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Date : 2017年05月

◆ Infomation

【works】
★ヒーリングセラピー個人セッション
 都内で対面式の個人セッションを行っています。
 幸せと癒し、学びと気付きを得たい方へ、様々に対応させて頂きます。
 潜在意識を日常へと活用することで、より良い人生へ変えることが可能です。
 随時お受けしておりますので、サイトをご覧下さいませ。

★癒しのワークショップ
 毎月一度、都内で女性向けの体験型ワークショップを開催中です。
 沢山の変化・癒し・浄化・成長・気づきを促すテクニックが山盛りです。
 2017年11月5日・12月17日(全て日曜)
 の開催が現在確定しております。11月は11時~15時、12月は11時~19時です。
 ※11月と12月では開催時間、料金が異なります。
 ※以降の開催は決定次第upして参ります。
 ※それぞれ内容の詳細はサイトをご参照下さい。

前回書いた記事の何となく続きです。



あれが問題だこれが問題だと言う時、集約されるのは何かと言うと、「私は愛されていない」という怖れの思考です。
自己申告の際は愛してくれない人や周りが悪い、というような言い方になっていることが多いとは思いますが、実際の思考は「私は愛されるような人間ではない。だって酷いから。悪いから」ということです。
これを『奇跡のコース』では怖れの思考、分離しているという思考、総じてエゴと言います。

人生で多いのは、親子関係にこの思考を投影することです。
自分の親に対して持った考えを、成長して行くと共に配偶者やパートナー、上司や先輩等にも重点的に流用しがちですね。


『親に~~された/言われた/して貰えなかったから、私は傷付いて親から愛されていないと思うようになった』
という定型文が一般的に流布していますが、これは実は後付けの場合が非常に多いのです。

元々私達は潜在的に恐怖心を持っていて、この恐怖が上記のような『私はきっと愛されない人間に違いない』という思考に相当します。
抑々自分でそのように思い込んでいる為、それっぽい親の言動等によって、「"やっぱり"そうなんだ!」と解釈するのです。
そうです、「やっぱり」と接頭語が付くのです。

また、私達は自分で自分を裁く思考を使ってもいます。
「あんなことをしたから、私は悪い人だと思われたに違いない」
「あの時こうしておかなかったから、きっと嫌われたに違いない」
「こんな目に遭うのは、自分が悪い人間だからだ」
「こんなことが起きたのは、自分が罰されているということだ」
「こんな風に自分が辛いのも、仕方ないよなあ…」
等々、日々自分を裁いているのです。
裁きの思考は非常に深い意識レベルで発生しているので、「そういうものだ」としか思っていないのではないでしょうか。



私達は、これらの怖れをどうにかしなければと思います。
罪の意識、恐怖心を持った時、次から次へとああしなきゃ、こうしなきゃ、逃げなきゃ、隠れなきゃと思います。
自分が攻撃されると思うからですね。

それを避けなければならないと衝動的に思う為、じゃあ、凄い人だってことにしたら大丈夫かな、私が可哀想な被害者だってことにしたら自分の正当性が立証されるかな、無かったことにしちゃえばいいんじゃない? 見なければいいんじゃない? 覚えてないってことにしちゃえば、あっちが悪いってことにしちゃえば…等々、様々な防御方法を編み出そうとします。
自己処罰欲求が強い人の場合は、自分を責め続けて不幸になろうとします。
どれも自分の抱いている怖れの思考から行う行動です。



このような怖れを土台にして生きてしまうと、とても辛く苦しい人生になります。
例え形が整っていても、何でも手に入って困ったことが無いのだとしても、自分だけが苦しいです。
自覚症状が無いのだとしても、心は悲鳴を上げています。
それは、生きる目的が怖れからの逃避、ただ一点のみに絞られているからです。
毎日やることなすこと、全てが逃げ回っているだけのこと。愛を感じるどころではありません。

幸せが軸じゃないんです。怖いから逃げなきゃ、辛いからこれをどうにかガードしなきゃ、という軸です。
「怖い」という思考で一杯で、ずっとそこにフォーカスしていることになりますから、幾ら逃げてもガチガチにガードを固めても、周りから人をシャットアウトしても、逆にイエスマンばかり揃えたとしても、ダメです。
やればやる程、使っている思考を強化します。


怖れのフィルターを通して全ての物事を見るようになるので、如何に幸せであっても満ち足りた生活をしていても、絶対に満足しません。
不平不満を数え上げては、「こんなに不幸なのだ」と怒り狂って言い続けることしか出来なくなります。
それらの不平不満を、次々に誰かや何かのせいにし続ける必要が生まれ続けます。
小さく縮こまって、震えて暮らして行くしかないと思うかも知れません。
一体何の為の人生なのかと、考えることもしないでしょう。

きっといつか自分の正体が露見するに違いない。
とんでもないことになるに違いない。
一生を掛けて、それを誤魔化さなければ。逃げなければ。
…そんな風に怯え続けているのです。



誤魔化しぶりを徹底させて来た人程、この内容を聴いても「は?」と首を傾げることになるでしょう。
「だって、あっちが悪いんでしょ?」とすぐさま反駁して来るでしょう。

他者を罰している思考を使う時、とてもラクになったような見せかけの感覚がありますが、実際は苦しいです。
スッキリしたような気がしても、その裏側で後ろ暗い気分を増幅させています。
だから余計に中毒のように繰り返します。この繰り返しには出口がありません。泥縄です。


自分は自分の正体がばれてしまうことを怖れているのだと、先ず認めましょう。
私は自分を弱いと思っていて、あれもこれも怖がっている。
とても恐ろしいことが起きるのではないか、と思っている。
自分は愛されるに値しない人間なのだ、それが真実だった、というのを確認したくなくてこんな風に生きている。

何もかも怖くて堪らず、それを他者に見せられない。隠して逃げるばかり。
だからこれまでは、虚勢を張って平気なふりをしたり、何ともありませんという顔をして突っぱねてみたり、自分で何でも出来ると強がってみたり、また逆切れをして相手を酷く罵ってみたり、暴れ回って問題を起こしては被害者ぶってみたり、人と関わらないようにしてみたりと、そんな痛みの伴うやり方しか思いつかなかったのです。

だからあんな風に、誰かに対して「なんでもっと優しくしてくれないの!?」と当たり散らし、「どうせ私のことなんかどうでもいいんでしょ!!」と怒鳴り付けてみたり、完全に無視して相手がこの世に居ないかのような振る舞いをしてみたり、自分の方が上なのだと威張ってみたり、私はこんなに優れているのだというアピールを繰り返していたんです。
そうせずにはいられない程、またそうすることで「自分は愛されるに値しない人間に違いない」と叫び続けていたのです。





でも、別の道があります。
これまでの繰り返しは、ただ恐ろしくて繰り返して来ただけなのだ、だから私はどれだけ怯えているのだろうということを認めたら、「これを繰り返さなくても良いのかも知れない」「こうでなくても良いのでは?」と思ってみましょう。
繰り返す必要はありません。こうである必要は全くありません。
「いつもそうなっちゃう」のではなく、自分が怖れに操られて選んで来ただけなのですから、怖れを手放して愛や喜びを選べば良いのです。

選び直すには、先ず愛や喜びが見えないように遮っている"怖れの思考"を直視する勇気が必要です。
その気持ちと共にじっとしている忍耐が必要です。
いつもは弾かれるようにして逃げ出していたのを堪えて、留まることが大切です。
何度も嫌になって繰り投げ出そうとするでしょうが、その度に自分を励ましてリトライし続ける努力が重要なのです。

これまでは自分の持つ思考から逃げる為、否定する為だけにあらゆる手段を使って来ましたが、これを反転させる必要性があります。
だから『怖れを手放す』というのは、これまでの自分にとっては物凄く嫌なことである筈です。
途中で逃げ出したくなります。「でも、生活は出来るし」「これまで何とかなって来たし」「別に困ってないし」というような、如何にもな台詞を言い出すでしょう。
それも踏まえた上で、抵抗し続ける自分をじっと静かに見つめながら、着実に歩みを進めて行かれるのが結果的には幸せへの一番の近道です。



そうして、「ああ、私はそんな風に怖がっていたんだ」とハートから共感しなければなりません。
「ふーん、そうなんだ」「多分、怖がってるんだろうな」と、遠巻きに他人事のように眺めていてはいけません。
例え他人が分かってくれたとしても、自分が分からなければ意味の無いことです。

「生きていられて嬉しい、自分で生まれて良かった」というような幸せを、またこれまでの怖れを覆すような愛される喜びを体験する人生がもしあるなら、それをやってみたいなという気持ちを持たない限りは、難しいことです。
「そんなことある訳がないじゃん」「やっぱり怖いから嫌だ」と捨ててしまうと、その時点でこれまでのループを選択したことになってしまいます。


とは言え、苦痛の繰り返しはその内段々と嵩を増して行き、何れ耐え難くなる時がやって来ます。
怖れを手放すまでの時間が長いか短いかの違いでしかありません。
手放すまでは怖いし苦しいですから、その時間は短い方が良いですよね、ということです。

選べます。
今すぐか、もうちょっと後か。もっと後か。別の人生に持ち越すか。
「今すぐでも良いんじゃない?」と、自分に語りかけてみても良いかも知れませんね。




新緑の美しさが目に鮮やかですねー。
とか言っている間に、もう5月終了目前です。




長々と問題が解決しない、と言うなら、それはそれなりに目的があります。
ああならない、こうならない、と言うなら、そうである必要があります。

自分のマズイ所を直視しない為には、あれが問題だこれが問題だと言い続ける必要があります。
自分ではなく自分の外側に目を逸らし続ける為です。


つまり自分は愛されていないということにしておかなければならないし、愛されていないと言い張る為には相手が自分のニーズに沿わないから傷付いたのだと主張しなくてはならないし、相手が自分の為に色々尽くしてくれたとしても、そんなものは存在していないことにしないといけないのです。

鬼の首を取ったかのようにギャンギャン喚き立て続けないと、自分がヤバいことがバレちゃうじゃないか。
心の中でそう囁いている訳ですね。



私がそう言ってるんだから、これはそうだったのだ!
と、マインドは自分の言うことが100%事実であるかのように言い張るのですが、言っていることは事実に対して後から激しい編集を加え、適当に自分で繋ぎ合わせた「私は被害者で、傷付いている」という主張に沿った内容です。

どうにかして自分を被害者で居させたい。
という欲求は、心の中に隠し持つ"恐れ"に裏打ちされています。



自分は相手から愛されていないと言う時、自分が相手を全く愛そうとしていないことに対する疾しさを隠しています。
相手が自分の為に~~してくれないと文句を言う時、自分が相手の為に~~していない後ろ暗さを感じています。
自分が全く思いやりを示さないばかりか、ケチを付けることばかりを繰り返していて、そんな自分が宜しくないことを心の奥底ではよくよく承知しているんですねー。

宜しくない自分を直視して認めるよりも、隠して上から綺麗なラッピングをして、全く違うものに仕立て上げた方が良い、とエゴが言います。
だって自分のヤバさがバレてしまったら、これまでの自分の酷さが明るみに出てしまったら、どうなるか分かったもんじゃない、これまで手に入れたもの、確保したものが全部取り上げられてしまうかも知れないじゃないか。
償えと言われたらどうしようもない程、自分は悪いことをして来たんだから、責め立てられる前にとりあえず逃げておかなきゃ。
そうだ、自分の方が被害者だってことにしちゃえば良いんじゃない?
という理屈(屁理屈)によって、被害者と加害者を主客転倒させるのです。


例えば、自分が一方的な悪さをしたから親に凄く怒られました。という出来事があったとすると、
「あんな言い方しなくたっていいじゃないか。強く怒られて、凄く嫌だった。あんな言葉を使われて、凄く傷付いた!」
…なーんて、被害者と加害者をすり替えることは割とよくあります。
自分が何故怒られたか、親はどんな気持ちだったのかという事実については、全く無かったことにしてしまう。
とにかく、自分が被害者だということにしておけば安全だろう。そう考えるのです。
責任転嫁というやつですね。

素直に「ごめんなさい。私が間違っていました」と認めるよりも、「私の方が傷付いた! 何で謝らなきゃいけないの!」と言って逃げ続ける方が良いよ~、とエゴが囁き続けます。
更に、バレないようにする為、念入りに様々な行動を取ります。
如何に相手が酷いか。如何に自分は弱者であるか。等々、色々とでっち上げの証拠品を集め続け、足が付かないように頑張り続けます。


それはそれでやりたければ全く構わないのですが、先ず何よりも自分が苦しいです。
それをしている間は、ずっと怖いからです。
どんなに恵まれた生活をしていても落ち着かず、全く安心出来ません。
どうにか作り上げた歪な形の砂上の楼閣がいつ崩れ去るか、不安でならないからです。

他人や自分以外のせいで自分はこんなに傷ついている、と言う時、逃げられたような気がして一瞬ラクになります。
誰かを責めている時、自分の中には罪が無いと言って、一瞬ラクになります。
……そんなような気がするのです。勿論、錯覚であって、事実ではありません。



自分の不幸を他人のせいにする時、一瞬ラクになったような気がするので、ずっとそれを続けなければならなくなります。
誰か特定の人や現象のせいで不幸だと言い続けるか、或いは目に付いたものに対して片っ端から文句を付け続けるか。

そうすると、その為だけに生きなければならなくなるので、自分の魂が予定して来た人生計画とは残念乍らサヨウナラです。
自分がとっても伸び伸びラクに生きられる、幸せなコミュニケーションを取れる、自分に満足していられる…そういった毎日は望めなくなってしまいます。

だってそれどころじゃないですからね。
隠して隠して、逃げ続けて、被害者であり続けないといけない。
もっと厳重に固めて、もっと自分が不幸だと言い張って、その為には現象まで動かして…毎日毎秒、それだけです。
『幸せ』なんて、頭に無い状態です。





もしかしたら、そんなことをしなくても、そんな風に逃げ回らなくても良いのかも知れない。
立ち止まって、見直してみるのも良いかも知れない。

…そういう風に思ってみないことには、自分の心に正しい光が入って来られません。

「私の不幸は他人のせいである」と言う時、相手に自分の為の要求をしています。
そうすると、相手がその気にならない限り、自分の幸せは永久に望めなくなります。
しかし「私が不幸なのは何故だろう? もしかして他人じゃなくて、自分と関係あるのかな?」という理由を自分の心の中に求めるなら、自分がその気になりさえすれば、自分で不幸を手放して幸せを体験出来るという軸にシフトします。


他人を責めている時、自分を責めています。
きっと自分はこんなにも責められるに違いないと考え、それがバレないようにと恐れて逃げ回っているので、自分に対して「ちょっとまあ、落ち着きなさいよ。そんなに怖がることもないよ」と声を掛けましょう。

「私は何が怖くて逃げ回ってるのかな?」
と、自分に対し、親身になって聴いてあげることです。
怖れている部分は逃げ回っている状態で居たがりますから、直ぐには口を割らないかも知れないし、暫くは適当に嘘をついて本当のことを言わないでいるかも知れません。
が、忍耐強く優しく接してあげることで、「あれ…言っても大丈夫かな?」とちょっとずつこちらを向き始めます。



これには解決(幸せ)への意欲と忍耐が必要です。
それまでは怖れに乗っ取られて逃げ回る方がラクだと思い込んで来たのに、この作業をすることでその逆へ意識を向けるのですから、その作用からはどうにかして逃れようとするかも知れません。

問題があると言っている時、あれが嫌だこれが嫌だと言っている時、事実を認められない時、私達は「怖いよ~」と言っているだけなのだ、と先ず分かりましょう。
何を怖がっているのか、一緒に見てあげることです。


そうして少しずつ自分の心を理解して行けば、その後はラクな気持ちが増えて行きます。
日常的に嫌な気持ちを誤魔化す必要も無く、無理矢理どうにかする必要も無くなります。
自分の為に、心を見直す意欲を持たれますように。




夏日がじりじりと増えて参りました。
もうすぐ6月ですからねー。衣替えですからねー。
私は既に半袖サンダルでウロウロしております。


さて、現在確定している月イチワークショップのスケジュールです。


ご参加についての混乱を防ぐ為、6月分よりお申し込みに締め切り日を設けました。
それぞれ明記してあります日にちを過ぎました場合は、別途お問い合わせ頂く形になりますが、ご意向に沿えないこともございます。
何卒ご了承下さいませ。

※既にご参加のご意向をお知らせ下さった皆様につきましては、改めてご連絡頂かなくても大丈夫です。




★2017年6月
日時:6月18日(日曜) 11:00~19:00
テーマ:『ギフトを招き入れる』



★7月
日時:7月16日(日曜) 11:00~15:00
テーマ:『別の可能性を受け取る』



★8月
日時:8月13日(日曜) 11:00~15:00
テーマは選定中

決まり次第、サイトで告知致します。リクエストがありましたらお知らせ下さいね~♪




※6月開催は長時間になります。通常と詳細が異なりますのでご注意下さい。
※各種詳細はこちらをご覧下さいませ。






ワークショップにご参加下さった方からのメールで、
「思い切って参加して本当に良かった」
とのご感想を頂戴しております。
こちらこそ、ご参加下さいまして本当にありがとうございました。


世の中には様々なセラピーやワークが存在しておりますが、その時の自分の心が『幸せ』を求めることで、その時の自分に最適なテクニックや先生にご縁が出来るようになっています。

「このテクニック(手段、方法)だと上手く行く」
「この先生に師事していれば…」
ということでは無いのですねー。


自分自身がどう生きたいか、幸せで在りたいという気持ちに目が向いているかという、『目的』が最も大切です。
この目的に合わせて、あらゆる状況や手段が整います。

兎角、私達は手段を探してしまいがちですが、手段と目的が入れ替わると、いつまでも不満を残す結果になります。
心の中の目的がはっきりしていて、幸せに対する意欲があれば、必要な情報や手段は送られて来ます。


人によっては、自身の心をよく観察することで、「あっ」と大切なことに気付くこともあります。
またプロの手を借りることで、時間の節約になる場合がある為、どちらも上手に使って行かれたら良いでしょう。

幸せで在ることに、どれだけ気持ちが向いているか。
これがとても重要です。
それは形ではなく、自分自身が自分に納得していること、満足していること、隠したり裁いたりせずに、平和な心で過ごせること。
そのままの自分で居られることを指します。
勿論、何等かの形があって良いのですが、心が波立っていたら幸せではないですね。


自分の心に目を向けて、穏やかで過ごせること、平和な気持ちで居られることに価値を見出せるなら、それに合わせて手段がやって来ます。
毎日の生活の中で、自分の心が何を見ているか、点検なさってみては如何かと思います。




去る5月14日は、5月度のワークショップ開催日でした。
御参加下さいました皆様、まことにありがとうございました!



この日のテーマは【不要なものを手放す】でしたが、このテーマに惹かれて御参加下さった方がいらっしゃいました。
私達の人生は、ほぼ不要な思考で埋め尽くされていると言って良いのではないかと思います。
仮に物理現象や人間関係が円満(困窮するレベルではない)であっても、「足りない」「嫌だ」という思考をそこへ適用するせいで不幸である、ということはかなり多いのではないでしょうか。

この【考え】を手放した時、私達は何を体験するのかな?
これらの【考え】は、何の為に使って来たのかな?


というのを理解することが、この日の学びの肝だった訳ですね~。



長い間、押し込めて来た気持ちにやっと目を向けることが出来て、

「自分だけでは、これに気付くことが出来ませんでした」

と涙を流された方がいらっしゃいました。
その方の気付きの瞬間を目撃したことで、「これまでの自分の姿勢や考えが間違っていた」と連鎖反応のように気付いた方もいらっしゃいました。

そこに居合わせる、その出来事を共に体験する、目撃するというのは、『我々は誰一人としてお互いに無関係ではない』のだということを何度も教えてくれます。
その場で直ぐにピンと来ないとしても、いずれハートに響くかも知れません。
その時に見たこと、体験されたことは、無かったことにせず暫く見直す為に使ってみて下さいねー。





度々書いていますが、私達が目撃・体験することは全て、私たちの思考から発生しています。
この『思考』とは、潜在意識~魂(無意識)~集合無意識~超意識レベルの思考を含みます。
潜在意識以下の思考については、大概外からの物理現象として体験される訳ですが、日頃の私達はよもや自分の思考だ等と全く気付くことなく生活しています。
また、それら(物理現象)をどのように解釈(意味付け)するかについては、私達の顕在的な思考が行っていることです。

私が現代日本を見てみると、潜在意識以下は特に問題が無いのに、顕在的な意識があれこれゴチャゴチャしている結果、『自分で』問題を態々創り出したり、特に問題の無い現象に対し「足りない!」「無い!」「気に入らない!」とイチャモンを付けて喧嘩を吹っかけてみたりという事例が非常に多いように思います。


私は個人セッションをご依頼頂いた時、事前にリーディングを行います。
ご本人様の仰る【問題】が、一体何処に端を発しているのか、見てみる訳ですね。
その出元が魂(過去世なんかは此処)なのか、その上層に当たる潜在意識(インナーチャイルド等の過去一般は此処)なのか、はたまた顕在意識なのか。
分かる所まで、先に情報を拾っておくんです。時間の節約の為に(笑)。

ご要望によっては、魂がどのような人生計画を立てて来ているかも見ます。
その時のご本人が「私はきっとこうなる筈だ」「私の苦しみはこれが原因の筈だ」と思っていらっしゃることとは、正反対のことを読み取ることが結構あります。
それで、リーディングした内容を正直に申し上げることで怒ってしまう方もおられます。
百発百中とは私も断言しませんが…でも、外したことは無いですねー、今の所。
この辺りは経験がものを言っている気がします。



「これが原因に違いない!」
「こうなるべきだ!」
といった考えは、失望と怒りを生み出します。
何故なら、事実は大概そうではないからです。
もしそれが本当にそうだとしたら、問題として継続状態には陥らないと思います。

そういった当て推量をせず、また「こう言って欲しい! 自分を正しいと言って欲しい!」という期待を持つことなく、"自分の心を正直に素直に見てみるという姿勢"を持つことが、幸福という結果に対し非常に重要な要素になります。


「こう言ってくれると思ったのに」
「こうしてくれると思ったのに」
「こういう具体的な結果が出る筈だと思ってたのに」
という期待があるか無いか、自分の思考を点検しましょう。

もしこれらがあるとしたら、何らかの事実に対する否認を行っていることになります。
事実に対する否認をしていると、それを否定してくれる"何か"を探し回ります。
だから他人から何か特定のことを言わせたくなるし、同意して欲しいと強く要求することになります。
占いの先生なんかに通って…ということは多い気が。します。


抑々否認はどうして行うのかと言えば、そうすることで自分を守ろうと試みているのですが、それ以前に肝心の自分が元々の事実を知っていることで、どうしたって否定し切れないんですよねー。
結果的に、どれだけ頑張っても全然防衛出来ていないので、元の事実によって自分が脅かされていると焦り、怒っている状態です。

宇宙からのギフトは常に送られて来ていますが、それをこのような防衛的な考えで頭を一杯にすることによって、幸福を弾き飛ばしているかも知れません。
常時こういう思考を使っているとなると、「うがー!」と喚いて受け取らない訳ですから、その分【自分で引き寄せ】を頑張らなきゃいけなくなるし、凄く頑張って頑張って噛り付いて『自分で願望を現実化』しなければならなくなります。


それをやっている時というのは、「どうせ私にはくれないんでしょ!」「一人で頑張らなきゃいけないんでしょ!」「何とかして隠さなきゃ」という怒りや怖れの思考を使っている為に、例え形が上手い具合に変わったとしても全く喜べないんです。
なので、防衛に端を発した形の変化は『時間の無駄』ということになってしまいます。
「形は変わったけど、私は幸せじゃない」からです。

私達は幸せ(納得とも言います)を体験するまでは、多分どんな体験をしても満足しないように出来ています。
何故なら、幸せ(愛)が本体だからですね。自分が本体に即した状態に戻らない限りは、どうしても居心地の悪さを感じるのです。

因みに、願望実現を否定しているのではありませんよ、あしからず。
不幸な思考を元に、それを誤魔化す目的で願望実現をすると、必ず不幸に行き着きます。
そうではなく、忘れているだけで元々実は持っている喜びを思い出す為に、幸福を望むと良いということですね。




じゃ、幸せに戻ろうじゃないかー。
ということであれば、それを阻害する考えを手放すことがとても大切なのです。
それに先立ち、事実を事実として受け止めることです。
この段階で「あ、そうなのか」と納得して、問題が雲散霧消することも多々あります。

体験を素直に受け止めることで、問題解消までの時間が大幅に節約出来ます。
「でも」「だって」「私が!」と言わない。
とにかく黙って受け止める。あーだこーだ言わない。
いつものように何かコメントしたくなるのをぐぐっと堪えて「そうなのかー」と頷くことですね。


素直さは人生の宝です。
幸福へのプロセスを、速めてくれます。
小難しい理屈であれこれ言わず、事実を素直に受け止める、素直に心に目を向けるという姿勢で毎日を過ごして参りましょう♪




先日、メーカーさんから新たに長~いグラスビーズが出ました(金色の細長いパーツ)。
シャープな輝きは、ゴールドでも涼しげなビジュアルになりますね~。
色々な使い方が出来るんだろうなと思いますが、今回はこのような形でネックレスのジョイントパーツとして使用しました。




accessory



accessory




上品だけどカッコイイ。
そういう感じに仕上がったと思います♪





PCの設定をあれこれ弄っていたら暫く苦労してしまい、全くblogが手つかずに…。
気付けば二週間程空いてしまいました。

「あいつ大丈夫か?」

と、(一部の人に)思われていたりもするんだろうなーとも考えておりましたが、何せパソコン様が~~(笑)。
お蔭様で復活です。良かった良かった。


そんなこんなでGWも過ぎまして、そろそろ梅雨が近付いて参りました。
暦の上では初夏に入りましたが、夏日があったりして、半袖+サンダルの日もちらほらです。うぇーんあついよー(笑)。

明日はワークショップ開催日でございます。
御参加下さる皆様、どうぞお気を付けてお越し下さいませ。




明日、詳しく学んで頂きますが、私達が何故不幸や不満を体験するかと言うと、『間違った考え』を使うからです。
此処で言う『考え』とは、顕在的な思考も、また潜在的な思考も含みます。

『奇跡のコース』では徹底して「愛の対極は怖れである」ということを説いています。
自分の心をよくよくじっくり見て行くと、殆どの思考(言動)が何らかの"怖れ"から発しているなと気付きます。
私達はその怖れを持つが故に身を守る必要性を感じ、様々な言動を行う訳ですね。
こういった防御の為の行動を、フロイト派の精神分析では『防衛機制』と呼びます。


キレて他人に攻撃の矛先を向けることも、防衛機制の一環です。
誰かが、何かが悪いのだと思うことも、そうです。
自分はこんなに凄いのだとアピールすること、自慢することもそうです。
自分の中に引き籠もることも、目立ちたい! と躍起になることも、とにかく動いていないと居られないとか、ついつい思ってもいないのに良い顔をしてしまうとか、嘘を吐いてしまうといったことも、忘れたフリをすることもそうです。
一時的な身体異常を起こすことで防衛するケースもあります。
また、意外に思われる方がいらっしゃるかも知れませんが、「○○になりたい!」という一見ポジティブな夢であっても、実は防衛の可能性があります。
逆に、不幸で居ることで防衛しているケースも多々あります。

このように、我々は常に様々な形で防衛していますが、それだけを続けていることは出来ません。
何故なら、私達の元々の心が「幸せ」を常時指向しているからです。
私達の本質が幸せ(愛)である為、常にそこへ戻ろうとする力動が働いているのです。
その力動を私達は『宇宙(神)の導き』と呼んだりもします。
確かに、外部から導かれているように見えることもよくありますが、実際は私達の奥深い所にある根源的な衝動の現れなのです。


だからといって、「ほっとけば勝手に良くなる」ということではありません。
私達が態々不幸を目指す思考を使っていることもまた、事実だからです。
幸福に戻ろうとするのに、それを阻害する。
この相反する状態が混在しているのが、我々の人生という訳ですね。

"自分が"不幸を思考しているのに、それを誤魔化すようなアファメーションをしても、結果は変わりません。
一時的に形が変化する可能性はありますが、それだけです。心はずっと不幸なのです。
では、どうしよう。
そう思ったなら、「"自分が"どうしてその不幸な思考を持っているのか」を見てみることです。


方法は幾らでもあります。
目的に沿って、手段は与えられますから、まずは意図を持つことです。
幸福に導かれる方へ意識を向けるか、不幸にしがみ付くか。
そのどちらも、いつでも自分が選べるのです。


プロフィール

Sachi

blog owner:Sachi
潜在意識を活用した、ちょびっとスピリチュアルな総合セラピー、癒しのワークショップ・タロットカードセッションをしているSachiです。
穏やかに楽しく成長出来るよう、入手した情報や、日々の気づき&
発見などをシェアして気ままに更新。
イベント情報も随時掲載中です♪

※記事の内容、情報については一個人の捉え方、考え方に纏わるものが大半です。
絶対的な事実という訳ではありません。
また、私の理解や気付きの段階に応じ、記事の内容にも随時変化がありますことを何卒ご理解下さい。
過去の記事をご覧になってセッションやワークショップにご興味を持たれた方は、最新記事近辺を幾つかご確認下さいませ。


旧blogタイトルは『気づきのステップ』。


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