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Date : 2018年10月

◆ Infomation

【works】
★ヒーリングセラピー個人セッション
 都内で対面式の個人セッションを行っています。
 幸せと癒し、学びと気付きを得たい方へ、様々に対応させて頂きます。
 潜在意識を日常へと活用することで、より良い人生へ変えることが可能です。
 随時お受けしておりますので、サイトをご覧下さいませ。

★癒しのワークショップ
 毎月一度、都内で女性向けの体験型ワークショップを開催中です。
 沢山の変化・癒し・浄化・成長・気づきを促すテクニックが山盛りです。
 現在、お客様からのオファーで行うオーガナイズ形式での開催です。
 ※以降の開催は決定次第upして参ります。
 ※それぞれ内容の詳細はサイトをご参照下さい。

良いお天気でございます~。
秋晴れです。
気温、湿度共にいいですねー気持ちいいですねー。



さて。
偶にご質問頂くことがあるのが、

「○○を達成するには何をしたらなりますか?」

という内容です。




結構前の話になりますが、

「自分は大金持ちになる筈なんですけど、何をやればなれますか?」

と訊かれたことがあります。
この『大金持ち』の部分には『有名人』『世界的なスター』『玉の輿』といった色々なワードと互換性がありますので、適当に入れても大丈夫です(笑)。



答えとしましては、リピーターさんが仰っていた

「自分は昔から○○になりたいと思っていた…と思い込んでいただけで、全然思っていませんでした。そう思っている筈だと信じ切っていて、自分の考えを見直したり、『本当にそう思っているんだろうか』と疑うこともしませんでした。『詳細にそのイメージが出来ますか? その状態の生活やそうなった自分を細かく説明出来ますか?』と先生に訊かれても、イメージが出来る・出来ないの区別の意味も分かりませんでした。思っている筈だ! イメージがある筈だ! の一辺倒で、全く自分の中を見ようともしていなかった」

という内容に集約されていると思います。
自分の中にその結果のイメージがあるか、または無いか。
その状態を、そうなった自分を『知っている』か、または『知らない』か。

そこに掛かっています。



例えば誰々さんに嫌われているとします。
嫌われるっていうのは大概ストレスを伴う出来事ですから、「嫌だなあ」って思いますね(人によりけりでしょうが、此処では一般論としての表現をしています)。
次に、間髪入れず「この現象を変えたいなあ」って思う訳です。

また、上記のように「自分は○○になる筈だ!」という考えにしがみ付いているとします。
願望を持っている時の自分の状態が『キレている、怖れている、焦っている』といった不幸な精神状態である場合、実際に心が見ているのは多分○○ではないのですが、言葉として○○というラベルを使っている為に、「そう思っている筈だ」と自分を欺いています。
で、遅々としてそうならないことに怒り狂っているとします(キレていることに慣れ切っていると、自分の怒りに気付いていないことも多いのですが)。

その時は、「これを変えたい、捻じ曲げたい、嫌だ、嫌だ」という否認・抵抗の思考に自分が乗っ取られている状態なんですが、ふと
「じゃあ、誰々さんと仲良くしている自分をイメージ出来るだろうか? 当たり前に、簡単に、自然に仲良く遣り取り出来ている自分ってポンと出て来るかな?」
「『○○になって、赫々云々な状態の自分』が分かるだろうか? ああでこうで…って、既に見て、体験したかのように語れるだろうか?」
と見直した時、「あれ? 自分の中にそれが無いぞ…イメージ出来ないぞ…」とか、ウンウン唸って何とか無理矢理イメージしているような気がする、かも? といった状況だとしたら、どうでしょう。



私達は心が見たものを現実として体験します。
イメージが無い、想像が出来ないということは、全然そこを見ていないし想定してもいないということです。
だから「願望としてそれを持っていないですよね」って話になります。
それなのに、「○○をやれば」「××の講座を受けて資格を取れば」と頑張っても、抑々自分が望んでいない・自分の中に無いものを体験しようが無い…ということになります。
なので、時間やお金を掛けた所で徒労に終わるということに…。

更にここで「イメージしなきゃ!」「出来ないのがおかしい!」「何でも出来る筈だ!」と言ってしがみ付くと、二次遭難みたいに長々と苦しむ羽目になります。
「なんで~」「どうして~~」って(笑)。
ですから、「あら? イメージが無い。じゃあどうして『自分はこう思っている筈だ!』って信じていたのかな? そういうことにしてあったのかな?」と疑問を持つ方向に意識を向けられると、色々自分の心を手繰れるんじゃないかと思います。



「何でもイメージすれば手に入る」という説がありますが、正直言って線引きは人によって違います。
それに、『何でも』は有り得ません。この理屈を使ってしまうと、太陽が西から昇るとか、自分が突然沢山の人を奴隷に出来るとか、そういった荒唐無稽な残念妄想までアリってことになっちゃいますから。
それは流石に、フィクションでも無いわーって話ですよ…。

ついでに言えば、自然現象や社会常識等のルールは私達の非常に深い部分にある集合無意識から来ていますので、これもある種「自分の思考」です。
自覚している・いないに関わらず、『自分の体験することが自分と無関係な所で勝手に回っている』なんてことは無いのです。



何かを否認する時、私達は現象や出来事をどうにかしようと取っ組み合う方向へ執着しがちです。
が、まず最初にその現象を作ったのは自分です。ということを確認しないといけません。
少なくとも自分が体験している現実はこれなのだ、事実体験しちゃったから、別の道なんか無かったのだ、と納得しないと、です。
もし可能であれば、「これは私の心の中にある考えなのだ」という確認が出来れば尚良いです。

外側を変えよう、捻じ曲げようと必死になっている時の我々は、見た・体験した現象の方が間違っているという風に思っています。
その上で、自分の都合に合わせて向こう側を捻じり、「自分仕様になれー! それで私を安心させろ! この怖れや怒りを無くせー!」と取っ組み合っているつもりで居ます。
でも実際はこれが現実なのでどうしようもないと言うか、自分の心が持つ考えにしがみ付いている状態ですから、変わらないんですよね。



「なるほど、これが事実ですか」
と、そこまで行って初めて、その先があると思います。
願望実現の分野的には、例えばアファメーションしたり、クリーニングすることで「結果が変わった!」ということも確かにあり得ます。
もし「結果が変わったイメージは出来ないけど、その現象自体が気にならなくなった自分ならイメージ出来るなあ」だとしたら、そこを目指せば良いことだと思います。

そうそう、色々と気付いて行く内に自分の心の状態が変わって、それに伴い自分の中のイメージが変わることも有り得ます。
なので、どちらかだけということでもありません。あしからず。



「嫌だ嫌だ」「こうなる筈だ!」「ああじゃなきゃ嫌だ」
という考えに乗っ取られて、既に出てしまった結果に対し何とかならないかとか、どうにか出来ないかといった無限ループな考えから手を引いて、「嫌なのはいいとして、結果上手く行くイメージあるかなあ?」とまずは見直してみること。
もしそれが見えないなら、「結果が気にならなくなって、ラク~な自分をイメージ出来るかな?」とじっくり見てみる。
ここを確かめることなく、ただ手段のみを探して色々やってみても、結果として自分の心がターゲットにしているものを体験し続けるだけです。

是非是非、ご自分の心が想定していることを見直して、「これなら分かる」というものを探してみて下さい。
大幅な時間の短縮、節約になりますよー。





一か月前は暑かったのに、あっという間に秋になりましたね。
春と秋の気温の変化って一か月の間でも急激で、いつも「あれ? あれ? あれ?」って感じです。





今日は内観して行く内に『突き当たる壁』について、です。
願望を達成したいというような、あくまでも自分の外側の出来事をコントロールする何か"だけ"に特化してスピリチュアルに取り組んでいる人は、今日のお話はご興味が無いと思います。一応、念の為。



大概の人がそうだと思うのですが、自己理解の道に入って入口から暫くは、「自分の外側で何が起きた」とか「自分が嫌な思いをした、辛い思いをした」というようなことにフォーカスが続きます。
あとは、「こうなりたいのに、なんでなれないんだろう」といったことですね。

さてさてそんなことを続けて行く内に、いずれ『自分がどのように生きて来た(いる)か』に目を向けることになります。
いつも、何十年も無自覚に行って来た言動や態度のあれこれを、細かく見直して気付くことになるんですね。
それにより、実際に他人様にどのような影響を与えたか、実はどのような心証を持たれているか…つまり『現実の自分』に目を向け、気付き始めます。


大体、いつも私達は
「自分はこう思われているだろう、その筈だ」
と、自分の考えをアテにして他人様から実際どのように思われているか――――自分が実際は何をしているか――――を見ないように誤魔化しています。

自己観察、内観をして行く中で、事実(結果)は自分のこれまでの主張と真逆だったとか、抑々自分が予想を遥かに超えてヤバかったとか、イタい…ということに気付き始める時が来ます。
長く自己観察を続ける場合は、その「うわー」が何度もあるかも知れません。

脅かす気は全く無いのですが、大体自分については間引きしたり甘く見積もるのが人間です。
特に、長い間ずっと自分自身を振り返らずに、自分にとって都合の悪いことを置き去りにしてご都合的に生きてしまうと、自分での見積もりと事実のギャップが激しいでしょう。


現実をここで受け入れられない場合、必死に言い訳を始めたりします。
「だってこれまで指摘されなかった」
「そんなに酷いとは自分で思ってない」
「生活していて困っていないからいいんだ」
「誰々はそんなこと無いって言ってくれてる」
等々。

ここで自分を見ることを止めてしまう人も沢山います。
確かに嫌だろうなーとは思います。
見たくないものを放置してずーっと逃げて逃げて誤魔化して来たのに、何で態々自分でヤバいことに気付かなきゃいけないんだと。
確かにねー…嫌でしょうよねー。


自己理解の道って、恐らくは世間一般で言う幸せに対する『逆走』なんだろうなと思います。
行き着く先は喜びや幸福やラクではありますが、そのプロセスで「自分や事実を見るのが嫌で、目を背けたくなる」時が来ます。
どんなツールを使おうが、どんな先生の元で学ぼうが、自己理解を求める限り、そこは変わらないと思います。

自分を、して来たことを、事実を、本当のことを見たくない、認めたくない…という理由で長い間突っ走っていたのを、自分でブレーキを掛けて引き返し、戻り、手繰って行く道が自己理解、解放です。
自分の意思でUターンをすること。来た道を戻って行くその道中で、自分の間違いを目の当たりにし、心を糺すことです。
とは言え、その途中で耐え切れずに足を止めてしまうことも、大いにあり得ます。



そこで注意したいのが、
「嫌だから認めない」
「見たくない」
と言って逃げてしまう時、結果は『そのままで居続ける選択をしている』ということです。

ざっくりで言うと、例えば『自分がものすごく性格が悪いことに気付いて来た…』という状態だとして、「そんなに酷くない! もっと酷い奴は居る!」とか言って逃げちゃうと、結局自分自身に手を入れることは無い訳ですから、自分がものすごく性格が悪い状態を延長します。


事実から逃げる時、誤魔化す時、外側の誰かや何かを否定し攻撃する時、私達は物理的にそこから離れられたかのような錯覚を起こします。
しかし実は逆で、そこに密着した状態を自分で選んでいることになるんです。

でも自分(主観)では「考えないようにする」とか「他の人に自分を褒めちぎらせる、否定したいことを否定して貰う、言って欲しいことを言って貰う」等の工作を行うことによって、ちゃんと距離を取れたような、誤魔化せたような気がするんですよね。気のせいなんですけど。

つくづく、否認の思考ってトリッキーだなと思います。事実と妄想を自分の中でだけ、逆転させるんです。
妄想では距離が離れて無くなったことになっている。
でも現実では続けている。だからこっちが自分の選択の結果であり、事実です。
『それを認めない』『抵抗する』というのは、『自発的にそれを続ける選択をした』ということです。


嫌だ嫌だと言い続けることで、その(大概は不快な)状態を続ける選択をしている。
「嫌だ」と言っても対象物が変わることは絶対にありませんし、ただ自分だけが不快な状態が続きます。

…ということは、自分はこれを続けたいのではないか? という風に考えてみると、また角度が変わるんじゃないでしょうか。
若しくは、「あれ? 変わらないんだ。じゃあ結局は見て、認めるしかないのか…」でもOKなんではないかと。



事実って一つの出来事につき一個なので、「見方によって本当のことが変わる」とかって、無いんです。
但し、正しく見つめることで、「それまで解らなかった本当のことに気付く」という変化は有り得ます。
つまり自分の視点やものの見方、解釈が正しい方向に変わっただけなのであって、対象が変化したのではないんですよね。
これは長いこと学んで来て、私が理解に至ったことの一つです。

Aという先生の所で○○について何かお話したとして、「そりゃあなたが間違ってるわー」と言われ、認めたくないからB先生の所で同じことを伝えて、その先生は「そうなんですね、大変でしたね。あなたは悪くないんですよ」と同意して下さったとしても、だからって実際の事実は変わらないということです。


自分では「こう思いたい」という内容があるとして、必死に理論武装をしたり色々な言い回しを使ったとしても、事実がそうであるかはまた別の話ですね。
誰が何を言おうがどれだけ否定をしようが、セーフはセーフ、アウトはアウト。間違いは間違い。事実は事実。

…ということなのですが、私達は何かとこの『不動の事実』に対してどういう訳か楯突こうと必死に人生を浪費しがちです。
でもやはり、どれだけ抵抗しようと、変わらないものはずっとそこにあり続けます。転生しても変わらないんです。
いつそれを認めるかだけ、なんでしょうね。本当に。



そんな訳で、如何に時間を掛けて誤魔化しても、やっぱりいずれは本当の所に立ち返るしか無いんだなー、というのが私の気付きです。
自分の中にある「あー嫌だなあ…」「何とかしなきゃ」「どうしよう」という反応に騙されず、淡々と「認めなければいけないこと、気付く必要があること」を見つめ続ける毎日を歩みたいと思います。



今回は、「気付きやホ・オポノポノの効果を早めるのに、『メタ視点』『メタ発言』を取り入れるといいですよ」というお話。


漫画やゲームやドラマなんかで、近年「メタ発言」というようなキーワードが目立つようになって来ました。
「メタ発言すんな(笑)」みたいなツッコミとセットのことも多いです。






フィクションとしての物語内部で、 登場キャラクターが物語内部では知りえるはずのない情報、物語内部では意味を持たない情報に言及したり、文章の読み手やゲームのプレイヤー、動画の視聴者などを対象として発言したりする形態をとる。
逆に、本来物語の内部世界において不可視であるはずの「作者」が登場し、物語に関与するような場合もある。

例:キャラクター「○○するときは、×ボタンを押してね」

これは物語の作り手と受け手の共犯的なコミュニケーション(ネタ的な扱いでニヤリとする)であることも多いが、虚構と現実の境界を揺さぶって物語の受け手自体に対する直接的な心理効果を狙うこともある。
後者の場合、特にプレイヤーの没入感が高いビデオゲームにおいては、印象的な効果を狙うことが出来る。

こうした自己言及的な構造を主題する作品は様々な分野で見られるが、「メタ発言」と呼ばれる場合は肩肘張らないお遊び的なネタとして楽しまれることが多い。


引用元⇒ニコニコ大百科





例えば民放のドラマでは、主人公が他局の番組名を出そうとして、別キャラが「それマズイって! (他局だから)言っちゃダメ!」と突っ込んだり、「事務所が違うから無理だよ!」等、ドラマの内部世界では有り得ないものの、視聴者にははっきり意図が通じる台詞を言うことがあります。
大概はネタで使われることの多い演出ですが、自分が活用出来れば大変有効な気付きに繋がります。

気付きを促すには、物凄く引いたポジションからの視点、俯瞰や時には鳥瞰程度の視点でよく見直すと良いですよ。というのは鉄則です。
普段は一緒くたになって演じていて、演じていることにも気づかないドラマの外側に出てみるということ。
「なっちゃう」とか「どうしよう!」とか「辛い、苦しい」と繰り返しているのは単なるドラマなのだ、と我に返ることですね。


つまり全体を客観視すると良いという意味ですが、「しているつもり」であったり「そんなの出来ない!」であったりすることが多いので、現代風に言い換えると「自分のやっていること、居る環境や繰り返しのドラマについてメタ発言するといいよ」ということです。

ドラマの中に居る時、大体決まったリアクションや解釈や反応や台詞を発しているので、
「…って、いつも言ってるしやってるなあ…何これ」
と、視聴者気分で自分に対してメタ発言をする。
その上で、ホ・オポノポノのクリーニングをするとかですね。


どっぷりドラマに埋まっている時、怒りで我を忘れている時、悲しみに打ちひしがれている時、悩み苦しんでいる時、『まるで今の自分がそのように感じたとか思った、判断した』ように見えているでしょうが、実際は過去の記憶の再現でしかありません。
なので、『これは過去のドラマなのだ。そのドラマの中で使われた台詞、演出なのだ』と気付くことが非常に重要です。

過去と一体化した状態では絶対に手放すことなど出来ませんし、辛いからクリーニングをする…という状態だと、必死にやっているつもりでも実際は辛さにしがみ付き続けていることになりかねません。
「こんなにやってるのに! キィー!」って状態でしているなら、残念ながら結果は出にくいことと思います。
この場合は、「キィー!」に対してクリーニングするのが先です。




先日のワークショップ内では、『自分のしがみ付いているイメージと、使い続けている解釈癖』についても見て頂きました。

「いつも意図的にこういう風に取ろうとする」
「いつも大体この台詞で〆る」
「必ずこういう風にリアクションする」
「常にこういう方向に話を持って行く」
「毎回こういう気分になる」


という癖がそれぞれ決まっているので、ちょっとそちらに目を向けて頂きました。

本人は無自覚+全自動で泣いたり怒ったり嫌な気分になっているのですが、傍から見ると「前も別の話の時にその台詞を言ってたよね」「またぁ~?」なんです。
となると、目の前にある対象物や出来事についてリアルタイムでそう思ったのではなく、"最初からそれを言うつもりだった"または"癖でそれを持ち出している"ことになります。
この展開を見れば、『目の前のことに今、反応している訳ではない』のが分かります。


解釈の癖は自分一人ではなかなか気付きにくいことなので、絶えず自分のしている反応に注意を向け続ける必要があります。
深く瞑想をしてその境地に至る方もいらっしゃいますし、他人様にツッコミされて気付く場合もあり、ルートは様々なのですが、重要なのは『ドラマの中にどっぷり浸かった状態のままでどうにかしようとする』のが私達のやりがちな間違いなので、演者で居ることをやめて舞台の外に出て、全体を眺めるということです。

それが簡単に出来れば苦労はしないわー。
ということでしょうから、俯瞰で眺める練習を毎日練習されると良いでしょう。
メタ発言をする⇒クリーニング、って感じで。


自らの視点を変えて行く、というのは非常に重要です。
是非、練習してみて下さい。


段々と秋めいて参りました。
今年の夏は本当に暑かったですから、涼しくなって来てホッと一安心ですね。



長いこと深層心理の勉強をしていると、びっくりするようなこと、長きに渡る疑問に答えが来た瞬間等、「えっ…」というようなことが沢山あります。
スピリチュアルの本には、色々な方の体験談が載っていますよね。
あれに気付いたら突然こうなった! とか、あそこに行ったらこんな凄いことが起きた! みたいな内容です。

それで、「じゃあ私もそうなんじゃないか?」と自分を突っ込んじゃう…なんてことも割と珍しくないんじゃないでしょうか。
それに似た(同じ)体験を求めて、そのセミナーに行くとか、結構普通ですよね。


今はネットが発達していますから、色々な先生のお話や、また一般の方でも不思議体験や気付きの体験をしている方のエピソードなどを沢山、目にする機会があります。
それはそれで、その方個人の体験なのだと思います。
そういうものを読んで、私は「世の中色々あるな~世界はバリエーション豊かだなー」って思います。

私個人が気付いたり理解が進んだ個人的なことをあまり詳しく書かないのは、誤解を招く恐れがとても大きいなと思うからです。
他の先生も、(人によりますが)あまりご自分のことを詳しくはお書きにならない方が多いように思います。

その人の気付きのプロセスや、種明かし、理解というものは、あくまでその人のストーリーです。
他の人にはほぼ、適用されないんだと思います。
何となく似ていても違う。似て非なるもの。それぞれ一人ずつ、違う人だからでしょう。


例えとして偶に書きますが、例えば『○○』という病気の診断が下ったとしても、それが何由来であるかは人によって全然違うんですよね。
だから、「××をしたら○○が治った」という人も居れば、逆に「××をしたら酷くなった!」という人や、「××と△△をしたら、治らないけど軽減したよ」という人、「私は全然違う□□で治ったよ」も居ると。

「ローズクォーツのパワーストーンを買ったら彼氏が出来たよー」の人が居ても、別の人は違うかも知れないし、○○神社に合格祈願をしたら受かった人も居れば、××寺で厄除けしたら受かったよな人も居る訳です。
だから世の中にはこれだけ沢山のHow to本や、様々なグッズや場所や専門家が犇めいているのだろうと思います。
こういう沢山のあれこれと、それに纏わるエピソードの数々こそが、我々一人ひとりが違うドラマで生きていることの証拠だろうと思うんですよね。



世間に数多の手段はあれど、持つ背景と考えは人それぞれ。
でも一つだけ言えることは、『心の中に答えがある』ということです。

心とは、潜在意識を含みます。
私達が体験する様々な出来事は、心の中から現れるもの。
自分の心(体験している事実)をよくよく見つめることで答えも見つかります。



表面的には誰もが「自分は幸せを望んでいる」…ような気がして生きていますが、軽く蓋を開けると不幸に大変な執着をしている、というのは全然珍しいことでもありません。
下手をすると、「私はこんなに大変な思いをしたのよ!」と言いたい。隙あらばアピールしたい。
という気持ちは、結構大勢の人の中に多少なりともあるのでは。
そう言う為には、「いやーなんか最初からするっと上手く行っちゃって…」だと困る。

私は『自分に価値を付ける為にドラマにしがみ付く』人って、ものすごく多いんじゃないかなーと考えます。
逆を言えば、自分はつるっとした無価値であって、それは拙いと何処かで思っているからこそ、「自分は大変な思いをした! 苦労をした!」と言い続けたいんじゃないかと。

そうすると、幸せを受け取るなんて異次元の話になってしまいますよね。
そんなことになったら、自分に付加価値が無くなるじゃないかーとか(笑)。



色々見直し続けていていると、「あた~…」みたいなことにも気付くし、「うへぇ…」だったり「うっそぉ!!」なんてこともあります。
気付くと、理解をすると、そこに置いていた価値が消え去ります。
完全に過去の遺物になり、いずれ思い出すことさえ難しくなります。

「あれに執着していた自分、意味が解らん…」と思うようになったり、「いやー…酷かった」と遠い目になったり、「なんか、なるほどです…」と力なく呟いたりもします(笑)。
メジャーどころの"癒しが起きて沢山涙を流す"ということも確かにあるでしょうが、理解のプロセスでは色々なリアクションがあるんですよね。大爆笑とか、深~~~~い溜め息とか。


如何に『自分で自分を騙くらかして数十年(数百年? 数千年?)』でしかないかと思うと、もうなんか色々なリアクションも出ますわなあと。
そうそう、私達は自分で自分を騙しているのですよ。様々なまやかし・トリックを使って、自分を騙しているのです。
これを一枚ずつ剥がして行くのが癒しです。身も蓋もない言い方ですが(笑)。



それぞれ、その人独自の納得に行き着きますように。


ちょっと間が空きまして。
その間に台風が通ったり、また夏日になったり…。今年は続きますね。



さて、年内一杯のワークショップ情報です。


★10月
10月14日(日曜) 12:00~16:00
テーマは『私のバースプラン』


★11月
11月11日(日曜) 12:00~16:00
テーマは『認めて、手放す』


★12月
12月16日(日曜) 11:30~19:30
テーマは『今を受け取る』


※12月は時間が長くみっちりです。
※詳細はサイトへどうぞ♪







毎日自分を観察していると、段々『事実のみを抜き出す』ことが上手になって行きます。
何を言ってるの? と思われるかもしれませんが、私達は普段、『事実』と『自分の妄想や期待』をごっちゃにしているんです。

「私は本当だったらこうなる筈なのに」とか『あの時あれさえなければこうだったのに』『自分はこれを望んでいる筈だ』等、結構頻繁に架空の話を混ぜ込んでいます。
でも事実はこうだったな、と体験したことのみに的を絞れるようになることはとても重要だなーと思います。

それに伴い、実際に自分が何を考えているか、どんな思考によって現状を体験しているかに気付くようにもなって行きます。
誰かのせいにし続けて、自分は被害者だと思い込んでいたことや、どうしても払拭出来ない過去の体験や気持ちについても、正しい理解の仕方が分かって来ます。


現実と架空の区別も無く、未処理の気持ちや思考でごちゃごちゃに埋め尽くされていた自分が段々と整理されて来る中で、「はて、じゃあ"私"って?」と首を傾げることが増えて行きます。
この人生は『私』に戻って行く旅路です。人生に於ける時間はその為に用意されているのだと思います。

毎日、正しい所へ戻って行かれることを信頼する練習をしながら、一歩ずつ進んで行きたいと思っています。


プロフィール

Sachi

blog owner:Sachi
潜在意識を活用した、ちょびっとスピリチュアルな総合セラピー、癒しのワークショップ・タロットカードセッションをしているSachiです。
穏やかに楽しく成長出来るよう、入手した情報や、日々の気づき&
発見などをシェアして気ままに更新。
イベント情報も随時掲載中です♪

※記事の内容、情報については一個人の捉え方、考え方に纏わるものが大半です。
絶対的な事実という訳ではありません。
また、私の理解や気付きの段階に応じ、記事の内容にも随時変化がありますことを何卒ご理解下さい。
※過去の記事をご覧になってセッションやワークショップにご興味を持たれた方は、必ず最新記事近辺を幾つかご確認下さい。
セラピストの基本姿勢、考え方をご理解の上、ご予約願います。

※相互リンクは現在募集しておりません。


旧blogタイトルは『気づきのステップ』。


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