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Date : 2018年01月

◆ Infomation

【works】
★ヒーリングセラピー個人セッション
 お時間の確保が難しい為、受付休止中です。
 詳細はサイトをご覧下さいませ。

★癒しのワークショップ
 毎月一度、都内で女性向けの体験型ワークショップを開催中です。
 沢山の変化・癒し・浄化・成長・気づきを促すテクニックが山盛りです。
 現在、お客様からのオファーで行うオーガナイズ形式での開催です。
 ※以降の開催は決定次第upして参ります。
 ※それぞれ内容の詳細はサイトをご参照下さい。

先日降った雪がまだ解け残っております。毎日冷凍庫みたいですね。
冷蔵庫の中の方が暖かいのではないかなーと思ったりする日が続きました(笑)。




先日、ネットでこういう記事を見つけまして。
キャリアウーマンから恋愛コーチ・婚活アドバイザーさんになられた方についての記事ですね。


『365日中300日ノーメイク、28歳まで女らしいことと無縁のキャリアウーマンでした。
 しかし心機一転、毎日メイクしストッキングとヒールを履き、モテるための方法を習慣化。
 努力の結果、29歳で彼氏が出来、結婚しました。』



おおー、ご自分で結果を出された方ですねー。素晴らしい!



非常に実践的な内容の記事です。
結婚したいけど相手が居ない、彼氏が欲しいけど相手が居ない、これから運命的なソウルメイトと劇的な出会いをする筈だ! と仰る方は、是非ご参考になさると宜しいでしょう。

普通のことを普通にやると、周りの対応も普通になります。
ヤバい・イタい状態で居ると、腫れ物扱いをされます。ただそれだけのことです。
周りの反応や自分に対する視線や雰囲気をよく観察すると、自分がどう見られているか=自分がどういう生活態度で居るかがはっきり分かります。

「誰にも何も言われないのは、自分には何の問題も無いから」ではないかも知れない訳です。
「性格が悪すぎて、噛み付かれるのが分かり切っているから」かも知れないし、「ヤバすぎて誰も近寄りたくないから」かも知れません。


この方の記事のように、『身なりに一切気を使わない』人が悪い訳ではありませんし、彼が出来る人は出来るし、結婚する人はします。
だけど、自分がそうなのに、相手に「超イケメン」とかいう条件を付けてしまうとなると、話は変わって来ますよね。

自分がヒステリーで上からしかものを言わない人間なのに、相手が凄く優しいとか何でも喜んでやってくれる、なんてことは有り得ません。
形だけそう見えたとしても、内情が伴っていない筈です(キレたり後々しつこく突かれるのが面倒で、上辺だけ従っているのかも)。



この方の記事だけでも大変参考になるとは思います。
が、スピリチュアル的な観点からこういう内容を見てみますと、『自分が本当に・心底そう思っていたら現実として体験する』という絶対ルールがあります。

「自分は身なりに一切気を使わないとしても、超イケメンでオシャレな彼に超好かれる」
という思考を"本当に"持っていれば、それは現実として体験されるんです。


とはいえ、思考が一方通行ということは無いんです。
「他人はダメだけど、私だけは特別だからそうなのだ」
という考えは、実際にはありません。通用しません。

何故なら、自分に対して考えていることを他人様にも必ず適用するからだし、他人に対してどうジャッジするかは自分に対するジャッジがネタ元にあるからなのです。
他人様はこうだけど、自分に対しては別で…そういう風に私達は分けて考えてしまいがちですが、全然そんなことはありません。
必ず、自分を重ねて見ています。これを『投影』と言います。


『自分が本当にそう思っていたら』と度々書いていますが、本当にそう思っている、というのは表面だけの話ではないんです。
潜在意識以下で、ということですね。
潜在意識と顕在意識の区別が付くかどうかは、訓練次第です。
私達は「思っている筈なのに、ならない!」と考えるからこそ、色々なセミナーに行ったり、How to本を読んだりするのですが、自分の現実をよく見直すこと、事実をはっきり把握する意識を持つことがとても重要です。

「思っている」のに「ならない」等ということは、ありません。「思っていたら、なる」んです。
逆を言えば、「なったもの・体験していることを見れば、自分の思考が分かる」。
これを踏まえて、自分の現実を見直してみる。


「自分はこのままで居ても、モテる筈だ」と思い込んでいるとしても、現実的に全くモテないなら、『そんな風には思っていない』。
「自分を改めなくても、アファメーションをやれば結婚できる筈」と言いたいのだとしても、その気配が全く無いなら、『そんな風には思っていない。結婚する気は無い』のだと言えます。

また、自分を見ることを徹底して忌避して来た人の場合だと、他人様に対する妬みでそれを測ることが出来ます(こういう風に書くのもどうなんだろう…笑)。
モテる人、モテそうな人に対し、怒りを感じる、イライラを感じるとかですね。
大概、上辺では別の理由をくっ付けていると思います。妬んでいるなんて認めたら、プライドがズタズタですからね。
「でも、実際は妬みなんじゃないの? 羨ましいんじゃないの?」と自分の思考を見直されると良いでしょう。


芸能人やモデルさんが相手でも必ず投影しますから、何を見ても自分の心が分かります。
「これだけ可愛かったら、そりゃモテますよ」と自分の思考が呟くなら、捕まえましょう。
「見た目が可愛いからモテる」とはっきり認識している、ということです。

で、自分の現実を振り返って自分はモテないのなら、口先で何を言っているとしても「それに引き替え、私は○○で○○で、だからモテるどころか(以下略)」と思っていて、その考えに一点集中しています。
こっちの自己価値を見ているから、腹が立つんです。
でも、直視しないで居ようとすることが大半な為、怒りに誤変換して「私、この子嫌いなんだよね」とか言い出しちゃったりもします。
相手に嫌いな理由を押し付ける時は、自分の中の何かを見たくないからなんです。



…自分を振り返ること、自分の事実・現実を誤魔化さずに知ること無くして、変化はありません。
事実に気付かないと、です。それは何についても同じなのだと思います。
自分の中をよく見ること、いつも使っている言い回しに逃げないこと、「本当は」どう思っているのかを見直し続けること。
こういったことを続けて行けば、別の道が見えて来るでしょう。




外が大雪で凄いことに~(笑)。
東京の雪は湿気が多いので、直ぐに凍って冷凍庫みたいになっちゃいますね。
そうなると溶けるまでがなかなか…です。お外を歩く際にはご注意下さいませ。

暦の上では大寒を過ぎまして、ここから暫く非常に寒い時期に入ります。
どうぞ呉々も暖かくしてお過ごし下さいますように。


去る21日は今年最初のワークショップ開催日でした。
ご参加下さいました皆様、まことにありがとうございました。
今後は2月18日3月18日と続きます。遊びにいらして下さいね~。



毎月色々テーマはありますが、詰まる所
『自分の思考を直視する、本当のことを見る、現実を認める』
という一点に集約されています。
これを経ずして『良い人生にする』とか、『問題を解決する』『幸せになる』『受け取る』といったことは事実上不可能です。

「これは私の心が作り出したドラマなのだ」
と気付いて行くこと、誰かのせい、親のせい、運命や先祖や何か自分以外のものせいではないのだ、という足場に立って初めて、「じゃあどうしようかな」という次の展開に入ります。


あくまでよくある話を挙げますが…。
「超の付く有名人になりたいと子供の頃から思ってたのに、全然ならないまま年を取ってしまった。自分の心の中には何か根深いトラウマがあるに違いない。何十年もなってないけど、これからなる筈だとまだ思ってます! だってそういう人いっぱいいるし!」
「玉の輿に乗りたい、何でもやってくれるイケメン王子に一目惚れされる筈だと思い込んでいるのに、全然ならないんですけど! でも私は超可愛いしお姫様だからなる筈だって思ってます!」
と言い続けて来たとすると、『思っている(筈)、なのにならない』その理由は、自分の思考の中にあります。

長年に渡る「そう思っているのにならないなんておかしい!」という思考を大元から疑うこと、「抑々私は本当にそれを思っているのか」と疑うこと、「ずっと思ってる!」という前提自体を疑うことをやってみて、大変な衝撃を受けた方もいらっしゃいました。
「私、望んでいない! 思っていない! その考えが自分の中に全く無い!! ウソー!!」
「何十年もそれに縋って、その為だけに生きて来たのに!」

というショックは大きいでしょう(お察しします…)。暫しの間のことですが。


前回の記事でも書きましたが。
『自分がこうなる筈だ云々』以外に、『自分が関わる他人様との関係』についても全く同様のことが言えます。

例えば浮気性の異性とお付き合いしている場合。
「あっちが悪い! 私は被害者だからあっちが変わるべきだ! どうして!? 何で!? 酷い!! 酷い!!」と捲し立てているでしょう。
ここで相手を責めたり無理矢理現象に組み付くのではなく、
「自分の中に、この人が私一筋になってくれる、という考えはあるかな? 浮気をしなくなって、それまでの自分が悪かったと謝って、私が望んでいる通りになる…という考えが私にあるだろうか。はっきり明確なイメージがあるかな?」
と、自分の中を探してみるんですね。でも、見付からないと思います。
もし「そう思ってます!」と言い切れるなら、現実体験していることは何なの? って話になりますから。
先ずは「これが現実なのだ。事実なのだ」と完全に認めないと、その先がありません。


現実と接点が全く無いのに「私はこうなりたい、あれがいいと思ってる!」と息巻いてしまう、この考えの正体は何かと言えば、『事実の否認』です。
分かり易い言い方に換えると、「嫌だ! 嫌だ!」オンリー。
見るもの、体験することに対して片っ端から「ああ嫌だ! 何でこうなの!? どうしてよ!!」と文句を言いまくっているだけです。
良いことを望んでいる訳ではないし、これに代わる明確なイメージを持っている訳でもなく、ただ否定を続けて自分は被害者だと言いたいだけ…なんです。

あくまでも事実体験したことに関する否認・否定の思考が主軸で、オマケのように「私はこれがいいのに!」を申し訳程度にくっつけているだけであって、これがメインの思考なのではなく。
でも、フェイクでくっつけたその言葉を繰り返す内に、「私はこれを望んでいる筈なのだ!」がメインのような錯覚を自分に対して起こしてしまうという訳です。
私も昔、やってました(笑)。


しかしある時、「『これは嫌であれがいい』と言ってはいるものの、はっきりとそのイメージが出来るかな? そのビジョンが見えるかな?」と我に返りました。
自分に問い直してみると、「あ。出来ない。口だけ動かしてる…」ということに気付きました。

『良いイメージをしましょう』と各種書籍に書いてあり、多くの先生方も仰っているのに、するもしないもそのイメージが私の中に無い。
土台になるものが無いのだから、頑張りようがない。つまり、「嫌だ」と言うこと自体から無駄だった。
私がしていたのは、ただ動かぬ現実に対して「嫌だ! 嫌だ!」と文句を付け続けるだけのことでした…。
と気付いて、力が抜けました。「何やってんだ自分…」って。ヘナヘナです(笑)。


ここで更に、「嫌だ嫌だと言ってはいるが、この現象を変える必要が果たしてあるのだろうか。あるとしたらそれは何の為だろうか。私の人生に対し、どんな影響があると言うのだろう。どうしてもそれが私の今後に、幸福に、絶対に必要なことだろうか」と自分に問い直しました。

また、「というか抑々私は何故、この現象を見ているのだろう。この体験は何なのだろう。理由はどれだろう。結果が出ている以上、はっきりした出所が、原因がある筈だ…」とも考えました。
何度も、何度もです。粘って粘って、何度も「何故だろう」と問い掛け続けました。
それっぽい理由が浮かんでも、「なーんかピッタリ収まらないなー」という時は、保留。更に疑問を持ち続けました。


結構な時間が掛かりはしたものの、諸々のプロセスを経て「あっ! 私だ! 私が…!!」という結論に達したのです。
あらゆるトラブル、問題の原因は、「自分の思考がこうだからだ、私がこう思っているからだ」という理由以外に行き着くことは本来有り得ないのではないかと私は思います。

病気然り、対人関係然り、我々が体験する問題の全ては、自分の思考。
そこに理解が行って初めて、「ああ…!」と腑に落ちる体験をします。
勿論、前述のように「思っている筈なのにならない!」という件についても同じです。


私がこう思っているから。
私がこう思っていないから。


そのどちらかです。


この観点に立って、不満の残る何かや納得の行かないあれこれについて、見直してみられると良いのではないかと思います。
一つずつ、回収して行きましょう。何事も毎日コツコツと、がお勧めですよー。



そろそろ一月も折り返しですね。
今年が始まって二週間過ぎてしまいました。この調子だと直ぐに来年が来てしまいそうな…(笑)。



今日は『思考の点検』のお話です。


私達が体験する現実とは、『自分の中(主に潜在意識)にその考えが実在するもの』『自分の心がそれを信じている』と言うことが出来ます。
これは多くの先生が仰っていることで、事実その通りです。

顕在的に「私はあれが欲しい!」「これになりたい!」と言っていても、それが顕在意識のみのことであれば、現実化はしません。
恋愛や友人や家族等の人間関係についても同じです。


例えば、自分のことを思い出すとですね。
昔、振られた人に関して振り返ってみると、『その人から好かれる』という思考を探してみても、私の中にありませんでした。
『その人と仲良くお付き合いをする』という思考、イメージも全く無し。見付からない。
また、しょっちゅう揉めた相手とのことを振り返っても、『相手が私に優しく振る舞ってくれる』という思考が存在しませんでした。
スッカスカのスッカラカンで、それはもう気持ちいい程です…。

なので、自分が体験した結果については大納得でございます。
「自分が思っていないこと、思考として持っていないことは体験しないのだ」
というルールを、以降何度も確認することになりますが、この時もそうでした。
「何が駄目だったんだろう」とか、「辛いよー」とか言っている時間が勿体無かったなー…と遠い目です…「何で」じゃないわ。自分だっつーの(笑)。
相手の方は、私の中にある思考を演じて見せて下さっていたのです。
これらの思考も出所がはっきりあるのですが、それはまた別の機会に。



「『自分の中にその考えがあるか・無いか』を検索する…とは言っても、そう簡単には出来ませんよー」
と思う場合は、実際に出した(体験した)結果から、自分の思考を探してみると良いでしょう。逆算方式ですね。

例えば上記のように、「○○さんに振られました」なら、「私の中に○○さんに好かれてお付き合いをするという考え(イメージ)がはっきりあるかな?」だし、「○○という会社の試験に落ちました」なら、「私の中に○○という会社で働くイメージ・思考が実在するだろうか」です。
もしその思考が自分の中にはっきりあるとしたら、もうそうなっているんですよね。
だから、この二つが食い違うことは有り得ません(「思ってるのにならなかった!」ということは無い、という訳です)。


「上手く行かなかった、駄目だった」と言うよりも、『"その件が上手く行く"という思考自体が、自分の中に存在しない』。
そういう見方をしてみると、「あ、無いわ」と気付くかも知れません。
「振られた!」「落とされた!」という「~された」な文章にしてしまうと、結果をコントロールする権利が相手にあることになって、自分は被害者モードになってしまうので、ここは注意ですね。

「もしもあの時ああだったら」「あの時、受かっていれば…」という考えには本当に実利が無いので、オススメしませんです。
事実ではない訳ですから、出した結果に即した言葉にするのが正解であると言えます。



願望実現のセオリーでは「強く思えば実現する」ということが言われていますが、幾ら顕在意識だけで強く思っても、潜在意識に響かない限り何の結果も出せません。
ただ、「何でならないの!」と苛々したり腹が立ったりするばかりです。

自分が信じている…ような気がしていること、つまり顕在的に思っていることを再点検する癖を付けることは、とても良いことだと私は思います。
「…の筈だ!」と思っていたいことと言うのは、何らかの事実を否認している上に載せた飾りであるケースが大変多いのです。
何か別の、認めたくない事実がその下に隠れていますから、引き寄せを試してもアファメーションを唱えても、ならない。
ならないならない、でもなる筈だ、おかしいと言って余計腹が立つ、の繰り返しです。


上手く行かないなーとか、失敗だと思うようなことがあるなら、「私の中に、それが上手く行く(成功する)という考えはあるだろうか」と問い掛けてみる。自分の中を探してみる。
或いは、「自分の態度がこのままで、自分の状態がこれのままで…」という前置きを付ける必要があるかも知れません。

問い掛けを続けると、「本当に自分の思考を体験しているんだ!」ということに徐々に気付いて行くでしょう。
そうすると、相手のせいにしていたことや、被害者気分でいたことも、段々と正しい認識に糺されて行きます。
結果に納得してしまえば、気持ちがラクになって行きますね。


体験したことに納得が行かないままだと、ずっと不快な気持ちを引き摺ります。
または、パターン化させてしまうことがあるかも知れません。
沢山の出来事を一つずつ完了させて、すっきりした気持ちで歩みを進めたいと私は考えています。



お正月気分も抜け、平常運転に入った方も多いでしょうか。
これからまだ寒くなるのかなーと思いながら、暖房器具やお洋服のありがたさを感じております。



さて。
私達と人やものとの関係性は、双方向性です。一方通行はありません。
何が双方向かと言うと、思考・心が双方向性なんです。


私達は、自分の思考を他者に対し隠せると思い込んでいる節があります。
口先だけで取り繕えば、本心は届かない、見えない、伝わらない、影響が出ない。
嘘を吐き通していられる。
そんな風に思い込んでいたいんですね。

しかし実際に伝わるのは目先の口八丁ではなく、思考・心『だけ』です。
自分が相手を馬鹿にしていたら、相手にそれが伝わります。
自分が相手に対し愛や喜びを感じていたら、当然それが伝わるでしょう。
そうして、自分の思考に対する結果を出し続けます。逆もまた然りです。


「結果(現実)を見れば自分の思考が分かるよー」
というお話は繰り返ししています。本当にそうです。
まずはこれを認めることが非常に難しいのではないかと思います。
『引き寄せ』をしたらそうなった! 私がそう思ったからだ! …と言うのは簡単でしょう。
何しろ、能動的に望んだという自覚が自分の中にはっきりある訳ですから。

でも、私達の生活で体験することと言えば、その自覚が無いものが殆どです。
特に、嫌なこと。アクシデント。不幸の一切については、「私はそんなこと望んだ覚えはありません!」と言いたくなります。
凄く分かります。そうだと思います。私は不幸が自分の考えであることを、どうしても理解出来ませんでした。


しかし、地道に自己理解の道を歩んでいると、「あ」という体験を何度もします。
「あ、私だ! 確かに私の中にこの思考がある!」
ということに気付く時、全身でガックリします。涙や笑いが出ることもあります。

他人様が一方的に自分に対して何らかの思考を抱く、ということではなかったのだと分かった時、私は物凄く驚きました。
また、自分が一方的に思考を持つということもあり得ないのだ、と思いました。
これが分かるには、自分の中にある思考をよく見る、現実と照らし合わせ続けるという作業が必須になります。
日常的にこれをしないと、ずっと分からないのではないでしょうか。
自己理解、癒しというのは毎日の地味な作業あっての賜物です(笑)。



「自分を物凄く愛してくれて、可愛がってくれて、何でもやってくれて、無制限にお金を使ってくれて、甘やかしきってくれる人と出会いたい! そういう人と結婚したい!」
「自分の素晴らしさ、まだ見出されていない天才的な才能を分かってくれる人との縁が欲しい!」
というお話を度々聞くのですが、まーそれはそれでいいです。

ところで、自分はどう振る舞うんでしょうか。
相手にどういう考えを持つんでしょうか。
どういう姿勢で、どういう態度で、どういう言葉を使い、どう扱うつもりなんでしょうか。
だって人間関係ですから。関係性を持ち、体験するんです。自分が、相手と。


『自分はどうするか、どう在るか、何を考えてそうするか』
を見落として、要求だけを並べ続けても、良い体験には繋がりません。
自分は特別なんだー! とか、この位当たり前でしょ! っていう考えを以て言動を取り、振る舞うと、間違いなく相手に不快な思いをさせます。

そうすると、愛してもらえるどころか、「とんでもない奴だ」「なんだこりゃ」と嫌われたりします。ええ、まあそれが普通です(笑)。
そういう当たり前の結果を自分で出しておきながら、どうにか隠したり外側をコントロールしようと躍起になっている時、自分の中にある罪の意識、怖れの思考と一体化しています。


一旦、現実をよく見て結果を受け止めないといけません。
「ん? 私は実際、どう見られて、どう思われているんだろう?」
ということを正直に考え直すなら、軌道修正が出来るでしょう。
でもここで、「相手は自分をこう思っている『筈』だ!」と自分の考えで作ってしまうと、平行線ですね。

自分の考えや不満や要求で頭が一杯になっていると、他人の考えや気持ちには興味関心を持つことが出来ません。
自分の欲求を通すこと、要求を突き付けることばかりを考えていると、直接的に自分の首を絞めることになります。
周りに良くして欲しいとかこう思って欲しいというニーズを持つ時、大体自分は人に対してやっていません。
『やっているつもり』にはなってることでしょうし、『やっているフリ』はしているでしょう。…いえ、実際はやってないんですけど(笑)。



「愛されていない!」「攻撃された!」と怒る時、相手を攻撃し要求する前に、自分が相手を愛しているかいないか、自分が相手に対し悪意を持っているかどうかを正直に見直さねばなりません。
見直すことなく「自分はこんなに赫々云々なのに、相手が…!」と捲し立てたくなるでしょうが、でもやっぱり不満が少しでもあるなら自分の中を見直せ、自分の思考と言動と振る舞いと態度を見直せというサインです。

毎日是非、見直し続けましょう。
不満の種は自分が蒔いていることに気付けますから。
自分に原因があることを知るなら、自分で糺して行くことが可能ですから。




2018年になりまして、早3日目ですねー。
明日からお仕事、という方も多いのではないでしょうか。
とってもとっても寒いので、身体の内側も外側も暖かくして、万全の態勢でお出掛けなさって下さいませ♪



私が自分の昨年を振り返ると、「それまで分かっていた気になっていたことについて、理解が改まったことが幾つもあったな~」という一年でした。
特に年末に近付く程、それが加速して行く感じでした。
理解は文字を追ったり知識だけ手に入れても追い付かず、体験しないと分からないものです。
ずっと前から本では散々読んでいた筈なのに、「今頃分かった…そういうことかー」と思ったことが沢山あります。

特に、人との関係について。様々な特定の事象との関係について、ですね。
私達は一生を通じて様々な方との遣り取りがありますが、何の為に出会うのか・ご縁が出来るのかを、改めて深く考え直すことになりました。


例えば、所謂『ソウルメイト』でなくても、ご家族、友人、恋人、職場でよく遣り取りをする人や、ご近所さん、クラスメイト、よく行くお店の方等、ご縁のある方は幾らでもいらっしゃいます。通りすがりの人も含め、その数は膨大です。
その他、私達はペットや組織、団体、お金、仕事、健康、その他諸々と様々な関係を結びます。
私達はこういった自分対他者との関係で何を見ているのかと言うと、『自分に対する自分の思考』を見せて頂いています。

度々書いておりますが、誰かに「嫌われた」と言うなら、何らかの理由があって自分が自分のことを嫌っている訳ですよね。
その人は自分の中にあるその思考を見せて下さっている、ということになります。
誰かに「ああしろ、こうしろと指図・要求ばかりされている」と思うのなら、自分が自分を裁き、自分に対して「ああしろこうしろ」と要求しているのです(勿論、他人様に対してもやっていることでしょう)。


自分の中に隠し持つ沢山の苦痛を、怖れを、外の世界を通じて見ている。
エゴの思考体系からこれを見る時、「自分は潔白で、相手が悪い。だから相手が変わるべきだ。自分は被害者だ」というフィルターを使うことになります。
しかし愛に基づいた思考体系で見ると、関係を体験する本当の理由とは、『自分の心が抱えている怖れを手放す為、苦痛を手放して癒される為』です。

俄かにはそう思えないとしても、自分がトラブルだと感じる、嫌な思いをさせられている(また、強く執着をしている)相手は特に、自分の中にある怖れの記憶を見せて下さっているのだと言えます。
「何の脈絡も無く、私の人生に不幸がやって来た」訳ではありません。
その原因が心のどの層にあるかは、人によって異なるでしょうが…でも、無根拠に体験することなど一つもありません。


自分との関係を通じ、人生に現れる人達や事象は、

「あなたはこんなに沢山の怖れを抱えているんですよ」
「そのままだと、自分を苦しめる為に生きていることになっちゃいますよ」
「そんなに必死に逃げたり隠したり誤魔化したりしなくてもいいのでは?」
「怖れを認めて手放したらどうでしょう」


ということを教えて下さっているんですよね(勿論、他者への攻撃を正当化している訳ではありません)。



私は昔、これが全く分からずに居りまして、「何なんだろう…どういうことだろう」と非常に不可解に思っていました。
どう頑張っても赦すことが出来ない相手が居たり、どう足掻いても理解不可能な体験が沢山あって、それが自分の心に端を発しているとは到底思えなかったのです。

何故って、自分の心に全然目を向けていなかったからです(笑)。
精々「ま、そんなもんだ」「私はいつもこうだからな~」と誤魔化す、抑え込む、遣り過ごすのが関の山でした。
「解消? 何それ」って感じでしたねー。


だからって、苦痛が減ったり無くなったりすることは無く、ただただ苦しいばかりです。
ちょっとだけ沈静化しているように見える期間が僅かばかりあっても、それは長くは続きません。
一時的な沈静化の期間を私は『平和』だと思い込んでいましたが、とんでもない話でした。
その間も、ずっと心の中が穏やかだった時はありませんでしたから。一時凌ぎが出来て、逃げられた気がしていただけです。

苦痛は私達の本質とは全く相容れない思考である為に、幾ら頑張っても永久に耐え切れるものではありません。
なので、誤魔化しつつも「理解しよう、せめて因果関係が理解出来るようにと願うこと位は…どうにか~」という風に、粘って齧り付いていました。
幼少の頃より、「何で? どうして? これ、何でか理由が全然ちっとも分からない!」っていう体験だらけでしたから。
今も途上なのですが、日常的に自分の心の中を注意深く観察することと、外の世界に見える現象の整合性を取って行くことで、先達の仰っていたことが本当なのだと漸く理解出来て来ました。ちょっとだけですけども。


個人的な話になりますが、私のこの人生での体験の大半は潜在意識内でもかなり深く抑圧している部分から現れているので、「これは何だろう?」という疑問の答えが明るみに出るまで、結構な時間が掛かっています(私が非常に鈍い、ということもありまして…多分こっちが理由 笑)。
出来る限り速く、正しい答えに向かって導いて頂けるよう、自分がその導きに目を向けて気付き続けられるよう、スピリット(宇宙)にお願いしている毎日です。
過去の様々な未完了の体験についても、「あれはこういう理由だったのかー!」という風に回収して行かれるのは、自分が解消を願っているからなんだろうなと思います。

一つ納得するその度に、「やっぱり自分の心、思考の中に理由があるのだ」と頷くばかりです。
自分の不幸は誰かのせいではなかったし、自分以外の何者かのせいではありません。
それをこの先も、深く理解して行くことになるのだろうと思います。
自分の心の中にその原因があるからこそ、手放して楽になって行かれる。有り難いことです。


「なーんか苛々するなー。なんでまだ状況が動かないんだろう」
と周りに現象の変化が起きて欲しいと期待している時は、自分が心の中の何かを見ないようにカモフラージュしているのだな、というのもはっきり感じます。
そういう時程、外に目を向けているのを一時停止して「私は何を隠してるのかな?」と自分の中に立ち返るよう、気を付けております。

「私は何を隠しているんだろう」と疑問に思いはしますが、隠したいことなんて『怖れ(罪悪感)』以外にある訳が無く(笑)。
私は何に関する思考を、罪悪感を隠しているのかな? と、逸れそうになる思考を出来る限り留めて、特定出来るまで停止。
「私は何か、はっきりとした特定のものを隠している。自分の中にある罪悪感から目を逸らしたがっている。それは何だろう」です。
これも昔は出来ませんでした。と言うより、気付きもしませんでした。
自分が怖れ・罪悪感を隠しておきたいから、外側に目を向けて誤魔化しているのだという思考形態を使っていることに、気付かなかったからです。




どの瞬間も、どの体験も、癒し、解放のチャンスです。
自分が目を向けさえすれば。

ここで言う『癒し』とは、一時的な逃避のことではありません。
嫌なことから目を背け、逃げたり誤魔化したりすることではないんですね。
自分が抱えている怖れの思考に気付き、手放すということ。『赦し』『理解』とも言います。
表現は様々ですが、こういった体験を経て、自分(顕在意識)でも知らなかった元の自分に気付き、戻って行くことが出来ます。


心癒される毎日でありますよう、切に願っております。


プロフィール

Sachi

blog owner:Sachi
潜在意識を活用した、ちょびっとスピリチュアルな総合セラピー、癒しのワークショップ・タロットカードセッションをしているSachiです。
穏やかに楽しく成長出来るよう、入手した情報や、日々の気づき&
発見などをシェアして気ままに更新。
イベント情報も随時掲載中です♪

※記事の内容、情報については一個人の捉え方、考え方に纏わるものが大半です。
絶対的な事実という訳ではありません。
また、私の理解や気付きの段階に応じ、記事の内容にも随時変化がありますことを何卒ご理解下さい。
※過去の記事をご覧になってセッションやワークショップにご興味を持たれた方は、必ず最新記事近辺を幾つかご確認下さい。
セラピストの基本姿勢、考え方をご理解の上、ご予約願います。

※相互リンクは現在募集しておりません。


旧blogタイトルは『気づきのステップ』。


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