◆ Infomation
つつつ…遂に積雪! 積雪です。
…と思ったら殆ど溶けていました東京某所です。
しかしお隣の区にお住いの方曰く、まだまだ積雪はある模様。お隣って近いけど、全然違うものですね。
あちこちで雪が積もっていると思います。お出かけの際はどうぞお気を付けて。
また寒いので、暖かくしてお過ごし下さいませ。
前回記事で、「嫌なことがあったら変更するチャンスです」的なことを書きました。
『選択し直す』『決断する』とも言います。
別に路線変更するにあたって嫌なことなんぞ体験する必要は全く無いのですが、多くの人がそれをきっかけにする傾向があります。
ネガティブな事件というのは分かりやすいアイコンではある。
なので、ここをきっかけに…というのが割と王道みたいになっています。
それは何と言いましょうか、我々は自分を積極的に幸せにするという考え方に馴染みが薄いからじゃないかと思うのです。
嫌なことを回避したり問題に対処する方が普通。不幸に対処するのが何となく当たり前…みたいな…風潮が…ある…ような…(笑)。
普段から幸せな人生を送っているけれども、それ以上を更に望むという意識や姿勢がある人ってあまりお会いしたことがないような気も。
そこで大満足している方々は素晴らしいと思いますが、更なる幸せを受け取ることに何処か及び腰になっている人が大変多いように思います。
私は、どなたももっと自分を幸せにしても良いと思うんです。幸せや豊かさは無限ですからねー。
ところで何を隠そう(いや別に隠している訳でもないんですが)、私は『選択し直す』の意味が長いこと理解出来ていませんでした。お恥ずかスー。でもわからなかったものは仕方なし。
色々な本に同じことが書いてありますし、多くの先生方が同じことを仰っています。
聖書にも書いてありますね。『求めよ、然らば与えられん』って。
若かりし頃、この"ヤなことがあったら選択し直せば良い(意訳)"というフレーズを読んだ時、「はぁ~!?」という反応をしたようなしないような……(笑)。
すみません…全っ然意味が分かりませんでした。まさにワケワカメ。
その後、それなりの理解に至るまで結構長いことジタバタしていたのです。いやまあ、若かったから。とか(笑)。
様々な事情から、自分の幸せにとって宜しくない環境に慣れきっていると、"嫌なことがあって⇒嫌だなーと思う"こともパターンの構成要因に組み込まれている為、このサイクルを延々と繰り返してしまうというケースがあります。
自分が感じている『嫌だ』というネガティブな感覚に対して、非常に鈍感になっている。私がこれでした。
嫌だなーって思うことが日常に多すぎて、それがあまりにも当たり前過ぎて、慣れきっていました。慣れって怖い。
嫌だとは思うものの、疑問を抱かなかったというのが正直な所です。
「こいつはおかしい。おかしいぞー」って自発的に思うまでに、物凄く長い時間が掛かりました。
トラブルや不幸のオンパレードの中にどっぷり浸かって生きていた為、それ自体を自分だと思い込んでおり、幸せになるという意味が理解出来ませんでした。
文章的には定型文としてあちこちで目にしていたので知ってはいますが、いざ自分レベルに置き換えるとなるとまっちろ。
ただただ、「あれとかこれとか、とにかく不幸が無くなったらいいのに」って思ってたんですね。
この考え方は、前提として『かくかくしかじかな不幸がある』という部分にフォーカスが当たっている状態だというのがミソ。
不幸をぎゅーっと握ったまま、「これが無くなればいいのに!」って振り回しているような感じ。
だから無くなりません。永久に。自らずっと凝視している訳ですから。
ここで、幸せになりたい場合は"選び直す"という能動的なアクションを割り込ませる必要性が生まれます。
「…あれ? 不幸が嫌だっていうのと幸せになりたいっていうのは違うのか!」と気付いた時、「その発想は無かったわ…」。唖然としました。
"意識的な選択"初心者だった私は、ヤだなーって思うことをしょっちゅう見逃しまくっていました。偶に気付く程度(笑)。
それもリアルタイムで気付くのではなく、後でプレイバックして「あ」って感じで、タイムラグありありでした。
これも長年の習慣で身に着いた癖です。
瞬時に抑圧したり流してしまうことで、その感覚から逃れる癖を身に着けていたのです。
それはほんの一瞬のことです。びっくりする位当たり前に繰り返していました。
その繋ぎ目にどうにかこうにか気付いた時、これまた愕然としました。
「おかしなサイクルの中に自分を埋もれさせている」「自分で新しい結果を選択しなかった結果がこれか」って。
選択しなかった、っていうのも自分が選んだことになりますから、結果自分なんですけどね。
新たな結果を選び直さず不幸に慣れていたことから、自分に不幸を与え続けていたのは自分だった訳です。
嫌だと思った時、違和感に気付いた時、抑圧したり感覚を麻痺させてまたいつものサイクルに流れるのではなく、その瞬間直ぐに選び直せば良かったんです。
「これは嫌だ。もういらない。これからは自分の幸せの為にこうする」って。
しかし。
長い間不幸の中に居ること、抑圧する、流す、ほとぼりが冷めるまでひたすら我慢する…というのが当たり前だったので、「これからはこうする」という新たな矛先をイメージ出来ず、これはこれで長い間ヒイヒイ言っておりました(笑)。
そもそも幸せな状態を想像したことが無かったというのにも気付いて「ひえー!」でした。次々と判明する事実にガックシ。
単純にやったことが無かったからなんですけどね。だから色々工夫してやってみれば良いだけの話でした。
スタートは赤ちゃんと同じだと思って、地道に練習練習。出来るまでやれば出来ますから(笑)。
訓練して意識的に新しい結果を選び直す習慣を身に着ける、というのもアリですし、例えば潜在意識にアクセス出来るのであれば、自分で自分に暗示を掛けるのもアリ。
更に、プロの手をお借りすると早くなったりもします。
やり方は何でもいいと思います。自分が楽に路線変更出来るなら。
日常的に幸せな人は、更に毎日自分を幸せにする選択を続けてもGOODではなかろうかと思いますよ。
という訳で、選択し直すにはまずパターンに慣れきっていることに気付くのも、一つのきっかけですよというお話でした。
…と思ったら殆ど溶けていました東京某所です。
しかしお隣の区にお住いの方曰く、まだまだ積雪はある模様。お隣って近いけど、全然違うものですね。
あちこちで雪が積もっていると思います。お出かけの際はどうぞお気を付けて。
また寒いので、暖かくしてお過ごし下さいませ。
前回記事で、「嫌なことがあったら変更するチャンスです」的なことを書きました。
『選択し直す』『決断する』とも言います。
別に路線変更するにあたって嫌なことなんぞ体験する必要は全く無いのですが、多くの人がそれをきっかけにする傾向があります。
ネガティブな事件というのは分かりやすいアイコンではある。
なので、ここをきっかけに…というのが割と王道みたいになっています。
それは何と言いましょうか、我々は自分を積極的に幸せにするという考え方に馴染みが薄いからじゃないかと思うのです。
嫌なことを回避したり問題に対処する方が普通。不幸に対処するのが何となく当たり前…みたいな…風潮が…ある…ような…(笑)。
普段から幸せな人生を送っているけれども、それ以上を更に望むという意識や姿勢がある人ってあまりお会いしたことがないような気も。
そこで大満足している方々は素晴らしいと思いますが、更なる幸せを受け取ることに何処か及び腰になっている人が大変多いように思います。
私は、どなたももっと自分を幸せにしても良いと思うんです。幸せや豊かさは無限ですからねー。
ところで何を隠そう(いや別に隠している訳でもないんですが)、私は『選択し直す』の意味が長いこと理解出来ていませんでした。お恥ずかスー。でもわからなかったものは仕方なし。
色々な本に同じことが書いてありますし、多くの先生方が同じことを仰っています。
聖書にも書いてありますね。『求めよ、然らば与えられん』って。
若かりし頃、この"ヤなことがあったら選択し直せば良い(意訳)"というフレーズを読んだ時、「はぁ~!?」という反応をしたようなしないような……(笑)。
すみません…全っ然意味が分かりませんでした。まさにワケワカメ。
その後、それなりの理解に至るまで結構長いことジタバタしていたのです。いやまあ、若かったから。とか(笑)。
様々な事情から、自分の幸せにとって宜しくない環境に慣れきっていると、"嫌なことがあって⇒嫌だなーと思う"こともパターンの構成要因に組み込まれている為、このサイクルを延々と繰り返してしまうというケースがあります。
自分が感じている『嫌だ』というネガティブな感覚に対して、非常に鈍感になっている。私がこれでした。
嫌だなーって思うことが日常に多すぎて、それがあまりにも当たり前過ぎて、慣れきっていました。慣れって怖い。
嫌だとは思うものの、疑問を抱かなかったというのが正直な所です。
「こいつはおかしい。おかしいぞー」って自発的に思うまでに、物凄く長い時間が掛かりました。
トラブルや不幸のオンパレードの中にどっぷり浸かって生きていた為、それ自体を自分だと思い込んでおり、幸せになるという意味が理解出来ませんでした。
文章的には定型文としてあちこちで目にしていたので知ってはいますが、いざ自分レベルに置き換えるとなるとまっちろ。
ただただ、「あれとかこれとか、とにかく不幸が無くなったらいいのに」って思ってたんですね。
この考え方は、前提として『かくかくしかじかな不幸がある』という部分にフォーカスが当たっている状態だというのがミソ。
不幸をぎゅーっと握ったまま、「これが無くなればいいのに!」って振り回しているような感じ。
だから無くなりません。永久に。自らずっと凝視している訳ですから。
ここで、幸せになりたい場合は"選び直す"という能動的なアクションを割り込ませる必要性が生まれます。
「…あれ? 不幸が嫌だっていうのと幸せになりたいっていうのは違うのか!」と気付いた時、「その発想は無かったわ…」。唖然としました。
"意識的な選択"初心者だった私は、ヤだなーって思うことをしょっちゅう見逃しまくっていました。偶に気付く程度(笑)。
それもリアルタイムで気付くのではなく、後でプレイバックして「あ」って感じで、タイムラグありありでした。
これも長年の習慣で身に着いた癖です。
瞬時に抑圧したり流してしまうことで、その感覚から逃れる癖を身に着けていたのです。
それはほんの一瞬のことです。びっくりする位当たり前に繰り返していました。
その繋ぎ目にどうにかこうにか気付いた時、これまた愕然としました。
「おかしなサイクルの中に自分を埋もれさせている」「自分で新しい結果を選択しなかった結果がこれか」って。
選択しなかった、っていうのも自分が選んだことになりますから、結果自分なんですけどね。
新たな結果を選び直さず不幸に慣れていたことから、自分に不幸を与え続けていたのは自分だった訳です。
嫌だと思った時、違和感に気付いた時、抑圧したり感覚を麻痺させてまたいつものサイクルに流れるのではなく、その瞬間直ぐに選び直せば良かったんです。
「これは嫌だ。もういらない。これからは自分の幸せの為にこうする」って。
しかし。
長い間不幸の中に居ること、抑圧する、流す、ほとぼりが冷めるまでひたすら我慢する…というのが当たり前だったので、「これからはこうする」という新たな矛先をイメージ出来ず、これはこれで長い間ヒイヒイ言っておりました(笑)。
そもそも幸せな状態を想像したことが無かったというのにも気付いて「ひえー!」でした。次々と判明する事実にガックシ。
単純にやったことが無かったからなんですけどね。だから色々工夫してやってみれば良いだけの話でした。
スタートは赤ちゃんと同じだと思って、地道に練習練習。出来るまでやれば出来ますから(笑)。
訓練して意識的に新しい結果を選び直す習慣を身に着ける、というのもアリですし、例えば潜在意識にアクセス出来るのであれば、自分で自分に暗示を掛けるのもアリ。
更に、プロの手をお借りすると早くなったりもします。
やり方は何でもいいと思います。自分が楽に路線変更出来るなら。
日常的に幸せな人は、更に毎日自分を幸せにする選択を続けてもGOODではなかろうかと思いますよ。
という訳で、選択し直すにはまずパターンに慣れきっていることに気付くのも、一つのきっかけですよというお話でした。
暦の上では大寒を迎え、一年の内で最も寒い時期になりました。
東京は雪がちらつく一日となり、季節を体感する寒さ。
ここからの一か月で、春の兆しをあちこちに見るでしょうね。
各地でお過ごしの皆様、どうぞ暖かくしてお過ごし下さいませ。
間が空いている間、また風邪ひいてました(笑)。
でも仕事や所要がある時は引くという…。
帰宅すると、どっと出る。の繰り返しでした。
一時、食べ物の味(香り)を感じられなくなって「ぎょえー!」とおののきました。ガクガク。
そういえば数年に一度、風邪を引いたときにこういう症状があったような?
食べる喜びが感じられないことがショックでした。
そこを抜けてちゃんと鼻が仕事をしてくれるようになった時の喜びと言ったら(笑)。
身体の機能がしっかり動いている有難さを感じつつ、更新致します。
度々お話しさせて頂く機会があるのですが、『問題を解決する』のと、『幸せを受け取る、実現する』ことというのは、全く次元を異にする発想です。
なんでかなっと。
『問題を解決する(嫌なことをなくす)』ということは、"問題ありき"・"嫌なことが発生するという前提"の考え方であることに注目です。
"問題"を解消するという考え方の定型を使い続けていると、仮に問題が解消を見せたとしても、すぐ次に問題を探してしまいます。或いは発生させるでしょう。
「問題を解消しなきゃ」と思っているから、わざわざ問題を探して歩くんですね。
「あれが嫌だ、これが嫌だ」っていうのと大体同じです。
苛々する、焦りと不安、不満や怒りでモヤモヤする…ネガティブな気持ちである筈です。
片や、『幸せを実現する』方です。
こちらは"幸せ"を探して歩く。フォーカスが幸せに向いている状態と言えます。
気分的には幸せでしょう。楽しいとか楽ちんとか、ポジティブな状態です。
単に目先の違いでしかないのですが、人間は言葉の通りに行動しますし、思考していることがそのまま言語として現れます。
だから、「使う言葉を変えてみましょう」というようなやり方が有効だったりする訳ですね。
ところで『幸せ』という言葉を使っていたとしても、ちょっと違う言い回しで全く違う結果を招くことが多々あります。
例えば、「何で幸せになれないんだろう」という言い方を使っている時。
なれないのが前提ですから、なれない理由を拾って行くでしょう。
出来ない、なれないと言いながら、問題があるという状況に着地する…というのを繰り返してしまう。
おかしいな、自分は幸せになりたい筈なのに。
そんな風に考えて余計焦ってしまう場合もあるでしょう。
そして、「何か問題があるに違いない」と、何か探し始めたりして…結果、やっぱり「なれない」という結論を出してしまう。
いつも、どういった結論・結果を出しているか振り返ってみると、自分の辿った道がネガティブなパターンなのかポジティブなパターンなのかが分かるでしょう。
問題に取り組むことで、自分の首を絞めてしまうケースも多々あります。
何を隠そう、私も散々やっていました。きゃー(笑)。
で、おかしいな…? と首を傾げていました。おかしいのは自分だっつーのー。と、突っ込まざるを得ない。
何の為に取り組むかが大切で、ただ闇雲にトラウマをつついたり、問題探しをしたって、良い結果なんか出る訳がなかったんですよね。
どうなりたいかを先に決めなくては。
『こうなりたい』という具体的且つポジティブな結果を見据えて、そこへ至る途上でひょっとして問題解消に取り組む可能性もある…かも知れない。
とか、そういう程度の扱いで良かった訳です。問題なんつーものは。
問題と結果を履き違えて…つまり、手段と目的を取り違えていたことに、長い間気付かなかったのです。
私の場合は、問題を探して歩く思考パターンを持っている家庭で育った為、気付かぬ間にそれを丸ごとコピーしておりました。
トラブルが無い時はビクビクしていました。「何か起きたらどうしよう」って。
病的な環境に慣れていると、平和を享受出来ないという典型的な例です。
が、理解が進むにつれてスタンスも変化して行きました。
別にこんなやり方は必要でもないし、個人的にやりたい訳でもなく、何よりこれを続けていると一生幸せにならないことが判明した為、破棄を決断しました。
いえ、決断も何も、必要じゃないんだなーと思いまして。
だって私は幸せになりたかったんです。ええ。もう単純な話で。
どういうプロセスを辿るか、またその途上でどのような取捨選択をするかというのは、偏に目的によります。
何にどう取り組むかということよりも、どのような目的を持っているかの方が、極めて重要です。
例えば、お世辞にも良いと言えない環境で育ったとしても、本人がどこを目指しているかによって、その後の展開は変わります。
何らかの事象が起きた時、嫌な思いをしたとしても、そこで「嫌だなあ。じゃあ今度からこうしよう」という決断をその都度下しているのですから、その決断の内容が非常に重要です。
他人と関わって嫌な思いをした
という体験があったとしても、その先のことは選択が出来ます。
⇒A:だからもう他人を信じない
⇒B:じゃあこれからは信用出来る人と仲良くしよう
他にもバリエーションはあるでしょう。
我々はこれまでの間に、山ほどこういった選択をして来ています。
その多くはあまり顕在的に意識されていないことが殆どです。
そして一度下した決断は、その後違う選択をするまで、高い精度を以て自動的に同じルートを辿り続けます。
同じ決断を積み重ねるということは、結果的にその正しさを証明する礎となってしまうことでしょう。
同じパターンを繰り返し続ける中で、違和感や嫌な思いを体験する時、それは違う選択をするチャンスだというサインです。
「あ、また同じだ…」と思う時、諦めたり怒りを内包するのがいつもの結果でしょう。
しかし、自動的にいつもの答えへ進もうとするその前に、一度待ったをかけて自分に時間を与えてみる。
出来る限り、思いつく限り沢山の選択肢を自分の目の前に並べる。
「自分が幸せだと感じる答えはどれだ?」と問い掛ければ、選択肢を幾つも考え付くことでしょう。
その中から最も自然なもの、自分らしいもの、この先一番幸せな結果に繋がるものを選んで行けば、当たり前ですが幸せな経験を重ねて行くことになります。
先ず足を止めて、『幸せがいい』のか? または『問題がある、問題があると怒っていたい、不満を持っていたい』のか? について、じっくり自分に尋ねてみると良いでしょう。
特に、これまで色々取り組んで来たものの、結果から行くと納得に至っていない…という場合は、仕切り直してみるのも一つの手です。
これまでどのような結果に向かっていたかは、現在どうであるかを見れば分かるのですから。
また、これまでがどうであっても、今後どうしたいかは決め直せます。
過去の制約がもし一切関係無いとしたら、自分はどうなりたいのか。
そういった正直な気持ちを自分の中で明るみに出すことで、新たな視点に気付けるかも知れません。
ついつい問題や不幸に執着してしまう癖があるとしても、変えられますから。
「自分が幸せになることって良いものなんだなー」というのが、しっかり感じられますように。
東京は雪がちらつく一日となり、季節を体感する寒さ。
ここからの一か月で、春の兆しをあちこちに見るでしょうね。
各地でお過ごしの皆様、どうぞ暖かくしてお過ごし下さいませ。
間が空いている間、また風邪ひいてました(笑)。
でも仕事や所要がある時は引くという…。
帰宅すると、どっと出る。の繰り返しでした。
一時、食べ物の味(香り)を感じられなくなって「ぎょえー!」とおののきました。ガクガク。
そういえば数年に一度、風邪を引いたときにこういう症状があったような?
食べる喜びが感じられないことがショックでした。
そこを抜けてちゃんと鼻が仕事をしてくれるようになった時の喜びと言ったら(笑)。
身体の機能がしっかり動いている有難さを感じつつ、更新致します。
度々お話しさせて頂く機会があるのですが、『問題を解決する』のと、『幸せを受け取る、実現する』ことというのは、全く次元を異にする発想です。
なんでかなっと。
『問題を解決する(嫌なことをなくす)』ということは、"問題ありき"・"嫌なことが発生するという前提"の考え方であることに注目です。
"問題"を解消するという考え方の定型を使い続けていると、仮に問題が解消を見せたとしても、すぐ次に問題を探してしまいます。或いは発生させるでしょう。
「問題を解消しなきゃ」と思っているから、わざわざ問題を探して歩くんですね。
「あれが嫌だ、これが嫌だ」っていうのと大体同じです。
苛々する、焦りと不安、不満や怒りでモヤモヤする…ネガティブな気持ちである筈です。
片や、『幸せを実現する』方です。
こちらは"幸せ"を探して歩く。フォーカスが幸せに向いている状態と言えます。
気分的には幸せでしょう。楽しいとか楽ちんとか、ポジティブな状態です。
単に目先の違いでしかないのですが、人間は言葉の通りに行動しますし、思考していることがそのまま言語として現れます。
だから、「使う言葉を変えてみましょう」というようなやり方が有効だったりする訳ですね。
ところで『幸せ』という言葉を使っていたとしても、ちょっと違う言い回しで全く違う結果を招くことが多々あります。
例えば、「何で幸せになれないんだろう」という言い方を使っている時。
なれないのが前提ですから、なれない理由を拾って行くでしょう。
出来ない、なれないと言いながら、問題があるという状況に着地する…というのを繰り返してしまう。
おかしいな、自分は幸せになりたい筈なのに。
そんな風に考えて余計焦ってしまう場合もあるでしょう。
そして、「何か問題があるに違いない」と、何か探し始めたりして…結果、やっぱり「なれない」という結論を出してしまう。
いつも、どういった結論・結果を出しているか振り返ってみると、自分の辿った道がネガティブなパターンなのかポジティブなパターンなのかが分かるでしょう。
問題に取り組むことで、自分の首を絞めてしまうケースも多々あります。
何を隠そう、私も散々やっていました。きゃー(笑)。
で、おかしいな…? と首を傾げていました。おかしいのは自分だっつーのー。と、突っ込まざるを得ない。
何の為に取り組むかが大切で、ただ闇雲にトラウマをつついたり、問題探しをしたって、良い結果なんか出る訳がなかったんですよね。
どうなりたいかを先に決めなくては。
『こうなりたい』という具体的且つポジティブな結果を見据えて、そこへ至る途上でひょっとして問題解消に取り組む可能性もある…かも知れない。
とか、そういう程度の扱いで良かった訳です。問題なんつーものは。
問題と結果を履き違えて…つまり、手段と目的を取り違えていたことに、長い間気付かなかったのです。
私の場合は、問題を探して歩く思考パターンを持っている家庭で育った為、気付かぬ間にそれを丸ごとコピーしておりました。
トラブルが無い時はビクビクしていました。「何か起きたらどうしよう」って。
病的な環境に慣れていると、平和を享受出来ないという典型的な例です。
が、理解が進むにつれてスタンスも変化して行きました。
別にこんなやり方は必要でもないし、個人的にやりたい訳でもなく、何よりこれを続けていると一生幸せにならないことが判明した為、破棄を決断しました。
いえ、決断も何も、必要じゃないんだなーと思いまして。
だって私は幸せになりたかったんです。ええ。もう単純な話で。
どういうプロセスを辿るか、またその途上でどのような取捨選択をするかというのは、偏に目的によります。
何にどう取り組むかということよりも、どのような目的を持っているかの方が、極めて重要です。
例えば、お世辞にも良いと言えない環境で育ったとしても、本人がどこを目指しているかによって、その後の展開は変わります。
何らかの事象が起きた時、嫌な思いをしたとしても、そこで「嫌だなあ。じゃあ今度からこうしよう」という決断をその都度下しているのですから、その決断の内容が非常に重要です。
他人と関わって嫌な思いをした
という体験があったとしても、その先のことは選択が出来ます。
⇒A:だからもう他人を信じない
⇒B:じゃあこれからは信用出来る人と仲良くしよう
他にもバリエーションはあるでしょう。
我々はこれまでの間に、山ほどこういった選択をして来ています。
その多くはあまり顕在的に意識されていないことが殆どです。
そして一度下した決断は、その後違う選択をするまで、高い精度を以て自動的に同じルートを辿り続けます。
同じ決断を積み重ねるということは、結果的にその正しさを証明する礎となってしまうことでしょう。
同じパターンを繰り返し続ける中で、違和感や嫌な思いを体験する時、それは違う選択をするチャンスだというサインです。
「あ、また同じだ…」と思う時、諦めたり怒りを内包するのがいつもの結果でしょう。
しかし、自動的にいつもの答えへ進もうとするその前に、一度待ったをかけて自分に時間を与えてみる。
出来る限り、思いつく限り沢山の選択肢を自分の目の前に並べる。
「自分が幸せだと感じる答えはどれだ?」と問い掛ければ、選択肢を幾つも考え付くことでしょう。
その中から最も自然なもの、自分らしいもの、この先一番幸せな結果に繋がるものを選んで行けば、当たり前ですが幸せな経験を重ねて行くことになります。
先ず足を止めて、『幸せがいい』のか? または『問題がある、問題があると怒っていたい、不満を持っていたい』のか? について、じっくり自分に尋ねてみると良いでしょう。
特に、これまで色々取り組んで来たものの、結果から行くと納得に至っていない…という場合は、仕切り直してみるのも一つの手です。
これまでどのような結果に向かっていたかは、現在どうであるかを見れば分かるのですから。
また、これまでがどうであっても、今後どうしたいかは決め直せます。
過去の制約がもし一切関係無いとしたら、自分はどうなりたいのか。
そういった正直な気持ちを自分の中で明るみに出すことで、新たな視点に気付けるかも知れません。
ついつい問題や不幸に執着してしまう癖があるとしても、変えられますから。
「自分が幸せになることって良いものなんだなー」というのが、しっかり感じられますように。
1月も中旬に突入し、もうすぐ節分でございます。
巷にはお風邪を召していらっしゃる方々が沢山。
どうぞご自愛下さいませ。
…お前が言うなって感じなんですが(笑)。
さて、去る1月11日は今年初のワークショップでございました。
ご参加下さいました皆様、ありがとうございました。
内容は後述しますが、先に決まっているスケジュールをば!
◆2月
2月8日(日曜)
11:00~15:00
◆3月
3月8日(日曜)
11:00~15:00
◆4月
4月12日(日曜)
11:00~15:00
詳細はこちらでございまっす。
ぜひ遊びに来て下さいねー。
会場では少人数で色々なワークを行うので、スタンスによっては一日で人生のターニングポイントを作ることも出来たりします!
目からウロコで突然周囲が変わる方もいらっしゃいます。
自分で自分を幸せにするチャンスを沢山お持ち帰り下さいませ♪
★★★
はい、こないだのワークショップの話。
以下、皆さん的に判明したこと。の、ダイジェスト。
・現在の自分の言動は、ほぼ10割近くが親のコピー
・但し精確なトレースはしているものの、グレードは劣化バージョン
・自分がどう生きたいかよりも、親のニーズに応える生き方を選択している
・嫌だと言いながらも、上記二つを自分そのものだと思い込んでいる
・世間一般では"親孝行ねえ"と言われたりもしている
・しかし自分が喜んで奉仕しているのとは根本的に違い、"やらされている感"炸裂
・辛い割に見返りがショボい、または無い、またはマイナスに抉れている
・結構長いことこれに従事している為、『嫌』という思考や感情が麻痺している
・自分ドコー
・腹の底では苦役を強いられ激怒している為、抑圧した怒りが周囲や自分に向かう
・続けると不幸祭りなのでもうやめたいが、とある理由からどーしてもやめられない
・……と、思っている
・今後自分の幸せを体現するには、自分がそうなることを許可する必要がある
・ていうか許可! 許可!! 許可!!!!
みたいな感じでございました(ダイジェスト過ぎ)。
親孝行は素晴らしいことです。
でも、嫌なことを押し付けられて、嫌々犠牲になるのとは全く訳が違います。
中には犠牲そのものを自分だと思っていたり、その観念があるせいで社会でも同じパターンを繰り返す人も居ます。
そうしなければならない、そうでなければいけない…とかね。
そのまま子供を持つと、次の代へ丸ごと+αでバトンタッチします。不幸は止めない限り肥大化して行くのです。
人によってどのような現象の出方をするかは区々ですが、共通しているのは苦痛を感じるということです。
「良いことをやっている筈なのに、どうしても嫌悪感や怒り、憎しみ、悲しみが伴う」という。
そこまで明確に理出来ないとしても、「なーんか重ったるい違和感が…」とかですね。
しかし、麻痺してしまって感じにくい方もいらっしゃるかと思います。
ざっくり言うと、こういうのって"自分を不幸にすることへコミットしている"という話になります。
「不幸なんか嫌に決まってるじゃないかー!」と大概の人が仰るでしょうが…でも、じゃあ出した結果から行くとどうでしょう。
嫌かも知れない。嫌かも知れないけど、やってる。毎日続けている。
そんなことしなくていいんですよ。
幸せになっていいんです。
という訳で、不幸を撤回して幸せを望むのであれば。
これまで不幸に費やして来た莫大なエネルギー量の全てを、幸せに注ぎ込んでしまえば良いのです!!
そうです! んもうそれだけです!! わー!!(笑)
先ずは"自分だけ"にとっての幸せ…というものを詳細にイメージして感じてみるとか、誰に憚ることなく理想の生活を書き出してみるとか、自分の幸せの為に時間を使う! という行動を取って行くのが宜しいかと。
色々やりようはありますよ。
不幸にエネルギーを使うのをやめて、自分の幸せの為に生きる決断がスムーズに出来るといいですね。
早く「あ、幸せになればいいんだ。なろう!」と、我に返る瞬間が来ますように!!
巷にはお風邪を召していらっしゃる方々が沢山。
どうぞご自愛下さいませ。
…お前が言うなって感じなんですが(笑)。
さて、去る1月11日は今年初のワークショップでございました。
ご参加下さいました皆様、ありがとうございました。
内容は後述しますが、先に決まっているスケジュールをば!
◆2月
2月8日(日曜)
11:00~15:00
◆3月
3月8日(日曜)
11:00~15:00
◆4月
4月12日(日曜)
11:00~15:00
詳細はこちらでございまっす。
ぜひ遊びに来て下さいねー。
会場では少人数で色々なワークを行うので、スタンスによっては一日で人生のターニングポイントを作ることも出来たりします!
目からウロコで突然周囲が変わる方もいらっしゃいます。
自分で自分を幸せにするチャンスを沢山お持ち帰り下さいませ♪
★★★
はい、こないだのワークショップの話。
以下、皆さん的に判明したこと。の、ダイジェスト。
・現在の自分の言動は、ほぼ10割近くが親のコピー
・但し精確なトレースはしているものの、グレードは劣化バージョン
・自分がどう生きたいかよりも、親のニーズに応える生き方を選択している
・嫌だと言いながらも、上記二つを自分そのものだと思い込んでいる
・世間一般では"親孝行ねえ"と言われたりもしている
・しかし自分が喜んで奉仕しているのとは根本的に違い、"やらされている感"炸裂
・辛い割に見返りがショボい、または無い、またはマイナスに抉れている
・結構長いことこれに従事している為、『嫌』という思考や感情が麻痺している
・自分ドコー
・腹の底では苦役を強いられ激怒している為、抑圧した怒りが周囲や自分に向かう
・続けると不幸祭りなのでもうやめたいが、とある理由からどーしてもやめられない
・……と、思っている
・今後自分の幸せを体現するには、自分がそうなることを許可する必要がある
・ていうか許可! 許可!! 許可!!!!
みたいな感じでございました(ダイジェスト過ぎ)。
親孝行は素晴らしいことです。
でも、嫌なことを押し付けられて、嫌々犠牲になるのとは全く訳が違います。
中には犠牲そのものを自分だと思っていたり、その観念があるせいで社会でも同じパターンを繰り返す人も居ます。
そうしなければならない、そうでなければいけない…とかね。
そのまま子供を持つと、次の代へ丸ごと+αでバトンタッチします。不幸は止めない限り肥大化して行くのです。
人によってどのような現象の出方をするかは区々ですが、共通しているのは苦痛を感じるということです。
「良いことをやっている筈なのに、どうしても嫌悪感や怒り、憎しみ、悲しみが伴う」という。
そこまで明確に理出来ないとしても、「なーんか重ったるい違和感が…」とかですね。
しかし、麻痺してしまって感じにくい方もいらっしゃるかと思います。
ざっくり言うと、こういうのって"自分を不幸にすることへコミットしている"という話になります。
「不幸なんか嫌に決まってるじゃないかー!」と大概の人が仰るでしょうが…でも、じゃあ出した結果から行くとどうでしょう。
嫌かも知れない。嫌かも知れないけど、やってる。毎日続けている。
そんなことしなくていいんですよ。
幸せになっていいんです。
という訳で、不幸を撤回して幸せを望むのであれば。
これまで不幸に費やして来た莫大なエネルギー量の全てを、幸せに注ぎ込んでしまえば良いのです!!
そうです! んもうそれだけです!! わー!!(笑)
先ずは"自分だけ"にとっての幸せ…というものを詳細にイメージして感じてみるとか、誰に憚ることなく理想の生活を書き出してみるとか、自分の幸せの為に時間を使う! という行動を取って行くのが宜しいかと。
色々やりようはありますよ。
不幸にエネルギーを使うのをやめて、自分の幸せの為に生きる決断がスムーズに出来るといいですね。
早く「あ、幸せになればいいんだ。なろう!」と、我に返る瞬間が来ますように!!
ちょっぴりご無沙汰な気が致します。
すっかりお正月気分も抜けまして、通常の生活をされている方々ばかりかと思います。
えー、年賀状を頂いた皆様、ありがとうございました。
現在喪中でございますので、寒中見舞いという形で葉書を出させて頂きました。
多分来週には届くと思います。遅くなって申し訳ございません。
何故ちょっぴりご無沙汰で寒中見舞いが遅くなったかという理由の前に、ストックしてあるピアスを二点載せておきます。


可愛い。
そしてカッコイイ!
上。
メタルパーツにシルクリボンを巻いてあります(毛羽立つのもシルクリボンの味です)。
リボンはマンダリンとマゼンタが混ざり合ったカラー。
ハートのスワロはバイオレットとブルーの混色。色が暗くなりがちな季節におすすめですー。
下。
ドイツ製の透かしメタルパーツが主役。
つなぎにはシャネルパーツと言って、メタルで囲ったスワロフスキーのクリアーが使われています。
ジャケットにもジーンズにもお勧めでーす。
どっちもキュービックジルコニアを使ったスタッドタイプのピアスになります。
揺れるピアスは素敵ですよねー。うきうき。
と、自画自賛しておきます。嫁に行かなかったら自分で使います(笑)。
自分で使いたいかどうかが製作に繋がる基準というのと、「良い」と思うのはイコールになるでしょう。多分!
いやー実は年末からモヤモヤと「おや? なんかおかしいなー?」なんて思っていた体調が、年明けちょっとして一気に暴落しまして。
言うなれば風邪というやつです(笑)。
昨日位まで熱と咳と鼻水でゲホゲホズビズバしておりました。
しかしお蔭様で復活です。
39度の熱が出ても、動けなくなるとか前後不覚という所までは行かなかったのが凄いなーと思います。
昔はここまで発熱すると、もう気絶もんでしたね。
そもそもこんな高い熱を滅多に出せない身体でした。弱すぎて(ボディワーカーの先生によくそんなことを言われていました)。
身体に合った、良いメディカルサプリメントを摂取し続けているお蔭で、こういう時の耐久力とか回復力が全く昔と違うのを実感します。
本当に有難い話です。
でも流石に日常生活を送ったり出歩いたりはほぼ不可能でしたので、寒中見舞いは遅くなりましたという話です。すみません…。
さて復活した所で、明日は今年初のワークショップです。
幸せになる為の学びをばっちり行いたいと思います!
自分と向き合うということは、殆どの人が一番やりたくないことではないかと思います。
何故かと言うと、大概の人は"自分は『ありのまま愛する』に値しない存在だ"、と定義付けているからでしょう。
そんな"ありのまま愛するに値しない存在"である所の自分など、よっぽどの物好きか、よっぽど切羽詰まって"そこ"へ追い詰められている人間以外は、先ず直視したいものではないという訳です。
…しかし、その定義付けも何らかの理由で後天的に学習した経験則に過ぎません。
大体、存在そのものが最初から最後まで真っ黒に塗り潰されている人は、居ません。
ネガティブな素材一色で出来ている人間は居ないということです。
例え、自分のことが大嫌いで他人のことも大嫌いで…という怒りや憎しみに自分は塗れている、これまでずっとそうだった、という人であっても。
そんなことないです。
人の意識のものすごーく奥深い所、潜在意識の更に更に奥底にある所では、ちゃんと『自分は価値ある存在』『自分を幸せにしたい』『他人と比べる必要は無い』といった大事なことは記憶されています。知っている。
それをスピリチュアルでは魂と呼ぶのでしょうし、宗教では神と呼び、またサムシング・グレート、ハイヤーセルフ等、様々なジャンルで様々な違う呼び方があります。
他人と比べたり、他人に対してアピールすることで自分を測るのではなく、自分が自分に対してどう見えるかを基準にすると、段々こういう所へと到達して行きます。
他人と自分の幸せ基準は違っていて当たり前ですし、違っているからこそ様々なオリジナリティが存在します。
つまり、親子や兄弟でも全く違う思考や感性を持っていて当たり前です。いいんです。それでいい。
自分の幸せが、例えば親の躾をひっくり返すものなのだとしても、あなたは恐れず幸せになっていい。
自分以外の人の目を気にしたり、他者と比較しての優劣で判断する生き方は、結果的に自分を追い詰め見失う場所へ行き着きます。
物質的にはある程度のレベルをキープ出来ていても、不平不満が絶えないとか、他人基準でものを測ってしまうということに対して、疑問が無ければそれはそれで良いと思います。
が、どーにもこーにも違和感が拭いきれず、「私は幸せになりたいんじゃー!」と固い気持ちがあるのなら、それはチャンスだということです。
これまで縋り付いていた『不幸』という名前の何かにケリを付ける時が来ています。
それは、自分が持っている『幸せ』へと照準をシフトさせる時でもあるのです。
そういう一年になりますように!
あ、既に幸せな人はもっと幸せな一年になりますように!
すっかりお正月気分も抜けまして、通常の生活をされている方々ばかりかと思います。
えー、年賀状を頂いた皆様、ありがとうございました。
現在喪中でございますので、寒中見舞いという形で葉書を出させて頂きました。
多分来週には届くと思います。遅くなって申し訳ございません。
何故ちょっぴりご無沙汰で寒中見舞いが遅くなったかという理由の前に、ストックしてあるピアスを二点載せておきます。


可愛い。
そしてカッコイイ!
上。
メタルパーツにシルクリボンを巻いてあります(毛羽立つのもシルクリボンの味です)。
リボンはマンダリンとマゼンタが混ざり合ったカラー。
ハートのスワロはバイオレットとブルーの混色。色が暗くなりがちな季節におすすめですー。
下。
ドイツ製の透かしメタルパーツが主役。
つなぎにはシャネルパーツと言って、メタルで囲ったスワロフスキーのクリアーが使われています。
ジャケットにもジーンズにもお勧めでーす。
どっちもキュービックジルコニアを使ったスタッドタイプのピアスになります。
揺れるピアスは素敵ですよねー。うきうき。
と、自画自賛しておきます。嫁に行かなかったら自分で使います(笑)。
自分で使いたいかどうかが製作に繋がる基準というのと、「良い」と思うのはイコールになるでしょう。多分!
いやー実は年末からモヤモヤと「おや? なんかおかしいなー?」なんて思っていた体調が、年明けちょっとして一気に暴落しまして。
言うなれば風邪というやつです(笑)。
昨日位まで熱と咳と鼻水でゲホゲホズビズバしておりました。
しかしお蔭様で復活です。
39度の熱が出ても、動けなくなるとか前後不覚という所までは行かなかったのが凄いなーと思います。
昔はここまで発熱すると、もう気絶もんでしたね。
そもそもこんな高い熱を滅多に出せない身体でした。弱すぎて(ボディワーカーの先生によくそんなことを言われていました)。
身体に合った、良いメディカルサプリメントを摂取し続けているお蔭で、こういう時の耐久力とか回復力が全く昔と違うのを実感します。
本当に有難い話です。
でも流石に日常生活を送ったり出歩いたりはほぼ不可能でしたので、寒中見舞いは遅くなりましたという話です。すみません…。
さて復活した所で、明日は今年初のワークショップです。
幸せになる為の学びをばっちり行いたいと思います!
自分と向き合うということは、殆どの人が一番やりたくないことではないかと思います。
何故かと言うと、大概の人は"自分は『ありのまま愛する』に値しない存在だ"、と定義付けているからでしょう。
そんな"ありのまま愛するに値しない存在"である所の自分など、よっぽどの物好きか、よっぽど切羽詰まって"そこ"へ追い詰められている人間以外は、先ず直視したいものではないという訳です。
…しかし、その定義付けも何らかの理由で後天的に学習した経験則に過ぎません。
大体、存在そのものが最初から最後まで真っ黒に塗り潰されている人は、居ません。
ネガティブな素材一色で出来ている人間は居ないということです。
例え、自分のことが大嫌いで他人のことも大嫌いで…という怒りや憎しみに自分は塗れている、これまでずっとそうだった、という人であっても。
そんなことないです。
人の意識のものすごーく奥深い所、潜在意識の更に更に奥底にある所では、ちゃんと『自分は価値ある存在』『自分を幸せにしたい』『他人と比べる必要は無い』といった大事なことは記憶されています。知っている。
それをスピリチュアルでは魂と呼ぶのでしょうし、宗教では神と呼び、またサムシング・グレート、ハイヤーセルフ等、様々なジャンルで様々な違う呼び方があります。
他人と比べたり、他人に対してアピールすることで自分を測るのではなく、自分が自分に対してどう見えるかを基準にすると、段々こういう所へと到達して行きます。
他人と自分の幸せ基準は違っていて当たり前ですし、違っているからこそ様々なオリジナリティが存在します。
つまり、親子や兄弟でも全く違う思考や感性を持っていて当たり前です。いいんです。それでいい。
自分の幸せが、例えば親の躾をひっくり返すものなのだとしても、あなたは恐れず幸せになっていい。
自分以外の人の目を気にしたり、他者と比較しての優劣で判断する生き方は、結果的に自分を追い詰め見失う場所へ行き着きます。
物質的にはある程度のレベルをキープ出来ていても、不平不満が絶えないとか、他人基準でものを測ってしまうということに対して、疑問が無ければそれはそれで良いと思います。
が、どーにもこーにも違和感が拭いきれず、「私は幸せになりたいんじゃー!」と固い気持ちがあるのなら、それはチャンスだということです。
これまで縋り付いていた『不幸』という名前の何かにケリを付ける時が来ています。
それは、自分が持っている『幸せ』へと照準をシフトさせる時でもあるのです。
そういう一年になりますように!
あ、既に幸せな人はもっと幸せな一年になりますように!
2015年を迎えました。
新たな気持ちで! 張り切って! ……平常運転スタートです(笑)。
年越しはこういうページを見て、自分のタイプ診断をして遊んでいました。
⇒辛口性格診断16
お勧めは簡易版より精度重視版。
何度もこの手の診断テストをやって来ましたが、年齢と共にブレが減ったのか、はたまた元の自分に戻って来たからなのか、実際やって来た言動等の事実を元に回答するようになったからなのか、結果は何をやっても大体固まって来た感があります。
私が出したタイプはENTP型でした。
別の診断で念の為サブの結果を出してみた所、そっちではINTP型が出ましたよー。
どちらも4カテゴリ中、『合理主義者気質(プロメテウス型)』に振り分けられていました。
同一カテゴリ内で、小ジャンルが違うって程度。非常に近いです。お隣さんて感じ。
合理主義。これはもうここ数年で散々言われている言葉そのままです。
「合理主義ですよね」「結果主義ですよね」「論理的ですよね」「理系ですよね」って。耳タコですわ(笑)。
しかし近年まで理系センスはゼロだと思い込んでいたという、超ド級の勘違いな痛々しさ…くうっ。
このサイトの面白い所は、"出た結果が他の診断テストではどの結果に該当するか"までリンクされている部分です。
いちいち他の診断テストをやる手間が省けて楽です! いいと思う! 合理的!!
他の診断テストには、ふつーの適職診断なんかもありますが、『ファンタジーRPG職業診断』とか『ゲーマー種族診断』といった楽しい診断テストに対応しているようです。
えーと、ENTP型の人がファンタジー系RPG(ロールプレイングゲーム)の世界で選ぶ職業は『魔法剣士・赤魔導士・魔法戦士』らしいです。
剣を振るって直接戦闘もするけど、魔法も適度に使えるハイブリッドタイプ。又は、剣自体が魔法剣(エンチャント・ウェポン)。
どっちもそこそこ出来るけど、ダメな方向に傾くと器用貧乏。だって。
うわあ…やってた…。ゲームで魔法戦士があったら選んでました…。
「どっちも出来たらカッコいい」とかいう理由で選んでましたー!
バックスペースを押して元のページに戻り、もう一度『ファンタジー~』をクリックすると、同じタイプの中から別の適職が出て来ます。
なかなか種類があって面白いです。
ENTPは、その他
・皇帝:国王ではなく皇帝。軍事国家の主。皇帝の長子に生まれる・クーデターを起こして新皇帝になるかしか道がないのだがどうすれば。
・道具屋:利潤を追求するなら薬草等よりも宝石や高級武器防具等、単価が高い物を扱いましょう。
・ギルドマスター:職業組合の長。又はその職業の仕事を斡旋してくれる人。ハロワの人。
・遊び人:ニートとも言う。遊び人は後々化ける可能性もあるが、ニートって職業なのかどうか。
等がありました。
INTP型で見てみると『召喚士・サマナー』でした……ま・さ・に!
サマナー(Sumonner)は異界から精霊や異形を呼び出し、戦闘その他に使役する職業です。悪魔使いと呼ばれる場合もあります。
学生時代から延々と召喚士が主人公のシリーズが大好きで、どっぷりやってたっていうのが何故ここで暴露されたのかと!
その他、
・商人:一人であちこちに出没し色々な物を売り歩く。商魂逞しい為、「何でこんな所に!?」とドン引きされるような危険地帯でも商売をしている時がある。
・賢者:最高レベルの魔術師。誘われて気が向けば冒険に出るが、研究に没入し過ぎて仕官しない可能性あり。
・トレジャーハンター:あちこちウロウロしてお宝探し。お宝に当たればいいが実際当たるかどうかは毎回博打。
・隠者:仙人も含まれる。世俗を嫌い、隠遁生活を送る人。社会性はゼロかマイナス。どうやって生活しているのだろうか。
・魔法使い:総じて体力が低い代わりに頭脳労働で加勢。戦闘的魔法や補助魔法等、魔法の専門家。
なんかが適職に出ておりました。
あう…確かに賢者やったりしてました…。
商人は選ばなかったですね。特徴がいまいち分かりにくかったので。
魔法使いは全職業内でも特に体力の低さがネックで、冒険に出るとハイリスクハイリターン。
ラスボス相手ともなると、その低体力では最初の一撃でいつ死ぬとも知れぬ状態。
しかも近年のゲームではリアルラックが必要な場合もあり、体力はあるに越したことは無く!
というような理由で、魔法使いはまるで自分を見ているような気持ちになる為、ちょっと敬遠しておりました。
どうでもいい参考:私が絶対に選ばない職業⇒戦士(肉体労働が選択肢に無い為)・勇者/救世主(めんどくさい為)・農民(出来ません)・お姫様(有り得ない)
あと、ENTP型をゲーマー種族診断(どういうジャンルのゲームが好きか、向いているか)に流用すると、FPS(一人称視点のシューティングゲーム)、シミュレーションゲーム(特に戦略SLG)、格闘ゲーム、パズルを選ぶ傾向が強い模様。
お勧めのゲームタイトルに『信長の野望』が…ここ数年買おうかどうしようか迷い続けているのがまさにこれなんですが(もう一本は『三國志』。結局は戦略シミュレーション 笑)。
いや、やればいいじゃんって思うんですけど、始めたら最後、ド嵌りするのが目に見えているので…そういう理由で躊躇しているだけです。ええ。だから多分やるんですけど。どれにしようかなー。
その他で言うと…えーと、FPSは殆どやらないですね。やったらやったで楽しいんですが。
格ゲーは3D格闘のゲームを一時やってました。なかなか楽しかった。
パズルはものによって凄く好きです。一度始めるとやめられなくなる所に困ることもあります。面白すぎるんですよね。
「総じて何でも楽しくやるものの、RPGを好む割合は低い」とありますが、設定やストーリー性によっては深くやり込みます。内容によるということで。
ところでゲーマー種族の結果である『軍師族 奇略ゲーマー』には、気になる記述が。
「また身につけた技能で悦に入るために、同じステージを何回も遊ぶこともあります。」
…………(笑)。
面白すぎる。でもそういう所あります。あります。あります…ぐはっ。
INTP型の結果は『軍師族 参謀ゲーマー』。
奇略とお隣さんで似た感じですが、かなりコアなゲーム好きらしいです。確かにそうですけども。否定出来る要素がありませんけども。
タイプ別でも"最強のパズルゲーマー"だそうです。…そ、そうなのか…そうなの…か…?
元々私はゲーム業界で結構長い間お仕事させて頂いていたのと、趣味の一つがゲームで育って来た人間ですので、私にとってはかなり身近なあれこれで自分を喩えられた上、あまりにもドンピシャな結果に顔が微妙な笑いで引き攣りました(笑)。
ところで様々な診断テストの中でも異彩を放っていて面白いなと思ったのが、『子供時代診断』。
出したタイプから、逆引き的に子供時代の自分の様子がある程度分かるという…これ面白いわあ。
半分程度は「あ、そうでした」と思いました。
単独で子供時代診断をやってもみましたが、実際の子供時代を振り返るとこっちの結果の方がより適合していたなーと思います。
実はこれでINTP型が出たんですが、解説読んだら9割方事実で心底引きました。ええ。確かにこういう子供でした。本当に。
で、段々自分について理解が深まる中で、結果ENTPにシフトした感。大体同じで隣にスライドしただけでしょうが。
大体同じでも、INTPが内向型で、ENTPが外向型ですね。
内向⇒外向、と変化しました(っていうか、本質に戻ったのかも)。
人間関係に関する苦労は幼少期からはっきり自覚していたので、意識的に努力して出来るだけ色々な人とやり取り出来るよう、自分なりに研鑽を重ねた結果…なのか。
いや、単純に実は元からこういう人間だったということでしょうか。多分後者。
これまで色々なテストをやりましたが、総合的に結果を見ると、"理系・理論型・結果好き・合理的・並列思考・戦略思考・独立的・革新的・仕事重視"っていうので纏まってる気がしますね。
これ、面白いんですがホロスコープで見ても特徴が同じなんです…(笑)。
人は様々な影響を受けたり気付いて行く中で変化して行くので、色々な可能性に気付いて行ける為のツールとして、こういったものを使えるといいですよねー。
あー面白かった。
新たな気持ちで! 張り切って! ……平常運転スタートです(笑)。
年越しはこういうページを見て、自分のタイプ診断をして遊んでいました。
⇒辛口性格診断16
お勧めは簡易版より精度重視版。
何度もこの手の診断テストをやって来ましたが、年齢と共にブレが減ったのか、はたまた元の自分に戻って来たからなのか、実際やって来た言動等の事実を元に回答するようになったからなのか、結果は何をやっても大体固まって来た感があります。
私が出したタイプはENTP型でした。
別の診断で念の為サブの結果を出してみた所、そっちではINTP型が出ましたよー。
どちらも4カテゴリ中、『合理主義者気質(プロメテウス型)』に振り分けられていました。
同一カテゴリ内で、小ジャンルが違うって程度。非常に近いです。お隣さんて感じ。
合理主義。これはもうここ数年で散々言われている言葉そのままです。
「合理主義ですよね」「結果主義ですよね」「論理的ですよね」「理系ですよね」って。耳タコですわ(笑)。
しかし近年まで理系センスはゼロだと思い込んでいたという、超ド級の勘違いな痛々しさ…くうっ。
このサイトの面白い所は、"出た結果が他の診断テストではどの結果に該当するか"までリンクされている部分です。
いちいち他の診断テストをやる手間が省けて楽です! いいと思う! 合理的!!
他の診断テストには、ふつーの適職診断なんかもありますが、『ファンタジーRPG職業診断』とか『ゲーマー種族診断』といった楽しい診断テストに対応しているようです。
えーと、ENTP型の人がファンタジー系RPG(ロールプレイングゲーム)の世界で選ぶ職業は『魔法剣士・赤魔導士・魔法戦士』らしいです。
剣を振るって直接戦闘もするけど、魔法も適度に使えるハイブリッドタイプ。又は、剣自体が魔法剣(エンチャント・ウェポン)。
どっちもそこそこ出来るけど、ダメな方向に傾くと器用貧乏。だって。
うわあ…やってた…。ゲームで魔法戦士があったら選んでました…。
「どっちも出来たらカッコいい」とかいう理由で選んでましたー!
バックスペースを押して元のページに戻り、もう一度『ファンタジー~』をクリックすると、同じタイプの中から別の適職が出て来ます。
なかなか種類があって面白いです。
ENTPは、その他
・皇帝:国王ではなく皇帝。軍事国家の主。皇帝の長子に生まれる・クーデターを起こして新皇帝になるかしか道がないのだがどうすれば。
・道具屋:利潤を追求するなら薬草等よりも宝石や高級武器防具等、単価が高い物を扱いましょう。
・ギルドマスター:職業組合の長。又はその職業の仕事を斡旋してくれる人。ハロワの人。
・遊び人:ニートとも言う。遊び人は後々化ける可能性もあるが、ニートって職業なのかどうか。
等がありました。
INTP型で見てみると『召喚士・サマナー』でした……ま・さ・に!
サマナー(Sumonner)は異界から精霊や異形を呼び出し、戦闘その他に使役する職業です。悪魔使いと呼ばれる場合もあります。
学生時代から延々と召喚士が主人公のシリーズが大好きで、どっぷりやってたっていうのが何故ここで暴露されたのかと!
その他、
・商人:一人であちこちに出没し色々な物を売り歩く。商魂逞しい為、「何でこんな所に!?」とドン引きされるような危険地帯でも商売をしている時がある。
・賢者:最高レベルの魔術師。誘われて気が向けば冒険に出るが、研究に没入し過ぎて仕官しない可能性あり。
・トレジャーハンター:あちこちウロウロしてお宝探し。お宝に当たればいいが実際当たるかどうかは毎回博打。
・隠者:仙人も含まれる。世俗を嫌い、隠遁生活を送る人。社会性はゼロかマイナス。どうやって生活しているのだろうか。
・魔法使い:総じて体力が低い代わりに頭脳労働で加勢。戦闘的魔法や補助魔法等、魔法の専門家。
なんかが適職に出ておりました。
あう…確かに賢者やったりしてました…。
商人は選ばなかったですね。特徴がいまいち分かりにくかったので。
魔法使いは全職業内でも特に体力の低さがネックで、冒険に出るとハイリスクハイリターン。
ラスボス相手ともなると、その低体力では最初の一撃でいつ死ぬとも知れぬ状態。
しかも近年のゲームではリアルラックが必要な場合もあり、体力はあるに越したことは無く!
というような理由で、魔法使いは
どうでもいい参考:私が絶対に選ばない職業⇒戦士(肉体労働が選択肢に無い為)・勇者/救世主(めんどくさい為)・農民(出来ません)・お姫様(有り得ない)
あと、ENTP型をゲーマー種族診断(どういうジャンルのゲームが好きか、向いているか)に流用すると、FPS(一人称視点のシューティングゲーム)、シミュレーションゲーム(特に戦略SLG)、格闘ゲーム、パズルを選ぶ傾向が強い模様。
お勧めのゲームタイトルに『信長の野望』が…ここ数年買おうかどうしようか迷い続けているのがまさにこれなんですが(もう一本は『三國志』。結局は戦略シミュレーション 笑)。
いや、やればいいじゃんって思うんですけど、始めたら最後、ド嵌りするのが目に見えているので…そういう理由で躊躇しているだけです。ええ。だから多分やるんですけど。どれにしようかなー。
その他で言うと…えーと、FPSは殆どやらないですね。やったらやったで楽しいんですが。
格ゲーは3D格闘のゲームを一時やってました。なかなか楽しかった。
パズルはものによって凄く好きです。一度始めるとやめられなくなる所に困ることもあります。面白すぎるんですよね。
「総じて何でも楽しくやるものの、RPGを好む割合は低い」とありますが、設定やストーリー性によっては深くやり込みます。内容によるということで。
ところでゲーマー種族の結果である『軍師族 奇略ゲーマー』には、気になる記述が。
「また身につけた技能で悦に入るために、同じステージを何回も遊ぶこともあります。」
…………(笑)。
面白すぎる。でもそういう所あります。あります。あります…ぐはっ。
INTP型の結果は『軍師族 参謀ゲーマー』。
奇略とお隣さんで似た感じですが、かなりコアなゲーム好きらしいです。確かにそうですけども。否定出来る要素がありませんけども。
タイプ別でも"最強のパズルゲーマー"だそうです。…そ、そうなのか…そうなの…か…?
元々私はゲーム業界で結構長い間お仕事させて頂いていたのと、趣味の一つがゲームで育って来た人間ですので、私にとってはかなり身近なあれこれで自分を喩えられた上、あまりにもドンピシャな結果に顔が微妙な笑いで引き攣りました(笑)。
ところで様々な診断テストの中でも異彩を放っていて面白いなと思ったのが、『子供時代診断』。
出したタイプから、逆引き的に子供時代の自分の様子がある程度分かるという…これ面白いわあ。
半分程度は「あ、そうでした」と思いました。
単独で子供時代診断をやってもみましたが、実際の子供時代を振り返るとこっちの結果の方がより適合していたなーと思います。
実はこれでINTP型が出たんですが、解説読んだら9割方事実で心底引きました。ええ。確かにこういう子供でした。本当に。
で、段々自分について理解が深まる中で、結果ENTPにシフトした感。大体同じで隣にスライドしただけでしょうが。
大体同じでも、INTPが内向型で、ENTPが外向型ですね。
内向⇒外向、と変化しました(っていうか、本質に戻ったのかも)。
人間関係に関する苦労は幼少期からはっきり自覚していたので、意識的に努力して出来るだけ色々な人とやり取り出来るよう、自分なりに研鑽を重ねた結果…なのか。
いや、単純に実は元からこういう人間だったということでしょうか。多分後者。
これまで色々なテストをやりましたが、総合的に結果を見ると、"理系・理論型・結果好き・合理的・並列思考・戦略思考・独立的・革新的・仕事重視"っていうので纏まってる気がしますね。
これ、面白いんですがホロスコープで見ても特徴が同じなんです…(笑)。
人は様々な影響を受けたり気付いて行く中で変化して行くので、色々な可能性に気付いて行ける為のツールとして、こういったものを使えるといいですよねー。
あー面白かった。