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Date : 2012年09月

◆ Infomation

【works】
★ヒーリングセラピー個人セッション
 都内で対面式の個人セッションを行っています。
 幸せと癒し、学びと気付きを得たい方へ、様々に対応させて頂きます。
 潜在意識を日常へと活用することで、より良い人生へ変えることが可能です。
 随時お受けしておりますので、サイトをご覧下さいませ。

★癒しのワークショップ
 毎月一度、都内で女性向けの体験型ワークショップを開催中です。
 沢山の変化・癒し・浄化・成長・気づきを促すテクニックが山盛りです。
 2017年11月5日・12月17日(全て日曜)
 の開催が現在確定しております。11月は11時~15時、12月は11時~19時です。
 ※11月と12月では開催時間、料金が異なります。
 ※以降の開催は決定次第upして参ります。
 ※それぞれ内容の詳細はサイトをご参照下さい。

列島を大型の台風が通過中です。
皆さん、ご無事に帰宅されますように!
交通網の乱れだけでなく、お車での移動や徒歩で移動される際には、どうか充分お気を付け下さいね。





「私を認めてくれない」

という定型文で嘆き悲しむ、或いは怒る癖がある人が結構見受けられます。
私はこんなに懸命にとか頑張ってるのにとか、私なりにやってるのにとか、そういう理由が殆どです。


これね、多分日本語のチョイスが違うんですよ。
認めるというのは、狭義に於いては『認識』を指します。
その内容まで指定するものではありません。

ですので、上記の用法を想定する場合は
「賞賛・絶賛・褒めることを言って(して)くれない」
または
「"都合の"良いことを言って(して)くれない」
という定型文に修正した方が良いんじゃないかなーと、私は思います。




更に言いますと、
「相手が私を認めてくれない」
という言葉を使う自分こそが、相手がどういう人かを認めてないんじゃないかなー? と。
相手がどういうスタンスであるか、何を思ってその言葉を発したのかを、果たして理解した上でのことでしょうか。

一切合切の背景を無視して、他人を糾弾する。
理解してくれないと嘆くなら、自分は相手を理解しているのか? 
欲しいものをくれないと怒るのに、相手には何もあげないのか?
これぞ正しく投影です。それは自分なのですよ。


更に更に。
「私を認めてくれない」の裏側には、大概「どうしてこう言って(して)くれないの!?」というニーズがくっついて来ます。
この二つは大体セットです。
如何にも(自分にとっての)正当性を持たせた理由を使って、相手に身勝手で我が儘な要求を課すのは、今も昔も変わることのない、エゴの十八番です。

どうなれば良しとするのか。その理由は何か。
周りが自分の思う通りにその言動を取らねばならないという、必要性や理由はあるのか?
何故一方的にニーズを押しつけて、被害者ぶることが出来るのか。その動機は?



一通り、箇条書きとかで書き出してみるといいですよ。
「だって、こうだしああだし…」
と、様々な言い訳や理屈が湯水の如く沸いて来ると思います(笑)。

出尽くすまで書いてみて、一旦時間を置きます。
翌日や数日後で構わないので、それを見直した時に、こう問いかけます。
「それは事実か?」と。


「自分はそう思っている」
「私はこう受け取った」
「こうに違いない」
ではなく、誰の目から見ても厳然たる事実であるかどうかです。
事実でないようなら、全部線を引いて消して行きます。
残るのは何でしょうか。何か残りますか?

何かが残ったとしたら、それは何でしょう。
もう一度問いかけましょう。
「それは事実なのか?」と。


自分が嘆いたり悲しんだり怒ったりしていた相手は、一体何でしたか?
その正体は、一体何でしょうか。
自分ではなく、外側の世界にありましたか?

じっと見つめましょう。
もし思っていたことと違っていたとしても、誰も責めたり罰を与えることはありません。
正直に、自分の内側で何が囁いているか、見てみれば良いだけです。



答えは、何だったでしょうか。


魂は、それを見付けて欲しがっているのだと思います。
深い所で、光が当たる瞬間を待ちわびているのではないかと思います。






ワークショップに複数回ご参加下さっているお客様方の中でご希望の方には、『お洋服コーディネートツアー』というオプションメニュー(?)があります。
ありますっていうか、最近になってなし崩し的にそうなっちゃっただけですが(笑)。


所謂イメージチェンジとは違いまして、


『その人らしい服装、格好、外見』


をすることは、スムーズに・ラクに生きることに繋がるのだと思っています。
服装然り、化粧然り、髪型然り。


内面を変化させて行く(本来の自分へ戻って行く)という過程で、外見に手を入れることをすると、それまでのプロセスが更に速まる可能性に私は注目しています。
コーディネートをご依頼下さった方に、その後のお話を伺いますと、
「ラクになることや幸せを感じることが格段に増えた。それまでと比べて自分の中の変化が速い気がする」
のだそうです。

そこには勿論、成長や自分らしさへの飽くなき希求と、それに伴う行動があります。
これは大前提ですね。
その上で…というお話です。


ところで私はファッション業界に居たことも無ければ、そういったものに強い興味がある訳でもなく。
じゃあ何なのだ、ということですが(笑)。
ただ、見た時に「よりその人らしいかどうかが分かりやすい」かというのは、網膜に映った瞬間に判定出来ます。
ですので、そういう辺りを利用してカラーとか形や素材を選別しつつ、その方により似合う姿を提案しているんですね。
…センスが良いかどうかは知りませんが(笑)。

でも、コーディネートを変化させたら、途端に周りの人の反応が変わったというお話も伺っています。
案外他人様は見ているものですね。
何を見ているかはそれぞれですが、ちょっと前にお会いした方が
「この人、もう少し似合う服を着たらいいのにとか、もう少し普通にお化粧すれば良く見えるのに…と思うことがちょこちょこあります」
というお話を聴いたりもしているので、見た目は結構大事なんだと思います。




先日は数名の方がコーディネートの旅に参加されまして、色々なお店を回りました。
参加して下さった方の中には、「以前、カラー診断を受けたことがある」という方がいらっしゃいまして。
肌の色に合う服・化粧のカラーゾーンと、コーディネートを教えてくれるというものですね。
そこで言われた通りのカラーの服を選ぶと、実は年齢が結構上に見えることが判明。
彼女はそれまでの選択を撤回することになりました。
「どうしよう、持ってる服はNG服ばかりですー!」と全員が青くなっていました(笑)。

それまで選んでいたタイプの服(色、形、素材)と、こちらで提案したタイプを交互に合わせてみると、外見年齢のギャップが一気に浮き彫りになります。
顔色がどう見えるか、表情がどう見えるか、体型がどう見えるか、年齢が上に見えるか、下に見えるか等々。
様々な要素を測って、ご納得頂いた上で実費購入…というのを各店でやっていました。



肌の色が例えタイプAだとしても、顔立ち・顔つき・体型がタイプBだとしたら、どうするべきか? また逆であればどうなのか?
身長が同じ程度の人が二人いても、それぞれ似合うものは違う。
といった部分も含めて見ないと、折角の個性が活かされないのではないかと思います。
まーツアーやっても、数日経つとどんどん元に戻って行くので、そこは要注意なんですが(笑)。
アイテム単体で見ると失敗する可能性を考慮し、カラーチャートを買って参加された方もいらっしゃいましたよー。

参加された方の中には、似合う物が被っているという方がいらっしゃいまして、一人が「これがいい」となると以下同文で「私もこれにするー」「あ、私も!」とゾロゾロ続いてしまう為に、店頭にある商品がごっそり消えるという怪現象もぼちぼち見受けられました(笑)。
店員さんはそれまでゆっくり仕事していたのに、いきなり多忙になって泡喰ってました…お疲れ様です。


「これは?」
「アウト」
「これは?」
「もっさー」
「これは?」
「アリ」
といった暗号文のような会話が超スピードで数々繰り広げられ、スピードと言い振り分けと言い、自分の天職はヒヨコの鑑定士的なものなのかも……みたいなことを妄想したりしなかったりで時間は過ぎ。

そして複数枚あった筈のアイテムが、店頭から悉く消え去り。
その様は、恰もイナゴの大群が過ぎ去った跡の如し。
戦場跡にペンペン草の一本も残らないかのような幻覚が見えたりもしました(笑)。


今回はそれぞれが「楽しい!」「楽しい!」と仰っていたのが印象的です。
自分らしさを知っていくことは、それがどのような内容であっても楽しいのだと思います。
より輝いて見えるのであれば尚更です。

それまで"好きだと思い込んでいたもの"を手放し、新たな可能性と共に自分を受け容れるというのは、変化を起こす大きなステップなのだと思います。
皆さん綺麗になりましょー(笑)。





9月がもうすぐ終わることに気付き、愕然としました。どういうことー(笑)。
ここ暫くは息をつく暇もなく…という毎日でしたが、そんな合間を縫ってあちこち出没しております。


9月24日まで銀座松屋で開催されておりましたイベント、『ベルサイユのばら展』。
お友達で女優の丸木弥雪さん(blog/ベルばら展記事)がこちらのチケットをプレゼントして下さいましたので、先日銀座まで行って参りました!



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今年はベルばら40周年なのだそうで、それを記念しての原画展です。
場内には、連載当時のカラー&モノクロ原画が多数展示されています。
更に、宝塚歌劇団の上演演目として幾度と無く舞台化されているベルばら関連の衣裳や小物、アニメ版のセル画等々が犇めき合って数多く展示されています。
展示品以上に溢れ返る人・人・人を掻き分けつつ、「オスカルさま~!」と何度か心の中で叫びました(笑)。

私は子供の頃にコミックで全巻読破しましたが、当時大好きだったんですよね。
舞台は当時の自分にしてみたら異世界とも言える、革命前のフランスです。
アントワネット様のお姿とドレスの美しいことと言ったら(笑)。
単行本には、今でも鮮明に記憶しているシーンが沢山あります。
挙げればきりがないのですが、何にせよオスカルさまが美しい~!
男装の麗人が填る人って素敵ですよねー。正直、漫画だからこそOKな世界だと思います(あとは宝塚でしょうか)。




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多数の原画は、どれもこれも記憶の中にあるシーンばかり。
オスカルさまが戦死するシーンでは、思わずグッと来たりもしました。
そういえば漫画では、オスカルに縋り付いて泣くロザリーと一緒に、私も「オスカルさまー!」と泣いたわ…とか(笑)。
命の尽きる最期の瞬間まで、凛々しくも美しいオスカルさまでございました。

何より、原画の保存状態が素晴らしく良いのに驚愕しました。
カラーもモノクロも、黄ばんだり変色した箇所が見当たらず、そのままの美しさで輝いておりました。
原画の美しさ、池田理代子先生の技術力はもとより、どうやって保存したのかも気になる所です。

そして、グッズ売り場の半端無い混雑振りに唖然としながら(笑)、会場を後にしたのでした。
後日、お友達と「キャラクターでは誰が好きだった?」的な会話をしたのもまた、楽しい広がりでございました。
同じ文化を共有して同じネタで笑えるのって、凄く楽しいですよね。
漫画とかゲームはそういったことがよく体験出来るので、やってて良かったわーと度々思います(笑)。




銀座を訪れたのは久しぶりでしたが、週末だったので歩行者天国として解放されていた道路まで混雑していました。
下手にお茶なんかしようと思ったら、えらいことになっていたと思います。
用事が済んだのでそそくさと退散(笑)。


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今度はゆっくり、空いている時に遊びに行こうと思います♪






毎月開催しているワークショップにご参加下さり、また個人セッションも継続してお受け下さっている丸木弥雪(まるき みゆき)さんが、blogにご感想をお書き下さいました
ありがとうございます。謹んでリンクさせて頂きます。




以下、記事より一部抜粋して転載させて頂きますね。



☆★☆

1年半たってようやく感謝出来るようになって、人を信じれるようになって、
日常がどんなに大切で「いつも今ここに在る」ことがどれだけ人生において重要なことで、
そう生きられればどんなに楽でいられるかということが解り始めたんです。
そんなことはいろんな本にも書いてあって、過去には沢山読んでもいました。
だけど本当の行動には全く結びついていなかったんですね。



☆★☆



昔、私がスピリチュアル系統の本を読んでいた折、「宇宙は愛で出来ている」とか「今・ここに在ることが出来れば、問題は存在しない」といった文言を目にして、全く理解出来なかったのを記憶しています。
「ウッソだぁ~何それ」「どういう意味ですかねー」って感じでした(笑)。

月日が過ぎて、性懲りもなくそういう本を読み、実践を始め、自分に取り組むということを続けて続けて、段々とそれが理解出来るようになって行きました。
ただ、私がそれを見ようとしていなかっただけなのだということ、怒りや憎しみ、悲しみや恐怖等の感情やそれに纏わる思考や観念が、私の見る風景に色を付けていたことが分かると同時に、それを解消して行く中で
「あの時、本に書いてあったことは本当なのかも知れない」
と思うようになりました。


自分の人生の立ち位置(ホームグラウンド)を喜びや楽しさに定めるのか、それまでやっていたように怒りや悲しみや恐怖に定めるのか。
何もかもをいつでも選べる・選び直せるのだと知って行く中で、「どうせなら楽しい方がいいなー」と心底思うようになりました。

…というよりも、本来の自分はそっちが好きなのでしょう(笑)。
長い間、『私』を忘れていただけの話です。
絶対に思い出せる、生きている内に取り返せる、これまでをひっくり返して、自分の人生を楽しくする! と、選び続けた結果が現在です。
まだまだ楽しくして行く気満々なのですが(笑)、今は今で満足しています。



誰もがそのチャンスを持っています。
生まれる時に魂が選んで持って来たことさえ、決して自分を縛るものではないのです。
"生きていれば、いつでも選び直せる"ということが分かるなら、受動的ではなく能動的に人生を捉えるなら、絶対に良い方向へと歩みを進めることが出来るのだと私は思っています。




お会いした方から「鬱って治らないんですか?」とご質問頂きました。
私は医師ではありませんので、治る・治らないを断言することが出来ないのですが、ごく個人的見解で良いようでしたら…と前置きをした上でお話しさせて頂きました。
ですので、以下に書いてあることは全て、私個人の私的見解であることをご了承下さいね。




前にも触れたことがありますが、鬱という病名を付けられていても、その症状は様々です。
慢性的疲労感、倦怠感、やる気が起きない、不安感、恐怖感、不眠、苛々、怒りっぽい、情緒不安定、集中力や記憶力の低下、コミュニケーションの不足等々、他にも沢山ありますが、こういった症状を主訴としてお持ちの方が、先ずどういった機関を訪れるかということに一つ目の問題があります。

「これらは恐らく肉体的症状である」と認識する人は、先ず内科等の肉体的な症状を扱う病院等へ足を運ぶでしょう。
しかし、これらが「精神的症状である」と判じた場合、行く先は心療内科や精神科ということになります。
そういった場所で上記の内容を伝えると、お医者様はそれまでお勉強された内容に基づいて、どの病名を付けるかという振り分けをします。これが二つ目の問題です。

問診や医学的知識、また患者さんの主訴から総合して、じゃあ鬱ですね。ということになってしまう可能性は大です。
……それが、肉体的問題から来る症状であっても。



私はメディカルサプリメントの知識やその効能等を、今だからこそ所持出来ていますが、もしこれらの知識が皆無であった場合は、それまで得ていた知識や経験等を元に判断するしかありません。
即ち、余程肉体的に齟齬を来しているように見えないのだとすれば、原因は「精神的なものであろう」という所へ振り分けてしまう可能性が高いということです。

長い目で見れば、どんなことであっても精神的な要因が全く関わっていないことも無いでしょう。
しかし。ぶっちゃけてしまえば、肉体がラクになることで解消してしまう問題は非常に多いと思っています。
先ず栄養素の適切な補給を経て健全な肉体を得てから、次の段階(精神的な部分への着手)を考えることの方が安全な上に効果が高いと踏んでいます。


色々なやり方がありますし、色々な方のお考えがあることを承知の上で書きます。
私は自分自身が長い間極度の虚弱体質でしたが、病院へ行った所で「ちゃんと食事してね」で終わってしまい、何かあったとしても点滴を打って貰う程度で、どんな打開策を得ることも出来ませんでした。
好き嫌いは無く、むしろ大食いだったのに、献血しようとしても「好き嫌い多いでしょう。あなた、献血出来ない位に血が薄いよ」とお断りされる位だったんですが(笑)。

しかし、肉体から来ていた問題が非常に多かったことを、実体験として今は知っています。
勿論、意識的な問題も非常に根深くありましたから、どちらも同じように手を入れる必要がある人間でした。
両面から長い間取り組み続けることで、現在は過去に比して信じられない程元気に過ごせていますが、もしも栄養素の情報を得ることが出来ていなかったら、今の状態は有り得なかったと断言出来ます。
いつまでも鬱々と生活し、マインドに対してどれだけやってもやっても何故か楽しいと思えないとか、いつも何らかの不安が付きまとうとか、抑も普通に寝て普通に起きるということさえ不可能だったでしょう。




鬱の話に戻ります。
近年、パーソナリティ障害とかコミュニケーション障害、また境界性人格障害等という言葉が生まれています。
それまでの『鬱』『神経症』等という括りでは片付けられない、それまでに確立されていた処方では如何ともし難い症状が、社会的背景等と相まって続々と生まれているのです。

以前から何度か『新型うつ』のことを書いていますが、上記の内容はここに含まれることもあります。
お医者様だけでなく、私のようなカウンセリング・セラピーの現場に居る人間も、時代に合わせて常に様々な手段を模索しなければ、とてもとても現実的な対応手段が執れないのだと思います。


今は大体の内容をお伺いすれば目安を付けることが出来ますが、やはり医師ではないので診断は出来ません。
ある程度の状態をお伺いしながら、お客様のご意志をその都度確認しつつ、お手伝いの手段を構築して行くことになります。
「新型だ」と思えば、肉体面をラクにしてしまうことを主眼に置き、先ず健康になって頂くことをお手伝いします。

その上で「周りが悪い、変わりたくない」というような話が出るのであれば、カウンセリングやセラピーへ入って行くことになります。
それもこれも、ご本人様がどうありたいかという明確な意思次第ですので、「治す」ということとは厳密に言えば違って来るでしょう。



しかしそういったプロセスを経て、お客様がある時「あ、ラクになってる」「生活していて楽しい」と気付いたなら、そこに病は存在しないことになります。
それは鬱であっても同様です。
楽しい、嬉しい、ラクだと言うならば、『鬱』というカテゴリには最早振り分け出来ませんから。

結果論ではありますが、それを指して「治った」と言うのではないかと思います。
ですから、臨床の現場に居る我々が出来ることは『治す』のではなく『元気でありたい、健全でありたいという目標に沿ったお手伝い』なのではないかと考えています。



現時点での私は「栄養素を補った上で、『どうしたいか』をご本人に見据えて頂く」という方法を採っていることが多くありますが、これまでがそうであったように、将来的にはもっと合理的でもっと安全でもっとシンプルな方法が出て来る可能性もあります。
臨床の現場に居る人間は、それまでの常識に拘らず、常に多くの道や手段を探り、学ぶ姿勢が必要だと痛感しています。
いきなり結果を出すことは、やはりどの道でも難しいことですが(笑)。

社会的な問題となっている『新型うつ』等でお困りの方々に対して、少しでもお手伝い出来るようにと考えています。
あ、考えるだけでは意味が無いので、色々模索しています(笑)。
そして皆さんが健康で喜びを感じながら、社会と共存出来ますようにと願っています。





頂いたメールに御返事したのですが、その一部を抜粋して掲載します。


────


「ああ、これだから私はダメなんだ」をやっている間は、エゴの独壇場です。
その思考を使う限り、決して自分の中で理解を得ることは出来ないし、上辺だけなぞってグルグル回るだけです。

ただ静かに見つめ、確認し、必要なら取り組めば良い。
今のメインはこれではないと思ったら、何れ手を付ける時が来るまで忘れなければいいだけです。

そのどちらか判断が付かないなら、識者や仲間に意見を頂くなり、シェアすることで気付くなり…というやり方があります。
大きな枠で作られているトリックに惑わされないでね。



────



自己成長の道を歩み、自分の中にあるパターンを変化させようとしている時というのは、「ああ、またやってしまった…」というケースが必ず出て来ます。
過去繰り返して来たやり方ですね。

Aというやり方を続けて来たので、今後はBというやり方に変化させたいです。
という時、何度も何度もパターンBを自分で実行し、行動し、常に意識的に選択し続けて行けば、それは自分のモノになります。

が、段々慣れて来るといちいち考えなくなって来ますから、その隙に元々考えなくても呼吸するように出来ていたパターンAが戻って来る…というのがよくある話です。


ある程度の理解や変化が出て来ると、このトラップに填って「…やってもうた!」と頭を抱えます。
やってしまったことを完全に認めるのは、次のステップへ移る為にも大切なことです。
しかしこの時、「これだから自分はダメなんだ」とか「どうせ私なんか」とマインドが言い出したら、要注意。危険信号です。

この後、どういう風に思考するでしょう。
自分を責めるのに疲れてしまって一旦考えるのをやめたり、クヨクヨ悩んで「あの時こうすれば、ああすれば…」と過ぎた過去に執着したり、何だかんだと色々な否定を始めたりして、選択し直す行動を取らないことが殆どだと思います。


やったことを全部認めて、それはそれとして仕切り直せばいいんですよ。一旦リセットです。
ハイ、やっちまいました。なっちゃったんじゃなくて、私がやりました。
よし、分かった。今この瞬間からはこれを選びます!

って仕切り直す。
反省してもいいと言えばいいんですが、取り返しの付かないことをあーだこーだこねくり回すより、「じゃあ今はこうしよう」の方が現状に対して余程建設的ですし、直接的に現在への影響力があります。

「過去の反省を活かす」と言えば聞こえはいいですが、全く同じ状況など二度とやって来ません。
如何に状況が昔と似ていても、登場人物が同じであっても、場所が似ていても、決して同じではないのです。
あった事実をストックしておくことは大切かも知れませんが、『それは"今"ではない』ということを意識しておかねば、いつまでも過去に操られて生きるだけです。


これは目を逸らすとか逃げるということとは、全く別種の話です。
目を逸らしたり逃げるというのは、現在からの逃避です。
そうではなく、上記の内容は『今・ここ、現在に戻って来る』ということ。
絶えず現在を見据えた上で、たった今の自分がどうしたいかを選べばいい。

そうして行く中で、片付けた方がいいなーと思えることがあったら、手を付ければ良いのだと思います。
勿論、それも自分で誤魔化しているだけかも…という危惧を抱くようであれば、信頼の置ける仲間や先生に質問したり、お話ししてみれば良いのではないでしょうか。
だから、シェア出来る仲間は大切なんですよ。


自分を前に進ませない為の囁きに騙されず、常に現在を見つめ続けられれば、実は多くのことがシンプルだと気付けるのだと思います。





今日は、an・an等の雑誌で大活躍されている、手相見の日笠雅水先生に手相鑑定をして頂きました。



anan特別編集 ハッピー・リーディング! 手相の教科書 (マガジンハウスムック)anan特別編集 ハッピー・リーディング! 手相の教科書 (マガジンハウスムック)
(2012/08/29)
不明

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↑は、最近先生が出されましたムック本です。
まだ本屋さんにあるかも。
私は今日、青山のリブロで購入しましたー。



さて。
時間前には着いていたのに、到着までに結構迷ってしまいまして(笑)。
元々、何処に行っても(外国でも)道に迷うことはほぼ無いのですが、なんか迷路に填ったみたいに迷ってました。
何か耳にしたくないことでもこの後あるのだろうか…と一抹の不安を覚えるワタシ。



到着が遅れたことを何度もお詫びして、座ります。
「お仕事は?」
と訊かれまして。
「えーと…(どれを言おう…)」
複数あるお仕事の内、二つ位をお答えしました。

「あら、同業者ですか! 同業の方はあまりこちらにいらっしゃらないんですよ」
同業と言えばまあ…そう…かな…?
どうなのかなーと首を捻りつつ、鑑定スタート。



両手を出して直ぐに、「はい、一生お仕事頑張って下さいね」と言われました。
超やっぱり。
ハーイ頑張りまーす。
私はお仕事するのが大好きなんで、初見の印象がそれっていうのはとっても嬉しいです。

そういえば、数年前にご縁があった沖縄のユタさん(沖縄土着のシャーマン)に見て頂いた時も、
「あー神様は入れる器を間違ったねー。社会の最前線でバリバリ仕事する男の人、みたいな仕事のやり方するのに、どうして女に生まれちゃったかなあ」
と言われたことがあるなーと。
いや、今更器を間違ったとか言われても遅過ぎるし…(笑)。
これまで何処で見て頂いても「はい、仕事ですね。凄く仕事が出来る人です」と断言されて来たので、想定内という感じでしょうか。



「どうして今のカウンセリングとかセラピーを?」
と質問されましたので、
「自分でも何でそうなったかはよく分からないんですが、人が来続けていて止まらないので、お金を頂く形にしたんです」
とお答えしました。

そしたら、
「あー私も同じよー。全く同じ。そうなのよねー」
と深く頷かれていました。
先生と同じなんて烏滸がましい話ですが、何となくお互い頷き合ってみたりしました(笑)。



右手は生命線が二重になっていたり、運命線も二重になっていたりするのですが、
「とてもお忙しいと思います。二足以上の草鞋を履いて仕事し続ける線が幾つも出ていますね。副業を複数器用に並行している線です」
だそうな。
確かに他人様から「お仕事は何を?」と訊かれた時、必ず一瞬どれを言おうかと躊躇しますから(笑)。

「凄く頑張って来ましたね。何かある度にその都度克服したり、自力で乗り越えたりして、努力を沢山して来たっていう線が多く出てます。これまでのことが、全部活かせるようになりますよ。そういう風に頑張って来ましたから」
頑張って来た、と何度も言われました。
……そうかなあ(笑)。



私は左右で手相が全く違うのですが、左手を見て頂いた時に
「左手は面白い線してますね、頭脳線がいっぱいありますよ。これもそう、これもそう…これも」
と言われました。

え。これも? これも? え、え、これもですか!? と目が点になりました。
左手には三本も頭脳線があったことを、今回初めて知ったのですが、内容はと言うとアンテナが常に複数立っていて、"沢山のことに興味を持って学ぶ人"らしいです。


言語能力を表す水星丘が発達していたり、指導線という線が強く出ている為、書くこと、話すこと、指導すること、つまり『伝達すること』が天職ですと言われました。
月丘(掌の小指側にある膨らみ)辺りから、
「繊細な人ですよ。我々(占いとかセラピスト、カウンセリング)のような仕事には必ず必要な直感線もある、神秘十字や星形の線が結ばれていて、頭脳線の最後が星形にクロスしているので、閃いたりインスピレーションが強く出ますね」
とのことでした。


ずっとマスコミやエンタメに関わって来たことで、ポップでカジュアルな言葉を使用して他人様に伝えることが出来るので、今後もっと上向きになるから仕事頑張ってーと言われました。
もう少しすると、もっと大きく人生(っていうか仕事 笑)が開拓されますよ、ですって。
はーいがんばりますぅー!




因みにお友達から「訊いて来て下さいね!」と言われていたのが『魂の年齢』です。
お友達は18歳と言われたそうですが、私は68歳と言われました。
今生で更に68を超えることが出来る、とも。

68歳ってどう受け取ればいいんだろう、と思って最後に質問をしたのですが。
「転生の回数が多いってこと…かしら」
らしいです。
はー、そういうことですか。
確かに私は回数だけで言えば結構多いと思うんですが、あんまり学習していないとも言える気がします(笑)。




「次回は遅刻しないで来てね」
と言われてぺこぺこ頭を下げて退散しました(笑)。
本当にすみませんでしたー!!!!




以上、手相鑑定でした!





とても面白かったです。
5年程前にも違う方に鑑定して頂いたことがあるのですが、また違うことをお話しして頂いたなあと。
最近はあまり他の方に鑑定して頂くような機会を作っていなかったのですが、自分の守備範囲外のやり方で見て頂くことというのは、非常に勉強になりますし参考になります。

とても有り難い機会でした。
先生、鑑定して頂いてありがとうございました!



今後も仕事がんばりまーす(笑)。









まだまだ新月です、書き直し・読み直しをしながらご自分の願いをじっくりと練り上げて行きましょう♪





さて、今日の記事は『お花』です。
お友達に華道を習っている方がいらっしゃるのですが、「私もやりたーいやりたーい」と無理矢理お願いして(笑)、ちょっとだけ教えて頂きました。


アレンジメントや花束作りは(セルフで)やったことがあるのですが、華道は流派なんかがある位ですから、厳しいルールがあるんだろうなーと思っていました。
そりゃもう全く何も知りません。

ちょっとネットで調べてみたのですが、やっぱり多数の流派と結構なルールがあるようです。
『いけばな』ではなく『華道』と呼ぶのであれば、より求道的な意味合いが強まる…とか。
確かに、それをし続けることで道を究めて行く作業なんでしょう。
ある程度の決まり事がある中で、如何に自由に表現するか…というのが難しい所なのかなーと勝手に思ったまま、当日。



花材

花材は、前日が御稽古だったというカツオセンセー(仮)の使ったお花と、私が持参した物を使いました。
私は深紅の薔薇と、濃いピンク色のダリアを買って意気揚々と参上。
実は前日、白いトルコキキョウを買おうかどうしようか迷って、ちょっとやめとくか…と思った所だったのですが、センセー(仮)が既にご用意されていたことが判明しました。セーフ(笑)。




センセー(仮)の講義を聴いた上で、大体のルールを把握して(全然してないと思いますが 笑)練習開始。
「ん? こう? こんなん…こうか? おお? あ…」
とか言いながら、センセー(仮)にとっては五月蠅い練習だったと思います(笑)。

先ず剣山にきっちり刺してジャストの場所で留めること自体が、とっても難しかったです。
決まりを守りつつ動きを出そうとしても、高さがある花材だとゆっくり傾いで来てしまう…とか。
大きな端の付いた物だと、グラグラで剣山ごとひっくり返ってしまう…とか。
そもそも細い花材だと、剣山に刺さらない…とか。
うーん難しいよー!



練習

練習

練習


ぷすぷす剣山に刺すこと数回。
「ああ、やっぱりワイルドですね!」
と言われたのは一体(笑)。
「やっぱり」ってことは、普段からそう思われているってことですね…華道的にはマズイんじゃないだろうか…とか考えながら、練習終わり。

ちくちく色々やってみた所、私は盛り花(高さの低い、アレンジメント的な生け花)の方が向いているそうです。
確かにやりやすかった…ような気がします。
バランスなんかも取りやすかった…ような気がしますし。





そんな感じで何度か生け直し、幾種類かのお花が完成~。
先に、目の保養になるセンセーの作品からどうぞ。


センセーの作品


センセーの作品


センセーの作品



やはり習っていらして、基本をきっちり抑えていらっしゃるので美しい仕上がりです。
アンスリウムやダリア等を活かして、とてもモダンな姿になっていて素敵です。
いいですねー美しいですねー。

次、生徒の作品です。








D01

折角買ったので、ダリアを使用。
ちょっと紫がかったピンクでカワイイんですよ~。
大輪で凄い迫力です。



J01

J02

前日買った薔薇を使用。
短く切ってアシンメトリーな感じに。
左右非対称とかが好きなので、やってる内にどんどんそうなって行きます(笑)。



A01

A02

薔薇とトルコキキョウ。
上から見ても左右どちらから見ても死角の無い作りにしてみたりとか。



結構な種類を作った所で、とりあえず第一回の講座は終わり。
本っっっっ当に難しかったです。ドシロウト、正真正銘の初心者でも分かる難しさ(笑)。
そりゃーお教室にも通いますよね。

前日から花だけでなく、花器に使えそうな器を探していて、フランフランでお皿を買ったりということも楽しい作業でした(白い器はFranc Francの陶器)。
剣山で指をちょっと刺してみたり、ひっくり返る花材にうー! と唸ってみたり、テーマをイメージしながらどういう形にするかを思案したり。
色々と集中して作っていたので、じっとしている割には結構お腹が空いたり喉が渇いたりすることを知りました(笑)。



初のいけばなでしたが、とっても楽しかったです。
カツオセンセー(仮)、どうもありがとうございました!

センセー(仮)は優しくも「面白かったのでまた今度一緒にやりましょう!」と言って下さいました。
ああ…ありがとうございます…(笑)。
恐らく華道的には自由過ぎてどうか…と思われる感じなのでしょうが、個人的には楽しかったです!

創作活動は楽しいなあ♪






日中の日射しはまだまだ残暑の厳しさを思わせますが、夜になるとやや落ち着いてきた感があります。
そんな中、9月の新月が明日でございます。



9月16日 11:11~



ここから48時間以内に、自分の願うことを紙に書き出しましょう。
新月タイムには、願いを具現化したり促進したりするエネルギーがある…とされています。


最近の私で言いますと、どうも新しい局面に入って来た気配もありまして、今後如何に人生のルートを変化させて行くかをワクワクしながら考え中です。

途上・プロセスや願望が現実化した時の厳密な形を考えるのではなく、『結果的にこんな感じの気持ちで居られれば…』ということですね。
成功しても何故か虚しいとか、怒りを感じたりしたら、あんまり意味が無いと思うので。


願望には種類がありまして、それを知る為には「何故そうなりたいのか」「どうしてそれがいいのか」を掘り返すことが大切です。
仮に「素敵な彼が欲しい」のだとして、動機は何でしょうか。

・楽しい思いをさせて欲しい
・周りに見せびらかしたい
・今がつまらないから
・プライドを満足させたいから

等の理由だとすると、搾取や逃避や他人に対するアピールが目的ということになります。
そうすると、「欲しい」「逃避し続ける」「つまらなーい」「満足しない」という部分にフォーカスしていることになる為、"これらを思い続ける自分"を現実化する可能性が高くなります。


毎月願いを書いているのに、なかなか現実化しないよ! という場合は、上記のような動機の部分を洗い出すのがお勧めです。
もしもフォーカスしている場所が違うのなら、自分に対してきちんと向き合って違う文面や違うものに書き替えてもいいし、「現実に向き合える自分になる」と書いても良いかと思います。
遠回りに見えても、着実に自分を知って行く・変化させることを選択し続ける方が、結果的に現実化は速くなるでしょう。


よりニュートラルな等身大の自分が、更に拡大したり発展出来るような願いを書き出せるといいですね。




7年前の今頃、岐阜県の中津川市を訪れた際に、和菓子屋『すや』さんを知りました。


この地域は地元・恵那山で採れる恵那栗(えなぐり)が有名で、秋になるとこの栗を使った和菓子が各店の店先に沢山並ぶそうです。
沢山のお店がある為、地元の方に「一番お勧めのお店はどちらですか?」と訊ねました所、「私の好みで言うとね…」と教えて下さったのがこのお店でした。
初めて岐阜県に行ったので…という記念にすやさんで買って帰ったのが、季節商品である『栗蒸し羊羹』です。

最初は「栗きんとんが有名で美味しいよ」と教えて頂いたので、幾つか並ぶ季節物を買って帰ればいいかなということで、栗きんとんや栗蒸し羊羹なんかを購入したんですね。
それまで、羊羹はちょっと甘すぎたりしつこすぎたりするイメージがあって、あまり自主的に食べたいと思えるお菓子ではありませんでした。








が。









もう、ビックリしました。











美味しすぎる…………!!









小豆は甘すぎず、歯応えはもっちりしていて柔らかく、大きな栗のホクホクした風味が口いっぱいに広がり、うーまーいいいいいー!!
って感じです。
私の中にある羊羹のイメージに革命が起きました(笑)。





お土産としてこれを友人に渡したらとても気に入ってくれて、それ以降友人は毎年取り寄せをしている程です(笑)。
私は名古屋の仕事が入ると、ホテルにチェックインするのも忘れ、新幹線を降りたその足で真っ先に名古屋タカシマヤ(テナントとして入っています)に飛んで行き、「…栗蒸し下さい!!」と言うのが恒例になっていました(笑)。

近年は名古屋でする仕事にご縁が無くなって来たので、ちょっと寂しいなと思っていたのですが、それからは友人が私の分まで取り寄せてくれています。
有り難い話ですが、そこまで気に入ってくれると本当に嬉しいですね。





栗蒸し羊羹


今年取り寄せてくれた分は、翌日お会いした友人宅で頂きました。
皆さんにも大変好評で、うーやっぱり美味しい…! としみじみ味わって賞味しました。

食べて無くなって行くのが勿体ないと思わせてくれるお菓子です。
本当に本当にお勧めですよー!




あ、店内には普通の『栗羊羹』も置いてありますが、季節商品は『栗蒸し羊羹』です。
お間違いなさいませんよう。






返信

  • 2012.09
  • 13

Edit878

先日、古巣の職場でご一緒していた方々とお会いした…という記事を書きました(⇒こちら)。

その後、御礼のメールを差し上げました所、ご丁寧な御返事を皆様から頂戴しました。
特に当時よく直下のチームに加えて下さって、沢山の仕事をさせて下さった元上司の方からは、とても暖かい文章を頂きました。


────

15年も時間が開いてから再会して、お酒が飲めて、
じっくり話をすることっていうこと自体、なかなかないことですから、
とっても貴重な時間だったと感じていました。

「あの頃は本当にお世話になりました」だなんて言われると、
自分も何もわかってなかったし、逆に、迷惑をかけてたんだなあ、
ということも思い出しました。

ぶっちゃけ、何もしてなかったと思いますが、
そう言ってもらえるだけでも、自分も救われる思いがしますし、
ありがたいことだなあ、と思います。

お互い、きっと「頑張って」仕事してたんだろうと思います。
そういう時間が何かの縁があって、共有できたことは、
相対的には「短い」時間でも、貴重な時間だったんだな、と思います。



────



胸が熱くなって、涙が滲みました。
真心のある文章を頂けて、とても光栄な気持ちになりました。




あの頃。
若くて、適切なやり方も力の抜き方も分かっていなくて、ただひたすらに『頑張って』いた頃。
あそこに集まっていた多くの人達の中で懸命に頑張って、頑張って、頑張って、笑ったり泣いたりしながら傷だらけになって全力で走って、そして得たものの全てが今の私の中に息づいています。

痛みや血を流した疵痕は静かに浄化されて、感謝が残りました。
自分が確かにそこに居たということ、自分はそこで何をしていたかどう在ったのかの姿が、誰かの記憶の中に生きているということ。
それを知ることで、私はここに生きているのだと思えます。



会いたいと思える人や、会いたかったと思える人、会いたくない人、会えない人。
複数の他人様と無数に関わることで、更に自分を知って行くのでしょう。
そして更に私の歩みが進んだ時、また新たな交流が始まるのかも知れません。


ご一緒して下さった全ての皆さんが幸せでありますようにと、今は心から願っています。
それがどのような形であろうと、当時の私に関わって下さっていた方々。
どうかどうか、皆さんが幸せでありますように。






先日、雑誌のNewtonとそのムック本を買いまして。
NATUREも買おうと思ったら本屋にありませんでした。残念。


Newton (ニュートン) 2012年 10月号 [雑誌]Newton (ニュートン) 2012年 10月号 [雑誌]
(2012/08/25)
不明

商品詳細を見る






で、パラパラ読んでいたのですが。
宇宙(とか人体とか時間とか空間とか)おもしれー! ダークエネルギー! ダークマター! 幹細胞! ニューロン! 原子核! おお、そうなのかー! と、少年のように喜んでいます(笑)。
世界は不思議に満ちていて、その不思議が解明されて行くことには、大変興味をそそられます。

理数は拒絶反応すら出る程に学校の勉強としては苦手も苦手、と言った感じだったのですが、変だな面白いぞと今になって当時に対する違和感を感じています(笑)。
専門用語ばかりだし読みづらい文章なのに、wikipediaでニュートリノとか中性子とかプラズマ宇宙論とかテロメアとかを以前よりもマトモに調べています(以前から読み流してはいたんですが)…どうした自分。


ダークエネルギーを銀河の構造に準えて記述されている箇所を読み、
「ああ、そうよね。銀河には引力があるから外側にも釣り合う引力がある筈だし、そうすると可視領域には無いことになってるけど"何か"は存在している筈だもんなあ。それのことか…」
とか仕組みを考えて納得している自分に驚きです。
物理を毛嫌いしていた私が、サイエンスのことを考えている…! この世の奇跡(笑)。

こんな風に色々読んでいる時、『読もうとしている・理解しようとしている積極的姿勢』を自分の中で認識し、やっぱり自発的な意識が無かったから昔は全く解らなかったんだな。と思いました。
分かろうとしなかった理由はただ一つ。
それが何に繋がるか、全く分からなかったんですよね。絶対的な必要性を誰も説明してくれなかったし。
勉強をして学歴を持ったとしても、それに何の意味があるんだろうと小さい頃から疑問に感じていたので、そりゃー勉強なんぞ全くやりませんわ(笑)。


現在は、「まー分かったら楽しかろうしより面白いだろうけど、分からなきゃ分からないで一生困らないし、どっちでもいいわー」という感じだからこそ、適当に楽しめるんだと思います。
知る必要はあるかと言われれば、無いですからね。
日常生活には関係ないですし。
宇宙がどうたらという話だって、普段は空を見上げた時に「星が綺麗だなあ」で済みますから。

ま、私の持っている知識の9割程度は元々「知っていると面白いけど知らなくても一生困らない」という内容ばかりです(笑)。
それと何ら変わりませんなー。私は現在、科学畑でも化学畑でもありませんからね。

でも知っていると、色々な所に波及して相互に補完し合うんじゃないかな、とも思っています。
……ものによりますが(笑)。
ずっと苦手だ分からないよーと思っていたことも、年月が経ってスタンスが変わると、全く違う受け取り方が出来るんだなと思うと面白いですよね。


とは言え。
絡繰りや仕組みを知ること自体は元々好きだったんじゃないか? とも思います。
人の意識について色々探って来たのも、それがあればこその可能性が高いですし。今はそれをお仕事にしている訳ですし。
その対象が違うというだけだったのかも知れないなあ、だとすると何かが違えば今頃理系の仕事をやっていた可能性もあるかなー…と考えたりしている昨今です。
多分無いですけど(笑)。

Newtonは個人的にワクワクする情報がてんこ盛りだったので、定期的に講読しようと思っています。
面白さの度合いは、近年読んだ本の中ではダントツの高さでした。
ファッション誌とかは…まあコラージュの季節に買いますよ、ええ(笑)。





現在大好評上映中の映画 ひみつのアッコちゃん、ご覧になられた方はいらっしゃいますでしょうか。


私は先日、友人から感想メールを頂戴しまして。
「内容がとても素晴らしくて、本当に感激しました」
と書いてあり、私も嬉しくなったりしています。
私は関係無いっちゃ無いんですけども(笑)。

でも、良いものがあること自体が伝わると嬉しいですよね。
世界共通で素晴らしいものは素晴らしい訳ですし、そのバイブレーションは伝わると思いますし。



さてアッコちゃんの映画に出演されている、お友達の丸木弥雪(まるき みゆき)さん(女優さん)ですが。
明日(9月11日)、江戸川区のコミュニティラジオであるFMえどがわにゲスト出演されるそうですよー。

15時~18時の生放送『あしたへ…笑顔・りんりん』という番組の中の、17時~17時30分頃のコーナーです。
内容ですが、『映画 ひみつのアッコちゃん』についてのトークをされるとのこと。

江戸川区のコミュニティラジオなので、基本的には江戸川区周辺でなければ聴けないようです。
が、銀座近辺ですとノイズ混じりではありますが、電波は入るそうです。
お近くの方は是非ともFMえどがわ、84.3MHzを聴いてみて下さいね。


また、インターネットラジオでも聴くことが出来るそうです(⇒サイマルラジオ)。



どんなコーナーになるか、楽しみにしています♪
私はその時間は仕事なので、残念ながら聴くことが出来ません…ので、後日音声データを頂けるといいなーと考え中です。
i podに入れて、ウォーキング中にねちねち聴きます(笑)。






毎月開催しているワークショップ、今年分は残す所あと3回となりました。
まだ暑いというのに、こんなことを書いていると何故か一年が終わってしまう感で一杯です(笑)。





★10月度
10月7日(日曜) 11時~14時


★11月度
11月11日(日曜) 11時~14時





そして、今年ラストのワークショップ開催日時が確定しましたので、お知らせ致します!





★12月度
12月9日(日曜) 11時~19時




です!


例によって一年の締めくくりは、長時間開催です。
終了後、希望者で食事会を行います♪


間にお昼タイムを挟みます。
ペアを組んだ方同士で周辺の店舗へ移動して頂き、ランチを取って頂きます。
飯田橋なので、周りに沢山飲食店がありますよ~。


詳細はサイトでご確認下さいねー。




毎月開催しているワークショップは、リピーター(レギュラーとして毎月参加して下さる方)が多くいらっしゃいます。
お仕事やおうちの都合等で多少の出入りがありますが、基本的に顔ぶれは似たような感じで続きます。
長期的に見て行くと、面子はなんとなーくゆるーく入れ替わったりしています。
その中で、どうにかして食い下がって来る人達の初めてお越し下さった時を振り返ると、まるで別人になったかのような変貌を遂げる場合があります。
…と言うよりも、「本当はこういう人だったんだろうな」という変化が起きることがあります。

一生の間に生まれ変わることは不可能かと思われますが、概念的には可能なんだろうということを知る瞬間です。
自分を知ることでその先へ進むことが出来る。
より生きやすくなることが出来る。
無論、それを選ばないこともその人の選択です。
但し、結果は発生します。嬉しいものだろうと腹立たしいものだろうと。


生きている間に楽しい思いを沢山したい、より満足を感じたい、生きていて良かった、生まれて来て良かったという想いを心底噛み締めたい…という欲求は、恐らくどなたの中にもある筈です。
それは外側にあるものではなく、それぞれが実は知っていて、その知っているものを思い出す作業がワークだったりする訳です。

自分が幸せになることを邪魔するものは、他の誰でもなく自分のエゴです。
「敵は己の裡にあり」なのです。
敵と言うとちょっと語弊がありますが、自分が全てを握っているということですね。
少なくとも自分の人生をどう見るか、どう受け取るか、どう開拓するか、どう感じるか、何を想うかは全て選ぶことが出来ます。


出来ないから誰かやってよ! と言い続けるも良し。
外側にある筈だから探してるんだけど見つからないの、と言うも良し。
自分の足で地面を踏みしめて立ち上がるも良し。
道無き道を往くも良し。

スキップして行ってもいいし、後ろ向きに歩いたって、泣きながらでも、休んだまま動かなくても、よそ見をして脇道に逸れることも何でもOKなのです。
いつでも選べる。ただそれだけです。




今後も楽しく学ぶ道をご一緒出来ますこと、楽しみにしております♪






昨日の前半は吉祥寺でかわゆいお嬢さんとお会いする用事があったので、意気揚々と繰り出しました♪


…………暑い(笑)。

んもー毎日毎日残暑が厳しいです。
でも湿気が大分落ち着いたような気がするので、日陰に居る分には体力を削り取られる感はあまり無かったかも知れません。



さて、ごはんです。
BBQ HOKKAIDOという、スープカレーのお店でお昼を頂きました。
…私にとっては朝なんですけどね(笑)。
以前もランチタイムに立ち寄ったことがあるのですが、既に美味しいことは確認済みなので、今日は違う物を食べよう…と画策して店内に入った所。

なーんと、お店の中にお友達が居たんですー! 
話しかけられて思わず「ぅわぁ!!」と叫んでしまいました…あービックリした。
地元ならともかく、吉祥寺でバッタリ遭遇するなんて奇遇も良い所です(笑)。




カレー

この日はキーマ風納豆カレーを頂きました。
挽き割り納豆がスープカレーの底に沈んでいます。あとは野菜がゴロゴロ。
うまいー。納豆超うまいー。日本人で良かったー。
最近あまり納豆を食べていなかったなと思い立ち、ここ一週間で三回位納豆食べているんですが(笑)。

ライスは、北海道米を使った雑穀ごはんです。
雑穀米や玄米は低GI食品で、血糖値の急激な上昇を防ぐ優秀な食べ物です。
白米よりもこちらの方が、身体(膵臓)の負担は少ないと思われます。
……とかそれっぽいこと書いてますけど、単純に雑穀米が大好きなんで、嬉しかっただけです(笑)。




中道通りに入って、AVRIL(アヴリル)という毛糸専門店へ。

木綿・麻・羊毛やカシミヤといった毛糸の他、アクリル・竹素材・和紙素材・ステンレス素材(!)等を使用した様々な毛(?)糸が並んでいて、店内とてもポップでカラフルです。

各種毛糸を使ったシュシュの手作りキットが販売されており、私も2つ程購入しました。
制作は指編みで簡単とのことで、それなら編み物はお手上げな私でも何とか作れるかも知れない…と一縷の望みを託しつつ(笑)。
こちらは後日様子をupします!






その後は中道通りを駅方面へ引き返した途中にあった、紅茶専門店PRIUS CAFEに入りました。
小さな店内はとてもスッキリした作りで、シンプルモダンです。
階上には美容室があり、そちらの美容室がオープンした紅茶屋さんだそうな。


ロイヤルミルクティー

アイスのロイヤルミルクティーを頂きました。美味しかったです~。
近年の吉祥寺は紅茶専門店が増えて、とても嬉しい限りです(笑)。
今度はケーキを食べたい所存です。
今回はランチ後で結構満腹だったんで、諦めました。次回こそ!(笑)




吉祥寺って入れ替わりが激しくて、どんどん新しいお店が出来て行きますよね。
長年通っていても、行く度に新しいお店を発見します。
またウロウロしてみたいなあと思いながらの、楽しい吉祥寺探索でした。







今日の記事は大変恐縮ながら私事の内容になりますので、ご興味の無い方はスルーして下さいね。



大昔、私は週刊誌の編集部に勤務していました。
その時代の先輩が、飲み会にお誘い下さったので新宿へ行って参りました。
あ、お昼は吉祥寺探索をしていたのですが、記事が長くなるのでまた後日upしますねー。



その編集部に居たのは、15年以上前のことです。
何故か最初から仕事に対する意識は相当強く、具合が悪くても遅刻・欠勤はゼロ。
睡眠時間を削ってでも振られた仕事は全て引き受ける、という生活をしていました。
平日は徹夜も多く、寝たとしても平均2~3時間しか睡眠を取っていなかったと思います。

今はメディカルサプリメントのお陰で体調を維持していますが、当時はそんな物を全く知りませんでしたから、ほぼ毎日瀕死の状態で激務をこなし、土日も出勤するという生活が続きました。



私は身体的問題の他にも心理的なマイナスパターンが非常に強かった為、良くして下さる方も多い反面、権力を使って壮絶にいびってくる人も結構居ました(笑)。
今だったらひょいっと避けたり出来るのでしょうが(下手をすれば返り討ちです 笑)、当時はどんなに理不尽なことをされても言われても
「よく分からないけど、自分に問題があるからこういう風にされるんだ。もっと頑張って人よりもっと仕事しなきゃ」
と追い込まれた思考がそこで凝り固まり、反抗も告発もせずにじっと耐えて仕事をしていました。
生理が何ヶ月も止まり、胃に穴が開いたり胃痙攣を起こしたりして…所謂ノイローゼですね。
今ならパワハラで告訴して絶対勝てるレベルだね、という話なんですが(笑)。

それでも仕事は好きでした。
重宝がられて色々な所へ連れて行って貰え、当時ぺーぺーだった自分には決して縁が無かったであろう各社の社長さん達にインタビューさせて貰えたり、お食事に同席させて頂いたり。
また、より面白い文章を書くことが評価の対象でしたので、とてもとてもやり甲斐があったんですね。
仕事面で評価をして下さる方は多くいらっしゃいましたので、辞めるという発想自体がありませんでした。


肉体的な辛さと精神的な辛さ、そして身内の病気等でぐるぐるに絡まった状態が続きましたが、ある日「そうか。辞めればいいんだな」と気付いたことで、やっと手を引くことが出来ました。
私はその時、逃げるのではなく『このゲームから降りる』という選択をしたのだろうと思います。

辞める時に、良くして下さった方々のご恩は一生忘れまいと会社を後にしたことを覚えています。
ご縁が薄れてからも、時々思い出しては「一部の方々にはよく助けて頂いたなあ」「周りの人には心配ばかりかけて申し訳なかったな…」と考えたりしていたものです。

あれから15年以上経って、今日。
当時お名前だけは知っていたものの既に独立されていた大先輩や、当時内部でお世話になった方々と御挨拶させて頂きました。



そこでの体験はあまりに強烈なものが多かった為、今でも鮮明な記憶が沢山あるのですが、それ以外にもポロポロと色々なことを思い出したりしました。
ただ、当時のお話しをしても感情が動かなかったなあと思います。
怒りや悲しみがこみ上げたり、というようなことが全く起きなかったんです。

昔はそこでの出来事がとても辛くて苦しくて、泣いても泣いても涙が止まらない日が続いたり、夢に見て魘される程何年も引きずっていました(今で言うPTSD的な感じだったと思われます)。
その後、気合いを入れてじっくりとパターン解消に励んだ甲斐もあり、今日は笑い話に出来ている自分が居ると気付きました。

そればかりか皆さんに何度も助けて頂いたこと、ご縁を頂いてまたこうしてお会いして下さること、昨日のことのように昔のお話をして下さること、また現状会社の状態について教えて下さること等々も有り難い話です。
単に同席させて頂けるだけでも、深く感謝を感じました。


とっくの昔に部外者になったのに、短い間しか居なかった私のことをちゃんと覚えていて下さって、
「本当によく働いていたよね、覚えてるよ」
「とにかく仕事が出来る人だったから沢山案件抱えてたよね」
「みんな心配してたんだよ」
と言って下さって、何度もありがとうございます本当にお世話になりましたと頭を下げました。
辞める時は急だったので、ちゃんと皆さんに御挨拶出来ていなかったんですよね。
随分と時間は経ちましたが、今になってやっと心残りを回収出来たような気がします。

ああ、私は成長したんだな。ちゃんと進んだんだ。それをやっと確認出来る所に来たんだ。
出来ることなら、あの時の自分を助けに行ってあげたい。
でもあの時があって、そしてそれを解消することで自己成長に一役買ったのも事実。
実際はどうだったら良かったのかは分からないなあ……と。
そんなことを考えながら、タクシーで帰って来ました。



もう消えてしまったと思ったご縁をまた頂けたり、当時は面識の無かった大先輩に今になって繋いで頂いたり、人と人の繋がりって不思議なものだと思います。
自分がある程度の段階に到達した時、それまで予想だにしなかった未知なる扉が開かれることは体験上知っていましたが、古巣の方々と新しい気持ちでお会い出来たのはとても新鮮でした。

大きな感謝と共に、食べ過ぎを後悔しつつ(笑)今日は寝ようと思います。






現在、栄養に関する書籍を何冊か読んでいる所です。
聞いたことのない名称が沢山で、いきなりそこから躓きそうです(笑)。




何度か書いていますが、人間の精神は脳が作っています。
『心』という呼び方をすると、何処か不思議な見えない所に存在しているように思えますが、実際は脳の中に存在します。
脳は肉体です。ここに運ばれる栄養が欠乏すると、神経伝達網が機能しなくなったり、赤血球が酸素を運べなかったり、情報をキャッチする受容体が減ったり、様々な障害が現れます。

鬱という症状の一つを取っても、実に様々な栄養の欠乏が関わっているようで、ある程度のアタリを付けるには専門的な知識が必要です。
精神的な原因を取り除けば消滅する症状は心因性の鬱ですが、それらが消えても症状が継続するならば、それは鬱というより、栄養が行き渡らないことに起因する症状である模様です。


気分のアップダウン、躁鬱、不安感、強迫観念、不眠、悪夢、倦怠感、寝過ぎて起きられない、精神的に後ろ向きのまま回復しない、悲観、過度の怒り、得体の知れない恐怖、誇大妄想、記憶力の低下、集中力の低下、直ぐにキレる、癇癪を起こす、過度の攻撃性、多動、神経過敏、自分をコントロール出来ない等々の症状は、実はメンタル(思いグセ)の問題よりも栄養の問題である可能性が大きいと記述されています。

様々な文献や実験の報告が記載してありますが、たった一つの栄養が欠乏するだけで人間はこんなにも脆く崩れてしまうのかと言う程、その影響が詳細に記されています。
わーん栄養の欠乏はこわいよー(笑)。



我々の身体には受胎時にインプットされる遺伝情報の他に、妊娠時に於ける母胎の状態(栄養状態・精神状態)や生後の環境が、一生に対して重大な影響を及ぼします。
ここで言う生後の環境には、毎日の食生活が含まれます。

日本では多くの家庭で両親のどちらか、または保護者にあたる人間が食事を作るでしょう。
この時、食事を作る人間の好き嫌いが食卓に反映されます。
大人の都合・嗜好で、ある特定の食物に関して忌避する食生活をした場合、その家庭の子供はその食物に関連する栄養素が延々欠乏状態になったまま育つことになります。
日常的に食べ付けない物は、外でも食べなくなる傾向が強くなります。
例えば、それが心身の健全な発育に重大な影響を及ぼすことも当然乍らあるんだろうな…と思います。


大人の場合。
例えば外食が多いとすると、大人の好みはとてもハッキリしていますから、上記の如く更に栄養が偏ってしまうことが予想されます。
外でごはんを食べる時というのは、大体いつも同じ物を頼む人が多いですよね。
パスタばっかりとか、トマトソースばっかりとか、牛肉ばかり、クリームばかり等々。

嗜好は一向に構わないのでしょうが、外食にしても相当意識してバリエーションを組まないと、積み重なって行く先は何らかの生活習慣病か、精神的的な症状か? ということになりかねない…かも知れないと私は思います。
薬を飲んでも恐らく治ることはないし、大概副作用はあるし、下手をすると依存症を発症する可能性もあるしで、そうなれば頼れるのは副作用が極めて低い(完全無害な物も数多い)、自然の栄養素を凝縮したメディカルサプリメントでしょう。



ラク夢の月美まりえ先生から色々と教えて頂きまして、自分でも栄養療法の実践を続けて一年半位です。
全くと言って良い程に生活が変わり、生きるのが数段ラクになりました。冗談ではなくて、本当に。
メディカルサプリメントを服用するようになってから、肉体的なラクさの他に、鬱的に落ち込むことや突然襲って来る不安感、不眠、倦怠感、悲観なんかが殆ど消滅しています。
あれは意識ではなくて肉体面の問題だったのか…と、深く頷いた次第です。

日本では栄養に対する見識が今以て浸透しておらず、一般的にはカロリーと五大栄養素程度の認識しかありません。
が、実は非常に重要な要素を握っているのが細分化された栄養素であり、人体と非常に密接な関連があることがもっと広く知れ渡るといいな…と思います。



色々書いていますが決して脅している訳ではなく、きちんとした対処を取れば肉体的・精神的健康を回復する可能性が大きいということです。
カウンセリングの現場に於いても、私は現在この概念を使っています。

躁状態でペラペラ喋りまくって、全く聞き入れてくれないとか。
鬱々とし過ぎていたり、直ぐに怒る為にとりつく島が無いとか、記憶力が低下しているせいで何があっても覚えられず、日常に反映させられないとか。
話の内容がぶつ切りで、本人だけは繋がっていると思い込んでいるのに、実は荒唐無稽で全く伝わらないとか。

こういう状態の方には、まず栄養状態を改善して頂く所をスタートにしています。
肉体が整っていない時にどんなテクニックを使った所で、全く意味が無いからです。
抑もコミュニケーションが取れないケースが頻発する訳ですからね。
栄養状態を改善するには、栄養療法をスタートしてから短くても1ヶ月、長い人で3ヶ月のスパンを見て頂きたい所です(私のように極度の虚弱体質の場合は、体調に好転が見られるまで長くかかります)。
細胞が入れ替わるのに1ヶ月は掛かること、その間に発生するであろう好転反応等を考慮すると、3ヶ月は腰を据えて続けて頂いた方が確実です。





引き続き勉強を続けます。
もっと皆さんにフィードバック出来ることがあればいいなーと思っているので。

まずは専門用語を覚える所から、なんですけどね。
いやいや本当に(笑)。








金魚好きなんです。




何のカミングアウトだよって感じですか(笑)。




魚が好きなんですよね。泳いでいる姿が好きでして。
自分が泳ぐのも大好きです(笑)。





さて、金魚がいっぱい! というイベントがあるらしいと知り、日本橋で開催されているダイナースクラブ アートアクアリウム展2012に行って参りました。

気鋭のDJやアーティスト達とコラボのイベントなんかも盛んに行われているようで、それもあってか平日なのに結構な人出でしたよー。
お子さん連れの御家族や、ご年配のご夫婦、若いカップル、友人同士、そして私のように一人(笑)で訪れている方も居ました。


夜になると貸し切りイベントなんかもあったり、お酒が飲めたりするみたいです。
私はお昼の部に行って来ました♪

入り口の手前に何故かネイルのブースまで出ていて二度見しちゃいましたわ(笑)。
O.P.Iのネイリストさんが安くネイルケア・カラーで出店していた理由を知りたい…。
スポンサーとして協賛してるのかな?



なーんと太っ腹なことに、フラッシュを焚かなければ+動画でなければ場内撮影OKということで、張り切って撮影して来ました!
※重さを考慮して画像は小さく加工してあります。




entrance

■Zen Aquarium(禅アクアリウム/壁掛け水槽)
先ずは、入り口に埋め込まれた三つの水槽に入った金魚たちがお出迎えです。




flower

■Flower2 Aquarium(フラワーフラワーアクアリウム/花瓶水槽)
金魚の泳ぐ水槽と生け花アートの合作。
これを見るだに、ジャポネスクアートというイメージが漂います。




cube

様々な金魚達が泳ぐ水槽は、このように立方体をしていて、壁面に半分位埋め込まれているという作りでした。
数十秒ごとにライティングが変更され、水槽ごと幻想的な色合いに表情を変えて行きます。




Ping-Pong

こんな感じにボワーッと光ったり。




blue

こんな風に、白い模様の部分に光が当たって青く光ることも。
なので、「この金魚本来の色はどれ?」と思う瞬間も度々ありました(笑)。




hall

■Elegance Dance by gorgeous kingyo (華魚撩乱)
スペースは幾つかに分かれていて、ここは中央ホールとでも言いましょうか。
大きな水槽が沢山配置されています。




lamp

■Andonrium(アンドンリウム/行燈水槽)
こちらはレースが水槽に貼られていて、中にライトが配置された水槽です。
行灯風の演出ですが、しっかり金魚様が泳いでいらっしゃいます。風雅ですね~。




花魁

花魁

■Oiran(花魁)
多分このイベントのメインに近い展示品であろう、『花魁』とタイトルの付いた金魚鉢です。
「うわ、デカっ!」と驚きを禁じ得ませんでした(笑)。
これもくるくるとライトが変わるんですけど、金魚的には平気なのかなーとか疑問に思いながら撮影していました。




動かない…

全く動かない金魚様もいらっしゃいました。
驚くほど微動だにしない(笑)。




多面体

■Prisrium (プリズリウム)
このような多面体の水槽もありましたよー。
中に沢山泳いでいるのですが、多面体のせいで見える部分が乱反射し、一体何匹の金魚が居るのか目くらましをされている気分です。




DSC_0387.jpg

DSC_0388.jpg

DSC_0390.jpg

DSC_0398.jpg

■The Four Seasons Aquarium (水中四季絵巻)
錦鯉が泳ぐ水槽の背景にプロジェクタースクリーンがあり、そこに日本の四季を映し出すパノラマ絵巻です。
手前に反射している四角い部分も水槽で、壁面にも手前にも沢山錦鯉が泳いでいるという、半立体的な展示品ですね。




kaleidoscope

■Kaleidorium(カレイドリウム/万華鏡)
水槽に万華鏡が埋め込まれています。
覗き込むとチラチラ泳ぐ金魚が万華鏡の中に映り込むかも。




他にも片岡鶴太郎さんの絵が展示されていたり、金魚以外の海水熱帯魚が展示されている箇所もありましたよー。
大変美しい展示会でした。金魚いいわーいいわー。

内容のボリュームに比すれば、入場料がかなり安いように感じました。
9月24日までの開催だそうです。
ご興味のある方は行くべし!







結構昔の話になりますが、私は何もかもを批判的な目で観ていたのだと気付いた時、物凄く強いショックを受けました。


最初から批判する為に観る。
批判する為に聞く。
否定する為に情報を引き出す。



それは何故かと言うと、自分の正当性をずっと主張し続ける為です。
自分が良いと設定したもの以外は排斥する為に、わざわざ批判する気満々で物事を観ていたんですね。
見たり聞いたりした後で振り分けているのではなく、最初からターゲットが決まっていて(この場合は否定や批判)、内容が何であろうと言いがかりを付けて強制的にそこへ押し込めるという作業をしていた訳です。

自分以外を否定する・批判する=自分は正しいと主張し続ける理由は何かと言えば、それが本当のことではないと何処かで知っているからでしょう。
少なくとも全世界共通の認識ではないというのが事実ですし、それを一部では理解しているからこそ声高に主張し続けるのです。



例えばハイブランド品は一般的に良いものとされていますが、全く価値を感じない人も沢山居ます。
「○○のブランドだから流石に良いわよねー」
という会話は、同じ認識(ブランド品=良質)を持つ人達同士でしか成り立ちません。
極小さな宇宙でのみの言語になります。

そのフィルターを持っていなければ、決してそうは見えないことでしょう。
なので、こういうタイプの方には「高額商品やブランドものは良い」という観念があり、それを通してしか見ていない。真っ新な状態でそのものを見ることが出来ない。ということになります。



ところで先述しました私の批判フィルターは、"おかんフィルター"と言い換えることも出来ます(笑)。
「おかーさんが○○って言ってた」というアレです。
別段母のせいという訳ではないのですが、私の中で母の影響は絶大でございましたので、結果的におかんフィルターが標準装備になってしまったという訳ですよ。

あれは良くない、ダメだ、人間はこうするものだ…というものを列挙して行くと、そのまんま亡き母が言っていたり思考していた内容に当てはまることが多くあります。
これまでに気付いたものの内の幾つかは自力で外しましたが、まだまだ沢山あることと思われます。


これは私自身の価値観じゃない。
自分が信じるべきは、最低限でも私が体験した処から生まれた思考や感情なのであって、母の価値観じゃない。
最初からフィルターを通して物事を見れば、当然結果は最初に設定した処へ行き着くに決まっている。
端から批判しようとしているから、幾らでも批判出来てしまうんだ。

ああまたやってるよ、これは私じゃない、だから批判するな、その目で見るな、フラットに見ろ、センターへ戻れ……と呪文のように繰り返していた時期もあります。
流石に口には出しませんでしたが、これをその都度口に出してたら相当危ない人です(笑)。


自分が多くのものを否定し続け批判し続けて来たから、自分も世界から否定されたり批判されていたのだと気付いた時、世界が一変しました。
いえ、世界そのものは一切の変化が無くてそのままでしたが、見え方が変わった、捉え方が変わったということです。
見え方や感じ方でさえも自分で選べる、善し悪しは自分の観念の反映でしかなく、その対象の絶対的価値ではない。
これも全て投影であり、同種の法則であり…ということですね。

もし他人から何かを言われてショックを受けるなら、自分がそう思っているからです。
図星を突かれてマインドが動揺するんですね。
「自分が言わせた」ことには他なりませんが、「じゃあその意味は何?」とかいう面倒な話ではなくて、自分がその思考を持っているというだけの、非常に単純な構図になります。



ところで"おかんフィルター"というのは、先日のワークショップで出た造語です(笑)。
自分が体験的に獲得した価値観や観念以外の、他人から刷り込まれた価値基準ですね。
偶々この時出た対象がお母さんだったので、平たく言うと"おかんフィルター"だな。という話になりました。
改めて書いても、ギャグとしか思えませんな~(笑)。

色々な形で気付いたり理解して行くことが出来ますが、とにかく先ずは自己観察からです。
このフィルターを炙り出す作業は自分自身を取り戻す作業でもありますので、やればやっただけのことがあるのだと思います。





毎月のワークショップ後は、お時間のある方々と一緒にお昼ごはんを食べに行きます。
今月もありがとうございました、という感じでちょっとした打ち上げです(笑)。

中には月イチでしかお会いしない方もいらっしゃいますし、ご参加された皆さんはお互いそれぞれにお話ししたいことや訊きたいことが山ほどあるので、3時間のワークショップ内だけでは到底終わらないんですね。
結果、延長ワークショップか? みたいな感じになっています(笑)。



今年から参加されるようになった方が、夜にメールを下さいました。

沢山お話し出来まして、もう本当に楽しかったです。
何だか夢中で楽しんだことが本当に嬉しかったです。



頂いた文面からは、楽しい! 楽しい! という気持ちが溢れていて、それを読んだ私も嬉しかったです。




子供のような気持ちで、目の前のことに夢中になる…というのは、大人になって行く過程で忘れてしまうことが多いのかなと思います。
時を忘れてただひたすら楽しむというのは、モノや情報に溢れた現代に於いて、案外難しいことなのかも知れません。

「ふうん。それをするとどんな良いことがあるの? 何か得するの?」
と、大人の打算的な思考で選り分けてしまうこともあるでしょう。
今・この瞬間を感じることは、やろうとしてもやろうとしてもそう簡単には得られないものです。
だからお坊さんや修行者は俗世間との交流を断って、それだけを求める道へ入ってしまうのです。
じゃあ一体そこまでする価値があるのか? ってことですね。



本当は幸せで恵まれている筈なのに、ただそれを認められないとか気付けないという方は、現代日本には多くいらっしゃると思います。
状況的には幸せなのに、それを感じられない。
いつも不満や不安、怒りや怖れに絡め取られていて、本当はいつでもそこから視点を変えることが出来るのに、ずーっとそこから動かずに居るというのを続けてしまう…ということも、案外多いでしょう。

ただその瞬間を目一杯楽しむとか、外付けの条件如何ではなく自分の中が嬉しい気持ちで一杯になるとか、そういうことを自覚的に感じられたら、とっても幸せなんだと思います。
その瞬間に、"満足"を味わうことが出来るのですから。


元気なお子さん達を見ていると、「生きるの楽しそうでいいなあ」と思います。
生きることそのものが楽しい! 嬉しい! 俺、生きてるー! って感じです(笑)。
ああいう風に生きられたら、人生はずっとシンプルに違いない。と私は考えます。
それぞれの方によりけりで好みはあるでしょうから、大人風に生きたいのーというのもアリですね。

単に私は頭の中の大部分が子供なんで、より子供らしい子供に憧れを覚えるのですよ(笑)。
自分もああいう風に子供をやりたかったなあと。
私は環境的な問題で、"子供で居ること"が出来なかったんですよね。
だから中途半端に子供だし、大人の部分もあるし…で、ごっちゃに混ざっていたんです。
自分に向き合い続けることで大分整理されて来ましたが、それと共に何故か中身は年齢を逆行しているという…(笑)。
小学生のお子さん達と気も合うし話も合うしで、外見年齢と中身がそぐわな過ぎですよー。



ああなったら幸せなのに。
あれさえ手に入れば幸せになれるんだ。
これが無くなれば満足するのに等々。
いつでもエゴは不平不満を囁きます。
しかしその殆どが嘘であり、今・現在から目を逸らす為の欺瞞です。

その瞬間を全力で楽しんだり集中出来るなら、永遠に"今・この瞬間"が続くのです。
過去の妄想、未来への恐怖に振り回されることもなく、"今"が連続して行くだけです。
明日こうなったらどうしよう、過去こうだったから今後もそうに違いない。
我々はそんな妄想ばかりで、人生の大半を消費しています。
エゴが創り出す過去と未来のトリックに気付き、今を楽しむ・喜ぶという選択をし続ければ、本来不要である筈の悩みや苦しみから解き放たれることでしょう。



誰もが持っている子供のように今を楽しむという姿勢を、ちょっとでも生活の中に呼び起こせたら、生きることがラクで楽しいんじゃないかなーと思います。




気付いたら9月でした~。
まだまだ暑い日が続いておりますことで夏が終わった気もしないのですが、暦の上ではしっかり秋ですね。
ショーウィンドウも秋冬物の服が並んでおり、見るだけで暑苦しいという事態に(笑)。


さてそんな中、9月度のワークショップでした。
ご参加下さった皆様、ありがとうございました!

今日に至るまで、様々なご報告を頂いております。
特にここ数ヶ月は、皆様の意識の進歩や成長が顕著で、とても嬉しく思います。

彼が出来ました! とか、調子の悪い日が全くありません!
というご報告を頂くと、皆さん本当に凄いっすなー! と感心するばかりです。私も是非そうなりたいものです(笑)。



本日のワークショップ内では、

「時間、年齢、才能、努力、性別、環境等々全ての制限が無く何でも出来るとしたら、どんな仕事をやってみたい?」

という質問をしました。
そしてその理由は何故かということについて、ディスカッションやシェアをして頂きました。


それぞれが挙げて下さった職業の中には、色々なものがありました。
実際はそれに対するイメージ、それを通して何を得たいのか、何を感じたいのかにポイントがあります。


その仕事をしなければ得られない感覚、というものは実際あまり無いのだと思います。
今している生活の中で、得たいと思っているものを感じたり意識して行くことは可能ですから、わざわざその仕事に就き直す必要も無い、と(笑)。

でも、その仕事をしてみればしてみたで、新たに発見したり気付くことは沢山あるでしょうね。
予定には無いのですが、まかり間違って生まれ変わっちゃった場合(笑)、私はそれになってみたいなーと思うものはあります。
ロックミュージシャンでーす。超カッコイイのでひとつ(笑)。



また、行動として視点を変えるということについて体験して頂きました。
私がいつも座っている主催者の椅子にそれぞれ順番に座って頂きまして、それぞれの方が何を感じるかについて訊いてみました所。

・全く何も感じません
・怖い
・搾取される気がする
・ごめんなさい、見ないで下さいという感じ

といったようなご意見が出ました。
座席一つ取っても、全く違う反応が出るということですね。
日頃の生活に於けるスタンスや、多対一という時にしようとするポジショニング等について、それぞれクセがあります。
そういったことを知って頂く良い機会になったと思いますよー。
生活の中でも、こういったことが自己観察や自己理解を深めるのに役立つといいなーと思います。






現在確定している以降のワークショップスケジュールです。


★10月度
10月7日(日曜) 11時~14時


★11月度
11月11日(日曜) 11時~14時


★12月度
12月9日(日曜) 11時~19時(予定)

※12月度スケジュールは予定であり、現時点では未確定です。確定次第upします。

詳細はホームページへどうぞ。





また皆様と共に楽しく学びの場をご一緒出来ますこと、楽しみにしております!





プロフィール

Sachi

blog owner:Sachi
潜在意識を活用した、ちょびっとスピリチュアルな総合セラピー、癒しのワークショップ・タロットカードセッションをしているSachiです。
穏やかに楽しく成長出来るよう、入手した情報や、日々の気づき&
発見などをシェアして気ままに更新。
イベント情報も随時掲載中です♪

※記事の内容、情報については一個人の捉え方、考え方に纏わるものが大半です。
絶対的な事実という訳ではありません。
また、私の理解や気付きの段階に応じ、記事の内容にも随時変化がありますことを何卒ご理解下さい。
過去の記事をご覧になってセッションやワークショップにご興味を持たれた方は、最新記事近辺を幾つかご確認下さいませ。


旧blogタイトルは『気づきのステップ』。


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