resonance

Entries

Date : 2014年07月

◆ Infomation

【works】
★ヒーリングセラピー個人セッション
 都内で対面式の個人セッションを行っています。
 幸せと癒し、学びと気付きを得たい方へ、様々に対応させて頂きます。
 潜在意識を日常へと活用することで、より良い人生へ変えることが可能です。
 随時お受けしておりますので、サイトをご覧下さいませ。

★癒しのワークショップ
 毎月一度、都内で女性向けの体験型ワークショップを開催中です。
 沢山の変化・癒し・浄化・成長・気づきを促すテクニックが山盛りです。
 2017年11月5日・12月17日(全て日曜)
 の開催が現在確定しております。11月は11時~15時、12月は11時~19時です。
 ※11月と12月では開催時間、料金が異なります。
 ※以降の開催は決定次第upして参ります。
 ※それぞれ内容の詳細はサイトをご参照下さい。

梅雨明けと共に厳しい猛暑が続きます。
また、豪雨と落雷の被害に遭われた方もいらっしゃるかと思います。お見舞い申し上げます。
もう少し暑さが和らいで、涼しく過ごしやすくなるといいですね。

…そんなことを書いていますが、丁度私が落雷ビンゴでした(笑)。
いやーもうビックリビックリ。生まれて初めてあんな轟音を耳にしましたよ。
近くに落雷した、という体験はあるのですが、至近距離に落ちて被害発生、というのは初めてでした。


その時はパソコンの前に居たのですが、轟音と共にPC本体とモニターがシャットダウン。
ドゴオオオオン! と、とんでもない音量だったので「うわー!」と叫びました。ビックリ。
モニターは過電圧によるショートを起こしたようで、起動せず。ご臨終でした…ううっ(涙)。

本体はどうにか無事でひと安心したが、モデムが壊れてネット接続が不可に。わーーー(笑)。
色々試したものの、結局モデム交換が必要な程にダメージを受けていたようでした。
処理して下さったプロバイダーさんには感謝です。この暑い中、本当にありがとうございます。


それにしても雷のエネルギー量は凄いですね!
調べたところ、TVや冷蔵庫などの家電が壊れるというケースもあるらしく。
雷が電線から侵入して、急激な負荷を掛ける⇒ショート、ということはちょいちょいある模様。
PC本体がクラッシュした、という事例も読みました。
過剰な電圧からコンセントが焦げたりということもあるのだそうです。すす、凄い……。

エネルギー問題とゲリラ豪雨が深刻化している昨今、雷を集電して生活エネルギーに活用出来たりしないものでしょうか。
避雷出来るんだから集雷も出来るんじゃないのかな? 何とかなるんじゃないかな?
月に行ける位なんだから、雷様もどうにか活用出来るんじゃないかな?
等と、素人ながら考えてしまったりも…科学力でどうにか出来ないのかな。本当に。

とにかく直ぐに復旧して有り難かったです。
エアコンが停止! でなかったのが救いです。このシーズンに止まったら命の危険です…。
という訳で、今更ながら電気、エアコン、ネット、それらを動かして下さっている方々など、とにかく諸々にいつもより大きく感謝を捧げています。
ありがたやー。もう土下座の勢いです。五体投地でもいい!(笑)



以前はもの凄~くペシミストだったので、今回のようなことが起きると「何でこんな目にー!」とか言って、嘆いても無駄なのに嘆き続け、ネチネチチクチクと忘れないよう忘れないようこねくり回していました。

長年掛けて色々訓練をした結果、
「あらら。壊れちゃった。…まああれだ。一週間か十日後には大丈夫ということにしよう。だからいいや」
という風に、認めて手放せるようになったなーとしみじみ感じ入ります。
…一週間どころか二日で復旧しました(笑)。


こういう時、自分の変化を垣間見ます。
"なんでどうしてとかグチグチ怒ってしがみつくと、その状況を延長または再生するというコマンドになる"
ということが長いこと掛けて理解出来て来た為、延長したい訳ではない場合はすぐ仕切り直すという練習を長年やっていた訳です。

それがねー、またなかなか身に付かなかったんですよ。
何故って、「なんで私が!」という定型文を非常にナチュラルに使っていたからです。
無意識です。口が勝手に、とか。頭の中で勝手に! という位、当たり前に使っていました。

「なんで私が!」っていうのは、「自分の責任じゃないのにどうしてこんなに酷い目に遭わなきゃいけないのー」ってことです。
誰か・何かから酷い目に遭わされた。悪意を向けられている。という被害妄想です。

例えば今回みたいにお天気関係だったとしたら、お天気さえも自分に対して悪意を向けて、虐めるんだーと本気で思ってしまう。
……本人は勿論本気ですから。笑う所ですよ。


実際は、ただそのような出来事が起きただけ。事実は事実という以外の意味はありません。
それに、怒ったり僻んだりいじけたりしている間にも、出来ることはあります。
もうちょっと進めると、事実を認めた上で「これは要らない」と思った時、思考には選択肢があります。

私達がよく使う思考を並べると、

・何でこんな目に!(被害妄想⇒怒る)
・こんなことが起きるなんて間違ってる!(現象・過去を否定⇒怒る)
・もう要らないので、今後はあれがいいな(受け容れた上でフォーカス先を決め直す)


大体こんな感じですか。


昔の自分は「じゃあどれがいいかな」という、希望的観測を持てませんでした。
何故なら、自分で未来を創っているなどとは、夢にも思わなかったから。
色々な本に『思考が現実を創る』と書いてあるにも関わらず、抑も自分が何を思考していたかさえ全く気付いていなかった為、世界と自分をずっと切り離し続けていました。

自分でェ~? うっそぉ~。意味わからん。
などと思っていました(笑)。
これは、自ら色々実験をしたり、自分に準えて検証をしない限りは、理解の出来ないことでした。
幾ら本を沢山読んでも、読むだけでは分かる筈の無いことだった訳です。
実践しないと理解に漕ぎ着けないんだな、というのは今だからこそ言える話です。


否定してる場合じゃなかった。
拒絶してる場合じゃなかった。
望むなら、いつ、何処からでも幸せになれたのになー。

と、雷云々を通して改めて思っている次第です。



本格的に夏になりました。
毎日猛暑が続きますが、どうぞ皆様お元気にお過ごし下さいませ。

外を歩くと、流石にちょっとフラフラする時がありますねー。
暑いっていうか、熱いです。



今日は『不幸と幸せは全然関係なかった模様』という話です。
例に依って体験上のお話です。



嘗ての私は、数多くの
「あの時、あれのせいで凄く嫌な思いをした。どうしてくれる!」
という過去の呪縛から自分を解放出来ずに居ました。
それ以前に、何がどうして苦しいのか、辛いのかも全然解っていませんでした。
でも、苦しくて辛いことだけは間違いない。間違いない! イヤダー! という状態です。

この状態はつまり、『自分が体験した不本意な現象は誰か(又は何か)のせい。だからその対象に怒りを向けて呪っている』というものでした。
例えば、「●○されて、凄く嫌だった!」とか。

よくある例としては、「あの時、親に遠慮して●●を諦めた」とか。
"エンリョ"とかいう言葉を並べる分には聞こえはいいですが、要するに「自分は被害者ですよ!」と言い切っている状態です(あ、私がやってたことですよ)。


実際、何があったという事実はさて置き。
この出来事が既に過ぎ去ったものだという認識を持てないまま、頭の中で繰り返し繰り返し繰り返し同じシーンを再生・再体験しては、怒りを燃やす…ということだけをやっていたのでした。
それも、ジャンル違い・バリエーション違いでたーくさん。

現在既に無い思い出に縋っている状態ですから、やっていることはただの妄想です。
それが嘗ては事実だったのだとしても、記憶なのだとしても、現実として今は存在しない。
無いのに、思考と感情はリアルに体験している。過去バージョンの被害妄想です。
このような被害妄想を抱き続けるということは、誰か・何かを呪っているという訳で。
その状態は決して良いものではなく、言ってしまうと非常に辛くて苦しいんです。



で、そこから自分をまともな方向へ修正する為ぼちぼち取り組む中で、当たり前のことに気付きました。

「呪いと攻撃のエネルギーで時間を浪費するより、そのエネルギーと時間を使ってとっとと幸せになった方がいいんじゃ…?」
「不幸だ嫌だっていうのはずっと言ってたけど、それの繰り返しだと幸せって単語は永久に出て来ないんじゃ…?」


当たり前過ぎて大笑いなのですが、長い間これに気付いていませんでした(笑)。


意識的に自分の思考を振り返ってみると、怒り・憎しみ・嘆き・悲しみ・恨み・辛み・妬み・嫉み・諦め…なんかのネガティブ大バーゲンみたいな状態をずーっとリピートしていました。
目の前には平穏な状況があっても、頭の中でずーっと過去のネガティブな再生をし続けていた為、全く心休まらない状態でしたし、「どうせまた同じことが起きる」と潜在的に思い込んでいた為、その通りご丁寧にで現象まで再生していたという。
何やってたのかなーと…体育座りで遠い目です…。



先日のワークショップでも、参加者の方々からお話が出ましたが。
私は被害者です、という立場に執着し続けている時、誰もがこのように頭の中で思考しています。

「私は被害者で可哀相。だからもっと優しくしなさいよ! もっと尽くせ! 要求通りにしろ! 私は何をやっても許される!」

これは、参加者の方々がウンウンと頷いてお話し下さったことです。
被害者の仮面を被ることで、逆にイニシアチブを取る。
そして、その後の支配権をガッチリ握るんですよね。


「人に勝たねばならない」「人より上の立場に居なければならない」「自分で何かをするのは損」
という考え方を使っている間は、被害者ぶるのを絶対に止めません。
一旦手綱を握ったら、その後はあれこれ手を尽くして立場をキープ。
泣き喚いて相手を糾弾したり、か弱いフリをしつつ、巧みに支配し続けます。

そうし続けていないと、主客転倒して今度は自分が負けちゃうからです。
……というか、これをやっている本人が勝ち負けに執着している為、勝つのを止めたら負けるしかない、と思い込んでいるだけなんですが。


過去も含めたワークショップやセッションにて、皆さん色々本音をお話しされていました。
「だって私ばっかり可哀相な目に遭って来たんだから、何もしなくていいでしょ」
「私はいいの! あんたはダメだけど!」
「感謝なんてしてやる必要無い」
等々。

ご自分をよくよく見たことがある方は、こんな思考に多少なりとも心当たりありませんか?
我々はついつい"被害者で可哀相な私"をキープする為、幸せになることを拒むという不可思議な行動を取り続けてしまいがちなのです。



"被害者の私"と"幸せな私"はイコールで繋がらないですよね。
繋がらないです。そこに互換性はありません。

しかし、
私は被害者=正しいのは私=周り(他人・現実等)は間違っている=私は不幸
…これは繋がってます。


「私はこんなに大変なの、辛いの、苦しいの」
という着ぐるみを着ている間、どういう訳か「私が完全に正しいと世界中の人間が認めれば、私は幸せになれる筈」という妄想で頭を占領されていることもよくある話です。

だから、色々な人にそういう話をしちゃう。有り体に言うと、愚痴とか文句ですね。
先日お客様が仰っていましたが、
「『あれが嫌なんです、これが辛いんです』と他人様に言う理由は、その相手に問題を始末してくれ、その上良い思いをさせてくれと押しつける為です。それが赤の他人で、何の関係もない人でも」
だ、そうです。
自力でそこまで気付いたことは素晴らしいことです。今後もやり続けるなら話は別ですが(笑)。



これをやっている間はどんどん"幸せになる私"が遠離って行きます。
「こんなに辛いのに、どうして誰も助けてくれないの!?」とか「私ばかりが何故こんな目にー!」等と言っている間に、時間は経過して行くばかりです。
散々やっていたから分かります。意味無いです。

あ、あると言えばありますね。怒りとか憎しみとか恨み辛み妬み嫉みが嵩を増します。
結果、苦しい感情が増えて、ゴロゴロ転がりながら、「辛いー苦しいーウワー!」ってなります。
"苦しむ"ということを毎秒更新。自分で自分の首を絞めるとはまさにこのことです。←むっちゃやってた



辛い苦しい私は不幸っていうのと、とっても幸せー! っていうのは、全然直線では結ばれていなかった。
1ミリたりとも全く関係ありませんでした。抑も、ベクトルどころか次元が違う話です。
なんでごっちゃにしてたんだろう。うわー知らなかったー。うわー。

というのが、私が気付いた一つの出来事でした。
とっくに知ってました? あ、すみません(笑)。

普通に考えれば分かりそうなものなんですけども。「いや、ないわー」って。
ずっと当たり前に、疑問も抱かず考えもせずリピートしていたってことですね。


何にせよ、気付けたことは有り難い話です。
そのままだったら人生を完全に破壊していたでしょうから。
人は色々な方法で気付いて行くものだなーと、これまでの歩みとプロセスを有り難く思っています。

ただ、幸せになればいいだけの話なんですよね。本当に。



学生の皆さんは、夏休みに入られた方も多いと思います。
いやーいいですねー夏休み。
遊びに部活に旅行にバイト! 人によってはお勉強!(笑)

年齢に関係なく、盛りだくさんの思い出が出来る時ですね。
それぞれの過ごし方があると思います。どうぞ良い夏にして下さいませ。


さてさて、今後3ヶ月分のワークショップスケジュールを更新しましたので、ご案内致します。



●8月
8月17日(日曜) 11:00~15:00

●9月
9月14日(日曜) 11:00~15:00

●10月
10月19日(日曜) 11:00~15:00




です!
詳細はこちらに書いてございますので、ご覧下さい。
遊びにいらして下さいましー。


ワークショップでは、ご参加の方々それぞれの目的がありますが、他人様を通して自己理解を深める道は非常にスピーディーです。
人にも依りますが、1度限りの参加でガラッと幸せに変化する方もいらっしゃいますし、継続して学ぶ姿勢を持つことで、自分と向き合い続ける方もいらっしゃいます。

どれが良いとか正しいということはありませんので、ご自身のハート(頭、ではなくハートです)が喜ぶ形で良いと思います。
個人セッションと上手に併用しつつ、最短距離で幸せになって行けるといいですねー♪




自己理解を深めて行くと、何が具体的に良いのか。
ということに疑問をお持ちの方もいらっしゃるかと思います。
えー、ちょくちょく書いていますが、本当に人それぞれですので、それに価値があるか無いかについては、個々人が決めることだと考えています。
ですので、私の個人的経験から書かせて頂きますねー。


昔に比べて、色々なことが気にならなくなりました。
これは特に顕著な変化です。
諸々あって、自己否定の強ーーーーい人間として育ってしまった為、非常に「気にしい」でした。
今も多少あるにはありますが、とにかく子供の頃から親が呆れる位にクヨクヨする人間で、その上そういう自分が嫌いだったというオマケ付き(笑)。

これが変化した理由ですが、

1.栄養状態の改善
2.自己と向き合い続けた

という二つの要素があります。


先ず、栄養状態です。
良質なサプリメントの継続摂取で、憂鬱な気分に悩まされることが激減しました。
寝る時もスーッと眠れるし、多少睡眠不足でもパッと起きられる。
日中、ガクッと膝を着いてしまうことが無くなった。
私にとっては先ずここが驚きの変化でした。

……どんだけ不健康だったのかしらねーそんな人居るのー?
と呆れている方もいらっしゃるでしょうが、本当です(笑)。


横になってから入眠するまで2時間以上唸っていて、一度寝たら今度は起きられずにウーウー唸る。
という人でしたから、日中は常時怠くて堪らず、少し歩くと動けなくなってしまうという虚弱ぶりです。
こんな身体でどうしよう…なんでこんな風に人よりダメなんだろう…と、それだけ取り上げても悩み続けていて、半ば諦め掛けていたんですが。

こんなに栄養素(サプリメント)で変わるものなの!? と、目からウロコで驚くばかりです。
頭も上手い具合に働かず、いつも苛々して何となく重かったのが、殆どなーい。
身体に力が入らないせいで怪我が絶えず…ということがほぼ無くなり。凄いー。
他にも様々な恩恵に肖っていますが、先ずはこの辺りで。



次。
自己と向き合い続ける件です。

私は育った条件や環境がシビアだった為、「誰かが幸せにしてくれる」とは元々思っていないのですが(笑)、「誰かのせいで不幸になる」という風には思い込んでいました。
体験し、経験し、見たものをそう解釈していた訳ですね。

『不可抗力で外部から不幸がやって来る。それは絶対に自分の意思ではない』
のだとすると、最初から割とアレな人生を送って来た私は、永久に幸せになれないということになります。
でも、そのまま生きて行くのは絶対に嫌でした。運命だとか宿命だとか言われても、絶対に嫌(笑)。
だって痛いのは嫌だし、辛いのは嫌なんですよ。いやーん。


という訳で、「いやいや、このままとか有り得ないし! 何か他に良い道は…」としぶとく粘って探し続けたことが、自己理解への道だった訳です。
「こういう風になりたーい」というフォーカス先さえ探したことが無かった事実に愕然としたり、物凄く嫌なイベントを振り返って、「あ…私だ」と種明かしが進んだりして行く中で、色々と自分の人生に納得出来ることが増えました。

人生で納得の量が少ない=人生に不満が多い

という図式ですから、如何に否定し、拒絶しまくっていたかが明るみに出て、呆然とするばかりです。
いやー何度もビックリしましたもん。「ええええええ!?」って叫んだことも数知れず(笑)。


時間は多少なりとも使いますが、一つずつ片付けて行くと、気付いた時には見晴らしが良くなっていて、過去とても嫌で堪らなかったことがどうでも良くなり、色々あるとは言っても概ね有り難い気持ちで過ごせている現在です。
勿論、物理的変化も沢山ありましたよー。

以前に比較すると、物心両面について「へー」「そーなのー」で終わることが格段に増えて、大変目出度い気分です。
昔だったらどうでもいいことに散々執着して、ぐるぐるクヨクヨ考えてもどうしようもないことばかりで頭が一杯でしたから。
「凄いなあ。ちゃんと意思を持って取り組むと、結果は出るんだなあ…」と、度々感嘆します。


自分に向き合い続けるというのは、自分で責任を持って自分を幸せにしてあげる、ということです。
これも、割と最近まで、解っていたつもりで全然解っていませんでした(笑)。
健康を自分に与えるということも、自己理解を拡げ・深めて、感謝が増えるというのも、幸せになりたいならどちらも外せない要素ではなかろうかと。

色々解ると面白い、というのもモチベーションの一つですね。
解明が進み、「うわー」と半笑いになったり、時には泣いたりしつつも、「だからだったのか…」と理解が一つ深まる度に、人間って面白いなあと思うんですよ。



ワークショップやセラピーは、何よりも自分の欲しい結果を出す為にお付き合いして行くのが楽しい。
自分にとっても、お客様にとっても、「こんな風に結果が出た」「これに気付いたら、楽になった」という目的に添った結果があるからこそ、有益な道具なのです。

私はそのように考えています。



今日は猛暑でしたね~。
歩いているだけでクラッと来そうな気温でした(笑)。



さて、夕方お出かけして参りましたのは、浅草です。
都内に住んでいても、用事が無いと出かけないのが観光スポット。


目的地への通り道なのもあり、浅草寺へ入ります。



浅草寺


浅草寺


浅草寺


既に本堂は扉が閉まっていて、観音様を拝むことは出来ませんでした。
が、それでも凄い数の観光客で賑わっておりました。
実は浅草寺に入ったのは、人生で2度目というレア体験です。

18時ちょっと前。
お天気も非常に良く、まだまだ夕陽にすらなっていなかった明るさです。


折角来たので、境内でおみくじ引いてみました。


おみくじ

吉!

中に書いてある文章は潜在意識からのメッセージなので、大事に持ち帰りました。
結果は吉。でもそれより、文章が非常に興味深かったです。むひひ。





さて、浅草寺を通り抜けて、目的地へてくてく移動。



一文

酒膳 一文(しゅぜん いちもん)』さんです。

メインはねぎま鍋。
その他、鯨料理なんかも有名なお店だそうで。
お金と文(もん)を交換して、店内貨幣でオーダーするというユニークなシステムになっています。






お通し♪

鯨

こはだ

穴子

アスパラ揚げ

一番上がお通し。鶏皮ポン酢と、ごま豆腐。
その下が鯨の尾の身。お刺身です。
次がコハダの酢締め。
その下が、煮穴子。
一番下が揚げアスパラガス。

おいしいー。





ねぎま鍋

ねぎま鍋

メインのねぎま鍋です。
ネギ・白菜・椎茸などの野菜とお豆腐、それからマグロ!
お兄さん曰く「生でも行ける」らしいマグロなので、一切れ生で食べてみましたが、鍋に入れた方がとっても美味しいです(笑)。
脂が乗っていて、大変美味しく頂きました。





かるび

葉山牛のカルビです。
鍋の後に肉! メインの後にメインという、邪道な気がしなくもないオーダーをば(笑)。
こちらも脂たっぷりで大変美味しかったです。






グラス

こちらのお店、グラスにお店の名前が入っている特注ものです。
あ、これの中身はお水です。
お酒を飲むと、眠くなって帰れなくなっちゃいますからねー。
それとお腹が膨れてしまい、食べられるものが減るので自重(笑)。

グラスの後ろに写っているのが、店内貨幣である『文』の入った箱です。
木札に『十文』『一文』と書いてあって、オーダー品が運ばれて来る毎に、金額分の文をお渡しする形です。
過不足分は帰りの際に精算出来るので、安心安心。




スカイツリー

帰り道、初めて生でスカイツリーを間近に見ました(勿論、行ったことありません 笑)。
夜は青くライトアップしてるんですねー。
現地に行かなくてもしっかり満足な気分で、浅草を後に致しました♪



今日は開店と同時に入ったので座れましたが、予約のお客さんが沢山いらっしゃるようで、あっという間に混雑(電話も鳴りっぱなしでした)。
店内はリピーターさんや初めてさんなどで一杯でした。
確実に入りたい方は、予約して行った方が無難だと思われます。
別館や系列店などもあるようです。詳細はHPをどうぞ~。



【浅草 酒膳 一文本店】
〒111-0032
東京都台東区浅草3-12-6 
TEL:03-3875-6800
URL:http://www.asakusa-ichimon.com/

月~金:18:00~23:00
土・日・祝:17:00~22:00




夕方は風があって、幾分過ごしやすい東京です。
7月も半ばに入り、本格的に暑さが増す今日この頃ですが、水分補給と日陰で休憩をこまめにして下さいねー。


さて、去る13日は7月度のワークショップでした。
ご参加下さいました皆様、ありがとうございました♪


8月、9月のワークショップは日時確定しております。

★8月17日(日曜)

★9月14日(日曜)


詳細はこちらでご確認下さい。
是非、遊びにいらして下さいね!

10月度は近々upする予定ですので、暫くお待ち下さいませ~。





人生に於けるネガティブなパターンを変える方法は色々あります。
色々ありますが、どんな方法を採るにせよ、何よりも優先されるべきは自分の意思です。
「今後はこういう風にしたい、なりたい」という動機と目的。これが一番大事です!

しかし、変えたいと思っているのに、嫌だと思っているのに、何故変わらないのか? というケースがある場合は、どのように捉えるべきでしょうか。

えーと。
これは、自分も散々やっていたのでよく分かるのですがー。



特定の現象が発生⇒それに対して「こんなのやだー!」と反応する⇒終わり



そしてまた次のループへ突入。
ということのみをやっているからです…。


これを繰り返す中で、
「こんなに嫌なのに、どうして続くんだろう」
「変えたいのに、どうして変わらないんだろう」
「どうしてこんなことばかりが起きるんだろう」
「嫌だ、嫌だ、嫌だ!」
と、色々頭の中でごちゃごちゃ言うんですよ。

これを言い続ける裏によくある思考としては、「周りが悪いから、周りがこれを変えてくれれば良い」という風に、周囲へ変化を強要することでしょうか。
頭の中だろうが、言動に出そうが、同じことです。
だから嫌だと言い続けながら同じことを繰り返し、引っ張れるだけ引っ張ります。

嫌な思いをする<周囲へ罪を押しつけていたい

ですね。


じゃあ、そんなに嫌じゃなかったんじゃないのー? …変えなくてもいい程度のことだった訳ね。
過去の自分を振り返ると、そんなコメントが出て来ます。
どれだけ嫌でも、長いこと繰り返せた訳ですからね。


嫌な思いをしているのは自分の責任ではないのだーという観点に立っている為、徹底した時間稼ぎをします。
自分は正しいんだ、被害者なんだ。だってこんなに嫌な思いをしてる! だから周りが変わるべきだ! って、主張し続ける訳ですよ。
あれが悪いんじゃないか、これが悪いんじゃないか…と、粗探しに余念が無い状態です。
周りの人が、環境が、生まれが、育ちが、先祖が、運が、過去世が~~~だからだーとか。



えー。


本っっっっっ当に……スミマセンデシタ……。ガックリ。
ということも数え切れませんです(笑)。


まあ、あれです。
そんなこと言って何かのせいにした所で、現象が変わることはビタイチありませんでしたから。
繰り返すパターンは高い精度を誇り、いや誇ってる場合じゃないんですが、とにかく場所を変え人を変えて幾度も幾度もやって来るのです。


「なんでー!?」


なんでじゃねえー!


ツッコみたい。
スリッパで思いっきりツッコみたい!

口が悪くてすみませんが、本当にそんな気分です。
最早、面白すぎるとしか言いようが!


今思うと、そこまで精密に再生出来るなんて逆に凄いな自分。という感じですが(笑)。
パターンの渦中で溺れきっていた時は、自分はこんなことを望んでいないのだ、だから現象が間違ってる! と思い込んで憚らない歴ウン十年でした…わーおー。

どれだけ否定しても嫌がっても、嘆こうが怒ろうが悲しもうがそんなことにはお構いなく、パターンは綺麗に再生されるばかりでした。
私は残念イベントのパターンが多すぎて、重い腰を上げて一つずつ片付けるのにものすごーく時間が掛かって来たんですが…。それでもその甲斐あって、ちょっと視界が良くなり気付いたのは、
「あ、私でした。エヘ!」
ということです。
はいはいスリッパスリッパ。



なまじ、他人様の姿を取って現象が起きたりするから、"外の世界"から何かが来るかのように見えてしまっていて。
自分の肉体そのものを自分だと思っていたりするから、自分の肉体以外は自分と関わりがないものだと思い込んでおり。
だから、いつまでもいつまでも自分の誤った思考と感情を正常だと信じ込んで、幸せへ向かう可能性を蹴り続けるばかりだったんですよ。ほぎゃー。

他人が自分に向かって明確な意図を持ち、●○をして来る。という被害妄想とも言える思考が、人為的に問題を作ります。
分かりにくいかも知れませんが、大変自然にこの思考を我々は使っていて、嫌いな人が居るとか嫌なことがあるという時、例外なくスタート時に「○○された」とか「○○してくれない」と頭の中で判断しています。

悪いものは外側にあって、原因は外側の世界にのみ存在する。
だからそれを駆逐するか、排除するか、潰すか、違う形に変えなければならない。

なーんて考えています。そして、それだけが真実だと思い込んでいるんです。


そうするべき! なるべき! というファッショな思考で押せ押せムードですから、何年でも頑張れちゃう。
ならない状態を確認すると、それも次の怒りの燃料にして、そんなの間違ってる! なるべき! 変わるべき! という思考が増えます。

それをやっている間は、決して幸せな気持ちではないと思います。
でも、今の自分は絶対に正しくて、それ以外は間違っているということを押し通していたい。
そうすれば、いつかは物凄く幸せになれる筈! 周りさえ変わればそうなる筈! という、砂漠の蜃気楼の如き妄想を絶対視し続けているんですよね。


……とまあ、こんなようなホニャララな内容でワークショップは半分位の時間を使いました。
こういったことは、どれだけやってもやりすぎということはない、人生を自主的に変化させて行く為には必要な基礎です。



「頭では分かってる」「理屈は分かる」
しかし何故現象に反映されないかと言うと、仕組みや理論だけを見ていて、そのテンプレートに沿って自分の言動を一つずつ抽出するという実践をしていないからです。

…まあ正直、見たくないと思いますよ。
「今の自分は正しい」「こうなったのは不可抗力で、自分のせいではない」「要するに悪いのは自分ではない」っていうのを続けたいですよね。
いつか勝手に周囲が変わって、「ほらやっぱり私は正しかったじゃないか」と証明出来るまで、時間稼ぎをしたいですよね。
それもすごーくよく分かります。

しかーし、それを続ける分だけ、幸せが手に入らない時間も延長されます。
もう、どちらかしか無いんです。正しいことをアピールし続けて不幸を粘るのか、それを止めて幸せを手にするか。ホントにどっちか! 両立しないの!
これは理屈ではなく、悪足掻き的に長年色々試みた結果、両立しないことがよく分かったので体験談的に書いています(笑)。


何があった時に、何を言い、何をして、何を考えて、何を感じていたか。
リアルタイムで自己観察の訓練をすれば、必ず身に付きます。
後で振り返る分には、幾らでもお綺麗に修正させられたりしますから。

自分自身に直面すると、それをシビアだと感じるかも知れませんが、別に厳しい訳ではないと思います。
もし辛いとか厳しいと感じるなら、それだけ日頃の自分を甘ったるく・綺麗に飾って見積もっている、ということになります。
「こんなに辛いのに!? 苦しいのに!?」と自分が思うことと、事実がどうであるかは別段関連ありません。
事実はただ事実なのであって、それ以上でもそれ以下でも無いのですから。



長くなったので、今日はこの辺りで。


こんばんは~。
タイトルの星も、中抜きで涼しげにしてみました。

昼間は真夏の気温でアワアワしました(笑)。
夕方から風が出て来た東京です。


明日は7月度のワークショップです。
ご参加の皆様、お気を付けてお越し下さいませ。



7月だから当たり前と言えば当たり前なのですが、それにしても暑いので。
見た目の涼しげなシルバーを並べておきまーす!


今回のマテリアルは全てシルバー925です。



silver925

長くて細~い、シルバー925のネックレス。
長さは1メートルくらいでしょうか。ほっそ! みたいなシルエットです。涼しそう。

ピアスはジャーマンフックで落ちる心配なし。
氷柱のようなスワロフスキーエレメントに、ちょろっとビーズがくっついています。




silver925

ジャラジャラと鈴生りに生っているのは、シルバービーズちゃんです。
見え隠れするスワロも、完全に紛れ込んでますね。
シルエットはエキゾチックですが、カラーがシルバーとクリアなので、シンプル寄りかと思います。かっくいー。




silver925


silver925

チェーンの長い、アメリカンピアス。
オーロラ加工を施した棗型のスワロに、これも小さな飾りのシルバービーズが揺れます。
こういったアメリカンピアスは、後ろに通すチェーンを長くして使うとオシャレさん♪




全部涼しそうな雰囲気になるように作りました。
作っている間も「はー…視覚だけでもいいから涼しいのがいいわ…」みたいな独り言を呟いておりました(笑)。
カラーでも、デザインでも、揺れることでも涼しい感じに! という若干の拘りアリ。





明日も暑いようです。
水分補給をこまめにしながら、どうぞ元気に一日をお過ごし下さいませ。



なんかあっという間に7月も上旬が終わりですねー。
今年も折り返してしまったんだなーと呆然です。呆然。ビックリ(笑)。




人間が「これこれはこういうもの」という自分ルールを作って行くものは何か。というと、経験が全てを決めます。
もう少し細かく言うと、『何かを経験した時にどのような解釈をしたか』が、その後の自分の人生を作り上げます。
このようなルールが沢山あって、自分の人生が形成されている訳です。


ニーズが達せられなかった体験をネガティブに解釈すると、傷になります。
俗に言う、トラウマです。

「子供の頃、お母さんに抱っこして欲しいと言ったけど、忙しくてして貰えなかった」
という体験があったとします。
それはそれで、ただそれだけです。そういう現象があったということ。


しかしここで、割と多くの人が人為的な意味を与える訳ですね。
「忙しさにかまけて私を蔑ろにした。酷い人だ」
「抱っこしてくれなかったのは、私を愛していないからに違いない」
とか。

これはかなりスタンダードな事例です。
他にも、お好みや癖でストーリーに無数のバリエーションが展開されます。

そして、大概はその思考を信じて疑わなくなります。
それは本当のことである、と思い込む訳です。
つまり、自分は愛されていないとか、お母さんは私を愛してくれない人なのだ、というのを絶対的な真実だということにしてしまう。


でも、この時に現象に対して「あ、そうですか」で終わっていたらどうでしょう。
その後は「えー、そんなこともありましたっけ…?」と、出来事の記憶も朧になるかなーと。

目撃し、体験する出来事をいちいちネガティブに判断せず受け容れられるなら、とても幸せなのだと思います。
自分の脳内で作り上げたストーリーに溺れることもなく、結果としてその後も同じ現象をリピートして自ら苦しむこともなく、日々を平穏な気持ちで送って行けますね。




かなり前のことになりますが、とある先生にタロットのセッションをして頂いた折、
「これまで苦しんだ分、これからはきっとものすごく幸せになりますよ」
と言われたことがあります。有り難いお話ですね。

ここで大人しく
「そうか。じゃあものすごく幸せになるに違いない! よく分からないけどそうに違いない! それは良かったー」
と思い込んでおけば良かったものをー!
と。
人間の意識構造を理解した後年、激しく後悔することになります(笑)。


そうです。
その頃のやさぐれてひねくれきっていた私は、
「ンなアホな。これまでこんだけ酷かったものが、いきなり良くなるかい。そんな上手い話ないない!」
等と反射的に判断し、思考していたのです。よく覚えてます。
というか、この時の出来事を思い出した時、自動的にここまでをセットで思い出しました。


まあ、何が酷かったってそれは私なんですけど。
ええ。





ぎゃはは!

…いや、笑うしかないなーと思って。




あっきゃー!

…笑う代わりに奇声にしようかな(笑)。





当時は自分が何を考えているかも全然解っていませんでしたし、抑も自分が自分の人生を創っているなんて、冗談でも考えられることではありませんでした。
痛い、辛い、苦しい。
そのループの中にあって、意地でも認めなかったのが自分の姿勢・思考のネガティブさ、不健全さでした。

自分は幸せになりたいと思っている。……筈だ(←今思えばこれがミソ)。
という勘違いをしていたので、思考(の勘違い)と現実のギャップをどうしても受け容れられなかったんです。
ギャップも何も、実は自分の思考をちゃんと把握していなかっただけの話です。



まーねえ、本当に幸せになりたいと思っていたとしたら、とっくに現象からそうなって(して)いますし。
仮に途中まで不幸好きだったとしても、「これからは幸せ好きになろう!」と宗旨替えをしていれば、上記の話を頂いた時だって素直に「へー、そうなのかー」とウッキウキで受け容れている筈なんですよ。
脊髄反射並みに反発して否定している辺り、その頃どれだけ自分が幸せを拒絶していたかが分かろうというもの。

過去を振り返ると、こういうお言葉を下さった方は他にもいらっしゃいました。
でも、その都度頭の中で否定して蹴っ飛ばしたのは自分です。
そして、その通りの日々を送りました。
自分が思考した通りに、「そんなに上手く行く訳ないじゃん!」を人生で体現し続けた訳です。




あうー。(T-T)


お馬鹿さーん!
珍しいことに顔文字も出しちゃうぜ!


今だからこそですが、そりゃもう(T-T)←こんな感じで反省しきりです…。






という訳で、私の過去のアレなお話(笑)を晒したのは何故かと言うと、如何に思考の偏りで情報の取捨選択をしているか、自身の解釈と脳内のストーリー展開次第で人生が形成されているか…ということを言いたかったからです。



いやはや。
げっそりです(自分に)。
終わったことだからもういいんですけどね。
とにかく気が付いて良かったです。本当に良かった…。


今でも、自分の思考(特に反射的思考)を掴まえてざざっと並べてみると、「うへぇ!」ってなることがあります。
"あります"っていうか、しょっちゅうです。かなり。
「……あら~!?」って、毎日が驚きの連続です。
勿論、自分の思考に驚いているだけですが(笑)。



人生のあれこれを紐解くヒントになれば幸いです。
もっともっと、幸せになるといいですね!



七夕ですね。
台風の影響で雨や曇り空の所が多いかと思いますが、短冊に願いを書いて吊した方もいらっしゃるかなーと思います。

…はっ。

『願いを書く』って、メジャーな願望実現の方法じゃないですか!

と、たった今気付きました(笑)。
短冊でなくとも、ノートに書くとかで宜しいんじゃないかと思われます。
とはいえ、季節に乗るなら短冊かなー。



さてさて。
大変珍しくファッション誌を買いました(いつも主に買うのはネイル雑誌 笑)。
「あっちこっちでボタニカルが流行ってるなー」とか思いながらページを捲っていたのですが。


DRESS (ドレス) 2014年 08月号 [雑誌]DRESS (ドレス) 2014年 08月号 [雑誌]
(2014/07/01)
不明

商品詳細を見る



その中に『あなたの運は今すぐ変えられます!』というページがあり、幸せのメカニズムを脳科学者・中野信子先生が解説されています。

世のなかで起こっている現象は、科学の目で見ると「起こっているだけ」なんです。
雨が降れば降っただけ。生きていれば、ただ生きているだけ。
でも人間が生きている世界は、人間が意味づけをする世界。人間の認知が作る世界なんです。
(略)
自分の世界は、自分の認知でしかありません。他人にはどうにもできない。
「結婚すれば幸せ」「ママになれば幸せ」というのも間違い。状況は人を幸せにすることはありません。
未婚女性は結婚をゴールと考える傾向にあり、結婚後のことを考えていない人が多いのですが、いま、ひとりで不安な人は、結婚しても「夫が浮気をしているのじゃないか?」「リストラされるんじゃないか?」など、新しい不安が襲ってくるだけです。

DRESS 2014年8月号 P.64より





おお、素晴らしい!

と、思いました(笑)。
全くその通りです。



自ら行っている認知、認識が自分の世界を作っています。
「自分はツイていない」という思考を持っている人は、あらゆる事象を「ほら見ろ、ツイてない…ぶーぶー」というように後付けで解釈します。

明確に何らかの分類があって(しかもそれが外界に存在するグローバルスタンダードで)、幸・不幸が存在していると思い込んでいる人が大変多いように見受けられますが、そうではなく。

我々は何事も受け取りたいように受け取り、解釈したいように解釈している。
経験的に蓄積して来た自分フィルターで物事を見ているので、同じ出来事を人それぞれ全く違う認知で分類しています。



先日、webでリンクを辿った時に、指(と、爪)の形で悩んでいる方の書き込みを見付けました。
その方はとてもご自分の指が嫌いで、コンプレックスでいらっしゃるとか。
それに対して沢山の回答がついていましたが、「同じ形だけど自分は昔から大好きー」という方も居り、「私もコンプレックスです!」という方や、「(以前死にかけたことがあるので)指の形は同じだけど、生きているだけでいい」というお話も。

ざっと見た所、それに関して(この場合は指・爪の形に対して)「周りから凄く良い刷り込みをされて育った」という方は、「誰々に凄くポジティブに教えて貰ったので、自分のここはむしろ好きです!」と言い切っていらっしゃいました。
嫌いです、という方は根拠が書いていない割合が高かったのですが、それぞれそれなりに理由がおありなのでしょうね。

ここまで読んで「じゃあ周りが褒めてくれればいいんだ! 周りが私好みに変わるべき!」という受け取り方をするのも、「そうか、自分でポジティブに捉えれば良いだけかー」という風に納得するのも、個々人がそのように受け取りたいからというだけの話ですね(笑)。



現象は同じ。
でも、解釈が逆。
理由は人それぞれ。
単に認知の問題です。


「○○は××だから好き・嫌い」という思考を、我々は日常的にごく当たり前に使い続けています。
が、実は勘違いや思い込みでそれらが形成されているだけで、認知を変えればどうにでも変わってしまいます。

特に何かに対して「嫌だなー」と思った時というのは、事象・現象自体を変えようと躍起になることが多いでしょう。
でも、実際は「嫌だなー」という認識をした自分自身の思考にこそ、問題はあると言えます。
嫌だと思うからそれを問題視するのであって、それを何とも思わなければ過去として過ぎ去る為に問題にはならず、更に良いイメージで認識していたらむしろそれをリピートして増幅し続けるでしょう。


という訳で、幸せを増やしたい人は自分の中にある認知・認識を変えるということが大事です。
どれだけ恵まれた生活をしているか、これまでどのような方々にお世話になって来たか、等々。
具体的に挙げて行くと、数え切れない程の恩恵に肖ってこれまで生きて来ている筈です。

それ用のノートを作ってどんどん書き出して行くだけでも、「あれ? 凄く幸せなのでは…」という確認が沢山出来ると思います。
思考やスタンスを変化させるには、訓練・練習が必要です。
幸せを望むのなら、自分の認知・認識を作っている思考をどこに固定するかの訓練を続けてみると、如実に変化して行くのが感じられることと思いますよー。


以前、お客様がご報告のメールで『自分のことって、分かってないなあと思いました』と書いて来て下さったことがあります。


そーなんです。
全っっっっっっっ然、自分のことって分かっていないんです(笑)。


「どうして、その人が何を考えているかとか、何を動機にしているかとか、本人も隠して忘れていることが分かるんですか?」

とご質問頂くことがありますが、それは何を隠そう私自身がそうだったり、そこを通って来たりという過去があるからですよー。威張れることではありませんが(いや本当に 笑)。

とは言え、細かい思考形態は各人違っていますから、色々とお話を伺っていると「はー、なるほどねー」と理解出来ることも沢山あります。
そして、言動には必ず要因になるものがありますから、『現在の言動=結果』と考えると、必ずそれを生み出すに至った何か────思考なり、信念体系なり、観念────が存在しているのは明白です。私も例外ではありません。



ちらほらと耳にしますが、
「理由は無いけど、なんかそうなっちゃうの!」
ということは、まず有り得ない話です。

……ということに納得行ったのも、自分があれこれ悩んだり長々残念イベントを繰り返して、「もー嫌だー!」と叫んだり、その結果「あまりにもあんまりだから、どうしてこうなったかちゃんと見よう。解決しよう」という方向に渋々手を出し、その結果としてある程度は理解が進んだ箇所が存在するからです。
それまでは「理由は無いけど(以下同文)」とバッチリ思ってました。全然、全く以て解っていませんでした(笑)。



様々な精神世界の本に『現状は過去の自分が望んだ結果の集大成である』という文章が書いてありますね。
昔の私は、それを読んでは「そんな馬鹿なー! うきー!!」と憤慨していました。
色々な本を読んでも、とにかくあっちにもこっちにも定型文の如き勢いで書いてあるので、それはそれはしょっちゅう憤慨しまくりです(笑)。

特に、他人様が関わって何らかのネガティブなイベントが発生していた過去なんかに関しては、より一層それを認めることが叶わず、「ずぇっっっっったいに私じゃないもん!」と怒る始末です。怒ってどうするよ自分。
ええ、かなり長い間そうでしたよ。理解が遅すぎて。残念(笑)。

実際、この系統のお話も沢山伺います。
まーそうですよね。そんなこと、有り得ないですよね。
自分は辛いんだ、苦しんで来たのだ、という思いが大きければ大きい程、絶対に認められないと思います。
そうでしょうともそうでしょうとも。すっごく分かります。



私が自己理解をちょびっとずつ深めようとする前までは、如何に自分を変えずに周り(現象)を変えるかに心血を注いでいたような気がします。
「私はこんなに苦しいことなど望んでいないんだ!」って、思い込んでいましたからねー。
結果から言うと、周りを変えようだなんてどだい無理なお話でしたし、自分は辛いことなど望んでいないというのは勘違い甚だしいとしか言いようがありませんでした。えーん(笑)。

それまでの自分だからこそ、過去のあれこれが発生したり、発生しなかったりだった訳ですから。
違う人生の路線を目指すなら、それまでとは違うスタンスが必要だと全く解っていませんでした。
要するに、自分の体験した苦しみの原因が自分だとは、露程にも考えていなかったのです。



苦しいのはあくまでも感情です。
イベント体験そのものというより、体験したことに対してどのような解釈を自分がしたかで、事実への認識がポジ・ネガ様々に変化します。
同じ体験をした人が複数居合わせても、人それぞれ感想は違いますよね。
それは、事実に対する解釈の仕方・受け取り方が個々人で違うからです。

とある出来事に対して否定的な受け取り方をすると、トラウマになっていつまでも消えない疵痕を残すケースへと発展しますが、どんなイベントでも「はい、おしまい。もう無くなった」と過ぎ去ったことを認識出来るなら、全く傷にはならないのです。


否定の最たるものである抑圧(何も感じられないようにする・否定して無かったことにする)ではなく、「もう過去のことなんで」と正しい理解が出来れば(実際その瞬間は終わった訳ですから)、既に次のステップへと足を踏み出せているでしょう。
過去の出来事そのものよりも、否定的な受け取り方自体に執着し続けるから、ずーっと昔のイベントでも今あるかのように感情が乱れる訳です。

ものすご~くざっくり言うと、楽になりたいなら「あー終わった終わった」「もういいや」と思えれば良いし、気が済めばいい。
執着しているのはそれなりに理由があるのでしょうから、そこから抜けたいなら自分を抜け出す方向へと意識を向け続けて行けば、いずれは必ず手放せる時が来ます。
セラピーやイメージワーク、瞑想なんかはその為に使える道具です。




さて、自己理解への道を踏み出したスタート時は前述のように『渋々』だった私ですが、一つ解明される度に「うわぁ……わー……あらー……」と、自分にドン引きすること多々。
「うひゃー…えー…そーですかー…」と納得する毎に、「"渋々"解明に乗り出す訳だわ、こりゃ…」とそこにも納得している次第です(笑)。

経験上、ネガティブなイベントの解明は、特に乗り気になりませんです。
何故って、やっぱり被害者で居たいんですよ。
100%自分に責任は無いと言い張っていたいから。

手を出す前に気が重いなーっていうのは、「どんな事情があれ、自分が選択した結果でした」というのが分かっちゃうのを、そしてそれが明るみに出たら被害者で居られなくなるというのを、何処かで感知しているせいです。
なので、長い間ネガティブなパターンを繰り返して、嘆き悲しんだり怒り狂ったり…というのをやめようとしませんでした。


ところが取り組み出して問題について理解するようになると、「この件で被害者で居ることにメリットは無かった」と、我に返ります。
執着が消え、自分の中でそれにしがみついている必要性が消滅するので、下手をするとイベントがあったということ自体を忘れそうになったりもします(実際、忘れていることが多いです。他人様に言われて思い出す程度とか)。
如何に付随している感情で記憶を留めているかという話ですね。

長い間それについて感情を乱していた自分、それに縋り付いてエネルギーを消耗していた自分に対しても、「終わったからいいや」と、完了させられるのです。
『あれは既に終わったこと。今はもう無い』という所へ認識が変化します。

このステップを『赦す』『理解する』『気付く』『手放す』等と表現するのですが、自分を苦しめていたのは自分だったなーというのが段々分かって来ると、人によってはこれが趣味のようになって行くこともあるでしょう。私とか(笑)。



これを積み重ねて何年も経つと、「そう言えば昔読んだ本に書いてあったことは、いちいち本当だったな~……(遠い目)」とか言っちゃう訳ですよ。
「わあ! あれもこれも書いてあった! こないだ気が付いたと思ったら、既に書いてあったし読んでたじゃん!」って。
「あー怒ってすみませんでした…」というのは今もよく言っています(笑)。

何事も体験しないと理解出来ない、ということですね。
色々と体験して理解を深めれば自動的に楽になって行くし、本に書いてあることや先達の方々が伝えてくれていたことも納得行くということです。

話を聞いたり本だけ読んでも分からなかったら、行動して理解を深める。
やれば分かります。誰でも。
分かりたいのに分からないなら、色々実践すれば良いというお話です。


時々自分の歩んで来た道程を振り返りますが、それなりにではありますが多少なりとも進んではいるので、これはこれでいいか…と半笑いで自分を眺めています(笑)。
自分に対しても他人様に対しても、見る目がゆる~く変化しました。
今後もゆるくなり続けるんじゃないかなーと思っています。




全国的に雨が続いて、梅雨らしい梅雨ですね。
気温もさほど上がらず、非常に助かっています。ああ、過ごしやすい…(笑)。



このblogでは色んな本などをご紹介している中、「あれを買いました!」というお声を頂くことがあります。
ご紹介している本の多くが、机上の空論というよりは実践図書ですが、それは何故かと言うと私が実践を重視しているからです(笑)。

日常生活の中で、それが如何に応用出来るか。
自分のより良い変化の為に、適用可能かどうか。

という部分を重視することで、良い人生へ変化をさせ続けることが可能だと思います。



「へえ~そうなんだあ~」
「いいこと書いてあるわあ~」
「私もそう思う!」

"表面的に思っただけ"で終わると、何百冊何を読もうが、1ミリたりとも人生は変化しません。
日々の生活の中で使わないと、自分自身に適用しないと、なーんにも意味が無い。


という訳で、出来る限り「やってみようかなー」と思えそうなものをチョイスして、ご紹介しています(実際に読んでいる冊数はもっとありますが、選んで掲載しています)。
人それぞれ好みがありますから、ライトで軽めのノリが好きとか、シリアスでキッチリした内容が好きとか、それはそれで何でもアリ。

でも、実際に重い腰を上げて「変化を起こす!」と決めるには、「自分にも出来るかも」というような空気を感じる方が、間口が広いと考えています。
勿論、出来るんです。本当は誰にでも出来るし、実際今も全ての人が人生を創造し続けているのですが、その意識が無いだけです。

「そんなの分からない」
「自分には出来ない」
とか、
「そんなこと分かってる!」
「私が知りたいのはそんなことじゃないの!」
という思考を長年使い慣れている場合は特に、そこから一歩踏み出すことがとっても重要だと思います。
ですので、私がご紹介している本は『分かりやすい』『やりやすい』というような特徴がある。…筈。です(笑)。



「本はどういう風に読んでいるのですか」
というご質問を頂いたことがありますが、
「100回読む」
と御返事しました。

流石に全ての本を100回読み直している訳ではありませんが、繰り返すのは基本です。
読んだ傍から忘れて行くようでは、折角の内容であっても使えるようになりませんものねー(笑)。

一部でも全体でも、とにかく重要箇所を暗記する程度には読んで、生活の中で直ぐに引用出来るように。
実際の自分と日々しつこくしつこく照らし合わせて、気付きを増やし、自己理解を増す為に使う。
自分の行動や思考を変化させるには、知識というものを自分で使うしかありません。
それも一度や二度ではなく、使い続ける。

これまでに無かった何かで変化を与えて、違う角度に気付いたり、直接手を突っ込んで埋もれていたものを引っ張り出したり、全く違う状態へ変化させようという訳ですから、「ふーん、そうなのねー」で読み流して、一体何がどうなると言うのでしょう。
何の為に本を読んだのか。本末転倒です。


セミナーやワークショップへ参加するのも同じことで、おさらいをしたり違う角度から様々に実践を繰り返し、「出来るようになった」という部分へ自分を連れて行くのが大切だと思います。

何よりも重要なのは『結果を出す』こと。
精神世界やスピリチュアリティに関心を寄せる動機もそれぞれでしょうが、『明確な動機=欲する結果がある』というのは万人共通でしょう。
その為に本を買い、セミナーを受講し、ワークショップに参加しているのではないですか?


本をさらっと流し読みして、分かったような気になって全部忘れる。
受講して、やった気になって忘れる。
そしてまた、同じループを繰り返す。最初の問題や目的は、放置したまま。
……というのを繰り返す内に、このループが習慣化して「あれ? 私ってどうなりたいんだっけ」とも考えなくなってしまうケースがちょくちょく。

でも、何か結果が欲しくて生きている筈です。
わざわざガッカリする為、時間だけを浪費して現状維持の為…ではないですよね。
知識のみを収集するのが目的、やってる感だけでOK! という方は、それで良いと思います。念の為(笑)。



きっかけや入り口、またプロセスは何でも良いと思います。
幸せになりたい! と強く想うなら、それが動機であり目的です。

目的のゴールへ自分を連れて行けるのはこの宇宙でただ一人、自分だけです。
本やセミナーやワークショップ、各種占いやカウンセリング、セラピー等はその為の道具であり、全てはプロセスです。
そこへ目的を定めたら、様々なプロセスを通じて必ず結果を出せます。


○○をやれば幸せになれる、のではなく。
幸せになる! と決めるから、様々なプロセスが発生する。

ここがとっても大切です。

今の所、自分が何を目的にして生きているか、よーく眺めてみると面白いかも知れません。
現状、納得行かないとかより良くしたいことがあるなら、今と理想のギャップを細かく炙り出してみるというのも、手段としてはアリでしょう。
これまではどのように生きて来たか。今後はどのように生きて行きたいか。
良くしたいなら、その為にどうしているか、等々。



多少の時間や手間は必要かも知れません。
とは言え、誰でも自分の人生を今・ここから創造し直すことが可能なのです。



プロフィール

Sachi

blog owner:Sachi
潜在意識を活用した、ちょびっとスピリチュアルな総合セラピー、癒しのワークショップ・タロットカードセッションをしているSachiです。
穏やかに楽しく成長出来るよう、入手した情報や、日々の気づき&
発見などをシェアして気ままに更新。
イベント情報も随時掲載中です♪

※記事の内容、情報については一個人の捉え方、考え方に纏わるものが大半です。
絶対的な事実という訳ではありません。
また、私の理解や気付きの段階に応じ、記事の内容にも随時変化がありますことを何卒ご理解下さい。
過去の記事をご覧になってセッションやワークショップにご興味を持たれた方は、最新記事近辺を幾つかご確認下さいませ。


旧blogタイトルは『気づきのステップ』。


■カウンセリング&ヒーリング&セラピーを総合した個人セッション、月に一度のワークショップ、またタロットカードセッションをご希望の方はサイトをご覧下さい♪


やや細かいプロフィール



I love you.

メール

名前:
メールアドレス:
件名:
本文:

recommend

マインドの変化を促すことで幸福体験をしたい方に♪



●心静かな時間を作り、暗示や瞑想に活用




●毎日コツコツ自分を浄化






●根本的に取り組みたい人は






●でも『コース』は難解だ…という人は




ブログ内検索

月別アーカイブ

Copyright © Sachi