resonance

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Date : 2016年11月

◆ Infomation

【works】
★ヒーリングセラピー個人セッション
 都内で対面式の個人セッションを行っています。
 幸せと癒し、学びと気付きを得たい方へ、様々に対応させて頂きます。
 潜在意識を日常へと活用することで、より良い人生へ変えることが可能です。
 随時お受けしておりますので、サイトをご覧下さいませ。

★癒しのワークショップ
 毎月一度、都内で女性向けの体験型ワークショップを開催中です。
 沢山の変化・癒し・浄化・成長・気づきを促すテクニックが山盛りです。
 2017年8月13日・9月3日・10月8日(全て日曜)
 の開催が現在確定しております。全て11時~15時です。
 ※以降の開催は決定次第upして参ります。
 ※それぞれ内容の詳細はサイトをご参照下さい。

先日は雪が降って底冷えぶるぶるでした…いやはや驚きです。
とはいえ、もう11月も終わりですね。
本格的に温かい食べ物が美味しい季節です。いいですねえ。



先日、身内と話していた時に『捉え方(解釈)の癖』の話になりました。



「つい、こう思っちゃう」のを、無理矢理「いやいや違った」と否定するのは不可能です。
「そうじゃなくて、ああいう風に思わなきゃ」と捻じ曲げるのも、まず無理でしょう。

そうではなく、最初の段階として「何故、私はこのように捉えるのだろう」と自分に問い掛けたいものです。
万人が同じ体験をしても、万人が全く同じ解釈をする訳ではないのですから。
そのように捉える理由が、自分の中にある。


『自分が不快なのは、周りや相手がこうだから』というように考えがちですが、それは全く見当外れな話です。
もし向こう側に原因があって、自分がそのように捉えたのなら、ではどうして別の誰かとの遣り取りでも同じリアクションをするのですか?
どうして別の背景・舞台でも同じ思考を抱くのでしょう。

常に外側に責任を押し付ける癖が付いていると、「あいつもこいつも私を酷い目に遭わせる。周りは敵」と考えることになります。
しかしこれについて正しく表現するならば、「私自身が、悪意を以て誰も彼もを悪者に仕立て上げている」なのです。
ただちょっとプライドが傷ついたとか、思い通りの言動を取ってくれないという、極めて自己中心的な理由で。
また、自分の取り方の癖に気付かず、内面にある恐れを相手に押し付ける為に。


一旦向こう側に責任があると踏むと、相手が自分に優しくするべきだとか、相手が自分カスタムに変化すべきだ等という思考を持ち始めます。
無理矢理そうする為に、事象と取っ組み合い続け、現象を捻じ曲げるべく格闘を続けます。
どうしてそうならないのだと怒り狂い、益々自分は被害者だと声高に訴え、相手を攻撃します。
まるで自分は世界で一番正しいと、病的に盲信しているかのようです。

では仮に、相手が自分の思い通りになったら、本当に満足するのでしょうか。
いいえ、そんな日は決してやって来ません。
僅かな一瞬にも満たないタイミングで、満足らしき何かは去って行きます。
その正体は満足ではなかったのです。

外側だけを力技で歪めたとて、安心も平和も喜びも体験しないでしょう。
抑々、自分自身が心の何処かで「そんなことは有り得ない」と知っています。
だからこそそれほどまでに焦り、意識を外側にのみ向け、自分を見ないように必死に逃げ回っているのです。



自分が現象を見ている。自分が体験している。自分がそれらの出来事を解釈している。
だから、自分が考えていることや感じていることの原因は、自分の中にあります。
相手がどうだから…ではなく、自分が現象をどう捉える型を持っているかなのです。

自分が出来事をどう解釈するかというのは、自分が自分をどう解釈しているかに繋がります。
遭遇する現象や、自分が使う解釈から、自分が自分をどう捉えているか割り出すことが可能です。
外側に散らしている視点を自分の中に戻し、正しく見直せるように自分の意識を仕切り直しましょう。
自分の内面、自分に関する事実を正しく見ようとする勇気を持ちましょう。
その向こう側に、自分の幸せが待っています。




月イチ開催、魂の喜びに向かって歩みを進められるワークショップのスケジュールはコチラです♪
12月は18日(日曜日)開催ですよ~。半年に一度の長時間ワークになります!
こういった体験を経て、幸せまでのプロセスを大幅に短縮することが可能です。
是非、このチャンスをフル活用して下さいね。



暑かったり(?)また急に冷えたりですねー。
明日は関東でも積雪の予報が…お出掛けの方は、安全にお外へお出ましくださいませ。



まず、今後3か月間のワークショップ予定です。


★2016年12月
日時:2016年12月18日(日曜)11時~19時(長時間開催に付き、途中でランチタイムを挟みます)
テーマ:『より素晴らしい一年の為に』
より素晴らしい2017年を迎える為、今年の総決算と、やり残しの消化をしましょう。
不要なエネルギーを手放し、新たな素晴らしい喜びを受け取れるよう、意識を整えて参ります。
意識の浄化を行い、宇宙から沢山のギフトを受け取れるようにワークを進めます♪


★2017年1月
日時:2017年1月22日(日曜)11時~15時
テーマ:『新年のヴィジョンを受け取りましょう』
これまでに体験したことの無いような、素晴らしい一年のスタートを切りましょう!
過去の不要な繰り返しを手放し、自分の中に新たなヴィジョンを招く学びを進めます。
宇宙はあなたにもっと幸福を体験して欲しがっています。
沢山の喜びを素直に受け取れる自分。その為のヴィジョンを受け取りましょう♪


★2017年2月
日時:2017年2月5日(日曜)11時~15時
テーマ:『現在選定中』


それぞれの詳細はこちらをご確認下さいませ♪



★★★



去る11月20日は、11月度のワークショップ開催日でした。
ご参加下さいました方々には、御礼申し上げます。

周囲の物理現象だけを変えようとする『引き寄せ(願望実現)』をして行く内に、「なんであれもこれも手に入ったのに、不満が消えないし減らないのだろう」と思われる方がいらっしゃいます。

何故かと言うと、自分が不満を感じているからです。
自己像の設定が正しい状態からずれているから、自分と外の世界との間にギャップを感じるんですね。


色々やって、引き寄せだけではどうにもならないと気付き始めると、自己の内側へ目を向けようとします。
ただ、それまで絶対に見ない・認めないよう頑張って来たものですから、どこかの時点で「もういいです」と、ドロップアウトすることが大半です。

此処で如何に、自分の抵抗に気付けるか。
嫌だと言っても自分とはずっと付き合って行くことになると、納得出来るか。
内部で起きる抵抗に騙されずにいられるか。
それによって、更なる幸せへの道が変わります。


幸せを受け取るに際し、間違った自己像を使っていると、怒り続けることになります。
恰も外側で発生する現象によって、自分が怒っているかのように感じるでしょう。

でも本当は違います。
自分が間違った考えを使っているから、元々怒りを抱えているのです。


「自分が間違ってるって思いたくない」と泣きながら言う人も居ますが、思っても思いたくなくても事実は変化することがありません。
否定し続けて、いつか「そうじゃなかった。自分は正しかった」と言える日が、本当に来ると考えられるのでしょうか。

事実をありのまま認めてしまえば、その後はラクになります。
必ず、いつかは認めなければならない日が来ます。
だったら、『いつ事実を事実と認めるかという選択の自由』しか、私達にはないのだと言えるでしょう。
「そんな筈は無い」と認めないで居る間に、事実自体が自分の望んだ姿に変化しているかと言うと、あり得ない話ですね。



事実は変わらぬ姿でそこに在り続けます。
私達が自分の幸せを阻害する考え方を改め、謙虚に頭を垂れたその時に、初めて姿を現すかのようにも見えます。

でも、それまでもずっとそうだったのです。
自分が気付くまで、目を向けて頷くその時まで、ただそこに在ったのです。
事実を事実と認め、それによって"自分らしい幸福を受け取れる自分"へ戻って行く為に。



事実に気付くまでの時間を限りなく短縮して、最短距離で幸福を受け取れる心になりますように♪




告知が遅れてしまいましたが、2017年1月のワークショップ日時が確定しましたー。
12月分と併せてお知らせしておきまーす。



★2016年12月
12月18日(日曜) 11:00~19:00




★2017年1月
1月22日(日曜) 11:00~15:00





です!

12月は長時間になります。
詳細が通常と異なりますので、ご注意くださいませ。
詳しくはこちらへどうぞ♪


2月分は追ってお知らせ致します。




明日は11月度のワークショップです。

一番重要なのはご本人の意欲ですが、こういったものに継続して参加することは心のトレーニングになります。
毎日、日常の中で自己ワークをなさる方もいらっしゃるでしょう。まさに筋トレです。

身体の筋トレが、最初は筋肉痛や節々が痛むような体験をすることが多いのと同じで、自分の思考パターンに気付いて行く初期段階は非常に苦しい場合が多々あります。
思考の無駄な贅肉を削ぎ落とすまでが痛い。苦しい。
逆に言うと、これを体験しないとすれば、見当違いなことをしている可能性が無きにしも非ず。

痛いよー苦しいよーという場面を感じないまま、特に日常でも生かさないまま、ただ何となく繰り返している…ということであるなら、元々目的が「暇潰し」なのだと思います。
または、自己を正当化するものに出会うまで、のらりくらりと逃げ回っているだけかも知れません。



もうとにかく嫌だ嫌だ、という状態を前にして出来ることは、踏ん張ること。
そこで引き返さないこと。黙って静かに耐え忍ぶこと。自分を観察することです。
「嫌だ」と思う時、まるで自分が正しく、対象が間違っているかのような錯覚を起こします。
自分が嫌な思いをしているという思考は、「だからあっちが間違っている」と言って引き返す言い訳になる…ような気がしますよね。

よくよく見つめることです。
静かにして、自分の心の中を観察します。
何をそんなに嫌がっているのか、何故逃げようとしているのか、理由が必ずあります。
まるで自分が悪いと責められているかのように感じているのでしょう。
勿論、自分が元々そう思っているのです。
ずっと思っていたけれども、自分でも無自覚な位に日頃隠し続けていたんです。
単にこのタイミングで下から浮いて来た、というだけの話です。

これも良い自己観察の材料になります。
思考の癖は、生き方の癖です。
自分の思考を良く見て、その考えについての要不要をはっきりさせる機会として活かすことが出来ます。


ご参加下さる皆様、お気を付けてお越しくださいませ。




accessory

奥はコバルトブルーが美しい、クォーツ&ロイヤルブルームーンストーン&淡水パールのピアス(K14GF)。
手前はほんのりチークカラーが可憐な、クィーンコンクシェルのピアス。



前回の続きです。



「あなたはありのままで価値がある人です」



その通りです。



「ありのままの自分を愛しなさい」



全く以てその通りです。



でも、自分は特別価値が高くて、他の人が低いという風に捉えているなら、また、「ならば周りが私に都合よく振る舞うべき」と考えているのなら、根本的に全く意味が違います。




「自分を愛しなさい」について、もし


「自分を特別視しなさい」
「自分の欠点や身の丈、過去の所業については認めなくて良い」
「(都合の)良いことだけを考えなさい」
「周りがちやほやしてくれる」
「周りが勝手に良くなる筈」
「私はただ甘やかされて褒められるだけで良い」


という風に捉えているなら、自分が取りたいように捻じ曲げているだけの、ご都合解釈です。
この解釈を使っている時、幼児的全能感・万能感で一杯なのだと思います。

よくよく自分の心を観察してみれば、何かから逃げているような気がしているでしょう。
『素の自分』『これまでの自分の所業とその結果・影響』を見ずに目を背けているからです。
もしこのように思うのであれば、何故そのように解釈するのか、見直してみるのがオススメです。




正しく「自分を愛しなさい」を解釈するならば、

「周りの人と真っ当に"あなたが"仲良くしなさい」
「"あなたが"目の前のお仕事に誠実に取り組みなさい」
「"あなたが"社会・世間と調和しなさい」
「"あなたは"食べられること、寝る場所があること、周りに人が居て下さることについて、感謝を感じられる状態が正しいのですよ」


であり、

「"あなたは"特別な存在ではなく、単に他の人同様、特徴として様々な部分を持っているのだと謙虚に受け止めなさい」
「その為に、"あなたは"自分の得手不得手を正確に理解しなさい、事実を事実として受け止めなさい」
「"あなた"の中にある欠点や問題点は、"あなたが"どうにかする意思を持たねばどうにもなりません」
「"あなた"の信じること・体験することを、何かのせいにしてはいけません」
「あなたの人生については、"あなたに"責任があります」
「あなたは自分の過ちを認めなくてはなりません」


なのです。




どうして全能感・万能感が修正されないのか。
それはこれまで、徹底して事実・現実から逃げるスキルのみを磨いて来たからです。

周りに褒められそうな何かや、自分が出来そうなことだけを重点的に行う。
それだけなら、長所を伸ばすという言い方になりそうです。
でもそれは何の為か、という目的があります。


正しく言い直すなら、挫折しないよう、少しでも嫌な思いをしないように逃げ回っている。
トライ&エラーを避ける。プライドが傷つきそうなことは徹底して避ける。
自分は正しい&凄いんだーと思えることだけを選んで繰り返す。
精神性が幼稚な部分については、他人から見えなくなるように隠す(丸出しですが)。
嫌なことを言う人は悪い人。酷い人。私の敵。
全肯定して甘やかしてのさばらせてくれる人は良い人。
嫌なことがあるのは、自分が愛されなかったせい。
モテないのは自分を美人に産まなかった親のせい。
周りがちゃんと躾をしてくれなかったせい。
あれもこれも上手く行かない(周りが思い通りにならない)のは誕生日のせい。ホロスコープのせい。


これをひたすら続けて、今です。


「色々やってみましたけど、私にはこれが合っていて、これは向いていないことがよく分かりました」
ということとは訳が違います。
これは、自分について一部理解したという意味合いになりますからね。



自分を愛する、ということを体験するには、まず事実・現実に目を向ける必要性があります。
恐らく、これが一番難しいのです。なにしろ、日々「そんな筈は無い!」と怒って来た訳で。

もし何かに問題を抱えているのなら、
「ヤバい。私、本当に性格悪すぎる。こんなのモテる訳が無い。っていうか、もしかして嫌われてるのか!?」
「周りが自分の思い通りになるべきとか、褒めちぎるべきとか、頭おかしいわ…そんなこと言ってりゃ避けられもするわ」
と、まず気付かないといけません。

つまり、「私はどうしてこの結果を体験しているんだろう」と、真摯に見つめ直すのです。
じっくり事実を見ることによって(何か別のもののせいにしないことによって)、「じゃあ、今後はこうしよう」という新しいパターンを選択し直せます。
「表面上こうすれば、嫌な思いをしないだろうからそうしよう」というのは全然違います。
こっちは小手先を変えて、根本的には見直さないということであるし、これまでの自分を続けるという選択になります。



「自分が~なのは、愛されなかった(その他諸々)からだ」という理由に飛びつきたい気持ちがあるなら、それは違うと思われます。
少なくとも本当かどうか、何度も何度も精査されたら宜しいかと。
「~~だからに違いない」とアテを作りたい時、何かにこじつけて自分が抱えるものから逃げようとしていることが多いのです。
自分が悪いんじゃないんだ、責任は外側にあって、そんな筈は無いんだと目を背けているだけです。
「そうだってことにしちゃえ!」と、他のもののせいにする機会を待っていただけで、実際の理由は大概それではありません。

そうではなく、ただ自分の思考が選択した結果を体験しているだけです。
何が切っ掛けだったにせよ、間違った選択をしたのは自分。
だから選び直せます。
今ある自分を選んだのは自分だったのですから。



事実を拒絶し、誤魔化しと逃げの為だけに人生を潰すのか。
自分自身を見直し、自分が安心した平和な心で生きたいのか。
どちらに意欲を持つかで結果は変わります。

こういう内容についても、沢山の専門家の方々がネットや本で情報を提供して下さっています。
何かのせいにするのに飽きて来た方は、ご自身を見つめ直される機会として、このような有り難い情報を活用されることをお勧めします。




『自分を愛する』とは、何をするかというやり方・手段そのものではなく、自他に対する正直な目・姿勢が大半を占めるのだろうと思います。

見たくない・認めたくない部分を持つ自分を見直し、駄目だったり出来なかったり不得意なことが沢山ある、全然特別でもなければ一番でもない、素の自分を認めることでもあります。
自分をそのまま見てあげられるのは、自分以外に居ません。

他の誰が何をしてくれても、どんな気持ちを向けてくれたとしても、自分自身が自分を受け容れていないのであれば、他者を信用出来る筈が無いのです。
そうして、自己に対する不信は他者への攻撃に転化され続けます。
自分が自分を正面から見据えない限り、自分が平和になる日は決してやって来ることがありません。



「誰かに愛されたらそう思える筈だ」
ではなく、
「私が自分をちゃんと見よう」
と、本当に思えることが大切なのです。
それは、他ならぬ自分の為だからです。

『自分を愛する』にあたって自分で出来ることは、自分に対する正直な目と姿勢を持とうとすること。
嫌でも目を背けず、忍耐強く見つめること。
その結果、「ああ、自分はこうして来たのか。こう思って来たのか…でも、本当はこうなんだ」と、事実を認めることなのです。



11月ですねー。
急に寒くなって、びっくりしました。
お腹にカイロ(笑)。




以前、
「自分を愛しなさいってスピリチュアルでは言うけど、自己愛型パーソナリティで言う『愛』って何が違うんですか」
とご質問を頂いたことがあります。


一言で言うと、『愛』という言葉に対して使う定義、意味合いが違います。
自己愛型パーソナリティという言葉で使う『愛』は、極度に自己中で客観性に乏しく、周囲や社会との共存が難しい程に精神性が幼稚であるという意味が含まれています。

肥大化した幼児的全能感・万能感を淘汰出来ないまま…とも言い替えられます。
自分の思い通りに周りが動くべきだ、周りが変わるべきだ、不都合なことは全て周りのせいだ…等、最大の特徴は他罰的であること、また他者に対する支配欲や自己顕示欲や承認欲求が非常に強いことが意味合いとして含まれます。
カジュアルな言い方をすると、「自分勝手」「自己中のみ」「ちょー勘違いさん」です。



赤ちゃんの頃、人間は周りの手助け無くして生きて行かれないことで、「周りが自分の為にあれこれ勝手にやってくれる」という認識を持ちます(全てではありませんが、この認識を持つことが大半です)。
これにプラスして、特別可愛い・出来が良い・頭が良い等と言われまくったり、非常に甘やかされ過ぎて怒られなかった(情緒や理性に関する躾が身に着かなかった)という環境がセットでくっ付いて来ると、乳幼児特有のぶっ飛んだ全能感が保持されたまま成長して行きます。

幼稚園や保育園や学校生活等の社会生活で、思い通りに行かないことやプチ挫折を体験する中、
「あれ? 私ってもしや、特別可愛いとか、生まれ乍らにして最高…じゃないのかな?」
と周りを見ながら段々現実に気付いて行くことで、この全能感・万能感は段々と削げ落ちて行きます。
社会と自分を見比べて自分についての事実を認める、という段階に入るのです。

だって実際は、全然特別じゃない訳ですから。
繰り返しますが、全然特別ではありません。
あなたには特別にチヤホヤされる理由も無ければ、周りが喜んで自分の我儘を聞いてくれる理由も存在しません。
しつこいようですが、そうである必要性が全く存在しません。無いです、無い。全然無い。


おうちの中では何でも思い通りなのに、周り中が最高だとワッショイしてくれるのに、周りが自分を中心にしてくれるのに、外では違う。
好き勝手に振る舞うと叱られるし、自分は嫌でもあっちに合わせないといけない。
しかも、頑張って合わせても褒めてくれない。それで当たり前の扱いをされる。
…というのが人生の大半を占める社会生活の中身です。
幼児の頃に体験するちょっとした驚きでもありますが、これをどのように処理するかで、その先が決まります。

そうか。
これが正常なのか。
周りには出来るだけ合わせた方が良いのか。何でも思い通りじゃないのか。なるほど。
という解釈をするなら、それまでのサイコーな自己像が壊れ、社会や環境に順応出来るように作り直されます。
周りを見ながらスムーズに遣り取りが出来て、自分もそれなりに安心して暮らせるようになる。

しかーし。
外の世界が間違っている。私は凄いんだ! 凄い筈だ!
という思考を選択した時、肥大化した全能感を持ったまま成長して行きます。
そうなると周りがおかしい、周りのせいで私は犠牲(=極度の我儘が通用しないだけ)を強いられている、虐げられているという、強い被害妄想を同時に持ちますね。



公共の場や道端で、子どもさんが金切り声を上げて泣き叫んでいるのを見かけます。
或いは何処ででも直ぐにキレて暴れる、暴言を吐くといったことも。
これは【ラケット】と言って、相手をコントロールする為の技術です。
こうすることで相手がご機嫌取りをしてくれる、構ってくれる、自分に合わせて動いてくれるのを知ると、味をしめて誰に対しても同じ手を使うようになります。

自己愛型パーソナリティの人は、都合が悪い(現実を教えてくれる)ことに直面すると、いきなりキレたり有り得ないような暴言を吐いたり、相手を睨み付けたり、これ見よがしに不貞腐れる等、社会的には不穏当とされる言動を取ることで、自分の優位性が脅かされそうな都合の悪い事実を全てを拒絶します。
また、不都合を相手のせいにした上で、自分の思惑を相手に強制し、操ろうとします。


では一体、そこまでして何をしたいのかと言うと、自分について練り上げた妄想が現実である筈だと主張したいのです。
裏を返せば、自分の欠点や身の丈をどうしても認められないという、極度の否認が存在しています。
自分に関する事実・現実について、何が何でも嫌なんですね。

褒められることが大好きだし、ポジティブな妄想も大好き。
『引き寄せ』の本は山ほど読みます。セミナーも沢山参加します。
愛とか光とか天使といったキラキラ言葉が大好き。
でも、現実を教えてくれるものには決して触れません。

…当たり前ですが、このようなやり方を使っていれば、大概は人間関係の何処か(多くは異性等)や社会生活に齟齬を来すことが多くなります。
でもそれは無かったことにしよう。だって凄い自分はそんな訳が無いから。
ということで、ではどうするかと言うと。


1:自分から関係を遮断する
あっちから嫌われてるんじゃない。自分が選んであげないようにしているのだ。
触れなければ嫌な思いをすることは無い。人とは極力接しない。
自分から拒絶している割には、「他人が仲良くしてくれない」「私に良くしてくれない」と言って怒っていたりします。
また、トライ&エラーを極端に嫌う為、不得意なことや未体験のことには絶対に手を出さなかったりもします。


2:外側に問題やイベントを作り続ける
周りは極悪人ばかりで自分は清廉潔白なのだ。このアピールをする為、揉め事を自ら起こします。
または、外に絶えず意識が向き続けるように、自ら多忙にします。
こういうことにしておけば、自分に関する現実を目の当たりにしなくて済みます。
目を外側に逸らし続けていたいのですね。だから、外側に問題があることを好みます。


3:逆のハリボテを作る
隠しておきたい自分の上に、逆の仮面を作って被ります。
それを自分だということにして、触れられたくない箇所を隠蔽している…『臭いものに蓋』+別のラッピングです。
過剰に逆のキャラクターを演出して、ガツガツ行動する。
これも「ほら、こんなに凄いでしょ」というアピール、自分が認められない所から目を逸らす為です。
これで無かったことになる。筈だ。と。



他にもバリエーションはあるでしょうが、よく見るのはこういった形でしょうか。



例えばセラピーやスピリチュアルな何かを受けたいと思う時、「その後こうなる筈だー」というアテがあって、その内容が現在とかけ離れた『凄い内容』を想定しているなら、かなり自己認識がアレです。
因みに代表的な内容は、突然セレブになるとか、突然大スターになるとか、何でも言うことを喜んで聞いてくれる(まるで奴隷のような都合の良い)異性が現れるとか、そういう非日常的なものです。

現実にこうなれば、幼児的全能感・万能感と誇大妄想を持つ自分が正しかったということになる。
自分は正しくて、周りが間違っている、と赤子の頃から一貫して主張し続けていることを、今も尚続けているのです。



誇大妄想を周囲にアピールすることで、ぶっちゃけモテないとか性格が悪いとか出来が悪いというのを認めないように頑張っています。
大人だとお仕事等でやりがちです。出来ない、苦手、素質が無いというようなことについて認めない。

どうしてモテないかについては考えず、どうして評価されないかについては考えず、何故注意されたのかについては考慮せず、蓋をする。
どちらにせよ、「そんな筈は無い。だって自分は最高の筈だから!」って妄想をゴリ押しするんですなー(無駄だけど)。


蓋をしたからって、その隠したい事実がどうにかなることはありません。
あくまで隠した(つもりになっている)だけであって、それ自体がどうこうなった訳でも、自分そのものがどうにかなった訳でもありませんからね。
こうして、全能感を維持したまま大人になるにつれ、妄想の自分と現実のギャップに不快感を覚えるようになります。
隠し持っている嫌な気持ちを、本を読んで覚えた単語であるトラウマやブロックのせいだということにしたり、家族や周りが悪いということにして、自分の責任ではないと逃げ続ける為にスピリチュアルを使うケースが現代日本にはかなり多いように見えます。

イメージワークや退行催眠を受けたりしても、根本的な部分については本人が目を背けている為に、決して解消されることはありません。
何かの先生になったとしても、やっぱり解消されません。ずっと嫌な筈です。
引き寄せをして、お金持ちになることが出来たとしても、そのまんまです。
仮に結婚や恋人が出来たとしても、形だけ何かを変えられたとしても、無駄です。
何故なら、『自分』については全く認めないからです。



この時、本人は心の底で自分を非常に疾しい生き物のように感じている筈なのです。
自分が○○だなんて(または○○じゃないなんて)、絶対に嘘だ! そんな筈は無いー! と、声高に叫んでいます。
しかし、この裏側ではそうまでして隠さねばならない何かを、後生大事に抱えているのです。

とは言え、どうしても認められないので、認められない自分を外側に映し出して(=投影)攻撃します。
一見、他人や社会を攻撃しているように見えますが、我々が外側に見るものに抱く思考は、それがどのような対象かに関わらず、全て自分のことです。
実は一番許せないのは、一向に認めることが出来ないひた隠しにしている自分です。
誇大妄想的に特別で凄くて一番な自分としては、「この私がそんな筈は無い、こうである訳が無い」と、素の自分自身を見ては怒り狂っているのです。



続く。


気付けば10月も終わりまして、11月です。
例年、この頃は気温の変動が激しいですよね。
朝晩は冷えますので、どうぞ暖かくしてお過ごし下さいませ。



私が色々なお話を伺っている中では、「~された」という言い回しをよく耳にします。
「酷い目に遭わされた」「辛い思いをさせられた」等、受動的な立場で被害を被ったというお話です。
それを踏まえると、当然相手は加害者になります。
その人がまるで根っからの悪人であるかのように視点を固定します。
特に何らかの事件が絡むと、それは完全に固定されて、信じて疑うことが無くなります。

またその逆もあります。好きとか、大切だとか、色々。
そうすると、相手は自分にとって良い人です。
疑いの余地も無く、100%良い人。ということになります。



しかし私達が日頃その人だと思って見ている姿とは、その人の真の姿ではありません。
「この人はこういう人」というのは、自覚していない自分の意識が勝手に作り上げたフィルターです。
よく『フィルターを通して見ている』という言い方をしますが、それどころではなく私達は『フィルターそのものだけを見ている』のです。

このフィルターはどのようにして作っているのかと言うと、自分が隠し持っている自己に対するイメージから作られます。
ここで言う自己像とは、「私はこういう人なの!」「私は周りからこう思われている筈」「こう思われたい!」と、営業的に使っているセルフイメージとは異なります。



例えば我々は、"大好きな人"に対して「この人はこうである筈だ」という妄想的な役割を押し付けています。
こうである筈だを構成する材料は何かと言えば、「自分には○○が欠乏している」という土台を補填するものです。
しかし根本的に自分は欠損していると思い込んでいることから、外から補填する物を摂取しようとしても決して埋まることはありません。
が、その対象に接触している時は自分が完全になったかのような錯覚を覚える為、その対象自体に依存を始めます。

これが自分の元から去って行こうとすると、欠乏している自分を見たくないという恐怖心から執着します。
また、自分の押し付けていた期待通りではない部分を見てしまうと、途端に攻撃に転じます。
大好きなアイドルが結婚すると、途端にバッシング…というのはこれです。
或いは「百年の恋も冷める」かのように興味を失うのは、欲するものをくれなくなったと判断したからです。

我々が「大好き」と言う内容は、実際はこのようなもので構成されています。
その根底には自分についての不完全さ、欠乏感、疾しさや怖れが存在している訳ですね。



逆に、『大嫌い』という対象には、ダイレクトに自分(だと思っているもの)を投影して攻撃します。
「自分とは赫々云々である」という自己に対する定義を追って行くと、多くの人にとってそれはネガティブであるケースが多いものです。
自分としては『私はこのように後ろ暗いものである』という実績(心理学用語で言う"シャドウ")がきっちり存在していて、その自分に対するアレコレが未処理なままな為、それを隠そうとして外側に押し付けます。

シャドウを外側に押し付けるのと同時に、自分はその逆・全く別の人間であるかのような仮面を作り、振る舞い始める…つまり擬態を始めることも多く見受けられます。
これは『臭いものに蓋』をしている状態ですね。


一番嫌だと思う対象とその理由を細かく挙げて行けば、そこには自分が自分だということにしているものが見えるでしょう。
但し、日頃はこれをひた隠しにすることも多く、様々な隠蔽工作を行っています。
「嫌いな人なんかいません」「今はそんな風に思っていません」ということにしている場合もあります。
何の為か。無論、自分の目を誤魔化す為です。
「私はそんな酷い人じゃありません」と、自分(だと思っているもの)から逃げる為ですね。



我々が「○○さんがああでこうで…」と言う時、自分とは全く関係ありませんと目を背けています。
この言い回しを正確に修正するなら、「私が現在見ている○○さんの姿は、ああでこうで…」ということになります。


どんな現象であっても、それを誰が見ているのかと言うと。


『私』です。


"私"がその姿を見ています。"私"が体験しています。"私"が目撃しています。
例えば、繰り返し悪戯をするお子さんが居るとしても、それを見ているのは私。
"私"がその姿をその子に映し出して見ています。
「この子が勝手にやるんです」ではありません。それを見ているのは"私"です。

もし見直す気があるのなら、
「私は何故、この子のこのような姿を見て(体験して)いるのだろう」
と自分に問い掛けて下さい。
主語を『私』にして自分に対し真摯に問い掛けるなら、答えは何れやって来ます。


私は誰に対しても自分のフィルターを押し付けている。
本当のその人の姿を見てもいない。
もし叶うのなら、私が見ようとしていなかったその人の正しい姿を見たい。
自分のフィルターを押し付けるのではなく、その正しい姿を見られる私になりたい。


このように前提を置き換えられるなら、それまでとは違った理解に至る可能性が大きくなります。
相手の良し悪しを見る時も、相手の真の姿を見る時もまた、誰もがそこに自分の心を見ています。



知覚とは永久に固定されたものではなく、その人それぞれ特有の解釈が挟まって行われます。
まるで『だまし絵』のようなものです。自分の心が、対象物を正確に知覚することを騙すのです。
その最たるものは、自分自身です。

他人様を通じて、自分自身の心をよくよく観察しましょう。
何がどう見えようとも、究極的には良い人も悪い人も存在しません。
あるのはそれらを知覚している私の心、それだけなのです。



プロフィール

Sachi

blog owner:Sachi
潜在意識を活用した、ちょびっとスピリチュアルな総合セラピー、癒しのワークショップ・タロットカードセッションをしているSachiです。
穏やかに楽しく成長出来るよう、入手した情報や、日々の気づき&
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