resonance

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Date : 2017年04月

◆ Infomation

【works】
★ヒーリングセラピー個人セッション
 都内で対面式の個人セッションを行っています。
 幸せと癒し、学びと気付きを得たい方へ、様々に対応させて頂きます。
 潜在意識を日常へと活用することで、より良い人生へ変えることが可能です。
 随時お受けしておりますので、サイトをご覧下さいませ。

★癒しのワークショップ
 毎月一度、都内で女性向けの体験型ワークショップを開催中です。
 沢山の変化・癒し・浄化・成長・気づきを促すテクニックが山盛りです。
 2017年11月5日・12月17日(全て日曜)
 の開催が現在確定しております。11月は11時~15時、12月は11時~19時です。
 ※11月と12月では開催時間、料金が異なります。
 ※以降の開催は決定次第upして参ります。
 ※それぞれ内容の詳細はサイトをご参照下さい。

はー、もう5月目前ですわー!!(笑)
あと少ししたら今年も半年終了。早い早い。そしてもーすぐ夏が…あわわ。←暑いの苦手





「良く思われたい」
「褒められたい」

という言い回しがあります。
ご相談頂く方からも、また知人達からも割と聞く機会が多い台詞です。
このニーズがある場合、何故それが自分の中にあるのか、元を手繰って行かれると良いでしょう。



良く思われたい。褒められたい。
これは未来形の言葉です。「なりたい」とはつまり、「今はまだそうではない」という言い方。
今はまだ良くは思われていない、ってことです。


とすると、「現時点で自分はこう思われている(筈だ)」という前提があるって話ですよね。

ですからここで、

「私は現在、周りの人からこう思われている、と考えている」

内容(思考)を炙り出すと良いでしょう。
「なりたい」以前に、「今はこうです」が分からないとねー、です。
「今はこうなのですが、今後はこうなりたいです」という風に、明確に出来ると自分でも目指す先がはっきりします。




現状使っている思考をはっきりさせたら、次は「何が理由でそのような考えを持っているのだろう」という箇所に意識を向けましょう。
それなりに出所がある筈です。

誰かに言われたことがある、というのが結構多いかも知れません。
何かの体験をした際に、その体験を元に自分で解釈した、定義付けた、ということもあるでしょう。
何にせよ、使っている以上は必ず出所があります。

そこまで行ったら次は、「それは真実だろうか」と問いましょう。
自分は生まれた時から、或いは生まれる前からそのような人であるのか、過去はそうであったにせよ、この先もずっとそうなのか、それは動かし難い真実であるのか、です。
「自分はこのような人です」と思っている時、そのような言動をしっかり取ってしまっているでしょう。
我々は思考している言語に従って言動を行うからです。




「良く思われたい」というニーズを持っている時点で、「私はそうではなく、○○だ」と自分で言っていることになります。
しかし何らかの理由で「それは嫌だ、認めたくない」と考えている。
その部分を補填または誤魔化す為に、「良く思われれば不完全な自分は、元からそうじゃなかったことになるのではないか」と考えるんですね。

『"良く"思われる』のが目的だとしたら、ポジティブなものを目標にしている訳ですから、そこを見据えた時点でポジティブな気持ちを体験していることになります。
でも、「よく思われたい」と言う時、心の目が『私は○○だ』というネガティブな何かを隠したくて言っているのであれば、気持ちがネガティブです。
焦る、逃げたい、嫌だ、怒りを感じる等々、大体宜しくない気持ちを体験していることになります。
自分はそのどちらであるか、特定し直すことも大切です。


偶々今回はこの言い回しを取り上げていますが、自分のことを不完全で曖昧で欠損だらけの後ろめたい存在だ、と思っているのは普通っちゃー普通のことです。
誰でも意識の奥深くにはこのような思考が根深く存在しており、ここから逃げたい、これを無かったことにしたい、という欲求が「褒められたい」とか「良く思われたい」、「ああなりたい」「こうなりたい」「あれが欲しい」といった数々のニーズに繋がっていることが大半です。
喜びを求めているのではなく、苦痛や現実を否定したいのだということになります。

私達は体験したことそのもの、目撃したことそのものに対し、自分を繋げて解釈する癖を持っています。
物凄いスピードで現象と解釈をくっつけるので、まるで現象そのものに意味があるように錯覚しています。
自分が意味付けをし、解釈をすることで、心が揺れる。
注意深く自分の思考を観察していると、一日の内の多くはネガティブな揺れ方をしていることに気付くでしょう。
この宜しくない感じで動揺している自分の心を、私達はどうにかしたい訳です。
咄嗟に誤魔化そうとしたり、逃避しようとしたり、忙しく頭の中を回転させます。



褒めてくれないと、どうしようと思う。
…褒めて貰えない自分は、劣っているのではないか。

自分に同意してくれないと、怒りを感じる。
…同意されない自分は、間違っているのではないか。


そんな風に、いちいち外部のあれこれに対して反応しています。
反応する理由は、心の中で自分が自分をそのように(↑の例のような内容を)考えているからです。
だから形から入ったり、外側を固めて、『それを見えなくして、心を安定させたい』ということですね。



でも、残念ながらなりません。安定しません。幸せではありません。
仮に形を作ることが出来たにしても、心を誤魔化す為という理由では、外側から心にまで影響を及ぼすことは非常に難しいのです。

一瞬ホッとするかも知れない。一瞬嬉しい気がするかも知れない。本当に、一瞬だけ。
何故なら、自分の心が『見たくない・認めたくない所』をガン見し続けているからです。
また戻って来て(実際はそこから動いていないのですが)イヤーな気持ちになって、直ぐ目を逸らそうと外側へ…。
イタチごっこのような繰り返しです。これには終わりが存在しません。



もし繰り返しに疲れて「そろそろこれから手を引きたいなー」と思うのであれば、まず歩みを止めます。
それから、「どうして私は褒められたい、良く思われたいという考えを持っているのだろう。目的は何だろう」と、自分に問い掛ける必要があります。

どんなルートを辿っても、
「私自身が自分をこういう人だと思っていて、それを隠したい・無かったことにしたいからだ…」
と、自分が自分に対して持っている考えに行き着くでしょう。
誰かにそう言われたから、というのがスタートだとしても、それをそのまま採用したのは自分です。



誰かに何かを言われなくても、形を無理矢理変えようと頑張らなくても、自分だけが自分の考えに気付き、手放すことが出来ます。
一つずつ認めて、手放して、楽になって行かれますように。






気付けばGW目前ですね。
行楽のご予定がある方、お仕事やお勉強等でお忙しい方も、良い毎日でありますように。



最近は、小我のアレコレを大我に明け渡すことを練習しています。
していますっていうか、もうず~っと毎日がそれです(笑)。
これがすんなり出来たら本当に楽ちんなんだろうなー。と、つくづく思います。





さて、今後三か月間のワークショップスケジュールを御知らせ致します。



★5月
5月14日(日曜) 11:00~15:00
テーマ:『不要なものを手放す』

人生を変容させるにあたり、自分が抱え込んでいる不要なものを手放す作業は必須になります。
幸福な人生にシフトしたいなら、自分がしがみ付いているものを手放し、『受け取る為のスペース』を作らなければなりません。
スペースが出来ることで、沢山の予想もしなかった素晴らしいプレゼントがやって来ます。



★6月
6月18日(日曜) 11:00~19:00
テーマ:『ギフトを招き入れる』

皆さんが元々受け取る予定なのに、やって来ていないギフトはまだまだ沢山あります。
自分の所へやって来ることが決まっているギフトを、喜んで招き入れましょう!
どんなギフトを宇宙から授けられるか、お楽しみワークを沢山ご用意しております♪



★7月
7月16日(日曜) 11:00~15:00
テーマ:『別の可能性を受け取る』

日頃の私達は、「これが正しい」と思い込んだ選択をしています。
でも、本当はもっともっと幸せを受け取れるのです。
その為には、現在使っている選択肢以外の何かを垣間見る必要があります。
内なる自己、宇宙が提示する『更なる幸せの為の別の可能性』を教えて貰うワークを楽しみながら行いましょう♪


※6月開催のみ、時間等の詳細が異なります。
※詳細はサイトをご確認下さいませ。




毎度blogへ訪れて下さる皆様には、深く感謝致しております。
インターネットの世界は『ワールドワイドウェブ』ですからね、本当に色々な方がご覧下さっているのだなとしみじみです(笑)。




長い間、色々な方のご相談を伺って参りましたし、みんな結局は何が嫌かと言えば

『自分を○○だと思いたくない』

に集約されているなと気付きました。



例えば、他人様に陰口を叩かれた。
それが凄く嫌だ。

という問題を抱えているとすると、事実である『他人様が自分の陰口を言った』という事実・現象そのものが嫌な様に知覚してしまいがちですが、実際はそれに対して自分がどういう解釈をしたかというものから「嫌だー」が発生しているんですねー。

同様に『両親の仲が悪かった』のが嫌だったとか、『子供の頃に両親が離婚した』から自分は不幸だ、と思っている間というのは、事実と解釈を混同していることになります。
だって本当は関係ありませんから。


仮に「外側で何かが起きたことによって、自分はネガティブな想いを抱いているのだ」と思っているとしても、実際は何がどうして嫌だったかを突き詰めて行けば、最後は全て自分に行き当たります。
それと関連して、様々な問題が解決しない理由は、『自分が事実・現実を認めない』というこの点に尽きます。



自分の思考をよくよく見直す訓練をして行くと、ごっちゃになっていたものが段々とパーツ毎に分けて見られるようになって行きます。

事実・現実と自分の解釈は別。
自分が行った解釈を事実・現実と取り違えている、または混同していることで、意味不明な状態に陥っている。
事実そのものはどれ? 何故、嫌な思いをしていることになっている?


と、自己の思考を見詰める訓練を続けることで、はっきりと見るべき場所を見られるように、自分の視点が絞られて行きます。



事実・現実を色付けせずに抜き出す作業というのは、化石の発掘とか、土に埋まった何かを掘り出す作業に似ています。
周りにはべったりと土や石ころやその他諸々がくっ付いていて、恰も一体化した大きな塊のように錯覚しています。
この現物以外のくっ付いているゴミが、私達の顕在意識が「そんな筈は無い」とか「ああなんじゃないか、こうなんじゃないか」「あの人がそんなことをした理由は、きっとああでこうで…」と行っている解釈やこじつけや改竄捏造その他あれこれです。
この周りのあれこれも混ざった状態でズボッと持ち上げ、全部一緒くたにして「これが私の体験した事実だ!」と言い続けていたりします。

この時くっ付けている不要な塊の量が多い程、本当に見るべきものが見えていないことになります。
でも、事実は形を変えたりしませんから、よくよく見て注意深く土や石ころを捨てながら掘り出せば、その時のまんまの形で取り出すことが可能です。



さて、上記の例に出しましたように「誰かに陰口を言われて嫌だ」という体験をした時、一般的には如何にも自分は被害者で、陰口を叩いた人が悪人かのように解釈しますよね。
確かに陰口を叩くという行為自体は褒められたものではないし、宜しくはないことでしょう。
でも、これによって他者を詰り続けた所で、別に解決はしません。
全然しない。全くしない。

こういった体験をした時、物凄く嫌な思いをしてぐるぐるに…という人はよくいらっしゃることと思います。
では、「自分は何故、具体的には何が嫌なのか」に注目されたら良いでしょう。
誰にとっても「言われたこと(=体験した・目撃した事実)そのものが嫌だ」ということは有り得ません。
事実・現実というものには良い悪いのカラーが無いからです。ゼロ。無味無臭。
しかしここに、自分がどのような解釈を挟んだかによって、カラーや良し悪しが付加されることになります。



一例ではありますが、「やだなー」という体験をする時、我々はほぼ無意識的にこのような思考プロセスを辿ります。


スタート「自分の陰口を言われた」

⇒「自分は陰口を言われるような人なのだ」

⇒「それが認められない。自分がそんな人であると思いたくない」

⇒「みんなに好かれる人だと思っていたい。自分に非が無いと思っていたい」

⇒「でも、ああいうことがあったから、どうにかしなきゃ…」

⇒「もっと良い人だっていうのを見せたら、そう思われなくなる? もっと凄いって思われればいいかな?」

⇒「あ、嫌なら遣り取りしなきゃいいんじゃないかな。関わらなきゃ、他人から嫌なことを言われたりしないだろうし…」



以下、その他延々続く(あくまで一例です)。
こんな感じで、日常的に私達の頭の中ではドミノ倒しのように思考が展開しています。


この二番目の段階で「そうか」と完了出来る人も居ます。
事実をありのままに認められる思考形態を持つ人は、体験したことについていちいち文句を挟みません。

自分で自分を検証し直して

1⇒「本当に自分にはそういう所があるので、言われたんだな。確かになー」

と納得するか、或いは

2⇒「全く身に覚えが無いし、だから別段嫌な思いもしていないので、ほっとく」

というように、執着せずに居られるのがこのタイプです。

1の場合、「じゃ、次回からこのように改善しておこう」へ動くか、「ま、別にいいです。自分はこれでOKなんで。だから他人様がどう思っていらっしゃっても結構です」のどちらかが次の選択肢。
2の場合、これで終わりです。
どちらも、自分の心が平和で安定している状態ですね。




自分は100%好かれる筈だとか、良い所のみの筈だと思っていたい(妄想自己評価が高い)人は、現実に対し嫌な思いをすることが多いことでしょう。
良いこと100%でウハウハだーなんて有り得ない話ですから、下手に色々期待しているせいで「毎日ガッカリ体験ばかりだー」と思うんじゃないでしょうか。

自分が体験した現実について、嫌だ、辛い、苦しいと言い続ける時、事実を――――自分に纏わる現実を――――認めまいと格闘している状態です。
陰口を言われた、嫌だ、だからどうにかして無かったことに出来ないか…そんな風に考えている間は、やっぱりすごーく嫌な思いをし続けるんじゃないでしょうか。


ここで他人の思考を操作することを選ぶ人は、色々なアピールやマウンティングに精を出し始めます。
「こうしておけば完全無欠だって思われるでしょ? 私に駄目な所なんて無いよね?」って感じで、所謂『他人軸』はこうして完成するんですね。
逆に、「自分が駄目な奴だからだ…ごめんなさい…」という受け取り方をする人は、自己評価をずーんと下げます。
自己評価を下げ過ぎると、現象として体験する出来事がリアルに不幸な方向へ傾きがちです。
どんな解釈をしようが、一旦目的・体験してしまったものを、無かったことにすることは不可能です。



自分に対する期待値(自己評価)が高いと、日常的に腹が立ったり嫌な思いをする回数は増えます。
自分に対する期待値の高さイコール、周囲や他者や現実に対する要求の高さです。
で、この要求のが叶えられないことで、「傷付いた」「私は被害者だ」と言いたくなるような体験が目白押しになってしまいます。

嫌な体験をしたと思う時、その裏には「自分を○○だと思いたくない」という思考が隠れています。
そこまで突き止められたら、じっと静かに自分の思考を観察し続けていられたら、いずれ納得する時が来ます。
「どう思いたいと言おうが、自分をこう思いたくないと頑張ろうが、嫌だとか苦しいとか言おうが、事実体験しちゃったからな。これが現実かー」
ですね。

可能であれば、「あー、私は自分のことをこんな風に思っていたかったんだな。でも、事実は違ったんだなあ」という風に自分を受け止められる所へ到着すると、納得して終わるんじゃないかと思います。
「私はこういう人なのか。そうか」「事実はこれでした」でゴールです。
これには良いも悪いも無く、そのまんま。
他人がどう言おうが、思われようが、自分で自分/事実を概ね理解しているので、特に動じることも無いと。



毎日体験・目撃する様々な出来事と、それに対する解釈を見直して、事実&自分を取り違えていないか、引き摺ったまま勘違いに突っ走っていないか、チェックすると良いでしょう。
過去の嫌な出来事も、自分の中で事実として認識が完了すれば、それで終わります。
嫌な思いを反芻する必要が無くなるんです。

自分が抱えている思いを誤魔化したり、逃げようとしたり、抑え込んで無かったことにしようとする必要が無くなる。
それだけでも、すごーくラクなんじゃないでしょうか。
無駄なエネルギーを浪費していた部分が、手放せるんですから。




桜も少しずつ散って来て、入れ替わりに日中の気温が段々と上がって参りました。
4月も半ば、5月がもうすぐそこまで来ていますねー。


去る4月9日は、4月度のワークショップ開催日でした。
ご参加下さいました方々には御礼申し上げます。


リピーターさんのご様子を拝見していると、例えば今回メインのワークであった『コラージュ』にしても、写真や画像のチョイスが変わってシンプルになって来たり、「こういう風に選ぶものだと思い込んでいた」ものを選ばなくなり、"自分"とシンクロ率の高い画像を選ぶ方向にシフトしたりと、様々な変化が見られます

顕在意識の更に上辺の部分だけを強化して、自己像を取り違えて生きている(=元々の自分を否認している)と、『他人から凄いと思われたい』『他人よりも優れていると思わせたい』といった、他人軸で物事を測るようになってしまいがちです。
ですから、こういった『"自分"の幸せ』にフォーカスするようなワークの際にも、「もっと欲しい!」「もっともっと上に昇り詰めたい!」「他人がこう言うから、そうしておこう」といった基準で言動を行ってしまいます。
そうすると、折角自分自身の内側にある心の幸せを無視することになり、結果的に「なんか納得いかない」「一応、引き寄せは出来るけど…」といった、不満の残る結果を体験しやすくなります。


世の中ではこういうものが良いと言われている、幸せだということになっている、という様々な物事があります。
大金持ち、有名人、ハイソな生活、とにかく憧れられる立場、その他諸々…ですが、本人そのものにとってマッチするかどうかは別です。
それらが魂、その人の本質に沿うものであれば、納得行くでしょう。
でも、本人とは反りが合わないものだったり、その人の本質からしたら全く興味の無いものである場合、仮にそれを手に出来たとしても、心が平和や感謝を体験することは難しいものです。

「本当に有難いなあ」「生まれて来て、生きていて幸せだなー」
というような、心が深く感じる喜びというのは、本人が持って生まれた本質に関係があります。
他人がどうの、世の中がどうの、自分が! 自分が! という観点で物事を見ている間は、全くそこに触れることが出来ません。
自分自身の思考を検証しないでいると、「え? 私個人が想ってますよ?」という願望でさえ、実は受け売りや逃避・誤魔化し由来である可能性は高いと言えます。


天職や天命がある、というお話は多く耳にしますが、
「自分ってなんだろう。私は本来、どういう風に幸せや平和や感謝を体験する人なんだろう」
という、真摯な疑問を自分に向けない限り、魂が持って来た予定を遂行することは難しくなります。

メンタルブロックやトラウマが無いにも関わらず、自分を勘違いし過ぎていることによって、元の予定から遠く離れた人生を歩んでいる人は沢山いらっしゃいます(自分を勘違いして人生を終えると、次回も同じことをやります。気付いて修正するまでは延々繰り返すものです)。
心が喜ぶ生活、自分がその都度納得する毎日を心がけているなら、普通に生活していても当たり前に予定通りの人生を歩みます。



私個人としましては、その日一日を納得して完了出来る、そういった毎日の積み重ねである人生に少しでも近付いて行きたいなあと思って暮らしています。
普段いちいち考えていないとはいえ、明日は来ないかも知れないし、いつ寿命が尽きるとも知れません。
とにかく今日一日、何があっても無くても、心の平和を出来る限りキープしていたいものです。

過去に囚われて未練や後悔に塗れていると、また「ああなりたいのに、なれない!」「誰々が、何々がどうのこうの」といった不満で一杯だとすると、当然ですが心はグラグラです。幸せって何? って感じですよね。
そういう時、我々は形や周囲を無理矢理変えることで、幸せというものを強制的に作り出そうと試みます。
誰かが自分の思う通りの言動を取ってくれたら、良くなる。
何かが手に入れば、環境が変われば、幸せになる。
そんな風に考えてしまうんです。


要するに、自分の心がグラグラ・ふらふらしているのが嫌だから、形を変えてそこから逃げたくなっちゃう訳ですな。
だから引き寄せに拘ったり、願望実現を頑張ったりするんですね。
形さえ変われば、心がラクになるんじゃないか? という風に考えている。

しかし、形や周りをどうにかしても、それとは別に心の状態によって幸福かどうかが決まりますから、自分の心を忘れずにおきたいということです。
目にする出来事のあれこれや、それに対する感情の上下に振り回されずに、平和な心・安定した精神状態に出来る限りフォーカスして、その日を終えたいなと私は思っています。




※ワークショップ情報はこちら、ヒーリングセラピー個人セッションについてはこちらをご覧下さいませ。



近所は桜が満開です。
例年、満開とほぼ同時に訪れる強風・雨…(笑)。
散り桜も綺麗でいいですねー。





『引き寄せ』や『願望実現』には飛び付くし、パワースポットは大好き。
周りがどんどん良くなって、何でも思い通りになるなら遠くでも出掛けます!
心を見るのもやります。
『親が自分の要求に応えてくれなかったから傷付いた』というような、「ああして欲しい、こうして欲しい、なのにくれない」というニーズから来る傷を癒すのも大好きです。
過去世退行も沢山して、書き換えました!

…でも、一様に大概の人が嫌がることと言えば、『これまで繰り返して来た自分の言動をシビアに見直す』ことです。
一般的に、人間は誰かにこうされた、言われた、してくれない、というような、『誰かのせい』に出来ることは大好きなのですが、自分がどのような言葉を使い、どんな表情を向けて、どんな行動を取って来たかについては、殆ど意識が無いというのがありがちな話です。



「ああして欲しかったんです…でもして貰えなくて、悲しかった」
とわんわん泣いて、それで気が済むならそれで良いのです。
が、抑々どうしてそうして欲しいと思うのか、それは何の為かという部分に目を向けられると、思考パターンの解明に繋がるので尚良いのではないかと思います。

上記の例で行くと、『相手が自分の要求を呑むべきで、それは当然のこと』という前提を使っていることになります。
『他者は自分が欲しいものを寄越すべき、思い通りの言動を取るべき』という目で、他人を見ています。
また、世界は自分の思い通りになる筈だと思い込んでいる幅が広い程、それに比例してガッカリ体験は増えます。
この要求⇒ガッカリ(殆どの人が怒りを抱きます)という体験を、「心が傷付いた」という風に一括りにして、「じゃあ癒されたら思い通りになるのだ」⇒「やっぱり自分が思う通りに他人は動くべきだ」と誤変換を起こしているケースを多々見て参りました。



不満が強い時は、大概視点が外に出たままで戻って来ないので、その間の自分がどのような言葉を使ってどんな印象を他人に与えているか、気付かないでしょう。
更に言えば、どんな思考で頭を一杯にしているか、全く分からないのだと思います。
不満が多いのは傷付いているからだと言うのであれば、それは強ち間違いでもありません。
何が傷付いているのかと言うと、高すぎるプライドが、です。自己像が高過ぎるんですよね。

「なんでならないの!?」という内容を見直されると良いでしょう。
一般的にそれがハイソな内容だとしたら、自己像をそこに見積もっていることになります。
大金持ち、大スター、超の付く玉の輿、等々。
実現の可否について言えば、実際の自分は"元々、本質的に"そういう人であるかどうかと深い関係があります。

また、「周りが自分の思い通りに~」「何でもやってくれて~」といったことだとしたら、自分に対する見積もりを根本的に見誤っています。
「自分の言動を全て『いいよー』とOKを出してくれなきゃ嫌だ」についても同様です。


スピリチュアルの本には、『願えば何でも叶う』的な内容が書いてあることも多いのですが、私は荒唐無稽な内容については現実化以前の話であって、まず有り得ないと思っています。
使っている自己像が、抑々自分では無い架空の存在であれば、そこから派生した願望も架空の存在です。

元々の自分がどのような人であるか、現実を認める。
その為には、自身が何も考えずに繰り返している言動を見直す。
「こんなことばかり言ってたんだ…」「こんな風に自分で態々やってたんだ」
ということがゴロゴロ出て来ます。


その内、自分の思考について目を向けるようになります。
問題は自分の思考の方にこそあったのだと気付いて行くと、自分の心を糺すことになります。
周りが思い通りにならない! 願望が達成されない! と腹を立てるよりも、そういうことをずっと言っている自分の思考・言動を見直す方が着実に結果が出ます。

「私は一体、何を理由/目的にこれを欲しているのだろう。どうしてそうなるべきだと思っているのだろう。本気でそれが有り得ると思っているのだろうか」
こんな感じのことから見直し始め、日頃他人様に向かって行っている自分の言動をじっと観察し続けます。
実際にどんな言葉を使い、どんな態度を取っているか、自分を客観的に観察するのは訓練が必要ですが、続ければ徐々に身に着いて行きます。
こういう時、「自分はこういう風に振る舞っている…筈だ」という先入観は捨てられたら宜しいですね。


インスタントな願望実現も楽しいでしょうが、回り道に見えても、結果的には幸せ・平和を体験しやすくなるのは多分こっちです。
心が平和であること、感謝を感じる体験が人生で増えて行くことに価値を感じるなら、自分の言動を毎日見直すことがお勧めです。



プロフィール

Sachi

blog owner:Sachi
潜在意識を活用した、ちょびっとスピリチュアルな総合セラピー、癒しのワークショップ・タロットカードセッションをしているSachiです。
穏やかに楽しく成長出来るよう、入手した情報や、日々の気づき&
発見などをシェアして気ままに更新。
イベント情報も随時掲載中です♪

※記事の内容、情報については一個人の捉え方、考え方に纏わるものが大半です。
絶対的な事実という訳ではありません。
また、私の理解や気付きの段階に応じ、記事の内容にも随時変化がありますことを何卒ご理解下さい。
過去の記事をご覧になってセッションやワークショップにご興味を持たれた方は、最新記事近辺を幾つかご確認下さいませ。


旧blogタイトルは『気づきのステップ』。


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