resonance

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Date : 2011年11月

◆ Infomation

【works】
★ヒーリングセラピー個人セッション
 都内で対面式の個人セッションを行っています。
 幸せと癒し、学びと気付きを得たい方へ、様々に対応させて頂きます。
 潜在意識を日常へと活用することで、より良い人生へ変えることが可能です。
 随時お受けしておりますので、サイトをご覧下さいませ。

★癒しのワークショップ
 毎月一度、都内で女性向けの体験型ワークショップを開催中です。
 沢山の変化・癒し・浄化・成長・気づきを促すテクニックが山盛りです。
 2017年8月13日・9月3日・10月8日(全て日曜)
 の開催が現在確定しております。全て11時~15時です。
 ※以降の開催は決定次第upして参ります。
 ※それぞれ内容の詳細はサイトをご参照下さい。

数日前、Mahalo Kitchen Studioの池田智子さんからお土産を頂きました。
papabubbleのキャンディリングです。

パーティーに行かれた際に、お土産でテイクアウトされたそうな。
わざわざ私の分まで、数ある中から選んでお持ち帰り下さいました♪




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……デカい(笑)。
勿体なくて舐められない~というより、デカくて口に入らないって感じですね。
下のは小さくて可愛いですが、どっちにしても勿体ない感じです。


ン年前、papabubbleが日本に上陸した年に、友人と買いに行ったのを覚えています。
あの時行ったのは高円寺だったような? いや、中野だったかな?(食べログ情報ページはこちら)
ガラスの向こうの職人さんが手際よくキャンディを作っていて、子供のようにウィンドウに貼り付いていた思い出が…。
スペインの金太郎飴がメインなのですが、細長い棒状の飴を凄いスピードで切り出して行く技に釘付けで、すげー! と思いながら見ていました。

キャンディもすごく美味しかったです。
今でこそあまりキャンディを口にしなくなりましたが、ここのはジューシーで美味しいですよー。


子供の時に、指輪になっているキャンディが売っていたのを思い出します。
懐かしいわー。凄く好きだったけど、キャンディが大きくて食べるのに難儀したものです(笑)。
子供の頃からジュエリーが大好きだったので、それが飴であってもキラキラしていれば非常に魅力的でした。



ここのキャンディはギフトにも喜ばれます。
一度口に放り込むと、止まらなくなっちゃいますよ。





スピ系や自己啓発の本に、「自分が変わると周りが変わる」というような表現が見受けられることがあります。
実際、それを目の当たりにされた方や、体験された方はいらっしゃるでしょう。
私もありますよー。

特定の誰かとの間に問題がある(と思っている)場合、自分がその問題に執着するのをやめたら、相手が急に態度を軟化させたとか、何年も音信不通だったのに急に連絡が来たりだとか、そういったことは案外よくあります。
ええ、私もありますとも(笑)。



でも、それは全てのケースに該当するとは限らないらしくてですね。



例えば、家族の誰かに対して大きな感情の歪みや、傷を持っていたとしましょう。
それを癒しました。自分はラクになりました。
では、前と全く違うコミュニケーションになり得るのか?
と言えば、「その関係性による」ようです。

所謂、ソウルメイトという間柄であれば、共に成長して行きます。
一緒に成長して行きましょうと、そういう約束で来ているからです。
でも、如何な家族とはいえ、血が繋がっていようとも、ソウルメイトではない場合があります。

んー、実はこっちの方が多いかも知れないですね。
となると、自分がラクになったその勢いで相手に接した所で、以前のようなリアクションが返って来るばかり…という結果もよくあるのです。



「あり? 『自分が変われば相手も変わる』んじゃないの? なんでまた同じことが…」
と、鳩が豆鉄砲を食ったような顔になったこともあります(笑)。
その頃は全く、相手との関係によるとは思いませんでした。

自分が確実に変化をしていても、相手にその変化が見られない場合というのは、『途中下車』の約束で来ている場合が多いようです。
つまり、人生の何処かで離れて行くということが決まっている間柄。
親子、夫婦、恋人、友人、仕事の仲間等々、どの関係であってもあり得ることです。


という訳で、自分が変化した後の相手のリアクションというのは、本来どんな間柄なのかを見極めるバロメーターでもあります。
こう書くと、かなりドライな言い方ですけどね。

今の段階で深く愛情を感じている場合や、これまでのやりとりが長かったりすると、とてもじゃないけどそんなの認められないと思います。
ただ、誰かとの関係で苦しんでいる場合は、「あ、いいの?」とラクになるかも知れませんねー。



ところで、ソウルメイトってロマンな響きですよね(笑)。
まるで、何も苦労せずに・努力することなく・仲良くやって行けそうな気がするじゃないですか。
結びつきは強いかも知れませんが、お互い人間なのですから、そういう風にはなりづらいと思います。
でもでも、何だかロマンな感じがするから、そう思いたいですよね。分かります。

そうそう、誰かを変える為に自分が変わろうとするのは、何ら意味の無いことですよ念のため。
だって、目的が『自分が変わることで他人をコントロールしようとしている』ことですから。
動機を履き違えると、首を捻る結果が出て来るので、ご注意を(笑)。




周りを見渡してみると、共に成長して行くソウルメイトは居そうでしょうか?





昔、とあるセミナーに出た時のことです。

フォーカスパーソンといって、参加者の中から一人が立候補・或いは指名されて前に出て、トレーナーのデモンストレーションを受けるというやり方に手を挙げたことがありました。


その時、私は自分のことではなく、私を通して母親の癒しと解放をして欲しいとお願いしました。
既にその頃、人間は潜在意識で繋がっているということを、知識でも実践でも学習していたからです。

母の意識を感じてみると、罪悪感と恐怖で一杯のような気がしました。
それとは裏腹に、本当はラクになりたい、自由になりたいという飢餓感で一杯で、愛を渇望しているのです。
「もう自由になっていいですよ」
とセミナートレーナーさんから言われたのですが、そう言われても身体が強張って全く動かず、自由とはほど遠い印象を抱きました。


なんだこりゃ? と不思議に思ったのですが、
「許可が無いから出来ない」
と、私の口から言葉が出て行きました。

トレーナーさんが
「自分で自由を許可出来ないなら、私が許可します」
と仰って下さった時、沢山の涙が止まらなかったのを覚えています。


────これはもう、10年以上前の話です。
実際これが、母にどのような効果をもたらしたかは分かりません。
ただ少なくとも、"私の中の母親"は少し救われたのではないかと思います。




と、ここで本日の記事を綺麗に纏めることも出来ます(笑)。
んー、これはこれでアリな感じもしますな!
とか書きながら続けます。ハイ。



「自分に許可を与える」というのは、非常に大切なことです。
人によっては、潜在的に自分に対して様々な禁止をしていることがあります。
幸福を禁じたり、健康を禁じたり、結婚を禁じたり等々、種類は多いと思いますよ。
これを解放するのに手っ取り早い手段が、自分に対する『許可』なのだと思います。
分かりやすく表すなら、自分に対して「~していいよ」「こうなっていいよ」と言うことです。

「こうなりたい、こうしたい」という願望を抱くことと、そうなって良いという風に許可を与えることは、全く別個のものです。
だから「えーだって私はいつもそうなりたいって思ってますよー」というのは、あんまり…全然意味がなくてですね。
なりたいと願うことはOKでも、実際そうなることにOKを出していなければ、その願望が達成されるのは、なかなか厳しい道程であろうということです。
このケースだと、いつまで経っても「おかしいな、全然現実化しないぞ?」という風に疑問を感じるでしょう。




「~なりたい!」「~したい!」という願望がもしあるなら、自分に対して「なっていいよ」「していいよ」という許可をセットで与えてみると、結構面白いかも知れません。
顕在意識と潜在意識に相反した情報がある場合は、勿論その限りではないと思います。
でも、許可って大事なんですよ。

例えば、自分に対して幸せを禁じている場合、それを手に入れている(ように見える人)を妬ましく思うのがエゴというもの。
表面的に把握していないとしても、妬みが無い人は存在しません。
仮にも自分には無いと判断するのなら、実は抑圧という形で見なかったことにしています。
最初に反応した嫌だなという感覚を完全に抑圧して、自分を騙し切ることが出来ないのであれば、これを違う形にねじ曲げます。
嫌だなあを元に、その人の粗探しをする場合もあるでしょうし、妙に気後れして苦手意識を持つ場合もあるでしょう。
大体は、如何にもそれらしい理由をくっつけて「嫌い」ということにしておく。

それはそれでアリというか、ダメな訳ではないのですが、終わりが無いので(笑)。
だったら、とっとと「あーこれは羨ましいんだな」ということを認めて、「私もそうなっていいんだよ」と許可すれば良いだけの話なんですねー。



欲しいなと思ったら、「手に入れていいんだよ」。
羨ましい人を見たら、「そうなっていいんだよ」。
幸せになっていいし、健康になっていいし、楽しんでいいし、ラクしていいし、どんどん手に入れていいし、仲良くなっていい…etc.
という風に許可を与え続けることは、自分が無意識のうちに設けている限界を破ることでもあります。



ただ、そうなることを自分に許可する。
努力をさせるのでも、追い立てるのでも、頑張るのでもなく、ただ一言「いいよ」と自分に対して頷くこと。
これを、自分に幸せを与える手段として使ってみては如何でしょう。







先日、11月度のワークショップを開催した数日後、久しぶりにご参加下さった方とお会いする機会がありまして。

「会場へ向かう電車に乗ってる時、『この電車止まらないかな…』と思いました」

と仰っていました。
これは、ご参加下さっている多くの方が口にされる、スタンダードな抵抗の言葉です。


何故抵抗するのかと言うと、以前から何度も書いていますように、
「このままで問題ないということにしておきたい」
からです。



何も直視せず、どんな痛みも発生せず、生活の改変も一切行うことなく、良いことだけが起きて欲しい。
という風に我々のエゴは要求します。

この『良いこと』という単語の前には、枕詞が付きます。
正確に表現しますと、『エゴにとって』『都合の』『良いこと』となります。

思い込みの力が強い人、自分『だけ』大好きな傾向の強い人は、起きている出来事を拾い集めて、「私だけ特別」なことに出来てしまいます。
引きも強いし、関係ないことも「私の為に起きた」という風に脳内変換出来る訳です。
これの違うバリエーションとして「私だけ不幸」がありますが、めんどくさいので割愛します(笑)。



本当に変化を起こす時というのは、ただ泣けば良いのでもなく、ただ理屈で分かった気がするのでもなく。
身体から不要な観念が排出された後に、物理的な変化が起こり始めます。
この時、一時的にでも哀しみに襲われたり、また痛みを感じることがあります。
で、時々考える訳です。
痛い思いを一切せずに、トラウマって、潜在意識にあるブロックって消えるんだろうかと。

だって、私も痛いのはヤですもん(笑)。
ブロックが解消される折、溜まっていたエネルギーが身体から出て行きます。
その時に、"長年見たくなかった・忘れていた・思い出したくなかったアレ"を再体験する訳です。


私の体験で言いますと、それは肉体的な痛みを伴う場合もありますし、環境で出る場合もあれば、耐え難い精神的な苦痛のように感じられることもあります。
身体を造り替える意識を始めて、サプリを飲んだり、ウォーキングしたり、食事を変えたりということを行ってから、大分ラクにはなりました。
なりましたけど、無くなったりはしていないのです。

自分でも色々な作業を行い、更に色々な人を見て来て、
「自分の中にある傷やエゴを直視するのは辛いだろうな」
ということだけは、よく理解しています。


例えば、私は「癒してあげている」訳ではなく、あくまでお手伝いです。
効率的に癒しと成長を進めるには、本人がそこへ能動的な姿勢を持つことが何よりも必要です。
でも、それには痛みや見たくない部分を知ることが、どうしても避けては通れない道となります。
セッションやワークではヒーリングをしながら進めますので、極力その痛みを軽減し、更に深い部分からブロックが浮き上がって来るようサポートはしていますが、全部は消えないのですよ~。

やればやっただけラクにはなります。
でも、一時的に痛いし辛いという所を、どうやっても完全に消し去ることは出来ない。
となると、積極的な内観やワークは私からはオススメしづらいものがあります。
嫌だろうなーっていうのが分かっているからです。
他人様や道具の力で色々なサポートを受けることは可能ですが、結局やるのは自分以外の誰でもなく。
固い意志がないと、どうしても難しい…というのは、体験上よーく知っています。うーんジレンマ。




色々書いていますが、脅すつもりは全く無くてですね。
いやー数々の方々が電車を止めたり、天気を変えたり、ピンポイントで都合や具合が悪くなったりという、神通力的なことを起こしているので、その度にちょっと考えちゃう訳ですよ(笑)。
「その神通力、抵抗じゃなくて自分の人生をラクにする方へ使ったら早いよ!」
と声を大にして言いたいのですが、まあそれは置いといて。

私が痛い目に遭わせている訳ではないのですが、ある程度まで進んで、そろそろ本題に入りそうかな~という所まで来ると、
「あの人に会うと、辛い目に遭わされる。だから会わないようにしよう」
とエゴがインプットしていることが多いようで(笑)。



フィジカルな面でも、身体の外へ毒素が排出される時というのは、好転反応がよく起こります。
となると、そういう風に一時的なダウンを経験するのは、人体の摂理とも言えましょう。
だったら、エネルギーでも外へ出る時に痛みが伴うのは仕方ないんじゃないか?
とか考えながらも、他に道はあるだろうか…いやいやそんなウマイ話はどうなのよ…でも痛いのはなあ…だけど…と、時々ゆらゆら思考が揺れています。

出来るだけラクに楽しく癒しの道を進みたいものですが、まだまだ模索中です。
何とかして効率的なお手伝いが出来るよう、日々オベンキョー中なのでございます。
これでも以前よりは進歩しているのですが、まだまだですな~。





プラスとマイナス。裏と表。
引かれ合いながら相反する両極。
言い方を変えると、超自立と超依存になりますかね。


自分の基本タイプを、逆に勘違いしていることも多いような気がします。
出来る限り正確に判断する為、周りの人を見てみましょう。
複数の異性とお付き合いしたことのある方は、歴代のお相手がどういうタイプの人だったか、思い浮かべてみましょう。

ハイ、思い浮かべましたか~。
積極的で、支配的で、独立独歩で…という人と多くお付き合いして来た方、あなたは超依存です。
消極的で何を考えているか分からず、煮え切らない態度を取る…という人と多くお付き合いして来た方、あなたは超自立です。



超自立と超依存。
人間関係では、まず絶対にこの両極が引っ張り合います。

自立タイプの男性は、世間的にカッコ良く見えます。
依存タイプの女性は、世間的に奥ゆかしく見えます。
母系社会以降、近代までの日本社会は、どこも大概こんな感じだったんだと思います。




でね。
実はコレ、同じなんです。
同じものの、どっちの面が出ているかの違いに過ぎないんです。
自立も依存も全く同じなんですね~。


私の現在のスタンスは自立に傾いているのですが、昔むか~しからずっと自立だったかというと、これがまた全然違うんですわ。
子供の頃は、集まりの中の一番上のお姉さんにベッタリ依存で、本当に文字通りくっついてました。
そして嫌がられた過去(笑)。

その後、段々子供なりの社会性を身に着けて行く内に、自立に傾いて行きました。
何故って小学校に入ってからは、友達が男の子ばっかりだったからです。
更に言えば、家庭環境が宜しくなかったから。


私の父親は団塊世代です(母親は結構若いですが)。
先述したような男尊女卑の思想が、根深く文化を支配している時代に育った人を親に持っています。
なので、とーちゃん超自立。かーちゃん超依存。
ご多分に漏れず、かーちゃんかわいそ~という風に植え付けられて育ちました。
この場合、母親は父親に対して依存です。
その依存に対応する為、子供が自立になる…という風に、連綿と連鎖して行く自立と依存のイタチごっこ(笑)。

うちは他の兄弟も居ますから、それぞれ色々なポジショニングをしていたと思います。
今思えば、特に自立傾向が強かったのが、姉妹。依存傾向が強かったのが、兄弟でした。
そうやって自立と依存のバランスを取って、どうにか(機能不全ながら)家族という形を無理矢理保っていたのだと思います。



基本タイプが固定されても、相手によって逆に振れることもよくあるでしょう。
また、基本タイプがもっと強く出て、極に振れてしまうことも。

私の場合は、男女関係になると超自立の極まった方へ振れることが多くありました(笑)。
つまり、男っぽい感じになる訳です。
「あーもーグダグダめんどくさいな! 文句言わんと黙ってろ! 束縛すんな! 干渉すんなや!」
みたいなのね。
私がこうなれば、元々は超自立だったであろうあちら側も、
「なんでそういうこと言うの? どうしてこっち見てくれないの? 好きなら構って! 酷い酷い!」
と、超依存にがくんと傾いでしまう。
古典的な男女があっという間に逆転です(笑)。



自立は、ある一定以上の接触を嫌います。
誰かにベッタリ付いて来られると、怒りを感じます。
何故か。
自分を否定されたくないからです。
中まで踏み入って来られて、眺め回されて、「ふーん。案外ダメじゃん」と言われるのが怖ろしいから。
そして、心を許した後に捨てられるのが怖いからです。

依存は、他人と自分を同一化させようとします。
いつでも何処でも、自分の自主性を放棄して誰かに負ぶさります。
何故か。
相手をコントロールしたいからです。自分の責任を誰かになすりつけたいから。
自分じゃないものに全てを預けてしまうことで、自分自身に責任を取らず、"自分をやらなくて済む"からです。
何も考えず、決断も行動もせず、そして結果を回収しないのがラクだと思っているから。




こう書き出すと、案外全ての部分が当てはまるように思いませんか。
どの部分も、自分の中にはあるなあって。

そう考えると、一所懸命に自立とか依存で逆に振れないよう踏ん張ってるのが、ちょっと馬鹿馬鹿しいというか、やるだけ無駄というか、まあ違う立ち方もあるかなーっていうか真ん中がラクかなーと思えて来るんですよね、私は。

相手を変え、役割を交替しながら、そして自立と依存のどちらにも振れながら、我々はゆっくりとニュートラルな成長の道を歩んで行くのだと思います。





まだまだ新月です!
私は願い事を書き出したら見直してみて、書き直す箇所を見付けることもあります。
26日の15時までは、書き直しや文章の手直しのチャンスですよ~。



さて、大分寒くなって参りました。
キャンドルの炎が温かい季節ですね。

瞑想やイメージワークをご自宅でされる際は、キャンドルを灯すことをオススメします。
それと、自分の居る部屋の窓を少しだけでも開けておく
1センチでも10センチでも良いです。


溜まっていたネガティブなエネルギーが体外へ排出される際に、火は浄化を助けてくれます。
そして窓を開けておくことで、外へ出て行きます。

じゃあ、ネガティブエネルギーが外へ出て行ったら何処かの誰かにくっつくのか? と言うと、そうでもなく(笑)。
大概は、暫くするとニュートラルなエネルギーに変質しますので、ご安心を。
火の始末だけは呉々も気を付けて頂いて、キャンドルを有効活用して下さいね~。


因みに以前販売したチャクラスプレーですが、ご使用頂いている方にお話を伺いましたところ、とてもスッキリするとのことです。
チャクラを調整する波動を入れてあるのですが、お役に立って何よりです♪
こういったスプレーなんかを瞑想・イメージワーク前後に活用することは、自分で意識的に理解していなくとも、大切な手助けになると思います。

因みに私は(作っておきながら言うことでもないのですが)、そういう所は鈍感でよく分かりません…(笑)。
身体で分かれば言うことなしでしょうが、分からなくても使い続けていると、実際変化はあるのだと思いますよ~。
人間の身体は強くもありますが、繊細でもあります。
我々は、日々多くの影響を受けながら生活しているので、道具に助けて貰うことも一つの手だと思います。






candle


この立派なキャンドルは(あ、キャンドルですよ!)、お友達がセドナへ旅行した際に、お土産&誕生日プレゼントとして買って来て下さったものです。
とても大きくて重さずっしり、デザインは独創的で凄いですよ! とってもアメリカっぽいです。
『夕陽の浮かぶ海をジャンプするイルカ』…かな?
お友達によりますと、イケメンのデザイナーさん(笑)が製作している、世界でひとつしかない一点物なんだそうです。
カラーリングに情熱を感じますね~。

でもちょっと勿体なくて、まだ火を点けられないのでした(笑)。
もう少ししたら、活躍させて頂こうと思います!
プレゼント、ありがとうございました♪






今月も新月がやって参ります!
紙とペンを用意して、楽しく願いを書き出しましょう♪


11月の新月は



11月25日 15:10~



です!



新月の願いについては、新月の願いカテゴリの記事をご参照下さい(沢山あります、ゴメンナサイ)。







新月は毎月やって来ます。
毎月自分の願いを書き出すということに、一体どういう意義があるのかは、人によるでしょう。



・自分自身がどこまで成長したかの目安
・自分の内面を知り、整理する作業
・自分に多くの幸せを与える宣言




という感じで私は使っていますが、定義は人によって違うのが当たり前です。
ここに書いてあることと一緒じゃなきゃおかしいとか、そういうことはございません。
個人的にはその対象が何であっても、今より更に成長し、幸せになる為の道具だと思っているので、最大限に有効活用すれば良いんじゃないかなーと考えます。
ここに挙げた以外の活用法もあるでしょうし、それぞれに楽しく使えたら良いね~ということだと思いますよ。

こうでなければならない、やらねばならないという風に自分に課してしまうと、何でも途端に辛い作業になるでしょう。
だったらやらなくていいんじゃないでしょうか。いや、選べますけどね。
私だったら、そこまで思い込むようなことはやらないかな~(ものによりますが)。
エゴが怠惰に逃げようとか、現実を変化させることに抵抗しているのであれば、むしろやります(笑)。


もしこれをやっても願いなんか叶わないのでは? と思っているのだとしても、自分自身をしっかり見つめる日として使えたら、それで御の字ではないでしょうか。
ていうか、抑も月が願いを叶えてくれる訳ではないと(私は)思いますし。
んー、ただその辺の価値観も人それぞれなので、「こういうもんだ」と断定は出来ないんですけどね。



私の亡き母が「願えば叶う」とよく口にしていたのを覚えています。
でも、実際彼女はそれを殆ど信じてはいなかったでしょう。
彼女の人生を見れば、ちょっと残念ですが、それはただの期待でしかなかったんだなと思います。

私はそんな母をコピーしていたので、「願っても叶わない」という観念を長い間持っていました。
で、後天的にその観念を弄り初めて、変化が始まったのを実体験として知っています。
今も尚、自分改造中ですよ。



本当はただ、不要な観念をお掃除して、自分を書き換えてしまえば良い。
それだけで、苦もなくどんどん現実化し続けるのだ。
ということを、自分に取り組むようになってからやっと理解し始めました。
私の周囲を見回しても、やっぱりそういう風にシフトしています。
更にラクちんに現実化するといいな~。
私はなりますし、しますけどー(笑)。




今月も、沢山の夢と願いがラクに叶いますように♪




私は最近、ブログや喋り言葉の中で『虚像の自分』という表現を使います。
エゴの作り上げた偽りの自己像、言い換えると『こうありたいという妄想で作った実在しない自己像』のことです。


日頃我々は、何らかのニーズやトラウマによって、自分ではない何かに擬態しようとしています。
擬態している自分と元々の自分の区別が付かなくなり、擬態している状態こそ本来の自分だと頑なに信じ込み、完璧に自分を騙しているケースも多く見受けられます。

女性誌の特集や、スピ系の本なんかに『本当の自分を捜す』というようなキャッチがありますが、これは本来エゴの作った幾重もの仮面を剥いでいく作業を指すのでしょう。
でもこれ、本気で取り組んだらイヤな作業なんだと思いますよ。

例えば旅に出て本当の自分が見つかるなんて、そうそう無いでしょう。
つーかココに居ないのかよ。って話です。なんで旅先にいるんじゃい。
そもそも旅に出るまでもなく、自分自身はいつでもココに居る訳で。




では、虚像の自分はどうやって作られるのでしょーか。

・胎児期~思春期頃までの親からのニーズ
・周囲と比較した上での劣等感
・現実逃避


の3つが主因の殆どではないかと思いますが、これらをミックスしつつ念入りに練り上げた上で、偽りの自分が出来て行きます。


これを破壊するのは簡単です。
でも凄く大変です。辛いことです。
日頃「これが私」と思っているものが実は妄想なのだと認めることは、どれだけの苦痛が伴うでしょう。
苦痛を感じているのは我々の心ではなく、ただのエゴなのですが…。

エゴは嘘つきです。
虚像の自分と実像の自分を比較した時に、多かれ少なかれ必ずギャップがあることに気付いてしまいます。
だから、何らかの形で嘘をつきます。
虚像の自分が本物だと信じ込ませるには、リアルとバーチャルのギャップを覆い隠す程の大きな嘘を吐く必要があります。
更に本当の自分を暴き出すものを非難し、糾弾し、そこから全力で逃げようとします。
これを総称してエゴの抵抗と言います。



さてさて、ここまで読んで「痛いなあ…でもやってみようかな」と思われた勇者な皆さん。
大変素晴らしいことです。死ぬこととどっちが怖いかと問われて、虚像の破壊の方を選ぶ人は多いと思いますよ。
だから大変天晴れな選択をされたと言えましょう。ブラボー。

そこで。
どうやって虚像を破壊するのかと言うと…例としてひとつ、手っ取り早い方法があります。
とっておきですよ。今更イヤだとは言わせませんぜ(笑)。






イメージで呼び出しても、実際目視するのでもいいです。
大キライな人をよく見ましょう。
大好きな人をよく見ましょう。

はいはい、ガン見して~~~。
どちらもそれぞれ好き・嫌いな理由を文章にしましょ~。



○○だからキライ。○○だからスキ。
という文章があるとしましょう。
では、それは何故? どうして? 何処が具体的に好きor嫌いなのか?



…と、掘り下げてみると、案外直ぐに本当の理由に行き着きます。
好きとか嫌いという風に、アイコンとして目に付く訳ですから、突出した理由がある筈なんですよ。
「生理的に」というのは、エゴが逃避する為に使う嘘です。ちゃんと理由があります。
自分がその思考を産み出しているんだから、絶対分かります。つーか分かるまでガン見。

腑に落ちるまで掘り下げる作業をすれば、実は他人を通じて自分を見ていたことに気付くのではないかと思います。
好きというのは、一見ポジティブな理由があるように見えますが、エゴが逃避に使っている可能性もあります。
なので、どちらもよく洗い出してみましょう。
好きだろうが嫌いだろうが、そこに本来こうありたかった自分を、またやりたくても出来ないままの自分を、誰かから否定されたと思い込んでいる自分を、何らかの理由で見出している可能性が非常に高いのですから。




イメージワークが得意な方は、己の虚像と実像を呼び出して、見比べてみると良いでしょう。
その虚像は何を隠す為にその姿をしているのか? 何を目的にしているのか? 等を、色々な角度から検証してみましょう。
慣れている方は、統合までしてみて下さいね。
虚像と実像をミックスして、一つにする。
そして、現実の自分の肉体の中に入れてみましょう。
どんな感じがしますか? イヤな感じがしても、良い感じがしても、それをじっと感じてみましょう。
どんな風にイヤな感じ? どんな風に良い感じ? と、観察する。
ゆっくり身体の中に落ちて行く感覚が得られるまで、じっと動かずに居ましょうね~。

ワークショップにご参加下さっている方が、このやり方で面白いビジョンを見たと教えて下さいました。
なんでも、富士山よりも高~~~~いプライドを持った、巨大な虚像が出て来たらしいです。
イメージとしてはかなり分かりやすいですなあ(笑)。




……色々書きましたが、虚像を持つことが悪い訳ではないので、悪しからず。
ただ、自分を知ると結果的にラクにはなるので、これもまた成長とラクになる為の一つの手段ということですね。




私がいつもお世話になっております、セラピストの月美まりえさんが、東京でソースのワークショップを開催されます。

数多くの資格を修得していらっしゃるまりえさんですが、スピリチュアルのみならず、フィジカル面にも大変造詣の深い、素晴らしいセラピストさんです。
まりえさんは現在大阪にお住まいですので、東京でのワークショップは自然とチャンスが少なくなるかと思います。


ソースは自己啓発書としては、かなり古典の部類に入る本です。
ワクワクすることをしましょう、行動しましょうという単純明快なメソッドが著されています。
ソーストレーナーになるには、一定の研修(トレーナートレーニング)を受けた後に認定されるようです。


ソース―あなたの人生の源はワクワクすることにある。ソース―あなたの人生の源はワクワクすることにある。
(1999/10/01)
マイク マクマナス

商品詳細を見る




まりえさんは多くのお勉強をされていて、現在もかなり多くのお勉強を並行して行っていらっしゃるので、ソースのワークのみならず、多くの経験や実践を反映して下さる、信頼の置けるセラピストさんです。
これまで数多くのトレーナーやセラピスト、ヒーラーなどを見て来ましたが、突出してレベル高いですよ~!!

幅広く深い知識と、長いことかけて培われた経験、そして思い遣りの心がとても深い方です。
かなり男子な私と違って、人当たりもすご~く優しいです(笑)。
本当にいつもいつも、お話しさせて頂けるだけでも、有り難い気持ちになります。
まりえさんは私が自信を持ってオススメ出来る、貴重なセラピストさんです♪



────


●1月28日(土)29日(日)
ソース・ワークショップ(発見編)

28日は 12:30~20:00
29日は 10:00~18:00


魂の源流・ワクワク・生きがい・天命などを見つけるワークショップです。
スピリチュアル的な方法ではなく、カンタンな質問に答えていきながら&皆でシェアしながら自然に答えがみつかっていくタイプのプログラムなので、潜在意識にアクセスするのが苦手な方も、お気楽に楽しんで頂ける点がとてもオススメです。

潜在意識にアクセスできる方は、より深い魂の奥底からの生きがいや天命を見つけることが多いので、魂からの思いや人生のテーマに気づいたり、仕事に対する情熱や思いがどこから来ているか? などがわかったりするかもしれません♪

実際に、9月に大阪で開催した際の受講生たちも、心が変容したり、実際にやりたい仕事を始めたりしている様子です。


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※頂いたメールより、一部個人名を伏せて加筆・修正しています。



因みに、まりえさんの御厚意によりまして、私と直に面識がおありの方(友人・知人の方々)は、割引が適用されるそうです。
私の友人・知人の方でご参加をご希望の際は、一旦私に御連絡頂ければと思います。

これまで私のワークショップや個人セッションにお越し頂いた経験のある方にも、割引が適用出来るかと。
とても価値ある日になると思います。是非是非! ご参加下さいませ!!







ところで本日、ちょっと親しい友人(男性)とお会いしていまして。
最近あった出来事をつらつらとお話しした所、期せずして全く同じこと別々の場所・シチュエーションでやっていたらしいことが判明(笑)。
なんか無駄にシンクロしてるなあと頷き合いながら、バイバイまたねと解散したのでした。
なんだか面白いですねー。





こんばんは~。で、ございます。



先日、知人の依頼により、エネルギーヒーリングをしたのです。
これは何かと言うと、何か…何かしら(笑)。

ま、とりあえず。
内臓のうちの一つが、大変である。ということで、エネルギーを送っておきました。
海外在住の方なのですが、ヒーリングするのには特に関係ございませんで。
お隣さんだろうが地球の裏側だろうが、物理的な距離は関係ないようです。



以前依頼されてやった時はガッチガチで、
「なんじゃこりゃ。臓器不全起こすんじゃないかい?」
と危ぶまれる感触がありましたが、今回はかなり改善されている感触がありました。

その臓器ストライクで効果を発揮するサプリメントを、彼女が複数飲んでいたからだと思われます。
飲み始めて3ヶ月くらい経ってるから、そのお陰なんでしょうね。
栄養すげー。勿論、ちゃんとした物をちゃんとした方に依頼して、必要なものを診断して頂いているから、というのが大前提ですよ。



この依頼は、私が知人をセラピストさんに紹介したことからです。
このセラピストさんが、サプリメントに大変詳しい方で、
「サプリ処方しますから、是非ヒーリングもして下さい! 出来れば毎日!」
と仰っていました。
それを踏まえた上で、知人からの依頼を取り付けてヒーリングを行ったものです。
しかーし、毎日どころか今回2度目(笑)。

私、サイトには書いておりませんが、ヒーリングはクチコミ且つ有料で行う人なので、本人の依頼と承諾無くしてやることは殆どありません。
例外は個人セッションとワークショップです。この時に限り、時間中は延々とヒーリングを行っています(そこは黙ってやってます)。
今回は知人本人から「お願いします…」とのことだったので、って話ですね。


この知人にヒーリングする時まで、臓器ピンポイントはやったことがありませんでした。
人体そのものに対してアプローチするやり方しか、やったことがなかったんです。
でもセラピストさんが
「ピンポイントで出来ますよね? 出来る筈です」
と仰って、んーそおかなー…じゃあやってみるか…ということでトライしたんですが、案外やってみたら出来るもんだなと。
そしてやってみると、内臓の感触がリアルだなと(笑)。

私に関して言えば、ヒーリングは万能ではないと思うんです。あくまで補助的なもの。
それも、受け皿になる身体を物理的にきちんと作って行って初めて、100%効果を発揮するのではないかと考えます。
どういうことかと言うと、本人が健康になろうとする能動的な意識がしっかりあるかどうか、ってことだと思います。
その意識がキッチリある人は、行動が伴います。
意識だけあるけど、何もしないって人はまず居ないでしょう。




食生活やサプリを使って、足りない栄養素を補い続ける生活にシフトして、数ヶ月が経ちました。
こんなに身体が違うとは、夢にも思っておりませんで。
昔から虚弱過ぎる身体を持っていたのですが、後からでも栄養で改善出来るのか~知らんかった~と、心底無知を痛感しております。
栄養は心身の状態、つまり精神状態にまで深く関わって来るのが、良くなって初めて分かりました。

今日お会いしたお友達曰く
「ニュースで見たんですけど、鬱になる人はタンパク質の摂取量(&吸収率)が非常に少ないんですって」
らしい。
要因はそれだけでないかも知れませんが、栄養面から取り組むと、簡単だし非常に速いよと思うのです。

無論、それを拒絶する人も居ます。所謂『不幸好き』です。
不健康で辛いままの自分が美しいなら、その辺りはお好きにどうぞ~と思います。
個人の趣味の問題ですからね~。それを悪いとは言いませんよ~。
そこにアイデンティティを置いている人も数多くいらっしゃいますからね~。



スピリチュアルに興味がある方は、身体を疎かにする傾向があるのと、また先天的に虚弱の傾向がある場合が多いようです。
良くなりたい、変わりたいのであれば、まずフィジカル面に目を向けてみてはどうでしょう。
長らく変化しなかった部分に、思わぬ収穫があるかも知れませんよ。




今日は(も)バッタリでした。
バッタリっつっても、別に倒れた訳ではありません(笑)。
地元で外食をしていたら、お友達とバッタリお会いしました~ということです。

最近やたらバッタリ運が上昇している感があります。
で、これについてちょっと見直していました。



私は日頃、基本的に何も考ていなくてですね。
ぼけーっと過ごしていることが多いのです。
というか、目の前のことしか見ていないんですよ。
ごはんを食べていたらごはんのこと、携帯を弄ってたら携帯のこと、歩いていたら今歩いていること等々。

だから、辺りをキョロキョロしたりということは先ず確実にないし、あまり他人様のことも考えたりしません。
基本的に、仮に誰かのことを考えたとしても、腰を落ち着けてじっくり分析します。


ということは、お相手の方が「Sachiさんどっかにいるかな~」と抱いた想念に私が反応して、そこに引っ張られてバッタリ。ということが割合多いのかと思います。
思いの外、受動的な感じ?

ここでおやっと気付いたことが。
これは私の観念のクセなのですが、いつも私は『仕事が向こうから来る』んです。
どういう訳か、誰かが運んで来て下さる。
私自身が必死になっている時は、どーしても上手く行かないし、見つからない。
でもボーっとしていると、どなたかがお話を持って来て下さる…ということが多かったなあと(全てではありません)。




つい数ヶ月前に胃を壊したのですが、お世話になっているセラピストさんと話し合った結果、理由としては
『必要な栄養素を摂取し始めたことによる好転反応』
『家系のカルマが表面化』

の2点だね、という話になりました。

このカルマですが、どういうものか一言で言うと『他人に振り回される』というカルマです。
最近こそ意識を変化させたことで激減しましたが、自分じゃない人に振り回されて来た感の強い人生でした。
殆ど過去形ですが、その根本は非常に根深く、私個人のレベルではない部分にまで到達しています。


うちの家族で胃の弱い人間を挙げてみると、みーんなやっぱり他人に振り回されていて、いつも自分が割を食う、他人の尻ぬぐいをする…というタイプばかりです。
世間的には『良い人』なのでしょうが、本人としては堪ったもんじゃありません。
少なくとも私はイヤだ(笑)。

で、この共通点を持っている家族を見ていると、生き方のクセみたいなものも見えて来まして。
他人が何かをアクションする⇒それに対して反応する(主にマイナスの方向へ)、というパターンがあるなーと。
能動的に考えたり動いたりは、まずしていないような気が。
軸が常に自分以外の所にあって、自分軸・他人軸があるとしたら、完全な他人軸で生きているんじゃないか? と。



先述のように、私に来ていた仕事のパターンもこれに該当します。
勿論、それで困ったということはありません。
それに自分から食らいついて行ったものもありますし、それで上手く行ったことも多々あります。
ただ、割合から行くと…という話ですね。

それまで人生に無かったこと…自分に軸を置くというのを意識し始めると、慣れてないせいで結構疲れます(笑)。
自分サイコー! 自分だけ大好き! 自分だけが正しい!!
っていう人については、羨ましくもなければ腹も立たないのですが、「すげーなあ」とは思います。
これまでの私の人生では、あまりにもやって来なかったし、出来なかったことなので、圧倒されます。
だからこそバランスを取る必要があるのでしょうし、それを自分の中に発芽させた方がいいんだろうなあと思います。
現在訓練中ですよ。


セラピストさんにも言われました。

「Sachiさんに限って言えばね、『なんで自分が合わせなきゃいけないんだよ。周りが俺に合わせろよ!』位に思った方がいいですよ!」

「んー確かに。ただ、"俺の宇宙"には無いから、そっちに移住しないとですな」

「……っていうか、周りが合わせろって思った方がいいなんて、初めて言いました。(言わされたという意味で?)凄いですねー(笑)」

って笑われたんですけど。
凄いって何がどう凄いんだろう。あれ一体何だったんだろう…。
まあとにかく、その辺りのことも相変わらずテーマとして意識しておこう、と思った訳です。



等と、つらつら考えながら地元のファミレスを後にしたのでございます。
因みに、ここにはイケメンのバイト君(接客態度もイケメン)が居るのですが、彼にお会計をして頂いている時に、

「やっぱり見た目は超大事だよなあ」

ということも、再々々々々々々々々々々々々々々々々確認ぐらいの勢いで思いながら、機嫌良く帰って参りました(笑)。





今日は有り難くもご依頼頂きまして、お友達のネイルを塗らせて頂きました。
で、爪の中の幾つかをギラギラさせてみたのですが、やっぱりギラギラは身体に影響があるのではないかという結論に達しまして。


友人曰く
「なんか身体が軽い!」
らしいです。
私も以前ネイルチェンジした時に、爪をギラギラな感じにしてみると、かなり身体が軽く感じました。

なんでそう感じるのかは今以て分からないのですが、外界からの影響を弾くのかも知れないな、と思います。
光る⇒反射するということなので、外から来るエネルギーをちょっぴり反射してるのかもー。
エンパス(共感能力のある人=自分以外のエネルギーの影響を受けやすい人=空気を読む傾向のある人)は、ギラギラさせてみるといいですよ!
そして私に結果をご報告下さるともっと良いですよ!(笑)



お仕事や何らかの事情で爪を弄れないという方は、イミテーションでも良いので、ギラギラしたアクセサリーを身に着けてみてはどーでしょーか。
ちっちゃいちっちゃーい、あるんだか無いんだかわからないようなダイヤがあるよりも、よく光るガラスの方が良いと思います。
高価だとしても、見た目が地味なのって身体はイマイチなんじゃ? と思う次第です。

「アクセサリーなんか着けなくても私は美しいのよ! むしろ私の美しさを損なうのよ!」
という方もいらっしゃるかなーと思いますので、強制はしませんです。
存在自体が輝いている方には不要ですし。
私も、出来ればそういう風になってみたいものです(笑)。





さてさて、本日の東京は朝から雨です。
場所によっては、大雨・突風なんかもあるようです。
雨だと憂鬱になるという方も、きっといらっしゃるでしょう。
是非是非、ギラギラさせてみて下さいな。


まだまだ憂鬱な方は、超高速で回転するハムちゃんでも見て、癒されて下さいませ♪
別に今日の記事とは何ら関係が無いのですが、本日ハムスターの話題が出まして。
動画を検索してみたら、出て来たという理由で貼っておきます。
私は爆笑しました(笑)。











余談。
更に雑談は続き…。

「こないだ仕事をした相手の方が、顔(ルックス)についてお話ししていたんですが、『残念ながら女は顔です』って断言していて、凄くウケました」

「そうねー。顔・体型・髪・服・アクセサリー・顔つきなんかの全部を引っくるめて、人は見た目が9割じゃなくて10割だからねえ」

ウンウン、とお互い頷き合ったのでした(笑)。





お昼。
ぶらりと焼肉ランチを食べに行って来ました。いやー美味しかった。
場所は叙々苑さんですが、お昼は千円台で大変上質なお肉のランチを頂くことが出来るのです♪
ガツガツ食べ過ぎて、画像を撮り忘れました(笑)。





ここ数日、お友達諸氏からのお話を聞いていて、色々頭の中を過ぎることがあります。
その中のひとつが、変化を拒絶することについて。
変化を拒む理由は幾つかありますが、その内の一つが

「もし変化を許してしまったら、これまでの自分が否定されるようで怖いから」

ではないかと思われます。
えーだってラクな方がいいじゃんーとか、新しくて簡単な方がいいでしょーと思われるかも知れません。
そうですねー、適切な解説としましては…。


長い間片思いをしていた人の他に、最近新たな素敵な人が出現。
でもそっちを好きになっちゃうと、長いこと片思いしてたこの私の時間は何だって言うの? な、揺れる女心。



っていうのと、全く同じ構造なんだろうなと思います。
他人から見ると「どっちでも宜しいんじゃないでしょうか」ですが(笑)。


こういう状態は全く以て愛とは言わず、単なるエゴ大暴れな執着と化している訳ですが、本人(のエゴ)だけが絶対に認めません。
エゴにとっては自分の崩壊・アイデンティティの崩壊です。
洗脳教育を受けていた人のマインドがなかなか変化しないのは、同じ構造を持った問題だからでしょう。

さっさと認めちゃえばいいじゃん。と、他人であれば思うでしょう。
でも、誰の中にもこのシステムはあって、時によって誰もがこういう状態を繰り返しているのです。
分かりやすいのは異性間に発生する気持ちの動きですが、子供から大人になって行く過程でも、この現象は必ず起きています。



絶対的な尊崇の対象であった親という存在が、実は醜い部分を持った不完全な"人間"であり、自分とは違う別の生き物であると気付いていくプロセスを『反抗期』と呼びます。
これを経ることで、完全に一体化していた自分と他人を切り離し、個としての自我を確立して行きます。
この過程で上手く反抗が出来ずに終わると、分離が不完全な状態で身体だけが成長する訳ですから、非常に歪な人格形成を遂げ、非常に依存的だったり、暴力的であったり、また全ての人を見下すような希薄な人間関係を築くことになります。
平たく言うと、ちゃんとした友達が出来ないよと(笑)。

こういうことに気付きそうになると、エゴがやっぱり抵抗を始めます。
何故って、エゴは「今まで通り、そうであってくれなけば困る」のです。
"お母さんは愛情に溢れていて、完全な母親をやってくれていた人"で居てくれなければ困るし、"お父さんはお母さんを困らせるダメな人"で居てくれなければ困るんです。
あ、これは昔の私の例です(笑)。



何の為にこの状態をエゴが望むのかと言うと、変化を拒む為です。
ものの見方の角度が変わると、世界が一変して見えます。
哀れな犠牲者だった自分が、実は勝手に自分で被害者を演じていただけで、実はどの瞬間からでも自分の力を取り戻せるのだと理解してしまったら、もう生き方を誤魔化せなくなります。

例えば前述の親を例に取りますが、親というのはただの人間であって、聖人君子でも、絶対的な権力を持っている訳でもなく、服従する必要も無ければ、抑も大切にしなければならないという理由すらない。
って気付いたら、それまで親にへばりついてた人は拠り所が無くなって、困るでしょ(笑)。
じゃあ誰を拠り所にすればいいの? 何を価値観の基準にすればいいの? どう言い訳すればいいの? と。

基準も何も、これから自分で体験して作って行けばいいし、新しい展開がある度に刷新して行けば良いだけの話なのですが、何らかの不変的な基準がなければ怖いと思うのが人の性。
自分は正しくあるものだ、というのがエゴのニーズです。
何かを倣うことで正しくあろうとし、間違いを回避(?)していたのですから、早く擬態しなきゃ! と寄れる大樹を探します。
この手間もねえ、大変なんですよ(笑)。今度の自分は大人だし、考えなきゃいけないから。




と言う訳で、割と多くの人が変化を表面的に望んでいながら、いざそのチャンスが目の前に現れると抵抗するんですねー。
盲目的な信仰が壊れることを厭い、仮にそれまでの価値観から脱却するチャンスを他人から貰ったとしても、
「でも…ここは困ってないし」
「違うもん! "私なり"に頑張ってるもん!」
「そこは問題じゃない! なんで私のことを勝手に決めつけるの!」
と言うんですな。

外周だけぐるぐる回って必死にやってる気にはなるのですが、肝心な部分の変化がなかなか起こらない。っと。
これまでの体験から言いますと、結果が出ないってことは、何かを見落としているからなんですよ。
手を着けるのは、それじゃないんじゃないの? 弄るのはそこじゃないんじゃないの? ってことです。
エゴに騙されて操られないように、出来るだけ気を付けたいですねー。
…まあ、私もこれまで数々騙され続けて来たから、こういうことを書いてるんですけど(笑)。



ちっさいことからでっかいことまで、我々は違う価値観・新しい価値観を拒もうと日々葛藤してるんだよ、ってことで。
価値観を壊しまくるのは大変なストレスですので、身体が悲鳴を上げる場合がありますが、そこでやめると何の意味もないです。
あー折角チャンスだったのに勿体ない。って思うことがよくあります。
なので、身体を作っておくことも、心を育てるのと全く同じくらいに大切なことなのです。



この辺りの構造をちょっとでも知っておくと、自分が抵抗を始めた時に「あ。これか」と気づけるのでお得ですよ~。





マインドは、我々の思考を一手に引き受けて下さっているのですが、時に暴走を引き起こします。


「こうなったらどうしよう」
「こうなるに違いない」
「昔こうだったから、今度もこうなる」


等々。
目の前の現実を無視して、マインドがギャンギャン喚きながら、あらぬ方向へ旅立ってしまうこともしばしば(笑)。

無論、これを上手く利用して未来の良いヴィジョンを描くことも可能です。
イメージワークはマインドを利用した技法です。


が、何らかのアクシデントや身体的・環境的な状態によって、マインドの動きを上手くコントロール出来なくなる場合もあるでしょう。

そういう時、どうやってマインド(エゴ)の暴走を止めたら良いでしょうか。
どのようにして、センターに戻ったら良いと思いますか?
シンキング・ターイム(1分)。










チーン♪




先に言っておきますが、正しい回答などは無いですよ。
瞑想する人も居るだろうし、深呼吸する人や、違うことに気を逸らす人も居るでしょう。


そんな中、私はそれなりに長いこと色々実践して参りまして、色々な方法を模索して来ました。
それはもう、沢山。沢山。

ここ暫くの手としては、「だから?」に落ち着いています。
これには先ず、マインドが延々止まらないトークを始めたなと自分で気付くことが肝要ですが、「で?」とか「それが何?」といった一言で、案外マインドのお喋りがビタッ! と止まるなーと。


これは対人関係に於いても有効です。
言い訳や、あまり聞いていても楽しくないお話を沢山聞かされる場合、これを使うと大概は一発で止まります。

但し、「話を聞いてくれない上に、冷たくあしらう酷い人」というレッテルを貼られたり、無用なトラブルを招く場合があるかと思われますので、使用にあたってはご注意を(笑)。
明確な理由や目的がある場合を除き、出来る限り自分の中で収めましょうねー。
……私は偶に使いますけど(笑)。



勿論、止める必要が無い場合もあるでしょうね。
この手を使う時は、

・怒りや恐怖、哀しみを何度も反芻して増幅している時
・他人の悪口が止まらない時


等、自分のセンターから大幅に外れている自覚がある時ってことですね。




深く掘り下げる時間が無い時とか、そこまでの必要性が無く、レベルの浅いエゴであれば、これで充分。
多分、スピ的には異端だと思います(笑)。
でも有効だからいいじゃないか。と思う私。
使えれば、それが何であってもいいんですよ。

愛でも光でも優しさや思い遣りでもなく、道具がただのエゴだとしても、ラクになるならいいじゃないかー。
というスタンスで日頃生きております。
ラクするの大好き。簡単なの大好きー。




案外続けているウォーキングも終わったことだし、ではまた明日~♪



お友達の池田智子さんが、本日のブログで面白い記事をupされています



許可を頂いたので、一部抜粋させて頂きます。




──

例えば、お金持ちになりたい!ブランドものに囲まれたい!イケメンの彼がほしい!仕事で成功したい!など、人はそれぞれ、いろんな願望をもってます。

が、しかし、いざ、これまでのパターンと違う感じで、ラクに夢が叶い始めたり、思い通りのことがおきたりすると、意外にも抵抗したりするわけです。

こんなにうまく事が進んではいけないのでは?もっと苦労しなきゃ、成功しちゃいけないのでは?と無意識に抵抗し始める。
そして、せっかく実現した良い事を遠ざけようとする、、、。

昔のパターンがやっぱいいわーと、戻ろうとするわけですね。

まさかー!と思いましたが、潜在意識にもっているブロック(苦労してこそ人生、とか、努力のうえに成功あり、とか、私は幸せではいけない、とか、)によっては、良い状況に抵抗をする自分というのもあるんです。
体験者は語る(笑)



──



という訳で、人間とは斯くも矛盾した願望を内包した生き物なのでして。
新しくラクな方がいいと切望しているのに、いざその現実が目の前に現れると抵抗して逃げようとする。
以前も書いたと思いますが、大概は『知らない天国よりも、知っている地獄の方がマシ』なのです。


変わりたい、幸せになりたい、と願っている。……筈。
でも、それはどうしてか? 何故か?
今すぐ、何もかもが変化しても良いという程に、渇望しているのか?
と確認して行くと、案外
「いや、今すぐって訳じゃ…」
「ここはそのままでいいんだけど…」
と、尻込みしている部分があると分かります。

「辛いままでいいの!」と、辛い自分に酔って中毒を起こしている可能性もあります。
苦しい、辛い、痛い方が価値があると思っている人は非常に多く、苦労したからこそ幸せになれるという観念に操られて、延々とゴールのない苦行を続けていることも多いでしょう。


それが悪いとは言いませんです。
悪くはない。
悪くはないけど、選べることを知ったら、どうするでしょう。
今すぐ選べるのだとしたら。

その選択を連続して行い続けることこそ、変化の本質です。
気付かぬ内に…知らない間に…意図せずして変化していました、という部分も、ひょっとしたらあるかも知れません。
でも、能動的に選択し続けなければ変化が見込めないことが、非常に多くあります。



自分で引き寄せてたんだ、他人を通して自分にこういうことを起こしてたんだ、という風に気付き始めると、世界がひっくり返ります。
他人のせいに出来ることはひとつもなく、自分の人生に起きたことは何もかも自分がやっていた、というスタンスになることで初めて、変化を望むことが可能になる。

自分がやっていると認められるからこそ、変えて行ける訳です。
被害者でいる内は、決して変えられません。
自分の現実を自分が作っていると分かれば、『私の宇宙』は私が作っている、だから幸せを与えてあげることも可能であると思える。
自分の宇宙を作っている神は、私。
そういう視点を持つことが出来れば、生きる意味が全く変化するでしょう。



古いパターンや観念はいつでも戻って来ようとします。
考えなくても出来る方がラクだもんね。と。
もしも古いパターンを選んでしまったら、気付けば良いのですよ。
そしてそこで選び直せばいい。選び続ければいい。

何処からでも選べます。
選択するのは自分。
いつでも、何もかもを自分自身が握っているのです。




あなたがもし、神だとしたら。
自分自身に、何を与えてあげますか?
どんな宇宙を作りますか?





日頃はあまり夢を覚えていない私ですが、うとうとして目が醒めた時は案外覚えているようです。
先日、眠気に耐えきれず夢現を彷徨っていた時のこと。



数名の人達と食事をしている夢を見ました。
で、隣に座っている人か、若しくは私か…が、お弁当風のプレートを目の前にしていたんですね。
そこにあった食べ物の内の一種類を見て、別の誰かが
「やだ、それ虫よ!?」
と叫びました。
見直してみると、確かにこう…蜂の子みたいな物を調理した感じ?
でも、私自身はそれを見ても全く動揺することなく、
「いいじゃん。おいしそうじゃん。頂きマース」
位に思ったのでした。
あやふやですが、もしかしてモグモグ食べてた所まで行ったかも。




今も世界各地に見られる昆虫食の文化。
勿論、現代日本にもありますが、東京で生まれ育った私にはいまいち馴染みが薄く、食べたことがあるのはイナゴ辺り…のような記憶があります。
つまり、顕在的には進んで食べたいものではない訳です。
正直言いますと、「うっ」と反応してしまうものです。

夢では平気で食べていたから、じゃあリアルに行けるのか? と言えば、多分無理でしょう。
では一体、夢の中で自分がしていたこと、考えていたことは何を表すのか。



夢に出て来るシンボルというのは、占い的に不思議な意味づけがあるのではなく、個人の中でどう捉えているかで判断した方が良い場合が殆どです。
夢では欲求不満を解消することが多かったり、また抑圧している怖れが具現がされて出て来たりということがほぼ全てに近いでしょう。
そして、現在の自分の心がどうなっているか、どう進んでいるかを表現する場合があります。


今回私が見た夢に関して言えば、キーワードは『虫』です。
前述の如く、私は昆虫食に対しては肯定的な意識がありません。
むしろ苦手。無理。と、思っている。
でも、夢の中では「みんなの前で」「自分はそれまで避けていて」「みんなが忌避するものを」「平気で」「食べていた」のです。


夢に登場した数名の方々も、私が虫を食べることに関して肯定的だということに、ビックリしていたようです。
この方々は、自分の中にあった『苦手なもの、嫌なものから逃げようとするマインド』と捉えることが出来ます。
で、虫は『出来れば直視したくないばかりか、自分の中で消化したくなかったもの』を端的に表していると取れるでしょう。
これに対して自分の意識が変化し、逃げるのではなく直面して掴み、自分の中に取り込んだという風に解釈しました。

だから、自分ちょっと進んだんじゃないの? という風に思ったのですよ。
実際、この夢を見るちょっと前に「自分のリミット更新」という行動を取ったので、それが反映されたのではないかと思います。



でも、夢の中で食べたもののせいか、お腹下し気味です(笑)。
謎の生理痛のような症状にも見舞われまして、いやー身体の反応はでっかいですよー。
それまでの自分には無かったことをすると、身体はストレスとして処理するんだなと再確認しました。

でも、下したり出血するなどの形で外へ出そうともしているのですから、身体ってすごいわーと感心している所です。
勿論、食事を変えたりウォーキングを続けたりなど、外側からも気を遣っているので、最近はそこそこ出来ている身体が反応し、即座に外へ出そうという動きが出来ているのでしょうけどね。



しかし蓄積疲労気味なのも事実ですので、暫くは良い眠りが取れるように気を付けまーす。




2012年の…ってもう来年かあ…いやーホントに実感沸かないですが(笑)、来年の2月の予定が出ましたのでお知らせ致します。




2012年2月度 ワークショップの日時は、こちら。


2月12日 (日曜) 11時~14時


来月、12月分は残席あと1名様です。
こちらもまだ受付中ですので、宜しくお願いします♪





2月の開催日はバレンタインが近いので、お菓子でも分けようかなあと思っています。



しかしなにぶん、すっごく先のことのようにも思えてしまいまして、ボンヤリとも未来像が見えません。
一体、2月はどうしてるんでしょうか(笑)。



と言うのも、環境やそれまでの毎日から、全く違う所へシフトしている人も居るんじゃないのかな? と思うからです。
今日の続きは確かに明日で、その連続した先に未来が続いているのですが、一日…僅か数時間で激変してしまうことも多数目撃し、また体験している為、三ヶ月先の未来=ほぼ違う次元なのでは位に思う時もありますね。

ああ、この人はきっと変わるんだろうなー素晴らしい方向に…と思う方は何人もいらっしゃいます。
その日が来るのが楽しみです。
どういう形で、またどういうプロセスでその道を辿るのかは分かりませんが、そこも含めて楽しみです。



来年はマヤ暦でラストの年だとか、アセンションとか、色々言われていますが、全然ピンと来ない私(笑)。
単純に、健康に生活して着実に確実に歩めば良いと思うので、これまで通りか、これまで以上にどんどん進んで行けばいいか。と思います。

マヤ暦だったりアセンションだったりが仮に我々と何らかの関係があるとしても、それを利用して更に飛躍する、程度のスタンスでいいかなーと私は思います。
なんにせよ、今している現実の生活がある訳ですから。
何であっても、上手く利用して自分の為に使えたらいいなーと思っています。


今年は…って、来年の話をしていると、危うく一年を締めくくろうとしてしまう所ですが(笑)。
まだまだ今年がありますから、地に足を着けて行かないと。
もうこの時点で盛りだくさん過ぎて、忘れそうなことも山ほどありますが、いやー日々本当に色々と気づきに繋がる出来事がありますねー。

自分でやってるんですけどね。うん。
ぜーんぶ、自分で引っ張ってるんですよ。
それが今まで以上によく理解出来た…理解せざるを得ないという風に動いています。
だから自分はそういう風に、そういう形で理解したいんだろうな。と、捉えていまして。
自分が引っ張っている内容や、その根底にあるものを見逃さないよう、気を付けたいなあと思った一日でした。




11月度ワークショップでしたー。
ご参加下さった皆様、おつかれさまでした(笑)。



さてさて。
本日は、集団と個人の関係を書きまする。


人数の差こそあれ、集団内の人間は一律同じ思考やスタンスを持つことが出来ず、組織になった瞬間に人員の分布が変わるというのは、組織論では有名なお話です。
所謂『二八の法則』というあれですね。

進学校に入った学業優秀な生徒達も、入学後に学力がバラけ始めます。
働きアリの二割は、働かないそうな。
プラプラしてるんですって。言うなれば、『働かないアリ』(笑)。



良くなりたい、俺はやるぜー! 派(超自立)。
俺は嫌だ、絶対やるもんかー! 派(超依存)。

でもって、他は適当に『自立っぽい』とか『依存っぽい』というようなグラデーションを作りながら、それぞれポジションを求めて分布を始めるのです。
一種、人間関係の力学とも言いましょうか、全く意識することなくして役割分担をしちゃうということですね。

これは何かと言いますと。
ひとりひとりの中に日々あらゆる葛藤があって、それが全体に反映されたという視点で見ることが出来ます。
全にして個。個にして全。
集団とは、そこに参加している人間全ての内面を、大きく表したものなのです。



誰しも自立と依存の葛藤をしており、互いに相手が間違っているとねじ伏せます。
依存の人は自分だけが可哀相で周りが悪いと被害者ぶるし、自立の人は自分と同じように出来ない人を格下に扱うことで、自分の中にある影の部分から逃げている訳です。

まあ、お互い様ですわ(笑)。
釣り合って引っ張り合いしてるんですからね。



先へ進もうとする、変わろうとする人が急進しようとすればする程、その影の部分を買って出た人が全力で後ろへ引きずり戻そうとします。その逆もまた然り。
エゴの抵抗するパワーは凄まじく、変わらない為であったらそれこそ何でもします。何でも、です。
じゃあそういう時は、一体どうしたら良いのでしょうか。

どういう風に自分の目に映る部分であっても、自分の内面を映し出しているというのを認めることです。
嫌でも何も感じなくても、自分の内面世界を映し出しているのですから。
人生に参加している限り、誰もそこから逃れることは叶いません。

「別に」「私は関係ないし」「どーでもいいし」ではないんですよ。
口先で何を言おうが、生きている限りはずっとずっと付きまといます。
仮に転生があるとしたら、気付かない限りは永久に続きます。時が終わる瞬間まで。



「ああ、うん、分かってる分かってる」程度では済ませられないことです。
良くも悪くも目に付くならば、自分の中の何か部分が「もっと見ておくれー」と叫んでいるってことなので、しっかり見る。ガン見(笑)。

だからって、どうにかしようとする必要もないかも知れないです。
ただ見つめて、認めて、
「ずっとそこに居たんだなあ」
と頷くだけでいいのかも知れないですよ。
長いこと置き去りにしていた自分の一部に気付きたいからこそ、嫌だなと反応したり、逃げたいと思ったり、また自分ではどうにも出来ないなど、色々なことを思うのです。




……とまあ色々書いていますが、長い目で見ればまたちょっと違いまして。
それこそ、どうせ全人類が必ず進化と成長の道を歩むことになっておりますから。
だから、そういう意味では何でもいいんですけどね。お好きになさったら宜しいのですよ。
本当は誰もが全ての制限から自由で、いつでも自由意思で足を踏み出し、その手で何もかもを掴み取ることが出来る。

私はこれまでの試行錯誤や実践の繰り返しにより、ちょっぴりでもそれを知ることが出来たので
「だから自分がやりたいようにやりますー」
という風に動いておりまして。
ウッカリ昔のように犠牲や殉教者的なパターンが出そうになると、おっといけねえとセンターに戻って来るのであります。
例えば、私の言動で誰か(のプライド)が傷ついたとしても、「そーですかー」なんですよ。
それがどうした、ってなもんです。

ただ、自分がどう生きるか。自分に対して嘘を吐かずに対面し続けられるか。
そこに対して誠実であろうと藻掻きつつ色々試しているので。
少なくとも、それを理解しながら生きているので、後悔しないからいいんだーぞー。みたいな感じですかねー(笑)。



すべきとか、やるべきとか、変わるべきとは全然思わないです。
何もかも、自由にしたらいいです。
どうぞお好きになさったら宜しい。
但し、それが本当に本当に、本当に嘘偽りなく自分が全力でそうしたいのなら。



と、思いながら夜にカレーを食べて終わった一日でした(笑)。
いやーカレーの力なのか、単にゴハンを食べられたからなのか。
ヘロヘロのヨレヨレだったのが、結構スッキリでした。ありがたやー。





精神的・肉体的に宜しくない状態が長く続くと、それが当たり前になります。
そうではない人=上手く行っている人を見れば、妬みの気持ちが生まれる筈です。
でも、そこから抜けられない自分に対して妙な陶酔感が出て来る場合もあります。

どうせ自分はこのままに決まってる。
良くなる筈がない。
だから仕方ない。

これらの声は、エゴが囁いていることに他ならないのですが、奇妙なことにこの状態に中毒を起こすというシステムが人間にはあります。



昔、電話占いの先生をやっていたことがあります。
その時に、あるお客様からお電話を頂きまして、ご相談は何でしょう? と伺ったところ。

「私、何をやってもダメなんです。この先もどうせダメですよね」
「いや、それは人それぞれですし、変わることも出来ますよ」
「でも、どうせダメなんです。こんな私はどうせダメですよね」

という感じで、ひたすら「ダメだと言ってくれ」という会話ループに填りまして、「そう思っていると自分でダメにしますよ」と言ったら「そうですよね。やっぱりダメですよね。分かりました」ガチャ。
って切られました(笑)。



この思考の根底には、やっぱり"この私は他人とは違う"という強力なエゴの作用があります。
言うなれば、エゴの奴隷です。
"他人と違う特別な感じ"に中毒を起こして泥酔している訳ですから、他人が幾ら手を差し伸べても、気付いた所で絶対にその手を掴みません。

「だって私は違うから」という妄想に縋り付いて、決して変化を受け容れない。
更に、「自ら何もしなくても、ある日突然夢のように全てが好転する」という妄想もセットで付いていることが殆どのケースです。


それを悪いとは言いませんが、大変だろうなと(笑)。
そんな日は来ないんですよー。
いつまで待っても、何が変わるって自分がただ老けて行くだけです。
ここは変わる所かなあ。

自分に酔っぱらうというのは、誰の中にもある機能です。
それがプラスに作用するならば、どんどん使えばいいと思います。
でも、マイナスに作用しているのにそのままでいると、「マイナス方面で他人とは違う特別感」を演出する為、そのままでいればいるほど自分がドツボに填るばかり。
ひょっとしたら病気になっちゃう人も居るでしょう。


いつ気づき、いつやめるのか。
『誰かが自分の何もかもを良くしてくれるようになる日』を妄想したままでも構わないとは思いますが、あんまりオススメしませんですよ。
毎時間、毎秒、気付くチャンスはあって、立ち上がるチャンスもまた、時間の許す限りは幾らでもあります。
気付くならば早い方がオススメです。
身体や人生をそれ以上虐める前に、立ち上がれたらいいのにな、と私は思うのです。




さて、明日は11月度のワークショップです。
毎月ちょっとずつ顔ぶれが変化して、内容も変化しています。
そんな訳で、明日がとっても楽しみなのであります。

あ、明日は10時スタートなのでお間違いのないよう、お願い致します。
ではでは、おやすみなさいませー。





2011年11月11日。

1が6つも並ぶゾロ目の日です。そして、満月でもありました。
東京は一日雨でしたが、雨雲の上では満月が輝いていたことでしょう。


特定の数字が並ぶという部分に、古くから多くの人達がロマンを見出して来ました。
数秘術(ヌメロロジー)が代表的なものになりますかねー。
「同じ数字がいっぱいじゃー! これは何か意味があるに違いない!」
って思ったんでしょうね。

で、足したり引いたり色々して、その辺りを纏めてみましたーみたいな感じかな?
更に、意味付けを後からしたんでしょう。
最初から意味合いがあったとは思えませんので、後から観念を構築したんじゃないかなーと。
人のマインドって面白いこと考えますよね(笑)。


因みに1という数字は、スタートの数字であり、強い意志や太陽や男性性を表すと言われます。
だからってこれが本当のことだよーとは言いませんが、長いことそう思ってた人達が多ければ多いほど、物理的な法則として世界に横たわります。
でも、この数字という概念(と言語)が無かった時代には、そんな法則は恐らく無かったでしょう。

信仰の力も、多くは観念から来ていますので、
「この神様はこういう力があって、信じていればこうなるのだ!」
という風に本気で思っている人が多ければ多いほど、その神様は(主に個人の中で)そういう力を持つことになります。
人間が力を与え育てる訳です。そういう意味では人って偉大でございますなあ。



で、この観念ですが、書き換えることも可能です。
本日は2名の方が個人セッションを受けて下さいました。
やっぱり、受けて下さる方によって内容は全く変わりますし、使う技術も違うものになるなあと明確に思いまして。
うーん奥が深い…と思いながらの帰宅でした。

でもね。
やっぱり動かすのって観念なんです。自分の現実を動かしているのは観念。
まず、どんな観念を持っているか焙り出すことが大切です。
恋愛について。家族について。仕事について。友人について。お金について。健康について。
あらゆることに対して細分化された観念を、全ての人が持っています。
それらが何故、いつから出来たのかを辿って行けば、書き換えることが出来る。
これによって、全く新しい人生を歩むことが出来るのだと思います。


勿論、単なる上書きでOKな人もいるでしょう。
とある観念が意識の浅い部分にあれば、アファメーション(肯定的な宣言)を繰り返すことだけでも、意識が変わる場合があります。

とはいえ、深い部分で
「自分が思うことは現実化しない」
「絶対に上手くいかない」
というブロックがあれば、幾らアファメーションをしても「どうせならないけどね」と同時に打ち消し続けることになります。
逆に現実が酷くなる可能性があるので、アファメーションなんかも合う・合わないがあります。

合う・合わないを見付けるには、アファメーションを口に出して言ってみて、身体感覚を感じるのが手っ取り早いですね。
気持ち良く、軽く、呼吸が深く出来るようなら、それはOK。
イヤーな気分になったり、身体が重く感じるなら、NGです。
嫌になる場合は、何故嫌なのかを追求してみると、新しい発見があるかも知れません。



いつ如何なる場面でも、どんな気持ちからでも、自分を知ることが出来ます。
そして、よりラクで楽しく、幸せな毎日へとシフトして行く足がかりにすることが出来るのです。

……って書いていても、「そんな馬鹿な」と思われる方がいらっしゃるでしょう。
じゃあ、それはなんでだ。って話です(笑)。
いつから、どうしてそう思ってるのか? と、その理由を書いてみる。
そんな所からでも、自分の内面(潜在意識や観念)に突っ込んで行ける訳ですね。
レッツ・トラーイ。



人様のヒーリングをさせて頂いている私ですが、その研鑽の為にも自ら他人様のセッションを受けることは、昔も今も欠かせません。

というか。
今以て己の状態が人並みかどうかすら非常にアヤシイと思っているので(何しろ人生が超マイナススタート故)、研鑽以前に自分の為に受け続けています。

あくまでも私の場合ではありますが、お金を払うことで日々の生活でも気付きを意識することになりますから、いつまでも自己投資とそれに伴う勉強は必要ですわー。
クライアント様がたのお役に立つような、新しい効率的なやり方を見付ける為にも、自分を見つめ続けることは必要不可欠だなーと思っています。
まずは自分で実験。そしてフィードバックするのがポリシーです。
そしてお金を払う以上は、いつでも元を取りたい私(笑)。



そんな中、先日の誕生日を記念して(?)、毎月受けている個人セッションをして頂きました。
その後、セラピストさんが私をリーディングして下さり、
「(リーディングの)結果が変化しました。ということは、人生のステージが変わったんですね。おめでとうございます!」
とメールを送って来て下さいました。

……え。
そうなの?
いつもながらいまいちピンと来なかったのですが、そう言われてみると……。

ここ最近は、個人セッションを受けて下さる方々の変化が著しいし。
あちこちから素敵な頂き物があり(大概高級品ですよ!)。
入ったお店ではサービスして頂くことが増え。
面倒なやりとりが必要な人とのお付き合いは激減し。
と考えてみると、そうかも知れない。そうかー。そうかもー。



みたいな感じで相変わらずヌルッと理解したのですが、最近多忙にかまけてあんまり自分を振り返ってなかったかしらん。
いや、やってますけど。無理矢理時間を作って、そこに捻じ込んでますけども!

10年以上も取り組んだお陰か、以前ほど固く重いブロックを解除する必要が無くなって来たので、自分を振り返ったり内観する作業も、大分スムーズになって来ました。
昔は書き出し作業をするだけで、涙がドバーッと出るのみならず、鼻水が止まらなくなったり身体が苦しくなったりして、それ以上全く進められなかったりしたものです。
そんな日々も懐かしいわー。



信頼している方から、ステージが変わったと言われることは、とても嬉しいことです。
自分で実感する以上に、確認が取れたということでもあるし、ちゃんと進んでいるというマイルストーンになります。
ここへ来て漸く、鼻水垂らしながら自分と向き合って来た甲斐があった~。とも言えるかなー(笑)。

勿論、友人知人をはじめとする多くの方々に支えて頂きながら、ここまで来たのは間違いありません。
本当に本当に、有り難いことです。
他人様が居なければ、決して気づけなかったことが沢山あるのですから。




さて、今度の日曜日(13日)は、月イチで開催しているワークショップがあります(詳しくはこちら)
※いつもより1時間早い10時スタートですので、継続参加されている方はご注意下さい。


仲間とシェアしながら前進し、成長するということは、とても貴重で価値のあることです。
一人ではとてもとても、進みきれないでしょう。
分かち合う仲間が居てこそ、癒しと成長のスピードが上がります。
色々な方との出会いもあり、楽しいですよ♪

13日のワークショップは、残席1名となっています。
お申し込みは前日の夜位までとさせて頂きます(私が寝る前までとか 笑)。
是非遊びにいらして下さいね~。




自分のエゴや傷に挑戦し続けるのは、大変なことです。
結果を出すには、とても苦しい時がやって来るし、いつでもドロップアウトすることが出来る。
もう嫌だ、やめたい…と泣き出すクライアントさんを沢山見て来ました。
肝心な所で都合を悪くして、ワークに参加出来なくするというエゴのパワーを何度も見ました。
そして実際に、自分と向き合うことをやめてしまった方も多くいらっしゃいます。



当然、自分も例外ではありません。
何度も何度も、辛くて苦しくて歯を食いしばったことがあります。
長いこと変化を起こせず、ヤスリの中で動いているようなギリギリとした気持ち悪さに、何度も泣きました。
もう嫌だ! やめてやる! と、一時的にその道を進むのをやめたこともあります。

それでも何故、自分を救う道に戻って来たかと言えば。
幾度と無く、自分が自分に救われた体験があったから。
自ら下した決断と選択の凄さを、何度も経験して来たからです。
癒しと解放の素晴らしさを、また無限の愛を体感したことがあったから。
そして何よりも、"自分の創造する世界"が変化していくのを目の当たりにして来たからです。



ワークやセッションで、一体何が変わるのでしょう。
ただ単に「やってもらう」とか、「受けるだけ」では何も変わりません。
中には「この私を変えられるもんなら、変えてみろ!」というエゴの声が聞こえて来るような方もいます(笑)。
仮に、エゴのニーズが満たされない場合は「こういうものはアテにならない」という観念が強くなってしまう可能性もあるので、ちょっと困っちゃいますね。

では、何が大切なのかと言えば。
能動的に自らと向き合う選択をし続けること。
一度ではなく、何度も何度も決断し続ける。
良い結果が出ようが、望まない状態であろうが、エゴではなく愛を選択し、決断し続けることです。
何度か書いていますが、愛というのは甘い甘い砂糖菓子のことではありません。
エゴを焼き尽くす炎のことを、愛と言うのです。



私自身も、選択と決断、そして行動によって沢山の変化を体験して来ました。
偶然という言葉で片付けるには、余りある程の奇蹟です。
積極的・能動的に自己と向き合っている方々からは、やはり同じように"物理的な変化"を多数ご報告頂いています。

毎日喧嘩の絶えなかった家庭が、穏やかになった。
収入が増えた。
良い仕事が増えた。
付き合いのある人が、楽しい・ラクな人達に変わった。
嫌なことが減った。
ラッキーなことが増大した。


等々、枚挙に遑がありませんが、住まう宇宙が変わったんじゃないか? 今までは一体どんな世界に居たのやら…という程の変化です。
これらは不思議なことでも何でもなく、その人の持っている本来の素晴らしさが出て来るようになれば、当然自分の波長に同調する世界へ変化してしまうのだと思います。



自分と向き合うことの中には、世俗的な動きも含まれます。
魔法のように、ある日突然何もかもが都合良く動き出す…のではないのです。
人によっては、地道にコツコツということを修得した方がいいという場合もあるし、また日常の中にある喜びを発見出来るようになれたら良いだろうな、という時もあります。

この辺は人に依るので何とも断定出来ない所ですが、「私は特別!!」というエゴが肥大化している方は、こういったパターンに当てはまることが多いかも知れません。
つまり、何もかも当たり前ではないということを知る所から…という話です。
現代日本は世界的に見ても飛び抜けて恵まれていますから、幸せや感謝に対して麻痺してしまっていることも多々あります。
これは、ある種の現代病とも言えるでしょう。



さてさて、順調に癒しが進むとどうなるのか? と言いますと。
私を例に取りますが、まず『ブレなくなる』ということでしょうか。
ニュースを見たり、他人様のお話を聞いても一喜一憂しなくなる…というのが分かりやすい喩えかと思います。

そして、他人様に同情しなくなります。
何も感じないのではなく、感情や思考から一定の距離を意識的に取ることが出来るようになり、フラットになります。
これは、周囲や他人様に振り回されなくなるということですので、それだけでもかなり生きるのがラクちんです。
ラクになって初めて、「自分は周りに振り回され過ぎてたんだな」と気付く(笑)。
空気を読むことはしつつ、同調しない。こうなるとラクですよ~。



上記のような物理的な変化も沢山起きますが、それぞれ人によって変化の幅も違いますので、一番いいのは体験しちゃうことでしょうね(笑)。
そこへ到達する期間なんかも、やっぱり人それぞれです。
だからこそ、その時が楽しみじゃないですか。

今、傷を負っているのは、それは癒せるから。という風に考えることも出来ます。
出来ないのは、出来るようになるから。
苦しいのは、もうちょっとでラクになれるから。


そんな感じのスタンスで、ゆっくり・はたまたスピードを上げながら、癒しと成長の途を進んでいるのでございます。




ここ暫く、ワークショップや個人セッションを継続して受けて下さっている方々から、楽しい・嬉しいご報告を頂くことが増えました。
個人の人生が、サナギから蝶へと変態するかのように、より素晴らしいものへと変容していくプロセスを、目の当たりにさせて頂いている訳です。



有り難いお話ですよ、本当に。
気づきのみならず、物理的な好転を教えて頂くと、とても嬉しく、また豊かな気持ちになります。
それまでの痛みや苦しみを解き放って、新たな世界へと羽ばたく瞬間は、私にも大きなギフトをもたらします。
平たく言うと、「ありがたや~!」って感じです(笑)。

苦労をすれば良いとは、全く思いません。
とは言えども色々な体験をした方が、色々なことを理解しやすいというのはあると思います。
体験の手数やバリエーションが少ないと、喜びの幅があまり広がらなかったり、感情の襞があまり増えないという部分はあるので、何が良いとも悪いとも言いづらい部分ですね。


だからって辛い思いをしすぎてしまうと、恐怖のあまりにそこから動けなくなったり、捻くれて負けグセがついたりもするので、それはそれでめんどくさいことになります。
抜けられないとか、変化が無いということではありません。
ただ、こう……自分もそうだったから分かるんですが……めんどくさいんです……(笑)。

経験と、それに伴う感情・思考を完全に昇華してしまえば、どのような体験も、より輝かしいギフトを人生に与えてくれると言えます。
なので、一慨に良い悪いは判別出来ない所なんですけどね。
大体、そのジャッジをするのはマインドですから、あんまアテにならないんです。
だからどっちでもいーっすわ(笑)。



自分も含め、この先どんな風に楽しく素晴らしく、そしてラクちんに変化していくか、とても楽しみなのであります。





ところで。
本日、またもやお誕生会を開いて頂きました。
なんぼほど開いてもらいよるん……(笑)。


前菜

カルツォーネ

ピザ

ケーキ!



めちゃめちゃお料理が美味しかったです!
本当にありがとうございました!

いやもう、いいのかなあと。
これだけ御祝いして頂いたのは、もしかしたら生まれて初めてかも知れないです。


んー? もしかしたら…今年、長期間掛けて自分のバーストラウマに取り組んでたせいか?
と、さっき思い当たった私。ホントにそうかも(笑)。
そしてバースデーパーティーという象徴的な形で、喜ばしいことが増えたのかも知れないなあと思います。
ちょっとシンクロっぽいですわな。

本当の所は分かりませんが、とても有り難い気持ちで、かといって浮き足立つこともなく、毎度とても楽しく過ごせたのが良かったなーと。
私、やっと自分にこういうことを沢山与えられるようになったんだな~。
なんだか記事を書きながらしみじみしてしまいました。



御祝いして下さった皆様、ありがとうございました!
私も何とか成長しているようで、本当に良かったです(笑)。



日々、色々な方のお話を伺っていますが、トラウマや傷のない人は一人も存在しないと思います。
どれだけ幸せそうに見えたとしても、ひょっとして誰にも打ち明けたことのない哀しみや寂しさを持っている可能性は、非常に高いのだと思います。

でも、各々の人生は自らの手で変えて行くことが出来る。
そういう風に私は考えています。



私が使うタロットや易、またセッションやワークショップは、全て「自分とは何者であるか」へ繋がるルートを提示する道具です。
運命とは、既に決められた道ではなく、今この瞬間から違う選択肢を選ぶことが出来、自ら作って行くことが出来る道であり、前述の道具はその為の道標を焙り出す物な訳です。

世俗的な欲望を満たす為に生きるのか。
自分ではないものから植え付けられた価値観に従って生きるのか。
はたまた、これまでにない可能性を掴み取るのか。



そもそも、自分にはどのような可能性があるのか、どのような選択肢がどれだけあるのかさえ、これまで通りに生活していたら分からないことが多いでしょう。
「自分は幸せになれるのかな?」
という疑問を抱いている方も多いと思いますし、私もご多分に漏れず思っていました。

が、振り返ってみるとそれは妙な話だなと思います。
大体、疑問形ってどういうことやねん(笑)。
なれる・なれないの話ではなく、自らなる。する。やる。
単純に、自分でそうやればいいんじゃないか?
と、ある時点から思い始めまして。
自分の人生なのに「なれるかな」なんて、何処か受動的というか他動的というか、自分の生き方に責任を取らない雰囲気だったのねーと気付きました。

勿論、そうする為には色々な方の助力や、道具の便利さを使うことが必要になるでしょう。
自分ひとりで、そしてこれまで通りのやり方では絶対に無理です。
これまで積み上げて来た全てをひっくり返すような動きを一気に流入させた方が、恐らくは確実です。
それは、辛いと思うパーセンテージが高ければ高いほど、『変化』という要素を取り込んだ方が良いというサインでもあります。





自分を幸せにする為の道具には色々な使い方があるというのは、よくブログでも書いている所です。
例えばタロットも、使う人によって読み取り方は千差万別だと思います。

先日ちょうど、タロットのことで話をしていたお友達から、
「そういう風に解釈するっていうのは、Sachiさんがクライアントの文化背景まで考慮して読み解いているからですよね」
と言われてハッとしたのです。
そうか。同じカードが出ても、私じゃなかったら全く違う解釈をしたのかも知れない。
んじゃ、どういう風に解釈出来るんだ? と。
そう考えると、どんな道具を使おうが、無限の可能性を見出すことが出来る訳です。




例えば、近年関連書籍を次々に出版されている、石井ゆかりさんの西洋占星術サイト『筋トレ』。
石井さんは断定的な書き方や、具体的な運勢がどうというような表現を使うことはありません。
とても詩的で、文学的な表現をされます(とってもオススメです。今年の流れが詳細に書かれている年報からどうぞ♪)。

受け取りようによっては、如何様にも取れる書き方です。
でも、それを一口に当たる・当たらないという言葉で片付けるのは、とても勿体ない話です。
個人個人が、それぞれの背景に沿って読み解けるのなら、この文章からも多くの解釈が生まれるのだと思います。



『運命とは断定的なものではない』
『何処からでも変化させることが出来る』


という前提を受け容れられるのだとしたら、不確定要素の塊に見える文章や象徴からでも、希望を沢山見付けることが出来るでしょう。
その希望を何処かで見付けられるのだとしたら、まだ自分には沢山の見えざる道があり、それらを自らの意思で選び取る自由が、確かに持たされている…そんな証明であるとも言えます。



変容の道は厳しいかも知れないし、楽しいかも知れない。
けれど、如何な道であっても、そこへ到達するまで絶対に諦めてはいけません。
幸福とは、喜びとは一体何であるか、全身で理解するその時まで。




10年近く前の話です。

自分のこと・自分の人生について、抱えきれない程の疑問を抱いていた私は、継続してあちこちのセミナーやワークショップに参加していました。
本屋通いが日課になり、また図書館にもあちこち通い、数え切れない位の本を読んでいました。
そして経済的に許される範囲内ではありましたが、実体験を求めて多くのトレーナーやスピリチュアリストを訊ねました。



そんな中で、とある宿泊型のセミナーへ参加した時のこと。
私よりも若いお嬢さんが、凄い勢いでダダーッと走ってやって来まして。
「お話ししていいですか!」
と食らいついて来たんですよ。
その勢いの凄さに、正直ちょっと引いた(笑)。

そのお嬢さんは、そこのセミナーに一年間通っていたそうで。
凄いなー意欲的だなーと思ったのですがね。
「一年通ったけど、なーんにも、何一つ変わらなかったんです! 良かったことと言えば、Sachiさんに出会ったことだけですよ!」
と仰っていまして。


ついでに、「なんでそんなに私と話したかったの?」と質問してみました。
そしたらねー。
「似非スピリチュアルな人ばっかり見て来たけど、Sachiさんは本物であって欲しい人だから」
らしく。

そんな勝手なーご無体なー(笑)。
あたしゃあなたと同じで、タダのいち参加者ですよー(笑)。
とは言ってみたものの、届いてない風だったなーと懐かしく思い出します。



こんな感じのお話、実はあちこちで耳にすることがあるのでは。
一週間ほど前にお会いした友人も、彼女が参加したセミナーで同じような話を聞いてびっくりした、と言っていました。
あるある。よくあるよくある。

どんな体験からでも、人は気付くことが出来ると思います。
生き方のスタンスとして、「言われたことだけやってればいい」「貰って当然」的な思考があると、やっぱり
「期待したようなことが何も起きなかった」
とガッカリするのでしょう。

じゃあ、その『期待したようなこと』って何でしょうね。
ガッカリしたことも、経験の一つとして踏まえることが出来ます。
そんな風にガッカリしたのだとしたら、一体何を求めていたのか? と、掘り下げることが可能です。




こういう考え方は、セミナーやワークのみならず、実生活でも適用出来ます。

・具体的に、何に対してどういう不満を持っているのか
・どのように自分が扱って貰えれば満足か
・環境、状況で何が起きれば嬉しいのか


という風に羅列してみると、案外凄いことを望んでいるのだなと自覚出来るでしょう(笑)。



「こうしてくれ、ああしてくれ」というニーズは、基本的にエゴの産物です。
でも、エゴは決して悪者ではありません。
そんなニーズが生まれた理由はちゃんとあって、そこを突き詰めて行くと、インナーチャイルドや胎児期の傷、また親から受け継いだトラウマなどが顔を出すことが殆どです。
なので、上記の羅列を行った後に、


・何故そうして欲しい(そうされたい)のか
・覚えている限りでは、いつからそのニーズを持っているか
・そのニーズが満たされたことはあるか
・あるとしたら、どの程度の満足感が得られたか
・その満足感はどの程度持続したか、また変化したか
・本当は誰にニーズを満たして欲しいのか



という感じで書き出してみましょう。
案外、元を辿れば小さな望みだったりします。

この作業をしている時に、感情が動くことが殆どでしょう。
何を感じますか? その感情を大きく感じてみると、何を訴えているでしょうか。
その訴えを聞き入れてあげましょう。
欲しい物があるのだとしたら、イメージの中ででも自分に与えてみましょう。
もし現実的に買うことが可能なのだとしたら、買いに行ってみましょう。



……こんな感じで、ニーズを捉える所からでさえも、自分を知ったり癒すことが出来ます。
当然の話ですが、やらなきゃなーんも意味ないです(笑)。
「誰かがやってくれる」まで待っててもダメだと思いますよ。
ここで踏み止まっている方が割合多い気がするので、一応明記しておきます。

「なんでこの私が自分でやらなきゃいけないのよ!」
と仰る方もいらっしゃるかと存じますが、こればっかりはご自分の姿勢が全てを決めることですので。




欲しいなら自分に与えましょう。
まずは、そこから。





勇士…じゃなくて有志の方々主催で、誕生会を開いて頂きました!
皆さんお忙しい中をわざわざお時間頂きまして、本当にありがたい一日でした。



沢山のプレゼントを頂いたのですが、中でも凄い! と思ったのが。




rose



薔薇。
全て生花です。
お風呂に入れたりするそうですが、うぇああああ勿体なさ過ぎる…!
でもでも、ちゃんと使わないと更に勿体ないし…どうしよう(笑)。
悩み中です。嬉しい悲鳴ですけどね。あーもーどないしよ。







cake


こちら、ケーキ(というかパイでした)に、突き刺さる花火。
鎮火(笑)した後、切り分けてみんなで頂きました♪






cake2


更にこちらは、昨日の御祝いで頂いたオーダーケーキ。
仮面ライダーシリーズに出て来るキャラクターのケーキです。
私が特に好きだったので、このキャラでオーダーして下さいました。
いやー…嬉しかったです。本気で悲鳴上げる位に(笑)。







帰宅後、ウォーキング予定だったのですが、丁度雨が降り出しまして。
残念ですが、本日は大人しくしていることにします。

本当に有り難い一日でございました。
御祝いして頂けるというのは、幾つになっても非常に有り難いものですね。
というか、集まってワイワイ過ごせるのが楽しいよなーと改めて思いました。
お集まり頂いた8名の皆さん、本当にありがとうございました!




誕生日

  • 2011.11
  • 04

Edit630

本日は、私の誕生日でございました。

今日一日で、多くの方から御祝いのメッセージを頂戴しました。
メッセージを下さった皆様、本当にありがとうございました!
人間、ひとりで生きてるんじゃないなあと、心の底から思います。
何もかも、皆さんのお陰様です。感謝!




本日お会いした方々から、御祝いを頂きました。



アレンジメント



すばらしや~(泣)。
大きくて豪華なアレンジメントなのです。

一緒にケーキも頂きました。
ケーキもわざわざ私向けにオーダーして下さったそうで、感謝感謝です。
ありがたや~~~!









で、誕生日なので(?)私自身の為にセッションを受けたりしていました。
日頃からコンスタントに受けているのですが、こういうタイミングで受けると、気持ちの入り方も一層違いますからね。

今回は、『現実化のプロセス』をテーマにして頂きました。
この現実化って、個人個人に特徴というかクセがありまして、私は私で思考を現実化する時にやらかす特有のクセがあるんです。
この自分のクセには年単位でかなり前から気付いていたのですが、これまではなかなかそこまで手が回らず。
先に片付けることが山積していたので、それどころじゃなかったんです。
ここへ来てやっと、その話まで漕ぎ着けました。道程は長かった…(笑)。



で、これに絡んで"時間に対する認識の仕方"の話になりましてね。
私は時間というものに対しては、相対性理論的な理解をしておりませんで、モザイクみたいにバラバラに点在しているという捉え方なんです。
一直線に過去から未来へ時が流れている、という解釈が一般的かも知れませんが、そこから考えると確かに変だよな(笑)。

意識が現実化して行くプロセスを観察している中で、『先に原因があって結果が出る』というのが通常のプロセスだとします。
でも、私は『結果が先にあって、後付けで原因が作られる』みたいな現象を何度か見ているんですよ。
ちょっと分かりづらいと言うか、かなり変な表現なんですが、これ以外に言葉が見つからず…。

とは言え、それも私の観念が作っているのでしょうから、そもそもの時間に対する認識が捻れているというか、ズレているというか、妙なことになってるんだろうねーという話になりました。
この認識が別に間違っている訳ではないのも知っているのですが、面倒なことを引き起こしている感はあるので、修正しようか~ってなもんです。



セラピストさん曰く
「四次元的な思考というか、時間そのものに関してかなり深い捉え方をしているからですね」
とのことです(とても優しい方なので、いつも優しく言って下さいます)。

ただ、そんな風に言われた所で「私ってばフツーと違ってカッコイー!」的に喜んでる場合じゃないんですよ(笑)。
改めて考え直しますと…んー、これは深いというか、逃避とも言えますわいなーと答えました。
そういう思考を適用することで、色々なことから逃げていた部分は大きいでしょうねと。
「そうですね。でもSachiさんの生い立ちだと仕方ないかも」
と、フォローして頂いた訳ですが、流石に自分でもそう思います。
現実に対して自分の中で折り合いを付けるには、それも致仕方なかったというか、それしか見つからなかったんでしょう。

そして、今に至るも自分の中で時間の観念の整合性が取れてないんだわなー。
なんて話もしながらだったのですが、この辺りのことは試行錯誤中なので、もうちょっと進んだらレポートしたいと思いまーす。





という訳で、この一年は特に! 自分にとっての良い現実が即座に具体化する一年にします!





今日は、友人のお誘いで、舞台『おしるし』を観て来ました。
場所は赤坂レッドシアター。
レッドシアターでは以前も観劇したことがあるのですが、新しくも小さな劇場です。
紀伊国屋ホールより小さめかな?


以下、劇団であるプリエールのサイトに掲載されているあらすじです。


──

イケメン先生のヨガ教室や、専属シェフの料理が人気のレディースクリニックに、ある日院長の姉がやってくる。
49歳独身の姉が、意を決して差し出した母子手帳。
まさか妊娠? 相手は誰だ? う、うちで産む気?

彼女の抱える事情は何なのか。切れかけた絆は再生するのか。
お母さんのお腹から産まれたすべての方へお届けしたい、命のメッセージ…。


──



行って、実際観てみるまでタイトル以外の内容を知らず。
チラシの写真だけ観ていて、そこからは全く察することも予想することもありませんでした。
上演が始まって直ぐに、
「ん? おしるしって出産のアレですか?」
と思い当たり、そこから内容と答え合わせをするという状態だった私(笑)。

ギャグあり、シリアスあり、涙あり(?)で、内容のギュッと詰まった1時間50分でした。
面白かった! 演技も大変素晴らしく、バランスも取れていて、間合いの取り方とか空気感の出し方とか、本当におもろい! って感じの舞台でした。




とある産院にて。
複数のお母さんから、それぞれの赤ちゃんが生まれて来るまでをクローズアップしたお話なんですが、それぞれのお母さん達はそれぞれに事情や背景を抱えていて…という、当たり前のことが絶妙なタッチで描かれていました。

それぞれに事情があるというのは当たり前のことなんですが、当たり前過ぎて日頃は意識していないことなのかも知れないな、と思います。
ラスト近くに、
「赤ちゃんはね、お母さんを選んで生まれて来るんですって」
という台詞がありまして。
うんうん、そうなんだよ。そうなんだよ。ホントにそーなんだって!
と、我ながらよく分からない反応をしていました(笑)。


自らの意思で選んで来る。
とは言えども、何らかの事情でそれを喜んで貰えない…というのは、所謂バーストラウマになります。
そのトラウマはまず肉体情報に刻まれるので、生誕後の人生に重大な影響を及ぼします。
出来れば万全の態勢で、そして喜びを以て迎えてあげて欲しいものです。

ちょうど今年、複数の方のセッションや自分自身を解放する過程で、バーストラウマ(特に胎児期のトラウマ)に触れる機会が多くあり、何とも感じ入ってしまう舞台だったのでありました。
これもまた、シンクロニシティですなあ。




人気の舞台で客席はギュウギュウでしたが、当日券もあるようなので、是非♪
オススメですよー。




夜になってから、古い友人と会って参りました。

解散タイムが午前2時半(笑)。
それからウォーキングをして、お風呂入って、現在こうしてブログを書いております。
ウォーキングは身体が大分感覚を取り戻して来たようで、ラクラク歩けるようになりした。
サボり癖を付けると、あっという間にやらなくなってしまう自分を知っているので、相当厳しい体調でない限りは(そして天候の都合以外では)、歩くようにしておりまっす。



さてさて友人です。
そこそこ長く喋ったのですが、丁度友人に必要なジャストのタイミングで、必要な本やグッズを渡せたらしいです。
「怖い位にピッタリのタイミングなんだけど…」
とのことでした。
つまり、その友人は非常に引きが強いということでしょう。
こういう現象を、俗にシンクロニシティ(意味のある偶然の一致)と言います。

このシンクロ、決して「自分にとって良い・必要」な現象だけを指して言う訳ではないので注意です。
エゴが「自分にとって嫌だ・不快だ」と判断する出来事も、同じシンクロです。
自分が引っ張って起こしている現象なのだ、という意味ではどちらも同じことですね。
上記の「自分にとって」とは、「エゴの都合にとって」とも置き換えられます。



自分の宇宙で起きている現象、少なくとも現象に対して思うこと・感じることは、自分自身に100%の責任があり、選んでいるのだということが理解出来て来ると、シンクロにも段々反応しなくなります。
一喜一憂しなくなり、当然のこととして流すようになり、
「はーそーですかー…あるある」
程度なもので淡々と過ぎ去り、現象に振り回されなくなって行きます。

ここで引っ掛かることも多数あるでしょう。
現象の方が御主人様になってしまうということですね。


こういうことがあった! 凄い!
とか、
こういうことがあった! ちょーヤダー!
とか。


こういう反応は、自分で引き起こしているという観点ではありませんので、別の選択肢も見えて来ないし、勿論自らの手で変化を手引きすることは叶いません。
実際は自分でやっているとしても、意識的且つ能動的な動きではない。
だから、自分は悪くない、何か自分にはコントロール出来ないもの(それを人は神とか宇宙とか運命と呼びたがります)の配下に置かれている…という風に片付けたりもします。

勿論、シンクロに気付き始めた時というのは、それらを数えて行く楽しさがあると思います。
自分を知り始める入り口として、その喜びを沢山知って行くと楽しいですよね。
どんどんやったら良いと思います。




会って来た友人は、以前より自己啓発やビジネス系の本が大好きで、沢山勉強していた人でした。
でも当時は、体験が付いて行かなかったんだと思います。
あの頃は、頭の中で上辺の知識をなぞっていた感じがしました。
でも、今日会ったら
「ここ最近やっと、数年前に勉強していたことが自分の中に落ちて来た」
と繰り返していました。

体験がある程度増えたのかも知れないなあと、私は思いましたが。
何故ここへ来て腑に落ちるようになったの? なんかきっかけはあるの? と訊ねたのですが、本人はなんでだろう…と首を捻っていまして。
ホントだよ。なんでだよ(笑)。


タイミングと言えば、それまでです。
ひょっとして、「自分なりに頑張る」とか「今やってることが片付いたらやるよ!」なんていう強情を張るのに、疲れたのかも知れません。

体調をやや崩したような話も出ました。
エゴと身体は直結していますから、身体が弱る=エゴが弱る=違う観念を受け取る隙間が出来た…ということなのかもなーと考えながら、話を聞いておりました。



何にせよ、友人がラクになって行くチャンスを掴んだというのは、本当に喜ばしいことです。
人間には無限の可能性があって、いつ如何なる時でも、どの瞬間からでも、年齢や状況に関係なく、変化を受け容れることが出来る。
その変容を目の当たりにする素晴らしさ、有り難さを、今年は一層強く感じます。

変わらないことも、その人の選択ですから、私は尊重したいと思っています。
それでも、ラクになって行く一歩を踏み出せたことを知って、とても嬉しかったです。
…それこそ私のエゴなんですけどね(笑)。単に、私の趣味嗜好の問題です。
でもいいじゃないかって思うんですよ。嬉しいなあって思ったのは、嘘じゃないんですから。


私はいつでも応援してる。いつでも話を聞くよ。
だから、一人で頑張ったらダメだよ。分かち合いしよーぜ。
と、深夜に別れました。




実は、別途昼間にお会いした方々もいらっしゃって、とっても楽しかったんです。
皆さんそれぞれ、自己成長を一所懸命していらっしゃる。
だから昼も夜も、今日という日はとてもとても満ち足りた一日でした。

本当にありがとうございました。
感謝の念を感じながら、今日は寝ることにします。
おやすみなさーい。







先日、久しぶりの友人とお茶して来ました。
意欲的な方なので、色々と自己探求の活動をされているのですが、彼女の様々な体験のお話を聞くのが楽しくて、時が経つのを忘れてしまうほどでした。


それにしても、世の中には色々なテクニックが存在するものだなーと思います。
ボディワークだけでも凄く多いし、精神的なテクニックひとつ取っても、細分化されていたりして。
スピリチュアルにかなり偏っているものもあれば、理論化・体系化されているものもあります。

私は知識だけで言えば、そこそこ種類を知っているつもりではありましたが、そんなもんはあくまで『つもり』でしかないわなーと毎度考え直します。
友人との会話でも、知ってる? と訊ねられて、正直に「それは初めて聞いたなあ」と答えたものもありました。
精神世界と一口に言っても、世の中は本当に広いです。



人によって合うテクニックは違うと思いますし、また合うトレーナーも違うでしょう。
これは「相性」という言葉で表すことが多いかと思いますが、この正体は何かっつーと。
トレーナー自身やそのテクニックが、どんなバックボーンを持っているか、どのようなプロセスを経てそこへ至ったかが、相性というものを決めるのではないかと思います。

通って来た道筋が自分と似ていれば、使う言語も多少は似通って来ると考えられます。
使われている言葉や表現の種類に、何らかの親近感や共通点を見出せるのであるとしたら、それをして「相性が良い」と解釈するのでしょう。



さて、様々なテクニックが世の中にある訳ですが、テクニックはあくまでも道具であって、"救いそのもの"ではありません。
道具とは使いようです。上手に・適切に使ってあげることが、道具としても冥利に尽きることでしょう。
んじゃーそれは誰が使うんだと言えば、人間様です。自分ね。


「これさえ修得すれば何もかも解決するに違いない」
と、苦しい時ほど縋りたくなります。
その気持ちは凄く分かります。私もそういう時期があった……んだけど、実際どうであったかと言えば、全然そんなことはありませんでした。
当然なんですけど(笑)。

何故って? ま、『使おうとしなかったから』ですね。
知っただけでは意味がなく、実践し続けることでのみ道が拓けるということを、頑なに認めようとしなかったからです。
内容は何でも一緒です。
パワーストーンだろうが、占いだろうが、ヒーリングだろうが、全部同じ。
使いこなそうという能動的な姿勢があってこそ、初めてその真価を発揮するのだと気付いたのは、大分経ってからでした。



スピリチュアルの知識は、時に救いに近いものをもたらします。
真実が一つだとは言いません。人によって真実は違いますから。
喩えどんなに素晴らしいことが書いてある本だとしても、結局書いてるのは一個人。
どんなにレベルの高い存在(精霊とか神様とか天使とか何でもいいですが)から教えて貰ったと書いてあったとしても、それを直接書いているのはただの人。
その人のマインドを通して言葉を作り、その人の身体を使って書いている。
こういうことを、スピリチュアルに溺れている時は忘れがちです。

一瞬の救われたような感覚は、非常に素晴らしいものでしょう。
突然身体がラクになり、気持ち良くなり、幸福感に満たされる。
…でも、この体験は何れ通り過ぎます。どんな体験もプロセスでしかなく、必ず過ぎ去ってしまいます。
ここで体験そのものに執着すると、スピリチュアル中毒に陥る可能性が高くなります。
やっていればまたあの体験が出来るかも知れない…と、最初の目的を忘れる危険性があります。
いや、別に危険ではないんですけどね(笑)。
「あー、あるある」って感じで。


この辺りで手段と目的が入れ替わると、スピ中毒になって色々なテクニックを転々としたり、また一発で全てに救いをもたらして"くれる"人を捜すようになる場合も多いかと思われます。
スピリチュアルな知識や道具を使いこなすのではなく、知識と道具に縋りつき・振り回されながら生きるという、主客転倒現象が発生するんですねー。

サイキックもヒーラーも、ただの人です。
どれほど精度の高い予言をしていても、多分その本人は恋愛で悩むでしょうし、家族の問題や身体の問題なんかも、大概抱えてるだろうなと思います。
一般的に見ても、実際は問題アリな場合が多いんではないかと思います(全部とは言いませんが、自戒の意味も込めて書いています。尊敬出来る方も多数いらっしゃいますよ、念のため)。



どんなモノも自分の中に落とし込んでこそ、やっと使えるようになるんじゃないかなーと、私は思うのです。
道具に主導権を明け渡すのではなく、使いこなすのは常に自分であるという自覚を持っておきたいなーと。
苦しみの渦中にいる時は、気づけないものなんですけどね…(笑)。

但し、上記のようなことが悪いということではありません。
手段と目的が入れ替わるという体験も、また一興だと思います。
そこを通ったからこそ気づけることも、少なからずあるのでしょうから。
どんな道を通っても、気づきをもたらすことが出来ます。
長い目で見れば、決して間違いは無い。


その気づきを得られるのは、自分が自分の人生の主人であると理解した時なのでしょう。





プロフィール

Sachi

blog owner:Sachi
潜在意識を活用した、ちょびっとスピリチュアルな総合セラピー、癒しのワークショップ・タロットカードセッションをしているSachiです。
穏やかに楽しく成長出来るよう、入手した情報や、日々の気づき&
発見などをシェアして気ままに更新。
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旧blogタイトルは『気づきのステップ』。

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