resonance

Entries

Date : 2012年08月

◆ Infomation

【works】
★ヒーリングセラピー個人セッション
 都内で対面式の個人セッションを行っています。
 幸せと癒し、学びと気付きを得たい方へ、様々に対応させて頂きます。
 潜在意識を日常へと活用することで、より良い人生へ変えることが可能です。
 随時お受けしておりますので、サイトをご覧下さいませ。

★癒しのワークショップ
 毎月一度、都内で女性向けの体験型ワークショップを開催中です。
 沢山の変化・癒し・浄化・成長・気づきを促すテクニックが山盛りです。
 2017年8月13日・9月3日・10月8日(全て日曜)
 の開催が現在確定しております。全て11時~15時です。
 ※以降の開催は決定次第upして参ります。
 ※それぞれ内容の詳細はサイトをご参照下さい。

今日で8月が終わりですね。
あっという間のような1ヶ月でした。毎月思っていますが(笑)。



フリーランスでアナウンサーをされている山口智子さんが、blogにセッションの体験談をupして下さいました。ありがとうございます。
体験談記事の個別リンクはこちらです!


記事から一部引用させて頂きます。



★☆★


ここ数年、sachiさんのセッションやワークショップに参加させていただいていますが、毎回新たな発見がありますし、1年前…半年前…比べてみるとマッハ級の勢いで楽しいこと、嬉しいことが増え、生きやすくなったなぁと感じます。
まだまだ途上ですが自分自身が変わっていったのだろうと思います。


いわゆる自己啓発、成功哲学、引き寄せの法則、運を上げる、スピリチュアルなど…そういった類の本が好きでよく読んでいましたし、セミナーへ行ったこともありました。
でも、何も変わりませんでした…。
自分が行動しなかった、やり方が合わない、現実は変わったかもしれないが、根本が同じなので同じパターンを繰り返す…などいろいろ理由はあるかと思います。

たぶん変化があるないの大きな原因の一つに、体験に基づく事実を的確に尚且つピンポイントの言葉で教えてくださり、時に真実(自分にとっては痛い部分も含め)をズバリ明確に言って下さる方に出会えるか、そして、成長を共にできる仲間がいるかどうか、というのも有ると思います。
私は仲間が居なければここまで来ることはできませんでした。



★☆★




ご参加下さっている方の中には、「色々とスピリチュアルな本を読んだり、各種セミナーに行ったりしたことがある」という方もいらっしゃいます。
本来そういうものに関心を持つ誰もが重視するのは、『現実が変わるか、変わらないか』だと思います。

現実に反映させる為、自覚的に参加している…という視点でご参加下さると、瞬く間に変化が起きるでしょう。
その場だけで慰めを得ようとしたり、正当性を主張したり、やって貰えるんじゃないの? な感じだとすると、肩透かしを喰らうと思います。
私は他人様の人生に対して、その人を肩代わりして何かを"やってあげること"は出来ないのです。


「この人はその場だけ心地良くなること(『あなたはそのままで良いのよ、素晴らしいのよ』etc.)を言ってくれる人じゃないんだ…と、参加した時に思いました」
と言われたりもしています。
お嬢様教育が一切無く、結果&合理主義・質実剛健ですみませーん(笑)。

業界に数多いらっしゃる女性のセラピストとしては、あるまじき厳しさではなかろうかと思います(うちに来て下さってる方々は皆さん優しいので、「優しいですよ!」と言って下さいますが)。
見た目は一応女ですが、頭の中はほぼ男なんです。ハイ。

その代わり、変化が出るスピードは恐らく相当速いのではないかと思います。っていうかみんな速い!
セッションやワークショップの翌日に○○がありました! というのもよく伺います。
一度でも自分の内面と現実世界がリンクしている事実を知れば、もう続けるしかなくなります。
場合に依っては辛い事実を直視する必要もあるでしょうが、そんな中でも頑張って食い下がり続けたことで現実が変わった人は結構多くいらっしゃいます。


分かった! …ような気がする。
ああ、素晴らしい! 私はこのままでいいんだ! …と、思ったような気がする。
────ってのはウチに売ってないよ。
というのは毎度お話し申し上げていることです。

現実を生きやすくする為だけにどうぞ使って下さい。逃避先としてスピリチュアルを使わないで下さい。結果を出しましょう。その為に、日々の意識を変えましょう。
というのがウチの商品です(笑)。

とは言え、そのままでも良いんですよ。そりゃもう全然構いません。
ご本人がそうしたいのに、周りがダメという理由はありませんからね。
しかし、そのままだと芳しくない結果があるから変えたいってことで此処に来たんじゃないの? もっと幸せを感じたいとか、喜びたいんじゃないのかなー? という話になります。
何とかしたいんです! と来ておいて「それはやりたくありません!」は無いでしょうよー。と(笑)。



一言で言うと、自助努力という回路を身に着けて頂くのが目的です。
自分で自分の人生を創り出していて、コントロールしているのだということを自覚して頂き、その上で取捨選択を自ら行い、発生した結果を引き受ける。
という一連の流れを当たり前のこととして身に着けて頂けるように、というのが私にとっての変わらぬ目的なのです。

他人のせいにしないこと。
自分で選んだという自覚を持つこと。
責めたり逃げたりするのではなく、投影を知ること。
そして、自分の人生を自分で選び続け、発生した結果を引き受けること。
その上で生きる喜びや楽しみを沢山見出して頂ければ、私はとても嬉しいです。



それなりに長くカウンセリングをやっていますが、重大なトラウマが元で生きて行くのが凄く大変…という方には、実はあまりお会いしたことがありません。
ご自分が何と仰るかは別ですが、私の視点から見た限りでは(居ないとは言いませんが)、それ程多くはいらっしゃらないように思います。

ただ、視点を変えれば良いだけ。
フォーカスする方向を変えてしまえば、問題なぞ姿も形も掻き消えてしまいます。
ご自身に備わった現実化の力が非常に強いあまり、逆に問題を創り出してしまっている…という方が実は多いのです。


例えば「嫌なことは全て他人のせいにする」という意識のパターンがあると、「嫌なことを他人の所為にし続けたい」という理由で、嫌なことを起こし続ける可能性があるということですね。
これを本末転倒と言います(笑)。
でも実際、とても多いんですよ。
暫くは認めるのを抵抗してエゴが暴れますが、他の可能性を潰して行くと、残るのは自分の選択だけです。

ああ、自分でやっていました。その為に、他人を利用していました。
ということが分かる時、"問題"は存在する必要が無くなります。
このトリックに気付いた瞬間、自分は自由であったと知ることが出来、自分の人生は全て自分で創り出しているのだと理解が進む訳ですね。



現実に変化が起き、それを喜んで下さること。
自己を知ることで生きる力が身に付き、生活を楽しんで下さること。
そうなって下されば、私にとっても有り難いことです。

皆さんが幸せと満足を感じ、生きていることに喜びを持てますようにといつも願っています。




先頃、「あ。お金って減らないのか」と気付いたことがあります。
今回のお金を含め、諸々の事象については段階的に理解や気付きがあるのですが、これはちょっと面白いなと思うような気付きでした。
以下は、あくまでも私の理解や見方の一部・一側面とお受け取り下さいね。




コンビニに行きます。
おにぎりを100円で買いました。

この時、おにぎりを手に入れる代わりに、100円玉を渡すというアクションが発生します。
『おにぎりが手元にやって来る』ことと、『100円玉が手元から離れる』という二つの事象が、脳内で関連しておらず乖離していると、「100円が無くなった」という結論に達するでしょう。

若しくは、物々交換の一種としてお金を使用している。
という風に捉えている方も多くいらっしゃるでしょう。学校ではそう習いました(笑)。
おにぎりと交換出来る、同じ価値を持ったモノがお金。ということですね。
一般的な買い物の認識は、この二つだと思われます。



何を当たり前のことを…という感じでしょうが、とりあえず続き。




この一連の流れに於いて、100円とおにぎりは完全に等価と見なすことが出来ます。
分解して価値・エネルギーという状態にしてみると、完璧に釣り合っていると言い表せます。
エネルギー(価値)単体として見てみると、この場合おにぎりは100円玉であり、100円玉はおにぎりである。と言えます。
だからこそ交換という現象がそこで成立するのです。
あ、質量がどうのという物理的表現ではなく、形而上学的表現では、の話ですよ(笑)。


よくあるスピリチュアルっぽい考え方として、「お金はエネルギー」という言葉をご存知の方もいらっしゃるかと思います。
これは一体どういうことかと言いますと、今回の私の理解では
『エネルギーとして見た時に、お金は完全に対象物と等価であり、完全な互換性がある』
ということです。
偶々貨幣の姿をしているものの、それは結果的におにぎりだったりパンだったりパソコンだったり雑誌だったり洋服や道具や人の労力だったりするのです。


概念的な話ですので、ちょっと分かりづらいと思うのですが。
お金が"ただそのまま"で価値を持つということは、一切ありません。
何か他のものと釣り合うということが設定されて初めて、お金そのものにエネルギーが付加されます。
お金を通して、あらゆる物や労力やサービス等のエネルギーが表現為されているだけです。


"お金という道具"を使って、色々なエネルギー(価値)を手に入れることが出来るという話、ですね。
お金という関所(フィルター)を通り抜けてエネルギーが変換され、それらは我々の手元や世間様を行ったり来たりしているのです。




100円玉を出した時、確かに物質としては100円玉がお財布から一つ消えた・無くなったと言えます。
しかし、それによって100円分の価値がある物(=ここではおにぎり)が手に入ったことになります。
両者は等価であると考えると、姿を変えて戻って来ただけです。
つまり、価値(エネルギー)としては全く減っていないことになります。

屁理屈だー! だってお金自体は消えたじゃないか!
と言われるのを重々承知で書いています。分かってます分かってます。
とりあえず続き~。



ここでは、『お金を出して買った物は自分が手に入れる』という動きを前提としましょうか。


お腹が空いたからおにぎりを100円で買いました。100円玉を支払いました。
直ぐに食べました。お腹が膨れました。栄養として分解・吸収されました。100円分の価値があるものとして。


結論。
自分は100円分の価値がある物を差し出すことで、100円分の価値を手に入れました。

自分が持っていた100円分のエネルギー(価値)は、消えて無くなりましたか?
手元から離れて戻って来ないのでしょうか。




お金は自分に払っている。姿を変えて戻って来るだけ。
という見方が出来るようになると、お金の不安が大幅に軽減されて生きることがとてもラクになるだろうと思います。

貨幣社会に於いて、金銭の価値が握っている部分は絶大です(と、一般的には思われています)。
となると、この観念から解放されることで、どれだけの喜びや生きやすさを手に入れられるでしょうか。
なまじ個別の形を持っているから、『お金』という物が何か特別な力を持っているかのような先入観を抱いてしまいますが、それはそれで必要だからその形で存在しているということで、そこはまあ…今回に関してはどうでもいいです(笑)。

『お金は自分に支払っている』ということを自覚的に意識出来るようになれば、損したとか得したとかいうことでいちいち一喜一憂せずに済みますよね。
無くなる、という不安から解放されれば安心感を感じることも増えるでしょう。
そうすると、心理的な負担やそこから来る身体的負担が軽減されて、生きることがとてもラクになると思うんですよ~~~。


下手に質量があり目に見えるモノとして貨幣が存在していることで、それを差し出せば「無くなってしまった」と定義付けられてしまいます。
その姿として言えば、目の前から消えますからね。
そうすると、どんどん底が尽きる程に無くなり続けるんじゃないか…といった恐怖が発生します。
恐怖へとフォーカス先が固定されて、まるでそうなってしまったかのような痛みを味わいます。

でもそれは妄想です。現実ではありません。ただの妄想。
無くなってはいないし、抑もお金という物自体が人間社会の概念上存在しているだけの仮の物、元々バーチャル的産物なのであって、それ自体が特殊なエネルギーを持っている訳ではありません。

数学とか物理で言う処の、「○○と仮定すると…」っていうやつです。
実際は存在しないんだけど、まあ仮にそれがあるとして記号を此処に使いますよー、というアレですね。
あれ? 合ってます? 違うかな(笑)。
いや、理数は全くお手上げなんで…何となくこうかなーと例に出してみただけなんですけど(笑)。うっかり墓穴掘ってたりしてハハハー。



お金自体には何のカラーも無いし、単なる概念の道具であってそれ自体の価値はプラスでもマイナスでもなくゼロなのですが、人間が観念のフィルターを通して観ることで、如何様にも違って見えることでしょう。

分かち合いの心、シェアというものを理解して行くと、お金に付いても理解が深まる可能性があります。
他人へ与えることで自分も自然に喜べるような状態は、お金についても同じことが言えます。
与えることと受け取ることは完全に同義で、同じエネルギー量を持っている…という理解は、上記のようなお金についての理解と共通するものがあると考えています。




富豪の方々の考え方に、「儲かった分の10%程度を寄付やチャリティに回す」というものがあります。
その10%も、上記の考え方で行くと自分に寄付していることになるのでしょう。損しているとは思っていない筈です。
意識の仕組みから行くと恐らくそうなんだと思います。
大枠で見て自分に寄付するからこそ、収入がまた増える。

目に映るもの全てが投影の世界だとしても、同じです。
相手は自分なのです。お金の持っているエネルギーを渡す相手は、あくまでも投影している自分。
やっぱり自分に払っているということになりますね。


お金は常に自分に払い、自分に対して使っていて、姿を変えはしても決してそのエネルギーは減らないのだ…と気付いた時、私は
「んあぁあぁあ!!」
と言ってしまいました(笑)。

驚き過ぎて気が抜けたというか、エネルギーだと知ってはいたつもりなのですが、やはり何か形あるモノで増減するというイメージを持っていたのだなと分かりまして。
いやーちょっとしたカタルシスでした。幾重にもビックリです。


書き方として分かりづらかったかも知れませんが、今の処ではこのような理解です。
更に自分の中で気付きや理解が深まったら、もう少しお読み下さっている方々に分かりやすく書けるかも知れません。
それまでお待ち頂ければ幸いです~。

私は理解が進むのにとても時間が掛かってしまいましたが、皆さんはとても賢い方々だと思いますので、これで分かって頂ける可能性もちょっぴりあるんじゃないかと考えています…どうでしょ?
皆さんにご理解頂けるよう、更に上手く伝えられるようになりたいです。切実に。
…って、書いて伝えるプロではあるのですが。もっと精進しまーす(笑)。




蛇足ですが。
先日読んだ本に、『富豪は風水的な財布を持っていない』と書いてありました。
風水的には、例えば"黄色い財布が良い"とか言うじゃないですか。
でも大金持ちの人達は、誰一人としてそれを持っている人が居ないそうな。
では何故、風水の本なんかでは黄色い財布を推すのかと問いたい(笑)。

一つの見方としては、お金が欲しい欲しいと思い続けていると、『お金が欲しい状態』をやり続けることなる。というものがあります。
なので、象徴的に「お金が欲しい状態」を表す黄色い財布を持つことは、あまり意味が無い上に場合に依っては足を引っ張るのではなかろうか…と思います。
本当の処や解釈は人によってまちまちでしょうが、私はそう思うというだけです。

実際はどういう財布を持てばいいのかと言いますと、使う度・見る度に嬉しくなるような、お気に入りの自覚があるお財布なら、そしてそれを楽しく使えるならば何でも良いのだと思いますよ~。


嫌々ではなく、楽しんでお金とお付き合いして行けるといいですよね。
こういう発見や気付きがありました! 自分はこういう理解をしました! という方は、是非私にも教えて下さーい(笑)。






もうすぐ8月が終わりますね。
まだまだ猛暑という日が続いていますが、皆様どうぞご体調等崩されませんように。
……私も、ですが(笑)。



去年の今頃、私はくじ運を上げる実験をしていました。
過去ログの何処かに記事があると思います(笑)。

『運』という言葉は日常的な場面で頻繁に使われる割に、その定義は非常に曖昧なものです。
その言葉を使う人に依って、また使われる場面に依って内容や意味は変わって来ると思います。



私はくじ運が非常に良くない人でした。
ジャンケンをすれば勝率は5割を切り、勝負という勝負には結構な確率で負けるという…そして判官贔屓になってしまいました。投影以外の何者でもないですな(笑)。
福引きは参加賞だし、抽選モノや競争率の高い何かには当たったことが殆どありませーん。
僅かに引きの強さを発揮したこともありますが、それは超特例の動機があったので、ちょっと除外。

運が悪いと言うよりも、『常に他人様より下を行こうとする』観念に依る部分が大きかったのではないかと思われます。
くじ運然り、ジャンケン然り。
「他人に勝ってはいけない」「誰よりも下を行かねばならない」という強烈な観念が、ずーっと私の人生を支配していました。


表面的にはやっぱり悔しいんですけどね。ジャンケンするなら勝ちたいものですよ(笑)。
偶には良い目を見たいー! とか思ったりしていたのですが、そんな顕在意識よりも圧倒的な強さで潜在意識が人生を動かします。

「ダメダメ、人を押し退けるなんてその相手が誰であっても絶対に出来ないでしょ」
「自分がそれを取ったら、他の人はどうするの? 死ぬほど欲しい訳じゃないんだから、もっと欲しがってる人に譲りなさい」

と、潜在意識が常に言っていたのだと思います。
それが謙譲の美徳であると解釈されることもあるでしょうが、少なくとも私は人並み程度には運を上げたかったんです。


長いことモソモソとこれの解除を続けて、最近やっと人並みっぽくなって来た気がします!
…気がするだけかも知れないけど。
でも、以前に比べたら凄く良くなってる気がします!
…気のせいかも知れないけど(笑)。

そろそろちょっとは進んだかな? というのは、現実に反映されているかどうかで判定出来ます。
なので、時々「今の自分はどの辺りをウロウロしてるのかな~」という意味で、運試しなんかをします。
最近あったことでポイントになったのは以下の二つ。



★滅多に繋がらないと聞く、超人気手相観さんの鑑定予約電話が開始10分で繋がった。
あ。9月の予約が取れましたので、鑑定して頂けたらblogに記事書きますね~。
これまで手相を観て下さる方にはあまりご縁が無かったのと、とても有名な方なので結果が楽しみです!


★買い物をした折、セールで10%off+限定キャンペーン中で"スタッフさんとジャンケンして勝てば更に20%off"に勝つ。
レジ前で誰に憚ることなく「ぃよっしゃー!!」とガッツポーズしていたのは私です。
スタッフさん達、苦笑してたような…(笑)。
2回勝てばOKルールで、1回目あいこが3回続いた後に勝ち-2回目はあいこが2回の後に負け-3回目あいこが2回の後に勝ち…という微妙な線でした。今後は2タテを目指したい所存です。
因みにあいこが続いた時、いちいち頭の中で「勝ちます!」と力強く宣言していました。
いや、瞬間毎に仕切り直してパワーバランスを崩しに掛からないと、これは勝てないと踏んだので(笑)。


「あらー。こりゃもしかしてリアルに運が上がってるんじゃないかい?」と思いました。
多少のモタつきはありましたが、結果を見ればどちらも勝ち抜けたことになります。
両方ともここ1ヶ月以内の出来事です。
ということは、結構潜在意識の整理や改装が進んだのかも知れないです。



大変お世話になっているセラピスト先生から2年位前に言われたのが、
「あなたは、世界全ての人達よりも遙か下に自分を置いています」
ということでした。オールドタイプ過ぎる…らしいです。

ずっと自分は傲慢だ傲慢だこれを何とかしないと…と思っていたので、このお話を伺った時は仰天しました。
えー! っていうかむしろ逆じゃないの? です。
その視点で仮に自分の人生を見てみると、「あれ…ひょっとしてそうかも…」と思うポイントが次々に出て来ました。
以前程ではないとは言えど、今でも自分は傲慢だと思っちゃってるんですけどー。ええ。
なかなか自分に対しての色眼鏡が取れませんです。くーっ。


で、この自分の価値や評価や優先順位をどうにかして上げる方法を模索して、実験を繰り返していたんですね。
いやー色々やりました。今もやってますけど。
こういう時に「お、チャンスだから進捗状況を試してみよう」と意識を持ってみると、分かりやすい結果が出たりするものだなーと思います。

わーい。ちょっと人並みに近くなって来たよー!(笑)
「ハードルが低い!」とかいうのはよーく分かってます。
でも長いことマイナスに抉れちゃっていたのですから、これで充分に大喜びです。



自分に延々取り組むと、きっちり結果は出るよなあ…としみじみ思います。
ただ、途中でやめないことが大事なんですが、長くやっていると「もーやめちゃおーかなー」と思う瞬間もあります(笑)。
しかし、やめたらやめたでそれまでと一切何も変わらないので、どうせラクに楽しく生きたいならやるしかない。
という道へ填りこんで、早ン年です。

こういう風に、結果が出てるぞ現実変わったぞヤッホーみたいな出来事で確認出来るからこそ、続ける価値もあるというものです。
10年20年前の自分を回想すると、よくもまあ生きて来たなあと思います。
その足跡を認めれば、確かにとても大きな変化はあったのです。
自分の『継続は力なり』も勿論ですが、多くの素晴らしい先生や先輩方のご尽力や、有益なアドバイスあっての現在です。
有り難いことこの上ありません。



今後も更に、引きを強くして行きたいと思います!





8月もそろそろ終わろうとしていますが、東京はまだまだ残暑の厳しい毎日が続いています。
大分湿度が下がってくれたので、移動を多少ラクに感じるようにはなりました。でも暑い(笑)。
そんな中、メディカルサプリメントのお陰様々で、本当に元気に過ごせていることが有り難い気持ちでおります。
栄養って本当に凄いわー。




さてさて、本日は映画の宣伝です!
実は数ヶ月前に映画 ひみつのアッコちゃんの試写にお連れ頂いたのですが、情報規制の為に詳細が書けないでおりました。
劇場公開が9月1日~ですので、そろそろ感想を書いて参ります♪

お友達の丸木弥雪(丸木みゆき)さんは、長年舞台を中心に女優業をなさっています。
映像作品では、以前に深夜放送されていた『闇金ウシジマくん』の実写版ドラマ1話・2話にもご出演とのことです。
最近またリバイバルされて映画版が公開されています! コンビニにも沢山コミックスが並んでいました。



その丸木さんが、綾瀬はるかさん&岡田将生さん主演の『映画 ひみつのアッコちゃん』にご出演されています。
クランクアップの後、試写に私とフリーランスでアナウンサーをされている山口智子さんを連れて行って下さったんです。
試写も何度かある中、最初の試写へお連れ頂き大変有り難く思いました。

"アッコちゃん"と言えば、原作は赤塚不二夫先生の漫画ですね。アニメにもなっています。
私の世代ですと、リメイク版アニメが記憶に残っているかな? という気がします。
鏡の国の妖精さんから貰ったコンパクトで、様々な職業の大人に変身する、所謂女の子的"変身もの"のはしりでしょうか。



漫画原作を実写にして大成功した…という例をあまり知らない私ですが、世間的にも成功例ってそれ程には耳にすることが無いように思います。
完全に別物として再構築した方が、良い出来になる…というのが、ちょくちょく聞く話ですね。
なので、敢えて"アッコちゃん"を題材に実写化すると、一体どう化けるのか? という疑問を胸に、試写へ向かいました。

結論から先に申し上げますと、大変に素晴らしかったです!!
ストーリーはよく練り込まれていて、大人が観ても子供さんが観ても納得出来るお話だと思います。
これから未来がある子供さん達が観れば、大人になることに希望が持てると思いますし、大人の方が観ればとても共感出来る部分が沢山ある内容です。
原作の"アッコちゃん"のエッセンスを随所に散りばめながら、現代のお話としてきっちりと作られています。


岡田さん演じる化粧品会社の開発社員は、夢を持って仕事に就いたものの、様々な利権や問題が絡んで夢が実現出来ない…というリアルにありそうな設定を背景に登場。
その中で偶然アッコちゃんと出会い、彼女の発言や発想を採り入れ、どんな風に工夫して良い結果を生み出して行くか…という挑戦のお話でもあります。

主演の綾瀬はるかさんは、そのまま『本当は小学5年生』のアッコちゃんを体現していて、とってもカワイイですよ!
変身する毎にクルクル変わる衣裳もいちいち可愛くて絶妙で、綾瀬さんの可愛らしさを十二分に引き立てていましたし、綾瀬さんのフレッシュな魅力にとてもナチュラルに似合っていました。
お話もですが、変身する綾瀬さんとその衣裳にも注目ですよー。


大杉漣さんやもたいまさこさん、鹿賀丈史さんや谷原章介さん、香川照之さん等々、脇を固める役者さんの配置もとてもバランスが良くて、観ている時間は中だるみも感じさせずに進んで行きます。
そして、警備員役で出演されているドランクドラゴンの塚地武雄さんの演技が本当に素敵で、ラストの畳み掛けるような展開に感動しました。
それまでの前振りもかなり絶妙で、「うわ、オイシイ処持って行った!」と思いました(笑)。

すごいー! と素直に思ったのは、久しぶりかも知れません。
とってもお勧めです。どうか沢山の方に観て頂きたい作品です。
親子で観ても共通の話題を違う視点でお話し出来るでしょうし、お友達やカップルでも楽しめる内容になっていますよ。


社会人を経験されている方が観ると、前半にある夕焼けのシーンでウルッと来るかも知れません。
サラリーマンの悲哀…みたいなものを感じさせるのですが、まだまだお若くてとても綺麗なお顔をしている岡田さんが、夕焼けに照らされて黙ったまま外を見つめている画は、女性ならクラッとしそうです(笑)。

子供の頃に誰もが抱いていた夢の実現と現実との狭間で葛藤を抱え、「それでも本当はどうしたいのか? 夢を貫く意志はあるのか? 体制に呑まれ、諦めてしまうのか?」という内容を、"ひみつのアッコちゃん"というモチーフを通して見事に描いています。

それは恐らく、多くの大人達が通っているであろう道ですよね。
夢と現実の狭間で揺れ動き、諦めと共に生きている人も沢山居ると思います。
そういう部分を今も尚、何処かに持っていたり、燻っている気持ちがある大人にとっては、勇気を貰える映画だと思います。


観た後は、ウキウキ感が残る映画でした。
明日(未来)を楽しみに思えるパワーを貰えるのは、エンタメとして素晴らしい物だと思っています。
日頃書いたり話したりする作業を仕事にする中で、悲しみや怒りを引き出すのは比較的簡単ですが、喜びを与えるのって格段に難しいなあと思うことが非常に多くあります。

他人様にウキウキや喜びを与えられるのって、凄いことだと思うんですよ。
ですので、こちらの作品を観ることが出来て私はとてもラッキーだと思いました。



(私にとっては)肝心の丸木みゆきさんですが。
内田春菊さん扮する『首相夫人とセレブな奥様方の会食シーン』にご出演です。
とある瞬間にオマール海老が飛ぶのですが(笑)、その場面にセレブリティな雰囲気で鎮座坐しておられます(笑)。
一人だけカメラで抜かれる処もありますから、「ああ、セレブ…」と思われましたらそれが丸木さんですよ~。


是非、皆様ご覧下さいね♪
私もまた映画館へ足を運ぶ予定です!





食べ物の好き嫌いは、人によってあると思います。
嫌いな物は特に無いです~という方も、食べる物は好きな物に偏るということはよくあるんじゃないかと思われます。


アレルギー等、身体的問題が発生すること以外での、単なる嫌いな食べ物ってありますね。
私は食い意地が張りまくっているので、殆ど無いんですけど(笑)。
食べることは人生の楽しみです! と言い切ります。
よく「本当に美味しそうに食べるよねえ」と、呆れられてるんだか褒められてるんだかよく分からないことを言われます。
多分褒められてるんだ。きっと褒められてるんだ…多分。

さてさて。
もし嫌いな食べ物がそこそこあるとして、その理由は何でしょう。
それを食べずに通って来たのだと思いますが、これを日常的にやると意識にどのような刷り込みが生まれるでしょう。



「嫌なことはしなくていいわよ」
「好きなことだけやりなさい」

的な教育を受けて来た人の多くは、所謂ニュータイプさん(自己愛強化型)の傾向が強まります。
強く言ったら可哀相じゃない! とか、嫌いな物が沢山あっても私は元気に育ったから、子供もそれで大丈夫! とか、いつか克服するかも知れないから、今はそっとしておきましょう。

…みたいな保護者の元で育つと、「嫌いな物は食べなくていいのだ」「気に入らなければ嫌だと言って良い」「好きな物だけ摂取して良いのだ」「今じゃなく、いつかでいいや」という観念が刷り込まれるでしょう。


嫌いな物は食べなくて良い=嫌なことはしなくていい、とも言い換えられます。
それを日常的にコツコツ積み上げると、ある程度大きくなった時に出会う「やりたくないこと」「気に入らないこと」から全力で逃避しようとする可能性が、どーんと跳ね上がるかも知れません。

大人になるに従い、不条理に思えることや、ストレスに感じることはどんどん増えて行きます。
もしそれが仕事なら、嫌でも何でもやらなければならないし、嫌いな人にも笑顔を振りまかねばならないかも知れません。
誰も褒めてくれないし、賞賛してもくれない、見てさえくれないかも知れない。
そんなこと、何処を見ても日常的にゴロゴロしています。


そんなの嫌だから見ないし手を付けません。
だって好きなことだけやっていればいいって言われたもん。
嫌いなものは食べなくていいし、そんなもの気にしなくても大丈夫って親が言ってた。
仕事場に嫌な仕事を押しつける上司が居るんだもん。やりたくないし嫌だから行かなーい。
────みたいな話になる可能性が、ある。と、私は思います。

これが現在蔓延している"新型うつ"と言われるもののひとつですね。
……というかこれ、私が想うに鬱じゃないんですけど(笑)。言うなれば『ワガママ病』です。
しかし近年、あまりに症例が多いので先生方も頭を抱えつつ「新型の鬱ってことにしておこう…」と言われているのではなかろうかと思います(私の勝手な予想ですが)。


食べ物の好き嫌いに対する対処も、生き方に対して結構な影響があると思うんです。
特に毎日摂取しなければ生きて行けないものですから、どう向き合っているかというのは色々な形で我々に影響を及ぼしているのでしょう。

……という仮説を知ったならば、今後はどう対処するでしょうか。
私個人の仮説なんで、正しいかどうかは知りません(笑)。
とはいえ、結構こんな感じで意識と関連あるんじゃないかなーと思ったりしています。




『気持ちが伴わないのを埋め合わせる為、形式上は頻繁にやりとりをする』
というケースがあります。


一見、仲良しに見える親子・兄弟・夫婦・恋人・友人知人等の人間関係。
表面上これといった問題は特になく、頻繁に会い、電話をし、盛んに交流します。

実情はと言うと、心の中にある寂しさを誤魔化す為に、とりあえず会う。連絡を取る。
会った処で話した処で楽しい訳でも嬉しい訳でもなく、喜びを感じられないことや寂しさが一瞬誤魔化されるからやりとりをする。
というものです。



『感じられない』というのは、自分は繊細だと思っている人の中にも割合多くいらっしゃいます。
何を感じられないかと言うと、愛や信頼感、安心感です。

このケースの方の中には重度の共依存に陥っている場合も数多く、親子でベッタリ(俗に言う"一卵性親子")、夫婦や恋人同士で常時ベッタリなど、一見すると仲良しでいいねーと言われるような可能性もあります。
本当に仲良しであるかということと、感じられないケースを見分けるポイントは何でしょう。


長時間一人で居ることが出来ない…というのが、高い割合を占めるかと思います。
時間が空くと、直ぐ誰かに連絡を取ってしまう。
または向こうから連絡を寄越させる(不可抗力に見える現象を起こす)。そして常時一緒に居ようとする等々。

穏やかな気持ちだろうが腹が立とうが特に関係はなく、兎に角長時間一緒に居ようとする。
この相手は誰か特定の人とは限らず、やたらあちこちの人に連絡を取ったり、ネット等のホビーにどっぷり、または仕事に没頭…という場合もあるでしょう。


余談ではありますが、本当に信頼関係がある場合は、一緒でも楽しいけど一人も楽しい♪ どっちもいいですよー。
みたいな感じになるかと思います。




他人と居て信頼感を感じられないとか、愛を感じられないことをまともに直視してしまうと、寂しさでどうにかなりそうになるでしょう。
とにかく寂しくて寂しくて居られない。
共に居ても決して埋まらない寂しさを補おうと、ついついまたやりとりをしてしまう…これを『中毒』と言います。

私がこの状態の方に対してお勧めしているのは、その重度の中毒を起こしている対象物から一旦強制的に自分を引き離すことです。
ちょっとずつではなく、一旦バッサリ切る。
乱暴と言えば乱暴ですが、どれだけ自分がそれに依存しているか、それと自分を同一視しているかを知らなければ、その先の新しい道は見えて来ないのです。


やらなきゃダメ…という訳ではありませんが、やってみるとどれだけ『自分』が無かったか、他人と自分を同一視して寂しさを誤魔化し、他人の愛情を搾取しようとしていたかが分かります。
自分自身の人生を本当に楽しんだり、喜びを感じたりするには、癒着しているものを手放すことがルート上不可欠になるでしょう。

人に依っては「喜びなんて要らないからこのままがいい」「中毒だって分かっていれば、観察しながらやりとりしてもいいでしょ?」という方もいらっしゃるでしょう。
当然ですが、人それぞれです。それはそれで構わないでしょうし、いずれ不可避の何かが起きて離れるしかなくなることも有り得ます。
ですから、その時にまた考えれば宜しいのではないでしょうか。



自分を深く知ろうとするならば、時に『"問題が無い"ということにしてある関係』に、敢えてメスを入れる場合もありますよという話です。
こういう風に変化をもたらそうとするのは、本当に本当に大変なことだと思います。
幾人かの方がそれにチャレンジしていらっしゃいますが、とても辛く苦しい道程でしょう。
それまでのエゴにしてみれば、アイデンティティ・クライシスに相当する激震です。

その道を歩む時、共に成長せんと理解し応援してくれる仲間が居れば、こんなに心強いことはありません。
シェアの重要性がクローズアップされるのは、そういう時です。
全く同じ道程ではないとしても、一時的な苦痛を乗り越えたり手放そうとしているのが一人ではないと知れば、逃げようとする自分の心が踏みとどまれる可能性もあります。


自分は決して他人になれないし、他人様も自分に成り代わることが出来ません。
けれど、理解したり応援したり痛みや喜びを分かち合うことは出来るのです。
分かち合いには、ただそれだけでその後の人生に決定的な違いをもたらす可能性さえあります。

過去の自分から脱皮しようとする時、そしてそれが未体験の苦痛をもたらす時は、迷わず仲間とシェアしてみて下さい。
特に上記のような重度の依存関係から脱却したい時は、一人で延々と自分のエゴを相手に闘うことになります。
孤独な道程になりますから、そこを抜ける過程に於いてシェアは必要不可欠とも言える作業です。



ただの一時凌ぎではなく、誤魔化しではなく。
生まれて来て良かったと思える喜びや、この人とシェアが出来て良かったと思えるような喜びに、一人一人が包まれますように。
私は心からそんな風に願っています。






私達のマインドには、とても巧妙な罠が山ほど仕掛けられたおりまして。

「これは出来ますけど、こっちは…(以下出来ない理由を列挙)」

と言うのがマインドの常套手段です。


先日、お客様が「"出来ない理由"を山ほど頭の中で作り続けていて、殆ど言い訳の為に時間を費やしていることに気付きました」と仰っていました。
それに気付いただけでも凄いことです。

誰しも好みがあるでしょうし、面倒だと思うことをやりたくないその気持ちはよく分かります。
それは決して『悪い』とか『間違っている』のではないのですからね。



但し。


・これまでの方法や思考では欲する結果が出なかった(or満足しなかった)


というのが重要なポイントであり、厳然たる事実です。
これまでのルートをなぞる限り、現在のあなたが生産されることになります。

もし現行で"満足出来ないあなた"が居るのであれば、全部ひっくり返して新しい何かを採り入れない限り、ずーっと不満足なままです。
今は不満足な人生をわざわざ積極的に展開している、と言い換えても良いでしょう。



先日ワークショップの際に、以下の内容をお話ししました。

「これまでの自分がやって来た生き方では不満が募るという結果が出て、それが嫌だとか変えたいから来てるんですよね? では何故、変化を求めておきながら提示された手段を執らないのでしょう」


ええ、いいんです。そのままでもいいんですよ。
でも、変えたいのかな? 変えたくないのかな? どっちでしょう?

本音としては手段は変えずに結果だけ欲しい。もっと言うなら、周りが変わって都合良く自分を喜ばせて欲しい。という処なのでしょうが、宇宙の摂理的に軽く無理です(笑)。
恐らく欲しい結果から逆算したなら、その文言は出て来ないと思いますよー。





さて。
あなたは何歳まで生きると思いますか?


仮に想定した寿命があるとして、いつになったら満足の出来る人生になるでしょう。
今は何歳? 変化が起きるのはいつ? 放っておいても、そうなりますか?
今の心身がキープされて年齢を重ねる人は居ません。
我々は確実に老いて行くのです。

……と考えると、そのままでゴリ押しするのは結構拙いんじゃないでしょうか。



死に際をイメージした時、何を思うでしょう。
どういう風に死んで行きたいですか?
何を感じながら、この世を離れたいですか?
今の生き方を繰り返している中で、その理想の死に際はやって来るでしょうか。

今際の際に不平不満を漏らしたいですか?
未練たらたら、怒りと怨嗟の声を上げながら死にたいでしょうか。
あんまりそういう人は居ないように思います(笑)。


そこから考えてみれば、今どのように過ごせるでしょう。
「死に際はこんな風に穏やかな気持ちで死にたいなあ…」と思うなら、その気持ちで日常生活を送る練習をしてみても良いかも知れないです。

もし怒りや恨みや妬みを山ほど抱えていて、このまま行くと死に際はちょっと厳しそう…ということであれば、内観をしたりカウンセリングや自己ワークでそれらの感情や観念をお掃除するとか。
今からでも出来ることは沢山あると思います。


欲しい結果と今あるものが食い違っているのなら、それは執っている手段が違っているということです。
まずはそこを認められると、次の段階がやって来ることと思います。
今のやり方を続けたいの! いつか絶対良くなるから! とエゴは叫ぶでしょうが、欲しい結果から逆に眺めてみると「あれ?」ということが分かるかも知れません。

いつもは一方通行な視点を変える練習にもなりますし、欲しい結果に立脚して現在の自分を眺めてみるのはお勧めですよー。




先日、私は過去の歴代彼氏について考えていました(笑)。

「あの人、他人に心を開けない人だったなあ…」とか
「なんであーいう人と付き合ったんだろう」みたいなことですね。

年月の経過により、好きだの嫌いだのという装飾部分が消え去った今、ちょっとおさらいしてみようと思い立ちました。
一体何やってんだって話ですが(笑)。



ここ数ヶ月、『投影』についてよく書いております。
目の前に見える現象は、全て自分の内部を反映したものである。
という考え方です。

そしてこの総決算に流用すると、「結局あれは全部自分だったなあ」としみじみ感じ入ることになります。
他人に心を開けないのも、相手に迎合しないのも、情緒の波が激しかったのも、ドライに他人を客観視していたのも、色々な部分が偏っていたのも全部私…と、過去の彼の特徴を色々挙げて行くと、全てが嘗ての自分の特徴だったりして思わず苦笑いです。
勿論「ああ、なるほど!」という風に符丁が合った部分も沢山ありましたよ。



思い出であっても、そこに好き嫌い的マインドが強く残っていると「あんな酷いの私じゃない!」等と認められないことの方が多いかも知れませんが、そういう色が薄くなって来ると「あー…」ということになります。
その為には自分を知ることが不可欠ではありますが、やはり『他人は自分を映す鏡』なのです。

これは、異性のみならず友人知人関係でも同じことです。
特に付き合いのある人の特徴は、おしなべて自分を映し出していると言えます。
周りに居る人の特徴を淡々と挙げて行くと、自分のことが"嫌と言う程"よく分かります(笑)。


ここで「でも私は違います」と言いたくなるのが人の性です、が。
残念ながらちっとも違わないのですよ…これがまた。
「私はあんな酷いことしません!」と言いたい時はですね、『表に出すか出さないかの差でしかない』ということを知っておくと良いでしょう。

人間関係は釣り合いが取れなければ成立しません。
凸と凹ではなく、完全に同じエネルギーで釣り合っているのです。
例えば相手が直ぐ怒る人なのであれば、自分の中に抑圧された激しい怒りがあるということです。
相手が空気の読めない人であるなら、自分も同じ。自意識がどうであれ、恐らく周りからはそう思われているでしょう。

夫婦やカップルが似ているとよく言われるのは、完全に釣り合いの取れたエネルギーで密接な関係が成り立っているからです。
片方が問題を解消したり、前進や成長を始めると、釣り合いのバランスが崩れて関係が壊れます。
人間関係とは、バランスで成り立っているのです。



過去の人間関係を総決算してみて、自分のことをよく知っていくのも、一つのワークだなあと思います。
今更ではありますが、結構アレな人だったのねー私…と思いました(笑)。




最近よく『ニュータイプ』と『オールドタイプ』について言及しております。
ニュータイプさんの自覚がある方々が、


「この根拠の無い自己評価の異常な高さは、一体どうすれば良いのでしょう…」


と仰っているので、一つの提案として


「他人様の幸せをイメージする」


のはどうでしょう? とお話ししました。



自分の評価を今更下げることは、ほぼ不可能。
何故ならば、裏打ちや根拠が無いと分かっていても尚、遙かに高い自己評価が聳えているからです。
最初からこっちに手を付けるのは、恐らく難しいでしょう。

だから、他人様の評価を上げることで自分と他人のバランスを取るという実験をしてみては?
という話になったんです。


ワークや瞑想に少し慣れると、イメージが出て来やすくなります。
ニュータイプさんは大概『自分の幸せ』をイメージしていたと思いますが、それを他人様に置き換えてやってみて、どういう風に感じるかを体験する練習をしましょうということで。

他人様の幸せをイメージして、それを感じる
というのは、他人の幸せを喜ぶことでもあり、与えることであり、受け取ることであり、分かち合いの練習でもあり、自分以外の世界に目を向けることにもなり、また自分と他人を隔てる自己愛という名の壁を溶かす作業にもなります。


他人様も一人二人ではなく、交代制で色々な人をイメージしてみて、その人が喜んでいる姿や幸せを感じているビジョンを創って、その波動を感じるというを練習して行くこと。
上手くなって来ると、喜んでいる理由や状況なんかも見えて来るかも知れません。

そうすると、「そうか、この人はいずれこういう風になるんだな」という風に、その方が潜在的に望んでいる未来へ繋がるかも知れません。
実は、未来予知の練習にもなる…かも知れません(笑)。



この練習をしている時に、
「なんで私が他人の幸せなんか願わなきゃいけないんだ!」
「そんなことより自分が幸せになりたいのに」
とエゴが言い出す可能性もあります。

また、イメージの中でも特に動かしやすい人とそうでない人が居ると思います。
そういった部分が出て来たら、その都度書き出したり考えたりして、"何故そうであるのかについての理由"を探って行くというのも良いワークになると思いますよ。
一度やって終わりだとあまり意味が無いので、ちょこちょこ続けてみるのがオススメです。



色々なやり方がありますし、どれが正しいとかこれさえやればというものではないでしょう。
それでも多くの実践をして、その上で新たな気づきや理解を増やし、フィードバックをし…と繰り返しながら、生きやすい人生を歩めるといいなと思っています。






という、文明の利器があります。
人間用のベルトコンベアーですね。


進行方向に向かって流れている歩道の上を歩くと、非常に快適なスピードで歩みを進めることが出来ます。
エスカレーターもまた然り。


では、逆行している歩道を逆走したら、どうでしょう?
────────一体いつになれば、どうやれば向こう側に到着するでしょうか。




これまでと違う生き方・やり方を選ぶということは、全自動で動いている歩道の上を逆行するようなものです。
倍以上のスピードや歩幅を使わなければ、実質的に前へ進むことが出来ません。

必要なのは、これまで以上のスピードと大きな歩幅。
それと、強い意思です。



我々の意識と身体には、考えずとも自動的に身体が反応して、"そうなるように"動けるプログラムが為されています。
過去、何らかの理由でそれが最適と判断し、何も考えなくても何も決めなくてもそう動けるようにというプログラミングをした結果、潜在意識が自動操縦しているのです。

「私はそういうつもりがないのに、周りがいつもこう言ってくる」
「私は嫌なのに、何故か結果がこうなってしまう」

というのは、潜在的な部分で
『こうなることが一番良い(又は"この結果になる筈"な)ので、どこがスタートでどんなルートを通っても絶対こうなるように動かします』
という意識があることの現れと言えます。


自己ワークやカウンセリング、セラピーというのは、それまでのプログラムを一旦解除して、新たなプログラムを打ち込む作業のことです。
その為には施されているプログラムが何かを知らなければ、解除も出来ません。
上書きやファイル更新は、更にその後の作業です。

となると、先ずは自分にどんな仕掛けのスクリプトやプログラムがあるかを知る作業が最優先となります。
その為に書き出しをして頂いたり、カウンセリングで色々な言葉を訊いて行ったりということを行うんですね。



「どうも自分はこういうプログラムで動いていたらしい、だからいつもこうだったのか。なるほどー」
というように、問題の在処を見付けたとしても、上書きや更新等をしなければ絶対に動作が変化することはありません。
問題箇所のソースを開いて違う言語を書き込んでも、保存する前にウィンドウを閉じたら終わり。
100%を求めた一連の行動の結果は、1でも99でもなく、単にゼロです。

一つ前の記事でも書きましたが、特にマインドが発達した方はここで止まってしまう可能性があります。
"分かった筈なのに、現実が前と同じ"ということに疑問を感じるのであれば、『上書き・更新・保存』をしていない可能性を疑うのが妥当です。
それまでのパターンに代わる、新しいパターンを取り込んでいないということですね。


臨床の現場では「じゃ、どうなりたいの?」という、新しいユニバーサルイメージやセルフイメージが必要ですよ、とお話しします。
「今のままは嫌です」だけで自分を変えようとしても、その行き先が無ければ徒労に終わります。
今のままは嫌だ! だけで実際に変化が起きたという人を、私は見たことがありません(居るのかも知れませんが、私は知りません)。

という訳で、「現状やこれまでのパターンをAとするならば、今度はそれをBにしたい」という表現で、自分の新しいプログラムを指定する訳ですね。
今までの案が使えないなら代替案を出して、ってことです。
法律で例えてもいいです。今までの法律は古すぎるから、法改正しましょう。なんという法律にしますか? 文言はどうしますか? 草案を提出して下さい。
……等々、どうにでも言い換えることが出来ます。




エゴは様々な言い訳を無限に産み出しますが、それに騙されて行動や結果が変わっていないなら、折角探り当てた作業自体に何の意味もなくなってしまいます。
それはまるで、逆行している動く歩道の上で立ち止まるようなものです。

後戻りした訳ではなく、ただ立ち止まっただけ。
それなのに、いつの間にかスタート地点に立っていることが分かるでしょう。
行動が全く変わっていないし、勿論結果も過去と違うことなく同じです。
「分かった筈なのに何で変わらないの!? 分かったから進んだんじゃないの?」と思うことって、結構あると思います。私もよくやってましたしー(笑)。



自己探求に慣れて来ると、引っ掛かる度に「…また騙された…」と自分にガッカリします(笑)。
何に騙されたのかと言えば、自分のエゴにです。まんまと引っ掛かっちゃう訳ですね。
だから、立ち止まることなく向こう側まで走り抜ける。違うステージ(新しいプログラムの上書き)に辿り着くまで止まらない。そういう意思が必要なのです。

エゴ(過去の自分)は、
「結構変わったと思うよ」
「頑張ったからもういいよ」
「今度こそ大丈夫!」
「辛いからやめなよ」
「こんなことやっても良いことないよ」
「無駄に決まってるじゃん」
「今までのが一番いいよ」
「~だから出来ないよ、仕方ない」
「分かってさえいれば大丈夫」
等々、よくもまーこんだけ言い訳が出て来るなあという位に、変化への動きを止める囁きをします。
実際どうであるかは、現実を見れば一目瞭然です。



もしも逆行する動く歩道の上に足を踏み出して、反対側に向かって走り出すのなら、他ならぬ自分自身のエゴに騙されないよう注意が必要です。
そして、苦しくて一人では走れないと思ってしまう時は、仲間が居ればとても心強いことでしょう。
同じように過去の幻影と闘っている人、その支配から抜け出して本来の自分に立ち返ろうとしている人は沢山居ると思います。
お互い助け合って、励まし合って、シェアをし合って、渡り切るまで共に歩みを進められるといいですよね。


例に漏れずと申しましょうか、私も長~~~い間掛かって絶賛逆行中です(笑)。






新月はまだ続いております。
見直し・書き直し等をして、本当の自分が望んでいることを書き出して行くのが宜しいかと思いますよー。
……私も見直そうと思います(笑)。


☆☆☆


『問題』とは何か、と思うことがあります。
丁度、直近でお話しする機会がありましたので取り上げますが、例えば家族関係。
自身の意識では「当たり前」と思い込んでいることでも、他人から見たら「なにそれ!」と思われる中身もよくあります。

ただ本人に問題意識が無いので、そこはいつまでもアンタッチャブル。
「ここは私の人生に悪影響を及ぼしていないので、変えません!」と強硬姿勢を崩しません。
でも、巡り巡って色々な処に枝葉が伸びているかも知れない。地中を通って根が伸びているかも知れない。
それは自分が気付かないようにしているだけで、人生の重大な何かを握っている可能性もあります。
特に親子や家族に関しては、生き方そのもののスタンスと関わっている可能性大です。


例えば私なんかは分かりやすく"誰が見ても虐待"というものを経験していますから、その渦中にあって「これはおかしいだろう」と自分で気付かざるを得なくなり(だって痛いのは嫌ですからね)、更に「何とかしなきゃ」と自分でどうにかする手段を探すことになりました。
虐待はやったらダメですよ。どんな理由があってもやって良いことではないし、どんな言い訳もやってしまった事実の前には一切立たないものだと思っています。
しかし、私の場合はこれのお陰というかこれのせいというか(笑)で、自分を知ることや気付きや変化への道程が確定したのもまた事実なのです。

けれど、表面上は仲良しだったり"問題"や"トラブル"が見えないとなると、または自身の顕在意識が嫌だと判定していないとなると、そこはクリーンな状態である…という認識になり易い。
色々なタイプの方が居ますが、親子関係が人生の根幹を握っている人に関しては、何をするにも先ずそこに手を付ける必要性があります。
そのタイプでないならば、勿論その限りではありません。
でも、自分を見つめる姿勢を日頃持っていない方は、自分がどのタイプに該当するかの判別が非常に難しいでしょう。

自己探求に相当慣れると、『エゴが特に「これは関係ないよ~」と囁く内容程、ちょー怪しい。むしろそっちを疑え』という法則性を知ることになりますが…(笑)。



知っているのと手を付けるのは全く別物です。
現代人はマインドが非常に発達している為、「ああ、分かってる分かってる」「知ってる」という風に知ったかぶり、脳内でシミュレートすることは素早いのですが、そこから手を付けて変化をもたらすことは頑強に抵抗します。
分かってるからもういいじゃん、って話ですね。

現象が起きないからって何も無い訳ではないし、波が収まったらクリアーしたかと言えばそうではないし、分かったからってやらないなら変化はない。
…ということを、ちょっとスピリチュアルなんかに慣れて来ると、忘れそうになる場合があります。


真摯に自分と向き合い、新たな可能性へと足を踏み出す勇気を持つことを忘れずに居たいと私は思っています。
其の方が更なる幸せに繋がることを知っているから、なのですがね。
やった処で不幸になったり、辛い思いだけで終わるなら、誰もやりませんて(笑)。






7月~最近まで色々と多忙にしておりました関係で、もう今月の新月がやって来ることに関して驚いています。ビックリですわー。
今日も非常に暑い一日でしたが(暑さにも引き気味)、もう残暑なんだなあと時間の経過に驚きです。

お客様方からは色々と嬉しいご報告等も頂いております、ありがとうございます。
この猛暑の中で、ご自身の成長への挑戦をしていらっしゃる方々は、本当に素晴らしい限りです。
有り難いエネルギーを私も沢山頂戴しています。共にがんばりましょー。



さて。



8月18日 00:54~ 新月スタートです。




新月の日はとてもエネルギーが強いとされておりまして、この日に願いを紙に書くことで達成や現実化が促進されるという話があります。
新月の願いについては、この辺りをご参照下さい♪





新月にコツコツと願いを書くことも大切だと思いますが、私は"進捗状況を仲間とシェアする"ことも更にとても大切だと思っています。
自慢ではなく、一方的に吐き出すのではなく、その逆でもなく、分かち合うこと。

それは今の自分を知る為でもあり、足元を見極める為でもあり、変化を実感する為でもあり、他人様のエネルギーを活用させて頂く為でもあり、自分のエネルギーを与える為でもあり、感謝の機会でもあり、自分自身の開示でもあります。


共に成長の道を歩む仲間は、他の何物にも代え難い大切な宝物です。
新月で何が現実化したか、またそれに伴う内面的な気づき等を、大切な仲間とシェアしてみるのがオススメです。

分かち合ったエネルギーは、何倍にもなって広まります。
現実生活の消化・吸収、そして昇華のスピードも速まるのが特徴です。
新月を自分自身のより大きな幸せを感じる機会として、使えるようになるといいなあと思っています。


ではでは、良い新月を!




何となく空が秋めいて来ましたね。
暑さの中にも、僅かに涼しさを感じるようになりました。


DSC_0328.jpg




私事ではございますが、毎年この時期は2週間程の絶不調に陥ってしまうクセを持っていました。
んが。
今年は識者の有り難~~~~いアドバイスを実践した結果、何と無傷での通過となりました。
奇跡! 奇跡ー! バンザーイ!!(笑)


例年8月が近づくと、
「ああ…8月…8月がやって来るぅぅうぅ…ッ!」
と指折り数えて恐怖のカウントダウンだったのが、まるで嘘の様です(笑)。

また、毎年この時期世界各地(海外在住の友人知人や、海外旅行や国内旅行へ行かれる皆さん)からご心配頂いておりまして、暫く触れないようにそっとしておいて下さったり、逆にご心配故のメールなどを頂いたりしていました。本当にすみません…。
でも! 今後は心配ないさぁぁぁ! な感じになりそうな予感に、一人ウキウキしています(←嬉しくてテンション高め)。
これまで色々な方にご心配頂きまして、大変に恐縮でございました…もう平気ですよ! 大丈夫です! …多分(笑)。




何事もなく過ごせることこそ、本当に本当に有り難いことです。
目が覚めて身体が動くこととか、お腹が空いたーと思えることや、出かけようと思えること自体が凄いことです。
身体機能がある程度正常に機能していなければ、そんな風に出来ないし思えないのですから。

何もないって素晴らしい。五体満足(仮)って素晴らしい。
生まれついての異常な虚弱体質だったり、それ故のエンパスだったりではありますが、後天的にも色々実践することで健康体に近いレベルを維持することが出来るんだと分かり、心底色々な方やものに感謝することしきりです。


…いや、間違っても一般的な健康体とは言いませんけど(笑)。
でも、健康体みたいな感じでは居られるんです。
重労働は避けるとか長時間の外出は控えるといったように、ある程度自重しているとは言えども、それなりに普通に生活していて、その生活にどうにか付いて行ける位にはなっています。
以前も書きましたが、ウォーキングを1時間普通に出来るようになった程、体力が付きました。

私がずっと願っていながら半分以上諦めていたのが、『日常生活を普通に過ごせる人になる』ことでした。
有名になりたいとか大金持ちになりたいとか素晴らしい結婚をしたいとかいうより、遙かにそれ以前の話です。
普通に出かけたり、思い切り遊んだり、仕事を精力的にこなしたり…という、当たり前のことに強い憧憬の念を抱いていました。

皆さんにとっては当たり前過ぎて「何言ってんの?」なことでも、私にとってそれらのことは望んだ処で手に入るべくもない、遠くに霞んで見える蜃気楼のようなものだったのです。
オーバーに聞こえるかも知れませんが、切望して切望してどうしてもそうなれないという状態が長く長く続きました。
身体と心が弱すぎることに関して、またそれを改善することが出来ないことに関して、延々自分を責めたりもしていました。


此処へ来るまで長くは掛かりましたが、及第点には来たんじゃないかなーと思えるようになって、暫く経ちます。
身体が元気でなければ、何かをしたいとか何処へ出かけたいとか誰かに会いたいなんて、まず思えません。
どーんと身体が落ちていると、「とにかく身体がラクになって欲しい」という思考でぐるぐる回っちゃう訳で、私はその中に在って人として最低限の健康が欲しいとずっと願っていました。
それが今あると思うと、本当に凄く恵まれていると思います。

此処へ導いて下さった方々には、ただただ頭が下がるばかりです。
頂いたご恩を有り難く思いますし、またその途方もない愛に感動します。




毎日眠って、目が覚めることだけでも凄いこと。
そして起き上がって動けることも、素晴らしい。
ごはんを食べられたり手足を動かせることは、決して当たり前のことではない。そう思います。

イライラや欲求不満が募る時、自分の身体に目を向けたり手を入れたりすると、我に返ることがあるかも知れません。
身体が機能していることの有り難さを知ると、とってもラクになるんじゃないかと思います。
多くの方々から頂いたご恩をお返しする為にも、色々な形で身体機能を向上させて幸せを感じられる人が増えるといいな…と願って日々の仕事や生活をしている次第です。






以前、とてもお世話になった方から


「あなたは『何をやったか』『何を得たか』ではなく、『どう生きたか』で人生を測る人だから」


と言われたことがあります。
その時は「そう…かも?」程度に思っていましたが、近年そのお言葉はドンピシャであると実感することが増えまして。

私は物質的な成功に対して、どうやらあんまり執着が無いようです(自分ではハッキリした自覚がないのですが、ご慧眼をお持ちの方々に「そこには全く興味が無い」「そういう所はとっくに超越している」と言われます)。
また先日も書きましたが恋愛でモテたい! という欲求が皆無に等しい(というか、ゼロ)という特徴があります(笑)。
その代わりに、もっと成長したいとかもっと知りたいとか、本当のことや真実を追究したい…という風に、違うスタンスで違うベクトルに興味の比重が大きくある人間です。



どれだけのものを手に入れたかで、人生を測るやり方も当然存在します。
お金持ちになって、美味しいものを沢山食べ、素敵な家に住み、素敵な人と結婚して、優秀な子供を作り、欲しいものを沢山手に入れ、やりたいことをやって、物質的な良い思いをとにかく沢山して…というのも、とても重要な価値観だと思います。
何であっても、実際は優劣や順位を付けることの出来ないものです。

宇宙(世界)はどんなやり方でも、在り方でも「どうぞどうぞ」とOKをくれるので、やりたい放題にさせてくれます。…あー、見方を変えれば放置とも言いますが(笑)。
そしてどのようなプロセスを経ても結果を出しても、それに対して罰を与えたり、咎めることは決してありません。

文句を言いながらでも、喜びに溢れていても、どんな状態であってもOK。
人生にストライキをしてもいいし、引きこもってもいいし、意欲的に何かをやっても、成し遂げてもいい。
また、いつ方針転換しても禁じられることはなく、何かをしてもしなくても、どう生きてもどう死んで行っても、全てを手放しいつも変わらずに世界は在る。

本質的には全ての人が最初から自由で、ゆるされていて、等しくとても愛されていて、ただそれが空気のように当たり前過ぎる為に、気付けないだけなのだと捉えています。
こういうことを指して先人達は"宇宙の愛"と言ったのでしょう。
ま、日常的にはとっても分かりにくいのですがね(笑)。




いつでも大きな愛に包まれた状態を感じながら、色々なことを試したり演じたりしつつも、自分らしく生きることを楽しめたらいいな…と、私は思っています。







いやーもう人通りも車通りも少ない少ない(笑)。
今年は特に少なく感じますねー。
皆さん良いお出かけを♪


さて、2012年11月度ワークショップの日程が決まりましたので、お知らせ致します。


2012年11月11日(日曜)
11時~14時



です!

詳しくはサイトのワークショップコンテンツにてご確認下さいませ。
皆様とご一緒出来ますこと、楽しみにしております。



★☆★



毎月開催しております、女性向けワークショップ。
変化と自己成長を促す為の場所ですが、色々な方がお越しになり、それぞれの背景や個人的思想等を開示・交換し、そして自分の中で何が起きているのかを知って行く時間と言えます。


何か特定の資格やテクニックを身に着ける為の場所ではありませんが、普段の日常生活の中でラクになったり、またスムーズな展開を如何に増やすか…という部分に主眼を置いています。
人によっては「環境が自然と変わった」「良いチャンスが増えた」といった形で起きる変化もあるでしょうし、単に「自分の受け取り方が変化して、ラクになりました」という場合も見受けられます。

このように、人に依って変化の形が全く違うのですが、取り組んでいらっしゃる方々はちゃんと結果を出せますので、自分への取り組みというのはやればやるほど楽しくなるものであると思います。
…但し、私は「やるもやらないも自己責任なので、お好きにどうぞ~」というスタンスですので、何もせずに「なんか変わらないんです」と仰る場合も、それはそれで宜しいんじゃないでしょうか。と、心から思います(笑)。
大体、変わらなきゃいけない訳ではありませんしね。
どっちでもいいと思いますよ。ぶっちゃけてしまえば、好みの問題だと思います。



ご参加下さった方が、
「『やったらやっただけ結果が出る』という言葉が胸に染みます。実際本当に色々変わっていて、とても楽しいです」
と仰っていました。
自分のことですからね、やればそれだけ変化があって当たり前だと思います。
これまでどうしても変えられなかった部分や、嫌で仕方なかったことが、本当に自分で創り出しているだけなのだと気付いたのなら、そこから変化を促せる。

私も日々取り組んでいますが、その中では「あ」ということが続いて、「そうか…だからこうなってるのか…」と納得の連続です。
私にとっては、知ることが出来るのはとても楽しいことです。
絡繰りが解明されたり、原因が分かったりするのは、面白いというカテゴリに属します。
そして、そこから自分の手で変えて行くことが出来るのです。


私が生年月日を基にする占いなんかで観て頂くと、時々「あなたはこういう人の筈、ああいうことがあった筈」と言われても「いえ、全然違います」ということがよくあります(笑)。
何故かと言いますと、恐らく自分で変えて来たからではないかと思うことがあります。

生まれついての状態は後付けで変えられなくても、後から現在や未来を変えることは可能である。
ということについて、ずっと挑戦し続けている結果なんだろうなと思うこともあります。
そして、やれば必ず結果は出るのです。
自分が望んだ形でないとしても、プロセスが気に入らないとしても、それでもやれば結果は出る。



様々な形で、楽しみながら変化を続けて行きたいと思います。






深夜にウォーキングをしていたら、前日までと比較して車通りが激減しておりました。
皆さんお休みだったりお出かけだったりするんでしょうね~。


え。私ですか? お盆? 夏休み?
いえ、特に関係ありません。ハイ。
お陰様で元気にお仕事しておりますー(笑)。

昔、諸事情で仕事が出来ない時期が長くありましたので、今は本当に有り難く思ってお仕事させて頂いております。
お仕事出来ること自体が素晴らしい! ありがたやー。
お仕事することが嬉しいので、私はお休みがなくても平気なのです(笑)。




さてさて、他人様を見ている時に


「あーあ。あの人もっとこうすればいいのに」
「なんであんなことするんだろう。こういうやり方をすればスムーズなのに」


と思うことってありますよね。


どうしてそう思うんでしょうか。
だって他人じゃないですか。
何をどうしようが、基本的に自分の生活とは関係ありませんよね。

それでも「ああすればいいのに」「こうすればいいのに」と思う理由は、ただ一つ。
『投影』をしているからです。
自分の中でも、日頃見ないようにしている部分を、他人様に映し出している訳ですね。



逆に言うとですね、ああすればとかこうすればという内容を、自分にそのまま適用してしまえばいいということになります。
恐らくドンピシャでその時の自分に合っていることだと思いますよ(笑)。


例えば

「もっとちゃんとお化粧すればいいのに」
「もっとスッキリした髪型にすればいいのに」
「もっと似合う服を着ればいいのに」
「もっと他人に優しくすればいいのに」
「そろそろ自分の進路を決めたらいいのに」
「怒ってばっかりなのを変えた方がいいのに」
「もっと沢山遊んで欲しいな」
「どうして勉強しないんだろう」
「身の丈を知ればいいのに」


等の部分も、ぜーんぶ自分についての見解と言えるでしょう。



我々のエゴは何故か
「自分だけは出来ている」
という建前に則って色々な言葉を囁きます。

が。
一皮剥いてみると「それ、アナタじゃないの?」と言われてしまったりすることが…よくあるよくある(笑)。
他人様に対して具体的に「ああすりゃいいのにー」ということを、片っ端から自分にやって行くと、結構な変身を遂げてしまう可能性が見え隠れ。



最近、お化粧や服装についてお話しする機会があったので、例に取りますが。
具体的に
「もっとアイメイクを濃くして、眉をしっかり描いて…」
と思ったら、それを自分にやればいいという話です。簡単。

自分の何処から変化をもたらせば良いのか分からないという場合は、他人を見てあーだこーだマインドが喋ることをやればいいという(笑)。
単純に、ひとつの指針にはなると思います。


一つずつ実行して行けば、当然結果は出る筈です。
それも、嬉しい結果になるんじゃないかなーと思います。







ここ数日は暑さも中休みという感じで、お陰様で私も命を繋いでおります(笑)。
お盆休みに入った方も多くいらっしゃるかと思いますが、良いお休みになりますように。



さて、ワークショップに続けて参加して下さっている方々の一部が、このように仰っていました。


「鏡を見た時に、『お化粧なんかしなくても、私は世界で一番美しい』って思ってる…! と気付きました…あぁ…」

「TVとか雑誌とかで活躍している人って、やっぱり沢山手間暇掛けて自分を綺麗にしてるんですよ。なのに自分はまっっっっっっっっっっっったくに等しい程何もしていなくて、面倒臭がっているだけなのに『それでも私はイケてる』位に思ってるって気付いたんです!」



あー。
気付いちゃいましたか(笑)。

これに気付くのって相当嫌だと思うんですが(自分のキャラ設定を"罪悪感が強いオールドタイプ"に分類している場合は特に)、気付いたのであれば次の手を打てる可能性があるので、変化を起こすことも出来ると思うんですよ。
気付いたけど何もしない。これまで通りにします。…というのもまた、選択肢として存在し得ます。



先日ワークショップの後で、皆さんとお食事をしました。
その時に「分かってます」「私は変わった」と思う時、実際はどうであるかについての話が出まして。


私「はい、『分かった!』と思った時は~?」
皆さん「分かってませーん」
私「『変わった!』と思った時は~?」
皆さん「変わってませーん」



綺麗に合唱しておられました。コントか(笑)。
なんかもう、このやりとり面白すぎ。





さて。
人生の中でも恋愛や結婚についての比重が大きい、というのは女性の大半を占める特徴でしょう。
私のように頭の中が非常に男性的な場合は、その限りでもないんですが(笑)。
更に「モテたい」とか「素敵な人と恋愛したい」という願望もまた、恋愛したい女性の関心の大きな割合を占めていることと思います。

今やっていること(化粧、服装、生活習慣等々)はどのような建前があろうとも全て自分の表現となりますが、それは「これが一番良い筈だ」と思って実行していることとも言い換えられます。
そして、その結果が現在の自分の状況に反映されている。
モテたくて生活しているのに、結果モテていないとすると、何かがおかしい…ということになりますよね(笑)。


例えばモテる女性を研究して、色々採り入れたり自分に対して変化を促せる人は、結果を重視しているということになります。
逆に、「私はこんなに美しいのに、努力しているのに、モテないのは変だ! 周りがおかしい!」と今の路線を徹底して続けるとなると、多分そのままの状態が続くのだと思います。こっちはプロセス主義ですね。

結果を見れば、それが適切な手段だったのかどうかが分かります。
「私なりにやっている」は、あまり意味のない言い訳になるでしょう…現実が伴わないのであれば。
「なんで私が変わらなきゃいけないの」と思うのなら、勿論そのまま頑張っても一向に構わないでしょうし、いつかは望んだようになる…………かも知れないので(笑)、挑戦し続けてみては如何かと思います。
ただ、その時までに何年かかるか分かりませんし、その頃は年齢が何処まで行っているかも分かりません。




私は最近『置き換え』の練習をオススメしています。
ニュータイプさんは常に主観でものを見てしまう傾向が強い為、"相手になってみる"とか"相手から自分を見てみる"イメージを軽くやって、双方向で物事を捉える練習をしてみましょうということですね。

例えば、現在の自分の外見について自分自身はOKを出しているのでしょうが、もし自分の好きなタイプの異性から見たら? とか、モテるタイプの同性から自分を見たらどうか? というのを、『相手になって自分を観察してみる』訳ですね。
自分は良かれと思っていても、周りから見たら「あららー」かも知れない。逆に「ここは良い所なのになあ」かも知れないです。
他人の視点で自分を見てみると、驚きの発見が…! という可能性もあります。

この置き換えは、時折個人セッションやワークショップで使う手法ですが、イメージが少しでも出来る人なら結構簡単に出来ることだと思います。
客観性を身に着ける練習にもなりますから、独り善がりから発生するトラブルを繰り返してしまうという方にもオススメですよー。
私は悪くない、間違っていない! と思うことが多いとか、他人の言動に怒りを感じやすい方は、是非置き換えをやってみて下さい。



色々な気づきや発見を通し、新たな行動を採り入れることで、より輝くことを楽しめますように。





引き寄せの法則とか願望達成とか現実化というものは、スピリチュアルや自己啓発等にご興味がおありの方でしたら、非常に重要なメソッドかと思います。


「妄想していればそれはどんなことでも実現するのですか」
「どうすれば現時点で全く望み薄なことを現実化出来ますか」


というご質問を頂くことがあります。

各種そっち系の本には、色々書いてありますね。
目標を立てて、それに伴う計画をして、小さなことから実行しましょう。毎日イメージを欠かさずやりましょう。アファメーションをしましょう。コラージュしましょう。書き出しましょう…等々。
えー、これらのやり方とかはそういう書籍を読んで頂くとして(笑)。



先日ワークショップの後で皆さんとお食事をした折に、現実化についてそれぞれのご意見を伺ってみました。
皆さん個々に成功例の体験談をお話しされていましたが、では聴いた通りに実行すれば必ずそうなるのか? という疑問がありますね。
……どうでしょう(笑)。

現実化や引き寄せについては、人によってクセやカラーがあります。
ものによってはエゴでゴリ押ししてそう出来てしまう場合もあるし、手放すことで逆に結果が出る場合もある。
同じ人が複数の願望を抱いているとしても、叶うものと叶わないものがある。
ではその境目、違いは何か? 確実な方法はあるのかどうか? 疑問は尽きません。



罪悪感が非常に強いタイプ(私は便宜的にオールドタイプと呼んでいます)は、以下のような観念を強く持っている場合が散見されます。

『私は生きている価値が無いので、自分の夢や希望など叶える必要は無い』
『罪を償い続けることで精一杯なので、+αなど望むべくもない』
『都合の良い現実化など、自分の身に起こすことは出来ない』

ということで、オールドタイプさん達は『"夢は現実化しない"という観念を現実化』をしていることになります。
抑もこちらの方々は自分が幸せになるイメージなど殆どしませんし、恐らくする暇を作らないでしょう。
潜在的に自分の幸せを大きく否定していれば、それより上の意識層で何を願おうと全く意味が無いことになります。
一言で言えば、『焼け石に水』ですね。
オールドタイプさんは回り道に思えたとしても、先ず自分を癒すことから実行するのがオススメです。



自己愛の強い傾向が見られる方々(私は便宜的にニュータイプと呼んでいます)の場合、基本的に自我が強く引き寄せる力や実現化の力が著しく強いので、おしなべてフォーカスしたものをその通りに現実化出来るという特殊能力をお持ちだったりします。
スゴイ! 本気で羨ましい!(笑)
なので、ニュータイプさんは観念に沿って大概何でも現実化出来てしまいます。
「振り返ると全て自由自在でした」と明言されている方もおられます。素晴らしい~。

この時、持っている観念が何かに依って、現実化された暁にどうであるかの形が変わって来ることでしょう。
うちのワークショップにお越し下さっている方々は、皆さんニュータイプさんの傾向が強いんですが(笑)、お話を伺っているとぜーんぶ思い通りに現実化して来ているんですよね。

「ずっと自分のことをオールドタイプだと思い込んでいた(思っていたかった)のですが、全然違いました
「参加者全員自分のことが好きすぎだし、表面的に何を言っていようがどんなキャラを演じていようが、世界中で自分が一番だと思っているのがよく分かります」


というのが、最近頻繁に伺うお話です。
キャラ設定が逆だったことを自覚しただけでも、相当凄いことですよ。
例に漏れず、私も長い間キャラ設定が逆でした…(笑)。




さてさて、現実化をイメージするに際しては「そうなった時にどんな感じがするかを味わう」ことは、とても大切なポイントではあります。
その身体感覚が、如何に現実的な感触を伴うかどうかが分かれ目と言っても過言ではない。というご意見が先日ありました。

「それが現実化すると既に知っている感じがする」
「願望と言うよりは既に確定した予定という感じ」
「周囲の意見には左右されず、確信を持っていられる」
「きっとそうなるんだ、と分かった感じがするので、特別焦ったり勢いを付ける必要はない」
「他人の願望の話であっても、『これはそうなるだろうな』という説得力を身体が感じる」


だそうです。



イメージしてますけどなりません! という場合は、今一度点検してみて下さい。
「なんでそうならないんだろう…」「あいつは叶ったのに私はそうならないなんておかしい」
と不満タラタラの状態ではないですか?

そう思っているのだとしたら、現実化の矛先が違うことになります。
つまり不満タラタラでいることを現実化する為には、いつまでも願望達成しないようにする必要がある、と。
幸せで一杯になっちゃったら、文句を言うチャンスがなくなっちゃいますからね。


また、抱いている願望自体に逃避や現実から目を逸らす為の道具的な意味合いがあるとすると、上記の如く『逃避し続ける為には、逃避したくなるような状況が必要』ということで、逆説的にエゴが認めたくないような現実が創られ続けるという道理が出来上がります。
これによって益々認めたくないような現実が創造され、更に現実離れした願望や妄想を抱くことになるでしょう。
現実からの逃避自体が目的なので、現実化は潜在的視野に入っていないということです。

この状況を打破或いは変更するには、目の前の自分を取り囲む事実・現実に目を向けることです。
嫌だとか認めたくないとエゴが言ったとしても、これがたった一つの現実なのだと我に返ることが、最も早い次のステップへの脱出ルートになります。




それが妄想で終わるのか、それとも確実な現実化への道へ繋がっているのかは、実は他ならぬ自分がよくよく知っていることなのです。
その為にはよーく自分を点検して、現実と照らし合わせ、そして現在の等身大の自分を認識してみるということをオススメします。

目的は現実か、逃避か。これだけでも篩に掛けられるのではないかと。
例えば大金持ちになりたい! という願望であっても、素敵な人と出会って結婚したい! であっても。
それが現状から目を背ける為の逃避行動であればかなりの確率で現実化しないでしょうし、今ここにある現実に連なる確証が自分の中にあるのなら、早晩現実化へのプロセスが始まることでしょう。
さて、どっちだ(笑)。



願望達成や現実化は非常に面白いテーマですので、私も実験を繰り返し続けています。
私の場合は現実化について取り組んでいると、結果的に自分を見つめることになってしまうので、大変価値のある自己ワークになってしまっております(笑)。


今後、ワークショップ等でもちょくちょく取り上げられたらいいなあと思っております♪





昨日は8月度ワークショップでした。
ご参加頂きました皆様、ありがとうございました!



毎度、最初にご参加下さった皆さんの体験や気づきをお話し頂くのですが、今月は気づきが盛りだくさんだった方が多く、中身の濃いボリュームたっぷりの時間になりました。

今回は、"身体を使って自分以外の人を感じる"ワークを実践して頂きました。
面白いことに、ペアを組んで頂いた方同士の髪の長さがほぼ同じ(ペアによっては髪型まで同じ)でした(笑)。


身体を使うワークは、こと頭の中だけで自己完結しがちなスピ系ワークの中にあって、非常に重要なポジションを占めています。
やってみる前は「こんなもんだろう」と予想を立てていたとしても、実際に体を動かしてみると全く違う角度からの気づきや理解を得られることが多いのです。

ワークでは爆笑の連発もあったりして、皆さんそれぞれ面白い体験をされたのではないかと思います。
そして、ペアを組んだ相手は何らかの理由で引っ張り合っている訳ですから、何処がどう釣り合っているのかをよ~く観察・検証してみると、得られるものが沢山あるでしょう。
ただやってみて「ハイおしまい」では、折角のワークが勿体ないですからね。




さて、以降のワークショップスケジュールです。


★9月度
9月2日(日曜) 11時~14時

★10月度
10月7日(日曜) 11時~14時


※11月度につきましては、近々確定次第up致します。



また皆様と学ぶ場でご一緒出来ますこと、楽しみにしております♪





「善意」の表現のつもりで、「誰かの為に」「良かれと思って」したことが、思わぬ結果を招く…という事例は結構ありますね。
それが最善だと思ったとか、それが一番正しい方法だと思ったとか、以前そうやって上手く行ったからとか、相手の為だとか将来の為だとか諸々理由はあると思います。

そしてその方法を使った所、結果が全く予想だにしなかったような、どちらかと言えば嫌~な現象を伴うとしたら。
例えば、"親切にしてあげた"相手から「余計なことをするな!」と怒られたら、どうでしょうか。
それは実際良いことなのでしょうか。正しいことなのでしょうか。



こういった『良かれと思ってスパイラル』なドツボに填っている時。
自分はそれこそが正しいと思ったのに、結果が思わしくないものだった時は、「だって良かれと思って」「その方がいいと思って」「○○の為に」等々、行動を正当化しようと沢山の理由が出て来ることと思います。
はたまた、こちらの心情を理解出来ない相手が悪い、とか。

言いたいことは色々あるのでしょうが、実際どうかと言えば起きている結果がただ一つの事実でしかなく。
こういうつもりだとかああいうつもりだとかいうことは特に重要ではなくて、結果を見てみればそれが上手く運んだのかそうでないのかは一目瞭然です。
そこに歴然とした結果(事実)がある。ただ、それだけ。
結果・事実(現実)が全てである視点から眺めてみると、取った手段は別に正しくもなければ良くもなかった可能性が見えて来ます。



意図する結果が得られないとしても、不本意な結果が見えたとしても、自分がやりたいプロセスや手段は変えたくない。
何故ならこれまでそのやり方で続けて来てしまったし、ここで路線変更するのはこれまでの自分が間違っていたことになるから悔しいし、それだけは認められません。
それに、いつか思い通りになるかも知れないからやめません、このまま続行します。

…というのが、事態が膠着している時によく出て来る考え方かと思います。
纏めてしまえば自己正当化と執着ですね。


結果を取るのか? 手段を押し通したいのか?
という選択肢を元に事態を眺めてみると、案外それまで拘っていた内容を簡単に手放せるかも知れないです。
しかし、自分が正しいことを証明する為に何らかの手段を講じているのであれば、それを手放したり違う方法を探ることこそ屈辱的に感じるでしょう。

もしもあるパターンをぐるぐる回っていることの繰り返しから我に返り、自分が欲しいのはこの状態ではないと自覚したのであれば。
自分はどの結果が欲しいのかをしっかり具体化して、そこにフォーカスすることを常に意識しておけば、他ならぬ自分自身がラクなのだと思います。

どうなりたいかは解らないけど、今の状態は嫌です! という場合もあるでしょうが、こういう時は「嫌だ」と言っている部分に絶えずフォーカスしていることになりますから、当然そこから別の状態へ移行することは、ほぼ不可能と言えるでしょう。
好きも嫌いも、単純にフォーカスしているという意味では全く変わらないのです。



また、

・どうなりたくないのか
・どうなりたいのか


を具体的に絞る作業も、自分自身の思考を知るのに非常に役立ちます。
日頃我々の顕在意識では気付いていない部分をターゲッティングして、その為に色々な行動を取っている可能性が大きくあります。
こういう部分を具体化して細かく掘り下げると、解っていたつもりでも全く気付いていなかったような、意外な怖れやそれまで盲信していた目的に気付いたりします。

大概自分のことは一番理解している気になっていますが、顕在的に「これが私です」と思い込んでいるのは、エゴが見せている幻・虚像であることの方が多いでしょう。
ですので、改めて色々な形で自分を知っていくことによって、新たな可能性や未来を開拓し、選ぶことも出来るようになると私は思っています。



見ている先が何であるか。
使っている手段は、欲するものに辿り着くのか。
矛盾しているとしたら、今すぐ手放せるか。
結果を取るのか、プロセスに拘るのか。

様々な問いかけを自分に与えることで、これまで見えていなかった自身の人生や日常に、光が差すのではないかと思います。








気が付いたら瞬く間に8月! ビックリですねー…って、それは私だけ?(笑)
暑さに当たらぬよう部屋に籠もることが多いので、自分を見つめる時間が纏まって取れる時期でもあるかなーと思います。




「自分の周りで起きていることを変えたい」ということが「幸せになりたい」という言葉の意味合いとして、よく使われています。
意訳すると、自分は指一本動かすことなく、或いは一つの捨てる物もなくして良い思いをしたい。です。
多分、グローバルスタンダードに近い考え方なんじゃないかと思います。エゴにとってはね。

しかし自己成長を望む時、または前述のやり方で限界を感じた時に初めて、
「…これじゃダメなのか。じゃあ自分がどうにかならないと…」
という所へ目を向けることになります。


私は色々な方から効率の良いやり方を訊かれるのですが、人の個性や思考タイプによって、またその時の進み具合によってオススメ出来る内容は変わって来ます。
セラピストさんに依っても違って来るでしょうから、これさえやれば間違いない…ということはありませんです。
そんな中でも時々オススメしているのは、『好き嫌いのサンプルを取って、比較検討するやり方』です。

ちょっと腰を上げれば出来ることだけど、これまで避けて通って来たことに着手。
また、普段好きだとかやらないと気が済まないようなことにも、少し間を空けてから同じ時間・分量で着手。
これをしている時の自分の思考をよくよく観察すると、どういう風に出来事を捉え、何を求めているか等のマインドの癖がよく解ります。


好きと嫌い、それぞれ同じ分量のサンプルを抽出した上で並べて比較すると、好きと嫌いを判定している抑もの癖や、どういう時にどういうエゴが作用していつものパターンへ填ろうとするかがハッキリと浮き彫りになります。
まー実際やろうとすると、恐らくめんどくさいんですけど……(笑)。

でも、期間を決めて自分を知る為にトライすると、普段は当たり前過ぎて意識出来なかった部分が炙り出せるので、手っ取り早く己のパターンを知るには非常に有効な手段と言えますね。



また、嫌いな人と好きな人を書き出してみて、どこがどう嫌いなのか、どこがどう好きなのかをそれぞれ列挙して行くというのも、非常に解りやすいと思います。
自分が世界に対して何を要求し、また投影しているかの判別にとても役立ちますし、他人様を見る時の自分の在り方やスタンスについて、ちょっとしたヒントが沢山出て来るでしょう。

「大嫌いだった人は、単に自分の投影だったというのが解った」
「嫌いな人の嫌いな部分を挙げて行ったら、全部イコールで自分だと思った」
というお話を、最近よく耳にします。
認めるのはとてもじゃないけど無理! という方もいらっしゃるでしょうが、まずはどういうポイントで好き嫌いを判定しているかが理解出来れば、人生に対してそれまでとは違ったアプローチが可能だと思います。




……色々書いていますが、何よりも大切なのはやることです。これに尽きます(笑)。
何もしたくない・自分の都合が良いことだけはしたいけど、想定した通りの結果は欲しい、というのはちょっと宇宙の摂理的に難しいと思います。
ので、記録を付けながらLet's try! です。

こういう自己ワークの良い所は、やればやった分だけ何らかの結果は出るということです。
自分について知って行くのは、エゴにとって嫌な面も多くあるでしょうが、それを上回る面白さや発見が手に入るという、得難い機会となります。
もっとラクになりたい、幸せになりたいという方が、自分に取り組むことを楽しんで頂けたら嬉しいなーと思っています。






プロフィール

Sachi

blog owner:Sachi
潜在意識を活用した、ちょびっとスピリチュアルな総合セラピー、癒しのワークショップ・タロットカードセッションをしているSachiです。
穏やかに楽しく成長出来るよう、入手した情報や、日々の気づき&
発見などをシェアして気ままに更新。
イベント情報も随時掲載中です♪

旧blogタイトルは『気づきのステップ』。

■カウンセリング&ヒーリング&セラピーを総合した個人セッション、月に一度のワークショップ、またタロット&オラクルカードセッションをご希望の方はサイトをご覧下さい♪


やや細かいプロフィール



癒されています
愛しています
愛されています
ゆるします
ゆるされています
ありがとうございます

メール

名前:
メールアドレス:
件名:
本文:

recommend

マインドの変化を促すことで幸福体験をしたい方に♪



●心静かな時間を作り、暗示や瞑想に活用




●根本的に取り組みたい人は






●でも『コース』は難解だ…という人は




ブログ内検索

月別アーカイブ

Copyright © Sachi