resonance

Entries

Date : 2015年08月

◆ Infomation

【works】
★ヒーリングセラピー個人セッション
 都内で対面式の個人セッションを行っています。
 幸せと癒し、学びと気付きを得たい方へ、様々に対応させて頂きます。
 潜在意識を日常へと活用することで、より良い人生へ変えることが可能です。
 随時お受けしておりますので、サイトをご覧下さいませ。

★癒しのワークショップ
 毎月一度、都内で女性向けの体験型ワークショップを開催中です。
 沢山の変化・癒し・浄化・成長・気づきを促すテクニックが山盛りです。
 2017年11月5日・12月17日(全て日曜)
 の開催が現在確定しております。11月は11時~15時、12月は11時~19時です。
 ※11月と12月では開催時間、料金が異なります。
 ※以降の開催は決定次第upして参ります。
 ※それぞれ内容の詳細はサイトをご参照下さい。

降ったり止んだりが続きます。

明日から9月です。暑いよーと唸っていた猛暑も、気付けば過去の出来事になって暫く経ちました。
2015年も残す所、あと4か月。あっという間です。
日々をより良いものにして過ごしたいですね。




他人様や社会との調和、また人間関係や結婚などのご相談に関連して、お話をば。
例えば「結婚したい」という方に、結婚後どのようなやり取りをご希望されているかについて伺うと、

・何でもやってくれる
・何でも買ってくれる
・何でも言うことを聞いてくれる
・毎日絶賛しまくってくれる
・私のことは一切否定してはならないし、異なる意見は却下
・私に向かって口答えしない
・常に私に都合よく振る舞うべき


というようなご回答がちらほら見受けられます。
例えば結婚を題材にしているのだとしたら、「それは配偶者って言うの? 違う単語が該当するんじゃ…」って感じですが、実際とてもこういうお話をされる方が多いです。


人間のマインドは現実を創造する力がありますから、本気でこれを追いかけていると、本当にそういう相手を捕まえることが出来ます。本当ですよー。
で、「何でもやってくれる」「何でも言うことを聞いてくれる」という現実を体験します。
やったー。らっきー。首尾よく捕まえた相手が何でもやってくれて、にんまり良い気分。

…これが一連のプロセスに於ける最終結果に見えますが、その後に続く影響というものが発生します。
例えば、結婚式はゴールではなく、その後は毎日の生活がずーっと続く訳ですよ。ずっと。離婚でもしない限りは。
離婚しても、過去の出来事は消えませんし…。


もし、誰かが何でもやってくれるのが当たり前になると、自分はどのような考え方の人間になって行くでしょう。
また、周囲の人に対して何を要求するようになるでしょう。
他人をどのような目線で見ることになるでしょう。
そのような自分に対し、周囲はどんな評価を下すでしょう。

これらが『影響』であり、『本当の結果』です。



自分にとってそれが本当にポジティブな現象かどうかというのは、後々まで良い影響があるかどうかで判断出来ます。
例えば、体力作りの為に良い栄養素を取り入れながら、継続的な運動をすることにしました。
「ちょっと辛いかも」とか「めんどくさい~」と思うでしょう。「なーんでこんなことやらなきゃいけないのー」って。
それ自体のみにフォーカスすると"ネガティブなことだからやりたくない"という風に捉えてしまいがち。

しかしここで、「後々どんな影響が自分に残るかな?」と考えることが大切です。
自分が健康になるんじゃないか? とか。成長するんじゃないか? とか。
ただ無駄に架空の評価をするのではなく、実績を出せばその分だけでも自分を好きになれるんじゃないか? とか。
そうしたら、生活しているのが楽しくなるんじゃないかな? …等々。
「良い成長が出来るかも」「自分にとって良い影響が出るかも」という仮定が出来るなら、一時だけ辛くても続ける理由になり、結果を出す動機になります。


仮に現在、自分が正しい評価を得ていないと思って不満が募るばかりだとすると。
実際、正しい評価が欲しいのかな? という話になります。
「くれない」と言って怒っていたいだけの場合も有り得るので、ここははっきり判別しましょう。
正しい評価が欲しいのなら、単純にそういう人になるよう自分で実行すれば良い話です。

「今、既にそういう人なんだから周りが悪い」と言うようであれば、ずーっと平行線。
だって…今、そういう現実を体験していない訳ですから。
何かを変える訳でもないようなら、そのまんまです。残念なことですが。
あ、但し怒りは蓄積します。増えます。ここは変わりますね。



成長して行くというのは、その分だけ実績を積み、学んだということと同義であり、それを一般的には"自信"と言います。
自信というのは、実績の無い所には決して生まれません。自分が作った現実的な結果イコール自信なのです。
自信が欲しいなら、その分だけやれば良い。やればやっただけ、実績を作った分だけ本当の自信になります。
根拠も無しに「自分は他人よりもスゴイんだー!」「崇めろー!」と威張ることが、自信の定義ではありませんね。

でも、"誰かが何でもやってくれるのが当たり前"だったり、"別に何も無いけど、過剰に褒められまくるのが当たり前"になってしまうと、勘違いが発生しやすくなります。
即ち、「自分は他人よりも凄いのだ。だからこれだけ他人が自分の為に働くのだ」「何も無くても他人は自分を褒めるべきだ」と。
そういう状態がデフォルトだとして、社会や他人様達と仲良く調和出来るのかな? って思いますよね。


誰でも生まれて来た理由があって、それは天命という言い方にもなります。
それは外から拝命するというより、自分の魂が生まれて来る時に
「今回はこのように生きます。そうすることで、より幸せな人生を生きるという使命を全うできるから」
と、設定して来る訳です。

過不足無く、まさしくぴったりのワクワク人生プラン。
現状の自分のソウルエイジ(魂の年齢)にぴったりな成長プラン、学習プランを持って来る。
結果、様々な体験や理解を通して、着実に成長を重ねて行くように出来ています。
それらも、自分で設定してあって、潜在意識を解体して行くと「あ」って感じでそのネタ元を発見することが出来るんですねー。


ただ、我々には自由意志というものが備わっているが故に、実際に生きる中で何を目指すか、何処へどんな寄り道するか、逸れたけど元のルートへ戻って来るか、或いは逸れっぱなしで戻って来ないか…ということも、その都度やろうと思えば実現出来てしまうのです。

何かを手に入れることによって、僅かな一瞬だけ良いような気がしても、結果的に自分の評価を貶めたり、長期的に苦しんだり、自分を嫌いになるような所へ落とし込んでしまう出来事を、『これが良いことだ』と思ったままで生きて行くのかどうか。
「可哀想だ」「子どもだからいいじゃないか」と言って子どもさんに躾をしないまま、社会ルールを教えないままだとすると、その子は成長してどんな人になるでしょう。
そういうことと、基本路線は全く一緒です。



周囲の人達や社会や世界と調和して生きて行くのが良いことである、と多少なりとも思うのであれば、また自分自身に正しい自信を付けて行きたいのであれば、何を体験するのが良いことかを考えることが出来ると思います。



明日で夏休みが終わるおうちは多いでしょうか。
毎年のことですが、あっという間に過ぎ去りますね。
8月後半は雨がよく降り、やや早く初秋を体感する毎日です。



さて、偶にお客様からお話がある件について、補足しておきます。
先日、潜在意識に質問するやり方を記事にしました。それに関するフォローです。


とても高価な買い物をしようとして、しかし本人が何となく迷っているとします。
『潜在意識情報=周囲のコメント』という解釈を適用するつもりで、周りの人に意見を乞いました。
結果、"周囲の人が挙って賛成を連発した"としましょうか。
この様子だと、「これは自分自身にとって幸福なこと」という判断になる。ように見える。

また、誰かから結婚したいと言われて、周りの人や占いの先生に訊いた結果、"凄くいいと思うよ"と沢山言われた。
ので、これは自分の幸福にとって良い判断になるのではないかと、思える。ような気がする。


暫くの後、「あれ?」「こんな筈じゃ…」という風にじわじわ思い始め、少なくともポジティブな気持ちは無い状態が続きました。
さて、どういうことでしょう。
「きっと今だけ。その内変わる」……果たして、本当に変わるのでしょうか。
「だってあの時、すごく良いって言われたもん」というのを引き合いに出しますが、どうしてか良くならない。
どうしてこんなことに。って思いますね。

話を巻き戻し、どうすれば確実に良い結果をチョイス出来るのか見て行きましょう。



"結果=動機=目的"
というイコール方式を目の前に置きます。
それを選んだ結果がどうなるかというのは、選択の動機に現れています。
だからやる前から決まっています。決まっているというより、決めてある。動機が結果だからです。

私がこれまで沢山耳にして来たお話から事例を引っ張ってみましょう。
「こうすれば、他人からスゴイスゴイと羨ましがられるんじゃないか」と思ってそれを選択したなら、その下には他人に対する妬みが隠れています。
なので、何か物質的なものを手に入れたとしても、基本的な動機である妬みは無くなりません。むしろガッカリするかも。

ネガティブな動機ならネガティブな結果に。
ポジティブな動機ならポジティブな結果に。

潜在意識の法則はとても明確です。




次。
土台の考え方として、自分は何を使っているか点検してみます。
此処は分かり易く、自分軸か他人軸のどちらかな? というお話のみで進めましょう。


●自分軸
自分自身が心から満足したり納得したり、いつ振り返っても「あの時、ああして良かった」と思えるかどうかを軸にしている場合。


●他人軸
他人に勝ちたい。恩を売りたい。他人にどう思われ、見られるかのみが基準。妬み、焦り、競争心、虚栄心、搾取、上から目線、親へのアピール等を軸にしている場合。



ちょっと解説をば。他人軸の方にある、『親へのアピール』です。
これは新型の不幸症をお持ちの皆さんにほぼ共通して見られる、顕著な特徴です。
全てではありませんが、生育環境に於ける親のネガティブな支配力が強すぎる故の結果、というケースが散見されます。

生育環境で共依存の関係性を結んだ子は、親に媚を売ったり良い子アピールをすることに心血を注ぎ、同じような言動を取る人に成長します。
なので、目的や結果も全く同じになるのは道理です。
親が離婚していれば同じような理由で離婚するし、親が愚痴っぽいなら同じく愚痴っぽく振る舞い、他人を操ろうとする親なら子もそれを同じように行います。
自分と親を同一化して人生を生きるので、長く繰り返す間に自分が何処かに押し込められ、真似はしっかりするものの、やればやる程親に対する怒りを抱えた状態になります。





何かを選ぶ時というのは、自分自身が何を目的にそれを選択しようとしているか、というのがまず前提にあります。
その目的に応じて、周囲の反応が変化するというのがミソ。

例えば、自身が潜在的に「親と同じパターンを繰り返す為に生きている」場合、その目的に対してという意味で周囲(潜在意識)がGOサインを出す。
もし一部でも反対する人が居たとしたら、その理由を訊いてみると良いです。
「云々という理由で不幸になると思う」と言われたら、それは潜在的にそう思っているということ。
「自分は親じゃないし、親に対して貢いだ所で何が返って来る訳でもなし、結果自分が不幸になると思うけど」という風に、どこかで理解している…というお話になります。

割とよくあるケース。
自分のお母さんが、形としてはとても恵まれた人生を送っているのに、おうちでは愚痴や不満や文句ばかりを言う生活をしているのなら、それを目指している以上は自分もそれをトレースします。
結婚について「なんで結婚なんかしたのかしら」とか「仕方なく結婚した」「なんでこうなっちゃったのかしら…」と言う方なら、自分もそう言える状態を目指して選択します。
それが実現出来る相手を引き寄せ、それが実現するように周りが「凄く良いと思うよ」と言ってくれるのです。

全ては自分が潜在的に何処を指向しているかによって決まります。




もし目の前にあるものが大きな決断なのだとしたら、余計に時間を取って考えた方が良いです。
自分だけでぐるぐる考えても無駄なので、客観性を取り入れましょう。

長~い目で見て、例えばそれを選択して5年後、10年後に振り返って、その時の選択をどう思うか。
満足し、納得し、笑顔でいられるのか。
または、「あんなことしなきゃよかった」「損した」と思うのか。
こういう部分を見極める為、正しい前提をしっかり据えてから他人様にご意見を伺う訳です。


"これまで使って来た自分の生き方にとって吉"なのか。
または、"過去や現在はともかくとして、未来の自分自身がポジティブで居られる為に吉"なのか。
という風に前提を変えて質問してみると、結果は全く違っているかも知れないのです。

潜在意識が不幸を指向していると、自分がダメになる選択を「良い」という風に後押しします。
スパイラルでどんどん不幸になってしまう人は、潜在的に何らかの理由で不幸を目指しているのです。
生きる姿勢や生きる目的が何かによって、またそれが変化することによって、周囲の声も180度変わってしまいますよということ。




というのを頭に入れて、潜在意識に質問を投げる練習をすると、明確な答えに安心出来るんじゃないかと思います。




台風の影響で一気に涼しい東京です。
あれ? もう9月末だっけ?

まだ8月です。

という自問自答を何度かしました(笑)。
明日からはまた残暑な日々になりそうなので、お身体の体温調節等にはお気を付け下さいませー。




ちょこちょこ書いていますが

『結果が先に決めてあって、そこに向かう』

のは潜在意識のお勉強をして行くと、必ず目の当たりにする理論です。
潜在意識は手段やプロセスについては「よくわかんないです」という反応をしますが、結果(目的)については「そうなればいいのね。オッケーオッケー」という反応をします。


例。
誰かと会う約束をしました。

この時点では「あそこ行こうかな」とか「あそこでごはん食べようかな」とか色々考えているつもりでいます。
しかし潜在的には「かくかくしかじかな結末に至る」ということを既に設定してあるのです。
綿密な事前計画を練った所で、潜在意識の強力な作用を阻むことは出来ません。
なので、自分がどのような思考を抱えているかについては、体験した後で振り返ってまとめると分かり易いでしょう。

上記の例ですと、結果「色々考えたけど、そんなのどうでもよかった。楽しかった」なのか「なんかうまく行かなかった」なのか…個別に結果が出るでしょう。
そうすると、潜在意識が最初からそこを目指していたことになります。


自分の中に大きな怒りを抱える人は、相手の態度や対応など実はどうでも良くて、最初からキレる気満々で会っています。
環境がこうだから腹が立つとか、相手がこうしてくれない(またはこんなことをされた)から腹が立って怒った…と繰り返し言うものの、実は先に結果が決まっている。
元々怒りを抱え、常に憤懣やるかたない状態ですので、ぶつける所を探してウロウロしています。

しかし顕在的には、潜在意識がやる気満々だということを認めないので、「そんなつもりなかったのに」「なんかこうなっちゃった」と言います。
自分は望んでいません。なのに勝手になっちゃったんです。
相手がこういう態度を取ったから(またはこのような態度を取らなかったから)、腹が立ったんだと思います。
私が怒りを持たない為には、周囲の人間が変わるべきです。


……というお話を、沢山沢山お聞きして来ました。
潜在的な思考に目を向けない限り、改善は非常に難しいと思われます。
怒りたいんです。いちゃもん付けたいんです。とにかくぶつけたいんです。これが目的なのです。
結果を受け止めるということなくして、改善は出来ません。

例えばこのような現状を変えるべく、アファメーションで「周りの人から大切に扱われています」と繰り返したとしましょう。
一か月、二か月経っても変わらないなあと思うなら、それは変わらないのではなく…もう既に大切に扱われているということです。
『大切にされる』という言葉の顕在的な定義が"過剰にちやほやされる"であるとすると、結果にがっかりするでしょう。
潜在的にはどのような定義を持っているかというと、現状を顧みれば一目瞭然です。


では、潜在意識と顕在意識のギャップにガッカリした場合、何処を目指したものかな。というお話に行きましょう。
上記の例を挙げます。
"過剰にちやほやされる"人って、どんな人? と、その特徴を抽出します。
箇条書きにしたその特徴と、自分自身がどの程度適合しているかをシビアに観察します。
その条件と自分の適合するパーセンテージが高ければ、理屈上現実に反映されている筈です。
現実に反映されていないのだとすれば適合の度合いが著しく低いということになりますね。

あれ?
おかしいなあ。
私は既にそういう人の筈なのに。
だからそのように扱わない周りがおかしい!

と思うのはちょっとお待ちを。
そうするとここで止まっちゃいますから(笑)。


潜在意識に訊いてみましょう。
てっとり早く潜在意識のご意見を尋ねるには、周囲の人が良いです。
ランダムに抽出した周りの人や占いの先生等に、「私はどういう特徴があるかな? ちやほやされまくって生きる人に見える? それが合ってるように見える?」と訊いてみる。
で、過剰にちやほやされる特徴があるかどうか、チェック項目を設けてメモって行く。

色々考えた末に、「別にそうなりたいと思ってはいない」という結論に行き着くなら、それはそれでよし。
「やっぱりそれがいい」と思うなら、そのような条件を備えた人にここからなる努力をする。
どちらかですね。



話は最初に戻ります。
『怒りを他人にぶつける』といったネガティブなコミュニケーションを繰り返していて、且つ今後は改善したい場合。
どのような結果が欲しいか、何を体験したいのかについて考え直しましょう。
「他人がこうしないから」「こうしてくれれば」という条件は除外します。実際は関係ないので。

パターンにどっぷり埋まっていると、直ぐには「これがいい!」という風には思いつきづらい筈です。
長年繰り返したことで、そのネガティブなパターンと自分が一体化しているような錯覚を覚えている状態だからです。
他人からのアクションに対し、どのように反応したいか。どのような状態を保っていたいか。
リアルにイメージして、今その練習をしてみる。色々やり方はあります。


しかし冒頭に書いたように、結果ありきでの現象ですから。
「どういうコミュニケーションが自分の人生にとってポジティブかなー」
と考えながら生活していると、モデルケースになるようなやり取りを見ることになるでしょう。
或いはふと思いつくかも知れません。

アファメーションで「他人と良いコミュニケーションが取れるようになりました」と繰り返すのもアリです。
その辺りはご自身の好みで段階を追うのも良いでしょうね。

なかなか変わらないという場合は、そこに明確な理由が隠れています。
人それぞれなので何とも言えないことではありますが、怒り続ける理由を根本的に解消してから変化を受け容れることになるでしょう。


潜在的にどう思っているかというのと、顕在的にどう考えているかというのは、割と違う。そういうものです。
分かるとどんどん変えて行かれるので、楽しいですよ~。



長らく使用していたスマートフォンがご臨終の危機に瀕していた為、先日思い切ってニュースマホを買いました。

某データの移行に際し、英語でメールのやり取り(多分かなり危険な英語だった筈。分かってくれてありがとう海の向こうの人)やら、機種が違う+私がずっと使っていたのが古すぎて=ハードもソフトも使い勝手が全然違うやら、規格が大幅に変更されていたやらで、暫く目がぐるぐるでした。めちゃくちゃ肩が凝りました(笑)。

「でした」って言っても、まだ全然慣れてはいないのですよ…肩が凝らない程度に、のんびり弄ります。ハイ。
長い間使っている内に、世の中では規格が丸ごと変わっていることが多い為、いつも浦島気分なのです…。
そして慣れた頃にまた浦島気分。というのを繰り返しています(笑)。

三年半も頑張ってくれた旧スマホには、本当に感謝感謝です。
ショップのお姉さんのお話では、世間一般のスマホという物は平均約二年で寿命が来るそうです。
基本的に私の所へ来る電子機器は有難いことに良い子ばかりで、PC然り、オーディオ然り、携帯電話然り、「それは大当たりの個体でしたね」と言われるような長寿を誇る機体ばかり。使い終わる頃には原価償却しまくりです(笑)。
旧機は私にとって初のスマホで、ずーっと頑張ってくれていたので、勇退(合ってる?)でじわっと涙ぐみそうです。ありがたや。

私事終わり(笑)。




リピーターさんが
「自分(の顕在意識)では全く分からないことでも、ちゃんと具体的に絞って神様(潜在意識)にお願いすれば綺麗に答えを出してくれる」
というお話をちょくちょくされています。

やり方をお伝えしたのは結構前のことですが、それ以来は"自分で進み方に詰まると潜在意識に訊く"、というのを活用されているとか。
答えが来るルートは人によって様々ですが、私の周辺では

『寝る直前に質問やコマンドをして就寝⇒答えが夢で現れる』

というケースが多い模様です。分かり易くていいですね!(笑)
例えば、「良い結婚生活のイメージを見せて下さい」とか「こうなるには自分のどこを改善する必要がありますか」等々。
映像で体験出来るのであれば、とても説得力があるのではないかと。



疑問についてもちゃんと具体的に質問するのであれば、答えが現れるまでそんなに長く掛からないです。
即日とか、翌日辺りが一番多いんじゃないかなーと。遅くても一週間以内(こんなに掛かるのは稀です)。

しかし、「ちゃんと質問しているのに、答えが来ない」というお話も耳にします。
そんな筈は無いー。無いぞー。
という訳で、ありがちなケースを列挙しておきます。


1:文言が曖昧で象徴的
2:文言が長すぎる、または複数の要素が混ざっている
3:自分が期待している特定の返答がある
4:投げた質問が逆を向いている


まず1。
私は易やタロットも扱いますが、どれであっても前提として最も重要なのは「如何に質問が具体的であるか」です。
例えば「私、どうなりますか?」だと、どうにもこうにも…。
易もタロットも無限に広がる潜在意識の中から、必要な情報を分かり易く抽出する為の道具ですから、問い掛けは具体的でなければなりません。
釣りをするなら釣り場が大事。川魚を釣りたいのに海に行っても釣れません。
疑似餌では釣れない魚を、ルアー釣りしても釣れませーん(笑)。

潜在意識とのコンタクトに慣れない間は「YESかNOの二択方式」程度で問い掛けるのが良いでしょう。
「潜在意識だって自分なんだから、細かくしなくても分かるでしょ!」と言っても、実際分からないものです。
ここはもう、国も人種も違う初対面な赤の他人様とやり取りしていると思って、出来るだけ丁寧に投げた方が良いですね。


2。
文章が徒に長いと、潜在意識が「?????」という反応をします。「意味がワカリマセン」って。
質問のキモはどれかな? という処を常に常に意識しましょう。
他人様とお話していても、あんまり長いと「わかんないよ」「結局、何が言いたいの?」って言われてしまいますよね。
文法をシンプルに、単純に、短くして問い掛けましょう。箇条書きレベルの短さを推奨します。
原則として、尋ねることは一度に一つの質問に限る方が良いです。あまりに長いと、受け取る答えも混乱を招きかねませんし。


3。
これはよくある落とし穴です。
例えば「私の天職は何ですか」と訊く。定義にもよりますが、多分これでも答えは返って来ます。
でも、本人が何か特定の応答を強く期待していると、出た答えを半ば故意に見逃します。「そんな筈は無い」って。
結果、「なんかよく分かんないんですけど」「やってみたけど答えは出なかったよ」ということにー。

顕在意識が強くフォーカスしているものと、潜在意識が持っている答えが全く違う可能性を考慮して、素直に尋ねるのが良いでしょう。
「こういう答えであって欲しい」「これこれでなきゃ嫌だ!」という執着が強い程、正しい答えが見えなくなります。
なので呼吸を深くして、出来る方は瞑想等をして落ち着いてから、フラットな気持ちで質問を投げましょう。
その際、「どんな答えでも正面から受け止めます」といったような内容を付け加えても良いかなーと思います。


4。
逆ってどういうこと? というお話ですが。
例えば体調を崩しているので、訊いてみようと思い立ちます。
「体調不良はどうなるかな?」と訊くのと、「ここから健康になるにはどうしたらいいですか」と訊くのとでは、見据えた先が違うことにお気付きでしょうか。

しつこいようですが、潜在意識というのは投げたように打ち返されて来ます。
「体調不良がどうなるか」という言葉を投げて、返って来た答えが「良いです」だとすると、それは『体調不良にとって良い』という可能性を多分に含むことになるでしょう。
逆に、「健康になるには」であれば、健康が主体です。「健康が目的地なのねー」というのがはっきりしているので、「これこれこうしたら良い」という風に返って来ることが多いでしょう。
ちょっとトリッキーに感じるかも知れませんが、要は「日本語は正しく使いましょうね」ってことです。



どのような答えを得たにせよ、それが永久に絶対であるということはありません。
潜在意識レベルでの自己理解を深めて行くと、どんどん現実も答えも変化して行きます。
なので、10年前の答えと今の答えは違うかも知れない。
特に違わない場合は、ずっとその情報が保存され続けているということになりますし、自分がそれを抱え続けているということになります。

昔は「結婚は一生しない」という情報だった人が、自己理解を深めて行くことで「絶対結婚だよ」という情報になったりするんです。
これはどういうことかと言うと、昔使っていた情報が上から乗っかった後付け情報で、その下には結婚するんだよーという情報が埋もれていた、ということです。
潜在意識の理解を深めるというのは、地層の発掘みたいなものだと思って頂ければ、ある程度分かり易いかと思います。
上の層を要らないぞーと手放したら、下から地殻変動で浮いて来た…というような感じですね。



日頃からちょくちょく潜在意識と仲良くしておくと、自分と世界に対する信頼度が高まります。
要らぬ迷いが減って、ネガティブでいる時間も減ります。
コツを掴んだ使い方で、潜在意識と共に楽しい毎日をお送り下さいねー。


⇒補足記事


夜の間は虫の鳴く音が響くようになりました。
立秋を過ぎ、幾度かの酷暑を経た8月もあと少しで終わりですね。

暑い中、お仕事やお勉強に励まれた皆様、お疲れさまです。
また小さなお子さんをお持ちのお母様方も、大変お疲れさまでございます。
夏休みになると、ママさん達の悲鳴を聞くことが増えます(笑)。
ごはん作りの回数が増えるだけでも大変でしょうから、適度にご自身を労わって気楽にお過ごし下さいませ。



『現状は過去の自分が思考した結果である』というのは、潜在意識やスピリチュアルを学ぶ上での非常に重要な、根幹を成すと言っても良いような基礎の考え方です。
学びを深めて行けば行く程、自己の人生を振り返って一つずつ確認して行く程に、本当にそうなのだということを理解して行きます。

それがどんなに嫌だと言っても、辛いとか苦しいと思っていても、自らが体験した以上は自分の中に何らかの情報があると見做す所から、自己理解を深めて探って行く。
「自分の中に何らかの理由があるらしい」という前提で探り続けると、いつか必ず気付きます。
「こういう理由で、だったのか…」という風に。


他人のせいとか世間のせいにした所で、例えば各種ネガティブな気持ちが清算される訳ではありませんよね。
嫌な気持ちや辛い過去を手放すには、自己に視点を据える所から。
私達はついつい他人様や自分以外の何かに原因や悪いものを見ようとしますが、それをやっていると永久に自分の作った苦しみや思考パターンから逃れることが叶いません。

あんまりこれを続けてしまうと、怒ったり攻撃的な気持ちになったり、悲しんだり罪悪感を感じることに中毒性を感じてしまう場合もあります。
他人を下に見る、悪意のフィルターを通して見ること自体が目的になってしまうというケースも、全く珍しくないです。
現代社会で激増している新型うつ傾向のある人達、自己愛性パーソナリティや境界性パーソナリティの傾向が強い人は、こういう考え方が極度に強い人達です。



さて、冒頭の「現状は過去の自分が思考した結果」というお話です。
これは自分を振り返っても、他人様のお話を伺っていても、本当にそうだなあとしみじみ思います。

「これこれがこうで嫌だから、変えたいんです」というその「これこれがこう」という内容こそ、自分が潜在的に設定した内容なのだ、というのを受け止めるのに、私は結構長い年月がかかりました。
それが誰から見ても良い・ポジティブな内容ならともかくとして、ネガティブな要素が大半を占めている場合、よもや自分が設定した等とは大概認めたくないものなのです。



いつも○○が上手く行かない。
現実が中々変わらない。
素敵な人に巡り合わない。
天職がやって来ない。
気付いたのに、周りが変わらない。


そんなようなことと長い間お付き合いしているなら、同じ言い回しを長い間使っているようであれば、ちょっと立ち止まってみると良いです。

『もしも現状を自分が望んだとしたら、そこにはどのような目的があると思いますか?』


嫌な思いしてんだから目的なんかあるワケないじゃん!
とお思いかも知れませんが、まあその考え方は一時脇に置くとして。
所謂"引き寄せ"という体験を一度でもしたことがあるなら、「私はそれを望んでいるのに、ならない」という考え方がおかしいので(笑)。

あれは引き寄せられて、これは引き寄せられないとかっておかしいですよね。
果たして出来たものと出来ないものの差は何でしょう?
出来ないことについて、例えば周囲のせいとか誰かのせいとか、自分以外にその原因を求めるとなると、達成は不可能と自分で言っているようなものです。


ただ、人によっては(稀ですが)潜在意識に『幸福禁止令』が掛かっている場合があります。
「幸せになってはいけない」というブロックです。
潜在意識の深い所にそれがあればある程、宿命のように付いて回ります。

お約束のように決まりきったパターンで追い込まれ、頭打ちになって行く。
場所を変えようが、やり方を変えようが、そのブロックがある限りは天災・人災問わず自動的に不幸へと吸い寄せられて行きます。
「元々ツイてない」という風に思っている方もいらっしゃるかなと。
言い方を変えると、不幸を引き寄せることが自動的に出来てしまうタイプですね。

表ではどう考えていたとしても、潜在的に不幸を指向していると、結果的にそこへ落ち着いてしまいます。
だから過去をおさらいすると良いですね。
深い部分にブロックがある方が人生を変えるには、優れた先生に巡り合うことも非常に大切な要素です。
まずはそこからアファメーションするのも良いステップだと思いますよー。

ブロックが浅い所にある分には、割と見つけるのは楽ですし、ちゃんと真面目に向き合えば直ぐに解消出来ちゃいます。
ブロックはその深さや大きさによって、辿り着くまでの時間や手間が変わります。
セッション一発で人生が激変するようなタイプの人は、ご自身の主観はともかくとして実際はかなり恵まれた人生だったのだと思います。
元々生まれ持った運の良さや幸せを活かして行けばOK。益々幸せになりましょう!



さて、現状に不満があるなら、「これを続けていることにどんな目的や理由があるのかな?」と客観的に考えてみるのは大変良い自己理解の手段に成り得ます。
常時不健康で居ることを選択し続けた理由として「自分の不健康を理由に、他人をこき使えるから」というものを挙げられた方もいらっしゃいました。
常に不満を持ち続け決して満足しないことで、「自分はこんなに不幸だからと言って他人に要求をし続けられる」と仰る方もいらっしゃいます。
「怒りを他人にぶつけるとスッキリするから」という理由で、穏やかな精神状態を忌避する方もいらっしゃいます。

苦しさや辛さと引き換えに、不満で不愉快さを感じ続けることと引き換えに、何か得たいもの(または得ていると思えるもの)が必ずあるということです。
でも、それを直視するのは普通嫌なことですね。
大体、表面的なセルフイメージとして「私は清く正しく美しい」と標榜しているものですし、まさか自分がそんな目的を持った人間だなんて知りたくもない筈です。


潜在意識を紐解いて行くと、様々な事実が明らかになります。
勿論、良い所や美点に数えられる部分も沢山あります。
それをご本人がそのように捉えるかどうかは別としても、その人の本質というものが明るみに出る。

突き詰めて行くと、本質的に悪という人は存在しません。
何かを捉え間違ったか、勘違いをしたか、悪く取ったか…。人生を誤解していると、性悪説に傾き易くなります。
「自分は元からこんなに悪いんだ」とか「どうせ不幸なまま死ぬんだ」とか。
でも、これらも全部人生の解釈を間違ったことと言えましょう。納得いく別の解釈があった筈ですし、それは後からでも修正が利きます。



事実を正しく受け止め、理解するというのは、時として非常に難しく感じるものです。
でも、腰を据えて「よし。ちゃんと理解して納得するまで直視するぞ」と決めてじっと見つめれば、それまで埋もれていた動機や目的が浮かび上がります。
そこから、新たな選択肢が見つかるかも知れません。



雨の降り頻る東京です。
明け方に大雨・洪水警報が鳴っていました。
日中も大雨タイムがありそうですので、外出の方はお気を付けて~。



「メンタルブロックが本物か違うかは、どうやって分かるのか?」

というご質問を頂くことがあります。




重要なのは、"経験の為せる業"ということ。

自分のメンタルブロックを癒し、解除した経験が本当にあるかどうか。
これはとても重要です。何事もですが、自分が通ったから分かる、という部分は大きいのです。
ブロックの解除前と解除後の自分。ビフォーアフターが全く違います。
これは個人が体感することなので、中々お伝えしきれないものがあります。

「あれはブロックだった」
「あれはブロックではなかった」

と、自分の中できっちり選り分けることが出来るようになる程に経験を積んだかどうかというのは、本当に大切なステップです。
ただ目を向ける方向性を変えれば良かったとか、勘違いに気付いた…ということとは出来事として違うので(これはこれで理解することは大切です)、自分のブロックを解除した経験がどの程度あるかというのは、その後に活かされるポイントとして非常に重要なことです。


メンタルブロックは、大概身体に存在します。
「気のせい」でもやっと違和感を感じたり、また何処かを痛くすることも出来てしまうのが人間の意識の力のスゴイ所ですが、これとはまた違う症状として存在します。
うーん、でも人によって全然違うので、実例を挙げるのがとても難しいんですよね…。

身体的な記憶として収められていて、出来事にプラスして怒りや悲しみ等のネガティブな感情が付随しており、その体験があまりに衝撃的で、処理しきれなかったまま保存されている状態です。
そのブロックがあることから、とある一定のパターンでの障害が人生で発生しやすくなります。
自分ではどんなに努力をしても、意識しても、力技での突破はかなり難しいものです。
癒す、解放する、理解する、手放すというステップを経て初めて、メンタルブロックは解除されます。傷と直面し、向き合うことですね。



メンタルブロックによる障害と、気のせいとは何が違うのか?
パッと見の見分けというのは結構難しいことと思います。
人生で困難な状況を繰り返し体験するのが、実際にブロックが原因なのか。
それとも別の理由があって、そんなような気がしているだけか。
または明確に何らかの利益の為か。
…というお話ですが、それを自分がいきなり見分けるのは難しいのではないかと。
自分だと分かりにくいものの、他人様だとすると、お話をよーーーーく聞いていれば分かる部分もあります。

新型の不幸症タイプ(新型うつタイプ、自己愛性パーソナリティ、境界性パーソナリティ等)は、明確な利益(主に他人へのアピールや攻撃)の為に自分の人生に問題を作ります。
見て欲しい、構って欲しい、他人の注目を一身に浴び続けたい、思い通りに他人を動かしたい、全能感、自己評価の異常な高さ…等々の潜在的な理由で、自分の人生を無意識的に色々とアレンジ出来てしまいます。
病的なパターンや一見被害者としか思えないような人間関係を、次々に"作為的に"作れてしまう。


潜在的にはこのような理由があれど、本人の顕在意識的には「凄く辛い! 苦しい!」…と思っています。
顕在意識と潜在意識の乖離が非常に大きいので、自分では「あれ? ブロックとかじゃないような?」という風には、なかなか気付きにくい所だと思われます。
但し、このタイプは基本的に他罰的な特徴が顕著なので、お話を聞いていれば分かる所ではあります。

上記のような新型の不幸症的思考システムは、誰の中にも少々あります。
それが存在すること自体は、決しておかしなことではありません。ただ、割合の問題です。
人生に於ける目的の主体が、他者の操作や依存や攻撃になってしまうから、問題になってしまうということですね。

他にも『単なる気のせい』レベルの場合も有り得ます。
習慣的なことや、生育環境の影響から思考パターンが出来上がり、「そんなような気がしている」というだけ。ということもあるでしょう。


熟練したセラピストや教師であれば、恐らく初見の1~2分、遅くても5分以内で大体の見当が付くのではないでしょうか。
セラピストやカウンセラーや先生方というのは、どのようにそういった技を磨いて行くのかと言うと、自分を深く深く見つめて行くことで技術や技量を高めます。

勿論並行して知識も必要です。知識を得ながら実践を繰り返すことで自己理解を深めます。
そうすると、相手の方の状態を即時看破出来るようになりますし、リーディングの精度も自動的に上がって行きます。
自分を何処まで正しく理解したかが、他人様にも適用されますから、見えない所でコツコツと自己理解の鍛錬を繰り返し、様々な方法で実績を積む必要があります。



他人様に言われても納得行かないなら、自分でやってみれば分かるよ、というバージョンもあります。時間はとてもかかりますが(笑)。
もし『それ』がブロックではない場合、イメージ等で癒しを体験したような気がしても、物理現象はともかくとして不満や納得行かない感は変動しないのがよくある特徴です。
何度取り組んでも、何年掛かっても、どんなに癒しても、その「ブロックがあるような気がする感」は微動だにしない。

何故か。
それは、そのブロックが存在しないからです。
架空の存在だから。
無いものに手を突っ込んでも掴めません。


それが本当にブロックだとすれば、癒す毎に理解が深まり、その後の人生を生きるのが楽になるものなのです。
確かに、そのブロックの深さや度合によって、「中々結果が出ない」という可能性はありますが、諦めずに良い方向を目指し続ければ、人は必ずそれを達成して行くものなのです。
10年前よりも、5年前よりも、1年前よりも確実に楽になっている。
そういう風に感じる場合もあるでしょうし、ものによっては一発で大きく楽になるケースもあります。


自分自身で見分けがつかない場合、熟練したプロに見て頂くと分かり易いと思われます。
また、架空のブロックと長いこと格闘して来て、「あ、妄想だった」と気付いた経験のある人に訊いてみても、割合正確な判断を下してくれたりします。
「自分も同じこと言ってたし、やっていたからよく分かりますよ…」と遠い目でコメントを添えてくれるかも知れません(笑)。


私は理解が遅い人間ですが、それでも長いこと自己理解を深め続けることと、他人様の言動を観察することで徐々に見分けられるようになって行きました。
要するに昔はよく分からなかったということです(笑)。

自分のブロックはさることながら、傲慢さから来る勘違い(スミマセン)、間違いや気のせい(スミマセン)、ネガティブで残念な部分(スミマセンデシタ…)、大事なことやどうでもいいこと、その他諸々、一つずつ浚って来たことで、自分を徐々に理解出来るようになって行きました。
それに伴い、他人様についての観察や理解も深まって行った訳です。まだまだ途上です。

そういえば、「仕事上、効率化を図る為にリーディングの精度をもっと上げたいなあ」とはずっと思っていました(今も思っています)。
そういう願望も手伝って、実践レベルをちょっとずつ上げて行かれた部分はあったのだろうと思います。
人間、目的は必ず達成する生き物ですから。




まとめ。
ブロックの真偽を見分けるのに大切なことは…

一番大切なのは正確な自己理解。
同じ位大切なのが、外の世界の観察と事実に基づいた正確な理解。

ということで如何でしょうか。



素敵な一日をお過ごし下さいませ♪



遂に8月折り返し地点でございますー。

明日から秋。多分秋。
空に浮かぶ雲や、夕方以降の風の中に秋の色を感じ始めるのではないかと思われます。
…昼間は暑いのかも知れませんが(笑)。



さてさて、時々ご質問頂く『天職(天命)』についてです。

人によって、この言葉に抱くイメージが違うと思います。
読んで字の如く路線で解明すると、

『天から授かった職業』

『天から与えられた使命』

みたいな感じでしょうか。


天という部分を、『神』に置き換えることも可能です。
天とか神と書くと、自分の外側からやって来るようなイメージがあるかも知れません。
が、実際は『自分の魂の真なる部分』『潜在意識(の良い部分)』『魂』とも互換性があります。



「嫌だけど、しょうがないから居てやってる」とか「何で私がこんなことしなきゃいけないの」という気持ちを挟んだままだと、天職への道は残念ながら限りなく遠いでしょう。
「こんな筈は無い」「もっと良くて楽しくて幸せでお金も無限に入って来て、っていうのが合ってる筈!」と思うことによって、天職を求めるのなら、動機が動機ですから難しいと思われます。

つまり、現実逃避を天職にすり替えてしまうと、ちょっと…なのです。
現実を否定していることになるので、否定する為には強烈に現状にしがみ付く必要がありますから、嫌だ嫌だと言っている間は動かないのは当たり前なのです。


例えば『天職を与えて下さい』と全身全霊で世界と自分に向かってコマンドしたとします。
毎日毎日欠かさずアファメーション且つコマンドをしたとしましょう。
で、暫く経っても変化が無い時。即ちそれが潜在意識から来た解答ということ。
今やっていることが、現時点での天職だということです。

宇宙(=潜在意識)には、基本的に投げたように必ず返って来るという原則があります。それはもう、寸分の狂いも無く。
真摯にお願いをし続けたら、必ずそのように打ち返されて来る。
現状に変化が無いと言うことは、現状そのものが現在の自分のやるべきことである。ということです。


そこに好き嫌いを挟まない方が良いと思います。
あ、好きはともかく嫌いは挟まない方がいいですね。自分が疲れて行くだけですから。
実際に天職が降って来たとして、それを自分が喜び勇んで毎日楽しめるかと言うと、人によるのです。

好みと天職は、必ずしもイコールでは結ばれないかも知れないんです。
いきなりドカーンと大富豪にはならないかも知れないんです。
これまで嫌だった全てが解消する訳ではないかも知れないのです。

そうなんです。例え天職だからと言って、それをやることで何もかも薔薇色になる訳ではないかも知れないのです。
自分の気分は自分のスタンス次第で如何様にも変えられます。好き嫌いなんてコロッと変えられます。
もし現在の気持ちが「嫌だ」だとしても、今の職業がこれだから、ということとは関係がありません。
嫌だなあと思う気持ちは、天職云々と言うよりも単純に「なんで私が仕事なんかしなきゃいけないのーぶつぶつ」という考えを持っているからという理由、かも知れないですよね?



先日、お客様との会話で私は

「天職というのは、"世の中に自分を使って頂くこと"なんですよ」

と言いました。
言いながら、「確かにそうだよなあ」と妙な納得をしたのでした(笑)。


抑々お仕事とは「自分がしてやっている」のではなく、「させて頂いている」のです。
而して天職とは、それを通して自分が世の中と調和するパイプであり、世間様に最も効率良く奉仕する為の道具です。
それを通じて自らが成長し、世界に奉仕し、理解し、様々な経験を積んで行くもの。

その職業自体は、誰にとっても価値がある訳ではないでしょう。
内訳は、主婦かも知れない。職人かも知れない。会社員かも知れない。
ただ、世界の中で自分自身を最も活かし切れるポジションであるかどうかが大切です。
最初は自分の欲望の為にそのお仕事をする人も居ます。でも、いずれ続けて行く間に気付くかも知れません。『させて頂いている』と。


ところで天職についての職種とか業種は、あんまり考えない方が良いと思います。
自分が顕在的に理解していることはごく僅かです。
過去とは全く関係ないかも知れないし、あるかも知れないし…。
自分が理解していない所に、ひょっとしたら一番有り得ないとか縁遠いと思っていた所に、それがあるかも知れませんし。

だから「あれがいいな」とか「あれは嫌だ」とか、あまり考えずに居た方が良いと思います。
変な制限を付けてしまうと、肝心の天職が手元にやって来ることが出来ないかも知れないからです。





なんでこういう風に書いているかと言うと、ご多分に漏れず自分がそういう状態だったからです(笑)。
理由も分からず根拠もはっきりしないまま、何処かでモヤモヤした気持ちを抱え続けていたことに気付いた時、自分を酷く恥じました。
言い訳めいた気持ちを手放さず、半身後ろに引いた状態で取り組んでいたことに気付き、またそれを放置していたことを、大変申し訳ない気持ちで反省しました。
長い間そういったスタンスが当たり前で、そういう気持ちに自分が依存していたのは間違いないことでした。

で、モヤモヤ気分の出所は不明ながら、「やめよう」と決めました。
何をやめるって、何処かでモヤモヤした気持ちを抱え続けることです。
その瞬間を境に、そういう状態でいること自体を捨て去ろうと決断しました。ポイッとな(笑)。


そうしたらですね、「ヤだなあ」というモヤモヤ気分は出所に根拠があろうと無かろうと、捨てて平気だということが判明しまして。
納得行かない感とか、満足しきれない感とか、要らないなあと思いました。
どのような気分でそれを受け止めようとも、やっていることは変わらないのです。

だったら、微妙にモヤっとしていた状態の時には手落ちがあったかも知れない部分に、もっと精力を傾けられるんじゃないか。と思ったりしました。
生来無理の利かない身体なのでギチギチにやる訳では無いのですが、言い訳の退路を断った状態で正面から向き合うということですね。


何がどうでも、現在それに関わっているのは事実なのですから。
この先はどうなるか全く分からないにせよ、今の時点で目の前にあるのはそれです。
という訳で、天職という名前を付ける付けないは別として、ご縁のあるお仕事には出来るだけ誠実に向き合うことを心がけています。




いきなり前回の続きです~。



★前回のあらすじ
ブロックだと思い込んでいるものの中には、誰かの受け売り早口言葉で作ったフェイクが紛れ込んでいる。かも。



うーむ。
こう書くと身も蓋も無く、一行で終わってしまうなあ…(笑)。



さて、続きです。
続きと言うか補足です。



『早口言葉』のような疑似体験は、日常生活の中で沢山しています。
例えば小説を読んで、映画を観て、ハラハラドキドキしたり、怒りに震えたり、悲しみに涙を流したり、また恋する気持ちでうきうきしたり…って、あれは全部疑似体験ですよね。

そういう文章やスチルやシーンの情報が脳に送られると、自分はその瞬間まるでそれを体験しているような気がしてしまう。
感情が動き、思考が動き、また身体感覚まで体験出来てしまいます。
音楽だけでもそういった効果はありますね。例えばドラマでそれっぽい曲が流れると、「うわ、来るぞ来るぞ…!」って身構えます。
この最中は、とってもそれっぽい気分だし、それっぽい感じがしています。
こういうのは全部バーチャル・リアリティ。仮想現実です。

ラジオ体操のイントロが聞こえたら、両腕を上に~ってやりそうになる。
梅干しを見たら、口の中に唾液が沢山出て来ます。
所謂、条件反射です。

同じ。
同じ。
同じ~。


長いこと繰り返したから、気分まで、身体感覚までリアルに作り出せてしまうのです。
だから、まるでブロックのような気がしてしまうのです。
長期間に渡る、弛まぬ鍛錬の為せる業と言えましょう(?)。

でもまあ、そうです。
考えなくてもスラスラ口から出て来るほど、脊髄反射並みに体調が悪くなったりする(ような気がする)程、自分はその言葉を訓練して来たのです。
根拠になる体験が自分の中に無くとも、それっぽくリアルに感じられる位には、訓練に訓練を重ねて積み上げた結果がそれなのです。



お客様の一人が最近、

「こんなに辛い目に遭って来たとか、あれがトラウマだとか言い続けて来たし、一番がいいとか特別になりたいとか言い続けて来たけど、私は一体何をして来たんだろう…と我に返りました。これまでの人生そんなことばかりで、私は何してるの? と思いました」

と、お話しして下さいました。
このお話は、"我に返った"のがポイントです。


ずっと同じような言い回しで、同じ内容を口にし続けている間は、また頭の中で同じ文言を喋り続けている間は、決して"それ"を疑わなかったのです。
言い続けているから、段々そんなような気がして来てしまうし、そんな気がするから体験を無理矢理にでもそこへ持って行こうとする。
事実がどうであるか、現実に何を体験しているのかは、頭の中に別の文言が居座り続ける限り、全然関係ないものとなってしまいます。

億単位のお金を稼いでいても、自分はお金のブロックがある! と言う人は居ます。
素晴らしいご結婚をされていながら、自分は男性のトラウマが~と言い続ける人も居ます。
誰の目から見てもとっても愛されているのに、こんなに酷い目に遭う人間は居ない…! と涙ながらに訴える人も居るのです。
ホントですよ。


どれもこれも、現実に体験していることを元に作った言葉ではありません。
恐らく、その人がずーっと昔から繰り返して使って来た、慣れ親しんだ言い回しであり、錯覚なのです。
更に元を探ると、ひょっとして自分が…ではなく、身近な誰かが習慣的に使っていた言葉なのかも知れません。

長い間取り組んでも取り組んでも、変化が見られない場合。
もしかしたら、元々存在しない架空のブロックかも。
と、疑うのは嫌でしょうが、もし楽になって幸せに生きたいなら、一度おさらいしてみると良いかも知れません。


長期間に渡り「これこれが問題だー」と言い続けるのが癖になっていると、「では逆に、どのようになったら良いのかな?」と問われた時、上手く口に出せなくなっていたりします。
『問題』の方は、淀みなくスラスラと具体的に言葉になるのに、『希望』を訊かれるとなると、途端に口籠ったりすることがある。

また、「…そうじゃなければいいです」と、否定形でしか言えないというケースを多々目にして来ました。
否定形となると、元ネタである文言にフォーカスしている状態であると言えますね。
否定しようとして、視線は釘付け。言えば言う程、再現されてしまう。若しくは、嫌な気分になる。皮肉なことです…。


つるつる~っと良い言葉が出て来ないというのも、習慣のなせる業である可能性は非常に高いと思っています。
日本で生まれ育っても、その後になって海外生活が長くなると、急には日本語の言い回しが出て来なくなることがありますが、あんなようなものだと思われます。
使い慣れた言葉についつい走っちゃうってことです。

ネガティブな言い回しを使い慣れていると、慣れているというだけの理由でその言葉を使いに走ってしまう。
ネガティブな気分を使い慣れていると、何かあると(何も無くても)ネガティブに捉えようと態々してしまう。
ネガティブな考え方に慣れていると、何でもかんでもそう考えてしまう。
そういうことが我々の中にある訳です。これも慣れです。慣れ。


こういった内容については、癒すべき部分が見当たらない為、それよりも「あっ。元々無かった」と気付く所に始まり、目先を変えて行くのが最も幸福な人生へ効果的ではなかろうかと思います。
これまでよりも具体的にポジティブなものへ、言葉へ、感情や体感覚へと自身を慣らして行くのが、一番早いということですね。



一日も早く錯覚やトリックから抜け出して、より良い人生へ羽ばたいて下さいね。


あと三日で今月折り返しです。
というか、あと四か月で今年終了です。あわわ(笑)。

残り少なくなって来た8月ではありますが、昨年よりも、また一昨年よりも今年の夏は楽で快適でありますように。




最近よく思うことをば。



潜在意識のお勉強をして行くと、「こうしたい・なりたいと思うのに、ならないということは、心の中でそれを阻むもの(ブロック)があるらしい」ということを知る機会があります。
または、「次々と嫌なことが起きるのは、ネガティブなメンタルブロックが沢山あるから」というのも、教科書的な解釈です。

ブロックとは、何らかの理由で潜在意識に「そりゃやめた方がいいよ」とか「自分には出来ないに違いない」という情報が書き込まれており、進みたい方向に対してそれを押し留める作用があるもののことです。
球技なんかで使う言い回しですね。「シュートをブロック」とか。それと同じです。


顕在的に☆☆が欲しい! と思っても、潜在的に違うことを考えていると、そちらが優先されます。
前回の記事で書きましたように、表向き「結婚したい!」と言っていても、潜在的には「嫌だー」と言っているなら、潜在意識の思考の方が現実として現れるというのが、我々の意識と世界の関係性です。

色々な方のお話を伺っていたり、自分のメンタル・マインドの動きを眺めていると、『恰もブロックのように思い込んでいて、自分でもそれがブロックだと信じて全く疑わないもの』が沢山あるなあと思います。
これを言い換えるなら、『気のせい』または『勘違い』です。
蓋を開けると全然ブロックじゃなかったりします。無い。全然無い。
でも、ブロックだと自分が思い込んでいるせいで、ブロックだと信じていることによって、その前提を使って色々考えます。


例えば「きっと私は、結婚に対してブロックがあるに違いない」とか。
だから、「まずはブロックを解除しなきゃ」と思う。
ので、ブロックを探すのです。まず最初に、足止めしている問題を探してしまう。

しかし、元々それが無い場合は、無いから見つからない。
または、それっぽいものが見つかったとしても、セラピーで解除しても、スッキリしない。
何故かと言うと……抑々それが存在しないから(笑)。


では一体、どうして『ブロックがあるに違いない』『ネガティブな何かがあるに違いない』と思ってしまうのでしょうか。




今日の本題。
『なんかそんなような気がすると思い込んでいるだけで、実は全くそんなことはありません』というケースについてです。
先日のワークショップと前後して、『ずっと女性が苦手で、周りに女性が居ると凄く嫌な思いばかりをして来た』と長いこと主張していた方が、実は『元々周囲の動きにはそれ程敏感ではなく、過去も全然そんなことなかった』のが判明したり…という出来事がありまして。
では一体、「ン十年もずっと苦手で嫌で堪らならなかった」というのは何を指しているのか。出典は何なのかな? …ですね。

結果をよく観察すると、
『同じ言い回しをずっと使い続けていたことによって、後付けで気分的にもそんなような気がしてしまっただけ。でも、元々思ってすらいない』
ということになります。つまるところは『気のせい』だった、と(笑)。

ええっ! そんな馬鹿なあ!
長いこと掛けて取り組んで来た人はショックを受けることでしょう。
これはどういうことなのでしょうかー。
私はこれを"早口言葉"とか"門前の小僧習わぬお経を読む"と同列のこととして捉えています。


小学生の頃に覚えた早口言葉は大概今も言えます。
「じゅげむじゅげむごこうのすりきれず~(以下略)」って、最後までつっかえずに言えちゃいます。
何であんなにびっちり覚えようとしていたのか…(笑)。

子供の頃に覚えた言い回しや言い方って、ずーっと覚えていますね。お勉強バージョンでは九九がポピュラーです。
この早口言葉の内容が、例えば毎日一緒に生活していた(る)人の口癖だったりするケースがある。という訳で。


赤ちゃんが段々成長して行く過程で、どうやって言葉や言い回しや表情を覚えて行くのかと言うと、周囲の人の言動を見てコピーするというのが、一番大きなパターンでしょう。
2歳~3歳辺りに差し掛かると、周りの大人がびっくりするようなことを言い出します。
突然大人と同じような言い回しを使って、「誰の口真似してるの~!?」と目が丸くなるようなことって、ありますね。

小さい子がいきなりそんな風に喋る訳が無い。
ということは、誰かのマネっこをしているというのが真っ当な考え方でしょう。
その言葉の意味も分からず、言い回しの理由も知らず、でもその言葉を使う時の表情や動作や雰囲気まで丸ごと精確なコピーが出来てしまう。
子どもの学習能力恐るべし。日々、繰り返しその状態を体験する間に、その子は沢山の早口言葉をマスターして行くのです。

覚えていない程の幼少の頃からその練習をして来た訳ですから、それを考えようとしなくとも、口が勝手に喋るとか、頭の中でいつもその言葉がぐるぐる回る…というのは珍しい現象ではない筈です。
BGMとか環境音楽みたいなもんですよねー(笑)。


生まれつきポジティブな性質を強く持っているお子さんでも、父母や環境的に密接な関連のある人物がネガティブな言葉の習慣を持っていると、後付けで自分もネガティブな人間のように捉える可能性があります。
思考は言葉で行いますから、多用する言語がネガティブであれば、自分をネガティブな人間だと思うのは当たり前です。

でも、ひょっとして慣れ親しんだBGMがネガティブなカラーだったというだけで、自分そのものは違うかも知れない。
自分自身はぜーんぜん違う思考パターンを持っているかも知れない。
もしかしたら、ものすごくポジティブで楽天的で、ハッピーなことが当たり前の人間かも知れない。
会得した早口言葉の内容を自分だと思い込んでいるだけで、それは自分ではないかも知れない。
…等々、様々な可能性があります。


以前、職場の人の悪口を沢山言っていた方が居たのですが、その言い回しがまたキッチリ決まりきった定型文のように感じた私は、
「それ、あなたが思っていることではないですよね? 普段その言い回しを使っているのは誰ですか?」
と訊いたところ、
「うちのお母さんがしょっちゅう言ってます」
とのお返事がありました。あっという間の即答でした。

本人はその言い回しをずーっと聞いて来たことで、また自分がその言い回しをコピーすることで、まるで自分がそう考えているかのように思い込んでいる。
自分の体験から導き出された思考ではなく、現象によって自分がそのように捉えたのではなく、先に焼き付けの早口言葉があって、そのフィルターを通して現実を見ている。
だから実際にはその言葉と現実には齟齬があり、ギャップがあるのですが、本人は気付かないまま…だったりします。
疑似体験は疑似体験でしかありません。発生している事実と使っている思考にギャップがあるなら、思考の方がフェイクでしょう。


お話を伺うと、「うーん。事実を抽出すると、言っている言葉と全然噛み合わないぞー」ってことは山ほどあります。
「この言い回しを使い続けているせいで、事実が見えずそんなような気がしてるんだろうなー」と思う訳です。
ご本人様としては早口言葉を使っている最中、何ともビックリの感情体験まで擬似的にしている場合があるので、体感覚を"ブロック"の根拠にしていたり、本当に自分自身がそう考えている…ことになっているというのは案外多かったりします。

そう、身に着けた早口言葉には、感情(身体感覚)までもれなくセットになっていることが多いのです! ビックリですね!(笑)
いや本当に。気付いた時はビックリしたですよ。自分でも。
「……これ、嘘なんじゃないだろうか……」と気付いた時には驚きました。ええ。


だって本当に体感してるんですよ。その瞬間は。
例えば「胸の辺りがモヤモヤする…」とか。本当に涙がじんわり出そうになったりとか。
しかし、別の視点から見ると「これはただの癖で、環境的要因による学習の結果であり、実は気のせいで、または誤魔化しなんじゃないだろうか…」と思えたりもする。

で、「うわ! 私、そんなこと全然思ってなかった!!」つまり、ただの早口言葉だったと分かると、ガックリと力が抜けます。
これまで癒すとか気付くとか悪戦苦闘していた私は何なの~って。
でも分かって良かったのです。それ以上、無駄なものにエネルギーと時間を割く必要が無くなったのですから。ラッキー(笑)。



思っていること、感じていることが本当のブロックなのか、はたまたリアル体感ゲーム的早口言葉なのか。
要らない思考や体感は振り分けて、良い人生へのステップを簡略化して行かれるといいですね。
手を着けなくて良い所からはするっと手を引いて、最短距離で幸せになりましょー♪



続く。



今週より8月も中旬へ突入です。
海を楽しむ皆さん、季節から行くと今週末を境にクラゲが出そうです。その前に遊びまくって来て下さいね~(笑)。


8月9日は8月度のワークショップでした。
暑い中をご参加頂きました皆様、ありがとうございました。
今後三か月のスケジュールは、記事のラストに掲載してありますのでご覧下さいませ。



今回は、お客様のリクエストにより『"結婚"と"私"の関係を正しいものにしたい』という内容から、代理人を使ったワークを盛り込みました(その他、『仕事と私』について等もやりました)。

ご本人様が「私はちゃんと結婚に対して良いイメージを持っています」と言うものの、なかなか現実面に反映されないとしたら、それは果たして本当にそう思っているかな? という疑問が浮かびますね。
または、当人としては色々試みているものの、結果が出ない。ので、自分が潜在的にはどう思っているかを知って、その上で良いイメージに修正したいです。という場合もあるでしょう。


何はともあれ、ご本人様は輪の外から観察する立場に徹して頂き、別の参加者の方にお願いして『結婚さん』役と『私』役を割り振ります。
それから、位置関係を見たり、動かしながらお二方に今の状態や気持ちを訊き、じりじりと正解へ向かって動いて行くという、リアルタイプの箱庭ワークを行いました。

最初に配置した所、『私』も『結婚』もお互いが嫌で堪らず、「もう無理です」とギブアップした『結婚』の方が外へ退場。
その途端、『私』は「すごく楽!」とホッとした表情を見せました。
その頃、お部屋の外では『結婚』も「良かった、ラクになった…死ぬかと思った」と息を吐く状態。
さて、どういうことでしょう。


表向き・顕在的には『私』は結婚したい、いい結婚をしたいと言い続けているのです。
でも、それっぽい現象が起きる訳でもなく、しかし"結婚したい筈"なので、そもそも結婚についてどのように自分が捉えているかについて、全く見ていませんでした。
「だって、したい筈なんだもん」ってことで、潜在意識の点検をしなかったんですね。

潜在意識についての学びが進むと、外側の世界を見て、「なるほど、今はこういう情報によって自分は世界を作っているのだな」という認識をするようになります。
結果を変えたい場合は、外側をどうにかしようとするよりも、『自分の内側には、それについてどのような情報があるか』を観察する所から始まる訳です。


今回の代理人を立てたワークでは、潜在意識を目に見える形で浮かび上がらせ、ワークをするのが代理人故に「こう思っている筈」という予測や、こうしたいという気持ちが排除された状態になります。
という訳で、「結婚したい」なんてちっとも思っておらず、それどころか「絶対嫌。あんなの嫌だ」と、結婚に対して非常にネガティブなイメージを使っていたことが最初の段階でバレてしまいました(笑)。

本人様のみとワークしたとすると、ひょっとしてこんな風に正直には言葉が出て来なかったかも知れません。
「いいえ、私は良いイメージがあります」「結婚したいんです!」って。
なので、中々遅々として進まない現象に関しては、このように他人様にお願いしてワークを行うと、本当に思っていることが浮き彫りになる可能性が高くなるでしょう(それをご本人様がすんなり認められれば、一番良いのですが)。


あるテーマについて潜在意識と顕在意識が逆方向を向いている、というケースはそれほど珍しくありませんが、本人がそれを受け止められないということはよくあります。
普通に生きていると、潜在意識が何を考えているかということには、ほぼ気付かないのものです。
だからこそ「私はそんなつもりなかったのに」「どうしてこんなことが」と、起きた現象に対して怒りや否定を感じてしまうんですよね。

さて、そんな風にワークをジリジリ進めて行く中で、本人が心の奥で『絶対嫌です』とコミットしていたり、幸せになることより現状を優先している場合は、こういったワークも途中から進めることが出来ずに終わることがあります。
何故かと言うと、本人が許可したり望まないのに、その人の人生を他人に動かすことは出来ないからです。


ラストで最も自然な状態にフォーメーションが定まった所で初めて、クライアント本人にその状態を感じて頂きました。
幾つかのテーマで皆さんにそのワークを体験して頂きましたが、「視界が広い!! 生まれて初めてこんな風に感じました」と仰る方も居れば、「普通…です」というコメントや「身体があったかいです」という方もいらっしゃいました。

ずーっと「仕事はバリバリで、家庭も超・完璧にこなす有名人女性みたいになりたいと思っていた」人が、「あー、全然仕事じゃないですね…家庭に居て、家族に尽くすことがとても幸せです」と思ったそうな。
また、「今まで家族についてトラウマがあるとか、あれが嫌だこれが嫌だとネガティブに執着して、生きるべきを生きていなかった。私は一体何をしていたんだろう…」という風に気付いた方も。


これまで気付かなかった、ポジティブな部分を司る潜在意識に、顕在意識を寄り添わせる。
元々生まれ持って来た予定に、目を向けて乗っかる。
外側に探していたものを、内側に見つける。
色々な言い方がありますが、それぞれの方にとって最もしっくり来る状態が答えです。

また、これまでその状態から遠く離れていた場合、暫くの間落ち着かない可能性もあるし、逆に否定したくなる可能性もあります。
生活して行く中で、気付きや理解を深めて行かれると良いですね。





以下、今後のワークショップスケジュールです。


●9月6日(日曜) 11:00~15:00


●10月11日(日曜) 11:00~15:00


●11月1日(日曜) 11:00~15:00


※詳細はこちらをご確認下さいませ。




とても常識的な暑さ(笑)で、非常に楽に過ごせました本日です。
こういう時は日頃よりも更に有難さを感じますね。


さて、もうすぐ立秋が近いこともありまして、初秋をイメージしたアクセサリー画像を掲載しまーす。


accessory

accessory




accessory




accessory




accessory








さて、ここで珍しくも(?)カラーストーンの解説をば。

accessory

こちらは初めて使いました天然石の『アイドクレース』です。
入手が初めてなのと、それほどメジャーではなさそうなのとで、解説をちょっぴり。
本当は発見された場所であるベスピオ山から取って『ベスピアナイト』と言うそうですが、何故か先の通称で有名な石です。
見た目はペリドットによく似ています。以下は比較画像。


ペリドット
↑こちらがペリドット


アイドクレース
↑こちらがアイドクレース


分かりにくい…(笑)。
アイドクレースはカラーバリエーションが豊富だそうですが、半透明のオリーブカラー(というか、抹茶カラー)が恐らく最もポピュラーな天然石。
画像が分かりにくくて申し訳ありませんが、ペリドットよりやや渋い色をしているんですよー。

石に託された言葉は『真実の愛』。素敵ですね~。
他にも、真理を求める人を助けてくれるとか、覚醒に至るよう補助してくれるなど、色々あるようです。


宝石や天然石に人々が思いを込め、定義付けをしたのっていつからなんでしょうね。面白いです。
私個人としましては、どちらかと言うと色彩心理学的な作用の方が強いイメージがありますが、しかしそれぞれの持つ固有の波動はあるでしょうから、意味合いが的外れであろうとは思いません。
……まあ、綺麗ならそれでいいじゃないかと(笑)。




明日は8月度のワークショップです。
ご参加の皆様にお会い出来ますこと、楽しみにしております。




二十四節気では現在『大暑』まっただ中。一年の間で最も暑い季節を通過中です。
これを過ぎると来週辺りに『立秋』が訪れ、暑い中にも秋の気配を少しずつ感じることが出来るようになって行きます。

無事に秋がやって来るまで、どうかお元気にお過ごし下さいませ。




巷には色々なセラピーの方法がありますが、ファミリー・セラピー(家族療法)では、個人レベルのヒーリングとは違った側面から潜在意識に切り込むことになります。
ファミリー・セラピーは、その人の潜在意識を構成している原初の型という意味で家族に焦点を絞りますが、箱庭的な視点で取り組むので、組織であればどのようなものにでも活用可能です。


さて、その共通ルールで私が一番印象的に感じたのは


『一番の善人に見える人が、実は加害者』
『一番の悪人に見える人は、大概被害者』


というものです。
あ、この文章に出て来る被害者とか加害者とか善人悪人というのは、そのものという意味ではなく、『そのグループ内でその役割を負っている』という意味合いです。あしからず。


いやー、びっくりしますよ。
蓋を開けてみたら…「えええええええええええ」っていう感じです。
しかも、理解の過程は一度で終わることは稀ですから、何度も「えええええええええええ」です(笑)。

自己理解の道は長いので、構造を正しく理解して行く手順を踏み続けると、本当にそれまでの価値観がひっくり返るような体験を何度もします。
私も自分のことなのに、「えええええええええええ!?」「うっそぉおおおおおおおぉお!!」「マジかああああ!!」って何度も叫びました(笑)。
潜在意識は多重構造ではありますが、その深淵たるや本当に深く、何度も何度も開けてビックリ玉手箱…で、ございます。


潜在意識の理解に従って人間は役割や言動を演じますが(表向き、大概自覚はありません)、長年信じ込んで来た顕在意識での役割が、如何に間違っていたかと分かった時の衝撃と言ったら(笑)。
それまで間違った情報を信じて疑っていなかった自分にも驚きますし、暫くは「信じられない」と思考が停止するものの、徐々に「でも…あ…そうか…そうなんだ…」と納得して行くプロセスにも驚きですし、その後になってとても気持ちや体が軽く楽に感じられるようになることも驚きです。

理解が一つ進むごとに、自由になり、ラクになり、幸せになって行く。
癒すことのみならず、自分自身の認識や思考の構造を変化させることで、どんどん『自分自身』に戻って行きます。
何の為に自分がその組織内で役割を引き受けて来たのか、ひとたび真なる理解の道を歩み始めたならば、それまでがどれだけ苦しい道だったとしても、必ず自由へと導かれて行きます。


ところで、『真の答え』とは、自分が設定している答えではないことが非常によくあるケースです。
自己理解や潜在意識を癒す過程では、「これが不幸の理由である筈」「誰々が悪者である筈」という前フリがあるなら、それは一度手放した方が良いことであろうと思います。

過去の体験内容によっては、それはとてもとても受け容れ難いことかも知れません。それもよく分かります。
手放せと言っても、「だってあんなことされたのに!?」「あれが悪いことに疑いを挟む余地があるの?」という怒りも湧いて来るでしょう。

が、その答えへの期待や考えや思い込みが、自分を自由にすることを一番妨げているのかも知れないのです。
上記のファミリー・セラピーのルールと同じで、「あれが原因(の筈)」という前提が、正しい全貌を見えなくしている可能性があります。


自分が自由になる鍵は、自分がそれまで「これが原因で」と思っていたことではないかも知れない。
だからひとまず、「これが悪い」とか「これが原因に違いない」という考え自体を手放す。

「ひょっとしてそれかも知れないし、違うかも知れないし。でも、後々自分が楽になるなら、何が原因で何が背景にあった所で、もう何でもいいや~♪」

という位が、最適な答えを受け取りやすい姿勢だと思います。
プロセスではなく、良い結果にフォーカスを向けている状態ですね。



『何かが、誰かが悪い』という考え方を使っているから、苦しいのかも知れません。
それらの考えに拘ることなく、自分自身の良い未来と手を取り合って行かれると良いな~と思います。



遂に8月に突入しました。
夏! 暑い! 8月!(笑)

暦の上ではもうすぐ秋…しかし、日中は驚きの暑さになっていたりします。
皆様お元気でしょうか。夏休みに突入したおうちも多いでしょうね。どうか素敵な体験を沢山して下さいませ。



珈琲


珈琲



先日入ったスタバにて。
可愛い絵と『Thank you!』のメッセージ付きでカップが出て来ました。
こういう時、ちょっと嬉しくなりますねー。

こまめに水分補給をし、涼しい所でちょくちょくお休みになりますよう。
健康に夏を乗り切りましょうね。





同じ程度のポイントからスタートして、数年後全く別の結果を出すAさんとBさんが居ます。
あ、あくまで仮にの話ですよ。
「あの時は、二人とも殆ど似たような程度でネガティブな状態だったのになあ…」と思うと、その数年間の歩みに興味が湧きますね。

細かい体験は違えども、例えば思考や感情や環境の状態が似たような状態だったのに、Aさんはとても幸せになり、Bさんは相変わらず怒っている…となると、何が二人のその後を分けたのでしょう。
不思議だ。実に不思議だ…。



と、思うこともありますが。
内訳を見てみると大体共通した条件があります。
それは体験した出来事や他人様との接触に於いて、自分がどのようなスタンスで受け止めていたかです。

理解の進みが速い人は、大抵『とても素直』なのです。
「でも」とか「だって」とか言わない。人に言われたことを、一度は受け止める。
「そうなのか」「そうかも…」「うーん、なるほど」等々。
「よく分からないけど、一度その前提で考え直してみよう」とかね。

それに対し、同じ所でずっと留まる人というのは、理論武装したり怒ったり泣いたり言い訳を山ほどしたりと、折角のチャンスを弾き返してしまうのです。
如何に過去の自分が正しいかを主張し、言われたことや体験したことを一所懸命否定する。
と、そこで停止し続けることになります。



殆ど条件は違わないのに、受け取り方のスタンスの差が後に完全な明暗を分けるというのを、私は沢山見て来ました。
むかーし、私がお世話になっていた師匠も全く同じことを言っていたなーと思います。
「素直さだけが、その後助かるかどうかに繋がる」と。

周囲の人の言動を全て真に受ける必要は無いとは思いますが、必要以上に否定癖のある人は居ます。
とりあえずは、まず必ず否定する。何か言われると、反射的にキレちゃう。怒る。「否定された!」と言って、自分が否定する。
何を考える訳でもなく、内容に関係なく「でも」「だって」と必ず言うことに設定してある。
何か言われると「違います」とか「そうじゃなくて」が接頭語に必ず付いて来る。または、長々と言い訳をする。


こういうのって、殆ど習慣だったりします。会話上の習慣。小さい頃から練習していたことでしょう。
だから本人は「そんなこと言ってます?」って感じで、心当たりが無かったりもする。
習慣になる程、何も考えずに口を突いて出る程に、長年かけてずーっと練習して来たということですね。

ごく自然に出て来る、当たり前に使う言葉というのは、潜在的に信じきっていることでもあります。
自己暗示でもあり、アファメーションにもあたる。となると、必ずその言葉を使うことによって、物理的現象との関連が発生します。
これを繰り返している間に一年経ち、二年経ち…一度や二度ではその違いが分からないかも知れません。
でも、歩みを進めて行って暫く経てば、その差は歴然としているものです。


否定するということは、相手より自分の方が正しいと断定するということでもあります。
例えばプロの先生の所に行って相談をして、態々怒って否定して終わる…というのを繰り返しているとすれば、その人は『自分は一番偉いんだー』と主張していることになります。
別に相談して解決したい訳じゃないってことですね。
大体「分かってくれないあいつが悪い」と怒ってしまうのなら、そもそも分かってもらう気は全く無く、怒って自分がマウンティングしたかっただけ…ということに。

とは言え、これまで否定癖のあった人でも、真摯に反省をしてスタンスを変更することだって出来ます。
スタンスの変更は何にかかっているかと言うと、ズバリ『幸せになりたいかどうか』です。
これまで否定を続けることで、いつも幸せには辿り着かなかったなあと思えるなら、「じゃあ今後はどうしよう…何処を目指そう」と考え直すことも出来るでしょう。
その上で、一度は必ず相手の言うことや現象に対し、目を向け耳を傾け、妄想を挟まずそのまま受け止める練習をして行かれると良いですね。


プロフィール

Sachi

blog owner:Sachi
潜在意識を活用した、ちょびっとスピリチュアルな総合セラピー、癒しのワークショップ・タロットカードセッションをしているSachiです。
穏やかに楽しく成長出来るよう、入手した情報や、日々の気づき&
発見などをシェアして気ままに更新。
イベント情報も随時掲載中です♪

※記事の内容、情報については一個人の捉え方、考え方に纏わるものが大半です。
絶対的な事実という訳ではありません。
また、私の理解や気付きの段階に応じ、記事の内容にも随時変化がありますことを何卒ご理解下さい。
過去の記事をご覧になってセッションやワークショップにご興味を持たれた方は、最新記事近辺を幾つかご確認下さいませ。


旧blogタイトルは『気づきのステップ』。


■カウンセリング&ヒーリング&セラピーを総合した個人セッション、月に一度のワークショップ、またタロットカードセッションをご希望の方はサイトをご覧下さい♪


やや細かいプロフィール



I love you.

メール

名前:
メールアドレス:
件名:
本文:

recommend

マインドの変化を促すことで幸福体験をしたい方に♪



●心静かな時間を作り、暗示や瞑想に活用




●毎日コツコツ自分を浄化






●根本的に取り組みたい人は






●でも『コース』は難解だ…という人は




ブログ内検索

月別アーカイブ

Copyright © Sachi