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resonance

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Date : 2019年02月

◆ Infomation

【works】
★ヒーリングセラピー個人セッション
 お時間の確保が難しい為、受付休止中です。
 詳細はサイトをご覧下さいませ。

★癒しのワークショップ
 毎月一度、都内で女性向けの体験型ワークショップを開催中です。
 沢山の変化・癒し・浄化・成長・気づきを促すテクニックが山盛りです。
 現在、お客様からのオファーで行うオーガナイズ形式での開催です。
 ※以降の開催は決定次第upして参ります。
 ※それぞれ内容の詳細はサイトをご参照下さい。

2月も下旬ですねー。あっという間です。
ちょっとずつ書き溜めていた記事を毎日連続でupするという、珍しいことをしております(笑)。




『私達は過去を現在だと思って生きている』
『過去の再生だけをしている』

と度々書いておりますが、見れば見るほど本当のことです。
日頃は自覚が無いだけで、事実そうなんだなーと思います。自分を見ても、他人様を見ても。


例えば、本人の思考タイプを見てからその人のホロスコープを見せて頂くと、「あ~…バッチリです…」という風に納得の配置が発見されます。
物凄く執着して手放せずに持ち越して来た特徴的な考えなんかはくっきり浮き彫りになっているので、「なるほど、やっぱり。こりゃ前からかー」と深く頷くこと多々でございます。

ホロスコープって、チャートだけ先に見て本人を見ないまま教科書通りに判断するなら、ほぼその人の解析は出来ない可能性が高いなという印象です。
人は大体、都合の良いように何でも取りたがるし、実際の自分の生き方・言動や他人様への姿勢、自己評価なんかを無視して『ホロスコープだけ』を読もうとする傾向があります。

しかしサイン、ハウス、惑星、アスペクト一つ取っても沢山の象意が含まれますし、それらが複合的に絡んで来るとなると色々な読み方が出来てしまうので、そこから絞って特定するのはなかなか難しいんじゃないかと。
「この配置を持っている人はこういう才能があるという意味です」と教科書に書いてあれば実際自分もそうなのかと言うと、違うことはよくあります。
確かにそういう人も居ますが、「この場合、配置通りであっても、才能で出ているのではなくて…」とかですね。



実際にどう生きているか、どういった思考タイプか、というものを軸にしてチャートを参照しないと、現実に合致した読み方は難しいもののように私は思います。
特に自分だと、「自分はこうである筈だ」という宛てを作って読もうとするでしょうから、現実と整合性が取れず益々分からなくなりそうです。
「この配置があるからこうなる筈なのだ」に使ってしまうと、不幸の為に使うことになってしまいますし。

私がこれまで調べた限りの話ですが、バースチャートは『今回はこうですよ』というより、『前回こう生きて死んだんだよ。この人生を繰り返しているよ』です。
過去世をチャート内で見る時、例えば土星やドラゴンテイルやトランスサタニアンや12室を…的な考え方がありますが、一部ではなく全部丸ごと前回の自分です(その際、テイルを中心軸に全体を読むのが正しいと思います。殆どの人は正しい自分/ヘッド側を生きていません)。
今回のチャートとは、イコール未解決事件、完了させていない人生の象徴です。だから丸ごと持ち越し、持って来ている。
過去を現在だと思い込んでいるという意味では『今回はこうですよ』と言えなくもない。疑問を持たずロボットのように生きて行くなら、です。


蛇足になりますが、ホロスコープ等は一旦『テイルを中心にあれもこれもネガティブ寄りに解釈してみる』という視点で解析したら、現実に近くなる可能性があるんで、分かり易いんじゃないかと。嫌だろうとは思いますけども(笑)。
「こういう否定的な考え方、受け取り方をする」「これに対して異常な執着をする」「特にこのジャンルについては『認めない!』と言い張る」「ここに触れるとブチ切れる」「他人を信用しない」「劣等感が強い」「元々の自分がこうであることを認めていない」とかですね。
ある程度ネガティブ寄りに読み取ってみると、恐らく大体合ってると思うんですよ。…嫌でしょうけど(笑)。

ネガティブな解釈や暗示なんか見たくない! というのが人の性ですが、そうは言っても全部及第点だったら今回持って来ていませんですよー。
未解決のままだからそっくりそのままこの人生に持って来ていて、どうせそこを修正しないとまた来世~ですから、早めに知って見直した方が後が幸せだと思うんですよね。
あくまで『一度』ネガティブ寄りに全部読んでみて、それを出し終わった時点で徐々にプラス修正の解読を試みる、とかでいいんじゃないかなーという気がします。
解読のみを一人歩きさせるのではなく、あくまでも現実(自分)にピタッと合わせて読む、というのが重要です。





「大概都合良く取ろうとする」、という繋がりで。
例えば退行催眠を受けたり自分でやってみた時、
『自分が(今と全く同じように)間違った生き方をして死んだ人生』
を掘り出す人って少ないなーと思います。むしろ

『自分は一方的な被害者だった、嫌な目に遭わされた』
『特別な能力や地位にある特別な人間だった』
『善良な人間だった』

等のイメージを、ニーズに合わせて無理矢理作り出してしまう(逃げ込み先として作ってある)、という場面を沢山見て来ました。
「え? 何? 何言ってんの? そんなものは影も形も無いですよ?」みたいな。
もしそれが本当なら、今の人生で繰り返している、言動や行為は何なの~っていう。
だけど、『前回』もこうやって「むしろ自分は被害者なのだ」とか「特別な筈だ」と言い張って妄想してたんだなーと思えば、それはそれで納得。
細部に至るまで過去と全く同じ繰り返し。いやー…半目になります。



過去世とか前世と言うと、とかく形に拘る人が多いような印象があります。
どういう仕事をしていたとか、どういう地域に住んでいたとか、そういうことですね。

実際の私達は転生の折に『生き方、思考タイプ』の方をメインに持って来るので、例えば今回お金持ちに生まれたからと言って、今回のご家族に溺愛されて育ったからと言って、ネタ元もそうですよーとは限らないのです。
環境的な形ごとほぼ同じという人も居ますが、私がこれまで見た限りでは皆そうかと言うと、別段そうでもないようです。

むしろ、これまで自分がどのように振る舞って来たか、自分をどう思って来たか、家族や友人知人他人様をどう扱って来たか、どういった態度・言動を取って来たか、どういったリアクションや反応をして来たか…といった自分の生きる姿勢の方に注目すると、『前回』の自分がどうだったかの糸口に繋がります。
人それぞれですから色々ケースはあるでしょうが、上辺の形の方にばかり注目してしまうと、本当のことはなかなか見えて来ないでしょう。


バースチャートにせよ、過去世のリーディングにせよ、事実を元に見直すと、「お~っ! こんな所にー!」みたいな驚き体験があります。
私は沢山ありました。「この配置はこういうことだったのかー!」って。
チャートとだけにらめっこしても、ずっと分からなかった内容です。

実際の生き方や事実にのみ注目する癖を付けておくと、バースチャートや過去世がちゃんと見られるようになって来ますよーということで。
そこから、今の自分にフィードバックして、「全く同じ間違いを繰り返している……これはもう改めよう」と気付いて行く為に活用されたら宜しいと思います。



昨夜はスーパームーンだったそうです。
雨が上がって深夜に外に出てみましたが、時間がずれたせいか普通にお月様でした(笑)。
でも雨上がりの空はスモッグが流れて綺麗ですよねー。



今回は私の超・個人的な話になりますので、全ての方に当て嵌まる訳ではないことをお断りしておきます(でも、多分ほぼみんなそうだと思います…と、注釈を付けておきます)。
これまでの人生体験の一体どこまでが記憶だったか、どこからが願望実現なのか、っていうのを振り返ってみると、全部記憶だったな。と思うのです。

それなりに生きておりますが、私はこれまでにっちもさっちも行かない八方塞りの時が何度かありまして。
あーもう無理。あかんわ。本当に無理。終わったー。
っていう時が何度もあったんですね。



所謂様々なジャンルの『トラブル』以外にも、(専門家の方以外は殆ど信じて下さらないのですが)私は生まれつきどういう訳か身体が極端に弱く、大怪我を何度もして来ており、体力も普通の人の半分以下。
頑張ろうとしても下地にあたる体力が無い為、直ぐへばる。動けなくなる。倒れる。
突如、何の前触れも無く身体異常が出て、身体の一部が変形したり、身に覚えの無い現象が度々発生。怪奇現象ですよー。
…という残念な身体を、どうにか一時的にでも持たせて下さるボディワーカーの先生と出会って、メンテナンスをして頂いたことがありました。
それでキレイに治った訳ではないんですが、重篤な症状が出た時に施術して頂いた時等は、本当に助かりました。

また、意味不明な災いがどんどこ押し寄せて頭がおかしくなりそうだった時に、助けて下さる霊能の先生との出会いがあったりもしました。
所謂直接的な『修行』は特に意味が無いのでしていませんが、「いずれ分かる日が来る」と言われてそっちの世界のルールや事例をみっちり沢山教えて頂きました。
かなり年月が経って、「あの時、先生が言っていたのはこういうことか…」と大分遅れて理解したことが山程あります。


自分の人生を振り返ると、本当に酷い有様だったなあと呆れますが、そういった良い出会いの体験が挟まったりということもあったので、
「でもああいう風に助けて下さった、教えて下さった方に出会えた」
と、大変に有難く思っております。

しかし。
あれも今思えば記憶の再現だったのでした。
いえ、有難いは有難いことなんですよ。それは間違いなくそうです。
でも記憶の再現だったのか…と思うと、唸ってしまいました。



自分の中を検証することを何年も何年もしつこく続けていると、「あっ! え!? あれも!?」っていうことが沢山ありまして。
そうすると、あの時もあの時も「助けてー」と天に向かってヘルプコールをしたから願いが叶えられた訳じゃないのねー。ということになります。
更に運とかでもないです。ていうか"運"て何。って感じです(笑)。
単に自分の中にある思考のことを世間では運と呼んでいるだけですね。

あの時、物凄く迷って悩んで決断したと思ったことも、嫌になって逃げてしまったことも、その結果も、あの時の挫折も苦痛も、こうしなきゃと思っていたことも、この人生の私がリアルタイムにその都度体験したことだと思い込んで生きていましたが、全然違いました。
ぜーんぶひっくるめて、自分の中にある、過去のプログラムを再生しているだけだったのかと思うと、「なーるほどー」です。
同様に、これでもかー! みたいなトラブルの連続も、「は? え? 何これ? え? 何で? はい?」という目が点になるような出来事の連続も、それに対する自分のリアクションも、勿論過去のプログラムを再生していたのでした。



私は大きな物欲や「こうなりたい」的な欲があまり無いまま成長したのですが(そんなことよりこの滅茶苦茶な人生をどうにかしたかったので)、稀にちょっとだけ「あれがいいなあ」と思うと、なれたりしたこともあります。願望実現っぽいやつです。
しかし今振り返ると、それらの体験も織り込み済みでございました。
能動的に願わなくとも、結果そうなるようになっていました。そこで既定の記憶を再生し、プログラム通りに体験したのでした。
各種占いである程度その人の特徴が出たり、人生のイベントが割り出せる理由は、それらが全て過去だからこそでしょう。

「だから『もしも』は無かったし、他の道は無かったってことだなー」と頷いております。
プログラムだからどれだけ文句を言って楯突こうとも、ただその通りにしか再生されず、進まないのです。
自分で考えている、と思っている状態すらプログラムの再生状況です。



では抑々、「あれがいいなあ/ああなりたいなあ/これが欲しいなあ」といった考えは何処から来ているのか? という話になります。
それこそ記憶です。実は今、存在していない過去、記憶によって「あれが欲しい」「これが好き、嫌い」「辛い、苦しい」「嫌だ、認めない」と言っており、それが今の自分という個体の考えであると、私達は信じて疑っていません。



「ところであれは何なのだろう」「これはどう説明が付くんだ?」
という風に、何年経っても腑に落ちない体験が私の中には物凄く大量にあり、残念ながらご説明頂ける方にもなかなか出会うことが出来ませんでした(説明されても当時は理解不能だったでしょう)。
 「なんでこんなんなの? 何が原因なの?」という行き場の無い疑問をずーっと抱えていましたが、スッキリして納得したい私としましては、そこを追求したい気持ちが常にありました。
で、時間を掛けて独学で勉強していたというお話です。

色々調べ続け自分の検証を繰り返し続けた所、一部の先生方が教えて下さっているように、
『全ては過去であり、記憶の再生をなぞっているだけでしかない。これらを手放さないと本当の自分に戻れない。幸せなど有り得ない』
というのが真に正しい、という結論に達しまして。
少なくとも過去の人生は全部記憶だったことが判明して納得してしまったので、やっぱり他に可能性とか無かったじゃん…『今』『自分』を生きてなんかいないんじゃん…はあああ~……そうですかそうですか~……って(笑)。


それからは、出来る限りどの瞬間も「今、何の記憶を見ているんだろう」と疑うようになりました。
過去の記憶であることは間違い無いし、何処に居ようが記憶を見てしまうのは確実なので、ただひたすら理解が速まるようにクリーンにし続ける、という作業をコツコツして来た次第です。
段々と自分のクリーニングに慣れて来ると、「……あ! あれか!」と、記憶の出所に気付くまでの時間が速くなり、手放せるまでのスピードも上がるのだなーというのが私の実感です。


今後も一つずつ見直し、手放して行く作業を続けて参ります。
生きて行く上で、『心の空きスペース』が多いに越したことはありませんから。



気温が上がって来る日が増えて参りました。
三寒四温で暫く不安定な天候・気温になるかと思いますが、皆様どうぞご自愛下さいませ。



長々と潜在意識の勉強をして来て分かったことは沢山ありますが、中でも知っておくと良いこととしては、何らかの問題やテーマがある時、『それが現時点で修正可能か不可能かという分類がある』、というものです。


分類、確実にあります。
常にどちらかです。



見分けるポイントは『それを繰り返しているか否か』です。



何かを良くしたい、問題を解消したいと思う時、現状までに体験している内容が「ずっと繰り返している」「最低でも二回は全く同じパターンを体験している」のであれば(または自分から問題を態々起こしているループなのであれば)、確実に現時点での解消が可能です。
解消することによって、結果良くなります。

ここで言う『良い』の内容が、自分が想定しているものかどうかは別ですが、問題だ、不幸だという気持ちは無くなり、落ち着いて穏やかな状態で居られるようになります。
それに伴い、形が変化する場合も多々あるでしょう。



これとは逆に、「なんだこりゃ。こんなの人生で体験したこと無いんですけど…」とはっきり断言出来る場合。
こちらはドラマを再生し切らないと、どうにかしようとしても徒労に終わってしまう可能性大です。
途中で強制的に変えるとか、路線変更するといったことは相当難しくなります。
私の30年以上にわたる実践経験上では、無理だろうなあって感じです。

とにかくドラマ(記憶)の再生が終わるまでを見届ける。
自分の中にある記憶を、最短で吐き出し切ることが一番良い方法だと思います。
それに纏わる感情や思考をクリーンにして整理し終わった段階で、やっとゼロに戻ります。
「嫌だとか変えたいと言っても、変わらないのだ」と肝に銘じつつ、辛い・苦しい・腹が立つ・逃げたい・変えたい・こうなるべきだ・なんで・どうして・怖い等の気持ちを一つずつクリーンにして行く作業がお勧めです。
結果として、これが一番早い解消への近道となります。経験上、そうでした。



こちらのタイプの問題がある方は、以前から何度も書いていますが潜在意識に『その問題というドラマ』があって、その記憶を見ているということになります。
今、起きているように見えても、今ではなく、全部過去の出来事であり、記憶を見ているに過ぎないというのは本当にそうです。

私が個人的に「うわ、全部じゃん! 全部って本当に全部だ!! 過去じゃないものなんて一つも無いってホントだ!!」と気付いた時の唖然ぶりですよ…いやーびっくりしました。
「一部は過去だけど、今が大事で実際は今生きてるじゃない?」って言われることもありますが、それは無いです。全部過去です。
その過去を終わらせていないから、また記憶だけを見ているんです。
今だと思い込んでいるこの瞬間も、嘗ての記憶です。
一日の内、何時間かは現在を生きている筈だ、なんてことはありませんでした。私達は毎秒、過去を見ています。
その都度、気付いて手放さない限り、ただひたすらに過去をループするだけの人生です。



この記憶はエゴが作ったドラマなのですが、これを途中で捻じ曲げる、というのは不可能だと思います。
エゴに対して抵抗するというのは本当に無意味なことで、間違いなく「やっぱりダメだった…」に行き着きます。
それよりも、一秒でも早く出し切って、全部を明るみに出し、情報を整理して、「終わった」という実感が得られるまで見届けることが最も重要です。

そのドラマの中に居る間は辛い、苦しい、何でこんなことに、誰か助けてー! と思うでしょうが、実際はその思い(反応)の記憶が自分の中にあるからこそ、その現象を見てしまうので、自分がどう反応しているかを注意深く見ながら毎日自分の中をクリーンにし続けることです。
今、まさにリアルタイムで反応している、と思ってしまうと、その記憶に踊らされて辛いだけでしょうから、「これは今じゃなく、嘗ての記憶なのだ。いつかの記憶を体験しているだけなのだ」と言い聞かせると多少スムーズかも知れません(当然ですが、肉体的に危険が迫っている等の場合は、速やかにそこから離れて下さい)。



何であっても同じですが、認めないと、手放せません。
手放さないと、また繰り返します。
または、苦痛の時間が延びます。




ところで、自分の中の記憶をクリーンにして行くと何が良いかというお話ですが。
生きるのがとても楽になります。
怒りや苦痛や罪悪感や悲しみ妬み不平不満に不安焦り、その他諸々のネガティブな考えで殆ど覆い尽くされている私達の心ですが、これが徐々に消えて行きます。
これだけでも物凄く楽です。よね?(笑)

それから、潜在意識とのコミュニケーションがスムーズになって行きます。
自分の心がお掃除されてスペースが空いて来ると、潜在意識の方から顕在意識に向かって色々教えてくれるようになりますね。
それまでも教えてくれようとしていたのに、遮る記憶が多すぎて届かなかったものが、するっと届くようになって来る…とも言えるでしょう。

夢でお知らせが来たり、日常生活で「あっ」という気付きの機会が増えたり、実際に現象として何かギフトを受け取る機会も増えることでしょう。
自分にとっての正しい現象、出来事、体験が確実に増えて来ると思います。



自分の問題を見分ける所から、見直してみては如何でしょうというお話でした~。


立春を過ぎましたが、まだまだ寒い日が続きますねー。
マスクにアロマオイルのユーカリを水で薄めるなりしてスプレーすると、風邪予防や花粉対策に良いというお話です。
寝る時は、枕元に同じくティッシュにオイルを垂らしたものを置いておくと、呼吸が楽とか。
スッキリ系の香りが嫌でない方にはお勧めですよー。




ユーカリプタスのエッセンシャルオイルは色々ありますので、探してみられると良いでしょう。
ブレンドものもありますし、純度の高い製品もあります。ぜひー。





去る10日は2月度のワークショップでした。
自分で自分を見る時間になる個人セッションとワークショップの最大の違いは、
『他人様を通じて自分の心を知ることが可能になる』
という部分です。

長く生きるに従い、私達は定型文や固定の反応を使い続けるのに慣れて行きます。
『こう聞かれたらこう答える』
『これについてはこういう逸話を持ち出す』
『ここに触れたらこう反応する』

等、自分が隠している部分や直視したくないものが沢山あると、その上に乗っける定型文や固定のリアクションを沢山用意して生きるようになります。
これをしているからこそ、自分自身が長きにわたり不幸を手放せず、幸せを受け取れないと言えます。


一番最初に自分に対し間違った理由付けをして以降(多くは幼児期に決断します)、これを続けることが目的になってしまい、同じリアクションを使い続けることによって自分さえも「まるでそうであるかのような」気がして行きます。
という訳で、単体で質問された時に答える内容については、事実かどうか全く疑問に思わないで応答して居ることが多いものです。
何処かで「…何でいつもこう答えるんだろう」「自分で言っているこれは本当のことかな?」と疑問を持たない限り、同じ応答を続けてしまいます。何故って、言っている間はそれこそが目的だからです。

そんな中、他人様が本当のことをポロッと(或いはズバッと?)言って下さることは非常に多く、例えばワークショップに参加される方々の遣り取りを拝見していると、「おお~!」「そうなの? スゴイ!!」と感嘆してしまうこともよくあります。
言われた本人は頑なに認めなかったり、「今のところはそう言われてもピンと来ない」と言ったりしますが、他の参加者の方々がウンウン頷いて「それです。凄く腑に落ちました」「凄い! ズバリって感じで鳥肌が立ちました!」と大納得しているのもよくある風景です(笑)。


このようなやり取りを度々拝見するに(特定の技術を習得する場として活用するのも、目的に応じて勿論良いことでしょうが)、個々人の作った心理的な防御を突破して行くにあたっては、やはり他人様のこういった思わぬご助力ありきだなーと思う次第です。
「自分でも何でこんなこと言ってんだろうって思うんですけど、何度見直してもそういう言葉になります」
とくっついたりするので、口に出す側も「あれ? あれ? あれ?」と思ってのことだそうで。

こういう現象を体験・目撃する時、
『他人様は自分の潜在意識ご担当』
『みんな繋がっている』
『上辺で何を言おうが隠そうが全て無駄。思考(心)だけが伝わる』

のが本当だということを実感します。


現代日本に多いスピリチュアル関係の集まりや、スピ無関係でも自分が能動的に選ぶ集まりだと、何とな~~~く暗黙の了解で
『否定してはいけない』
『本人が許容している言葉以外は言ってはいけない』
『本人が言うことには全て賛同しなくてはならない』
『本人が言って欲しがっていることを言ってやらねばならない』
『物凄く褒めそやし、甘やかさねばならない』
『ツッコミ禁止』
といったルールがモヤッと存在する場所が多いように思います。

しかしあまりにこのルールを使うと
『現実逃避が酷くなる』
『スピリチュアル依存が重くなる』
『不幸な考えを手放さなくなる』
『正しい人生はもはや望めなくなる』
『他者を攻撃し続ける等、諸々悪化する』
といった弊害が生じます。


無論、本人がどういう思考タイプで生きているかによっては、肯定も必要です。
とは言え、貴重な時間を使って事実ではないこと、嘘を吹き込み続けるようでは、お互い不幸まっしぐらでしょう。
『本当のこと』だけが幸せに戻る為に必要です。
幸せが良ければ事実を知ることを行うでしょうし、不幸が良ければその逆を行きます。シンプルですね。

自分の人生を振り返っても、他人様によって自己の心を驚きと共に理解したことは数限りなく、それはこの先もそうなのだと思います。
例えリアルタイムでは「痛いよー」と思ったとしても、やはり後々振り返れば有難い限りです。
他人様は自分の心を正確に見せて下さる鏡なのです。



節分、立春を過ぎました。
暦の上では春ですが、それ以前に今年は暖冬ですねー。



さてさて、前回の記事に書きました内容は、これまで沢山お話をお伺いして来た中で最も多かったものを、ある程度砕いてご説明しましたものです。
簡単に言うと、前項に於ける『問題』とは
『自分の事実・現実を認めずに歪めた解釈を行っただけ
という一言に尽きますが、その詳細は人によって様々ですので内容を詳細に聞いてみないと(自分で詳細に見直さないと)…だったりもします。

自分で歪めた解釈を正当化する為に、繰り返し同じことを行う必要があり、その為に生きるようになる。
生きる目的が存在しないもの(嘘)を証明する為…ということになるので、幸せや愛されることなんかは一切頭からは消え去ります。
目的に従って人やものの見え方はガラッと変わってしまうので、有難いとか申し訳ないといった考えも別宇宙の話って感じでしょう。

この状態でスピの知識を知ってしまうと、「じゃあきっと特別な何かが自分にはあるに違いない」ということにしたくなるケースも多々見られます。
大変な過去世が、とか、因縁が…とか、宇宙が…なんて感じですね。
その理由付けを沢山集める為に、スピリチュアルジプシーをしている方を沢山お見かけします。
でも実際はとても簡単なことで、最初の歪めた受け取り方をした所を見直せば良いだけです。




私は昔、色々とお話を伺う中で
「なんでこの人は過去世に色々大変なことがあるって設定にしているんだろう?」
「どうして好き放題生きているのに、人よりも遥かに酷い目に遭い続けて来たと主張しているんだろう?」
と首を傾げることが沢山ありました。

拝見する限り全くそのような様子は無く、潜在意識がどうのって感じも無い。何度リーディングを取っても出て来ない。
単純に顕在意識での解釈が捩じれているだけ。なのに、本人はそうだと言って憚らない…どうして?
という疑問で頭の中が「?」だらけだったことがあります(単純に私の能力の精度が…というお話も当然あるでしょうが)。


それと、単純に子供の頃からそういう思考パターン(かなり強い自己愛型)の人が身近に凄く多かったんですよね。
「酷い酷いって、一体何を言ってるんだろう。そんなことをしたら嫌われるに決まってるじゃない。どうして態々嫌われることを選んでやるのかな?」
「そういうことをやるからこういう結果になるなんて、やる前から分かるだろうに、何を考えてるんだろう?」
「なんで直ぐバレる嘘を吐くんだろう。自分の首を絞めるだけなのに」
「どうして全部人のせいにするんだろう?」
と、幼心に疑問を持ち続けていた訳です。

大人になって色々学んでいる内に、「都合が悪いと思って、咄嗟に解釈を捻じったのか…」という落としどころに行った訳ですが、こういう考え方は多少なりともみんなあるよなーと思います。
何があるかと言うと、「そんな筈は無い」「どうしよう、誤魔化さなきゃ」という否認・防御の思考ですね。
一度否認をすると、それについては否認し続ける為に生きるようになります。間違いを認めるまでは、です。



どんな出来事だろうと、どんな内容だろうと、事実に変化はありません。
時間が経とうが、他人が何を言おうが、どんな特別な理由をくっつけようが、事実は一つ。
静かにその事実を受け止められるかどうかです。

兎にも角にも、本当のこと、事実が何処にあるかこそが、癒しの鍵です。
「こうの筈だ!」ではなく、「事実はこれです」に認識を戻すことが癒しです。
誤った認識を糺すことですね。



例えば、何らかの理由で本当に(一方的に)虐待を受けて育ったり、外から色々な現象が起きて「え? え? なんで?」という状態で生きていらっしゃる方もおられます。
こちらは潜在意識に何らかのドラマを抱えている状態ですから、そちらを見直されることで癒されます。
先祖の場合もあれば過去世の場合もあり、本当に人によって様々です。
でもやっぱり、正しい原因(理由、因果関係)を明らかにすることで癒されるのは同様です。

どの意識レベルに齟齬を抱えているかは人によって異なりますが、何にせよ『正しく見直す』ことだけが癒しに繋がります。
事実を正しく見直し、そのまま受け止められますように。


今日は、私がこれまで沢山伺って来た(または見て来た)『不幸』や『問題』について、ある程度の解明が出来る可能性が高いお話を書いておきますねー。



この世界は二元性で出来ている(そのように私達のエゴが作った)ので、『良いだけ』のものとか『永久不変』のものは一つたりとも存在しません。
何故なら、永遠に変わらず非一元的な存在である『愛』を否定する目的で、エゴがこの夢の世界を作って閉じ籠もったからです。
この辺りは『奇跡のコース』に詳しいので、お調べになってみて下さい。
Wikipediaに大変素晴らしい要約が載っています。

例えば美しいものはいつか朽ちて無くなるし、肉体的な生命は必ず尽きます。
輝かしい雄大な自然は、感動を与えてくれる一方で、猛威を振るって生活を破壊します。
世界中にある神話に出て来る神々も、必ず二面性がありますよね。
恵みを与えてくれる一方で、祟ったり怒ったり、選別したり、序列があったり。
…とまあ、必ず両面があってのこの私達の世界です。




このような『あちらを立てればこちらが立たず方式』の考え方を、誰もが持っています。
これは私達が他人様と共に自分を見る時にも、使われることが多い考え方です。
『何かを肯定する際には、必ず別の何かを否定する』
という、エゴの大好きな思考です(エゴは何についても否定が大好物です)。
私達はエゴと一体化している為に、「あれが良い」となると、それを持っていない「これは悪い」、「あれには価値がある」なら、「これには価値が無い」という考え方を何に対しても当て嵌めがちなんですね。

誰かが『良い体験』をしているのを見たとしましょう。褒められるとか、好かれるとかですね。
それが無いからと言って、自分は別に困っていない。それが無いせいで特に嫌な体験もしていない。だけど、『それ』『その要素』を持っていない。
とすると、「あの人は価値がある存在」で、反対に「自分は無価値な存在」という風に自分で勝手に位置付けてしまうことが多々あります。


誰かに価値があるなら、そうでない自分は価値が無いのだ。


と、非常に短絡的且つ謎の理屈で結論を弾き出します。
私達の中には無価値感、罪悪感、恐れが根深く存在している為、ついついそちらに手を伸ばしてしまうのです。



別の例を挙げましょう。
例えばTVで初めて知った国のどなたかが、存在さえ知らなかった莫大な金額の宝くじに当たりました、というニュースを見たとしましょう。
それを見た時に、「へー、そうなんだ」で終わることが出来る人はどれだけ居るでしょうか。
結構な割合で、「え…なんで…?」とイヤーな気持ちになる人が多いのではないでしょうか。

このイヤーな気持ちを体験した時、『目撃した対象物(出来事)が嫌なのだ』と誤変換をしがちですが、実際は「なんで自分にはああいう良い体験が無いのだ」と考えています。
別に困ってもいないし貧困に喘いだ経験が無いのだとしても、『あれが無い(与えて貰えない)自分』をとても嫌なものだと認識しています。
『自分は愛される価値が無い。無価値な者』だという捉え方ですね。


この「自分は無価値」という考えは誰の中にも存在しますが、我に返って見直すことで気付いて手放すことが出来ます。
咄嗟に「あれが無い自分じゃ嫌だ!」という考えを間違って使ってしまったとしても、「でも、果たしてそれは本当だろうか」と考え直せば、「あの考えは間違っていたなー」と糺すことが出来ます。
「○○さんに価値がある、という考え方はあってもいいけど、だからってそこで自分を持ち出したのはおかしい」
「○○さんはああいう風に好かれていたけど、自分としてはそれが欲しい訳でも必要という訳でもないなあ」
「別に困っていないのに、嫌な体験も無いのに、『そうじゃなきゃ嫌だ』とか言うのは変だよね」
等、色々と自分について理解を深めて行けば、「別に腹を立てるようなことではなかった」で話が終わります。

しかし解釈を間違うと、
「自分にはあの人のように○○(特徴等)が無いから、ああいう体験が無いに違いない。じゃあマネして自分もそうだってことにしよう」
「ああいう体験が無いなんて我慢出来ない。自分は不幸だ」
という強迫的で不必要な思考を持ち続けることになり、『他人のマネ人生』や『ゴールの無い追求』を始める人が沢山居るんですね。
そうすると、元々の特質や才能を生かした幸せな人生は絶対に有り得ない(自分が全否定するからです)ので、私が見ている限りでは本当にただただ勿体無いと思うばかりです。




また、自分に非があって怒られたり叱られたり注意を受けた時の解釈も、事実に沿った正しい理解をしない限り、現象ごと反復します。
子供の頃に自分が何かやらかして親に怒られました。という体験をした時、自分の中で
「親が私のことを特別嫌っているからだ。私は悪くないのだ」
ということにしてしまうと、後付けで『親が私を特別嫌っている』という形が必要になってしまう為、自ら悪さを繰り返します。
自分がこじつけた理由を証明しなければならなくなり、怒られる、叱られる、注意されるという結果がどうしても必要になるからです。

結果としてそこだけを引き合いに出して「ほら! 私のことだけ嫌いなんだろう!」とやり続けたい。自分が。
という形が出来上がります(自分がやらかしたから、という部分は大体自分の中では削除しているか、別の出来事に置き換えています)。 
何れ、「私が間違っていました」に行き着くまでは、自分の意思で何度も繰り返すことになります。自分にその必要があるからです。



このように、何らかの体験をした時に、どういった理由付けを行ったかが、その後の自分を決めてしまいます。
別に運命でも何でもなく、自分でその(間違った)考えを選択しているのですが、あまりにもそれが速く、当たり前に感じる為に自覚しづらいものではあるでしょう。

自分で我が身を振り返るしか、軌道修正することは出来ません。
逆を言えば、自分で自分を振り返りさえすれば、必ず訂正が出来る、ということです。
あとはいつ、それに着手するかです。
それらの考えをクリーンにしながら、正しい幸せが受け取れる自分に戻って行かれますように。



長くなりましたので、また補足記事を掲載予定です。



プロフィール

Sachi

blog owner:Sachi
潜在意識を活用した、ちょびっとスピリチュアルな総合セラピー、癒しのワークショップ・タロットカードセッションをしているSachiです。
穏やかに楽しく成長出来るよう、入手した情報や、日々の気づき&
発見などをシェアして気ままに更新。
イベント情報も随時掲載中です♪

※記事の内容、情報については一個人の捉え方、考え方に纏わるものが大半です。
絶対的な事実という訳ではありません。
また、私の理解や気付きの段階に応じ、記事の内容にも随時変化がありますことを何卒ご理解下さい。
※過去の記事をご覧になってセッションやワークショップにご興味を持たれた方は、必ず最新記事近辺を幾つかご確認下さい。
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