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Date : 2012年10月

◆ Infomation

【works】
★ヒーリングセラピー個人セッション
 都内で対面式の個人セッションを行っています。
 幸せと癒し、学びと気付きを得たい方へ、様々に対応させて頂きます。
 潜在意識を日常へと活用することで、より良い人生へ変えることが可能です。
 随時お受けしておりますので、サイトをご覧下さいませ。

★癒しのワークショップ
 毎月一度、都内で女性向けの体験型ワークショップを開催中です。
 沢山の変化・癒し・浄化・成長・気づきを促すテクニックが山盛りです。
 2017年8月13日・9月3日・10月8日(全て日曜)
 の開催が現在確定しております。全て11時~15時です。
 ※以降の開催は決定次第upして参ります。
 ※それぞれ内容の詳細はサイトをご参照下さい。

東京は、やっと秋らしく涼しくなって来ました…。

日中は半袖でOKみたいな日がちょこちょこあって、秋はいつ来るのかな~? みたいな感じだったのですが、お洒落な皆さんはロングブーツとかファーの付いた服を着ていて、オシャレも大変だ~…と思っております(笑)。


☆★☆


自我の欲望である、『○○さえあれば/無ければ、幸せなのに』という部分が解消される、或いは達成された時に、
「あれ? 幸せになると思ってたのに、なんか違う気がする」
と気付くのは、割とよくある話です。



自我から来る願望の解消・達成を経てもどうして幸せではないかと言えば、

・不足や欠乏に対して常にフォーカスしている
・本当に幸福を感じる箇所は、実は違う所にある


等の要因が考えられます。



前者である、不足や欠乏感・飢餓感から来る言動というのは、恐らく完全な満足という所へは決して到達しない可能性が高いと言えます。

例えば、最近よくお話に出て来る事例として、
「周りの人が自分に都合の良い言動をしてくれないので、してくれるまでコントロールをやめない」
といったものがあります。

全人類が欲望を満たしてくれるまで、やり続ける気満々!
みたいな状態なんですが(笑)、実際それを引き合いに出してどう思うかを問えば、「そうはならないと思います…」とお答えになる訳です。
でも、やめていない。気付けばいつもと同じ言動を繰り返している。

「いつまでやっても決してそうはならない筈だ」
と表面的に思うからと言えど、路線変更の理由にはなっていないのです。
例えば幾らイメージでそれを補っても、現実がそうならない限りは満足出来ないので、益々怒りや不足を感じてもっとそのやり方に執着する…というスパイラルも有り得ますね。


ならないならない、絶対満足はしない…とは言っても、現行のやり方に何らかの絶大なメリットが隠れているからこそ、延々繰り返しているという風に考えることが出来ます。
"○○にならないで済むから"とかいうような消極的理由ではなく、完全にメリットと断じることが出来る積極的動機たる何かがあります。

勿論そこに隠れているのは支配やコントロール、分離、被害者意識等々、エゴが利益としてカウントするものがあるでしょう。
それが何なのかを理解しなければ、全貌を解明したとは言えません。
平たく言うと、単純に『オイシイ思いをしている』ことになるのです。
ですので、パターンを繰り返す明確な動機を洗い出せるまでは「分かった!」ということにしない方が良いかも知れませんね、というお話をしています。





さて、後者の理由である「本当に幸福を感じる箇所は、実は違う所にある」という件についてです。
長~~~い目で見て行くと、いずれ人間は他者の幸福や世界平和などを願うようになって行くものです。
物理的・即物的な幸せがある程度満たされると、他者へ分け与えたいというような願望が生まれます。
生まれる…というか、実は元々持っていたものが表面化する、の方が適切かな? と、私は思います。

現時点で自己の利益のみの追求や他人から奪うこと、勝敗で決めること、ジャッジすることでしか喜びを得られないのだとしても、(転生等を含めた人生の中で)あらゆる人が様々な出来事を通して生きようとし、そこで気付いたり成長をして行く理由は、いずれにせよここへ行き着くからだと思われます。


利己から利他へとシフトして行き、より大きな喜びを享受出来るようになることを目指していらっしゃるお客様が、最近増えて来ました。
でも、だからと言って即物的な幸福や利己的(自我的)な幸福を放棄する必要はありませんし、どちらかを否定してどちらかを選ぶ必要もありません。
何であっても価値観としては重要ですし、それまでは何らかの必要性があってそれを物差しとして使っているのですから。

その中で優劣や貴賤を決められるものではないことを知っておかないと、それまでのジャッジする価値観から逃れられず、パターンを繰り返すスパイラルに填ることになるでしょう。
優劣やポジ・ネガ、貴賤や順位を決めるその思考が自分を縛るものだと理解することこそ、自分自身を自由にして行くのだと思います。


『他人様の幸せを喜べるようになりたい』
というのは素晴らしい願望です。
ですが、これも自我から来る願望であることに変わりはありません。
これまでのように"そうなれば○○が無くなるのではないか"という期待があるのなら、それは恐らく失望という形で結果が出るでしょう。
内容はともかく、欲している部分は"あれさえあれば/なければ"思考と同じですから。

ともあれ、これまで出来ているつもりだったしやっているつもりだったのに、他人様のことなど考えたことがなかったことが判明し、それを認めるという所まで漕ぎ着けただけでも、大きな気付きだと思います。
マインドは常に、自分の思考を当たり前であることとして処理しますから、自分はこうである筈だという思い込みを疑うことすら日頃はしません。
こういう箇所を直視し直そうとする時、新たな可能性へと扉が開くのだと思います。



自分を知り続け、取り組み、そして新たな選択をし続けることで、魂が持って生まれて来たその人独自のミッションや表現、その人らしさに気付けますようにと願っています。
自己を直視し続けることは大変な勇気が必要ですし、更に変更させるというならばもっと強い意志が必要です。
それでも、そこへ足を踏み出すのであれば、宇宙から大きなサポートを得られるのではないかと思います。

色々な生き方があります。
人それぞれに色々な価値観があって、それぞれが等しく尊い素晴らしい自己表現です。
それぞれがそれぞれの幸せを感じられる人生でありますようにと、いつも願っています。




ある程度学びが進んで行く中で、

『選択の重さ』
『決断に対する恐怖』
『結果や責任からの逃避』

というものが明るみに出る場合が多くあります。



我々が生きている時に使う動機は、自分で考えているようでも実際は

「この方が一般的に良いとされている」
「親(自分じゃない誰々)がそうやって(言って)いたから」

という内容が殆どです。
一体、『自分』は何処でしょう。
他者を介在させる理由は何でしょう。



「私はこの方が良いと思うんです」「私はそうしたい」
という内容を解体して行くと、案外自分自身から出て来た言葉ではなく、前段階として何らかの雛形────自分以外の人間の観念や社会通念────が隠れている場合が非常に多いと思われます。
これを使っているイコール、「何かあっても自分のせいじゃないですよー」っていうのと、ほぼ同義です。

これを無意識に当たり前に使い回していると、何らかの思わぬ事態に遭遇した時に、大概"悪者探し"を始めます。
他の人がああしたから・しなかったから、自分がああすれば良かったこうすれば良かった等々、目の前の現実に直面せず逃げ回ります。


悪者捜しは、原因究明とは全く性質が違います。
責任を逃れる為、目の前にある結果に対して『私は関わっていない』と言い続ける行為です。
非生産的なばかりか、現実に対して手を出すことを厭うあまり、徒に時が過ぎて事態が悪化することもままあります(そのまま平行線ということもあるでしょうね、年齢以外は 笑)。

そうしていると、更に無力ぶったり被害者ぶったりをし続けられるので、益々現実に対して手を下すことをしなくなります。
誰かがしてくれるまで、都合良く周りが動くまで待ち続けるとか。
自分以外の何かが動いた時、「ほらやっぱり自分で何かしない方がいいじゃないか。楽勝楽勝」と、エゴは言うでしょう。
いいんです。それはそれで一つの生き方です。アリです、アリ。なーんにも悪くない。




しかし学びの道に入った人は、これを繰り返していることに気付いた瞬間、愕然とすることがあります。
「何これ…全然進んでなかったの…?」と。
考えているつもりだった、選択しているつもりだった、決断しているつもりだった。
でも、結果を引き受ける気はなかった。社会や世界に参加するのは拒否していた。
自分が自分以外の人間に対して、世界に対して影響力があること、それを使うこと、そして何らかの結果が発生してそれを受け止めることは嫌だった。
あるある。よくあるよくある。


大体ここで陥るのは、ガッカリ祭りです(笑)。
どうせ私なんか、とか。じゃあ今度こそ、とか。これも定型文と言えます。
それをやってる間はスパイラルに溺れて、パターンから抜けられません。
だって、人間の思考はそういう風に…つまり、現状維持をするように出来ているのですから。

このマインドというのは、人間が生命を保存する為に必要な機能です。
別に嫌がる必要もなければ、否定する必要もありません。
ああ、そうなのね。で終われば良いことです。
但し、これをちくちくこねくり回し始めるようだと、「ワーイ引っ掛かったー」とエゴ大喜びです。気を付けましょう(笑)。



バタフライ効果的な考え方から行くと、自分は世界に参加している以上、己の思考や行動が世界に対して何らかの影響があるということになります。
その上で、自分が今・この瞬間にどうしたいか、何を選ぶかというのは、否が応でも何処かへ必ず伝播して行き、世界の何かに大きな影響を与えることになってしまうのです。

チベット仏教の高僧は、死ぬ時を暦で調べて選ぶという話があります。
人間一人が死ぬということは、それだけ世界に対して影響があると知っているのです。
出来るだけ影響を最小限に留める為に、暦の上で色々と検討をし、「ここなら混乱は小さくて済むのではないか」という日にちを決めるそうです。


たった今の自分が何を選んだら、世界の何にどういう影響を与えるでしょう。
また選ばないでいることで、後々の世界にどんな影響があるでしょう。

自分自身の人生がどうなるかということだけでなく、周囲や社会や世界にどんな波及があるかについて、ちょっとだけ考えを巡らせてみるのも面白いと思います。

マインドとしては都合の良いこと以外で周囲に影響力がある等、断固として認める訳には行きませんから、「どうせ自分が何かしなくても、周囲は変わらないよ」と絶対に言います(笑)。
それしか出て来ないようなら、暫く要観察ということで。
「影響はひょっとしてあるのかも知れないぞ。でも、あるとしたらそれは何だろう」と。
壮大なスケールのことを考える必要はないんです。日常生活レベルのことで充分です。
それを知ろうとすることは、意識を細かく日常へ向けるという練習にもなります。



これは、観察したり発見したり気付いたりする甲斐のある内容だと思いますよ。
これを直視して浮かれたり落ち込むことなく、単に認めることが出来たなら、責任を取る・選択する・決断するというステージへと進んで行くんじゃないかと私は考えます。

自分とは何者か、自分という人間の本質は何か。
たった今・この瞬間に、"私"は何を望んでいるのか。
それを経て、自分のミッションや天命とは何か? という段階へと歩んで行くのだと思います。




私の所へお越し下さるお客様の大半が、現在メディカルサプリメントを服用して下さっています。
サプリメントは薬ではなく食品ですので、ある程度飲んだらおしまい…ではありません。
遺伝的要因から来る問題…即ち、先天的に体内で生成出来ない栄養分や成分を外部から補う為に、出来れば長く服用することが望ましいとされています。

この『先天的に身体が生成出来ない成分』の中に、例えば幸福感を伝達する物質(神経伝達物質)や、アレルギーから来る神経への侵食を防ぐ成分が含まれている場合、日常的な思考や感情の動きへ問題が発生する可能性が高まります。
食事で補おうにも、消化・分解・吸収・解毒の身体機能の中で、どれか一つでも生まれつき弱いとするなら、どんなに質の良い食材を使っていても、どれだけ気を遣っても、食事だけでは栄養を摂取することが不可能ということになります。

因みに近年、食品からもミネラル分などの栄養素が減り続けているという話もあります。
『土壌に元々あった筈のミネラルがどんどん消滅していて、今や嘗ての半分程度になっている』という本も目にしました。
どちらにせよ、食事だけから栄養分を…というのは、ちょっと難しいということですね(とはいえ、日々の食生活が非常に重要であるというのは疑いようもありませんが)。


先日、栄養学的なお話を先達の方にお伺いしましたが、その中で
『人間関係の問題が、アレルギーから来ていると判明した人がいた』
とのエピソードをお聴かせ頂きまして。
「な ん だ そ れ !!」
と仰天しました(笑)。

あ、勿論このお話はあくまで一例です。恐らくレアケースです。
殆どの人に当て嵌まるかとか、皆様に対してどう適用されるかということについては、保証致しかねます。
どうか誤解なさいませんよう、お願い致します。




セッション等では『何かがあっても感じない・感じられない』という事例を持ち込まれることがあります。
要因の一つとして、先ずは栄養的な欠乏から発生している可能性を疑う所です。
脳の神経伝達物質や、受容体の生成が圧倒的に足りないと、何かが起きても情緒に響かないということが多いのです。
一言で言ってしまえば、栄養不足ですね。

消化機能や肝機能等の何処かが弱い場合、神経伝達物質が生成されづらいので、脳が情報を伝えられなくなります。
また、何らかのアレルギー体質である場合は、脳神経をアレルゲンが侵してしまうということもあるそうな。
なのでそれらに対応した栄養を補うと、改善する可能性が高いという専門家のお話です。


栄養的な問題がある程度整って来た段階で、それでも変化が見られないのだとすると、
『何らかの理由で感じたくない』『感じない方がメリットがある』
という部分が浮かび上がって来ます。

内容は個々人に依って様々なケースがあるのですが、例えば
『抑も社会経験や人間関係に纏わる体験自体が非常に少ない』
という所から起因している問題が見受けられることもあります。
非常に狭い人間関係だけで成長していたり、プライドや怖れから他人と接触することを避けて来たとか、ある程度以上は他人と親密になったことがない、恋愛経験等が非常に乏しい等の内容から、他人とのやりとりに対するサンプルと免疫が極端に少ないのです。


更に上記に挙げたような、栄養不足から来る問題がミックスされていると、心身共に『感じられない』ことになります。
また自己評価が高すぎて(自己愛が強すぎて)、他人様に関心が無い(持てない)というケースも近年はよく目にします。

また、自己愛の一種ではありますが、選民的意識(自分は他人よりもレベルが高い、他人と違って特別である)が潜在的に強いと、他人を見る時の目線が自然と"上から"になってしまい、どんなに良いことがあっても当たり前過ぎて喜べない、満足しない、常に欠乏感と怒りを抱える…という場合もあります。



斯様に、『感じられない』というケース一つ取っても、色々な要因が混在しています。
表面上似たような事例からと言って、じゃあ全部ここから来ているに違いないと要因を断定するのは早計と言えますし、偏に『トラウマが~』ではどうにも解決しないなーと唸ることも多くあります。

潜在意識の世界も、栄養の世界も非常に奥が深くて広く、その探求に日々を費やしている次第です。
沢山の先生方がこの世界を探求されていることにより、更に合理的な手段が見つかって行くのだと思います。
今後も沢山の良いツールが見つかるでしょうし、新たな切り口が開拓されるでしょう。
私はそれらの一つ一つを有り難く使わせて頂きながら、多くの方々のお役に立てますことを願っています。




人間関係のお悩みでご相談下さる方は割合多くいらっしゃいますが、大別するとそのタイプは二種類に分かれます。

・被害妄想&要求過多(自己評価高すぎ)
・自己処罰欲求から来る良くない環境(自己評価低すぎ)

前者と後者の違いは何でしょうか。



まず前者ですが、実際は起きていない出来事を作り上げ、被害者風に脳内で味付けしてしまう傾向が見られます。
例えば、○○さんが道で擦れ違ったけど、挨拶してくれなかった。という"事実"があるとしましょう。
この文章の中には、「私は挨拶して欲しかったのに!」という思考(ニーズ)があり、その上で「欲しかったのにくれなかった」という期待⇒失望から怒りが発生し、「わざとに違いない」「私にイヤガラセをしたのだ」「酷い、なんて嫌な人だ」と攻撃を始めます。

この流れの中にある事実はただ一点で、『相手と擦れ違った』という部分のみです。
他の言葉は全て妄想です。エゴが創り出した嘘です。
しかし、エゴというのは非常にハイスピードで+まことしやかにストーリーを組み立ててしまう為、「~に違いない!」と結論付けてしまうのが非常に自然に思えてしまいます。
こうに違いない(妄想)、だからそれが事実である。と、脳内ですり替えて結論付けます。


これは『相手を悪者にする為の、自分が被害者で居る為のストーリー』と言えます。
何故このような一連のストーリーが生まれるのかと言えば、元々被害者になる為のストーリーがその人の潜在意識の中にあるからです。
事実があったから…というのではなく、元から誰かを悪人に仕立てたいという攻撃的な欲求があるので、被害者という仮面を被って誰かを延々攻撃し続けます。

更に言えば、「自分が欲しいものは周囲がくれるべき」という欲求があります。
自分に対して少しでも不利益をもたらすことや、ニーズを叶えないことを決して許さないエゴの仕業です。
…エゴっていうか、その人なんですけども(笑)。




後者は、(全てではありませんが)自己評価が低すぎることから発生しているケースが考えられます。
自分は悪い人間だ、生きる価値がない…等の観念から、自分に対する処罰を強く望んだ結果、望まない(ように見える・思える)環境を作り上げてしまうケースですね。

自分をいじめてくれる人が沢山居る所へ自ら行ってしまい、割を食うような出来事を引き寄せ、現実化し、より酷い目に遭うように自分を追い詰めて行きます。
この渦中にある時は事態の好転等は望むべくもなく、下手をするとどんどん状況は悪化して行きます。
精神のみならず、肉体面を追い落として行く可能性も非常に高く、病気になったり連続して怪我を負ったりすることもままあります。
また、問題が起きている時に家族などがトラブルを起こし、それを背負わねばならなくなる…というようなパターンもあります。


周りから沢山のトラブルを背負うことで、「やはり自分はまともに生きるには値しないのだ」「だから何とかしてここで頑張らなければ」と、その場所から逃げたり手を引くことをしません。
渦中にどっぷり浸かり続け、仮に場所を変えたとしてもほぼ同じパターンを繰り返し、疲弊して行きます。
必要無いんじゃないの? と周りが声を掛けても、「そんなことはない」と聞く耳を持たずに決してその場から動こうとしません。

こちらの場合は、その現実を作り上げてしまう程に強固な罪悪感や傷を処理することが先決です。
自分に罰を与えようとする理由を探し出し、癒したり解消したりという手順を踏み、新しい上位のストーリーパターンに潜在意識を書き換える必要があります。


何にせよ、観念で現実を作っているという意味では、どちらも何ら変わりがありません。
つまり、自分でやっているのです。




両者のどちらに該当するかは、自分をシビア且つ冷静に客観視しなければ判別が付かないことと思います。
主観的に「嫌な目に遭った」とマインドが訴えるという意味で、両者は一見同じように見えるからです。
実際どうであるかを、自己観察の習慣が無い状態で判別するのは、ちょっと難しいんじゃないかなーと。

私が臨床の現場を見て来て思うことは、大概は逆のケースとして自分を捉えている人が多いものだ、ということです。
自分はこっちです! と分類する時、「事実としてそうである」のではなく、「そうでありたい」「そういうことにしておきたい」という願望が出発点である可能性が多くあります。
結果、『自己像に関する願望と事実は大概異なっている』というケースが多いんですよね。
最近のワークショップなんかで使う言い方としては、「キャラ設定が逆」というやつです(笑)。


事実をきっちり見極めると、初めてそこから違う選択肢を見出すことが出来ます。
抑もの出発点や土台が違うのに、違う道は決して見つからないのです。
色々な形を取ってトラブルは発生するかと思いますが、根元を辿ると案外シンプルな動機や理由だったりするかも知れません。

自分は嫌なんだ、本当はもっと平穏(幸せ・ラク・心地良く・楽しく)なりたいのに!
というのも、大概はエゴの使うフェイクの定型文です。
もしも本当に変化を望むのであれば、自分が何処に立っていて何を目的にしているのかを見つめるのが、変化への一番の近道だと思います。



☆★☆



私には兄がおりまして(他にも兄弟はいますが 笑)、彼は奥さんとその息子と三人で暮らしています。
時々、奥さんからネイルアートを頼まれてお邪魔することが通例なのですが。

兄から帰るコールが掛かって来ると、奥さんの第一声が「おつかれさま」なのを度々耳にしています。
その後、帰って来た兄に奥さんと甥が「おかえりー」と声を掛けるのですが、奥さんは甥に向かって「パパは遅くまで頑張ってお仕事したんだよ。ちゃんとお出迎えしてね」と言っていました。


当たり前と言えば当たり前のことなのかも知れませんが、私は兄の奥さんのことを「凄い人だな」と思って観察していました。
毎度そんな様子を目撃することからも、兄の奥さんは『旦那さんが働いてくれることは有り難いこと』だと認識しているのが分かります。
結婚したからそんなことは当たり前…なのではなく、自分達の為に毎日大変な思いをしてくれている、と。

兄一家は基本的に大変仲が良いのですが、ちょっと垣間見るだけでも納得です。
勿論それなりに喧嘩もするそうですが、話し合って解決するという方針だそうで。
奥さんの基本姿勢は「いつもありがとう」で、それを言動で表現しているのが分かります。
「私はこういう風に思ってるの」と口先でアピールするのではなく、毎日の行動で実践しているからこその説得力でした。


そんな訳で、「円滑な人間関係の秘訣って、本当はそんな小さい行動の積み重ねなんだろうなー…」と思いながら家路に就いたのでした。



勝手に続けることにした、カツオセンセー(仮)の生け花教室第二回です(笑)。
新しい花器等を購入されたとのことで、ウキウキにて参上。


今回の私は、スプレー咲きのミニバラや渋い色のカラー等を買ってお伺いしまして。
バラエティに富んだ花材をどのように扱うか、何処にセッティングするかに個性が出ると勝手に思っているのですが、初回とはまた違った感じで進みました。

お教室へ通っていらっしゃるカツオセンセー(仮)に依りますれば、お教室の生徒さん達は約1時間超の中で一作品を制作するのだそうです。
何度も見直して角度を直したり、先生に手直しして頂いたり…で、一時間ちょっと。な、長……い……ガクリ。
集中力がそんなに持たない私は、とてもとても良い生徒にはなれそうもありませぬ…(笑)。


子供の頃、書道の教室に10年以上通っていたのですが、最初から最後までやり方は変わらずに一気呵成タイプでした。
エンジンが掛かるまではウダウダあーでもないこーでもないとウニャウニャ言ってなかなか手を着けず、「よし、やるか~」と腰を上げたらその後は迷わず一発書き。ハイ、終わり!
…という人間で、修練を重ねて上達するタイプでは全くありませんでした(笑)。

ですので、生け花やっても同じことです。
カツオセンセー(仮)に言わせると、私は花材を手に取ってから完成に至るまでがものすごく早いらしく。
それは、一切の手直しをしないからです。生け花的にはどうかという感じですよねー(笑)。



さて、カツオセンセー(仮)の作品です。
今回のセンセー(仮)の作品は、花瓶のような形をした花器、『投げ入れ』を使用した作品が中心です。
何でもセンセー(仮)は投げ入れが苦手らしく。

お話を聞いた限りでは投げ入れにも厳密なルールがあり、それに則って制作しなければいけない訳で、剣山で固定する作品より、ビタッと決めるのが格段に難しそうです。
何しろ長さの比率・固定する場所が決まっているそうですから。

なんでそういうルールなのか、謎で一杯です。
まー習っている皆さんはちゃんとルールに則って美しく生けられるのでしょうが、私がもしも投げ入れなど使った日にゃー理由が気になって生け花どころじゃないですよ(笑)。


以下、美しい作品の数々です。


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「カツオセンセー(仮)が作ったモノって、全部何処かお上品よねえ。Sachiさんの作品を彼女が撮影しても、品がある物に見えるし」
と、お友達が言っていました。
確かに。まるで私が生けた作品ではないかのような変貌振り!(笑)




そんな所で、次。
生徒作品です。


L


X


R


J


J


A


D




この頃の私は、自分の内面について考え込むことが多かったので、何となくそういった部分が現れているようにも見えます。
制作物にはその時の自分が全部出ますから、後で振り返って作品を見た時に、「迷ってたんだな」とか「心ここにあらずだわ」とか「楽しかったんだろうな」なんていうことまで伝わります。

技術でそれをカバーしきるか、その瞬間に集中して一瞬を切り取るか。
何にせよ、見る人に気取られないようにするのは大変です(笑)。


何とな~くですが、ちょっとだけ慣れて来たので次回も楽しみです!
花材は季節に依って変わりますから、そういった季節ものの取り扱いも色々バリエーションが広がって楽しいでしょうねー。

カツオセンセー(仮)、今回もありがとうございました♪






現在は海外在住の古~い友人が居るのですが、昨年・今年と来訪する度に、わざわざワークショップにご参加下さいまして。

帰国後にメールを頂戴しましたので、一部抜粋・掲載させて頂きます。


────


ワークショップ参加して、その後も色々と一人であーだろうか、こーだろうかと考えたり、ノートにほんの少しですが書き出したりしているうちに、急にサーッと霧が晴れるような感覚があって、心が温かくなってきました。
これもワークショップでエネルギーを送っていてくれたおかげなんだろうか? と考えてますが。

単純なことですが、実はとっても幸せな状態なのに、自分で文句を言う箇所を探してイライラしたり、怒ったりしていたんだなーと本当に感じました。
幸せな家庭があるってことを、しっかりと思い直すことができました。


(来日前は殆ど毎日だったのに)帰ってからは彼も私も娘も、誰も口論してません。
娘が愚図っても、しっかり話をして彼女も納得し、笑顔を取り戻したりと順調な感じです。

本当に、こんな暖かい幸せがあったのに、自分がすべてを招いてたんだなーと実感しています。
彼にも娘にも、感謝と思いやりと相手への理解が全然足りなかったんだなぁと思ってます。
要は自分勝手なエゴイストだったんだーと。

まだまだ自分のリズムにはなってないだろうから、ふとした瞬間に
「あれ? またこんな考え方をしたから、今こんな発言したのか?」
と思ったりしてます。
このままもっと深めて追及していきたいと思います。



────


メールありがとうございました。




「問題がある」と仰る方の中には、実際に観念(トラウマ的な何か)が原因で問題のパターンが発生している場合と、エゴの趣味で問題風に見せているだけ(必要も無いのにわざわざそれを作り上げてしまう/その状況に依存してメリットを得ている)という場合があります。

フォーカスする箇所を意図的に変えてしまえば何ということは無い、というのは後者のケースです。
見る箇所さえ変えてしまえば、その瞬間から現象が変化してしまう訳ですから、楽になるのは非常に簡単な気がするんです。
別に傷を癒す必要も無いし(抑もそんな傷は存在しないので)、何かを大幅に変える必要も無いので、原理的にはその通りなんですが。


ただ、このケースの当事者は「自分で全部やっています」ということを認めるまでがとにかく一苦労で(笑)、「違います、私は嫌なんです!」と主張し続ける場合が多いんですよー。
確かに、自分が意図的にその状況を作り上げた上に非常に執着していて、メリットが沢山あるからこそやっている…なんて、思いたくないですよね。

思いたくないでしょうけど、でも事実自分がその現実に関わっている以上、何らかの理由がある筈です。
それが全て心の傷かと言われれば、全然そんなことありませんねえ…という事例は枚挙に遑が無い状態です。
勿論、栄養学的な側面から導入して、頑なだった部分がある程度緩和されて…という事例も多くありますから、一概に精神面だけでどうのこうのと言う気はありません。


どんな問題を抱えていたとしても、事実を事実として認めるまでが大きなヤマであることは確かです。
どのような人生を選択するか、その選択肢を創り出す前に、まず現状自分がどのような場所に立っているかの確認が大切です。
事実確認を避けておいて、それでももっと良くなる…というのはちょっと難しいかも知れませんね。
なるべく早い段階で、エゴが根負けして折れてくれると楽なのですが(笑)。

それぞれタイミングもあるでしょうし、一回で分かる必要も義務もありませんので、ちょっとずつ認めるなりいつか理解が得られるなり、色々な形で事実を認められたら良いのだと思います。





本日21時03分から、10月の新月がスタートしました。
楽しんで色々書き出すと、とても実りある時間になると思います。

こうならなきゃ嫌だとか、ならなかったらどうしよう…ではなく、なったら嬉しいなー楽しいなーといった感覚で書いた方が、結果として良い方向へ動く可能性が高まります。
眉間に皺を寄せて書くのではなくて、ニコニコしながら書くのが宜しいかと思います。
まだまだ時間的な猶予はありますから、何度も読み直したり書き直しをして、納得行くものを書き出すと良いのではないでしょうか。


私個人のことで申しますと、今年の初めの方に書いていたことを引っ張り出して読んでみたら、現在書いていることと全然違うんですよね。
多くの方々のお陰様で、色々なことに気付いたり以前と違う所へ意識がシフトして、前から拘っていたことには全く頓着が無くなったりしています。
「もーどうでもいいや~」です(笑)。

また新たなフォーカスするポイントを発見したりもしているので、継続した成長を選択し続けると、たった一年の間でも大きな意識の変化が訪れるのだなと実感します。
自分の意識がどれだけ変化しているかを定期的にチェックする習慣としても、新月に色々な願いを書き出すことはとても有意義だと考えています。


私の周囲の方々のお話を伺いますと、羨ましいことにとてもとてもとても! 現実化の能力が高くていらっしゃるので、書いたことは数ヶ月後に振り返ると大概6割~下手すると8割レベルで叶っているのだそうです。なんじゃそりゃー! 凄すぎる…!!
いやいや、本当に素晴らしいことですよね(笑)。

新月には、モノや人に関する自我的な欲望について書くことも大いに結構ですし、またもっと大きな包括的なレベルでのこと、つまり自分の中に潜む意識的な部分の変革について書いても、更に大きな喜びがあるかも知れませんね。
皆様に、より満足出来る結果がもたらされますように。




☆★☆



さて、2013年1月度ワークショップスケジュールのお知らせです。
自分で書いておいてどうかと思いますが…。に、にせんじゅうさんねん……!?
もう来年のスケジュールを出すことになろうとは…いやー…早い早い。



★2013年1月度
2013年1月13日(日曜)
11:00~14:00




です!
その他、現在確定しておりますスケジュールです。



★2012年11月度
11月11日(日曜) 11:00~14:00


★2012年12月度
12月15日(日曜) 11:00~19:00

※12月度は長時間の開催となります。
時間帯や料金等が通常と異なりますので、ご参加をご希望の方は必ず詳細をご確認下さい。
ワークショップ終了後に希望者で食事会を行います。



皆様と楽しく成長と気付きを学べますこと、楽しみにしております。
ご質問やご興味がおありの方は、是非メール下さいね。

ワークショップについての詳細はHPへどうぞ~。




明日は新月ですよー。




10月15日 21:02~新月スタート






です!

ここから8時間以内(最長で48時間以内)に、紙とペンを用意して自分の中にある願望を書き出しましょうねー。
数は2つ以上~10個までが良いとされています。
書いて叶う可能性が高い内容は、自分に関することオンリー。
他人に関する事はNGで、自分自身に関することに限られるというルールがあります。

「新月の願い」については、こちらの書籍やネット情報をご参照下さい。



[魂の願い]新月のソウルメイキング[魂の願い]新月のソウルメイキング
(2003/11/21)
ジャン・スピラー

商品詳細を見る







早いもので、今年も残すところあと2ヶ月半となりました。
東京は猛暑が続いた影響でしょうか、まだまだ日中は暑さを感じることがあります。
そうなると、本当に冬は来るのかいな…と疑わしくもありますが、暦の上では立派に秋。
もう少しすれば、あっという間につるべ落としの夕陽になり、暖かい食べ物が美味しく感じられるようになるのでしょう。

例えば今年が終わる頃、どのような気持ちでその時を迎えたいのかな? とイメージしてみて、そのイメージに近づけるような願いを書いたりするのも、趣向が変わって楽しいかなーと思います。
自我的な欲望(あれが欲しい、これがなくなって欲しい)も大いに結構ですが、より自分らしく生きられる方向へ、フォーカスする場所を設定出来ると、毎日がとても楽しいものになるのではないかと思います。



ではでは、皆様良い新月をお迎え下さい♪






身体に栄養が行き渡っていると、落ち込んだりショックを受けた時の衝撃が、大幅に軽減されます。

大変良いことのように思えますが、それまで『いつもの手』を繰り返し使って
「私大変なの、落ち込んでるの。だから暫く落ち込んでまーす」
をアピールして来たエゴにとっては、「チッ。例の手が使えねーじゃねーか!」ということになります(笑)。



セッションやワークショップにご参加下さっている方で、複数の種類のサプリメントを服用されている方が、このようなことを仰っていました。


「サプリメントを複数飲んでいるせい(お陰?)で、身体が凄く元気なんです。ショックなことに気付いて、以前ならヘロヘロ~っと寝込む所なのに、それも全くなくて落ち込む…っていうか、それもあくまで"フリ"なんですがそれも出来ず、睡眠時間が短くてもめっちゃ元気なんです~!(泣)」



と、おかしなコメントをなさっていて、爆笑してしまいました(笑)。
いやー面白いですねー。しかし、全く以てその通りです。



実はそれまで落ち込んでガックリ来ていた…のはあくまで演技であって、身体が元気だとそれ程ショックでもないことが分かったりします。あれ~? みたいな感じ(笑)。
気持ちが落ち込んでたんじゃなくて、栄養不足だった。ということですね。
ちょっと停滞風な雰囲気になりますが、エゴは全くへこたれないので暫くすれば華麗に復活。
元気で大変宜しい。

嘗ては「落ち込んでるから、今は向き合えません」という言い訳が立ったのに、身体が元気だとそれが全く使えない。
と言う状態になって初めて、「あれはエゴの演技だったのか…」と理解出来たりします。
そしてそれをどれだけ便利に使って、現実から逃げ回っていたのかも。


ここまで理解出来ると、あの手この手で向き合うことを阻止しようとするエゴの仕組みも視野に入れつつ、落ち込まずに向き合い続けるという自己ワークを継続出来るようになります。
成長するにつれてどんどん巧妙になって行くエゴ様のお仕事ぶりには、ただただ感心するばかりです。凄いよー。

身体が元気であることが、どれだけ有り難いか。
という話はよくありますが、実はデメリットにも成り得る可能性があるのです。
実際はメリットなのですが、それまで現実を直視しまいとして来たエゴにとっては、デメリット以外の何物でもないでしょう。




落ち込んでまた復活して…と繰り返すことも、自分の意識の中に脚本があり、それに則って演じているだけです。
繰り返しから抜けるには、自分が何をどのように繰り返しているかを浮き彫りにする必要があります。
そのプロセスの中で、「嫌だー知りたくないぃーパターンを繰り返す方が安心なんじゃー!」とエゴが抵抗を起こし、一時的な体調不良(のフリ)や一時的な鬱状態(のフリ)に陥ることがあります。
大概は"フリ"なんですけど。ええ、単なる"フリ"。それ以上でもそれ以下でもありません(笑)。

ここ数ヶ月の間、ワークショップにご参加下さっている方の一部が
「ショックを受けたり落ち込んでいたのも、単に自分を変えない為の"フリ"でした」
というお話をよくなさっています。それまでは「私、苦しくてもうダメです~!」「自分を見つめるのが辛くて辛くて、もう続けられません!」と泣き崩れたりしていたのに、「今思えば、あれもこれも全てプライドを守る為の"フリ"でした」「自分と向き合わないで済むからという理由で、ヨレヨレしているフリをしておりました」と言い切っています。
前段階に比べると、あからさまな変わりようです。なんだこりゃー(笑)。


先ずはこれを把握し、要不要を選び、新しい選択を身に着けることでスパイラルから脱することが出来ます。
但し、そこに至るには様々な足止めに気付き、引っ掛からないぞーという意識的な行動が必要です。
自分をチェックするには、他人様のお力をお借りするのがお勧めです。
当たり前に繰り返していた行動に気付き、そこを抜けて新たな可能性を拓くには、一人だけでは難しいのです。

新しいパターンへ入って行くにあたり、このような"他人様を信頼する"というミッションも生まれます。
これも超自立や超依存で生きて来た人にとっては、大変難しいことですね。
でも、きっと出来るからこそ課題が横たわっているのです。
ただ自分が選択し、決断し、向き合い続けるだけです。その連続で成長が促されます。



成長の過程に於いて、様々な出来事や気付きが増えると思います。
その一つ一つに理由があるということも学びながら、更に自身の自由度が増すといいですね。




近年、『ホ・オポノポノ』というものが日本のスピリチュアル業界に浸透して来ました。
これはハワイに古来から伝わる癒しの方法を、現代流にアレンジしたものです。
詳しくはWikipediaをご参照下さい。
書籍も複数出ておりますので、ご一読なさってみても宜しいかと思います。


豊かに成功するホ・オポノポノ 愛と感謝のパワーがもたらすビジネスの大転換豊かに成功するホ・オポノポノ 愛と感謝のパワーがもたらすビジネスの大転換
(2009/04/24)
イハレアカラ・ヒューレン河合 政実

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具体的には、自分が抱えている問題に対して


「ありがとう」
「ごめんなさい」
「許して下さい」
「愛しています」



の4つの言葉をワンセットとし、ただ繰り返し唱え続けるという方法です。


社会通念からすると、「ありがとう」「愛しています」は良い言葉で言いやすいかも知れません。
が、逆に「ごめんなさい」「許して下さい」は言いづらい・言いたくない言葉だと思う方が多いでしょう。
個々人の抱えるエゴにとっては、非常に痛い言葉です。
方法としては感情を込めることなく繰り返せば良い、とされていますが、それでも嫌なものは嫌でしょう。

最近では逆ホ・オポノポノ(ホ・オポノポノの言葉を「愛されています」「許されています」等と使う)の方が言いやすいという方も多いと思います。
その理由は様々でしょうが、私はこれについてあることを考えていました。
「自分は悪くない」という思考を表している可能性が高い、と。


「ごめんなさい」「許して下さい」
は、"自分に罪がある、非があるということを示す言葉"という風に捉える方は多いかと思われます。
これを言ってしまうと、自分が持っていたい優位性・パワーの一部が減る、という妄想があるのではないでしょうか。

周囲に対して力を持ったままで居たい、自分が優位に立っていたいという潜在的思想の表現として、「許されています」といった言葉を好む可能性は高いかな、と私は考えます。
つまり周囲から力を奪う為、そして「私は何も悪くない」と言い続けたいが為に、です。




心の底から本当に申し訳なく思い、心から謝罪する。
というのを、したことがあるでしょうか。
行動せずとも、心底そのように感じたことがあるでしょうか。


「ごめんなさい」「許して下さい」
は、我々が子供の頃から数え切れない程に繰り返した言葉です。
相手ありきで何かのトラブルがあって、自分に何らかのマイナス側面があると判じた場合、謝りなさいと教えられて来ました。

でも、『心の底から』とは言われていないと思います。
縦しんばそう言われたとしても、実際に心が伴うとはどういう状態なのか? と疑問に感じるのではないかと考えます。


口先だけでは幾らでも「ごめんなさい」と言えます。
この時、大概「もう謝ったからいいよね」という免罪符として使用しています。
だから後々、相手が自分を許していないと知った時に「ちゃんと謝ったのに!」と逆に怒ることがあるでしょう。

お解りでしょうか。全く謝ってなどいません。
ただそれは、相手に渡ってしまった優位性を奪い返す為だけに使う、ちょっとした小道具なのです。
また、心が伴っておらずとも「ごめんなさい」と言われたなら、強制的に許さなくてはいけないという空気にもなりますよね。
これらのやり方は、結果として円滑なコミュニケーションや、親密な人間関係に結びつくでしょうか。




先日、数名で食事をしている時にこのお話が出ました。
「よくよく振り返れば、心底謝罪したことなど一度もない」
「そんなことを思ってしまったら、負けを認めることになるから絶対に嫌だと思ってる」
と仰る方が多くいらっしゃいました。

心の底からの「ごめんなさい」「許して下さい」を思わない為なら、どんな手段でも使って来たのだと思います。
人間関係は戦いであり、奪い合いであり、自分の非を認めずに相手を攻撃し続ける為の舞台なのであれば、その通りなのでしょう。
周りからそのように教えられ、そのように生きて来たのだと思います。




「ごめんなさい」
「許して下さい」
は、自分がその状況に荷担したことを完全に認める言葉です。
相手が居て、自分が居て、片方が、或いは双方が気分を害したり、トラブルが発生したことを『自分自身の意思でそうしました』と、完全に認める言葉だと私は考えます。
「だってこうだしああだし」「そんなつもりじゃない」という言い訳の一切を放棄する言葉です。

エゴは「自分は絶対に悪くない」「相手が悪い」「自分も悪いけど、相手も悪い」と言い続けます。
自分の責任を認めない為の言い訳を探し続け、自分以外を糾弾し続けます。
パワーゲームに参加していた自分を認め、その土俵から降りた時に、「ありがとう」と相手に感謝することは比較的簡単だと言えます。
エゴの観点からすれば、感謝にはこれといって失うものが無いからです。
しかし、「ごめんなさい」と「許して下さい」はエゴにとって格段にハードルが高く、そこが欠落していることに気付かぬままに「感謝出来たからクリアー!」と、また同じループへと入って行くことが非常に多いのではないかと思います。




スピリチュアルな考え方の基本的な原則として、

「自分の人生に起きている全てのことに対して、全責任は自分にあると自覚する」
「問題は自分の外側で起きているのではなく、内にあるものが外側に見えているだけである」


といったものがあります。
これらの原則を端的に表し、認める言葉が「ありがとう」「ごめんなさい」「許して下さい」「愛しています」である、とも言えるかなと考えています。

また、これらは能動的にそうしようとして心底思えるものではなく、エゴが弱まった時に湧き出るように感じるものです。
感謝、喜び、謝罪、愛とは、言葉に表せば意識的な行動かと思ってしまいますが、実際は誰もが奥底に持っている人の本質的な部分で、日頃はエゴに隠れて見えないものの、それが表面に現れ出る瞬間を指す言葉なのだと思います。



心底認めることが非常に難しいならば、言葉から入るだけでも価値がある。
というのが、現在使われているホ・オポノポノの何となくな解釈…と言えるでしょうか。
勿論、内実が伴えば更に素晴らしい効果が期待出来るかなと予想されます。
どちらでも良いのでしょうが、『心底認める』ということを体験出来たなら、それは人生に対してとても素晴らしい贈り物になるのだと思います。




本日は、10月度のワークショップでした!
ご参加頂いた皆様、ありがとうございました。

新しくご参加下さった方や、大変お久しぶりの方も顔を合わせまして、また新たな空気の3時間となりました。
朝は雨模様でしたが、終わる頃にはすっかり晴れ間も覗く程にお天気は回復しまして。
こういう日は、お天気さえ象徴的だなあと思います。



以降のワークショップスケジュール(現在確定分)です。



★11月度
11月11日(日) 11時~14時
※残席僅かです



★12月度
12月9日(日) 11時~19時
※12月度は、通常と異なる長時間開催となります
※残席僅かです





以降の予定は、確定次第blogにup予定です。
詳しくはホームページをご確認下さいませ。



★☆★




世の中には色々な宇宙を持っている人々が居て、それぞれ考え方やその後ろにある背景が違うというのは、知っているようで分かってはいないことが多いと思われます。
だからこそ喧嘩になったり、揉めたりする。
「みんなこうじゃないの?」
と、大人になってさえもポカンと口を開けることは、よくあるんじゃないでしょうか。

また、自分ではそのつもりがなくとも、いつもフォーカスしている箇所が固定されていて、それを他人様のお話からやっと気付くというケースも多々あります。
他人様のお力というものは非常に大きくて、所詮一人では辿り着かない所にも、他人様が複数いらっしゃることで理解に到達する可能性がグンと上がります。


また、宇宙はベストのタイミングでベストの出来事に引き合わせてくれます(引いては自分がやってるんですが 笑)。
エゴが「絶対見たくない!」と叫ぶことでさえ、その下に隠れている意識によって何らかのメッセージを受け取ったり、他人様の口を借りて言わせたりするものです。

それを有り難く受け取るか、「今は出来ません」と突っぱねるか。
それさえも、全てに選択の余地があるのです。
但し、いつも書いていますが結果は発生します。
それは幾ら表面的に他人の所為にした所で、結果は自分に跳ね返って来るのです。


どうせ発生させる結果なら、中身が心地良いものや嬉しいものに満ちているといいなーと私は思います。
そこへ至るまでのプロセスで、一時的にエゴが嫌がることや痛がることがあるかも知れませんが、それはあくまでエゴの演技でしかないので(笑)、そこに惑わされずに着々と進めば良いのだと経験上知っています。

ですから、
「どうやら相当嫌がってるけど、これは過去の自分が抵抗しているのだ」
「これだけ抵抗したり否定しようとするってことは、その下に本当の何かが隠れているに違いない」
「…じゃあ、分かるまで向き合い続けようかな~」
と理解が進み、歩みを止めずに居ることが出来るんですよね。


自己成長を選択し続けることで、自分が積み上げて来た過去や、エゴに足元を掬われる回数が減って行きます。
今こそ向き合う時だとか、嫌だってことはむしろそこを見ればいいのか、といったことが理解出来るようになる訳です。
自分のパターンを知って行くことで、より理解度や成長のスピードが上がります。



それはとりもなおさず、楽しい人生や深みのある人生へと繋がって行くことなのだと思います。





うおっと、10月に入っちゃいましたね!
……9月の記憶が殆どありません(笑)。

さてさて。
ワークショップやセッションに於いて、お客様から色々なご質問を頂きます。
「こういう場合はどうしましょう」なご質問の内容を聞きますと、大概はマインド(エゴ)のよく使うトリックなんですよね。
ですので、今日はこの辺りを列挙して行きます。
単なる羅列なので文章に繋がりはありませんよー。





『嫌なことから逃げる自分を変えたい』というのは、『嫌なことから逃げる自分が嫌』ということになります。
『嫌だと思うことから逃げる自分』から、逃げたいのです。
ややこしいと言うか、分かりづらいと言うか、めんどくさいっすねー(笑)。


「変えたい、変えたい」と言い続けている間は、"変えたいと言い続ける自分"をやることになります。
つまり、前提として変わっていないことが必要になりますね。
何も変わらないからこそ、変えたいと言い続けることが出来る、と。
あーややこしい(笑)。
実際本気の人であれば、なりたいとかやりたいとか言う時間を惜しんで色々やるでしょう。


「だって、どうしていいか分からない」
もよく耳にしますが、その状態でいれば「懸命にやってる感」があるんでしょう。
現実が一切変化していないとしても。


ちょっとずつしか出来ません、も大概エゴの付く嘘です。
ちょっとずつというのは、基本的に現状維持を優先していることになります。
ただ嫌なだけなんじゃないのー? じゃあそれは何かな? と自分を疑えるようになると、より効率的に変化が起こせるかと思います。


「○○だから出来ない」は、先に"出来ない(やらない)"という結論があって、そこへ結びつくルートを無理矢理造る行為です。
その内容が何であろうと、どんな素振りであろうと、詰まる所やる気はないのです(笑)。


「分かった!」で終わり。というのもよく見受けられます。
現実のみを見れば、実際それがどんな風に作用しているかは一目瞭然です。
分かる前と後で、一体何が違いますか?
自分の現実に及ぼす、何らかの作用はありますか? 気のせいではなくて?


「○○さえあれば/○○さえなければ」というのも、投影や被害者意識を利用した言い訳の可能性が高くあります。
それがあれば、或いは無ければ、一体どうだと言うのでしょう。
そこにフォーカスする理由は何でしょうか。


とあるパターンを繰り返す時、「どうせ私なんか…」と言い出すのもエゴのお仕事です。
始末が悪いことに、パターンの中にはこの『どうせスパイラル』が含まれているのです。
なんとかセット、みたいな感じで一連の流れの中に、自分を卑下したり自暴自棄になるという部分が含まれています。
一つのパターンが終わって、それに対してあーだこーだ言っているのではなく、「パターンを変えられない、どうせ私なんか…!」も、セットメニューの一部なのです(笑)。
もっと引き目で見ると、全貌が分かるかと思います。




────────ざっと挙げて来ましたが、まだまだあります。
自分を止めるものは自分の中にある。
ただそれだけなのです。

トリックに気付いてひょいっと避けて行けるとか、または直ぐにセンターへ戻れるといいですよね。
知っていると知らないのとでは、後の楽さが違うと思いますよー。





プロフィール

Sachi

blog owner:Sachi
潜在意識を活用した、ちょびっとスピリチュアルな総合セラピー、癒しのワークショップ・タロットカードセッションをしているSachiです。
穏やかに楽しく成長出来るよう、入手した情報や、日々の気づき&
発見などをシェアして気ままに更新。
イベント情報も随時掲載中です♪

旧blogタイトルは『気づきのステップ』。

■カウンセリング&ヒーリング&セラピーを総合した個人セッション、月に一度のワークショップ、またタロット&オラクルカードセッションをご希望の方はサイトをご覧下さい♪


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