これが嫌だから変えてくれ」と言う訳です。
「今の状態に関して、私には責任が無いので」ということですね。
毎日地道に自分で一枚ずつ伏せてあるカードを捲って行くのは、めんどくさいから嫌だって話です。


エゴはインスタントが大好きです。
エゴは「自分のせいじゃない」「私は被害者だ」と言い続ける為にこの世界を作ったので、目先だけ変えるような目眩ましが好きなんですね。
全て自分の中にあって、一つずつ…という考えは、エゴが最も忌避する考え方です。

一つずつ見て行く、確認して行く、事実を確かめて行く以外に、過去をキャンセルすることは出来ないと思います。
世間には様々なメソッドやアプローチがありますが、結果を出す為の基本形はとにかく
『認める。手放す』
ということに尽きます。


「"私が"こう思っています」
「"私が"この考えを選んだのです」
「"私が"自分で、この考えを信じました」
「私が」
「私は」


というように、常に自分の中に理由を帰すことが大切です。
誰々が、とか何々が、じゃないんです。
「誰々が」とか「何々が」と第三者や自分以外の何かを主語にしてしまうと、「私に責任はありません」と主張していることになります。
となると、自動的に『自己による解決は不可能』という話になってしまいます。
何であっても自分の中にある記憶、選んだ考え、または信じたことが心の何処かに埋まっていて、それを体験している・見ているに過ぎないというのが本当の話です。


「これが良いと思っているのにならない!」
と言うのなら、「これが良い」なんて思ってはいないのです。
いやもう、本当にそうです。
「もしかして、そう思っている気になっているだけで、実はそんな風に思ってないんじゃないか?」と疑って自分の思考をじっくり色々な角度から点検してみると良いですよー。


自分が体験していることは、自分が信じていることです。
自分のことを振り返ってもだし、他人様を拝見しても同様です。
これが完全イコールだと分かるようになるまで、私は自己観察を沢山沢山練習しました。勿論、今も続けています。
完全に分かったとは到底言い難い状態ではありますが、これまで私が理解した中でこのルールを外れたものは一つもありませんでした。

『自分の心の中にあるもの、自分の考えを体験している』
と言われても、昔は「???」って感じで、全然分かりませんでした。ええ、意味不明でした(笑)。
「自分がこんなこと思ってるなんて、そんな馬鹿なー!」って。

…自分の考えを観察する、心を見つめるということの意味が分からなかったんですから当然ですね。
潜在意識とか、意識層の深さについても理解していなかったので、そうですねーそりゃ解らんよねって思います。
それから『全て未処理の記憶/過去』という概念(事実)も知らなかったので、この辺りが色々繋がって来てやっと「は!」って感じでした。


私達は日々当たり前に、ナチュラルにあらゆるものと分離した考えを使っているので、分離を取り消す訓練を重ねても尚、自分の体験について「これは私の考えです」から常に適用を外そうと試みます。
自分の中から適用外にしたものは、解決不可能に"自分で"指定したことになります。
エゴは例外が大好きです。何らかの防御や言い訳になりそうなもの程、後生大事に取って置こうとします。
そのまま、問題を問題のままに延長しておきたいのです。エゴは被害者で居ること(によって、外側を攻撃するの)が目的なので。

しかし、例外はありません。ひとつもです。
なので、「私は自分の考え/記憶を見ているのだ」と肝に銘じ続け、それが事実であると思い出し続け、その考えを毎日自分に適用し続けることが癒し、解放への近道になります。



ちょっとずつしか進まないよー! って感じもしますし、物凄く遠回りに感じることもあります。
「気が遠くなる~! 勘弁してー!」って思うことも、よくあります(笑)。
でも、それでも続けることが結果的には理解への最短距離なんだなと思います。振り返れば、ですが。
そんな風に思いながら、今日もクリーニングをして、自分のあれこれに疑問を持ち続けているのであります。(^^)



6月に入りました。そろそろ東京も梅雨入りが近いでしょうか。




先日は、オファーを頂いてのワークショップでした。
ご参加いただきまして、ありがとうございました。(^^)

その方の気付きや理解の進み具合によって、その時に最適な教材が現れます。
既に知っている気分で構えたり、自分なりに分析しようとしたりせず、フリーハンドで受け取って頂けることで、その時に必要な理解が得られると思います。



『他人が評価してくれない』
『親が愛してくれない』
『子供が言うことを聞かない』

等、「誰々(他者)が、誰々のせいで」と言う時、私達は自分とは切り離された外側で起きる現象を体験している被害者のような気がしています。


しかし実際は『自分に対する考えを見ている、体験している』以上のものではありません。
でもこの世界では、自分と他者は一つではなく、分離したものの見え方になる為、まるで
『自分とは関係の無い所から、全く自分の意思や気持ちとは関係無く』
物事が起きて、私達に嫌がらせをしているかのように思えます。
とは言えやはり、日々私達は『自分に対する自分の考え』を見ているのです。


先日ワークショップのプログラムを体験して下さった方から、お礼のメールを頂戴しました。

「(体験していることは)全て自分の考えでしかなく、自分でそれに全力でしがみついているだけだということ、自分の考えだからこそ手放せるし、変えられるということ、このことが、上っ面だけではなくちゃんと実感を伴って分かって、すごく救われた感じがしました。本当に、ありがどうございます。」

だ、そうです。


このものの見方は訓練が必要です。これまた地道な訓練だし、日々適用すべきものです。
その上、これまであらゆる自分の不都合を他人のせいにして来た人にとっては、「死んだ方がマシ」って位に嫌な作業になります(笑)。

嫌な作業だとは言うものの、事実確認の作業でしかない為、これが出来れば物凄く楽になります。
事実に対し格闘する必要が無くなって行くからです。

自らの不都合を他人に押し付けている時、まるで自分が楽になったかのような錯覚を起こします。
自分に問題は無い。自分は真っ白で何ら改める個所は無く、改めるべきは他者にある。
そう思おうとするのは、自分の中にある大きな劣等感、不都合、罪悪感、それらと一体になっている恐怖から逃れたいからです。


「自分は最初からこの程度だったんだ」とか、「こう思い込んで来た自分が間違っていた」というように、過去しがみ付いていた自分の間違った考えを認めて手放す時、他の誰でもない自分が楽になります。
それが出来る人は、自分を大切にし、愛する努力をしている人だとも言えるんじゃないでしょうか。
結果、自分の身の丈に合った人生や幸せを受け取れる訳で、現実を認める作業をすることによって、その後の幸せな時間が長くなるのですから。

自分はそのままで他人から無理矢理幸せを貰おうとしたり、力ずくで自分を認めさせようとしたり、他者に不都合を押し付けたり、自分が如何に不幸か他人に分からせようとアピールしたり等、自分の外側と格闘し続ける人は、それによって自分が幸せになる(抱えている不幸が消える)ような気がして行う訳ですが、逆です。
他人がどうのとか、それはああでこうでと言い訳をせずに、出来る限り速いタイミングで体験している事実を受け容れることが、愛や喜びを受け取る一番の近道だと思います。



「愛されたい」と思うなら、自分が自分にその姿勢を適用しましょう。
何よりもそのスタンスが必要です。
自分を愛してくれるのは他人ではありません。自分です。

自分を放り出して他者を、周りをどうにかしようとする時、自分で不幸を選んだことになります。
それはもう、間違いなく。
『私』は『私』にどういう姿勢を持っているかな? と見直し続けることが、幸せを受け取る近道。
是非、覚えておいて下さい。(^^)


プロフィール

Sachi

blog owner:Sachi
潜在意識を活用した、ちょびっとスピリチュアルな総合セラピー、癒しのワークショップ・タロットカードセッションをしているSachiです。
穏やかに楽しく成長出来るよう、入手した情報や、日々の気づき&
発見などをシェアして気ままに更新。
イベント情報も随時掲載中です♪

※記事の内容、情報については一個人の捉え方、考え方に纏わるものが大半です。
絶対的な事実という訳ではありません。
また、私の理解や気付きの段階に応じ、記事の内容にも随時変化がありますことを何卒ご理解下さい。
※過去の記事をご覧になってセッションやワークショップにご興味を持たれた方は、必ず最新記事近辺を幾つかご確認下さい。
セラピストの基本姿勢、考え方をご理解の上、ご予約願います。

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旧blogタイトルは『気づきのステップ』。


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