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Date : 2017年07月

◆ Infomation

【works】
★ヒーリングセラピー個人セッション
 都内で対面式の個人セッションを行っています。
 幸せと癒し、学びと気付きを得たい方へ、様々に対応させて頂きます。
 潜在意識を日常へと活用することで、より良い人生へ変えることが可能です。
 随時お受けしておりますので、サイトをご覧下さいませ。

★癒しのワークショップ
 毎月一度、都内で女性向けの体験型ワークショップを開催中です。
 沢山の変化・癒し・浄化・成長・気づきを促すテクニックが山盛りです。
 2017年8月13日・9月3日・10月8日(全て日曜)
 の開催が現在確定しております。全て11時~15時です。
 ※以降の開催は決定次第upして参ります。
 ※それぞれ内容の詳細はサイトをご参照下さい。

7月ラストですね~。
昼間の気温がえらいことに…。
栄養をちゃんと取り、こまめに水分補給をして、お外へ行かれる際もちょこちょこ日陰で休む等、お身体は呉々も大切になさって下さい。




本日は拒絶過敏症のお話です。




誰かに"叱られたから"、"注意されたから"という理由で、「それはやらない」という考えである限り、また似たような別のことをやって、叱られます。
『それ』自体はやらないにせよ、自分のスタンスが変わらなければ同じようなことを延々繰り返します。

叱られなきゃいいんでしょ。
怒られなきゃやっていい。


そういう考えだからです。


「何故、それをしてはいけないのか」
「それなのに何故、どのような考えで自分はそれをしたのか」

という風に見直さないと、根本的に改めることが出来なくなります。


因みにこういったことにも「自分を何者だと思っているか」の設定が反映されています。
例えば自分は何をしてもいい筈だとか、明後日の方角へ自分を見誤っていると、誰かが忠告して下さってもブチ切れます。
「よくもこの私様に向かって!」「屈辱だ!」と逆恨みをします。

褒められたい、良い評価だけをされたい、良い思いだけをしたいと言い続けている人は、拒絶過敏症を持っていることが殆どです。
ですので、他者が自分の意見に完全な同意をしてくれない場合は大概このような反応をします。
あまりにも当たり前にキレている為、「え? 私、怒ってます?」と自覚が無かったり、逆に「あなたのせいで腹が立った!」と相手に責任転嫁することも。


何故こういう反応をするかと言うと、自分の現実を認められないからです。
自分がどう認識していようと、事実としてやっちゃいけないことを平気でやったり言ったりしている為、周りの反応はそれに応じたものになります。

実際は過剰に怒られたりしている訳でもないだろうし、あくまで世間的に普通のことを言って下さっただけであっても、自分を見誤り過ぎているせいで「酷い! 酷い! 傷ついた!」と喚き立てたりする。

で、例えばセラピストの先生の所に行ったりして、自分がどれだけ被害を被っている犠牲者であるか、涙ながらに語ったりします。
「愛されて来なかったんです」というのが定型文かも知れません。



拒絶過敏の人の多くは、最初期の環境が極甘で、常に一番、特別、最優先された生活を送っていた為、それを自分の基準にしています(大人になっても一部ではそうかも知れません)。
その後の環境的変化に全く適応せず、現実を拒絶して来ている為、赤子の頃の環境に周りが変わるべきだと思っています。
自分の要求したことが大概通った生活をしていたせいで、大人になってもそうであることへの期待を捨て切れません。

自分の思い通りの言動を相手が取るべきだ、思い通りに周りが変わるべきだと本気でゴリ押しします。
どちらかと言うと、「そうなるべきだ」よりは「なんでこうならないの! ならないのがおかしい!」という現実への否認ですかねー。
何故そんなことを考えるかと言うと、「だって昔そうだったから!」というのが何処かにあるんですね。


年齢と共に成長して行くと、周りの人達は年齢や立場相応の態度や常識を求めて接して来ます。
それは誰であっても当然のことです。
「この年齢なんだから、流石にこんなことは当たり前に分かっているだろう」
と、周囲はいちいち考える以前にそう接しています。

でも、自分が「赤ちゃん扱いをしろ!」と頑強に要求していると、結果が互いに食い違います。
あちらは「何、この人。常識無いんじゃ…」とビックリするし、自分は「酷い! 私仕様に合わせてくれない!」です。
この場合正しいのは向こうですが、自分にはその発想が全く無いせいで、結果のギャップに驚愕します。
そうして「なんでやってくれないの!」「なんでこう言ってくれないの!」「どうしてそんなこと言うの!」「なんで自分がそんなことしなきゃいけないの!」が爆発し、キレたり泣いたりする。
勿論、自分の正当性を不条理に押し付けている訳ですが、自分は怒りを感じているので相手のせいだと思い込んでいます。


それを「愛されていない!」という言葉に誤変換している人も沢山居ます。
でもその中身は愛でも何でもなくて、「赤ちゃん扱いしてくれない!」です。
残念ながら(?)、大人を赤子扱いする等と言うことは、有り得ないことです。
だって事実赤子じゃないし。周りの方も、そんなことをする必要は全然ありません。
下手をすると「きもっ!」って言われたり、「イタ過ぎる…」って思われかねませんよ~。

例えばその忠告は、愛から言って下さったのかも知れません。
愛まで行かずとも、そこで叱って下さらなかったら、教えて頂かなかったら、もっと先まで自分は恥を掻く羽目になって、陰で笑い者になってしまうかも知れず。
そういった違った角度から物事を見直してみないと、正否の判定って難しいと思います。
また、様々な出来事はそれまで気付かずにいたことに目を向ける機会として利用すべきです。



「愛される」というのを「赤ちゃん扱いしてくれて、何でもやってくれて、極甘の砂糖漬けにしてくれる」と取り違えていませんか。
「愛されたい」のではなく、「現実を認めない!」と言っているだけではないでしょうか。

自分は赤ちゃんじゃないんだ。
実際はこの扱いが正しかったんだ。
赤ちゃんの頃の状態を続けたいと思ったことが間違いだった。
何処かでこの考えを修正しなければならなかった。
だって私は大人になったのだし、周りの人はそう思って接して来るから。それはこの先も変わらないのだ。


そのように気付くまでは、自分の中で否認と回避や防御のループを続けてしまうでしょう。
自分に同意してくれる人を探して、長々と彷徨うでしょう(見つかりませんが)。
その時間が本当に勿体無いと思います。

私達は事実を認めるまでの時間をどれだけ引き延ばすか、或いは今すぐ直視して認めるかということ、つまり『いつ事実を認めるか』ということしか選べません。
決して『どれが事実か』を選べる訳ではないんですよね。


事実を直視するまでの時間を短縮し、節約し、その分もっと楽に幸せに生きる方へと活用されることをお勧めしたいと思っています。



東京、梅雨明けましたー。
先日の暴嵐が梅雨の最後だったようです…梅雨? 凄い雹とか降ってましたが、あれって梅雨の現象?

そろそろ夏休みに入る学生さん達も多いことでしょう。
各所のお母様方に於かれましては、平時よりも長期のお休みの方がご多忙というお声が多く聞かれます。
どうぞお元気にお過ごし下さいませ。






なかなか解決しない問題を抱えていて、或いは思い通りに行かないことに苛立ちを覚えていて、色々と彷徨って行くと、スピリチュアルの本や情報を知ることがあります。
その中には、「~~の原因はインナーチャイルドが傷付いているから」「過去世で悲惨な目に遭ったから」「特別な試練を与えられているから」というような情報がちょくちょくあります。

大まかに整理すると、『私は犠牲者です。悪いのは別の何かです』ということが凄く多いなあと思います(特別な試練云々については、何と言うかコメントのしようが…特別性万歳ですよね)。
これまで、「ああならないのはおかしい」「これが解決しない」と長々言って来たものがあるなら、この『自分は被害者100%』という考え方を据えていないか見直されると宜しいでしょう。




問題を解決したいなら、その本当の原因に行き着かない限り、絶対に解決しません。


例えば、本当に幼少期に辛い目に遭って、それが理由で…と言う場合、その時の記憶にスポットを当てることが問題解消に繋がる、というのは確かに事例として沢山沢山あります。
それが『過去世』というイメージである場合も、無いとは言えません(それ程多くはないと思いますが)。
本人の心・思考が「これは実在したことです。これが原因です」とはっきり認識しているなら、それを手放す必要がある訳です。

あくまでも本人の心が嘘偽りなくそう認識していることが重要なのであって、
「運命の人と結婚出来ないのは過去世で悲恋ばかりだったからだ! そうに違いない! の、筈だ」
「異性が苦手なのはあっちに酷いことを言われたから…の、筈だ! 多分そうだ!」
というようなこじ付け(要するに嘘)だとすると、如何にイメージが湧いて来たとしても、幾らリアルに泣いたとしても、結果どうにもならないんです。


事実に対し、後付けで自己都合に合わせて捻じ曲げてしまうと、幾らその逸話をセラピーやイメージワークで弄ったとしても、ビクともしません。
何故ビクともしないのかと言えば、本人が「これが原因だということにしておかないと、自分が困る」からです。
解決したらマズイんです。解決するにあたり、事実関係が明るみに出たらヤバいんです。
という理由によって、本人は「これが原因なのだ!」ということにしておきたいものを掲げます。言い続けます。

過去世のイメージを見て散々泣いて、でも現実に帰れば何の影響も無いことを見て、「これはブロックが巨大過ぎるのだ」と、"それ"に価値を付与し続けたりもします。
これまで使って来た「自分の不幸はこれが原因の筈だ」と言い続けて来たものがあるのなら、それが実在したものか、何度も仕切り直して見直されたら良いと思います。


どうしてそれが原因だ、って思ってるのかな?
それ以外の理由だと何か困るのかな?
その原因というものは、今の人生と何処がリンクしているのかなー?

と言うように、検証を何度もされることをお勧めします。
何故かと言うと、時間が勿体ないからです。



近年割と多いのが、「自分が悪かった・酷かったことを認めたくないあまりに、その時の逸話を完全に改竄・捏造してしまう。記憶を都合よく変えてしまい、自分を被害者に仕立て直してしまう」というものです。
物凄く可愛がられ過ぎ、甘やかされ放題で、特別だ一番だ凄い凄いと煽てられまくり、叱られなかった。何でもOKだった。ダメと言われたことが無い。
そのように育つと、とんでもない暴君になります。所謂問題児、クソガキです(小皇帝という言い方もあるそうな)。

そのルールが通用する家庭内だけで過ごしている間は良いんです。そこは自分サイコーの国なんで、王様だったり女王様だったり王子様だったりお姫様だったりする。
しかしある段階で社会に接触をすると、その自分にピシッと罅が入り、ガラガラに崩れ去る出来事が起こります。
自分は世界で一番凄いんだ、最高なんだ、ちょー可愛いんだ、何でも思い通りなのだー! と、全能感で一杯だったものが、一瞬にして崩壊します。
何故崩壊するかと言えば、元々それは存在して良いものではなかったからです。架空のものだったからです。


人生という視点から見ると、そのショックな出来事自体は『良い』ことです。
そんな人格のままでは、社会と上手くお付き合い出来ないからですね。
自分で問題を起こしておきながら、それを人のせいだと言い続けるような人が、また何でも思い通りになるべきだと言って人に当たり散らすような人が、他人様と調和して行かれる筈が無い。

だから、それまでの幼児的全能感・万能感が、ただの妄想だったのだ、これまでの自分はとんでもない悪人だったのだと知ることは、『良い』出来事に分類されます。
ここで、「自分が間違っていたのだ」と打ちのめされる必要があるからです。



これを、事実とは逆に「トラウマだ!」だの「傷付いた!」だのという捉え方に誤変換してしまうと、それまでの傲慢な人格を持ったまま身体だけ成長します。
但し、その嫌な出来事(全能感がブレるようなシンボル)に関連したものには、寄り付かないよう行動を始めます。
認めないで居る為には、見なければ良い。触れなければ良い。無かったことにしちゃえ。
それがダメなら自分は被害者だって言えばいいや。ワタシ、悪くないもん。

全く以て小さい子供の考え方ですが、思考によって私達は人生を生きるので、見た目は大人でも、おじさんでもおばさんでも、ここに触れそうな出来事や何かを察知すると、幼児性全開で暴れ出したりします。
言っていること、やっていることを見れば、どのあたりで人格を止めたかが分かります。

このような否認のプロセスを経て、拒絶過敏症が形成されるんだろうなーと私は思っています。
架空の自己像に響きそうな何かには、徹底して近寄らない。触れない。見ない。
ちょっとでも架空のプライドに響くことがあると、泣き出したりキレたりする。
これは傷付いているからとか、繊細だからと言うよりも、「事実を認めないから」です。



人生をスムーズに流れるものにしたいなら、『事実を認める』ことが最も重要になります。
本当に自分が幼少期に酷い目に遭っていて、それを完了出来ていなかったのなら、事実を見直して手放す必要があります。
本当に過去世のとある場面に潜在意識の視点が固定されているなら、それを見直し完了させて手放す必要があります。

それと同様に、本当に自分が悪いことをしたから怒られたのだ、あまりにも自分が酷い有様だったから拒絶されたのだ、そんなの当たり前だという出来事があったのなら、事実をそのまま認めて一度深く後悔する必要があります。
悔やむ必要があるのは、「二度とあんな生き方はしない、私は間違っていた」という理解を得る為です。
自分は特別でも一番でも偉くも何ともなかった、それどころか酷過ぎた、ごめんなさい、今後はマトモになろう。そう思い直す為です。


原因がどれに該当するかは人によって異なりますが、これまで定型文として「被害者だ」と言い張る内容があるなら、一度取り下げて見直された方が良いと思います。
何にせよ、本当の原因に行き当たるまでは、絶対に解消しません。それは間違いなくそうです。

これまで解決しなかった、解消しなかったのは、理由に持ち出していたものが違ったからでは?
それじゃないからかも知れないし、主客転倒しているのかも知れない。逆かも知れない。
そのように自分の考えを疑って、何度も何度も真偽を見直すことです。


「もしかして、原因ってこれじゃないかも…」と思った時、「嫌だ!」という反応を自分がしたなら、尻尾を捕まえて引き摺り出した方が良いよーという合図ですね。
自分を正直に観察すれば分かることです。
幸せが良いなーと思うなら、是非意欲的に自分の思考を見直してみて下さい。




先日、インスタグラムで260万人のフォロワーを誇る柴犬まるちゃんのお店、『ギャラリーマルサン』に行って参りました。




私がお店に入った直後。





まるちゃん!


パパさんがお店にまるちゃんを連れていらしたー!!




まるちゃんは数分間の僅かな滞在でしたが、一緒に写真を撮ってくれました。
別のお客様がキャーキャーと悲鳴を上げておられました(笑)。
静岡からお越しだったんですって。そりゃ嬉しいですよねー。


まるちゃんと会ったのはちょっと久しぶりでしたが、相変わらず大きかったです。
オーラ溢れる堂々とした佇まい、夏毛なのにふわっふわ。
それから最近おでこに現れたカモメ眉(肉眼だと分かりにくいのですが、画像だとはっきり見えますなー)。


はいぱーらっきー。と思いました。
ありがたやー。



まるちゃんグッズのweb shopはこちらです。
可愛くて癒される、また運が上がりそうなグッズが沢山ありますヨー。是非に。



ギャラリーマルサン

住所:〒113-0031 東京都文京区根津2-12-3
アクセス:地下鉄千代田線根津駅徒歩1分
URL:http://gallery-maru3.com/


本日お昼の東京は、豪雨とすんごい雷でえらいこっちゃでした。
大量の雹が降ったりもしたとか? びっくりですねえ。
梅雨通り越して、何か別のものが…って感じです。


まずは8月と9月のワークショップ予定をば。


・8月13日(日曜) 11:00~15:00

・9月3日(日曜) 11:00~15:00



になります。
10月分はもうすぐ確定です。ちょいとお待ちを。


ワークショップ詳細についてはコチラをどうぞー。




去る7月16日は、7月分のワークショップでございました。
ご参加下さいました皆様、まことにありがとうございました。


今の人生は、自分が選びました。
人とのやり取り、仕事でのあれこれ、毎日の生活を見直して、また自分の人生をざーっと見直してみて、
「私が明確な意図を以て、このような形を選んで来ました」
と自覚することは、これまでとは全く違う、正しい人生、喜び溢れる人生を選び直すにあたり、非常に重要なことです。

「こんな形にさせられた」
「嫌なのに、なっちゃった」
「そんなつもりは無いけど、なっちゃう」
と言っている間は、自分の意思や思考と自分の人生は無関係であるということになります。
その考えを使っているなら、幾らこういった学びをしても、全く意味がありませんよね。


だからまずは、自覚しなくてはなりません。
私の人生は私が生きているものであり、自分の思考の結果が今であるということです。
この言い回しや定型文は、多くの先生方が断言していることです。
思考によって私達は生きています。
その思考とは、潜在的な思考から顕在的な思考に至るまで、全てを含みます。

「ええ? あんなに嫌な思いをしたのに?」
「今、苦しいのに、それも自分の思考だって言うの?」
「あれもこれも思い通りにならないのに、それが私の思考だって?」

そうです。
そうなんです。
体験していることは、須く自分の思考です。
また、解釈も自分の思考です。
突き詰めて行くと、何もかもが自分の内側にあることに気付きます。


ですが、私達は自分にとって都合の悪いものほど、外へ押し付けようとします。
自分は清廉潔白で綺麗な心で出来ているのだと言って、自分の心を分割し、良い部分のみを自分に残し、悪い部分を外側へ遠ざけようとします。
これは私のせいじゃない。
自分は悪くない。
私は被害者だ。
そういった考えによって、責任を回避しようとします。防御に徹します。逃げ回ります。
自分の人生を、自分自身の行いを見ないように、閉じ籠もります。

…とまあ、こういうことをやる為だけに生きてしまうと、魂の予定とはなんぞやーって感じになってしまいます。
だって逃げるのが目的になっちゃう訳ですから。
疑問が必要です。
私は何故、このような生き方をして来て、今もそれを変えないようにしているのだろう。
私は何故、特定の○○について、絶対に触れないようにしているのだろう。
考えなくてはいけません。じっと見直さねばなりません。
自分には何らかの理由があって、そうでなければならないのだと言って、強固に今のやり方にしがみ付いているのですから。


これまでは、その○○を見ないようにするのが目的だったのですから、これを見直しましょーって言われても死ぬほど嫌だと思います。
何とかして回避しようとするでしょう。何でそんなことしなきゃいけないの! と腹も立つでしょう。
あらゆる手段を使って時間稼ぎに徹し、例えばイメージワークでも全く関係のないイメージを捏造し、どうでもいい話をダラダラと続け、どうにかこの時間を凌げないかと足掻きます。

ああ、何とか逃げ切った。
そう思った時、またループしていることに気付かないでしょうか。
自分にとって非常に都合の悪いもの、恐ろしいものを隠し続けていて、そんな人生に一番の価値を置いていることに。
もうとっとと明らかにして、スッキリしたくはありませんでしょうか。
逃げても隠しても、『それ』が消えて無くなる日は絶対に来ないので、いずれはパカッと蓋を開けることになります。


いつかやるなら、今でも良いのでは。
そうは思えませんかー。
そんな風に、自分に問い掛けてみられたら宜しいと思います。



今日は七夕でしたね。
東京はこの日にしては珍しく晴れました。
毎年、七夕の日は曇りや雨のイメージが多かったんですけどね。良かった良かった。



さて、『奇跡のコース』が邦訳されて数年経ちますが、「分厚い」「読みにくい」「意味わかんね」とか、「実践となると全然…」というような印象をお持ちの方が割と多いような気がするので、簡易版とも言える書籍をご紹介致します。







ジャンポルスキー博士は精神科のお医者さんです。
人生に行き詰っていた時、内なる声に導かれて『コース』を学び、ご自身を癒した体験がおありです。
様々な逸話を交えながら、平易な文体で分かり易く癒しのメソッドを纏めていらっしゃいます。

『コース』のレッスンの幾つかを抜き出し、分かり易く掲載しているので、こういった内容について初心者であっても読み易く、トライし易いであろうと思われます。



読んだだけでは何の役にも立たないので、是非毎日実践して行きましょう。
日々、あらゆることに対してこれらの考えを当て嵌め、実践することが大切です。

私達は自分の思考について、継続的に観察の訓練しない限りは見ることも捕まえることも出来ません。
ですが、先ず前提として、「私は自分のことは全部分かってます!」「問題は自分じゃなくて外側なんです!」という建前をゴリ押ししているのが現状ではないでしょうか。

しかし、もしそうなのだとしたら、自分自身は不満や不幸は自分とは無縁の生活をしている筈です。
自分のことが全部分かっているなら苛々しないし、問題が自分に無いならいつも幸せ。
でも、そうじゃないから引き寄せを頑張ったり、こういう本を読んだり、色々な先生の所へ足を運んだり、他人様とやり取りするんじゃないかな? ということです。

「うわっ、私こんなこと考えてる!」
「私がこう思ってるんだ! だからあんなことを繰り返して来たんだ!」
というのが、観察を進める程に見えて来てびっくりするでしょう。



ちょっとだけやって、やめちゃう。
少しやってみたけど、(外側が)変わらないからもうしない。

という癖がある人は、
「そういえば、自分にはこういう癖がある。こうやって投げることで、これまでの不幸を繰り返しているのだ。自分を変えないように保持しているのだ」
と理解して、やめずに続けられたら良いと思います。

此処でエゴの囁く"いつもの手"に引っかかると、またループに入ります。
今までの繰り返しから抜ける、というのが非常に重要ですからね。



薄くて小さな文庫本です。
バッグの中に入れて持ち歩き、いつでも確認してレッスン出来るように毎日使ってみて下さい。




大雨の被害に遭われた地方の皆様に、心よりお見舞い申し上げます。
一日も早い復旧、普通の生活に戻れますことをお祈り申し上げます。





現在決まっております、2017年7月・8月・9月のワークショップ予定はこちらですー。




★2017年7月
日時:7月16日(日曜) 11:00~15:00
テーマ:『別の可能性を受け取る』


日頃の私達は、「これが正しい」と思い込んだ選択をしています。
でも、本当はもっともっと幸せを受け取れるのです。
その為には、現在使っている選択肢以外の何かを垣間見る必要があります。
内なる自己、宇宙が提示する『更なる幸せの為の別の可能性』を教えて貰うワークを楽しみながら行いましょう♪



★2017年8月
日時:2017年8月13日(日曜) 11:00~15:00
テーマ:『心を分かち合う』


私達は、いつもの生活では出来るだけ自分の心を隠そうとしています。
本心を見せないように、また別物であるように装って生きています。
しかし、そうすることで自分の声を押し込め、自分自身を苦しめていることが沢山あります。
シェア・分かち合いは、本心からそれを行うなら、ただそれだけで癒しが起こる素晴らしい時間です。
心を分かち合い、問題が溶けて消えて行くさま、自分の心が癒される時間を体験しましょう。



★2017年9月
日時:2017年9月3日(日曜) 11:00~15:00
テーマ:『"わたし"を見つめ直す』


現時点で使っている自己、『私』に対する認識を見直しましょう。
人生の全てにその思考が反映されています。
自分で思い込んでいる"わたし"と、実際に使っている思考での"わたし"。
この両者が合致している度合が高い程、幸せ度が上がります。
自分を何者だと思っているのか、それによってどのような人生が現れているのか、理解が深まる4時間です♪
顕在意識・潜在意識の側面から、"わたし"を見つめ直し、新しい発見や気付きを沢山体験しましょう。



ワークショップの詳細はこちらをご覧下さいませ。



東京は今日も暑そうですが、水分補給をこまめにしながら、どうぞご自愛下さいませ。




台風行っちゃいましたね~。
列島直撃かと思いきや、そうでもありませんでした。

物凄く暑いんで忘れそうですが、そういえばまだ梅雨なのでしたね…。



さて、6月ワークショップに御参加された方から頂戴しましたメールを掲載致します。







今回のワークショップで一番印象に残りましたのは、皆のそれぞれの父や母がどんな気持ちでいたかを体験するワークでした。

私は昔から、母が何の用事も無いのに頻繁に電話を掛けて来ることを大変疎ましく思っていました。
母が電話を掛けて来る理由を、いつも"お金"の要求だと解釈していたからです。

でも、ワークで体験してみた母の感覚は、ただ単純に自分の娘に連絡したかった、元気そうで嬉しいという気持ちだけ、というのを感じました。
私がこれまで自分の思考で捉えていた母とは全く違うという体験をして、本当にこれまで自分が完全に間違った解釈をしていたことに気付きました。


その後、母と兄夫婦と私の家族と食事をする機会があり、母の様子や自分の反応などを観察しました。
母の言葉や様子を見て、これまではその全てを「もっと出せ」と要求しているように受け取っていましたが、母は一言もそうは言っていなかったし、事実は違うのだと思いました。

以前に母親に対して「感謝なんて一度もしたことがないじゃないか!」と電話で怒鳴った時のことを思い出しました。
でも、今以て感謝を一度もしたことがないのは、他ならぬ私自身です。


私は常に上から目線で、「自分だけが特別で、他人は駄目でも私だけは何をやってもいい」という誇大妄想を元に、家族や他人様に嫌な思いを沢山させて来ていますが、親や兄弟はずっと大目に見てくれて来たのではないかと思います。

母に対する解釈の間違いから解るように、家族や周りに対していつも私だけが飛び抜けて我が儘で勘違いしていて偉そうであったのではないかと。
家族に対しても何一つ解っておらず、抑々見てもいませんでした。



その後の個人セッションで先生から、
「『親が悪い、親のせいで』『親が、周りが、他人が』といつまで言っていたいですか?」
と訊かれましたが、確かに私は今もまだ被害者で居ようとすることを続けていて、過去の繰り返しから抜け出してはいません。


今も全然解っていないことばかりですが、私は本当に人を見て来なかったし、自分に都合の良いように捻じ曲げて解釈して来たし、正しいことが解っていない、出来ていないという事実が徐々に強く見えて来ている感じがします。
見れば見るほど、全てを自分の意思でやっているから被害者ではなく、これまでも隠そうとして隠せなかった自分の酷さがどんどん表面化し、いよいよ隠しきれなくなっているように思っています。

沢山の愛情も無い無いと言い続け、こんなことを続けていて本当に良いのか? と、何度も何度も自分に問い合わせをしていますが、これまでの生き方や自分に対する誇大妄想にどれだけ執着しているかを知り、他人様を正しく見られるようになりたいです。

自分や他人様を正しく見られるように神様に毎日お願いしていると、今の私自身の現状を認めなさい、これで良いの? と、様々な事柄を通じて見せられているように感じます。


先生は、これまでずっと一人一人を導いてご指導下さっています。
逃避と誤魔化す人生のみの私に、その誤魔化しの手数を減らすよう教えて下さって、私達と長きに渡り向き合い続けて下さいました。
本当に有り難いことです。






奇跡のコース/テキストには、「被害者で居たがる誘惑に注意しなさい」という一節があります。
嫌な思いをしたとか腹が立ったというその瞬間、私達は被害者の立場を選んだことになります。
その思考は瞬間的であり、自分で考えて選んだのではなく「事実がそうだから」と言えてしまう程のスピードで行われます。

この思考をじっくり紐解いて行くと、何らかのメリットを得る為、という目的に行き当たります。
相手から何かを得る為、自分が優位に立つ為など、実は色々な利益があると思って使っている訳です。


私達は意識的に見直すことをしなければ、『周りが…』とか『誰々が…』という、"自分ではない外側"が主体で、自分はそれに対して反応するだけという繰り返しで一生を終えます。
「親がこうしてくれなくて傷ついた」も「子供が言うことを聞かなかったから腹が立った」も、「天気が悪かったから苛々した」もそうです。
「お隣さんが美味しいお土産をくれたので嬉しかった」「彼氏が優しかったので幸せ」も、実は同じ。
自分は常に現象に対して反応しているだけで、主体性が無い状態ですね。

この思考は、主語が何であるかを見直せばはっきりします。
「私」が主語であれば、自分主体の自分軸。
「誰か」や「何か」が主語であれば、外側が主体で他人軸、自分は被害者です。


他者が主語である思考は、自分を常に被害者の立場に置きます。
自分が何を体験したいか、自分が何を求めるか、という思考は生まれません。
だから、他人や外側を変えようとする。
だから、自分は正しいと主張出来る。…ように思う。
「相手がどうでも、私はこういう風に居よう!」と決断しない限り、ずーっと他人や周囲に振り回されている被害者…の気がしたまま、です。

被害者で居ることは一見ラクに見えそうですが、「その為に生きているの? そのまま死んで行きたいの?」と問われた時、どう答えるでしょう。
「うっ」と言葉に詰まるでしょうか。「違います!」と言い切れるでしょうか。
でも、そこから離れるのはちょっと(或いはものすごく)嫌だなーと、心の片隅で思ったりしませんか?
抵抗を感じたなら、やはり自発的にその立場を選んでいることになります。利益があるからです。


何を利益だと思って繰り返しているのか、何の為にそれを続けたいのか、また人生そのままで本当に良いのか。
何度も自分に問い掛けると良いですね。「あっ」と気付くまで。


台風ぅ~到来~。


です。


今、外は大雨です。台風は、明日の未明に掛けて関東近辺を通過する模様。
お出かけ中の皆様、どうぞお気を付けて。
台風もささっと通過してくれるといいですねー。


さて、引き続きまして6月のワークショップへご参加下さった方からのご感想です。






今回のワークショップで一番印象に残った内容は、『自分がこれまで欲しい欲しいと言っていたものは、既に持っている』ということでした。
見ず知らずのものだったら欲しいとも思わない。それが良いものかどうか、何なのかすら分からない。
自分はそれを知っている、知っているということは既にあるものだからこそ「それが良い」と思う、というのをこれまでも先生は何度も教えて下さっていましたが、「そっか! そりゃそうだ!」と理解出来たのは今回が初めてでした。

私はこれまで「愛されている・大切にされている安心感が欲しい」とずっと言っていましたが、無い無いと探し回らずとも、もう持っているんだというのが分かった時、目から鱗でとても驚きました。
なんだそうだったのか…と、気が抜けてほっとしました。


その後は、人とのやり取りで、愛・温かさ・安心感・嬉しさを感じることが格段に多くなりました。
ただの挨拶や、何気ない会話でも、また今までのことを振り返っていても、とても多く感じました。
私は本当に沢山の愛で生かされて来て、愛の大きさに圧倒されました。
「愛に過去とか未来という時間は存在しない。大小も制限も無い。増えたり減ったりもしない」
と教えて頂きましたが、本当に過去も今もなく、ずっとありました。私がそれを無理矢理否定していただけでした。

愛されまくってきたのに、それには目を向けず「なんでくれないの!」と自分が間違った解釈をしていたこと、また恩を仇でしか返していないことで、関わって来た方々に対し申し訳なさも感じます。
今までは何も問題が無いにも関わらず、毎日不快で苦しくて疲れていましたが、今は楽に過ごせるようになりました。


自分の言動を振り返ってみると、「外側でこういうことがあったから、自分がこうなった」という被害者思考を当たり前に使っているんだなと思いました。
何も考えず口癖で使っているので、その都度気付いて修正して行きたいです。

私はこれまで愚痴や文句ばかりで、詮索・干渉をする母のことを嫌いだと思っていたのですが、ワークショップに参加してから「彼女なりに私のことを一生懸命大切に育ててくれていたんだ」と認識が変わったのがとても大きな変化でした。
「私は母のことが割と好きなんだな」と、今の段階ではそれで納得しています。



以前はあれもこれも出来ない自分が嫌で、見たくない・認めたくない、違う自分でありたいと思っていましたが、ワークショップや個人セッションを通して、
「『私はこんなことしか出来ない。たかだかこの程度の人間なんだ』と思ったら、『本当にそうだな。私はこんなことしか出来ないし、この程度の人なんだな。そうか。なーんだ』で納得して終わればいい。ダメとか、嫌だとか、良くしなきゃ、変えなきゃといったことを考える必要は無くて、それが事実ならばそれで終わり。だからどうのこうのとか、そんな自分は嫌だというのは、事実を否定していることになるので、否定している状態が苦しい」
と先生が教え下さったことで、自分に対してマイナスの印象が減って来ました。

自分はヒヨコのようなもので、何にも分からなくて自分一人では何も出来ませんが、だからダメとか悪いとかではなく、ただそうなんだな、と今は思います。
これまでは、ヒヨコが『自分は鷹の筈だ! ヒヨコの筈はないー!』と、自分ではない別のものになろうとして無理し続けていました。

今は、「私が私の幸せを人生で体験する為には、ヒヨコという特徴が必要だから、こういう私で生まれて来たんだ」と思っています。
私の魂の計画通りの人生、自分らしく生きる人生というのは、"ヒヨコ人生"だと言うことでしょうし、今後はそれがより具体的にはっきりして来るのではないかと考えています。


私はこれまで目に見える形にだけ執着していて、喜び・愛・幸せといった、「自分がどんな気持ちを体験したいか」には全く目を向けて来ませんでしたが、今後は信頼や安心という気持ちに目を向けて生きようと思います。
ギフトが来るのを阻害しているのは自分自身の思考だと学んだので、自分がどんな思考を使っているか気付けるように見つめ、怖れを手放し続ける、自我の思考の浄化をし続けることが今の目的です。
早くノーガードでギフトを受け取れるようになりたいです。

また、身の程を知り、自分の現実、自分は本当はどんな人間なのかをもっと知って行きたいです。
今まで「"自分"はどう感じているか、考えているか」をひたすら見ないようにして来たので、それがもっとはっきり分かるようになりたいと思っています。

今回のワークショップもとても分かりやすく、私の期待なんかよりもずっと素晴らしい体験をさせて頂きました。
忍耐強く、私達が分かるまで丁寧に説明して下さり、いつも本当にありがとうございます。






ああなりたい、こうしたい、あれが欲しい、こうじゃなきゃ嫌だ。
と言い続けている時、幸せか、満ち足りているか、落ち着いているか、安心や信頼を感じているかについて、自分の心を点検してみると良いです。

安心も無ければ信頼も無い、何だかグラグラしている、立ち止まるのが嫌だ、ずっと動いていなければいられない…そんな風に思っているのなら、その下には怖れがあります。
「"こんな自分"は嫌だ」という思考があります。


では、"こんな自分"とは何かという話です。
あれもこれも出来ない、こんな程度でしかない、知らない、分からない、間違うし、失敗ばかり。褒められないし、取り立てて何かあるかと言えば無いし、他人の役に立つ訳でもなく、他人に迷惑や面倒を掛けて……という自分。
"こんな自分"をとても厭わしく思っていて、だから、ああならなきゃ。こうしなきゃ。こう見せなくては。
そんな風に考えるのがエゴの思考です。

この思考は『怖れ』そのものです。
足りない、欠乏、不完全、不足を自分に見出し、そのままでは許さない、絶対に駄目だと自分で自分に突き付けています。
これをやっている間、非常に嫌な思いをします。
例え状況は整っていて、誰から責められる訳でもないのだとしても、自分の中だけで独り芝居的に苦しい想いをするんですね。


理解にはプロセスがあるので、一足飛びにという訳にはなかなか行きませんが、「あー、最初から私は"こんな自分"だったなー」と何処かで気付いたら良い訳です。
「そう言えば、過去一度も凄かった私だったことは無かったな。他者を圧倒する程に優れているとか、あれもこれも出来る自分だったことは、歴史上一度も無いな」ということです。
「ずっとこういう私だったから、私って元からこうなのかー」という事実を認めてしまえば良いって話ですね。

何でこうなんだろう、どうしてこんな風に何も出来ないんだろう…と苦しんでいる間は、まるで「本当の自分は全然違う筈なのだ」と思っているかのようです。
が、「"本当は"もクソもないわー。"本当"って何のことだよ! だって私、実際昔からこうだしね!」と我に帰れるなら、そこからが心の平和・幸せへの道です。
ずっとそういう自分だった。肯定しようが否定しようが、最初から私はこうでした。否定しても、隠そうと頑張っても、こう見てくれとアピールしても何も変わりませんでした。全部無駄でした。ていうか、必要無かったな。

そんな風に、先ずは見方の角度を変えて行かれると良いです。
大概、何が出来る訳でもないのですから。
他人様に何かして差し上げることなど、更に出来ません。
一見そう見えていることがあったとしても、それは優れているとか出来るとかではありませんので、そういった考えを持ち出さない方が良いですね。後が苦しいですから。


私はこんなんじゃない、違う筈だ、出来る筈だ、凄い筈だ、素晴らしい筈だ…という上辺の思考を外して、"こんな自分"を見る。認める。
先ずはそこからです。



引き続きまして、6月ワークショップに参加された方のご感想です~。






6月のワークショップに参加する少し前、子供の頃から私を可愛がって下さっていた親戚が亡くなりました。
葬儀で親戚が集まる中、周りからあれもこれもして貰うばかりで恩なんか返しておらず、それどころかどれだけ良くして頂いても
「自分は愛されていない、可愛がられていない、だからもっと寄越せ、何もかもを私の為にやれ!」
と長年言い続けて当り散らして来た私は、一体何なのだろうと思いました。

私を大切にしてくれた人が段々と亡くなって行く中、私は
「このままの自分で生きて行くのは嫌だ。これからは家族や、親戚と、あるべき正しい姿でやり取りしたい。正しくお付き合いしたい」
と思うようになりました。
その為に正しく受け取りたい、心から感謝したい、正しく行動したいと思いワークショップに参加しました。


ワークショップやその前に受けたセッションでも、私は『ギフト(幸せ)を受け取る』どころではありませんでした。
とにかく"自分"を決して見ないように逃げ回ることだけに必死で、「愛されたい」とか「幸せになりたい」と散々言って来たのに、実は愛や幸せなんか全く頭に無い。
以前から先生がblogで書かれていたこと、教えて下さっていたことについて「本当だ! 私は愛とか幸せとか全然望んでいない!」と思い始めていました。

自分自身が他人様に向けてずっと行って来た酷い言動、それは何故やっていたのか、自分は何なのか、何故謝罪するのが嫌なのか、嫌だと言っている私は何なのかと思っていました。


ワークショップの最中、私は大事にされている、愛されている事実を何度も思い出し、「私はずっとこの中にいる、ずっと実はこうだったんだ」と気付きました。
昔からずっと、大切に布団に下ろされて、気持ち良く手足をバタバタさせている赤ん坊の時のままの自分です。

体験したワークの中では、父が私に対してどういう気持ちで居るのかイメージをしました。
父は常に、私と関わることを嬉しく思っているんだなあという体験でした。
私から電話が来たら嬉しいし、何か食べさせてやりたいし、何か手伝ってやりたいと、父はいつもそればかりを考えています。
自分の娘がどの程度の人間かという現実は全く見ておらず、私のことを別人のように美化して妄想していますが、それはそれとして「要求されている!」等と取らずに、そのままにしておけば良かったのだと思います。

私は親や周りから「高い要求をされ続けている」「もっとやれ、もっとレベルの高い人間になれと言われている」と思い込んで生きて来たので(妄想ですが)、毎日毎日とんでもない要求ばかりをされるであろう結婚生活なんて嫌だと思っていました。
でも先生が、
「見た目も中身も頭もあらゆる面で完璧な女性を望んでいる男性が、あなたを結婚相手として選ぶと思いますか?」
と仰った時、
「本当だよ! 完璧を求める人が私を眼中に入れる訳が無い! そういう人は、最初から私なんか見ない!」
と思いました。


ワークショップでペアになった女性は、とても素朴で小ぢんまりした方です。
"私"の全てを映し出す鏡である彼女を思い返し、「私はこの人に完璧であれとか、周り中が振り返るような美人で居ろとか、人並み外れて出来が良いといった無茶な要求をするだろうか」と考えたら、「この人に対してそんなことは思いつきもしないな」と思いました。

"私"は元々、抜けていてボケててガサツで色々どうでも良い人ですから、きっちりとか美しくとか完璧とは真逆の人間です。
自分とは何もかも真逆だということにも気づかず、父が私に向かって「特別美人だ」「一番頭がいい」「出来がいい」と言い続ける親馬鹿妄想を、私に対する要求・無茶振りだ! と曲解していました。


参加後、仕事上必要な資格試験の勉強をしていて思いましたが、私は頭も悪いし、要領も悪いし、
「こんな自分に、一体誰が無茶な要求をするのだろう。そんなことをする筈が無い。要求しても出来ないんだから無駄だって周りは知っている」
と自分の勘違いの馬鹿さ加減に呆れてしまいました。
事実を思い返すと、職場の社長も上司も、「まあこの人だから、この程度でしょうがないか」と緩く許して下さっていました。
そうでもなければ、外資系の会社でありながら英語が出来ないという人間を、いつまでも会社に居させることは無いでしょう。

振り返れば、私はずっと周りから気遣われ、社会のお豆的に生きてきました。
丸っきり向いていない仕事でも、『自分が出来るから』ではなく、単に『出来ないけど、大目に見られて居させて貰えた』のだということです。
それは本当に申し訳なく、ありがたく思いました。
「外資系企業の管理職に就いて仕事が毎日大変だ」というのは、親や周りは一切関係無く、私が私にした無茶振りでしかありませんでした。



最後に自分が見たビジョンは、穏やかな気持ちで死んで行く所でした。
小さな黄色い蝶が2羽ひらひらと飛んでいて、その蝶を「仲が良くて良いね…」と平和な気持ちで見ています。
イメージ内の私は、私自身に納得しており、ご縁のあった皆様に「本当にお世話になりました。さようなら」と有り難い気持ちで息を引き取りました。
先生が「今のままだと、そうはならないですね」と言われたのですが、本当に今の私とは雲泥の差です。
私が現時点で死ぬとしたら、そんな風には思わないし自分自身に対して納得もしていないし、不平不満で一杯です。

ワークショップで感じた体験はどれも、日頃の自分の体感とは激しいギャップがありました。
今の私と状況は同じなのに、ワークで体験した内容はどれも幸せで納得していて平和な気持ちという、いつもの自分とはどう考えても正反対の状態です。



先生の所はいつも沢山のワークが有って、しかも参加者の様子を見ながらリアルタイムで変化を持たせるという、バラエティに富んだ内容です。
私はワークショップに参加し始めた頃の自分より、自分に納得出来る部分が増えて来て、楽になったと感じています。
今後は、自分がこれまで勘違いして作り上げて来た自分と、本来こうであるという自分のギャップを是非埋めて行きたいと思っています。

本当にありがとうございました。






状況を見る限り、特に困っていない。豊かに暮らしている。周りにも恵まれている。
…のに、不平不満と怒りや妬みで一杯、という人は沢山居ます。

何故かと言うと、ちゃんと理由があるんですね。
度々書いていますが、事実を認める・自分を認めるとその不満は消えます。

隠したり、誤魔化している箇所が多いと、その分だけ不満は増えます。
自分がどれだけ不満を抱えているかを見れば、事実に対する否認+投影で日々を凌いでいることがよく分かります。


逆に、何かをひた隠しにしているのに、「上手く行ってます! 私は満足です!」と、反対側へ誤魔化してしまうケースもあります。
どちらにせよ毎日何となくでも落ち着かない筈なので、自分の状態を見ることで「何か変だなー。おかしいなー」という糸口が見えて来るでしょう。

生き方を変化させるには、自分の思考体系に疑問を持つことが重要です。
大体は定型文を持ち出したり、決まりきった型通りのやり方で、事実を知覚することから逃げています。
直面しないよう、「だってああでこうで」「それは誰々が、周りが…」等々、幾らでも言い訳を作り出すのがエゴです。
それは後付けで、怖れを隠す為に創り出したものである可能性が高いのです。
「私はまだ納得していない。だから私は何か認めていないことがある。それは何だろう」
と、自分に問い掛ける姿勢を持ち続けることが大切ですね。


例えば形だけ変えたい、結婚したい、お金が欲しい、引っ越したい、転職したい…というようなことだけであれば、そんな考えは持たなくて済みます。
単発で引き寄せとかやればいいじゃん、って話になりますね。

でも、生き方そのもの、自分の姿勢を変えるとなると、毎日の自己観察が必要になります。
正当化しようとしていないか、被害者ぶろうとしていないか、何かを外側へ押し付けていないか、理由や原因をこじつけていないか、捏造していないか、改竄していないか…等々。メンドクサイです(笑)。

とはいえ、生き方が変わると、他のあらゆる面が変化します。それこそ、物理現象すらも。
例え形が変化しないとしても、捉え方が幸せなものになりますから、形を変えることに躍起にならずに済みます。
その足場に立つかどうかは、いつでも選べるのです。



プロフィール

Sachi

blog owner:Sachi
潜在意識を活用した、ちょびっとスピリチュアルな総合セラピー、癒しのワークショップ・タロットカードセッションをしているSachiです。
穏やかに楽しく成長出来るよう、入手した情報や、日々の気づき&
発見などをシェアして気ままに更新。
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旧blogタイトルは『気づきのステップ』。

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