resonance

Entries

Date : 2016年10月

◆ Infomation

【works】
★ヒーリングセラピー個人セッション
 都内で対面式の個人セッションを行っています。
 幸せと癒し、学びと気付きを得たい方へ、様々に対応させて頂きます。
 潜在意識を日常へと活用することで、より良い人生へ変えることが可能です。
 随時お受けしておりますので、サイトをご覧下さいませ。

★癒しのワークショップ
 毎月一度、都内で女性向けの体験型ワークショップを開催中です。
 沢山の変化・癒し・浄化・成長・気づきを促すテクニックが山盛りです。
 2017年11月5日・12月17日(全て日曜)
 の開催が現在確定しております。11月は11時~15時、12月は11時~19時です。
 ※11月と12月では開催時間、料金が異なります。
 ※以降の開催は決定次第upして参ります。
 ※それぞれ内容の詳細はサイトをご参照下さい。

先日、根津にある『ギャラリーマルサン』に行って参りました!

ギャラリーマルサンとは、インスタグラムでフォロワー250万人突破のスーパーアイドル犬、まるちゃんのお店です。



お店のサイト⇒http://gallery-maru3.com/

お店のツイッター⇒https://twitter.com/gallery_marusan



店内にはまるちゃんのグッズが沢山あるのですよー!
グッズはオンラインショップでも販売していますが、お店でしか買えない物も沢山あります。
ミニバッグタンブラーを買うつもりでれっつごー。





ギャラリーマルサン


今月はまるちゃんのお誕生月ということで、店内はハッピーバースデーな感じに飾り付けされていました。





ギャラリーマルサン


クレーンゲームでしか取れなかった、『じゃまカワイイクッション』もありましたよ!
この『じゃまカワイイクッション』の隣に、無造作な感じで置いてあるブツは、私が買ったモノです(笑)。






ギャラリーマルサン


インスタに度々登場する、『やわらかいシロクマさん』も居ました。
このシロクマさん、あちこちで売っているのを見かけますねー。






ギャラリーマルサン


たこまるコーナーがありました。
まるちゃんの頭にたこさんが乗った姿も大人気なようです。







ギャラリーマルサン


タンブラー、マグカップのコーナーです。
色違い等もあって迷いましたが、無事にゲット。






クリアファイル、ステッカー、ポストカード、バースデーカード、キーホルダー、缶バッジ、マスキングテープ等々、沢山のまるちゃんグッズで店内が溢れ返っておりました。
私がお邪魔した時には、海外からお見えの方もいらっしゃって、国際的な人気を感じます。


先日まで、まるちゃんのバースデーキャンペーンが行われていまして。
お買い物をするとサービスで缶バッジと写真集の色校をプレゼント! という内容でした。
滑り込みで行かれて良かったです♪




心和むお店です。
是非遊びに行って下さいね~。





ギャラリーマルサン

住所:〒113-0031 東京都文京区根津2-12-3
アクセス:地下鉄千代田線根津駅徒歩1分


この度の地震の被害に遭われた方々に、心よりお見舞い申し上げます。
一日も早く日常が戻って来ますように。



去る10月16日は、ワークショップ開催日でございました。
御参加下さいました皆様、ありがとうございました!

おうちに帰ってからも、テキストの内容を何度もやり直してみて下さい。
日常生活でこそ、自分の思考に気付くチャンスです。

他人様に自分の心を開かないで居る姿勢の場合、複数人の居る会場だと無意識的に心から目を逸らしている可能性もあります。
リラックス出来る環境で、ご自分の心と相対することでこそ、これまで気付かなかったことに目を向けられることもあるでしょう。





自分のことではありますが、私は残念な潜在的情報を持って生まれて来てしまった為に、『幸せ』とか『ラク』の意味が近年までさっぱり解りませんでした。
単語としては知っているものの、自分が幸せな生活をするイメージが全然出来なかったんですよね。

イメージしてみましょう~と言われても、まっちろで何一つ分かりません。
「例えばこういうおうちに住んでるとか…」
と具体例を出して貰っても、"自分が"そうしているイメージがどうしても出来ず、ウンウン唸ってもダメーって感じで。


どうしてみんなそんなクリアにイメージ出来るの? と。
私以外は、みんな次々浮かんで来てたものをキャッキャと喋る人達ばかり。
「大金持ちになって、あれを手に入れて、こういうスペックの人に熱烈に口説かれて、ああで、こうで(以下略)」
どんどん沸いて出て来る"幸せ"なイメージ。それが不思議でなりませんでした。
周りから見たら私の方こそおかしいのでしょうが(笑)。

どうしてこんなに何も分からないんだろう、幸せな体験をしているイメージをしろっつったって、ビタイチ浮かんで来ないんですけどー! というのが長年の状態で、実生活は多方面に渡りそりゃもう酷いもんでした。
それが何故かも全く以て分からず、しかしこの状態が異常なのは重々承知していました。


自分はどうしてこんなんなのだろうと訪ねた何人もの先生方に「手に負えない」「酷過ぎて分からない」「重すぎ…」と言われ続けて来ました(無いわー)。
占いに行っても同じで、「え? 何これ」「こんなに読めないのは見たこと無い」と度々言われています。

半ば諦めたので、自分で色々と解読を試みたこともあります。
が、ある程度のアウトラインはぼんやり浮かび上がって来たものの、「で、結局どんなん?」って所までは辿り着かず、行き倒れるという(笑)。
あれこれ試しても、アタリを付けることさえ困難でした。

ホロスコープチャートなんかは自分の潜在的思考の初期設定が描かれているので、それなりに分かり易いものです。
但し、「だからこうなっちゃうんだ」ではなく、「なるほど、こういう思考の癖があるのか」と理解した上で、幸福をより受け取れる状態へ自己を糺して行く為に使われてこそ、存在意義が生まれると思います。




あまりに長い間、自分の人生がおかしかったので、「わーかーらーなーいいいいいー!!」とギリギリ歯を食いしばっているのが常態化していたのですが、そんな中、自分の心に目を向ける訓練を少しずつ始めました。
外の世界で起きていることを事実のみに特化して注目し、自分の心との整合性を取る…という練習です。

「こんなの嫌だ、何で、どうして」
とばかり言っていても、巷で流行の『引き寄せ』をやっても、私にとっては全く意味がありませんでしたから、残るは自分の深層心理に隠れているらしき情報のみです。
それが何かは勿論さっぱりでしたが、他にどうしようもなかったら、手つかずのそこへ目を向けるしかありません。


私が行って来たことを振り返ってみて、具体的な理解に繋がった問い掛けとは、
「私は現在、何故このような現状を体験しているのだろう」
「私の心は何を目的にして、この体験を作っているのだろう」
「私がこの状態を思考しているのなら、それはどのような理由なのだろう」

です。

つまり、「あれが欲しい!」の前に、「何故現在の自分はそうでなく、今この状態なのか」の理由を見る。
今もうっかり忘れがちなのですが、多くの本に書いてあるように、沢山の先生が仰るように、『自分の現状は自分の決断によって形成されている』のです。
これも理解するのに、えらいこと長く時間が掛かりました。


それと、体験した事実から情報を細かく収集する、ということ。
実際本当にあったこと、体験したこと、自分の周囲で頻発しているパターン等を注意深くサンプリングし、何度も何度も見直して、自分の思考の形を探る…ということですね。
刑事さんで言う所の『現場百遍』みたいな感じです。

個人的な細かいあれこれについては、諦めずにネチネチ取り組み続けたことで、段々と解明が進み理解して行く訳ですが、それこそ私事ですのでここでは割愛します(とりあず非常にメンドクサイです。とだけ)。
一通りと言っても過言ではない位、あれこれ積み重なっておりました…我がこと乍ら、閉口します…うあー。
因みにイメージングは、今も超の付く下手クソです(笑)。



どうしてチミは個人的な体験を詳しく書かないのかなー。
という話ですが。

一参加者として他の先生のセミナーやワークショップに参加して行く中で、またいらっしゃる方のお話を伺う中で、

「●●先生がこういう重いブロックがあったと言っていた」
「本に、過去世のトラウマが原因でって書いてあった」
「先祖のカルマ(or霊障)が云々でって聞いたことがある」


「だから、私もそれのせいで不幸に違いない!」←嬉しそう


と安直に結論付けるケースが、物凄く多いことに気付いたからです。


また、私が自分の体験を多少お話しする機会があると、それを聞いている方は
「私もそうだよ!」「同じですよ!」
と安易に同意して来る…というか、面倒な話なのになんでか嬉しそう。
「私には凄く重いブロックがあるのよ!」と嬉しそうに語るのはどうしてだろう。全然違うのにな。
と、よく思っていました。



運命のイケメン王子様が現れないのは、とか。
周り中がワッショイしてくれないのは、とか。
突然降って沸くような一攫千金のチャンスが来ないのは、とか。
自分が世界的な大スターにならないのは、とか。

自分に対する誇大妄想を持っている人が、そうならないそれっぽい(?)理由を探していて、自分の思考ではなくスピリチュアルっぽい外側の理由にこじつけたがるらしい。
実際の問題を解決したくてではなく、自分を見誤ったままこういうものを逃避に使う模様である、と。

先祖もインナーチャイルドも過去世も色々含めてですが、もしこれらのことが本当に自分の人生に障壁として立ちはだかっているのだとしても、自分の中にある幸せへの意欲が全てを決めます。
「私はこれのせいで不幸だってことしちゃえ!」と喜んでいないか、じっくり自分の心を見定めなくてはなりません。
人間の思考は、直ぐに誤魔化しを行いますから。

仮に障壁が何であろうと、「私は幸せを受け取れる分量を増やしたい。自分の中にある、それを遮るものを解消したい」と見るべきです。
その障壁とは、「あれのせいで、これのせいで不幸だ」と外側に理由を擦り付ける自分の思考であるかも知れません。
そうすることによって、自分の内側から目を背けている。
そこに気付けたら、今度は「では私は、何を誤魔化そうとしているのだろう」と探り始める必要が出て来ます。



私が個人の体験による浄化プロセスなんかを書いてしまうとですね。
あれこれ大変なことが積み重なっていて、それを解消して来た同業の先生(私なんぞ比較にならないような方であっても)と「…でもそういう人、見たことないですよね」「うん、無い」と互いに頷き合う内容なのにも関わらず、「私もきっとこれだ!」ということにしたい人にとっては、恐らく渡りに船な内容なんだろうなーと思うことが多々あります。

特別性に飢えている人にとって、また、自分がやらかし続けて来たことを認めたくない人にとって、自分の中に不幸に関する重篤な理由があるという話は【良い】ことになるようです。
カルマが重ければ重い程、こんがらがっている程、価値が高い。


それを演出材料に「自分はこんなに特別な背景があるのだ」と言える、らしいです。
「私の家は昔、どこそこのお殿様だったのよ!」っていうのと同じ利用価値がある。
自分についての事実がそれで変わる訳では全く無いのに、誇大妄想に使ってしまうんですね。

そうすると、私の書いた内容がその方の人生に大変な悪影響を及ぼすことになってしまい、それは私にとっては不本意な結果に違いありません。
僻地とは言え、こういうblogをやってて、それは流石に無いわと言いたい(笑)。



割と見落としがちかも知れませんが、これまでこれのせいで自分は不幸なのだと言い張って来たものがあるとしたら、多分それ違います。
経験上断言出来ますが、詳細に問題が生まれた理由まで分かっていたら、その時点で問題は解消して自分の中から消去されます。
過去世退行やインナーチャイルドワーク等は、問題の理由を探りスポットを当てて解放する手法を取りますから、自分で理由が分かっている(スポットが当たっている)のに問題が無くならない(拘り続ける)というのは、奇妙な話です。

問題の原因が分かる、解消されると言うのは、爆弾がバラバラに分解されるようなものです。
全て完全にバラしたら、もう爆発しなくなります。爆弾としては全く機能しなくなる。
あれのせいでと言いたくなる気持ちも分からなくはないのですが、長く使っているその定型文は、何かに対する隠れ蓑です。


自分はインナーチャイルドに絶対問題があるとか、過去世に何かトラウマがある筈だーと仰っていた方のお話を伺う機会も度々ありましたが、私が見た限りでは全くそのご様子はありませんでした。
問題について、自分で思っているのとは違う理由が隠れている可能性があるという余地は、幾分かでも残しておいた方が良いと思います。

「こうである筈だ、そうでなければおかしい!」
と視野狭窄に陥るような考え方は、ラクになるには最も厄介な要素です(解決はどうでも良くて、これのせいだと言い続けたいならそのままでいいんですが)。


自分は正しい(筈だ)という姿勢は万人が持っており、そう思いたいという気持ちは私にも当然あるのですが、過去を振り返ると
「全っっっ然! 何も分かってなかった~」
ということばかりです。ばかりっていうか、それだけです。ホントに。

「ええええええ!?」って何度驚いたか分かりません。
「こ、こ、これが理由なのかー!!」「こんなん、分かるかーい!!」って。
…まあ、いつも分かってから言うんですけど(笑)。

理解するずっと前から、本当の原因に思い当たっていたことなんて、全くありませんでした。
気付いて初めて「そうなのか…知らなかった」って感じです。
個人的体験として話せるのは、こういうことですかねー。


あれこれの理由については決め打ちせず、全く別の理由があるかも知れない。
そのような余地は、少なからず残しておかれた方が宜しいと思います。
そうでないと、本当の理由が目の前にぶら下がっていても、見えなくなってしまいますから。



明日は10月度のワークショップでーす。
ご一緒出来ますことを楽しみに致しております。






よく、スピリチュアルの先生方は「誰しも、そのありのままで完全である」と仰っています。
これはどのようなことでしょう。

例えば、奉仕や人助けというものがあります。
他人の為に何かをするというのは、大変素晴らしいことのように思えます。
よく分かりますが、それが本当は何を目的にしているのかはっきりさせると、色々浮かび上がって来るものがあるでしょう。



例えば親の為に一生懸命あれこれしたり尽くしたり、という話はよくあります(誰の話かな~ 笑)。
こんなに大変だ、自分は不幸だと言い続けている言葉を聴くのに慣れてしまうと、「そうか、可哀想だ。じゃあ自分が何とかしなくては…」と思考が飛び易くなります。
が、この手の話は角度を変えて検証をし直す必要があります。

マトモに考えてみると、これまで困っていた様子も本当は無いっぽい。
ずっとこの繰り返しを言っているけど、自分が現れる前はこの人どうしていたんだろう。
人より大変な思いをしてるんじゃなくて、人より極度に病的な我儘なんじゃないの?

だって、自分で改善の努力や行動をしないし、言ってることって全部ただの文句だもんなあ。
自分で選んだことも人のせいにしてたり、致し方なかったと言っては変えないし。
どれだけ手を貸しても変化が無いような?
次々にあれもこれもって、ただ押し付けたいだけなんじゃ…。


とか。
です。


目の前で田んぼに落ちて困っている人が居て、出るのを手助けするとかそういうのは別ですよ。
そうしたら、それは其処で終わりますからね。
そこで完了するか、ループするかで相手の目的がはっきり分かります。
あれもこれもーと言い出したら、その人はただ他人をこき使いたいだけ、その状態の自分に価値を見出していて、自分について勘違いしているだけです。




ところで、人助けや他人へのアドバイスをしたくなった時に、最も気付くべきはこちらです。


1;相手が自分よりも弱者だという設定をしていないか
2;自分が相手をコントロール出来る、という考えを使っていないか



小さな子供が両親の喧嘩に割って入ったり、問題を起こして一時的に自分の方へ目を引き付けることで仲裁を試みる…といった行動も、実は上記の目的や設定ありきです。
「自分が助けてあげられる」ということは、そういうことです。要するに傲慢なのです。
こういった行動を繰り返すことで、自己に対して「…だから自分にはこれだけの価値がある」という認識を、陰ながら作り続けます。

だから悪いとか駄目だとかやめろという話でもなければ、一切他人と関わらなくて良いという話ではありませんよー。
まず前提をはっきりさせないと目的も見えて来ないし、その先の展開も無い。ということです。



「自分はこんなに不幸なんだから何とかしてよ!」
「大変だ、問題だ」
と言っている人と接した時、私達はその人に何を見るか選ぶことが出来ます。

その人は弱者である。と、その人の中に不完全性、欠損した弱さを見るか。
また、その人の中に隠れている完全性、強さを見るか。
そのどちらを踏まえるかによって、その後の選択は変化して然るべきです。
また、このどちらを見るかというのは、自らをどのように見ているかとも言い替えることが出来ます。



人を通じて、私達は自分を知って行きます。
他人の中に何を見るかというのは、自分をどのように見ているかに他ならないのです。
上辺では全く理解不可能だとしても、思考を追跡し検証すれば必ず確認が取れます。

私達は他人様の中に自分を見ています。
自分をどう設定しているかを見ているんです。
自分は欠けている、不完全である、本質的に弱く陰りがあると見ていれば、他人様をそのように見ます。
手を伸ばすことで、それをどうにか出来るのではないか、と考えます(前提がそれだからどうにも出来ないんですが)。
我々は、当たり前に何もかもを投影で認識しているからですね。


私達はついつい、ほんの僅かな一瞬を捉えてフォーカスし、形のレベルでどうであるかばかりに目が行ってしまいますが、もしもそれが永久に続くのだとしたら、それが真の姿だということになってしまいます。
そうすると、手の施しようが無い。良くなることも無い。変化が無い。
幸福を希求することが無意味になります。

相手の中に完全性を見る時、それは自分について同じく認識していることになります。
例え病に伏せっていたとしても、失意のどん底にあるように見えたとしても、それは偽りの姿であり、その人の真なる姿ではないとはっきり分かっている状態です。


現状とは一時的にどのような思考に寄り道しているか、ということでしかなく、今がゴールではないとするのなら、
「この人は何れ正しい道、幸福を体験する道に復することが出来るだろう」
と、完全性に信頼を持てますね。

偉い先生方が仰る、「全ての人はありのままで完全である」というのは、こういう視点についてだと私は思います。
自分だけが完全なのではなく(こちらの考え方は選民思想・全能感になります)、『自分が完全なら、あなたも完全』であり、逆もまた然りということです。



他人様を見る時、「これは私ではありません」という分離した思考を使うと、全てが他人事です。
起きる全ては自分と一切関わりの無いこと。
何が見えていても、何を感じていても、世界の全てには何の意味も無いことになります。

しかしここで、「私はあなた、あなたは私です」という視点を使うなら、自分が自分をどのように見ているかという捉え方に視点がシフトします。
誰かと関わる時は、相手を通じて自分の思考を知る、貴重な機会と成り得ます。



生きている以上、誰かと接触せずに生きて行くことは不可能です。
何処かの洞窟に閉じ籠もって一生を送るなら別ですが、例えば仏門に帰依しても組織内での人間関係はあります。
友人からの又聞きですが、出家した人の話によると「俗世よりも遥かに激しくエゴが大暴れ」だそうです。
修行の中の人間関係は、更に厳しいものだそうな…。

私達は他人様を通じて、自分の思考に気付くチャンスを頂いています。
ちょっとした関わりでも同じです。お買い物をしている時とか、擦れ違う人とか、TVに映る人等。
何も考えていない訳はありません。何らかの思考を使っています。
自分がそこに注意を向けようとしないと、気付かずに流れて行くだけです。


日々の機会に意識を向け、自分に気付ける量を増やせるといいですよね。
ラクになるのは気付くことからです。


すっかり肌寒くなって参りました。
朝の御布団が丁度気持ち良いなーというシーズンですね。
お風邪をお召しの方をお見掛けしております。御身体大切にどうぞ。





さて長い前振りにお付き合い頂きまして、ありがとうございます。
ここからやっと本題です。やはり長いですがご容赦下さいませ。
前回の記事はこちらです~(「幸せで居るってどういうことですか?」その1)


我々の人生はハリボテと誤魔化し、逃避で埋め尽くされています。
それらが自分の内側にある筈の幸せを覆い隠していることに気付かないので、不完全で欠損している自分としては、外側の形に目を向けてあれを手に入れれば、これを引き寄せれば、あれを解決すれば等々、次々に外から得ようと試みます。
それをやればやる程に幸せが遠のく理由は、そのリピートの最中ずっと「私は欠損している。不完全である。欠乏している。足りない」という認識を使っているからに他なりません(これは根本的な理由の部分です。個人レベルに関してはもっと違う理由があります)。

無論、毎日それを自分で行っているんです。
何の為かと言うと、くどいようですが自分だと思っているものを見ない為です。
【幸せ】はその下に埋もれていますので、これまでの繰り返しの延長線上には現れません。
本当に幸せやその関連情報について体験し理解したいなら、どういうルートを辿っても【自分】だと思っているものを直視し、それからその思考の向こうにあるものへ目を向けようとする意欲と視点が必要です。


[more read]

このblogの読者の方から、メールを頂戴しました。
メールを送って下さるにも勇気が要ったのではないかと思います。
このblogって、気軽にコメントとかし辛いんだろうなーと思うので(笑)。メールなら尚のことでしょう。

K様、お便りありがとうございました。
内容は、ご質問でした。
折角頂いたご質問ですので、回答はこちらの記事でシェアさせて頂ければと思います。
頂いた内容の一部が文字化けしておりましたが、概ね理解致しましたので、こちらで私の見解をば。



ご質問の前段階として、これまで色々と試みて来られたという内容を拝見しました。
その甲斐あって問題が段々と解決して来たものの、考えることがあまり無くなって暇になってしまい、それが居心地が悪くていらっしゃるとのこと。
でも、その居心地の悪さを続けたいのではなく、幸せが良いと思っておられるのですね。

「幸せで居るとは、一体どのようなことでしょう」

と文末が締め括られておりましたので、こちらの内容がお便りの肝かと拝察致しました。
例によって文が長くなりますので、前後編に記事を分けさせて頂きます。




先ず、我々は言語で思考しています。
顕在的にでも、潜在的にでも、とにかく思考は言語で行います。

更に私達は、使う言葉全てに独自の定義をくっつけています。
ですので【幸せで居る】ということを知りたいなら、もっと絞って【幸せ】という言葉に対し、ご自身がどう定義付けているかという部分から見直して頂く必要があります。


うちの個人セッションやワークショップでも度々話題に上がりますが、定義の内容は人によって千差万別です。
今まで伺って来た中では、『物質的・環境的・人間関係的に、全て自分に対し有利に運ぶことが幸せ』という内容が圧倒的多数を占めていました。

ざっくり言うと。
大金持ちで何でも有り余る程あって、しかも全ての雑事や仕事を他人が喜んで自分の為にやってくれる。
言動もぜーんぶ自分の都合の良いように言ってくれて、やってくれる。
気分や思考を察して、全て先回りしてご機嫌取りをし続けてくれる。
というのが『幸せ』であり、『愛』なんだそうです。

これが定義だとすると、当然ですが周りにありとあらゆる要求を押し付け続けます。
そうならない部分を探しては糾弾し、自分は被害者だ、こんなに辛い思いをしていると声高に叫ぶことが人生の軸になります。
新型の不幸症の人は例外なくこれです。
あくまで一例ではありますが、延々不平不満や文句を言っている人の話を聴いていると、こういう内容が多いなーと思います。
ちょっと逸れましたが、現時点で使っている幸せの定義をはっきり言語化されたら宜しいでしょう。



次に、何故我々は『問題』をワンサカ作ってせかせか忙しく生きるのか。ということです。
あれが問題だ、これが問題だーって言うのは、どのような目的の為ですか? と。
「私が問題を作ってる訳じゃありません! 私は被害者です!」
と言いたい方も多いことでしょうが、まあとりあえず続きを。

これも詳細は人によって異なりますが、物凄く突き詰めると『自分を見るのが嫌』だからです。
もーちょっと噛み砕くと、「自分はホント―に碌でもない、どーしよーもない、救いようの無い、価値はゼロどころかマイナスに抉れている駄目人間なので、それを認める訳には行かないんです!」ということになります。

ここで言う【自分】とは、"これこそが自分だと思っているもの"のことです。
だからそれは何かと言うとですね、『"私"というものに自分が与えた定義』のことを指します。
殆どの人は、ちっこい時にこの定義を作ります。
大体0歳時~5歳未満までに形成されることが多いのではないかな? というのが私の観察して来た中での感想です。
何故なら、ちょっとでもつつかれると、突如とんでもない幼児性を剥き出しにする人を山ほど見て来たことから、確信に至っております。



他人を攻撃したり、置かれた環境や状況に対し問題だ問題だと言うことが多い人、その割合が高い人は、どうもこの定義付けがねー大分ねーという風にお見受けします。
自分で自分の定義付けをしたのですが、大概は思考プロセスに注意を払ったりはしませんから、そのまま自己認識がそれになります。
しかし、とてもじゃないがそんなことを認める訳には行かないという思考の選択をした場合、これを全力で否定する為に、逆に盛りまくるケースを多々見て参りました。

例えば私はブスだという定義付けをして、それを否認した場合は、自分は世界一可愛いとか美女とか、とにかく付け入る隙を与えないような完璧仮面を妄想の中で被ります。
で、そのように振る舞います(当然事実ではなく、架空ですが)。
私が見て来た中では、私は歩くだけであらゆる人が振り返る位の超絶美人なんですとか、自己陶酔のレベルが危険というナルシストキャラにすることが多いようです。ううーん。


とは言え、これを他人向けに押し出す人は少ないですね。
誤魔化しの為に二重・三重にキャラを重ねることも珍しくないので、これの上に「私なんか全然で…」という控え目キャラを上辺に載せる人も沢山居ます。
もうどれか一つにしようよ…と思ったりもしますが、シンプルに仕込むとバレちゃいますからね。
幾重にもカモフラージュの層を重ね、一番上に乗っけた層を自分だと思い込もうとするケースも、大変多く見受けられます。

非常に慎重で警戒したやり方です。それもこれも、『自分(だと思っているもの)』に目を向けさせない為。
ひいては自分がそこにフォーカスすることを避ける為です。
これらの心の動きについては、近代心理学の大家・フロイト先生らによる『防衛機制』という内容に詳しいので、ご興味がおありでしたらWikipediaへどうぞ。





自分に対する価値、認識の付加の仕方が不適切である。
または、適切な自己価値について認めない。
自分に纏わる事実、現実を認めない。
それこそが不幸のスタートと言うことが出来ましょうか。

人間というのは、「自分はこういう人だ」と思った自己認識に則り、様々なニーズを持ちます。
例えば私は凄く仕事が出来るんですーという認識をしていたら、それに見合う職業や反応を得たいと思いますよね。
恋人選びや友人選び、環境選び等も同様です。
自分はこうである、と思ったことに基づいて外の世界へ目を向け、欲求を持ちます。


素の自己認識や自己価値の付け方が事実とイコールであればある程、とても楽でストレスフリーな生活をされるでしょう。
「確かに私はこうです」という内容が事実に即していれば、それだけで素晴らしいことです。
自分は実際何に向いている、向いていない、生まれつきこういう部分がある、無い、そういったことに対して素直に「そうですね」と頷ける人は、非常に少ないのです。

この齟齬、ギャップが少ない程、シンクロ率が高い程、幸せに生きられます。
意識していないのだとしても、外の世界で起きることは、自分の価値の現れであると納得しているからです。
事実に対して認識が上に大きくずれていても、下に大きくずれていても、人生は厳しいものとなります。
事実よりも上にずれ過ぎると、外の世界に不平不満を持ちます。下方にずれ過ぎると、自分を苛めます。どっちも面倒です。



スピリチュアルでよく言う『人間の本質はスピリットであり、愛である』というのは、本当だと私は思います。
ここで言う愛とは、完全であるということ。
欠落した部分、一切の不幸・ネガティブが全く存在しない、無限に広がる喜びと平和のこと。永遠で完璧の幸福です。
言葉にするとこんな風になるんですが、なんじゃそりゃーって思いますよね。
想像出来ませんよね。今の所は出来ないです。私も(笑)。

でも、そうだろうなと思います。何故かと言うと。
喜びの体験を阻害しているもの(=不幸)とは、自分の思考でしたという件に関して、実践して裏を取り続けているからです。
「あ。ホントだよ。不幸は私の思考ですよ。あれもこれもあれもこれもー!」
って感じです。これを繰り返して今に至ります。今もやってます。
何を実践しているかについては後編で書きますので、少々お待ちを。



私達は根本的に、自分というものに対して不完全者のレッテルを貼っています。
これはものすごーく意識の深い深い部分で発生していることなので、気付かないで居る方が当たり前です。
自分で分かっていると思い込んでいる部分なぞ、たかが知れています。
この欠損している、欠乏しているという固い信念によって、「愛されていない」とか「苦痛ばかりだ」という思考やそれによる状況を生み出します。

つまり、あれが足りない、これが足りないという欠乏感。
それから、自分はこんなにヤバい(略)なのだーという信念と、それに纏わる問題発生のループです。
被害者と加害者の愛憎ドラマや数々の事件は、こうして生まれます。


自分で作った自己認識について、ここを見なきゃいけない位なら、死んだ方がマシ! と思っている人も居ます。
目を逸らす為に他人を絶え間なく攻撃する人の多いこと多いこと。
勧善懲悪のドラマが受ける理由は、自分の中にあると思っている悪の部分を外に押し付けることが出来るからです。
私は潔白だと、その時だけは錯覚出来て身軽になった気がするからですね。

それから、問題を外に拵えて目を逸らす為のハリボテ作りを頑張る人も沢山居ます。
凄いエネルギーですが、人間の思考には創造の力があるので、台風を呼んでみたり電車を止めてみたりなんて序の口です。
ほんまにもー凄いことにー(笑)。



偽りの人格の層を重ねて来た人程、またハリボテ作りに余念無く生きて来た人程、
「本当は自分のこと、大っ嫌いでしょ?」
と訊いても認めにくいと思われます。
だってそれが嫌だから、必死に逆走している訳で…。




その2に続く。



こんばんはー。
台風が通過中で外は暴風です。
するりと通過しますように~。


さて今日は、自分に取り組み始めるとこのような段階を経るものですよという見本を書いておきます。
誰であっても大概こういうルートを辿ります。
誰もが途中で躓きやすい、引き返しやすいポイントやその理由があります。
これらを知ることで、不幸な自分に騙されないように気を付けましょう! というご参考になれば幸いです。




●問題を持つ
自分にはこれこれこういう問題(=不平不満。欠乏)があるという発想です。
不平不満を持つのが人間のエゴの機能。それ故の現象と言えますね。
家庭環境から仕事内容、通りすがりの人の話し声から周りの評価、果ては今日のお天気まで。
内容は何でも良いんです。とにかく足りない足りないと言い続けるのが目的です。

一旦何か(誰か)を『問題』にすると、その問題そのもの、つまり「足りない!」という思考を疑いません。
自分が不平不満を持つことには疑問が無く、外側の対象に問題を見付けようとします。
足りないのは外側の何々のせいだから、あっちが変われという訳です。

この時点で投影(自分の心の内側にあるものを、外の世界に押し付けること)が発生していますが、私達のエゴは色々と理由らしきものも作れてしまうので、益々正当化してみたり、発症については疑いもせずに色々と解決方法を探します。
実際、解決を促す何かを見つけることも出来るのですが、しかし「自分は被害者である」という考え方を根本的に持っている状態です。
そうすると…。



●長いこと問題視していたことが消える
相性の良い解決方法を体験すると、問題が消えて無くなります。
一度のセッション、またはワークショップ参加で問題が解消する、というケースもあります。
一見、周囲の方がいきなり動いた、というパターン。
または、自分が問題を手放しフォーカスをやめた為に、結果として本人がどうでも良くなるというパターン。
大概この二種類です。

何年も、或いは何十年も「これが問題だ」と言っていたことが、一瞬で解消してしまう。
翌日、会社に出勤したら、自分を苛めていた人が転属になった。
突然、思いも拠らないルートから大金が入って来る話になった。
等々、良いオマケが付くことも沢山あります。これらは良いことに違いありません。



●「と、いうことは」…という部分に行き当たる
あれこれ無尽蔵に湧いて来る『問題』を、プロの手を借りて、また自分で取り組んで次々に解消して行きます。
すると、どんどんラクになる。過ごし易くなる。あんなに問題があったなんて嘘のよう。
実際に物質面でもラクになったり、幸せになったりします。
また、自分の精神構造についてちょっとでも理解をして行くと、「そうか、私はこういう風に捉える癖があるのね」と自己に対しても段々と見識を深めることが可能になります。

しかしそうする内に、手に持っていたカードが無くなって来ます。
「あれのせいで、私は不幸だ」と言えなくなって来る…被害者で居られなくなって来るのです。
幸せになったことを単純に喜べるようであれば、勿論それは良いことなのですが。
不幸の言い訳に使えるものが無くなって行くと、それまで如何に「自分は被害者」という考えを利用していたか、しかしそれは本当のことではなかった、ということに薄々勘付き始めます。
自分で自分を騙し、『傷付いている自分』に仕立て上げ、自己の虚像に依存していただけであると。


または、何かに対する否認がスタートであり、その「こんなの絶対に認めない!」という度合が凄く大きな場合も、そこに段々近付いていることを察知して、説明し難いイヤ~な気分を体験し始めます。
抑々これまで問題だーと言っていたことの目的は、『認めたくない何か』から逃げる為のフェイクであり、その下には見たくなくて自分で押し込めた『何か』が隠れているからです。
数々の問題とは自分の目を逸らす為のカモフラージュ、ただのハリボテであるからこそ、良くなって来ると非常に動揺します。

どんどんラクになって行くというのは、自分がその『何か』から逃げたくて堪らず様々な工作をし続けて来たものを剥がし続け、逆に核心に接近することと言えます。
なのでこのマインドでは、問題が消えて行く度に追い詰められているかの如く(または責められているかのように)感じ始めます。
ついでに何故か、解消される毎に焦りや不安や苛立ちが増えて行きます。
勿論、そこで嫌な気分に騙されず踏ん張って、それが何故であるか正しい理由まで行き着くのなら、本当に素晴らしいことです。



●問題がある状態に執着をする
ここで「いや、自分は凄く傷付いて来たのだ」とか「まだ見ぬ問題が非常に深い部分に隠れているのだ」といった屁理屈を使って、過去の自分が繰り返して来たパターンや自分が被害者であるという姿勢をどうにかして正当化し、縋り続けるケースは非常に多いように見受けられます。
誰しも『抑々私がこう考えたことが間違いでした』『私がこの考えを変えなかったことが間違いでした』ということを認めるのは絶対に嫌なのです。

特に、自分は被害者なんだと言って他者に攻撃を繰り返していたり、自分の正当性を強硬に主張し続けて来た年月が長い人程、猛烈に事実から目を背けようとします。
やらかして来たことがあまりにもマズイ、あまりにも疾しい。イタ過ぎる。ヤバ過ぎる。
という理由で、とてもじゃないけど認められないんですよね(だから潜在的には自分がどういうことをして来たか、知っているんです)。

こういうマインドを使って逃げ回っている時というのは、綺麗ごと(ピュアとか光とか愛といったスピ用語・キラキラ用語)をやたら口にしたり、厳つい言葉を沢山使ってシリアスに演出したりという工作をエゴが頑張ります。
また、上っ面だけで認めたフリをして、どうにか過去の思考(否認や逃避)を延長させようと必死になるパターンもよくあります。
「自分はこんなに変わった」「こんなに気付いた」という、中身の伴わないアピールを懸命に頑張る。
場合によっては口先のみならず、目眩ましの為に本当に現象を拵えるということまでやって退けます。



●選択は二つ
さて、我々が持つ選択肢は常に二つです。

一つは、上記のように「絶対に認めない」という路線を突っ走る。そのまま今回の人生は終わる(勿論、次回もリピートします)。
それまで、例えばセラピストやカウンセラーにお世話になっていた場合、「この不快感はこの先生が分かってくれないからだ」ということにしたり、「相性が悪いんだ」と結論付けたり、はたまた「周りは良くなった。自分を変えたい訳じゃないからもう要らない」と言って自分から学びや理解のプロセスを打ち切ってしまうことが非常に多いのです。

初期の段階で「変えたいです! 何でもします!」と非常に意気込みアピールが強い人程、それから極めて他罰的な傾向が強い人程、このやり方が見られます。
自分の非を認める位なら、このまま問題がある方がマシ! と思っていたりもします。

但し、正当化を頑張っている時というのは不満要素が凄いことになっているので、自分に納得するということは出来ないでしょう。
否認を続ける為に、常に外側の何かに対して問題を押し付け続けることが必須の作業になります。
例えば「親に愛されなかったブロックがあるから、彼氏が出来なくてー」という言い訳をしていると、彼氏はずっと出来ません。
自分の掲げた理屈に同意してくれる先生を探して彷徨ったりもします。その理屈を延命させることが目的になるからです。
仮に形だけ変えられたとしても、自分の気持ちには些かの喜びも無いでしょう。


二つ目は、「ごめんなさい。本当にワタシが間違っていました。言い訳の余地も全くありません」と認める。
そうするとドミノ倒しのように、これまで言い訳や正当化を頑張っていた自分が全てバタバタと倒れて行きます。
必死に言い訳をして自分を防衛しようとする必要がなくなれば、そこにしがみ付く為に使っていたエネルギーがフリーになります。
ここでやっと、不幸の為に使っていたエネルギーを有効活用出来る準備が整います。



余談ですが、『奇跡のコース(1巻/2巻)』によると、「苦痛はどう頑張っても長く続かない為、何れラクになる道を選ぶ他は無い」と言い切っています。
私達が選択出来るのは、「ごめんなさい。間違ってました。もう逃げ回るのをやめて、ラクになりますー」というのを "いつ"受け容れるかだけである、と。

『コース』の売りは『時間の節約』です。
真面目にちまちま学習して行くと、数千年の節約になる(何千年も転生を繰り返しながら、同じパターンをせずに済む)というのが謳い文句です。
少なくとも、この人生の時間というのは無限ではありませんね。
何故か人間というのは、自分だけは死なないだろうと思っていたり、ある日身体が思うように動かなくなるといったことも考えていないように感じます。
でもこの世界は全て流転を繰り返していますから、生まれ来たものは必ず滅びる運命なのです。要するに絶対死ぬんです。
生きている間に喜びを体験出来る時間が大幅に増えるのだ、という解釈をするなら、何となくでも『時間の節約』という言葉をリアルに感じるのではないでしょうか。




妄想の中に埋没している時間が長かったり、「こんな筈じゃないのに!」という否認の気持ちが強すぎると、正気からはどんどん遠ざかります。
現実は否定する為に存在することになり、生きている間に様々な幸福を受け取れるのに、それを拒否し続けることになる。勿体ない。

「私はそんなことをやる為だけに生きているのかな?」
と自分に問い掛けられたら良いですね。
自分は正しい筈だ、周りが(現実が)間違っている筈だ、だからあっちが変わるべきだと言い続ける為に生きているんだろうか?

「…でも、よく考えるとこれで困ってないし…」「でも、やっぱりいいです…」と言ってじりじり後退りをして、ぴゅーっと逃げちゃう。
逃げた先で、また同じことを繰り返す。そういう人も沢山居ます。というかそれが万人の持つエゴの機能です。
それが悪いからやめろとか変えろということではなく、あなたはこんな風に認めないと言って逃げ回る為に、言い訳をしながら幸福を先送りする為に生きているんでしょうか? というお話です。



答えは自分が知っています。
ラクを、幸福を選択する力も自分だけが持っています。
たった今、正しい選択が出来るご自身でありますように。


雨続きの9月が終わり、10月に入りましたねー。
本格的に秋! ですが、まだ台風が来るかも知れないとか?

段々と冷えて参りますので、益々お身体大切に。
内側(栄養)+外側(運動)で健やかな身体と心を育んで参りましょう。



今日は、以前TVのお仕事でご一緒させて頂いたことがございます、女優の水沢アキさんからのお知らせをご紹介します。



水沢さんがオーナーを勤めていらっしゃいます新宿&新代田のダンススタジオで、10月からストレッチ(ヨガ)のコースが始まるそうです。
いきなりダンスは敬遠とか、運動はちょっと苦手…という方でも、リラックスしながら身体をほぐすレッスンなら、「やってみようかな?」という気持ちになり易いのではないでしょうか。


私がお知らせ頂きましたのは、新宿スタジオでのレッスンです。


●ピラティス ~体幹を鍛えて正しい姿勢に~
月曜日 14:00~15:00



●Happy Yoga ~しなやかな身体づくり~
木曜日 13:30~15:00
 



どちらも10月中の参加は初回1000円だそうです♪
是非、お試し気分で足を運んでみて下さい。



他にも本格的なヒップホップを始めとする、様々なダンスのレッスンが受けられます。
詳しくはホームページをご覧下さいませ。


⇒THE BRONX ダンススタジオ



プロフィール

Sachi

blog owner:Sachi
潜在意識を活用した、ちょびっとスピリチュアルな総合セラピー、癒しのワークショップ・タロットカードセッションをしているSachiです。
穏やかに楽しく成長出来るよう、入手した情報や、日々の気づき&
発見などをシェアして気ままに更新。
イベント情報も随時掲載中です♪

※記事の内容、情報については一個人の捉え方、考え方に纏わるものが大半です。
絶対的な事実という訳ではありません。
また、私の理解や気付きの段階に応じ、記事の内容にも随時変化がありますことを何卒ご理解下さい。
過去の記事をご覧になってセッションやワークショップにご興味を持たれた方は、最新記事近辺を幾つかご確認下さいませ。


旧blogタイトルは『気づきのステップ』。


■カウンセリング&ヒーリング&セラピーを総合した個人セッション、月に一度のワークショップ、またタロットカードセッションをご希望の方はサイトをご覧下さい♪


やや細かいプロフィール



I love you.

メール

名前:
メールアドレス:
件名:
本文:

recommend

マインドの変化を促すことで幸福体験をしたい方に♪



●心静かな時間を作り、暗示や瞑想に活用




●毎日コツコツ自分を浄化






●根本的に取り組みたい人は






●でも『コース』は難解だ…という人は




ブログ内検索

月別アーカイブ

Copyright © Sachi