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resonance

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Date : 2017年09月

◆ Infomation

【works】
★ヒーリングセラピー個人セッション
 都内で対面式の個人セッションを行っています。
 幸せと癒し、学びと気付きを得たい方へ、様々に対応させて頂きます。
 潜在意識を日常へと活用することで、より良い人生へ変えることが可能です。
 随時お受けしておりますので、サイトをご覧下さいませ。

★癒しのワークショップ
 毎月一度、都内で女性向けの体験型ワークショップを開催中です。
 沢山の変化・癒し・浄化・成長・気づきを促すテクニックが山盛りです。
 現在、お客様からのオファーで行うオーガナイズ形式での開催です。
 ※以降の開催は決定次第upして参ります。
 ※それぞれ内容の詳細はサイトをご参照下さい。

近年、『ホ・オポノポノ(セルフ・アイデンティティ・スルー・ホ・オポノポノ/SITH)』が大分広まって来たような気がします。
関連書籍も沢山出ていますね~。

個人的なお勧めはこちら(左から順に読むと分かり易そうです)。


       

他にも関連書籍は色々ありますよー。




基本の基本は、「ありがとう」「ごめんなさい」「私を許して下さい」「愛しています」の四つの言葉(ツール)を使うことで、"自分の思考をクリーニングする"というもの。
クリーニング対象は物事に対する自分の反応(解釈)と、物事そのもの、どちらもです。
顕在意識と潜在意識のどちらも自分の思考である為、全てが対象ということです。

特に自分の反応(顕在意識)をクリーニングすることは重要です。
私達は兎角、外側の現象や対象(何処で何があったとか、誰々がこう言ったとかいうこと)にばかり目が行ってしまい、自分の反応を見落としがちなので、自分の思考を念入りに観察し続けて一つずつクリーニングするということですね。
真面目にやっているつもりでも、かなり見落とします。訓練が必要です。コツコツ続ける。
上記の他にも、クリーニングツールが年々生まれ続けている模様です(最近になって凄く増えていることを知りました)。


『ホ・オポノポノ』は願望実現、引き寄せとは全く違います。
が、「欲しい」「必要」「なりたい」「したい」といった欠乏の思考のクリーニングを続け手放して行くことで、宇宙的に正しければ色々やって来る、変わるという結果にはなる。
という意味で、自分の心が平和になるにつれ、豊かさや幸せが増加するものではあるでしょう。

しかしあくまで『自分の心が平和になること』『愛から離れていた自分が愛に戻って行くこと』そのものが目的です。
自分の反応や思考パターンを置き去りにしたまま物質的・状況的な変化をさせることが目的なのではありません。
形や物質や状況の変化は二の次と言いますか、心が修正されたことによる副次的な産物であると言えましょう。
ここを取り違えない方が良いです。ホントに。



改めて見直して思ったのが、『ホ・オポノポノ』は『奇跡のコース』と非常に似通った哲学を骨子に持っているということです。
我々の目的は"自分の考えを絶え間なく手放して行き、取り消すこと"であり、その結果にゼロに至る、愛に戻るというもの。

何故自分の考えを消去するのかと言うと、私達の思考(記憶)こそが愛を遮る障壁だからです。
また、私達が目撃し体験することに新規のものは一切存在せず、全ては過去のリピートでしかないということも同様のスタンスだなと思います。


私が見る限りでこの二つの最大の違いは、『コース』が「この宇宙、世界は抑々実在していない。全て幻想である」と断言しているのに対し、『ホ・オポノポノ』ではこの宇宙に実在性(Identity)を持たせているという部分でしょうか。

但し、"我々が目にすること、体験することの全ては自分の心の中(潜在意識)で起きていることであり、全ては自分である"という部分は一貫して共通しています。
ですから、
「自分が体験すること、それについての思考に自分で責任を取る姿勢が重要である」
「日々、自分の中にある間違った考えを認め、悔い改めることで人生を良いものに"戻して"行く」
という点も同じです。


基本的には自分で自分の中を見詰めて行く、観察を続け、気付き、心の中に隠れていたものを認め、手放して行くというやり方も、大体一緒(ホ・オポノポノでは手放す補助として、クリーニング用のツールを使います)。

誰かにやって貰うのではなく、人のせいにすることも出来ず、例外は存在せず、言い訳は通用せず、ただひたすらに独習し実践し続けるものです。
色々突き詰めて行くと、元は同じと言うか、真実は一つなんだなーと思います。




ところで『ホ・オポノポノ』では"全ての物にはアイデンティティが存在する"という考えが前提にあります。
だから、書籍を読んでいると"物と会話することが可能である"というくだりが度々出て来ます。
昔はよく分かっていなかったのですが、最近になって「そうだ、喋れるんだった…」と思い、試してみました。



もしもーし。



……。





ワー…本当に喋ってる……(ハニワ顔)。



……。




マジで!?






…何と言うかものすご~~~~く、今更過ぎてどうなんだって話なんですが、正直とってもびっくりしました。
「そ、そうか…この物体も私の(潜在)意識だもんな…そりゃ喋るし意識もあるわな…いつも普通に分離してるから忘れてるけど」という理解に後から至る。そしてまたすぐ忘れる(笑)。

人様の潜在意識をリーディングしたり、ということをやるようになっている為、本当に盲点というか今更感で一杯です。
勿論、昔は全く出来ませんでした。っていうか、多くの方と同じく意味が分からんかったですよ。
「物と会話するって、なんじゃそりゃ」と、ちんぷんかんぷんでした。


物と会話する、意思の疎通を図るというのは、言い方を変えると
『自分の顕在意識が、自分の潜在意識と会話している』
『私の顕在意識が、私の潜在意識をはっきり見ている』

ということです。

顕在的に「多分、こう言っている筈だ」と自己都合で捏造したり、妄想することとは根本的に違います。
こっちは否認が根底にあって、『事実を見ないようにしている』ということになりますから。



因みに私が会話を試みて自分の思考と対象物を同時にクリーニングした所、壊れかけていたと思しき20年ものの機械が直ったり、萎れていた植物がその場で蘇ったりしています。
物事と自分の反応とをクリーニングする⇒溜まっている要らない情報が取り消される⇒それ本来の正しい姿に戻る…というプロセスですから、直ることが正しいなら直るし、蘇ることが正しければ元気になる。ということなんでしょうねー。

先日はコンビニでおにぎりを買おうと思って、陳列棚を見ていたのですが、その時思い付いて"あっち"は何て言ってるかな? と見直してみました。
そうしたら、顕在的には全くノーマークだった梅干しおにぎりが「買え―」と強くアピールしていたので、私の潜在意識は梅干しおにぎりを欲していたということに…無論、自覚も無ければ理由も分からないんですが(笑)。


このようなコミュニケーションをすると、自分が如何に潜在意識(事実)に対して目を向けていないか、如何に何も見ずに否定ばかりをしているか、ということに気付かされます。
いつもは、何の根拠も無く分かっている気がしているだけ。
でもそれは気のせい、思い込み、甚だしい勘違いであって、事実とは関連していない。ということです。

何故、昔は分からなかったのにその後分かるようになったのか? そういう専門の訓練をしたの? という話ですが、"そういう訓練"はしていません(あるのか無いのか知りませんがどうやるんだろう…)。
宇宙の神秘を解き明かした訳でもなく、スピリチュアル的に特別な修行をしたのでもなく、単純に自分の事実に気付く、事実を理解をするという繰り返しを続けているだけです。
その結果、なんかこんなことにー。


気付いて来た"事実"の中には、一見して目を背けたくなるような痛い内容も沢山ありました。
社会的な一般論で言うと、信じない人も沢山居るだろうな、ってこともよくあります。
しかし綺麗ごとを片っ端から捲り、長年使い込んで来た「~の筈だ」「こういうもんだ」を引っぺがし、誰がどういうコメントをしようが、納得行かない限りは「なーんか変だなー、おかしいなー」と事実を求め続ける。
結果、「うへぇ…これかい…」というものが現れたりします。
私はこっちの方が多いかも…いや、大体これかな…(笑)。

痛くても何でも事実は事実なので、苦痛やショックを一時的に体験したとしても、いずれそれは通り過ぎ、「なるほど」という所へ落ち着きます。
そうすると、そこで手放した状態になり、嘗てどれほど苦痛に苛まれた内容であったとしても、以後全く動揺しなくなります。

苦痛を抱えているのは我々にとって正しい状態ではなく、絶望はゴールではありません。
私達は苦痛を体験した時、見詰めて手放すよりも誤魔化したり否定して覆い隠すことを選びがちです。
それにより更なる間違いを生み出し続けますが、これまでそうやって覆い隠して来たものを一つずつ解除して行く訳です。
事実に対する否定や間違った考え、防御の数々手放すと、ありのままの事実だけが残ります。結果、ラクになる。
これをずっと繰り返しているんですねー。




『ホ・オポノポノ』でも『コース』でも、
「私は何も分かっていません。これの原因を知りません。どう判断し、解釈して良いのか分かりません」
という姿勢を常に持つようにとあります。

私はこれの原因を知っている、自分はこれについて分かっている、私は自分のことを一番よく知っている、何でも分かっているという思考は、事態を混乱させて延長させる可能性が極めて高いからです。
要するに、「これこれが××なのは、○○のせいだ」「これはこうなる筈だ」という顕在的な考えは、大体違いますよってことです。
確かに私の経験上から言っても、違います。
「あれが原因に違いない」「こういう風にさえなれば良いのだ」「私はこういう人だ」と思うのなら、その思考もクリーニング対象です。
良いことも、悪いことも、自分にとっては当たり前過ぎて見過ごしてしまいそうなことさえも、全て。



本当に勝手な主観でものを書いておりますので、そこは本当に御承知頂きたいのですが、『奇跡のコース』は語調や文法、作りが全体的に固いと私は思っています。
本の装丁から見てもですが、表現も格調高いというか、高級な感じ(笑)。
『ホ・オポノポノ』は、庶民的で気楽な感じ。流石ハワイ発~。っていう印象です。
どちらから入っても良いでしょうが、敷居が低く解り易くて実践し易いのは、ツールが沢山用意されている『ホ・オポノポノ』かな? と思います。

しかしこのどちらも、愛が私達の為に形を取って現れたものです。
その時の自分の理解に応じて、またどちらも相互補完的に活用して行かれたら宜しいかと。
自分の心を平和へと導くツールであることには変わりないので、有り難く使い続けて、平和を沢山体験したいですよねー。


9月折り返しましたねー。
大分涼しくなって参りました。




思考は『もの』です。
これは沢山の先生方が仰っています。



「自分は絶対に悪くないし、間違っていない。悪い、間違っているのは自分以外である。認めない。絶対見ない!」

という考えに自分を押し込めて誤魔化し続けて行くと、その思考が蓄積して分厚い皮膚のようになります。
実際は自分が加害者だったり、間違った考え・間違った行いをしたという事実があった時、そこに罪悪感を持っているにも関わらず、直面することを拒否して、防御に回る。
結果、こういった手段を取る訳ですね。

その状態で長く過ごして行くと、多少外側から突かれるような何かがあっても、何も感じなくなります。
年季が入って行けば行く程、更に誤魔化し続けることになりますから、どんどん『嘘の皮膚』が硬質化して行きます。


きょとん。
目をぱちくり。
「はあ? 何のことですか?」


というリアクションを、私は度々目にして来ました。
もうちょっとつんつんすると、ブチ切れる、というのが割と多いケース(拒絶過敏症)です。


「思考は"もの"である」
という表現は、こういう時に本当だなと思います。
能動的に自分の思考を麻痺させたり、感じなくさせられたり、忘れたことに出来るんですね。


さて、これを長々何十年もやって行くと、自分でも事実と嘘の区別が容易には付かない状態になって行きます。
疾しさを隠す為に言い張って来た嘘が、まるで本当にあったことかのような気がして来たり、どんどん誇張を続けて全く原型を留めない話になっていたり。

こういった状態から、正しい自分に戻るにはどうしたら良いでしょうか。
というと、もう認めるしかない訳です。
嘗ての自分が、これまでの自分が絶対に目を向けなかった所へ、目を向けるしか。

他にはありません。
事実は一つです。



ただ、自分がやらかしたことから逃げ回るだけで人生を浪費する、ということも出来ます。
そのまま逃げ切って死ぬ所まで行けば、勝ったことになる。
自分は頭が良い、こっちが正しかった、認めて償ったり謝罪する必要なんか無かったじゃないか、ということになる。
逃げるからには、そういう理屈で逃げているのでしょう。

でも、長年色々なケースを体験したり目撃したり処理したりという中で、私が実感したことはですね、
「幾ら後から事実を否定しても絶対に無くならないし、事実は変わらないし、事実は一個です」
ということ。


私は生きている間、自分+周り中を欺き続けた人も知っています。
自分は被害者だと言い続け、確かに物理的・状況的に見ても大変で、あまりにもそういった演出が上手いので、今でもみんな「可哀想な人だった。苦労ばかりしていた」と言っていたり。

しかしその人の死後、私がじっくり見直して行った所、可哀想でも無ければ苦労していた訳でもなかったな、ということが分かったんです。
ただ、自分の現実・事実を認められなかった。ひたすら全てを否定していただけでした(その結果、間違った人生を歩みました)。

で、死後それで勝ち逃げしたかと言うと、全然です。
詳しい話は伏せますが、大分宜しくない状態に留まっており、すっきり成仏⇒転生なんて王道ルートには入りませんでした。
そこでも怒り狂っていたし、否定し続けていたので、「死んでも別に変わりませんよ」ということだけは確かです。
序でに言うと、次回も引き摺ります。間違い無く。


死んだら綺麗さっぱりリセットで、ゼロになって、というルールでは転生しません。
今はただの平民だけど、次回は凄い大スターになろうと思えばなれるんでしょ? とか、今回は性格が悪いから、次回は聖女のような清純さを持って生まれようと思えばそうなるんでしょ? いう考えを聴くこともありますが、私の所感から行くとそれは無いですね。有り得ないです。

だってその必要が無いし…。
前者で言えば、元々そういう人かどうか…という話でしかありません。
また、どちらも今の自分を認められず、否定する為に誤魔化そうとして、そういった考えを上乗せしているだけになります。

皆、この世界では正しい役割というものがあって、それに合わせて様々な特徴を持って来ています。
『元々そういう人』というのは、『それにピッタリ填まるパーツを、元々沢山持っている』ということです。
そのありようのまま生きることは、自分にとっても周りにとっても社会にとっても正しいことです。


例えば大スターになる人は、なるべくしてその特徴を持って生まれて来たのです。
後付けで色々くっつけたり改造してなる、ということは無いのですね。
例えば途中まで下積みがあって、その末に…というストーリーがあったとしても、あくまでそれはその人がそうなのであって、じゃあ自分もそうなのだとか、同じようなストーリーの末にそうなれるかと言うと、違います。

努力して、様々な経験を経てそこに辿り着きました、というお話も沢山あります。
じゃあ同じだけ同じことをやったらそうなるかと言うと、元々"それ用"のパーツを持って生まれた人と、全くそれが無い人とでは、結果が変わります。
"元々そういう人"かどうかを見落としてはならないのです。

私達は、今回オギャーと産声を上げた時、まっさらの状態で生まれて来た訳ではありません。
その前もその前も、連綿と続けて来た積み重ねがあって、様々な思考を持った状態で今の人生に入って来ています。
こういった様々な事実を生涯否定して生きると、事実としては何も困っていないし周りも良い人なのだとしても、文句と不満だけで死ぬ(主観では不幸な人生)という羽目に陥ります。



事実を否定している考え、認めたくない、見たくない、自分は悪くないという考えの一つ一つを手放して行くことで、下に隠していたものが見えて来ます。
ただあらゆることについて否定だけをしていたのだ、と気付いて行きます。
そんなことに何の価値も無かったのだ、ということにも。

いつかは必ず、事実を回収する所へ辿り着きます。
この人生でなのかどうかは知りませんが、絶対にそこは通ります。

「私はこんなに怒っている、周りに酷い目に遭わされている」
という思考に支配されている時は、自分を誤魔化しています。
自分に対して無力感、無価値感を感じていながら、目を背けて責任転嫁しているのです。
自分の内側に目を向け直し、それを何度も何度もずっと繰り返して行くことで、認める作業が出来るようになります。


いつでも、自分の内側に目を向ける。向け直す。
そこがスタートです。







えー、大分経ってしまいましたが、去る9月3日は9月度のワークショップでございました。
御参加下さいました皆様、まことにありがとうございました。

10月・11月分の予定も出ておりますので、宜しければサイトをご確認下さいね~。
10月は『過去世と今』です♪





人と向き合う時、例えばこういった『心を見詰める、見直す』のが目的の場でも、大体防御しますよね。
出来るだけ自分を見せないように気を付ける。肝心なことにだけは、触れないようにする。
自分を見せないで、相手の出方を待つ。

…と書くと、まるで格闘技だなーと思います(笑)。
原理は多分一緒なんだと思うんですよね。自分の手の内を明かさず、相手の出方を伺って、防御を固めつつ相手の弱点を突く。
スポーツやエンタメ、自己を見つめる場としてこういったものを使うなら、本当にそのように機能しますが、怖れを軸にするとどういった素材であっても人は同じように使うものだなあとしみじみ。

あ、私は個人的に言うと格闘技はアリ派です。何でもそうですが、その道を極めて行くと、素晴らしく美しいものに昇華されて行きます。人の心を打ちます。
アピールに使うと、残念な結果になるでしょうが…。



自分をオープンにするというのは、自分に疾しい部分が無い、という前提が必要です。
そういう風に自分を開示出来る人というのは、非常に少ないように思います。
自分を閉じた姿勢で居ると、例えばどんなお勉強をしても自分の考え(自分を見せたくない、あの部分にだけは触れたくないという怖れ)基準で物事を測る為、与えられたものを受け取らないでしょう。

何故、疾しいから閉じておかねばならないと思うのかと言えば、「攻撃される」という考えを必ずセットで持っているからですね。
それが『悪い』と自分の中ではっきり判断してあって、けれど明るみに出して改めて反省するのは嫌だから、という理由で、隠し持つことにしてある。
この隠しているもののヤバさが際立つ程、これを隠すことに心血を注ぎます。
色々なやり方で、完全に隠蔽出来るよう頑張る。

…のですが、実際にそれが出来る日は来ないんですよね。残念なことに。
それが分かっているから、何処に行っても誰と会っても、"それ"が顔を出さないように防御を徹底する、というのを第一の目的にして生きることになります。
自分の中が怖れで一杯ですから、与えて頂いたものを決して受け取りません。
それは、私達の本質から行くと非常に不自然なことです。苦しいと思います。



『目の前に居る人や起きる現象は、自分自身(自分の思考の現れ)です』
というフレーズは、スピリチュアルの先生方がよく仰いますし、沢山の本にも書いてあります。
でも、嘗ての自分は全く意味が分かりませんでした。
「この人が私だとしたら、どうして自分に対して嫌なことや痛いことをして来るのだろう」
という疑問が尽きなかった訳です。

私が"潜在意識"という世界を知ったのは、結構遅いタイミングでした。
心の世界の勉強を始めてから、一体どれだけ経った頃のことやら…。
更には上記のフレーズが本当にそうなのだ、というのが断片的にでも理解出来るようになるまで、えらいこと時間が掛かりました。


ずっと「?????」だったのが、「あー…」と、『体験される現象=自分の潜在的な思考』の公式として繋がるまで、かなり掛かったと思います。
今もよくよくよくよく見て、見直して見直して…というのをやらないと、分かりにくいなー分からんなーということが沢山あります。
「こんなん分かるかー!」とハリセンで引っぱたきたくなる時も多々(笑)。
いえ、この台詞はいつも分かってから言うんですけどね…。

毎日毎日、目の前に現れる人、体験する現象の全てを、出来る限りの注意深さでよくよく観察します。
「これは私の思考の何を表しているのだろう。何処から来ているのだろう。どう見たら良いのだろう」と。
過去の体験をふと思い出した時も同様です。「あれって、何だったんだろう…」と見直す。
「まあいいや」「腹は立つけど、見たくない」と言って流さない。隠さない。納得行くまで何度も手元で見直します。
その時理解出来なくても、忘れたことにせず保留だけしておく。要観察。分かるまで捨てない。
見るもの、体験することについて疑問を持たないと、ずっとリピートします。それが嫌なことであっても、です。



「私はこれが何か知っています。このことの原因や対処が分かっています」
という前提は、自分の目を見えなくする考えです。本当に分かっていたら、今頃こうじゃないんです。
本当に理解に至ると、それを体験する必要が無くなります。自分の心から解けて消え去ります。
何かを目撃・体験しても平和な心で居られないのだとしたら、全然理解していないからと言う訳です。

誰かが目の前に居る、何かが起きている。
その中で、ただそれらにいちいち反応だけして、一喜一憂し、腹が立った、苛々する、嬉しい、悲しい、楽しい、だからああしなきゃ、こうしようという対策だけしていると、自分は被害者で振り回されているような気になってしまいますよね。
そればかりの繰り返しで、へとへとに…ということだと、「私は何の為に生きているんだろう」という風に虚しさを覚えるかも知れません。

もし「こんなことの為だけに生まれて来たんだろうか」と疑問に思うなら…「いいえ、違います。私はこんなことの為だけに生まれて来たのではありません」と知る機会です。
だから先ずは立ち止まり、振り返って、疑問に思わないと、です。


先日ご質問頂いたのでここで繰り返しますが、自分の言動や考えや目撃したこと、体験したことの全てに疑問を持つことは非常に重要です。
そうでもない限りはただ惰性で繰り返しに流されるだけ、という一生で終わるからです。
それが駄目だとかいけないとか変えろと言う話ではありませんが、いずれ苦痛を感じて切り上げたくなる時は来ます。

心が平和であること、満ち足りて幸せであることが私達のゴールです。
というか、元々本体がこっちなんです。
それを忘れて、あーでもないこーでもないと後ろめたさを隠す為に逃げ回る、それだけを生きているのが実情です。
本体を思い出す為に、色々疑問を持つと良いですよ、ということですね。


例えば自分を防御して見せないようにしている本当の理由、とか。
あの時の私を振り返ると、とにかく頑張って見せないように取り繕っていた。何故だろう? と疑問に思う。
具体的に、一体何を隠そうとしているのか。何を見られたくないのか。

ただ「自分が悪い人間なので」といった抽象的な話ではなく、それが何を指しているのか、見直す。
もし「攻撃されるから」と言うなら、その理由は何故かを細かく見る。
行動にまで移す以上、具体的な理由がある筈なので。



疑問を解消して行くにつれ、本体の情報を徐々に思い出して行きます。
隠して逃げ回る必要が無くなります。
結果、それが『ラクになる』『幸せになる』ということなのです。
立ち止まり、振り返り、疑問を持ちましょう、別に嫌ならやらなくてもいいけど、幸せになりたいなら絶対にその道を辿ることになるし、その方がラクになりますよ、というお話。




昨日はびっくりする位に涼しい一日でした。
気温乱高下。お洋服のチョイスや寝ている時の状態に気を付けたいですねー。





暫くの間、試行錯誤しつつ思考浄化用のツールを製作しておりました。
思考の解消を出来る限り迅速に進めたい。
色々やり方はありますが、その内の一つを提案…という訳で。



tool




久々にレジン(樹脂)出動。
最近はUVではなく、LEDライトで固まる物が出て来て、凄く助かります。
硬化スピードめっちゃ速い!(笑)

画像だと分かりにくいのですが、中に入っているキラキラは『京都オパール』といって、京セラさんが開発した人工のオパールチップです。
大変美しく七色に輝きます。
専門用語では"遊色"と言うのですが、天然ものだとこの遊色が不均一になりがち(だからこの遊色がしっかり出ているオパールは非常に高価になります)。
ですが、京都オパールは均一に色が出て、且つ彩度も高いです。
後ろにゴールドホイルを噛ませてあるので、その効果もありますねー。



本日は9月度のワークショップ開催日です。
ご参加下さる皆様、どうぞお気を付けていらして下さいませ。
お会い出来ますこと、楽しみに致しております。




台風が来ているそうです。非常に涼しい…。
暫くはまた暑かったり涼しかったりするんでしょうね。
ご体調、どうぞお気を付け下さいませ。




来たる9月3日は9月度のワークショップでございます。
お越しになるみなさま、お気を付けていらして下さいねー。


その後、11月までのワークショップ予定を掲載しておきます~。



★10月
2017年10月8日(日曜)
午前11時~午後3時(4時間)
テーマは『過去世と今』


★11月
2017年11月5日(日曜)
午前11時~午後3時(4時間)
テーマは『心が現実を創る』




です!


詳細サイトにありますので、ご参考下さいませ♪





せっせと浄化用ツールを製作している昨今。
そういったツールも、見た目がきれいとか、可愛い物だと使ってて嬉しいよね~と思う私です。





プロフィール

Sachi

blog owner:Sachi
潜在意識を活用した、ちょびっとスピリチュアルな総合セラピー、癒しのワークショップ・タロットカードセッションをしているSachiです。
穏やかに楽しく成長出来るよう、入手した情報や、日々の気づき&
発見などをシェアして気ままに更新。
イベント情報も随時掲載中です♪

※記事の内容、情報については一個人の捉え方、考え方に纏わるものが大半です。
絶対的な事実という訳ではありません。
また、私の理解や気付きの段階に応じ、記事の内容にも随時変化がありますことを何卒ご理解下さい。
※過去の記事をご覧になってセッションやワークショップにご興味を持たれた方は、必ず最新記事近辺を幾つかご確認下さい。
セラピストの基本姿勢、考え方をご理解の上、ご予約願います。

※相互リンクは現在募集しておりません。


旧blogタイトルは『気づきのステップ』。


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