resonance

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Date : 2015年07月

◆ Infomation

【works】
★ヒーリングセラピー個人セッション
 都内で対面式の個人セッションを行っています。
 幸せと癒し、学びと気付きを得たい方へ、様々に対応させて頂きます。
 潜在意識を日常へと活用することで、より良い人生へ変えることが可能です。
 随時お受けしておりますので、サイトをご覧下さいませ。

★癒しのワークショップ
 毎月一度、都内で女性向けの体験型ワークショップを開催中です。
 沢山の変化・癒し・浄化・成長・気づきを促すテクニックが山盛りです。
 2017年8月13日・9月3日・10月8日(全て日曜)
 の開催が現在確定しております。全て11時~15時です。
 ※以降の開催は決定次第upして参ります。
 ※それぞれ内容の詳細はサイトをご参照下さい。

もうすぐ7月も終わりますねー。


猛暑の中をウロウロしていると、「空気がホカホカしてるなあ」というよく分からない表現が頭の中に浮かびました。


はっ。
いやいやいやいや。


早く涼しい所に避難しなきゃ! と少々焦り…ホカホカとか呑気なことを言っている場合ではないです(笑)。
あんまり暑いと頭の中も上手く回らなくなりますね。


皆様も水分をこまめに取って、お身体大切にお過ごし下さいませ。






今日は『偶像崇拝』についてのお話。
…とは言っても、宗教とは何ら関係無いお話です。

旧約聖書の『出エジプト記』には、偶像崇拝を禁ずる記述があります。
神様が『十戒』でお馴染みのモーゼに伝えたとされる預言の一つです。



あなたはいかなる像も造ってはならない。上は天にあり、下は地にあり、また地の下の水の中にある、いかなるものの形も造ってはならない。あなたはそれらに向かってひれ伏したり、それらに仕えたりしてはならない。




今日に於いて、この内容は所謂『異教信仰』と解釈されていることが多いと思われますが、『眠れる預言者』エドガー・ケイシーのリーディングでは、偶像とは異教の神々や神の像等を指すのではなく"霊的成長から目を逸らさせるもの"、即ち現世的・世俗的な欲望という解釈が為されていて、面白いなと思いました。

とは言え、物質的な欲望や俗世の欲望そのものを完全に否定するものではないと思います。
当たり前ではありますが、現世的な欲望なくして人間は生きられませんし、これらを追求することを経て大きく成長される方もいらっしゃるでしょう。
ポジティブな気持ちで物質に囲まれている方も沢山いらっしゃいますね。
また、物質的な側面を通じて社会貢献されている方々も非常に多くいらっしゃいます。
なので、偏に物質的な欲望自体が偶像崇拝にあたるとは言えないでしょう。


となると、現世的な欲望そのものがどうのと言うより、それによって苦しむこと=偶像崇拝なのではないかと私は思います。
「あれが無いから…」「これさえなければ…」「あれのせいで…」という考え方ですね。
ネガティブな気持ちが一日の大半を占めること、とシンプルに言い換えることも出来るでしょう。

自分や他人を苦しめる考え方、ネガティブな状態に留め置く価値観を採用すること。
これらが偶像崇拝にあたるのだと思います。そりゃ神様も禁じますわー(笑)。


自分は不幸なんだ、苦しんでいるのだと思い込んでいれば、その考えや感情が主となり、"それ"に振り回されて生きることになるでしょう。
その時、我が人生の主人はそのネガティブな感情と思考であり、自分は"それ"に隷属した形となります。
なんで自分はこんなに不幸なのか、どうしてこんな目に遭うのか、何故自分ばかりがこんなことをしなくてはいけないのか…等々等々、汲めども尽きぬネガティブな文言で頭の中が一杯になり、それがまるで永遠に続くかのように錯覚します。
実際は全然続かないんですが。いや、続けようと思えば続けられなくもない…こともない? ん?(笑)

しかし、人間は何故生きて行くのか、どうして自分の人生は在るのかと真面目に考えたなら、『不幸だと言い張って死ぬ為』では納得が行かない筈です。
不幸な状態を肯定するものは、神ではなく人間の思考の奥深く、若しくは人間の歪んだ価値観が作った神の教義に存在します。
幸せを体現するよりも不幸に酔ってしまい、そちらに慣れることで不幸な精神状態に価値を見出して安住の地にしてしまうことも、珍しくはないでしょう。まさに偶像崇拝と言えましょうか。


長い間、共に在った自分の中の"不幸の感覚"に仕え続けることで、貴重な一生を使い切ることも出来てしまいます。そしてその逆もまた然り。
例えば今日一日、自分は何に仕えるか。どのような感情や思考や目的を奉じて生きるか。
喜びや感謝に仕えることも出来れば、怒りや妬みや悲しみや諦めに仕えることも出来ます。

人生で何を崇め奉るかは、自分が決めています。自分が決めているからこそ、路線変更や方針転換が可能です。
以前、ワークショップの会場で、自分を不幸なパターンに留め置こうとする執着を手放せないというお話が出ました折に「あー、それはまた…邪神崇拝ですねぇ…」と表現したことがあります。
単語では邪神だったり偶像だったり不幸だったりしますが、どう見えるかは千差万別ながら、全ては自分の心の裡に存在します。



如何に長いこと"それ"を崇め奉って来たとは言えども、いつでも気前良く手放すことが出来ます。
今日一日を愛の神に仕えることもまた、必ず出来るのです。


暑中お見舞い申し上げます。
猛暑が連日続いておりますが、如何お過ごしでしょうか。
どうぞお身体大切にお過ごし下さいますよう。


いやー、本当に暑いですねー。もうちょっと涼しくなったら嬉しいですよねー。
今年は程々の気温で嬉しいなー…とか…(笑)。

と、希望を述べておいて本題です。




自己ワークを行ったり、セラピーを受けたりという行動を取る中で、『涙』を流す場面があります。
例えば、子供の頃の抑圧した感情や思考に気付いた時が顕著でしょうか。
時には、「あっ! 私、間違ってた!」とか「ああ、有難い」といった気付きの瞬間もあるでしょう。

そういったプロセスを経る中で、涙の流れる場面は多々あります。
人によっては毎回。
…さて、涙を流す場面には二種類あることをご存知でしょうか。

ひとつは、『気付き』と共に流れる涙。
もうひとつは、『感情のアップダウンを作る』為に流す涙です。


流れる涙と流す涙は違います。
前者は深い気付きや理解が、その後に伴います。
後者は「そんなような気がしてスッキリ」という、逃避の涙です。

泣くことで、直面を避ける。泣き終わると、終わった気になる。
そういう涙を流すと、自分が誤魔化されてしまう為、問題に対してアプローチすることが不可能になります。
泣くことで、良い結果をもたらすことが出来なくなってしまう訳です。


気付きや理解の伴う涙だと、その後同じような反応をしなくなります。
同じ話題になっても、同じ場面に立ち会っても、同じ出来事を回想しても、感情が動くことはなく、泣かなくなる。
ちゃんと完了して、過去のことであると認識出来ているからです。

例えばインナーチャイルドワークや、過去世退行のイメージワークをしたとします。
潜在的なレベルで正しい気付きをそこから得ることが出来た場合。
如何にその瞬間号泣しようとも、同じ場面をその後イメージした時に、涙が…感情が…ということにはなりません。
他人様に「以前こういうことがあったんだよ」という報告をしたところで、それはもう終わったことであるという認識がありますから、やっぱり涙は出ませんし、感情がグラグラ揺れ動くこともありません。


感情が発生する時、涙が流れる時、内訳はどうであるか。
同じ感情に毎回態々振り回されていないか。
ちゃんと完了して、次に進んでいるか。
といったことを確認しながら自己と向き合うと、確実に進んでいるかどうかが分かり易いのではないかと思います。

感情が発生する時や泣く時というのは、本人様が無意識的に手を伸ばしてしまう内面的な癖という側面もあります。
過去を振り返って、どのような時に泣いたか、結果同じことを繰り返さなかったかどうか、ちょっと見直してみても良いのではないでしょうか。




前回の続きですよー。



"これまで自分の考え方やスタンスが全て間違っていた"というプロセスを経たとしても、幸せになりたいと思いますか?
他人や何かのせいにする癖を捨ててまで、幸せになる気はあるのかな?


あるのかな?
どうかな?
そう訊かれて、「YES」と即答出来ますか?



上から目線とか自分は特別とか一番とか不満をぶつけるとか他人様のせいとか八つ当たりとか、全部人生から消え去ります。出来なくなります。
それでも良いですか?

これまで目を背けていた人生になります。
例えば同じ目線でとか、譲り合ってとか、敬意を以てとか、こちらから差し出すとか、相手の幸せを本当に喜ぶとか、時に期待通りにならなくてがっかりするけどそれは自分が勝手に期待しただけで相手は関係無いとか、見返りが無くても全く気にしないとか、過剰に良く思われるかどうかについて興味が無くなるとか、周囲が思い通りになるとかならないとかもどうでも良くなるとか、これまでのあれこれも全部自分の責任になるとか、そういうことが沢山人生にやって来ますが、それでも良いでしょうか。


うーん読みにくい(笑)。


実は前半、長く書いた文章を削除しまして。
ちょっと目先を変えます。



私がこれまで調べました所の、脳科学的な観点からこれらの状態を見てみます。
あくまで素人の観点ではありますが、現代日本では有難いことに専門知識もある程度までならwebや書籍で入手可能という素晴らしさ。ありがたやありがたやー。


では。
誰かをバッシングしたり、上から目線で怒ったり、不満を誰かのせいにすると、脳内の神経伝達物質の一つである『ドーパミン』が山ほど分泌されます。
ドーパミンが分泌されることで、「私は正しい!」と一瞬のみ快楽を感じるんですね。
なんかハアハアしますよね。「私は正しい! 周りが間違ってる!」って主張する時って、やたらハアハアします(するよね?)。
このハアハア感、或いはガツガツ感、鼻息感(?)が、ドーパミン大量分泌のお知らせだと思ってみたりしても良いかも。

色々あるので省きますが、ドーパミンそのものは全く悪いものではありません。
「目標に向かってがんばるぞー」とか「良いことがあって嬉しい!」といったやる気と密な関連がありますので、適量の分泌や正しい方向性に対して分泌されるならば、むしろ良い影響があります。
しかし「私は正しい!」っていう時も出るし、やる気に燃えている時も出ます。だから主観では区別が付きにくいかも知れません。




そのドーパミン様ですが、分泌過剰になると『中毒』『依存症』を起こす模様。平たく言えば自家中毒です。
使い方を誤ってしまうと、"誰かを叩いたり八つ当たりしていないと居られない"、"それが出来ないと苛々する!"みたいな状態でしょうか…ドーパミンを出したくて、言い掛かりを付けて回る、みたいな。何というか本末転倒。

これについては、複数の方が証言されていました。
「他人に八つ当たりしまくって怒りをあらん限りの力でぶつけると、物凄くスッキリして気持ちいいの♪」って。
更に、それによって「相手が落ち込んだり嫌な思いをすると、もっといい気持ちになる♪」のだそうです。


上記の情報から行くと、この時点でドーパミン依存症になっている可能性が大です。
だって「気持ちいいから難癖付ける」って言い切ってますし。
何か問題があるから怒りをぶつけるんじゃなくて、怒りをぶつけてスッキリしたいから言い掛かりを付けるという。
依存症、中毒症状の典型的な状態なんじゃないかと思います。

ところで、どの神経伝達物質もそうですが、程々且つ適量の分泌量が良いそうです。何事も中庸、バランスが大事ってことですね。
詳しく知りたい方は、是非お調べになってみて下さいねー。
ここで「勝手に沢山出るドーパミンのせいなんだ! 私のせいじゃない!」と思ってしまうなら、その時点で過剰分泌になっている可能性があるので、どうか気を付けて下さいませ。



脳内の神経伝達物質には他にも種類がありまして、内なる平和を感じるのに役立つ『トリプトファン』や、最近有名になったほのぼの幸せ『セロトニン』なんかに意識を向けるようにすると、バランスが取りやすいのではないかと思います。
因みにトリプトファンもセロトニンも、原材料となる物質は経口摂取…つまりお食事からしか補給することが出来ません。
なので、良質な栄養素と食事を取ることは、気持ちの持って行き方を真剣に検討したい方にとって、非常に大切なことなのです。

何故『栄養素』と『食事』という風に表記を分けているかと言えば、同じだけど違うから。
お食事をちゃんと取っていたとしても、その方の生まれながらの栄養状態は千差万別です。
また、生育環境によって長年の食習慣は異なります。
「ちゃんと食べてるよ?」と言う方でも、カロリーとは別で、何らかの偏りは出てしまうものです。
それに、適量食べても身体が吸収しにくい栄養素と言うものは存在します(代表的なものは鉄分)。


更に更に、アダルトチルドレンで育ってしまった人は、栄養の吸収力が非常に弱いのです。
これは自分がそうだったから、本当にしみじみとよく分かります。
周囲の顔色を窺って育った人や、のびのび成長出来なかった人は、毎日がサバイバルだった訳ですから、無事に生き延びる為に肉体が臨戦態勢を取ります。
いつでも逃げられるようにとか、いつでも反撃出来るように、24時間体制でピリピリ…ということですね。
そうすると、身体の細胞がフル回転で働き続け、通常時の3倍程度のエネルギーを消耗すると言われています。

こうして慢性的に栄養が欠乏した状態が当たり前で育つと、肉体がまともに働かなくなります。
結果、消化・吸収がものすごく弱くなる。それが長く続くと、それが当たり前になる。
沢山食べても吸収しにくい。吸収しにくいから、栄養素が欠乏する。栄養素が欠乏すると、心身のバランスが崩れる…というように、悪循環です。


という訳で、手っ取り早い栄養素の補給に、良質のサプリメントをお勧めしている訳ですよー。
私は数年間飲み続けて、基礎体力が上がり、上下するメンタルが安定し、身体がとても楽になりました。
目が覚めて起きるのが楽! 寝付きも良い! これだけの変化でも、本当に有難いです。
以前は常時フラフラして、よく倒れたり転んだりしていましたが、それも無くなりました。凄いことです。

因みにサプリメントは薬ではないので、出来るだけ続けることが良い結果に繋がります。
更に、良いものを選ぶことが大切です。同じ名前なら、何でも同じではありません。
メーカーさんによって、作り方やグレードが全く違う模様です。私も実際取り入れてみるまで、その素晴らしさを知りませんでした。
栄養について知って行くことは、自分の肉体について知って行くこと。本当に奥が深い学問です。
…栄養のことも語ると長くなりますのでこの辺りで。




栄養素もある程度以上はクリアした状態で、それでも尚「私は正しいと主張することが一番良い」のだとしたら、もうそれはその人の在り方の問題です。つまり、心の持ちようの問題ですね。
という訳で、冒頭の質問がある訳です。

これまでのように自分は正しいと言い続けることが出来なくなったとしても、幸せが良いでしょうか?

何かのせいだーと転嫁することが出来なくなっても、それでも幸せがいいですか? いい? 本当に?
例えば他人様と仲良くするっていうのは、上から出られないということでもあります。私は特別! って出来ない。
これまでのような、上から目線を使えなくなっても、いいですか? それでも仲良くするという関係性が欲しいですか?


…という感じで、一つずつじっくり問い掛けて行くと、これまで気付かなかった自分の心理に気付けるかも知れません。
その上で今後はどうしたいか、決め直せると良いですね。
願わくば、より自然な方向へ。それぞれの魂が願う方向へ、方向修正が出来ますように。



台風が通過中の列島です。
大雨や大風にどうぞご注意下さいませ。




長いこと色々な方々のご相談をお受けしている中、また自分がセルフワークを続ける中で、人の心理を垣間見続けていますが、ある時

『現状をより良くしたい(=幸せになりたい)』

タイプと、

『こうなった理由を解明したい(=特に変化は望みません)』

タイプの方がいらっしゃることに気付きました。


明確にこの二種類の心理は異なります。
前者は早いです。元々、具体的な目標が決まっていて、そこに向けてお手伝いをすれば、遅かれ早かれ目標達成。
多分、セラピーに携わらなくても、いずれは目標を達成するんですよね。
人間、顔が向いている方向へ必ず進みます。

前を向いていれば足は前に出ますし、横を向けばそちらへ進むようになっています。
だから、どうなりたいか、何が欲しいか具体性があると、必ずそこへ到達するんです。


嘗て私はインタビューのお仕事を数年間に亘りさせて頂いておりましたが、お仕事についてお話を伺った皆さんは口を揃えて、「小さい頃から憧れていて」とか「やってみたくて」と仰っていたな~と思います。
他にも、雑誌やwebで色々な方のインタビューを読んでいると、「やりたかった」「なりたかった」という前提があった上で、「ひょんなことからご縁を頂いて…」みたいなプロセスを辿っています。
つまり、"自分が向いている方向へ進んだ"のだと言えます。結果を先に決めてあって、後から手段が付いて来る。

中には「全然考えていなかったのですが、気付いたら」という方もおられます。
こういう方は、所謂『降って来た』タイプなのだと思われます。
若しくは、潜在的に予定があって、顕在意識では感知していなかっただけ…かも知れませんね。


◆ちょびっと豆知識◆
潜在意識をお勉強して行くと、『どのような結果が出たにせよ、潜在的に合意していなければ現象としては発現しない』という大原則に行き当たります。
いつも嫌な目に…という方は、そのようなプログラミングが潜在意識にある。

更に、この"嫌な目に遭う"のも、大別して二種類あります。

1:他人が言いなりにならない、思い通りに動かない、自分を褒めない
2:努力しているが、何故か割を食う羽目に。どうしてかいつも貧乏籤

といった種別です。
これについてざっくり言うと、前者は新型の不幸症タイプ、後者は旧型の不幸症タイプです。


…豆知識終わり。




冒頭の話題に戻ります。
『何でこうなったか知りたい』というタイプの方の中には、それが解明されたとしても「でもやっぱり」「なんか納得行かない」といった状態にすぐ立ち返り、繰り返し続ける人がいます。
そうすると結果から見て、「あれ? 別に何かを求めている訳じゃないんじゃ…?」ということになっていたりも。

「こうなったのは何か自分では預かり知らない所に原因がある筈なので、それが原因だと証明したい」という考え方ですね。
この考え方を使っている時、自分の外側に原因を求めます。
スピリチュアリズムの原則である『体験したことは、自分(の潜在意識や魂)に責任がある』という部分を認めない状態です。



技術や理論ばかりを沢山お勉強しても、肝心の『このように幸せになりたい』という目標が無いことによって、また『自分以外の何かのせい』という考え方を捨てきれないことによって、いつまでも欠乏感や飢餓感を感じたまま生きて行くことに…。

長くこのお仕事をさせて頂いておりますが、何らかのきっかけやセラピーを経た後に、それまで自分が思い込んで使って来た考え方やスタンスが通用しなくなりそうなことを察したり、また実質的に変化を体験しそうな気配がしたことで、頑強に抵抗する方がいらっしゃいます。
しかも、良い変化の兆候が表れた途端、泡を食って抵抗をする人が居ます。
え? 良い変化なのに? なんで!? どうして!? って思いますよね。


実は、長いこと文句を言い続けていた人や、自分が不幸なのは○○のせいだと主張していたり、自分は特別な人間だと思い込んでいた人、それから自分の外側に対して自分の不満の原因や怒りをぶつけ続けて来た人には、このタイプが多いのです。
で、態々忙しくしたり、スピリチュアルのお勉強を沢山沢山やったりと、意識を目の前の変化から逸らし、どうにかして良い変化を否定する訳です。

そうすることで、これまで使っていたルールや考え方(自分は正しいとか誰かが悪いとか)を捨てることなく、ネガティブな安心感を得ているケースが非常に多い。
過去も自分の責任でどうにでも幸せになれたのだ、という事実を拒絶したいんですね。
やっぱり何かのせいで不幸だった、という理屈の方が大事。ということです。

良い変化に抵抗し、無事そこから逃れることで「ああ、やっぱり変わってない(良かった、私は間違ってないんだ。ホッ)。じゃあこれ以外の何か…多分私が思う所によからぬ原因があるに違いない」と、流浪の旅を続けることになります。
やっていることから判断するに、「あくまでも過去の自分の正当性が大事で、やっぱり幸せになりたい訳じゃないんだなー」ということに…。



折角お金と時間を使ってセラピーを受け、セッションを受け…とがんばっても、抑々『私が正しい』という考え方のルールを手放せないことによって、結果を否定してしまうという…非常に残念なことです。
結果が欲しいのか、手段が大切なのか。

往々にして、自分が主張する考え方や手段では、良い結果は生まれないことになっています。
何故なら、それが本当に正しければ、これまでの歴史でとっくにそれを証明出来ている筈だからです。
そうすると特に悩みもなく、毎日幸せで満足に生活していることになりますし、であれば大概はセラピーやヒーリングに行き着こう筈も無く…ということにー(笑)。


究極的には『目的(幸せ)』か、『それまで使って来た考え方(=結果的に不幸を生み出して来た道具)』のどっちを取るのか? ということになりますね。

長いこと使って来た考え方のスタンスは、小さい頃にその場を切り抜ける為の生き残り戦略として採用したものが殆どです。
当時はそれで役に立ったのかも知れませんが、以来どれだけポジティブな結果を生み出したか振り返ってみれば、今それに拘る必要があるのかどうかは一目瞭然。
現在の幸せに結びついていないなら、それはもう要らないんだと思います。



理解出来ない状況や、それまでのルールが通用しない現実に直面した時、大体人間は混乱します。
そこから逃避しようとして色々動き回るのですが、適切な処置としてはそれが何であっても直面する以外に方法はありません。
直面とは何かと言えば、事実を見ること。現実と向き合うことです。
「ああだからこうなったに違いない」といった理屈を持ち出すのではなく、責任を逃れようとするのではなく、ただ静かに留まってじっと見つめることです。

苛々して我慢出来ないとか、何かしなくちゃと焦る時、その気持ちは必ずネガティブな状態である筈です。
逃避や否定の気持ちから何かをしたとて、良い結果を招くとは思えません。逃げたような気になっても、またやって来ます。
一度その気持ちと共に過ごしてみる方が、余程楽になります。
静かな時間を取って、その気持ちと共に在る状態を暫く続けてみる。
衝動や感情、ネガティブな思考と距離を少しだけ取った時点で、『より幸せな状態は何だろう』と考えてみるのも良いでしょう。


呼吸をして、落ち着いた状態にまで自分を持って行く。
逃げたい、否定したいと言うなら、それは何から逃げたいのか、何を否定したいのか。
そうしてこれまでと同じことを繰り返すのか。ずっと? この先も?
どこを見て生きて行くのが自分にとって良いのかな? ……等々、じっくり考えたりも出来ます。


これまで反射的にして来たようなパターンに直ぐ入り込むのではなく、ちゃんとご自分を見つめて行くと、自ずと答えは分かるのではないかと思います。



暑い夏を体感する毎日ですね!
各地の皆様、水分をこまめに補給して日陰や冷房のある場所での休憩を心がけて下さいね。

夏場は通常時よりも体力の消耗が激しいので、良い栄養素の補給はとてもとても(強調)大切です。
お食事のメニューや良質なサプリメントの補給も、いつもより意識を高めに設定すると良いのではないかと思われます。
タンパク質だけでも、普段より多めに摂取して参りましょう♪



まずは今後のスケジュールをば。



●8月9日(日曜)
11:00~15:00



●9月6日(日曜)
11:00~15:00



●10月11日(日曜)
11:00~15:00




詳細はこちらへどうぞ♪




さてさて、去る12日は7月度のワークショップでした。
ご参加下さいました皆様、まことにありがとうございました!


毎度やる内容やワークが変化します。
何故なら、お客様のニーズや状態によって、最適な内容が変わるからです。
もちろん、リアルタイムの状況によって進行も変化します。残り時間の問題もありますが(笑)。
皆さんの潜在意識の状態を読み取りながら、進行の調整をしているのですが、やった方が良いことは事前に準備してあるものや、その時降って来るもの、お客様のリクエストなど様々です。

その瞬間ドンピシャで理解に至らなくても、おうちに帰って日常生活を送る中で「あっ」と気付くことや、気付いていなかったけど変化していた…なんてことも沢山あるでしょう。
人によって、結果の得られ方はバリエーションがあると思います。
数年後に「あ」に至る人も居るかなーと(私自身はこのケースが割と多いですねー 笑)。



今回のメインは、『家系や家族内に於ける、正しいパワーバランスやポジショニング』に関する学びでした。
所謂『家系のパターン』や『家族のカルマ』と言われるようなものに関する内容ですね。

「なんかうちって、代々こういうことが起きる人がいるんだよね」
「どういう訳か女性の方が強いんだよね」
「離婚してる人が多くてさー」

こういう内容、どのおうちにもあると思います。
特色はそれぞれでしょうが、これらは一人ひとり、またその家系によって全く違う内容が含まれています。


家系のパターンも家族のカルマも、人の潜在意識の奥深くにある情報である、と言い換えることが出来ます。
「家系のパターンなんて知らないし、どうしようもないよー」と思われる方もいらっしゃるかも知れませんが、そんなことはありません。
前述の通り、『その人の潜在意識にある情報』という捉え方になりますから、ちゃんと意識を向ければ動かせます。

その家系の人は、実は皆さん同じパターンを潜在意識に共有しているのです。
老若男女に関係なく、そのおうちの人であるというだけで、潜在的には同じ情報を所有していると言えましょう。
その情報に従って、それぞれフォーメーションを組んでいるということですね。
当人達にそのような意識は、表面上ありません。「なんか気付いたらこうだった」「昔からこういうポジションだった」ということになるでしょうか。

これらの、また更に詳細な潜在意識に隠れている情報を明るみに出し、全体のシステムを見直し、より自然な状態に整理し直す。
何らかの理由で虐げられていたり、忘れ去られていた人にもスポットを当て、その人達も含め家系や家族の一員として認識する…というような作業をすることで、自分自身の潜在意識の情報がポジティブ(=正常)なものに書き換わる訳です。



自分個人の人生が、どの要素から構成されている部分が大きいか。
もっと言うと、その人が潜在的に『これが土台になって今の人生があります』と思っているかによって、何にアプローチすれば変化するかというのは違って来ます。
大体、顕在的に思っていることとは違うケースも、間々あります。

例えば親子関係なんかについては、インナーチャイルドのお勉強をされる方は通る道でしょう。
確かにアダルトチルドレンや傷ついたインナーチャイルドについては、親子関係を整理することで癒されるということが非常に多い訳ですが、
「それはそれで良かったけど、なんか届いた感じがしない…近いような…遠いような…」
という方については、もっと大きなスケール…つまり、家族そのものや家系に注目すると「あっ!」に至るかも知れません(無論、人によりますが)。



組織論をご存知の方であればご理解頂けるでしょうが、ある程度の人数が集まる場所というのは、全体で一つという『個』が形成されます。
学校や会社、サークルなんかもそうです。個にして全、全にして個。
この視点を持つことで、例えば個人が何らかの問題を起こしていると見るのではなく、全体のシステム異常と捉える訳です。

これが家族になると、 『家族の機能不全』という言い方になりますね。
悪役に見える誰かも、何らかの理由でその役を買っている。
大変な人生の人は、どういう理由かがあって全体に対するスケープゴートをしている。
だから、特定の誰かを悪者にして排斥しようとするのではなく、愛を以て正しいバランスに調整する…そうすることで、家系や家族の誰もがスムーズに生き易くなる。
そういった考え方です。



現在のファミリーの調整のみならず、場合によりけりですが結構前のご先祖までどんどん遡る必要性も出て来るかも知れません。
こういう場合、「ご先祖の影響が強いですね」と言われる人もいらっしゃるでしょう。
ご両親、ご兄弟はもちろん、ご先祖様も全て、今の自分を構成している有難い要素であると考えるなら、彼らにも良い状態で居て欲しいと思えるんじゃないでしょうか。


丁度、日本での7月~8月はご先祖のことについて考える方も多いシーズンです。
個人の視点ではなく、全体の中の一人という視点でご自身の人生を見直してみるのも良いのではないかと思います。




あれ…梅雨は終わってしまったのでしょうか…(笑)。
やっと快晴の日が続くようになりましたね。7月らしいお天気と気温です。
雨は雨で有難く、晴れは晴れで有難いと思います。


新しいワークの手法を試験的に導入してみた所、物凄く疲れることが判明してゼエゼエしながら習得に励んでいます。
超のつく短時間でも、その後フラフラするんです…ちょっと及び腰になる位で…(笑)。
そのやり方は、潜在意識に対してダイレクトに手を突っ込む作業になるからなんじゃないかなー? と思いながら、そのパワーに圧倒されています。

世の中には多くのワークやセラピーやヒーリングの手法がありますが、個人的な相性やその時の理解度等に応じて、効果覿面というテクニックは違うと思っています。
進み方に応じ、また受け容れるキャパに応じて、新たなテクニックに出会うのではないかと。
先人の智慧と経験を受け取らせて頂けるというのは、何はともあれ本当に有難いことです。




さて、降っても晴れても使えるアクセサリーの画像を載せておきまーす。


accessory




accessory




accessory



本日は7月度のワークショップです。
ご参加の皆様、お気を付けてお越し下さいませ♪




相も変わらず雨の続く7月ですね。
噂によればそろそろ晴れるらしいですよー。
明日はお洗濯物を外に干せるかも!(笑)




時に、自分を苦しめているものから自由になるにあたって、それまで取って来た姿勢がそれを最も阻害することがあります。
色々なケースを見て来た中では、『被害者の立場』がそれに該当することが非常に多くありました。
…というより、潜在意識の視点から見ると、被害者の立場に"留まっている"ことは、非常にネガティブな感情、思考、肉体、行動パターンを生み出す元になります。

単純に言うと、自分が被害者で居続けるには加害者と"された"ことと"自分が被害者で居る必要性"を凝視し続け、しがみ付き続ける必要がありますから、それを続けるというのはやっぱりとても大変なことだと思います。
自分自身を振り返ってもそうでした。そうですよ。本当に(笑)。
なので、例えば人生に影を生み出す被害者に留まる思考を手放すことが、結果的に自分に幸せを齎す近道である場合も多々あるという訳です。


例えば何らかの事件が発生した時、被害者側に立っている人は、基本的に相手に何かを要求します。
それを口に出さないとしても、心の中で思っています。相手に謝罪を要求したり、補償を要求します。

若しくは、自分自身が如何なる状況に於いても不幸で居続けることを選択します。
どのようなケースでも、潜在的には大体同じです。被害者というのは、「自分は不幸だ」と思い、それを体現して生きているということですね。
これは仮に加害者側が幾ら謝罪や補償を続けたとしても、被害者側が被害者で居ることを選択し続ける限り、決して終わりの無いループに嵌ることを示しています。


また大概の被害者にとって、加害者の対象者は拡大します。
親愛や友愛からではなく、周囲の人間関係を上下と利害のみで判断します。
故に、被害妄想や被害者意識や被害者で居ることそのものが、親しい人間関係や善き人生を構築することを阻害し続けます。

更に、色々な出来事を被害者フィルターを被せて見るようになります。
口に出すか出さないかは別として、周囲に対して不満と要求を抱き続けます。
ある程度、周囲が自分の思い通りに動いたとしても、被害者の立場を固持する為に不満や怒りを手放すことはありません。
自分がこの立場に留まる間は、もっとレベルの高い要求を突き付けるのみです。
つまり、世界中が思い通りになるまで、攻撃の手を緩めないということ。
恰もそれは、事態の解決や自分が解放されることに価値が無いと言い、被害者で居ることに執着し続けるかのようです――――実際、残念ながらその通りなのですが。



不自由から自由に至るまでには、理解の段階を経る必要があります。
突然解放される、ということは非常に稀です(全く無いとは言い切れませんが)。
自分の潜在意識に押し込めてある問題の構造を、意識的に理解して行くプロセスを経て、「ああ!」という風に理解を得ることになるでしょう。

何が原因で自分の心を縛り付けているかについては、人によって理由や出所が違います。
兎にも角にも原因は、『潜在意識がそのように受け止めた』という処がポイントです。
メジャーなものを挙げても、幼少期の体験・胎児期の体験・両親とその家系(先祖)から受け継いだパターン・過去世等々、ご本人様の潜在意識が「これが原因です」と言っているものに対してアプローチしないと、楽になるのは難しいと思われます。
逆を言えば、ここにアプローチしてしまえば、解放へのチャンスは幾らでもあるということです。




ところで、このアプローチですが。
それまで頑なに拒んでいたことが最大の効果を発揮する、ということも珍しくありません。
例えば死ぬほど嫌いな、或いは一番軽蔑していた、無視し続けていた人に敬意を以て頭を下げる(謝る)ことで、自分が解放される…というのはよくあるお話です。
被害者の立場に居る時、それは自分にとって最大の屈辱のように感じるかも知れませんが、自分を縛っていたものから自分を解放する、ひとつの鍵かも知れません。

ただ、この場合は「心から」「敬意を込めて」という処に重要なポイントがあります。
繰り返し練習をして、本当にそう思えるまでやってみるのも一つの道かも知れませんね。
とは言え、「そんなことをする位なら死んだ方がマシ」という位に怒っている人については、その限りではなく。
まだそこに至る程には、理解のステップを経ていないという証拠です。

ところで此処で注意したいことは、"手放すステップを経なければならない"または"怒っている、自分は正しいと思っていることが悪い"のではなく、"現段階で怒りに留まっているという事実がある"ということです。
怒りに呑まれている時、自分に完全な賛同をする意見以外は全て否定という観点で捉えがちなので、どうぞご注意を。



で、自分がネガティブな扱いをして来たそのお相手は、どういう訳か生まれて育った家族内に居ることが多いのが興味深い話です。
自分がぞんざいに扱って来た、敵視して来た、または自分に対して加害者であると思う相手。
彼・彼女らを悪人扱いしたり、自分より下に見ることで、一体どれだけの自由や喜びや幸福感を感じて来たか、ちょっと振り返ってみると良さそうです。
あくまで冷静に、客観的に。今すぐ大好きにならなければいけない、とかそういうことではなく、事実をピックアップする。

こういうことを自分が心の中で、行動の中でしている時、非常に不愉快なのが普通です。
「他人を下に見ることで、自動的に自分が上に位置するので、その方が自分にとって良い」
と言う人がいます。
でも、他人様を下に見た時、果たして良い感情体験をしているのでしょうか。

シンプルですが大切なことです。
幸せがいいのか、正しいと思い込んでいたいのか。この二つは相反したベクトルの上に存在します。

●幸せ + 被害者や加害者は不在 + 正しいかどうかではなく、幸せかどうか
●不幸 + 被害者か加害者 + 自分は正しい、相手は間違い

という具合に、これらの状態はセットになっているのではないかと。



自分の経験上から言っても、自分は正しいと言い張っている時、怒りを感じていることが大半です。
何故そこに怒りを感じるのかと言えば、まるで惨めな敗者かのように自分を見ており、更にそれを否定し拒絶する為です。
これ自体、有り体に言えば不幸な体験です。

もし本当に自分が正しいのなら、不幸を体験している筈が無い。と、思います。
色々試している内に、この「自分が正しい」「被害者」という考え方こそが、自分を不幸にしているのだと気付いて、驚きました。
あらゆるネガティブな感情体験をざっくり纏めて不幸にカテゴライズするなら、ポジティブな感情体験を幸せに分類して、それがより自然な状態だと定義するのであれば、やっぱり自分は間違っていたのです。

物理的に加害者と被害者が分けられるケースも多いかも知れませんが、その時やその後、自分がどのスタンスを取るかについては自分で決められますし、決めた後でそれが間違っていたと気付いたならば決め直せます。
まずは、どのような状態を自分がゴールに設定しているか、正しいと定義しているかを見てみると良いでしょう。



良い体験・結果を目指しているならば、人は目指している時点で良い感情体験をします。
幸せを目指しているなら目指している時点で、またプロセスのどのポイントでも幸せを感じるということです。
怒り狂った状態で、或いは正しさを振りかざした状態で幸せを目指すのは不可能なのです。

言葉と感情的体験が同方向に沿っているのか、或いは逆を向いているのか。
そういった初歩的な所から見直してみると、意外なことに気付くかも知れませんね。



7月に入りましたねー。
梅雨時なのもあり、炎天下というお天気に遭遇しない毎日ですね。
昨年までの10年程、暑くて暑くてどうにかなるんじゃないかと思ってしまうような状態でしたが、今年は昔を思い出すような気象条件のようにも思います。
涼しい方が好きなので、夏の暑さがお好きな方には申し訳ないのですが、私はとても有難いです。(^^;)


さてさて、先日のワークショップの開始時に『愛されていることを認める』というイメージワークを行いました。
『愛されている感』『愛されていない感』について土台から再検討することは、生きて行く上でとても大切なことですので、本日はこれについて。


一度、考えてみましょう。
何がどうである時、愛されていると思うのかを。
言い換えると、「私は愛されていない!」と言う時、どうしてそのように考えるのか。


個人個人で『愛』の定義は違います。
それを何で測っているのか、違うんですね。



ここで、聖書の有名な『コリント人への手紙』から抜粋します(あ、私はクリスチャンではありませんです。念の為)。
この一節は非常に有名で、私は過去にあった知人の結婚式(@教会)にて、この言葉を読み上げるお役目を頂戴したことがあります。
秀逸な聖句ですから、今でもあちこちの結婚式で引用されているのではないかと思います。


愛は寛容であり、愛は親切である。また人を妬まない。
愛は自慢せず、高慢にならない。
礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、不正を喜ばずに真理を喜ぶ。
全てを我慢し、全てを信じ、全てを期待し、全てを耐え忍ぶ。



愛というものを出来得る限り言葉で説明していますが、これをお読みになって「で、だから何なの?」と思われる方もいらっしゃるかと。
言葉はエゴの産物です。エゴと愛は対極に位置します。というか別次元の存在です。
なので言葉で説明するのは非常に難しいのですが、というより事実上不可能なのですが、上記の内容はかなり頑張って本質に近いものを解説していると思います。
更に詳細に分解してみましょう。


『愛は寛容』
何でもかんでも(犯罪でも)OKということではありません。批判やあげつらうことをしない、という意味です。
で、先ずは認める、という内容かと思います。「なるほどね」と。

『愛は親切』
相手の先々までの幸福な生活、調和した状態を想定して行動するということ。

『愛は人を妬まない』
言うに及ばず、です。他人の幸福を呪うとか、他人と自分を比較して僻むとか、そんな発想は愛にはありません。

『愛は自慢せず、高慢にならない』
「自分は特別」「他人より優れている」という考え方が存在しません。
またその逆に、「私は他人よりも劣っている」という考え方もありません。

『礼儀に反することをせず』
"誰にでも"礼儀正しい、ってことです。小さなお子さんや赤ちゃんにも、また出自や肩書や年齢や環境や性別や状態諸々に一切関係なく、自分と同じように相手を尊重し、接します。

『自分の利益を求めず』
自分の利益というより、自分"だけ"の利益でしょうか。利己ではなく利他を求めるのが愛。

『怒らず』
読んで字の如くです。怒りとは理解出来ないという心理でもあり、劣等感その他諸々のネガティブな考え方の現れです。
当然、これは何処まで行っても愛ではありません。

『人のした悪を思わず』
所謂"大岡裁き"な発想です。罪を憎んで人を憎まず、って言いますね。
その人が何か過ちを犯したことがあったとしても、その人の本質そのものが悪だと決めつけることをしてはならない。
「以前あんなことをした」という、過去に犯した過ちをその人そのものだと思い込まない。
かといって、根拠の無い「今度こそ」な期待とも違います。

『不正を喜ばずに真理を喜ぶ』
そのままです。ここにある不正とは、自分の心の奥底で間違いを知っているかどうかという部分が重要でしょう。
真理とは神の摂理、或いは宇宙の摂理です。魂の、と言っても良いでしょう。
人の心を深く深く見て行くと、全ての人の中に善性を見出すことが出来ます。

『全てを我慢し』
不当に嫌な思いをしろと言うことではなく、「なんで私がこんなことしなきゃいけないの!」というお門違いな不平不満を思うことなかれ、って話です。

『全てを信じ』
宇宙や世界を、ひいては自分自身を信頼しましょう、という意味です。
自分にとっても、他人にとっても、長い目で見るとか大局的に見ることで、「全ては上手く行っているのだ」と本当に信頼出来るのが愛。

『全てを期待し』
自己都合的な期待ではありません。上記の『全てを信じ』と同じく、ちゃんと辻褄が合うこと、それは自分のミクロコスモスな視点では現在分からないかも知れないが、マクロな視点では必ず上手く行くようになっていると結果を信頼することです。
「起きることはどんなことでも、今後の自分にとって最善の出来事」という考え方ですね。

『全てを耐え忍ぶ』
人間に最も理解し難い美徳の一つが、忍耐です。"我慢"と混同されますが、明確に違います。
ここまで解説した内容の全てを含みます。大局的な視点、宇宙的な視点、マクロコスモスな視点で全てを見つめること。
小我ではなく大我でものを測り、見つめることです。
衝動的に行動したり、突発的な発言をせず、自分の中と外で起きていることを静かに見つめ、受け止め、調和的な行動を取る、または取らないというのを適切に選択することです。
理解し、ゆるし、手放すということでもあります。


色々書いていますが、要するに小我の視点で見ると苦しみに満ちているかのように見えるこの世界も、大我の視点で見るとそんな風に見えず、ただただ有難いものであるかのように心底感じられるというお話です。
この大我の視点を獲得して行くのが、スピリチュアルなお勉強の一環であろうということですね。

自己理解が本当に深まって行くと、段階を経て大我の視点を獲得します。
と言うよりも、気付くのです。「ああ、元々そうだったのだ」と。



多くの方々にお話を伺って来た中で、例えば人間関係に於いて
「愛されてるわーと思うのって、どういう時? どういうもので測ってるの?」
と伺うと、

「何でも思い通りにしてくれる」
「際限なく甘やかしてくれる」
「お金を沢山使って贅沢させてくれる」
「自分に都合の良いことばかりを言ってくれる」


というような言葉が多く返って来ます。共通しているのは「その時の自己都合に合うものを、一方的にくれる。自分は何もしなくて良い」ということでしょうか。
そうすると、相手がそういった言動を取らない間というのは、「愛していない」という判定になります。
一日の間で1分間だけ、思い通りの行動を取ってくれたとして、あとの23時間59分はそうでない。
とすると、物量の問題で「私のことなんか何とも思ってない!」または「私のことが嫌いなんだ」「愛していないのだ」という判断になりますね。


確かに、何らかの言動が愛の現れである、という可能性は大いにあり得ます。
愛すればこそ、良い生活を送って欲しいと願い、様々な手間を掛ける。
愛しているからこそ、良い言葉を掛ける。
そんな風に行動するものです。

が、反対に。
「このままだとこの人は将来不幸になる」という危機を感じた時、忠告や苦言を呈するのもまた、愛の現れである可能性だって有り得るのです。
ここで言う不幸とは、『他人様と協調出来ない』『一般常識が欠如している』『集団行動が全く出来ず、和を乱す』『その結果、周囲から嫌われ、低い評価を得る』『自分の力を使えなくなる』『大人になっても言動や発想が幼稚なまま』『全部周りのせいにして、自分で責任を取れない』『自分の人生を良くして行くことが出来ない』とか、そんな感じでしょうか。

小さな子や学生さんで言えば、『転んだ時に自力で立ち上がれない』『自分の荷物を他人に持たせるばかりで、持とうとしない』『自分の宿題を出来ないと言って親や他人にやらせる』『自分で考えて、自分で建設的な方向へ持って行くことが出来ない』といったことは、やっぱりマズイ。
何がマズイって、後々マズイです。このまま成長した暁には……と、ちょっと先の未来へ視点を動かすと、大変宜しくないことがすぐお分かりでしょう。
「大変そうだから、可哀想だから」と言っている間に、本当に可哀想な人に仕立ててしまいます。
不幸な人生をみすみす送らせて良いものか? と考えてみれば、今ここで手を出すべきか口を出すべきか、或いはちょっと考えてもらうべきか、分かりそうなものですね。


大人が小さな子に躾や指導をするとか、先輩が後輩に教えるというのは、そういった意味合いが含まれますね。
間違っても「私が今、こうしろって言ってるんだから」というような、気紛れなご気分やご機嫌や自己都合で振り回すのを愛とは言いません。
相手が如何に世界と調和して、よりスムーズにポジティブに生きて行かれるか? を視野に入れた状態で指導をするなら、やっぱりその背景に愛が横たわっています。

しかし、前述のように『他人が』『物やお金や労働力を』『自分の気分や都合に合わせて』『一方的にくれる』ことこそが愛だと思い込んでいる人にとっては、こういった善意の指導や教えや忠告は「否定された!」と腹の立つ材料になってしまいます。
自分の為になることなのに、逆の意味合いに捉えてしまい、益々幸せな人生から遠ざかってしまう。
「愛=その時の自分にだけ都合が良い」と思い込んでいる間は、生きているだけで自分が酷い不幸を背負わされているかのように感じてしまうでしょう。



愛は幸福と同じく、物理現象と言うよりも感じるものです。
他人から、外側からでないと得られないものではありません。
だから、どんな現象があろうとなかろうと、実は生きているだけで感じられるのです。
外側からやって来る訳ではないんですね。

これまで定義したものは、外側からしか得られないものでしょうか。だとしたら、それは愛ではない。
それは欠乏であり、不足であり、高慢であり、怠慢であり、誤魔化しであり、偽りであり、妬みであり、怒りであり、恐れであり、悲しみや罪悪感であり、傷であり、苦痛であり、分離であり、差別であり、勘違いであり、搾取であり、妄想であり、不調和であり、間違った思い込みであり…長期にわたって摂取すると、結果的に自分を不幸にするものかも知れません。
で、そのようなものはやっぱり愛ではないのです。


「宇宙や神様が人を等しく愛しているのだとしたら、こんなに不幸があるのはどうしてだ!」と怒る方もいらっしゃいます。
でもそれは「外側から都合の良いものをくれる=愛」という定義に限った場合の発想になってしまいます。
不幸や残念な出来事があるのは事実です。
しかし、今後を愛に沿ってより良い結果に置き換えることは、我々がやろうと思えば出来ることなのです。
外側からやって来るのをただ待っていても、どうにもなりませんよね。

「こうだったら愛を感じられるのに」とか「これが愛の筈」という定義を再検討し、それから一度手放してみると良い…かも知れません。
その方が、結果的に愛を感じられるかも?
もちろん、宇宙に向かって『宇宙的に正しい定義の愛を感じさせて下さい』とお願いするのもお忘れなく。



まるちゃんのグッズが来ましたーという記事です。



先日のまるさんはインスタ展に現れたかと思えば、あまり間を空けることなく大分県まで遠征。
車で神戸まで到着の後(それだけでも大移動ですが)、そこから一晩はフェリーで移動。
お犬様もお客として乗れるフェリーがあるらしい!
まるちゃんは二段ベッドの下の階でパパと寝て船で大分まで移動したそうです。

住宅販売会社の宣伝部長を務めに出張したり、その足で広島のピースワンコジャパンの活動に参加したりと、大移動で大忙しでした。
帰りの車では爆睡。大変お疲れ様でございました。


まる宣伝部長のイベント記事はこちら

インスタ展の記事はこちら




さてさてそんな中。
一週間から十日ほど前に注文したポケット写真集と、インスタ展で発注した缶バッジが同日到着!
やったぁ~。



まるさんグッズ




まるさんグッズ




ポケット写真集は本当にポケットサイズ。小さくて薄いです。でも持ち運びに便利です!
手帳に挟んで、バッグのポケットに忍ばせて…等々。私はカバーを掛けて、バッグに入れておく予定。

缶バッジは帆布のバッグにくっつけようと思っていたのですが…いざ現物を見てしまうと、勿体なくてどうしようと迷い中。可愛いなー。


フォトブックは期間限定販売らしいですが、まだまだ注文出来ますよ!
ショップはこちら



知らない間に公式サイトがリニューアルしていた⇒http://shibainumaru.com/

フォロワー170万人突破のまるちゃんInstagram⇒https://instagram.com/marutaro/

Facebookもやってるよ⇒https://www.facebook.com/marustagram?fref=nf

twitterもあるのだ⇒https://twitter.com/marutaro2000

vimeoには素敵編集の動画類が!⇒https://vimeo.com/user15021589




八面六臂の大活躍に、頭の下がる思いです。
元気で長生きしてねといつものように願いながら、「バッジどうしよう…」とまた悩む私でございました(笑)。



プロフィール

Sachi

blog owner:Sachi
潜在意識を活用した、ちょびっとスピリチュアルな総合セラピー、癒しのワークショップ・タロットカードセッションをしているSachiです。
穏やかに楽しく成長出来るよう、入手した情報や、日々の気づき&
発見などをシェアして気ままに更新。
イベント情報も随時掲載中です♪

旧blogタイトルは『気づきのステップ』。

■カウンセリング&ヒーリング&セラピーを総合した個人セッション、月に一度のワークショップ、またタロット&オラクルカードセッションをご希望の方はサイトをご覧下さい♪


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