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Date : 2012年05月

◆ Infomation

【works】
★ヒーリングセラピー個人セッション
 都内で対面式の個人セッションを行っています。
 幸せと癒し、学びと気付きを得たい方へ、様々に対応させて頂きます。
 潜在意識を日常へと活用することで、より良い人生へ変えることが可能です。
 随時お受けしておりますので、サイトをご覧下さいませ。

★癒しのワークショップ
 毎月一度、都内で女性向けの体験型ワークショップを開催中です。
 沢山の変化・癒し・浄化・成長・気づきを促すテクニックが山盛りです。
 2017年11月5日・12月17日(全て日曜)
 の開催が現在確定しております。11月は11時~15時、12月は11時~19時です。
 ※11月と12月では開催時間、料金が異なります。
 ※以降の開催は決定次第upして参ります。
 ※それぞれ内容の詳細はサイトをご参照下さい。

「自分を見つめると言っても、一体何からやったら良いのか分かりません。どうすればいいですか?」


というご質問を頂くことがあります。
まあね。そりゃー分かりませんわね。
そして、これなら確実! というものも無く、一慨には言えませんで。
個々人の意識状態に依って、また段階に依ってもいちいち違って来るのが現実です。

「いきなり完璧に出来る筈!」という思い込み自体はとりあえず置いといて(こう思っている方は結構多いので)、先ずはフォーカスしているものから知って行くのは如何でしょうか。


『何を現実化しているか』と『何にフォーカスしているか』は、ほぼ同義です。
現在の生活が、あなたの意識を具現化した全てであるということ。
人間関係も、仕事も、待遇も、家族関係も、生活環境も、何もかもです。

「そんな訳ないでしょ! だってコレは嫌なんだから絶対違うー!」
と言いたい部分が沢山ありますよね。
ええ、分かりますとも分かりますとも。私も嘗てはそう思っていましたよ。

でもね、自己探求の道を長く歩んで来て、分かったんです。
一から十までその通りだったんですよ。
自分で全部やってんの! もー! うきー!(笑)



ある日。
道行く人が、自分にイチャモン付けて来たとしましょう。
この時、一般的には「私は何もしてないのになんでこんな目に!」と思うでしょう。

確かに、行動としては何もしていないかも知れない。
表面的には何もしていないんだけど、潜在的には『やらせている』のだからこういう結果がある。
そうさせる動機は人によりけりで、それぞれ違います。

「他人は全て敵だと思っている」
「抑圧している怒りを外にぶつけたいから、先に喧嘩を吹っ掛けさせれば言い訳が立つ」
「自分はイチャモンを付けられるレベルの低い人間である」
「虐められる(弱者で居る)方がメリットがある」

あくまで一例です。
他にも沢山あるでしょう。


例えばお金にあまり恵まれないのならば(それが妄想ではなく事実だとすると)、

「お金に恵まれない方がレベルの高い人間だ」
「金があると不幸になる」

というような観念がめぼしい処でしょうか。
これらは色々な本に書いてありますが、この限りではないと思います。
あくまでもポピュラーに使われる観念の一例として挙げてみました。
他にも沢山実例はありますよ。


「失業したくないから一所懸命働かなきゃ」
⇒失業します。

「太りたくないからダイエットする!」
⇒太ります。

「男運が悪いから、結婚相談所に入る!」
⇒いい男とは巡り会いません。

「不幸だから幸せになりたい」
⇒ずっと不幸です。

「親が嫌いだから好きになりたい」
⇒嫌いっぱなしです。

「親みたいに離婚したくないから、幸せな家庭を作りたい」
⇒離婚します。

「負けたくないから努力する」
⇒負けますね。



何処を見て生きているかが、結果となって現れます。
また戦争に反対している人は、そこにフォーカスしているという意味で戦争やってる人と一緒です。戦争やってる人と戦争していることになります。
怒りたくないと思っている人は延々怒りにフォーカスしていますから、些細なチャンスも見逃すことなく激怒します。


分かりづらいようであれば、結果から逆算しましょう。
目の前の現実が、フォーカスの結果です。
常に常に、そこにフォーカスしているのです。

表面的には「そんな風に思ってないよ。もっと良くなりたいっていつも思ってるよ!」と判で押したように皆さん仰るのですが(笑)、表面的なマインドがどう言おうと観念にとっては物の数ではございません。
どれだけ表面で足掻いても、今ある結果が全てなのです。




ところで、『幸せや幸運は有限である』という謎の信仰が蔓延しているように見えますが、あれは一体なんでしょうか(笑)。
『良いことの後には悪いことが起きる信仰』も根強いですね。

強く抱いている観念は現実をその通りに動かしますから、宝くじが100万円当たった直後に家族が病気になって全部出て行ったりさせるのも、我々人間にしてみればお茶の子さいさいです。
「ほらやっぱり!」と証明したい為ならば、病気や事故位チョチョイのチョイ。




閑話休題。

さて、フォーカスしている処を知る為に一番簡単な方法があります。
『嫌いな人とその理由』を複数ピックアップすること。
その人達に共通している(ように見える)何かを以て嫌いと判じているのであって、実際その人のことが嫌いなのかと言えばそうではないと思います。
だって、他人の全てを分かっている人間なんぞ居ませんから。

あくまでも自分の中にあるシャドウ(見たくない、認めたくない抑圧した影の部分)を投影して、嫌いだむかつくんだと言っているのです。
いちいち反応するということは、何かがある。何かどころか、確実に"それ"がある。
嫌いな人とその理由が多ければ多い程、抑圧した感情や思考が自分の中で溢れ返っていて、それを直視したくないが為に外の世界へと転嫁しているのです。



……という訳で、ピックアップしてみては如何でしょう。
長くかかるかも知れませんし、人に依っては「好きじゃない程度で、言う程嫌いって訳じゃ…」と自分に嘘を吐く可能性があります。
それはそれでアリです、アリ。どうぞそのまま生きて行って下さい。
いずれある時、気が向くかも知れませんし。そうでなくても構いませんし。



自分を知りたいと思うのならば、こういう処から手を付けると簡単ですよというお話でした。









配偶者やパートナー選びを、自分の意思で行っていると思い込みながらも、その実そうでなかったりする場合が多くあります。


例えば親の影響力が大きい場合。
幼少期から「こういう風に生きなきゃダメだ」「人間こうあるべきだ」と繰り返し言われたとか、逆にニュースや他人について「あれはダメだ」と言っているのを耳にしている等のケースがあります。
何も言われなかったとしても、親そのものの生き方を見て、「こうしなければならないのだ」と思い込んでいるとかね。
そして、それをそのまま「え。そうなの?」と真に受けてしまうことが、ままあります。
自分の価値観だと思っているつもりで、実は親の価値観を借りて生きる羽目に。

すると、成長して大人になって行く過程で、自分の希望は抑圧し『親がダメと言わなさそうな人』というのを基準に人間を見るようになる可能性があります。
仮に「いいな」と思える人が居ても、即座に抑圧しにかかるので、本人は気付かない場合が多いでしょう。
自分の中では親の価値観を使っているという区別が付かないので、後々何らかの弊害が出て来たとしても、それが何故かは理解出来ない場合が多いかも知れません。


服の選び方然り、職業の選び方然り、食べ物の好き嫌い然り、選ぶ人間関係然り、生き方そのもの然り。
あらゆる部分で「だって親がこう言ってたから」「親がこういう人だから」的な理由でやっていることは、非常に多くあると言えます。

客観的に見て、着ている服装を見てもっと似合うものがあるのに…という感じの人は、親の価値観を借りて生きている場合が比較的多いように思います。



さて、ここではとりあえず『親の影響力』と表現しましたが、違う言い回しを幾らでもすることが出来ます。

『親に(思考的)依存をしている』
『自分の中にある優先順位の一位が親である』
『親に支配されている』
『親に支配させている』
『親のせいにしておきたい』


これらの指す内容は同じです。
しかし言い回しや単語のチョイスが違うことで、全く違う受け取り方が出来ます。
何なら違う意味合いにさえ取ることが出来てしまうという、日本語マジック(笑)。

自分を見つめ直すのであれば、最も「あ、自分でやってるんだわ」と思える言い回しをピックアップするのが宜しいかと思います。
つまり、「これは強い言い方だなあ」と思えるものですね。


何故「自分がやっている」と思えるものをチョイスするのか? と言いますと。
曖昧だったり柔らかい言い方だったりすると、自分の力では変化させることが出来ない、親のせいにしてこのままで居たいと言い続けていることになるからです。

"自分の人生を自分でこのように操作しています"と肯定することによって、違う方向へ自らシフトさせることも可能になります。
少なくとも、そのスタンスを自分の責任に於いて取ることが出来るというのは、非常に重要なことだと考えます。


ただ、最初に「こんなに親の思考を被って(使って)いたのか」と気付いてしまった時というのは、少なからずショックを受けます。
自分の意思・選択だと思っていたあれこれが、いきなりひっくり返るというのは、エゴにとって非常に苦痛を感じる出来事です。
度合いにもよりますが、アイデンティティ・クライシス的なものがありますね。

色々書いていますが、気付く必要があるかと言えばそういう訳でもなく、気付いて修正しないと幸せになれないとも言い切れず、その辺りは人によって違うんでしょう。
しかし人生で起きることの中には、こういう部分が関わっていることも非常に多く見受けられるので、時々洗い出しても良いのではないかと思っています。




最初にお知らせです。

6月10日(日曜)はワークショップ開催日です~。
6月度は半年に一度の1dayワークとなります。長時間ご自分と向き合う場として、是非ご活用下さいませ。
残席僅かとなっております! という訳でお考えの方は是非どうぞー。




では、本題です。


良くないことや先行きが暗いような何かを誰かに言われた時、その発言をした相手に対して酷い! と思うのが人の性です。
ええ、分かりますよ。そうですよね。そう思っちゃいますよね。

でも、自分を見つめる作業にある程度慣れて来ますとね。
"現在の自分がフォーカスしている箇所がここである"という風に捉え直すことが出来るようになり……なり……えー……なる場合が、あり、ます(笑)。

「むかつく」「どうしよう」「酷い!」辺りだった反応が、「こんな風に自分は思ってるのか…あたー」「路線変更するぞー」と、自分に対してアクションを起こすきっかけになる訳です。
そう思っていることを心底認めないと、次のステップが始まりませんが、こんな感じです。


『外の世界で起きているように見えるものは、全て自分の内面を映し出し具現化しているだけである』


…というのは、精神世界ではグローバルスタンダードとも言える基本的な姿勢となります。
スピ好きな方は、これを謳っている本をよく見掛けるのではないでしょうか。

文章で書いてしまうと簡単なようですが。
実際にこのスタンスを取るまでが、非常に厳しい道程になる場合もあるでしょう。
だって、人のせいとか家のせいとか親のせいとか運命のせいとか過去世のせい(以下略)にしておきたいじゃないですか(笑)。
しかしこれが使えるようになると、自ら運命を変更し切り開くことが可能になる、非常に便利な道具です。


自分でも気付かぬ内に、ちょっとズレた方向へ行ってしまいそうな時。
外の世界(=自分の意識の中)で一体何が起きているのかが直ぐに理解出来れば、問題が大きくならない内に軌道修正が可能となりますから、生きること自体が非常にスムーズになる可能性が高いでしょう。

大概は問題が物理的な現象となって何らかの結果をもたらすまで、気付かないことが多いものです。
「どこで間違えたんだろう…」というのは、割とよく耳にする言葉ですね。
でも、よーく見てみるとあちこちにサインはあった筈で、それは外の誰かが言っているのではなく、自分の内面にある意識が囁き続けていたものだと気付かなかった、認めなかっただけだったりします。



少し実験してみても宜しいかと。
例えば、先ず一週間限定で『周りの人に何を言われたか、どの言葉にどんな風に反応したか』を書き留めて行く。
他人から言われたことを自分が自分に対して囁いている言葉であると見るならば、一体何を目的にそれを言っているのか解るかも知れません。
認めて理解出来れば、フォーカスする方向をその場で変更出来るかも知れない。という話です。


これをやるにあたってのご注意をば。
自己評価が非常に高い人が、敢えて周りの人に嫌な言葉を言わせている場合もあります。
結果、「私は自信が無いからこういうことを言わせるんだ」という結果に落としてしまうのですが。
これはこれで、巧妙なカモフラージュの可能性もあると言えます。

また、自分の痛みや暗い部分を見たくないあまり、周囲からそういう要素を徹底して排除し続ける傾向が見られる可能性もあります。
難しい! と言われればその通りなんですけど。


その辺りの判定はいずれ出来るようになるかも知れませんので、今の所は置いといて(笑)。
とりあえずサンプル収集だけでもお勧めしますよ。

……生活の中でやるのは、めんどくさいと思いますが(笑)。
とは言え、なかなか楽しいですよ。
その変化を見ながら、自分の中にあるものの変遷に気付くことも出来ますから。





結構前に超自立と超依存の関係を書いた(ような気がする)のですが。
自立だろうが依存だろうが、極に偏っているという意味ではどちらも同じです。
中庸、中道、ニュートラルでいることでなければ、どんな形をしていようが優劣は無く。

バランスが取れていないということは、人生の色々な場面で弊害をもたらすことが多いと思われます。
勿論、気付かずにその生涯を閉じる人の数が多いでしょうが。



超自立の人は、周りに超依存タイプを集めます。侍らせます。
で、相手が成長しないように何でも自分でやってしまいます。
何故相手が成長しないように行動するのかと言えば、そうなったら困るからですよ。

超自立の人は他人を最初から信用していません。見下し、馬鹿にしています。
みんな無能だとかレベルが低いと決めて掛かるからこそ、周りを弱者の仮面を被った人達で固め、失敗をさせ、詰(なじ)ったり論(あげつら)ったりします。
「自分がいないとダメな奴なのだ」「自分がいないと生きていけないんだ」
というパワーゲームの中に溺れ、このままで居たいというエゴの操るままに人生を過ごします。


超依存だった周りの人が突然成長の道を選択して自立めいたスタンスを取ってしまうと、それまで釣り合っていたパワーバランスが崩れてしまいますから、お互い離れてしまうでしょう。
それは困る。だからいつまでも「周囲は出来ない奴ばっかりだ」「いつも自分だけが大変だ」ということにしてしまう、と。

超自立と書いてはいますが。
実は超自立の人は全く自立してはおらず、"他人を依存させることに対して依存している"と言えます。

いつも依存してくれる人がいないと生きて行けないのです。
そうでなくてはひた隠しに隠して来た自分のコンプレックスや、見たくない闇の部分に押し潰されてしまう(と思い込んでいる)からです。
直視することを怖れるからこそ、超自立というスタンスを取り続けてしまいます。

先述のように、"依存させることに依存している"からこそ、その関係性を指して『共依存』と言う訳です。
見方を変えればどちらも超依存なんですね。



さて、超依存の人も他人を全く信用していません。
他人は自分の欲望を叶える為の駒でしかなく、自分と同列の人間としては見ていないでしょう。
「わからない」「出来ない」と弱者を演じることによって、己の指一本すら動かすことなく、他人を意のままに操る技術を持っています。
それは非常に巧妙な高等技術と言え、一見すると弱々しく見える人が多い為に、事実が霞んでしまうケースが殆どです。

潜在的には明確な目的を以て他人を動かしているのですが、表面上の意識としては「私は被害者だ」「私は弱い」「何も出来ない」ということにしてあるので、まさか自分から好きこのんでそのパワーゲームに参加しているとは、夢にも思いますまい。

超依存の人は周りが何でもしてくれることに快楽を見出している為、周囲の人が弱者になることを拒否します。
強度の依存をすることで、相手を束縛し支配しているのです。
周囲が超自立で居てくれなければ、寄生し、エネルギーを吸い取る場所がなくなります。
という訳で弱者の演技(あくまでも演技です)に磨きを掛け、出来ない・分からない・弱い自分で居続けようとします。




個々人にスポットを当てると、今ひとつどういうことか分かりづらいかも知れませんが、パワーバランスのちょっとだけ外側から事態を見てみるという視点が出来ると、表面的には自立に見えた人が実は依存だったり、はたまたその逆だったりということがあるでしょう。

どちらに傾いていても、"他人様を信頼する"ということが偏り脱出のキーワードになります。
自分と同じように痛みを持ち、また幸せを願い、コンプレックスも支配欲もあって、如何様にも変わる可能性があるということを、出来るだけ認めて行くことです。
好きになるとか興味を無理矢理持つのではなく、毎日街ですれ違う知らない人達も自分と同じでただの人間なのだと素直に理解するとか、そういった目線で眺めることが出来れば、極端な偏りからは自然と抜け出て行くのだと思います。



例によって、どれが良いとか悪いとかそうなるべきとかそうなれとは言いませんよ(笑)。
どっちでもいいし、何もかも間違いではないので。
ただあんまり偏っていると、人生に対してちょっと問題を感じるかも、ってだけの話です。

私は長い間、超自立でした。
信用出来るのは己のみーと、無駄にエネルギーを振り絞っておりました。
今になって思えば、そんな必要は何処にも無かったのになあと思います(笑)。



「本当はああしたいのに、いつも結果はこうなっちゃうの」
という言い回しがあります。


そうですね、巷によくある例としましては、
「普通の恋愛がしたいのに、付き合う人はいつも妻子持ちで不倫になっちゃうの(または"彼女持ちで掠奪しちゃうの")」
が割とスタンダードで分かりやすいでしょうか。

一般的にこの文言だけを聞くと、まず
「ああ、この人は本当は普通の恋愛がしたいんだな」
と受け取ります。
最初に「こうしたい」という希望の言葉が出ていますから、重要度はこちらの方が高いと無意識的に受け取る訳です。
そしてその後で
「でも、何故か上手く行かないんだな…とは言え、本当は普通に恋愛がしたいんだね」
と続きます。



さて、実際はどう解読すれば真実に気づけるのかと言えば。
「あーいつも掠奪なの? 不倫なの? じゃあ掠奪とか不倫をしたいのねー。フツーの恋愛したくないのねー」
です(笑)。

解読は非常にシンプルで簡単です。結果だけをチョイスすれば宜しい。
しかしここで当事者からは「そんなことないもん! ホントは云々したいんだもん!」と猛烈な抗議を受ける訳ですが(笑)、現在ある結果というのは潜在的なり顕在的なりで、その人がそうしたくて行動したから出ているものに他なりません。


いつも貧乏くじを引く人は、貧乏くじを引きたいのです。
周りに碌でもない人間が沢山居ると言うならば、そうしておくことに多大なるメリットがある。
みんなに重要な何かをやってーと頼まれる人は、引き受けたいと。
怒ってばかりの人は怒りたいから怒りを感じる現象を起こすし、人生は苦しいものだと思っていれば当然苦しいことが続発します。

現状にもどかしさを感じている方にしてみれば、大変に抵抗や怒りを覚える思考方法でしょうし、絶対に違うと認めないでいる方が楽っちゃ楽です。
しかしこの考え方が道具として使えるようになると、気付いた時に道を選択し直すことが自分で出来るようになります。
勿論、その動機が潜在的な意識のどのレベルに滞留しているか、という部分も非常に重要ではありますが、気付けばそれはそのまま行動を変えるチャンスになります。
能動的に人生を変更する可能性を、そこに見出せるのです。



何らかの理由で今ある結果を目標にしたという意味では、過去は重要な要素です。
もし現在の生活の中で何か望まない部分があるのだとしたら、昔の何処かでそれを目標にして一所懸命生きて来たということになります。

視点を転換し、冷静且つ客観的な部分で自分自身の中にあるものが見えて来れば、きっと何処からでも人生は変更可能なのだと思います。
……とは言っても、やっぱり受け容れがたい考え方なんですけど(笑)。






本日の都内は夏日でございました。
いやー、暑い! 先日の涼しさが嘘のようです(笑)。


ここ暫く、『本当に似合うお洋服トータルコーディネイト』のご依頼を頂きまして。
近場で・買える値段で探す! というコンセプトの中、私の気力&体力等を鑑みて近場のお買い物タウンへ繰り出すのです(笑)。

似合うものは近場であっても探せば沢山あって、一流ブランドである必要もあんまり無く、かといって安っぽい外見でもないその人らしい装いが完成します。
但し、そのままだと自分自身がこれまで"好きだと思い込んでいたモノ"が目に留まるような仕組みになっているので、一人で行っても変化を促すのは難しいかも知れません。



さて、何を基準に服や靴を見繕っているのかと言えば。
その人の身長・体格・骨格・顔のパーツの並び・手足の長さ・髪の色と長さ等をミックスしています。

よく色彩診断で春夏秋冬に肌色タイプを分ける方法があります。
それも一つの参考ではあるものの、余計に落ち着き過ぎて年齢がアップして見えてしまったりとか、トータルで見ると印象がぼけてしまったりとか、一慨には判断出来ない部分があります。


服や靴は基本的に他人が見るものです。
自分が好きなのではなく、
「他人に対してどんな印象を与えたいですか?」
とテーマを決めて、それに沿ったモノを探す行動になります。

同じ色であっても、彩度や明度、布地の質感やデザインのディテールまで含めてドンピシャで合っているモノという幾つかのポイントが分かると、その後も探すのがラクになります。




休憩タイムに出た話。
「服も異性と一緒で、"好きなタイプ"と"合ってるタイプ"と"これまで着ていたタイプ"は違う」
仕事やホビー、食べ物なんかでも同じことが言えると思います。



例えば異性ですね。
それぞれに好きなタイプって確実にあると思うんです。
それと、実際に付き合って来たタイプは必ずしも一致しない。

この二つは、理由があります。好きな理由、それから実績に残した理由が。
案外大した理由ではなかったりするかも知れませんが、この辺りを忘却している・思い込んでいる人は大変多いと思われます。
それとは別に、基本的な盲点になっているのが『実際合っているタイプ』です。


この三つの要素の内、最も優先したがるのが「現実に手を出すタイプ」なのですが(笑)。
これは「他人や親等から見て文句を言われにくい、目立ち過ぎない、無難または他人より派手、目立つかどうか」という部分が動機になっている可能性が高いと思われます。
要するに他人ですね。他人からこう見られたい、扱われたいという部分が具現化していると。

合っているものは大概見えないように過ごしている場合が多いので、人から言われても全くピンと来ない人が多くいらっしゃいます。
自分の中では「派手過ぎる」「地味すぎる」等の理由で、最初から除外している訳です。
だから他人から勧められても、まずガン無視したり(笑)。



こういう部分を改めて見つめ直してみると、人生の生き方そのものに関してうっすらと見えてくるものがあるかも知れません。
そして、新たに自分らしいものを選び直し、新たな可能性に気づけるのかも知れないと思います。






1day cafeなどを一緒に開催して参りました、フリーアナウンサーの山口智子さんが、シティリビング主催にてマクロビ講座をされることになりましたので、お知らせ致します!


★☆★


『シティリビング シティーガールズアカデミー らくゆるマクロビ講座』

今回の講座のタイトルは「ココロもカラダも楽しくキレイ! らくゆるマクロビ」です。

マクロビオティックは基本的に動物性食品や白砂糖、添加物などを使わない料理ですが、私の普段の食事は普通なのでなんでも食べています。
ブログに時々料理の写真を掲載していますが、お肉も卵も乳製品も使っています。

以前はマクロビオティックガチガチでやっていた時期もありますが、窮屈になってしまいました。
なので今は、マクロビの良いところをらくにゆるく取り入れればいいかなというスタンスで教室・講座などをしています。

「玄米」の食べやすい調理法や、どんな感じで毎日の食事に取り入れるとラクなのか? をはじめ、「美肌」「デトックス」「女性の体の悩み別 お手当法」「季節に合わせた調理法」などなど、毎回テーマに合わせて楽しくやっていこうと思っています。

参加してくださった方々が、楽しいな、美味しいな、いい情報を得られたな!と思っていただけるような内容にしていきます。
デモンストレーションや試食、お土産などもありますよ。


「食」「健康」「美」に興味のある方がいらっしゃいましたら、ぜひご参加ください。
お待ちしています!!



★☆★



講座内容等はこちらのページをご覧下さい。
山口智子さんのblogはこちら
該当ページはこちらです。



マクロビや自然食は、あまりに拘ると逆に栄養が偏ってしまうと言われています。
良かれと思ってやったことが、裏目に出てしまうのは勿体ないですよね。
折角の知識を無理なく適度に採り入れることが、バランスの良い健康に結びつくのではないかと思います。

既製品を敵視するのではなく、マクロビ至上主義でもなく、あくまで『バランスの取れた生活をすること』を主眼に置きながら、マクロビオティックのエッセンスを採り入れる秘訣を教えて下さる講座になると思いますよ。
開催が楽しみですね~。


「本決まりになったら手伝いに行きますよ!」
とか言ったりもしたので、まかり間違うとアシスタントな私が出現するかも知れません。
……いや、冗談ですよ? うん。ねえ?(笑)






今朝は金環日食だったそうです。
「だったそうです」というのはつまり、私が寝ている間に始まって寝ている間に終わってしまったからです(笑)。

さて。
本日の日蝕は、奇しくも新月と重なっています。
今朝から新月がスタートしているので、ちょっとお知らせをば。



5月21日 08:47~5月23日 08:46


こちらが今月の新月タイムとなります。
日蝕と重なっている関係で、浮き足立っているような状況の方もいらっしゃるかと思います。
腰を落ち着けて、深く呼吸をして自分を見つめてみると宜しいのではないでしょうか。

月に一度、自分自身と向き合う時間として、是非新月タイムを使って下さい。
……別に使わなくてもいいですけど(笑)。


我々が意識している以上に、天体の動きは多くの部分へと影響を及ぼしています。
具体的な因果関係は勿論解明されていませんが、人間よりも遙かに質量の多い惑星や天体が特殊な動きをする時というのは、我々の生活に何か関連があってもおかしくはないと思います。
それのせいにする気は毛頭ありませんが、多少の関連性を疑うのもまた、考え方としてはアリなのかも知れません。


それでは皆様、良い新月を♪







先日、大友克洋氏の原画展示会『大友克洋GENGA展』へ行って参りました!

大友克洋氏は『AKIRA』で知られる、日本が世界に誇るクリエイターです。
漫画家としてのみならず映画監督もされており、また世界に与えた"大友ショック"という影響力の大きさを見るにつけ、私の中では漫画家ではなくクリエイターな認識です。
要するに私の中にストックされている"凄い人"の一人です(笑)。


という訳で、とっても大友スキーなんですよ!
生の原画が見られるってんで、こりゃ行くしか!
と、勇んで行って参りました末広町。

会場の『3331Arts Chiyoda』は、中学校だった建物を改装したもの。
現在では色々な展示会などを開催しているようです。



3331Arts Chiyoda

校庭だった所。
多分、中学校として機能していた頃から生えていたであろう木がとても印象的です。

内部には数万枚に渡る、新旧取り混ぜた原画の数々が展示されていました。
ファンにはたまりませんなー。

またお客さんの層も特徴的で、何となく業界の匂いがする人が沢山居たり。
クリエイターやマスコミ稼業なんだろうなーという人の割合が、非常に多かったと思います。





そして、展示品の目玉として最後の方にあるのが『金田のバイク』のレプリカ。
個人的には原寸大のモックアップの方が良かったんじゃないかーと思います。
これに跨って写真撮ると500円かかります(笑)。
私はスカートだったので、やめておきました。



『童夢』のあのシーン

あと、『童夢』の有名なコマを再現した壁が作られていました。
超能力で戦闘しているシーンなのですが、見えない力によって壁面が半球状に凹むという現象を、恐らく世界で初めて表現したのが大友克洋氏です。

今や映像や漫画の世界では当たり前に使用されている技法ですが、昔の漫画やアニメや映像作品で超能力を使うとなると、例えば手からビームが出たり何らかの部分の色が変わったりと、派手なエフェクトありきのシーンだったんですよ。
超能力戦という非日常の戦いを、日常レベルに落とし込むという表現の金字塔として、このコマは今も漫画界に君臨していると言えましょう。



壁の寄せ書き

金田のバイクと、童夢の壁は同じ部屋にありました。
また、その部屋の壁面は開放されていて、「ご自由に何でも書いて下さい」的なスペースになっていました。
メッセージ、感想、イラスト、作中のセリフ等々、沢山の人の筆跡や絵で埋め尽くされていたのですが、既に一度一杯になって取り替えたらしいです(笑)。

沢山の人が遠方から足を運んだようで、全国津々浦々の都道府県名と共に「~から来ました!」と書いてあるメッセージが山ほど。
皆さん好きなんですねえ。ファン魂天晴れです。


そして帰りにはTシャツ買っちゃいました(笑)。
いやー想像以上にカッコイイですよ!
流石BEAMSとコラボしただけのことはある。
こういう所も抜かり無いのが、大友クオリティです。

とにかく凄いの一言でした。大友はんすーごーいー。
凄いものに触れると、やっぱり奮い立ちます。
「こういう大人に私はなりたい」…いえ、もういい年した大人ですけど(笑)。

大きな影響力のあるクリエイターを尊敬する傾向がやっぱり強いなあと、自分についても再認識しました。
またこんな系列のイベントやって欲しいなーと思っております。






大きな病気をしたり、怪我を負った時。失恋したり、試験に失敗したり。
こういう時、ショックを受ける人が殆どであろうと思います。
そして、現実を受け容れるまでには段階があるとされ、例えば以下のようなステップがあります。


呆然とする:何が起きているのか、把握出来ず意味も理解出来ない。頭が働かない。
怒りを感じる:「何故私がこんな目に!」「今まで正しく生きてきたのに!」等の怒りを露わにする。
悲しむ:ただひたすら全てを悲観して泣き続けたり、励まされても全てを否定する。
取り引きをする:特定の信仰が無くとも、「これからはこうするから治して」等、先祖・神等の自分より高位の存在と認識している何かに対して取り引きを持ちかける。
認める:何が起きていて、どんな手段が必要か、また結果がどうであるか等を受け容れる。


スイスの精神科医であるエリザベス・キューブラー・ロス博士は、『死を受け容れるまでには10段階がある』と研究を纏めています。
10のステップですから、上記の他にも幾つかステップがありますね。

病気や怪我に限らず、精神的にもアイデンティティクライシスのような出来事が発生すると、このような経過を辿るように思います。
予想し得なかったことが起きると、その内容が何であれ最初は驚きに目を見開くでしょう。
嬉しいとか悲しいとか怖いとか辛いとか思うのは、その暫く後です。


死ぬ瞬間―死とその過程について (中公文庫)死ぬ瞬間―死とその過程について (中公文庫)
(2001/01)
エリザベス キューブラー・ロス

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一応、関連書籍を載せておきますねー。
博士は他にも著書がありますので、そのどれもご一読をお勧めします。






さて、予想し得なかった出来事と書いてはいますが、潜在意識の思考を用いるとすると、
「予想し得ない出来事など存在しない。何故なら全ては自分が創造し、コントロールしているからである」
と言うことが出来ます。

今、目の前にとても辛い出来事がある。
それを自分が創り出したなんて、絶対に違う! と思うのならば、それはそれで全く構わないんです。実際の所は誰も分かりませんからね。


しかし乍ら、ただ無力に時が過ぎるのを待つよりは、その出来事を正面から見据えるだけでも、何か気づきや得るものがあるかも知れないと思うのです。
背を焼くような焦りに身を晒されるより、悲観することにだけエネルギーを注ぎ続けるより、

『今・何が起きているのか』
『何故この現象を起こしたのか』
『この現象があることで、もしメリットがあるとしたらそれは何か』


といったことをフラットに見つめるならば、たった今自分が用いるべき手段が見えてくる可能性がある。
見えて来たのなら、優先順位を決めて一つずつこなして行けばいい。そういうことです。
身体は一つ。一度に出来ることは一つ。我々はそれしか出来ないのですから。

そして祈ることや願うことは、行動しながらでも出来るのです。
じっと縮こまって恐怖に身体を奪われるより、やることをやりながら祈ればいい。
走りながらでも、歩きながらでも、料理をしながらでも、お風呂に入りながらでも、我々は祈ることが出来る。


現実を真摯に見つめ、妄想や不要な厄介事の全てを排除し、事実だけを把握し、そして用いるべき手段を講じる。
普通に生きていたら、こんなことはしないでしょう。
非常時だからこそ、思い切った策を取ることが出来るのです。
そしてそれは、長い間心の裡に秘めていた願望なのかも知れません。

どうか耳を傾けてあげて下さい。
男でも女でも大人でも子供でも妻でも母でも父でも夫でも兄弟でもない、ただの人間であるあなた。
あなたはこの瞬間に、一体何を望むのですか? と。







現在の家族、生まれ育った家族に対して、色々な印象をお持ちの方がいらっしゃると思います。
満足であるか不満足であるかは別として、その家族を持った目的がそれぞれある筈です。


・あなたの家族はどういう家族ですか? 短い言葉で表現して下さい。
・あなたがその家族内で生きる(生きた)理由は何ですか?
・どのような学びや目的を設定しているのですか?



ここが理解出来ると、それを続ける必要があるのか、目的は達成されたのか、違う所へ移るのか…という部分へ意識を向けることが出来ます。



因みに私が使った表現は、「崩壊直前の共産主義とか社会主義国家、旧ソ連みたいな家族」でした(笑)。
中国じゃないんだよねーキューバでもないしねー北朝鮮でもないしーとか言っていたのですが、その理由は後で思い当たりました。
「父親がアル中だから」です。

末期の旧ソ連は、一所懸命働いても生活が豊かになるシステムではないことと、極寒の地であることから、ウォッカ等のアルコール成分が高い酒の消費率が高かったそうです。
一所懸命やっても無駄だし寒いからってことで、お酒に逃げちゃうんですね。
あ、これだわーと(笑)。
他にも色々当てはまる所は沢山あるのですが、我ながら言い得て妙な表現をするなあと思いました。


で、自分でその環境に居ることを選ぶ理由があります。
そこだから学べることがある。
如何に矛盾していようと、如何にマイナス要因しか見当たらなかろうと、それをしたかったからその家族に居る。

そういう部分を書き出してみたりすると、「あちゃー」みたいなことが出て来ると思います。
御家族に対して見直すことは、とても大切なワークです。
是非、箇条書きでやってみて下さいね。



昨日のワークショップにて、スピ本の件について触れて下さった方いらっしゃいます。

「自分の好きなタイプのスピ本を沢山読むことで、その世界(=自分の持論)を正しいことにし、その理論へ逃避してしまう癖」

を認識し、見つめ始めたということで。
大変に勇気のある行動だと思います。
そういう風に「自分が見たい所だけ見ていた」ことを認めるのって、すごーく嫌ですしね。



スピ本に拘わらず、我々は日々自分が正しいことを証明し続けています。
自分(の持論や意見)を否定する人と関わらないようにし、自分に同意してくれる人とだけ話をするのも同じこと。

だからって、逆説的なものを沢山採り入れろと言っている訳ではありませんで。
否定されなさいとか、間違っていると言わせろというのではなく。
自分のエゴが通常の生活に於いて忌避している理論やジャンルの人や物や本について、理解を深めることが自己成長に繋がる可能性があるという話です。


エゴが大好きな『自分が正しいことを証明し続けること』というのは、終わりがありません。
次々に違う人を捕まえ、違う本を読んで、「ほらやっぱり自分は正しいじゃないか」と上塗りします。
これをやっているのが大好き、という方はそれでいいと思いますが(笑)。

例えば仕事場やカウンセリングや人間関係の中で、「あなたはこういう所がありますね」と言われた時に、事実であればある程エゴは衝撃を受けます。
そして、フラフラしながら「言われたことを否定してくれる言葉」を探し求めます。
その相手が本だったり、人だったりすると。


「私は間違っていない。このままで正しい。あんなことを言うあいつが間違ってる」
という結論が出るまで、延々それを続けます。
皆さん何処ででも、結構やっていると思います(笑)。
それを続けたいのなら、それはそれでアリです。
正当化大好き! を能動的に・自主的にやれば宜しいかと存じます。

でも、その為には正当化し続けるという一連の作業プロセスが発生します。
先ず嫌なことをさせたり言わせるという部分が前提として必要条件になりますから、嫌なことは人生から減らないでしょう。
定期的にイヤーな気持ちになる可能性が非常に高くなります。
無論、それは自ら起こしている訳ですから、他人のせいではありません。
自己正当化という作業の為に、他人様を意のままに操っていると言えましょう。



これらの内容は、物事の一側面でしかありません。
絶対的に正しいとか宇宙的な真実であると言う気は全く無いです。
でも、とある側面であることは確かです。

こんな風に物事を捉える視点が出来ると、違う可能性を模索出来るかも知れない。と私は思います。





本日は5月度のワークショップでございました♪
ご参加頂いた皆様方、ありがとうございました。


8月の予定が確定しましたので、6月以降と合わせて掲載させて頂きます。



★6月ワークショップ
2012年6月10日(日曜)午前11時~午後7時
※通常ワークショップではなく、長時間行う拡大バージョンです。
※終了後、希望者で食事会を行います(予算約5,000円程度)。


★7月ワークショップ
日時:2012年7月8日(日曜)午前11時~午後2時


★8月ワークショップ
日時:2012年8月5日(日曜)午前11時~午後2時





詳細はHPをご覧下さいませ。
定員になり次第締め切ります!

来月は1dayワークショップとなり、長時間の開催です。
是非深い体験や理解をされますよう、皆様のご参加をお待ち申し上げております!





学びや気づきが進むにつれて、皆さんどんどん擬態が巧妙になりますなあという話も出たり出なかったり(笑)。
実生活をよりラクに楽しいものにする為、沢山の気づきや理解という道具を使って進んで行かれますよう願っています。

いやー毎度毎度面白すぎますわ(笑)。






東京では寒暖の差が激しい日々でしたが、そろそろ落ち着きそう…というか、暑くなりそう、らしい、です(笑)。
いやー暑いのがとてもとてもとてもとても苦手なので、今からドキドキしております。

等と言っている間に、明日は5月度のワークショップとなりました。
持参するアクセサリーに新作が仲間入りです。


まずはパールから。



DSC_0183.jpg

★Silver925 本真珠ピアス
ツイストが掛かった大振りのフープピアスです。
そこに、本真珠を一粒。シンプルカジュアルなジーンズや、引き続き流行中のマキシワンピに合いますよ。
シルバーカラーのフープはちょっとクールな印象がありますが、揺れる真珠がとても女性らしい印象を与えます。




DSC_0189.jpg

★K14GF 淡水パールネックレス
こちらはネックレスで、素材違いの淡水パールです。
オレンジ色のパールですが、シャーベットカラーと言える明度&彩度の高さ。
コロコロと連なるパールはファッションのアクセントにもなります。
ジャケットに合わせてもインパクトが出るかと思います。




DSC_0196.jpg

DSC_0192.jpg

★K14GF ブルーレース×ローズクォーツ×カラーサファイアネックレス・ピアス
こちら、ネックレスとピアスでデザインがお揃いです。
ブルーレースは仄かに光を通す、ミルキーブルーが特徴。透明度が高い物は希少価値が高いとされています。
ペールカラーのピンクを合わせていますが、どちらも優しい色合いなのでどなたにもお勧めです。
ローズクォーツも透明度・クオリティ共に非常に高い素材になります。



DSC_0178.jpg

★K14GF ローズクォーツ×アクアマリン アメリカンピアス
チェーンを通すタイプのアメリカンピアスです。
こちらは↑のセット商品に使っているローズクォーツの仲間ですが、サイズが僅かに小さい物になります。
こちらはプチサイズのカラーストーンを合わせているので、上品に見える効果があります。




DSC_0187.jpg

★K14GF ネオンブルーアパタイト×マルチストーン ネックレス
宝石質のネオンブルーアパタイトに、ピンクサファイア、マンダリンガーネット、ペリドット、アクアマリンと様々なカラーの石を合わせたネックレスです。
キャンディカラーは春夏大活躍するので、このシーズンとてもお勧めです。
シンプルな白シャツの下に合わせたり、このマルチカラーの中の一色を服と合わせるのもオシャレ。




以上、今月の新作でした~。
明日ワークショップ会場でお会いする皆さんは、是非ご覧になって下さいね♪
…一般の皆さんの目に触れるのは何時の日か(笑)。








東京はここ暫く、お天気が急変し続けています。
雷雨&雹がセットで降った時はびっくりしましたが、それも予報で出ていたのでその科学力にもびっくりです(笑)。



私は本屋巡りが趣味の一つなのですが、ビジネス本やエッセイ本のコーナーにはズラリと『人生を変える系』の本が並んでいます。
こうやれば絶対変わる、こうしておけば大丈夫…みたいな類の内容です。

これらの本は大別して二つあります。

・目標を作り、計画を立てて実行する系
・心の持ちようと日常生活でプラス思考と行動を心がける系


前者はビジネス系の自己啓発に多いです。
後者は女性向けのややスピ本に多く見受けられます。


男性的・ポジティブ・自立の思考が強い人は、多分前者の本が好きだと思います。
イケイケで何でも自ら切り開き、行動している気がするのが好きな人ですね。

女性的・ネガティブ・依存的思考の人は、嫌なことがあった時に逃げる場所として後者の本が好きだと思います。
変えるのではなく、「この本にこう書いてあるから私はこのままでいいんだ」と結論付け易いでしょう。

どちらが好ましいかと言えば、どうという訳でもないです。
その人がどう生きたいかに依ります。
どちらも上手に使えれば丁度良いのではないかとも思いますが、やっぱり好みですからねー。


但し、著者も単なる一個人です。
どのような内容であっても、それは個人の思考に他ならないことを忘れてはいけません。
そういう風に書いてあるから絶対的にそうなのかと言えば、大概そうでもない(笑)。
どちらの系統の本を読んでも、そして実行したとしても、書いてある通りになる人とならない人が居ます。

その違いは、思考や観念がどうであるかということですね。
本の著者に非常に近い観念を持っていたり、行動や現実化を阻害する観念が非常に少ない場合は、書いてある通りのことが顕現するのに時間は掛からないでしょう。
つまりどういうことかと言うと、『人に依る』ということです(笑)。


例えて言うと。
「目標を立てれば必ず叶う」と心底信じていれば、そのやり方が一番効果的です。
当然、(無意識的に)自らそうなるように行動します。
逆に、「目標は達成されないもの」という観念があれば、それこそ絶対そうなるように自分でことを運びます。

両者共、そういう意味では観念の通りに現実化しているのですが(笑)、どちらも無意識レベルで行っているので
「書いてある通りにやったらそうなったよー」
「書いてある通りにやってもそうならないよー」
という別の結果が出てしまいます。



"心の持ちよう"系も同じことです。
「そうか、こう思えばいいのか!」と本を読んだ瞬間は救われたような気がします。
しかし抑も全くそう思っていないとか、強烈にそれを否定する観念がある場合は、そのように思えば思う程逆の現象が続発します。
「書いてある通りにしたけど、やっぱり違った」ということを証明する為に、否定出来ちゃう現象を起こしてしまう、と(笑)。

これら全てがエゴ様のお仕事です。
エゴは基本的に「私は絶対に正しい」「私は悪くない」ということを証明するのがお仕事なので、それこそあらゆる手を尽くして現在抱えている観念を現象化し、具体化し、証明して見せます。

「ほらやっぱりそうなった」
これは、最初から分かっていたのでも直感でも何でもなくて、ただ単に自分がそうなるように運んでいるだけ。
勿論顕在的には全く意識していないので、恰も最初から分かっていたとか勘だとかいう風に思い込めるということで。



という訳で、現実生活の中で自分がどのような観念を具体化しているかを知るには、こういう本はある種役に立つツールとなります。
その通りやってみたり、そういう風に思ってみたりすることで、一体どんな現実が見えるのか。
書いてある通りにならないなら、元々そういう風に思っていないということが分かるでしょうし、そうなるならば著者とは観念が近いんじゃないでしょうか。
…本の使い方としてはちょっと違うような気がしますが(笑)。

知識があることは非常に大切ですし、実践も同じくらい大事なことだと思うので、本は大いに読んだら良いと思います。
そして、実際やってみてどうなのかを測ってみる。
当たりも外れも自分で決めていることですから、色々な本を沢山読んで色々な形で自分を知って行けば、確実にものになるのではないかと思います。



先日、メール頂いた方へ返信した内容の一部を転載します。



今(エゴから見て)上手く行っていないと思えてしまうことがあるとしても、それを全て「何かトラウマがあるからだ」という所へ結びつけてはいけません(笑)。

この話は色々な形でお伝えして来たと思いますが、皆さんのエゴが強烈に
「そんな筈はない! 私だけは絶対に違う! 痛ければ、辛ければ何かのトラウマやブロックがある筈だー!」
とアピールしまくるので、聞き入れて頂けるまでに時間が掛かるんですよね。

気に食わないこと、認めたくない現実に対して、言い訳を後付けで作るのがエゴの仕事です。
騙されないように気を付けましょう。




……という訳で。
今ある現状について「これはダメ、上手く行っていない」とエゴが言う現実には種類があります。

実際にトラウマやメンタルブロックが障害になって、スムーズな現実生活が進まないという点も、確かに沢山あるでしょう。
そういう場合は自分に対して腰を据えて掛かること、実際どの場面に於いてどのように作用しているのかを出来るだけ具体的に・正確に観察出来れば、先々の展開に繋がり易いでしょう。


また、「これが気に食わない!」とエゴがジャッジしている結果を基に、「こういう結果が出たのは私にトラウマがあるから」と後から原因(であって欲しいもの)を作ってしまう場合。
これは本来であれば、そういう風に結論付ける思考パターンを浮き彫りにし、思考パターンそのものを変更するのがお勧めです。
何故なら「あ、自分で妄想していた」と一度気付いても、抑ものパターンが変わらなければ、また何か気に入らない現実を見付けては「ブロックが~」と言い始めるからです。

しかし、大枠での思考パターン自体に気付くのは非常に高難易度且つ面倒極まりない作業となります。
もしこれを希望する場合は、他人(プロ)の手を借り乍ら継続的に自己へ取り組むことこそ、最短の道になるでしょう。


但し、自己成長を望まない場合は全く以てお勧めしません。
何故かと言うと。
自分の思考のパターンそのものに気付いてしまうことは、普段我々が「これが私です」と思い込んでいるエゴにとって、非常に嫌なことだからです。
一時的にではありますが、恥ずかしいとか情けないとか私はダメだとかどうしようもない等という、自己嫌悪の思考で一杯になる可能性が高くあります。いや、ホントよ(笑)。

自分が正しいことを証明したい場合は、後付けででも「やっぱりブロックが原因だったのね~」に落ち着けば良い。
自己成長を望む場合は、大きな思考パターンを打ち破る時、一時的にのたうつような苦痛(これも所詮は妄想なんですが)を通過する可能性が高いです。


私としては「好みの問題なので、どちらでも構わないと思います」という例のアレです(笑)。

どっちもやってみるというのも、一つの手かも知れませんし。
途中で移動するというのもアリですし。
最初にあっちをやってみて、暫くしてからこっちをやってみて~…というのも宜しいかと。


生き方なんて人それぞれ、良いも悪いもありはしませんから。
とは言え折角生きているのですから、色々体験してみるのは楽しいことだと思いますよ。




GWですが、東京はこの2日間雨が降っていました。
私は涼しい方が好きなので、大変助かりましたが(笑)。

GW中の後半はお天気が回復して来るようです。
ご予定がある方は、楽しめるといいですね。





長いことずっと好きだったものを、最近久しぶりに眺めたのですが。
以前のような反応をしなくなっていることに気付きました。
「……あれ?」
という感じです。

今も好きっちゃ好きなんですが(笑)、前のような絶対的な思い入れみたいなものが消えているように感じまして。
長ーーーい間大好きだったものに対する反応が変わったのは、その対象が変わったのではなく、私の見る角度や箇所や感じ方が変わったのであろうと思います。


先日記事に書きましたが、人でもモノでも「何故それが好きか」という理由は誰にでも必ずあります。
『~~~だから好き』
というのは、自分がそうなりたいから・そうであるからという理由が殆どです。
つまり投影ですね。

因みに私の場合ですが、前述の『昔死ぬほど好きだったもの(人)』を先日見て何を感じたのかと言えば、「うーん、気難しそうだなあ」でした(笑)。
自分がそうだったからか。なるほど。と、妙な納得をしました。
しかし、昔はそんな風に全く見ていなかったのです。ビックリしました。


はーそうでしたそうでした。
対象と自分に似たような特質を感じ取って、表面上は違うもののように解釈をして、好きという言葉を被せてしまうのだな。
という風に、分かってはいたものの、もう少し深い理解をしたように思います。

勿論種類はありますから、全ての人がこれに通ずる訳ではなく。
好きということにして、自分と対象を同一化する(実際行動せずともそういう風になった気分を味わう)為かも知れませんし。
中身を解体すると、色々ありますね。


過去に好きだったものを好きでなくなる時、
「好きでなくなっちゃう、どうしよう!」
とエゴが焦ったりします。
まだ好きでいられる部分を血眼で探して「良かった、まだ好きだわー」と安心する。

何故かと言えば、過去それが自分だと思っていたものが否定されるような気がするからです。
また新たな拠り所を探さねばならない、それは嫌だとエゴは言います。
信仰みたいなものですね。宗旨替えも簡単に出来れば良いのかも知れませんが、縋る対象を求めて彷徨う所は同じです。


好きは好きでいいと思います。
その中身が楽しいとか嬉しいとか面白いということで埋め尽くされているのだとしたら、それでいいと思うんです。

偶に引っ張り出してよーく観察してみて、何故好きなのか・何故拘るのか角度を変えて検証してみると、それまで見落としていた何かが見つかるかも知れません。
そういった要素もまた、自分を知る為の道具なのです。







先日セッションを受けて下さった方から、メールを頂戴しました。
一部引用させて頂きます。


────

自分と向き合う作業をすると、忘れ去っていた記憶が蘇ったり、感情が溢れ出て涙もすごく出るもんなんだ。
私ってこんなものを抱えていたんだ、だからいろいろやりにくい人生だったのね。
みたいな形ですっきりして癒されるものなのだという考えがありました。

これが問題だ! 苦しい! ということの根本が解消されたら、その先は楽しい事ばかりの人生なはずだ、地に足をつけて自分の人生を生きられるんだ!
…とか思っていました。

でも、楽しい事ばかりとか地に足をつけてとか自分の人生をとか、どれも別にないし。
そもそも問題も苦しみもなくて、ただ自分で妄想して演じていただけだったという事実がわかりました。


癒すとか手放すとか解消するとか、そういうスピリチュアルな世界の言葉にこだわると、現実的なことから目を逸らそうとする、逸らせてしまえるところがあるのかもしれないですね。
ただ見るものを変えたらいいだけだったということも多々あるのではないかと。

トラウマを癒すことが必要な人もいるのでしょうが、案外すぐ傍にほんとのことが隠されていたりする場合もあるのかも。
灯台下暗しでしょうか…。
足元を見ないふりをしないように気を付けます。


────


……『癒し』という言葉に対してお持ちの定義は、人それぞれでしょう。
巷に溢れている系列書籍等を読みますと、号泣してすっかり綺麗に跡形もなく傷が消え去る、或いは至福感や幸福感で一杯になるということを指した言葉ではないか? という風に思われるかも知れないです。

『ゆるす』も同じことで、怒りや憎しみや妬みや嫉みが綺麗に無くなって、逆に友愛の感覚へ転じることまでを含めて『ゆるし』なのだ…と捉えている方は多いと思います。


勿論、そういうこともありますよ……時にはね(笑)。
じゃあ実際どんなんですか? と言うと、人に依って千差万別ですので、何とも言えません。

もし違うステップへ小さく踏み出した時に、自分の知っている『癒し』『ゆるし』という言葉が当てはまらないならば、それは『気づき』ではないかと考えます。
端的に言いますと、「あ」っていう感じです。



イメージワークをして号泣しているからって、それは癒されたことになるのか? と言えば、一抹の疑問を持つ時もあります。
自分も含め色々な方を拝見していますが、傷のある深さや問題のレベルもそれぞれです。
その中には、『癒される時はこういう風になるもの』という観念に則った言動をされている方も、案外多くいらっしゃるかと思います。

書籍等で長くスピリチュアルに親しんでいる方ほど、その傾向は顕著になります。
実体験が伴わない間に、「癒しとはこういうものであって欲しい」という妄想が膨らむからです(笑)。

求むる体験が手に入らないことを、エゴは「おかしい。こんなの嘘だ、まやかしだー」と言います。
という訳で、その体験をさせてくれたり言ってくれる人やものを探し、彷徨ったりする人も居るでしょう。
それはそれでアリだと思います。
お金と時間と体力とガッツがあって、羨ましい限りです(笑)。



体験を疑えと言うことではありませんが、以上のようなことを一つの大きな可能性として頭の隅に入れておいて頂けると、先々お役に立つこともあるのではないかと思います。
ま、個人的には結果が出れば何でもいいんじゃないかと思いますが(笑)。



「○○を好き」「嫌い」というのは、マインドがジャッジしている内容です。

巷の慣用表現には「生理的に」とか付ける場合がありますが、これは後付けです。
生理的に好き嫌いというのはほぼ存在しません。
また好き嫌いのジャッジとは、何らかの外因的・内因的な出来事によって、一瞬で変わってしまう可能性が非常に高いものです。


好き⇒マインドにとってメリットがデメリットより多い
嫌い⇒マインドにとってデメリットがメリットより多い



これだけです。
好き・嫌いの一言で纏めてポイッと出来てしまうのですが、よーく分解して行けばちゃんと理由があります。
「~だから好き・嫌い」と、前提がある。

好きにはポジティブな響き、嫌いにはネガティブな響きを感じる場合もあるでしょうが、それも人それぞれ違います。
好きだ好きだと連呼していれば、実際そうなのか?

ただその人に利益があるだけじゃないの? とかね。
「○○を好きということにしておけば、非常に有利である」
というエゴにとっての理由も、結構あちこちに見受けられます。



キャラ作りの為にやっている場合も往々にしてあるでしょう。
しっかりしたいい人だと思われるから、頭が良く見られるから、チヤホヤされるから…等々。
こういう一瞬のエゴによる満足の為に、好き嫌い(ということにしてあるもの)を利用していたり。

例えば、自分は芸術家なんです。
というキャラ作りの為に、「私は音楽が好きなんです」と言い続けている場合。
自称・芸術家であることは、この人にとって何らかの利益があります。

褒められる、特別な気分になれる、それによって優越感を感じられる、自分が正しいと思いこめる等々、何かがあるとして。
だからそのキャラを続けなくてはいけないとエゴが命じます。
そんな目的の為に、"自分は音楽を好きな筈のキャラ"をやり続けるのですが、それは外側から見て判別出来るかと言えば、あんまり出来ないかも知れません。

とは言えあくまでキャラ作りなので(笑)、それが天職の筈! と息巻いて色々やっても、埒が明かない可能性もあります。
その上、他人はあまり自分のことなど見ていないものです。
欲しい評価や印象は殆ど持って貰えなかったりします。
しかしエゴは「こういう風に演じていれば、こういう風に見てくれる筈だ」「これを得られる筈だ」と言い続けるので、本来の目的に気付かない間は一生それをやり続けることになります。


それを好きというジャンルに入れておいても、欲しいものが得られないとしたら。
それでも続けるでしょうか。
違うことを選ぶでしょうか。


もし今、選び直せるとしたら。
どうしますか?





プロフィール

Sachi

blog owner:Sachi
潜在意識を活用した、ちょびっとスピリチュアルな総合セラピー、癒しのワークショップ・タロットカードセッションをしているSachiです。
穏やかに楽しく成長出来るよう、入手した情報や、日々の気づき&
発見などをシェアして気ままに更新。
イベント情報も随時掲載中です♪

※記事の内容、情報については一個人の捉え方、考え方に纏わるものが大半です。
絶対的な事実という訳ではありません。
また、私の理解や気付きの段階に応じ、記事の内容にも随時変化がありますことを何卒ご理解下さい。
過去の記事をご覧になってセッションやワークショップにご興味を持たれた方は、最新記事近辺を幾つかご確認下さいませ。


旧blogタイトルは『気づきのステップ』。


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