resonance

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Date : 2011年08月

◆ Infomation

【works】
★ヒーリングセラピー個人セッション
 都内で対面式の個人セッションを行っています。
 幸せと癒し、学びと気付きを得たい方へ、様々に対応させて頂きます。
 潜在意識を日常へと活用することで、より良い人生へ変えることが可能です。
 随時お受けしておりますので、サイトをご覧下さいませ。

★癒しのワークショップ
 毎月一度、都内で女性向けの体験型ワークショップを開催中です。
 沢山の変化・癒し・浄化・成長・気づきを促すテクニックが山盛りです。
 2017年8月13日・9月3日・10月8日(全て日曜)
 の開催が現在確定しております。全て11時~15時です。
 ※以降の開催は決定次第upして参ります。
 ※それぞれ内容の詳細はサイトをご参照下さい。

時折質問されますが、イメージワークと瞑想は根本的に違うものです。


イメージワークは、頭に浮かんで来るイメージを探って、行動や繰り返しのパターンの元型を探るのに向いています。
また、未来への良い指針・動機付けとしても利用出来ます。
基本的には色々な人やものが出て来て、起きたまま意識的に夢を観るような状態です。


瞑想は、一切の思考から距離を置く訓練に使うもので、妄想が止まらなかったり、イメージに振り回されたりする場合は非常に有効です。
出て来る思考、絶え間なく流れる頭の中のお喋りに対して、距離を置く。
そしてそこに埋没せず、支配されないで、沸いて来るマインドに気付き続けていられる状態のことです。




どっちがやりやすいかと言うと、イメージワークの方が入り口としてカンタンです。
やりようによっては色々なアレンジが出来ますし、有効に使えるなら成長する為のツールとして使えます。
ヒプノセラピーなんかも、イメージワークのジャンルに含まれるかと思います(だから常に、それが本当だったかどうかはどうでも良いという旨のことを書いている訳です)。

瞑想は、一切のマインドから距離を置くことですので、修得までに難しい道程があります。
よくあるのが寝てしまう。次に、思考に囚われてしまう。
「お尻が痛いな」とか「お腹空いた」「足が痒い」なんかもマインドの呟きです。
こういった思考を消すのではなく、距離を置く。


イメージワークは非常に優れた道具ではありますが、強いて難点を挙げるとすると、マインドが色々とエゴに都合の良いイメージを作ってしまうことがあり、本来の目的が阻害される可能性があるということです。
エゴの作った妄想に囚われて、エゴの正当化に利用出来る可能性がある、ということです。
そもそもイメージというのはマインドを使うので、そのマインドに乗っ取られる可能性を考慮すると、瞑想も知っておいたら便利なのではないかと思います。
勿論、どちらも大変役立つツールですので、出来れば両方時に応じて使い分けられると、自分自身が楽でしょうね。




イメージワークは身体をリラックスさせる所から入ります。
イメージが出て来ない、心理的なブロックが硬い人というのは、身体がリラックス出来ない場合が多いかと思います。
呼吸が浅い。体が硬い。時間に追われている。ダラダラ出来ない。栄養が足りていない。進みたくない。
等々、色々な要素があると思いますが、日々「イメージしてもいいよー」みたいに自分への許可を出せると、ゆっくり緩んで来ることが多々あります。
なので、いきなりわーっとイメージが出て来ないとしても、諦めずに居れば、何れはイメージが出て来ることでしょう。

瞑想の入り口も似たようなものですが、大切なのは呼吸です。深く長い呼吸。
先ずは吐く方から。ゆっくりゆっくり、長く長く吐き出します。
そして吐ききったら自然に吸い込む。これを繰り返します。
そして呼吸に意識を集中していれば、マインドの囁きに捕まる可能性は下がります。
ただ呼吸に慣れて来た段階で、「待ってましたー」とばかりにエゴが出張って来るので、気を付けましょう(笑)。
こちらも続ける内に段々身に付いて来ます。
要はどちらも途中で止めないことではないかと思います。




こういう時間を自分に対してマメに作ってあげることもまた、自分自身の為になることにカウントされます。
成長することは、今よりも楽になることです。
もしかしたら、そのプロセスで痛みを体験するかも知れませんが、今より幸せを感じられたり、楽に生きられるようになるならば、続けた方がいいんだろうなー…というか、そういう手もアリなのではないかなーと、私は思います。






先日、古い知人と話をしていまして。
お仕事をしている上に、家庭では奥さん・お母さんでもある為、非常に多忙を極めていて、疲れていると言われていました。

で、仕事場でこういう人が…ああいうことがあって…というのが始まり、暫くはウンウンと聞いていたのですが、永久ループに入って終わりそうにないので、私が水入りを(笑)。



「あのね。いつものパターンに填ってるみたいなので言いますけどね。何に関しても『誰々にこう言われたら嫌だから自分はこういう風にしか出来ない』とか『周りに後でこうされると嫌だからこうしておく』っていう、全部他人と周りが悪いって話に終始してます。そうじゃなくて、あなた自身はどうしたいの? どう在りたいの? いつまで他人がどう動くかによって自分の身の振り方を決めるの? 被害者続けても、絶対それ終わらないよ。いつか劇的に変わると思ってるでしょ? でもそんな日は来ないから。抑も被害者のスタンスを持ってるからこそ、『またこうされた、言われた、酷い!』っていうのを自分で作り上げて、他人ありきの自分になってると思いません? でも、自分はその瞬間・能動的にどうしたいか、ただそれだけじゃないの?」



と話しました。
「分かってるんだけど。…一時は分かったような気がしたんだけどねえ…」
とのことでしたが、やはりこういうことというのは頭で分かっても、内部からの気付きが無ければ、行動や思考パターンを塗り替える所まで行くことは稀です。

頭の回転が速すぎてパパパッと動ける人は、逆に大変だろうなと思います。
頭で全部終わらせることが出来るから、ですね。
で、暫く経って振り返ると、また同じことやってるよと思って落ち込む。
そういうことを繰り返すのは、かなり疲れると思いますし、スパンが長いので忘れることも出来てしまいます。



一度「これはもう嫌だー」となった時は状況を客観視。

「何故被害者で居たいのか」
「被害者で居ることによってメリットがあるとしたら、それは何か」
「自分主体の生き方を選択することが、現段階で出来るか」
「今すぐ、そういった状況が全て変化しても、受け容れられるか」

等を自分に正直に問いかけてみて、「まだ被害者やっていたーい」とマインドが言うのであれば続行(笑)。
続けるのも一つの手だと思います。



もしそこから抜けたいと真摯に願うのであれば、また違う道が拓けることでしょう。
けれど、誰かが何とかしてくれるのではありませんから、やはり必要なのは自分の内面を正直に見つめることですね。
そのパターンはいつから持っているのか、また親兄弟・親戚などの中からコピーしていないか等々、静かに自分を見つめる時間が絶対的に必要です。

「~だから出来ない」とマインドが言う場合、実はそこまで困っていないと取ることも出来ます。
まだ大丈夫、余裕余裕。文句言ってるけど、そこまでじゃないし。そのうち変わるかも知れないし。
という訳で、この場合も続行(笑)。



「変わらなければいけない」という訳でもありませんので、頑張れる内はどうか頑張って下さい。
これが私のスタンスですので(いや本当に)、それはそれでアリだと思います。
弱ったり困ったりしない限り、エゴは隙を作ってくれませんから。

徹底的に上手く行かなくなった時こそ、エゴが弱体化している時なので、チャンスとも捉えることが出来ます。
それはでは、我を貫き通すことも、一つの道ではないかと思うのです。
自由なので、いつでも選び直すことが出来ますし、どんな選択も俯瞰で観ればアリなのだと思われます。



但し、自分を生きられるのは自分だけ。
他の人が肩代わりしてくれるのではありません。
そこは、頭の中に入れておいた方が良いのだろうと思います。




本日、8月度の新月です!


・一番目にエネルギーが強い期間⇒8/29 12:04~20:03
・二番目にエネルギーが強い期間⇒8/29 20:04~8/30 2:03



遅くとも8/31の12:03までに新月の願いを書くと良いようです。



新月の願いに関して少しまとめてある記事はこちら



少しでも自分を正面から見据え、何を望み、それは何故なのかをはっきりと浮き彫りにすることは、より楽で楽しい人生を送る上で非常に重要です。
こういった機会を有効に使うと、普通にただ生きるよりは進むスピードがかなり上がります。

「出来なかった」
という言葉を時々耳にしますが、48時間あって「出来なかった」というのは、かなり特殊な状況を除けば首を傾げるような内容です(笑)。
もし「あーあ、出来なかった」と言うのであれば、それは「やらなかった」のです。
「やらない」ということを自分で選択した訳です。
いつも書いていますが、エゴは恰も不可抗力であったかのように言い訳をします。
自分が変化しないよう、喩えそれが幸せというものであっても、決して自分の中に入って来ないように。
何故ならエゴは、変化を死よりも怖れているからです。
…と、そんな部分を頭の片隅に置いて頂ければ、多少でも時間は作れることでしょう(笑)。




楽に、そしてスムーズに願いが叶いますように♪







昨年、一昨年と出展させて頂きました、やすらぎの部屋主催のイベント『シルバーアーチ』。


毎年、やすらぎの部屋にほど近い江ノ島方面での開催でして、ホテルの宴会場を借りて、沢山のブースが出展する文化祭のような形のイベントです。
基本的にはやすらぎの部屋のクラス生の方々が、学んだ技術を実践する場として設けられているのですが、他にも色々な経緯で参加されている方がいます。当然、私もそのうちの一人でした(笑)。

今年はすっぽり頭から抜け落ちていたのですが、主催の美保さんからメールを頂戴しまして、参加することにしました。
1day cafeにてキャンドル販売をして下さったSunaさんとは、元々シルバーアーチでお隣のブースだったことから、ご縁を頂いたという経緯があります。



昨年は台風直撃の日で(笑)、電車が止まらないで現地に到着出来たのが奇蹟と思う位でした。
絶え間なく降り注ぐ豪雨が窓からよく見え、誰かが台風を連れて来たのかも…と思ったり。
それでもお客様のお運びはありまして、ありがたいなーと思った次第です。
一種、思い出深いイベントとなりました(笑)。

今年も、天然石アクセサリー多数と、タロットを持って行きます。
タロットはどうしようか迷ったのですが、何故かと言うと主催の美保さんがタロットの先生なので、被っちゃうからですね(笑)。
とは言え、私の所へご縁でいらっしゃる方もあるかと思えば、それはそれでアリかもなーと思い直しました。



"resonance"で出展します。


・タロットリーディング:2,000円/15分
・天然石アクセサリー:500円~



です。
何と言いましょうか、何時も通りです(笑)。






★シルバーアーチ★

日時:2011年10月29日(土曜) 11時~17時

会場:KKR江ノ島ニュー向洋/大会議室「相模(さがみ)」

アクセス:小田急線 片瀬江ノ島駅から徒歩10分(駐車場には限りがあります。公共交通機関のご利用をお願いいたします)

*入場料:無料です。どなたでもご入場いただけます。

※会場でミニ特典が受けられる地図はこちら(印刷してどうぞ)。

※その他詳しいことはシルバーアーチblogの記事へどうぞ。




お時間に余裕がおありの方は、是非お運び下さいませ♪




身体のバランスが整い、癒しが進んで行き、自己成長を続ける内に、様々な変化が起こります。





私はこの夏、あることに気付きました。





実は、とある虫が超のつく程に苦手なのですが、なまじこの年齢になっても視力が衰えない為か(笑)、夜道であってもバッチリ目撃してしまうことが多かったのです。
特に夏! 夏場は頻繁に目撃してしまうので超危険!(笑)
毎年そんな感じだったのですが、暑さも一段落したここ一週間ほどで「あら?」と。

この夏は、ほぼ目撃していないじゃないか。
どういうことだ。
もしや個体数が減ったのか?
いやいや流石にそんな訳ないでしょー。



考えられる要因としては、
「嫌悪感を持つものの中に居ることが当たり前」
「日常的に嫌な思いをするものである」

等という観念が解放されて来たということなのではー。
みたいな感じでしょうか。

以前、レジや切符売り場に並ぶと云々という記事を書きました。
アレと同じで、バージョン違いの結果だなあと思いました(笑)。
自分に対して、楽しい思い・楽であること・心地良いことを許可出来てるからなんだろうな。
と思って、一人悦に入っておりましたが、結構ピックアップすると色々あるなーということで、これまた面白いこととしてカウント。




何にしても目出度いことですよ!
栄養素をかなり意識して摂取し、食事をガラッと変えた結果、身体が整ったというのは絶対に正解だったと思います。
明らかに日常の中での楽しいことが増えていて、他人様と接するにしても、友好関係を築いている人と多く接することが増えたり、また新しい出会いもかなり楽しいものだったりして、明らかに以前とは変わっていることが自覚出来ます。

栄養は勿論のことですが、それに応じて身体を動かしたり、また自分を成長させることを延々続けて来たことで、色々な部分に波及しているのだなあとしみじみ思いました。




それにしても、あーもうホントに嬉しい(笑)。





他人様へのリーディングだけでなく、自分でもタロットを使うことが時々あります。




でも、不思議なんですが。
自分のリーディング結果を見てから、その問いかけた事例に関して後日鑑みると、「ん?」と腑に落ちない形になることが非常に多かったのです。


自分で言うのも大変烏滸がましいのですが、他人様のリーディングはかなり確信を持って行っています。
当て物ではないので、自信とかそういう話とも違いますが、読み取るのが非常にスムーズだったりする程、納得することが大きい訳ですね。





では、自分に関してはどうして外したり、読み違えるのか。









数日前、ある事例に関してカードに問いかけました。
結果としては、(問いかけた題材に関して)私の背中を押すような流れになりまして。
やってみたらいいじゃん、抵抗する意味ないよ。楽しいよーみたいな感じだったんですな。

しかし私は、並んだカードを見て
「うーん…でもなー…とは言うものの…」
等とゴネ始め(笑)。
そこでハタと気付きました。



「なんだ。最初から『自分に関して尋ねる時だけ』全くカードを信頼してないだけか」




自分でガックリ(笑)。
だから読み違えるし、外す訳です。


抑も信頼してない⇒だから外す⇒不信感を抱く⇒益々信頼出来ない⇒当然読み切れない⇒不信募る…


という永久ループです。
かなりの間、自己不信重症患者だったと思われます。



タロットカードはその時の潜在意識の囁きが具現化したものですから、信頼したくないというのは、自分がそういう風にしたがっていることを認めない、というエゴの抵抗そのものです。
恐らく、カードを弄り始めた子供の頃に、「難しくて全然わかんないよー!」と混乱したり、「自分のことは占っちゃいけない」というよくある意味不明な都市伝説(笑)に惑わされたまま、観念として定着したのではないかと思われます。

そして長年騙されていた私(笑)。
このように自分の思考の癖や観念というのは、一人だと当たり前化しすぎてしまい、なかなか捉えきれないんですよ…トホホー。



でもまあ、やっとこさ気付いたので。
今回は出たカードを信頼して、と言うよりもそう読み取った自分を信頼して(笑)、助言に従おうと思います。
さてどう出るか。楽しみでーす。


いやはや…己の成長・幸せに立ち塞がる最大の敵はやはり、他ならぬ自分自身でございます。





継続したセッションを受けて下さっている方は、やはりというか何というか、成長のスピードが速い速い。
いつも感嘆と喜びを以て、セッションに臨ませて頂いております。



以下は先日、三回目になるセッションを受けて下さった方のご感想です♪



あ、結構長めですので(笑)。





[more read]

自分の中にある沢山の観念、または傷や感情が癒されて行くと、心身共に軽く楽になって行きます。
これは私も実体験がある上に、多くの方が仰っていることですので、間違いないです。
そんな中、ハンマーで殴られたようにビックリする出来事があったりすることも、また間違いないことです。


成長すればする程、お試し(セルフです)がランクアップして行きます。
恰もそれは、レベルを上げてより強い敵と戦うゲームの主人公のようです(笑)。
この『お試しランクアップ』の出来事ですが、幾つかの原因が考えられます。

・更に深い部分からブロックが浮いて来ている
・自分の中で何割か納得していない部分が具体化する
・「そう上手く行く筈がない」という観念がある
・「幸運の次は不幸が来る」という観念がある
・「上を望まず、程々で満足しなければならない」という観念がある


等々、色々な理由が考えられます。
ご注意:度々書いておりますが、「試されている」のはあくまで宇宙や神や他人からではなく、自分の中にある観念からですよー。



それはそれとして。
仮に、何かの出来事が自分の外で起きたとするじゃないですか。
そしたら、ある程度自己成長が進んだ人は、真っ先に取り組む訳です。
「何故このような出来事を自分は起こしたのだろう」と。
で、内観する訳ですよ。
「こんな傷があった! こんなブロックがあった!」
と発見し、取り組む訳ですな。

潜在意識の中に、どれだけの傷があるでしょうか。
どれほどの観念があると思いますか?
正直申し上げて、数え切れない程ではないかと思います。
そして、傷というのは毎日量産されているんです。
手を付けるにしてもキリがないですね。イタチごっこというやつです。


なので、集中的に自分に取り組んである程度大きなブロックをお掃除したら、今度は
「振り回されない・フォーカスせずに自分のセンターに居る」
ということを始めた方が良いんだよーというステージに入って来ます。

呉々も気を付けて頂きたいのは、センターに居続けることを始めたと言っても、自分に取り組むことから完全に卒業した訳ではないということですね。
時に応じて行った方が効果的な場合もありますし。
また、自分を見つめ始めたばかりの人や、偶にしかやらないタイプの人は、このやり方は結構先の話になると思います。



さて、「取り組まない」方式を採り入れ始めると、どうなるのか。
……どうもならない(笑)。
どうもならないし、周囲で何かが起きたりはする。
するけど、センターに居ることが出来たり、また直ぐに戻って来ることが出来るようになるので、「へー」「そうですかー」で終わることが出来る。

これは無感覚になることや、麻痺して感じないのとは根本的に違います。
ただじっと見ているというだけです。
確かにそれによって、内面では感情が沸き立ったり、マインドがギャーギャー騒ぐこともあるでしょう。
けれど、それもじっと見つめていればゆっくり鎮まって行きます。
こういうことがあった。それだけ。その場で終わる。
という風になれたら、一足飛びにレベルが上がったも同然ではないかと考えます。



何にせよ、スタートはまず自分を探る所から…というか、その決断をする所からです(笑)。
その決断は、他人がしてくれるのではありません。
自分自身がどうありたいか、どう生きたいか、現状に対してどう感じるか、というようなことを、正直に見据える所から始まるのです。






ここ数日、雨のお陰で涼しかった東京ですが、今日あたりからまた暑さがぶり返して来ました。
とは言うものの、やはりお盆を過ぎると秋の気配を感じますね。
夜風が冷えていたり、虫の声がしたり。
日本人の繊細さ、感性の豊かさは、こういった四季折々の変化によってもたらされているのだと、常々思います。


さてさて日曜日のこと。
ワークショップの後、上野まで移動し、駆け込みで大英博物館 古代ギリシャ展を見学して来ました。

主にイタリアを中心とした地方から出土した、様々な美術品。
それらは大英博物館に所蔵されているのですが、中でもギリシャの古美術品を中心に展示されていました。
ギリシャと言うと、行ったことのない人間からして見れば、やはり神話の国というイメージがあります。
文化もかなり早くから花開き、非常に華やかだった時代をなんとなーくイメージするものです。


展示品の中には、紀元前3,000年代の出土品などもあり、
「ってことは5,000年前でしょー。日本で言うとどんな感じ?」
等と首を捻るばかりでした。
現在で言うブルガリア周辺で、トラキア文明と呼ばれる文化が栄えた時代、らしい。程度しか分からない(笑)。

ギリシャ文明が華やかなりし時代と、そして現代と。
変わっていないのは人間の欲望だったりするのかも知れないです。
今回の展示は幾つかのコンテンツに分かれていましたが、そのどれもが現代の人間と遠いイメージな訳でもないな、と感じました。
要するに欲望まみれというか、我欲でいっぱいというか(笑)。
その辺りがあってこそ、人間の多面性、多様性、また欲望から一気に芸術へと昇華していく面白さを抱えているのだと思います。
…などと殊勝なコメントを出してみる(笑)。


神像も沢山ありました。
掌くらいのミニサイズの物がかなり多くて、これは現代で言うお仏壇に治める仏像と思想を同じくした物なのかも…と思いながら見学。
こういった偶像崇拝は、世界共通に見られることですが、最初に考えた人は何を思ってこうしたんだろうなーと思うこともありまして。
閉館間際に入った為、短時間で駆け足の見学になりましたが、面白かったですよ!

時々こういう芸術に触れると、新しいインプットが出来て、新たなエネルギーが沸いて来ますね。
物書きとしてはやはり、一方的に出すばかりだとガス欠を起こすなあと痛感します。
色々な形での充電ってやっぱり必要です。そうでもないと行き詰まっちゃいますな。
それも、いつものパターンではなく、全く違う趣向の何かを補充することで、新しい可能性が見えて来るのだと思います。



今回に限ったことではありませんが、いつも会う人、いつも行く場所、いつも見るものだけではなく、徐々に拡げて意識的に新しい行動を採り入れて行きたいなーと思った次第でした!
やっぱり行動に優るものは無い。本当にそう思います。
頭で考えるだけだと、分かった気になってしまうじゃないですか。
それも所詮は、マインドの罠なのですが(笑)。

考えてクタクタになったり、逆に考えないように逃避したりすることで、色々な事実から目を背けたり、出来た気になってしまうのが人間というもの。
狭い世界で縮こまらず、身体を使って動くことで、初めて理解というものが得られるのだという風に、私は思うのです。
ついつい腰が重くなってしまいがちですが、ちょっとずつなら新しいジャンルや光を採り入れることが出来る。
今後も色んなものに触れて行きたいと思いまーす。





人間は誰しも、潜在的に『死への憧れ』を持っていると言われます。
「死ねば楽になる」という言い回しがある位ですから、あると思いますよ。
言い換えると、『今』からの逃避的思考でありますな。

私も自分の中に、それがあるという自覚を持っています。
いやーウッカリすると偶に支配されそうになっちゃう時があって、
「おーヤベーヤベー、またマインドに騙される所だわ」
みたいな感じで、自分のセンターに戻って来るのですが(笑)。



死への憧憬は、無価値感、無力感、無意味感などと同じように、結構意識の深い部分にへばりついているので、日頃普通に生活しているだけでは意識されないことが多いですね。
でも、何らかの事件が起きたり、自分の力では対処出来ないような挫折を味わうと、突如隠れていたこれらの部分が顔を出して来ます。

日常的に過酷な環境で育って来た人は、割と顕在意識に近い場所にこれがある為、少しストレスが掛かるとぐるぐるこれらが頭の中を回って、ノイローゼっぽくなったりすることもあります。
また過去世と呼ばれる部分に於いて、消化しきれなかった大きなトラウマがある場合も、これと連動したり…ということがあると思います(あくまで私見ですが)。

潜在意識は非常に深い層まで形成されていて、また実質的に無尽蔵の意識を抱えているので、その中から"そこ"へ焦点を合わせるような行動を取らない限り、なかなかこういった感覚を意識出来ることはありません。
死とは、生者の視点からはおおよそ理解することが難しい為、美化・理想化の対象にもなりやすいのでしょうね。




ところで私は、生きることも死ぬことも、究極的には自由なのだと思っています(これに関しては様々な異論があるでしょうが、個人的にという話です)。
但し、死ねば全てが終わるということは決して無いのでは、とも考えます。
生きている身の上では理解し難いことではありますが、やはり我々は動物ですから、生きようとする本能が備わっている訳です。

更に、ヒプノセラピー(退行催眠)等の深層心理にアクセスする道具を使用すると、過去世と呼ばれる意識が浮かび上がることがあり、それらの意識の中で自発的な死は決して推奨されていないのです。
大切なのは、あらゆる状況の中でもどう生きるかであり、何をしたかではなく、どの場面に於いてもどれだけ信頼関係を結べたか、愛に溢れた自分になれたか、楽しく喜びを持って生きたか…などが臨終後の場面で問われることが多くあります。

「もっと優しくすれば良かった」
「もっと信頼すれば良かった」
「自分を大事にすれば良かった」

等々、沢山の反省や学びが死後にあるようです。
当然、あくまでもそれらが真実かどうかを計る術はなく、「そうは言ってもねえ」と言われればそれまでなのですが(笑)。



死への誘惑が一体何処から来ているのか、何故惹かれてしまうのか…という部分もまた、色々と掘り下げる対象としては格好の的なのではないかなーと思います。
出て来たその理由は真実なのか?
仮に死んだら全て終わると思っているとしても、実際は本当にそうなるのか?
何故全てが終わると思っているのか?
本当にそこまで思うような価値があるのか?
等々、問いかけることは沢山ありますね。
心当たりのある方は、是非ともノートへ書き出してみると、新たな発見があると思います。


人間は誕生の瞬間から死へ向かって歩み始めています。
全人類、いずれ必ず寿命が来てしまいますから(笑)、それまでは楽しく生きた方がいいなーと、私は考えているのです。
次回ワークショップでは、ちょっとバーチャル臨終体験のようなワークをやってみようかなー。とボンヤリ思っています。
とは言いつつも、毎回その場その場で勝手に流れが組み上がってしまうので、予定は未定ということですが(笑)。






本日は、8月度癒しのワークショップ開催日でした。
ご参加頂いた皆様に、心より御礼申し上げます。
本当にありがとうございました。



今回は会場に一杯の参加者の皆さんが揃いまして、会場内ギュウギュウ(笑)。
それぞれの方が、色々な事情を抱えてご参加されています。
継続されている方が殆どですが、毎回違う雰囲気や進行具合になるのが面白いところです。

今後一週間程度は、生活を特に注意深く観察してみて下さい。
変化が生活の中に現れたり、感じ方に違いが出て来たりしやすくなると思います。
勿論、毎日観察して頂くに越したことはありません(笑)。
それと、自分を労ることが大切です。
お風呂にゆったり入るとか、好きな食べ物を自分の為だけに食べるとか、映画を観るとかでも構わないので、出来る限り自分を可愛がる。
自分勝手とは違う意味で、自分を尊重してあげることに専心しましょう♪



本日が初参加、という方が2名いらっしゃいました。
まだ様子が分からずに、緊張を残したまま終わられたかも知れませんが、新しい風を吹き込んで下さったことに感謝します♪

「宗教的な集まりだったどうしよう」と思っていた…というお話は、案外よく聞きます。
確かに様子が分からない上に、情報量も案外少ないジャンルですし、実際それっぽい雰囲気でやっている集まりも世の中にはあるのかも知れません。

残念ながらうちの雰囲気は非常にフツーでして、参加者の方もごくフツー、何故なら開催している私がフツーの人だからな訳ですが、パッと見では何の集まりか分からない雰囲気だと思います(笑)。
サークルか? 何かの会議か? みたいな。
所謂、スピリチュアルどっぷりな感じの人は居ないと思います。ハイ。


でも、やっぱり実際に参加しないと分からない訳で、その怖れを抱えたまま足を運ばれました勇気に、拍手を送りたいです。
毎回足を運んで下さっている皆様も、参加したということ自体に関して、まずご自分を褒めてあげて下さいね。
やはり内心では日々抵抗しているでしょうし、葛藤しているでしょう。
「こんなことやっても変わらないんだ」と思うこともあるでしょう。

それでも、今回は電車も止めずに(笑)やって来ているというのは事実。
だからそこだけでも、まず褒めてあげましょうねー。
私も毎回毎回、顔には出してないけど自分を褒めまくりですよ(笑)。



>ご参加された方へ
その後何かの展開があったというご報告や、ご質問等ありましたら、メールでお問い合わせ下さいませ。
出来る限りフォローさせて頂きます。
また、体験談はご許可を頂いた上でblogにupすることもあります。




今後の予定は11月分まで確定しています。


9月18日(日曜) 11:00~14:00
10月16日(日曜) 11:00~14:00
11月13日(日曜) 10:00~13:00



いずれも飯田橋にて開催です(11月度だけ開催時間が早いのでご注意を)。
詳しくはHPをご覧下さいませ。
皆様のお越しをお待ち申し上げております♪





明日もまた、素晴らしい成長と喜びの一日でありますように。





精神世界では割と頻繁に『カルマ』という言葉を使います。
日本語で一番近いのは『業(ごう)』ですね。
「業が深い」とか言うじゃないですか。


「私って業が深いからさあ」
と、結構前に知り合いの方が仰っていました。


つーか、みんな深いんじゃ。
業が深くなかったら、まず生まれて来ないんじゃ。





という訳で、今日はカルマのお話。
カルマには種類があります。


・良いカルマ
・悪いカルマ



端的に言うとこの二つのベクトルがあって、更に。


・個人のカルマ
・家族のカルマ
・一族のカルマ
・土地のカルマ
・民族のカルマ
・国のカルマ



等々、入れ子構造になって居るという説がございます。
私もこの入れ子構造説を支持しています。
国のカルマなんかは、普段意識されていないだけですが、実はみんなで背負ってる訳ですね。



今の時点での私の理解で言うと、カルマは関わった相手がどう捉えたかで決まるように思います。
相手が激昂したり悲しんだりしても、「自分はそんなつもりなくて」っていうのはよくある話ですが、この相手側がどう捉えたかがポイントです。
自分がどういうつもりでやったかなんて、全然関係ないっぽいなと思っています。

「良かれと思って」というのも、またよくある言葉ですね。
でも、それはホントに相手の為なのかな~?
押しつけとの境目は何処でしょう?
…などと考えると、また違う選択肢が出て来る可能性が高いです。
そんなこんなを経て、カルマ内の良い・悪いの振り分けが決まるんじゃないかなーと私は考えます。

カルマとか業と言うと仰々しくて恐いイメージがありますが、『宿題』と言い換えると途端にカジュアルになるミラクル(笑)。
この宿題ですが、生まれる前に自分で設定しているケースが殆どだったりします。
でも、生まれる時に一旦忘れてしまうので(答えを知っててやっても身に付かないのは勉強と一緒)、その状況にぶつかった時に「なんで私がこんな目に!」と天を仰ぐ羽目になるのですな。




さてさて。
今生で出会う人達が沢山居ますね。
現代は、住んでいる地域の人達に限らず、あらゆる場所の人とコミュニケーションを取ったり、面識を作ることが可能な時代です。

100年前とは較べ物にならない程、交通網が発達しています。
命がけの旅だった海外への渡航なんか、今やバンバン当たり前に行われています。
何なら、宇宙まで飛び出す始末(笑)。

更に、インターネットの発達により、あらゆるコミュニティを飛び越えたコミュニケーションが可能となっています。
私がこの記事を書いていても、読んでいらっしゃる方の大半は、恐らく私の知らない方でしょう。
いや、そのうち知ることになるのかなー(笑)。



このように、一昔前から比較しても、全く違う様相を呈していると思います。
医学や農業や産業の発達によって平均寿命も延びているし、世界規模で見たとしても、長い人生で膨大な数の人達と出会う方が多いんじゃないでしょうか。
ここにカルマを絡めて考えてみます。


出会う人がいっぱい居る⇒色々な過去世で出会った人達とまた再会している⇒あらゆるバリエーションのカルマ(宿題)を持って来ている⇒宿題多い⇒手を付けようと思えば一気に成長するチャンス…


ということになるんじゃないかなー。


だから、一見生活レベルは豊かであっても、大変な人生を送っている方は多いということではないかと。
むしろ生活レベルが豊かだからこそ、カルマにチャレンジするスタミナがチャージ出来て、延々チャレンジ続きということではないかと(笑)。

また違う視点で見てみると、恐らく何度も何度も何度も何度も同じ所で引っ掛かって、
「ええい面倒だ! 分かりやすく設定して一発でクリアーしてやるうー!」
という具合に、大きな課題を持って来た人も多いんじゃないかと思います(私とか)。
分かりやすく設定するっていうのは、自らわざわざ大変な人生にするということです(笑)。



勿論ですが、クリアー出来た暁には、その成長は過去と較べて段違いに大きいのではないかと言えます。
だからこそ、チャレンジしがいがある。
と、思う。

現代では、退行催眠や色々なカウンセリング、セラピーなどの方法がありますから、自分に合ったやり方でどんどん癒されて行けば良いのだと思います。




さて明日は、8月度のワークショップです。
どうなるか、楽しみ楽しみ♪






昨日の記事を上げたところ、「直ぐに本を買いました!」という方が複数いらっしゃいました。
直ぐに行動に移せるというのは、大変素晴らしいです。
「また今度~」とか「時間ができたら~」とか言ってる間に、チャンスは流れて行っちゃうことが多いように思います。

以前他人様から聞いた話ですが、「情報が入ったら48時間以内に何らかのアクションを起こした方が良い」のだそうです。
何故かという絡繰りは分かりませんが、来たチャンスを掴める瞬発力に関わっているのではないかと、私は思います。
無論、物理的に不可能である場合は、その限りではないと思いますが(笑)。




さて、人間関係の力学が分かっても、自分の行動を根本的に変更するには、気づきが必要です。
他人様から何かを指摘されたところで、本当のことほど「うるさい!」と怒りが沸いてしまうのが人間というもの(笑)。
という訳で、変えたい・変わりたいと言うのならば、自分自身を見つめ続けて自分に気付く必要があります。
これまでの体験からすると、「いつか魔法のように勝手に変わる」ということはまず有り得ないと私は思っています。

いつも書いていますが、問題解決をするならば
『まず何が起きているのかという事実と、それに対する感情・思考を明確に区別する』
ことからスタートです。
更に、『それの何処がどういう問題だと認識しているのか』。
その上で、『起きている出来事を問題だとする思考』の方に着目する…という手順ですね。


ワークショップやセッション、自己ワークでも、やはり「目の前の出来事そのものが問題」という人は極めて稀…というか、私は目にしたことがありません。
あくまでも私は、ですが。

如何に今、問題が起きているように見えたとしても、その糸口を探ると、幼少期や胎児期に原因があったり、稀に過去世へ飛ぶこともあります。
つまるところ、目の前の出来事が問題な訳ではないことの方が、割合的に多数を占める。
だから、目の前にある"問題っぽいもの"と取っ組み合いをしても、解決しない。
…ということが多い。
でも、一人ではその最初の場所を探すことが難しい。
だから、他人様の力をお借りすると早いのです。



自分を見るのが難しいのなら、他人様を観察していて、どう感じるか。
それは自分のフィルターを通して見ているだけであって、実像ではない可能性が充分にあります。
では何故そう見えるのか。どうして問題だと思うのか。相手に問題があるのか?
等々、自問することは沢山あります。

私が使う潜在意識なアプローチでは、基本的に自分と周囲の人間は完全に釣り合っていると解釈します。
何らかの接触がある以上、引き合うものがある訳です。
それが自分を見つめたり気付いたり、また癒されたりして来ると、その相手と一緒に居ることに違和感を感じ始めることがあります。
当然、一緒に成長する場合もありますが、互いのずれが大幅に開いたり、パワーバランスが大幅に崩れた時は、そこから卒業することになるケースが殆どです。


イヤだイヤだと思い続けていても、イヤだと思うこと自体が相手にバッチリ反応しているということですよね。
この状態は、相手と釣り合って、均衡しているのです。
となると、まず卒業は不可。
無理矢理逃げたとしても、今後更に大きな問題として人生に立ち塞がることが殆どです。
相手に対して、これまでのような心理的反応をしなくなる=執着が消えたら、卒業のサインですねー。
そうそう。イヤだというのもまた、一種の執着なのですよー。
勿論、好きも執着ですが(笑)。

卒業できるかどうかは、相手に感謝出来ているかがサインとなる場合があります。
イヤだったけど、そのお陰でこういうことが分かった。
自分が気付く為の試金石として、相手は自分の人生に登場してくれた。
わざわざ自分にイヤだと思われるのを(潜在的には)覚悟の上で、やって来てくれたのだ。
……と思うと、有り難さが沸いて来ませんか?
別にそう思えということではありませんが、ものの見方が変わることで、そんな風に捉えることも出来るのが人間の素晴らしい所です。


色々な側面や可能性を一つずつ発見しながら、我々は歩いて行くのでしょう。





お友達が、

「毎月のワークショップやセッションでやってる内容あるでしょ? あれとほぼ同じことが書いてあって、凄く面白かったよ」

と、貸して下さいました。
で、自分でも買いました(笑)。


ユダヤ人大富豪の教え ―ふたたびアメリカへ篇ユダヤ人大富豪の教え ―ふたたびアメリカへ篇
(2011/06/27)
本田 健

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本田健さんは、成功哲学シリーズの著作で有名です。
代表作は恐らくこちら。


ユダヤ人大富豪の教え 幸せな金持ちになる17の秘訣 (だいわ文庫)ユダヤ人大富豪の教え 幸せな金持ちになる17の秘訣 (だいわ文庫)
(2006/02/09)
本田 健

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内容は物語風にアレンジしてあり、全編通してカジュアルな文体が特徴です。
楽しく成功の秘訣を学べる作品として、ビジネス書の中でもかなり敷居が低い印象があります。








さて、今回読んだ方です。
感想。


「うわ。本当だ…」


でした。
本当にかなり似ている!
と言わざるを得ませんです。
細かい表現なんかは違いますけどね。




・人は感情に支配されている
・過去に体験した感情を抑圧することで問題が発生する
・"センター(自分の中心)"からずれることで問題になる
・人間関係は"役割"を引き受けることで成立する





等、ビジネスやリレーションシップなどに重大な影響を及ぼしているマトリクスについて、分かり易く説明されています。
また特徴的なのが、人間関係を四つの役割に分類して説明していることです。



・ポジティブ自立
リーダータイプ、前向き、過去を見ない、感情を感じられない

・ポジティブ依存
癒し系、無能に見える、白昼夢を見る、いじめの対象になりやすい

・ネガティブ自立
有能な管理者、完璧主義者、批判的、いつも苛々している、いじめっ子タイプ

・ネガティブ依存
感じる能力が高い、カウンセラータイプ、悲観的、自己憐憫が強い、過去に執着




この四つの役割というのは、



ポジティブ自立←→ネガティブ依存

ポジティブ依存←→ネガティブ自立



という風にコンビを組み、互いに力で引っぱり合いをします。
片方がポジティブ自立だと、その相手になった人は自動的に反対側のポジションに着く。
という説明ですね。

このパワーゲームから降りる為には、自分がどの役割を負って居るかを自覚すること。
それが分からない場合は、相手のポジションを見てみます。相手のことなら分かりやすいでしょ?
そして、その反対側に居るのが自分ということになります。



一度このパワーゲームに填ると、力関係が固定されて前進しなくなる。
という説明が作中にあります。
親子や兄弟、恋人や夫婦、友人関係等々で、こういう風にがっぷり四ツに組み合ってることが殆ど。
ある種、そうやって力をぶつけ合うことで、互いに均衡を保っているとも言えます。
もしも先に進みたいのなら、パワーゲームから降りること。
相手にフォーカスし過ぎて、自分の力を与えすぎないこと。

本の中では、「センターに戻る」ことが最重要で、非常に大切なことであるとしています。
自分がどちらに傾いでいるかを把握したら、その逆に行こうとすること。
そうすることで、センターへ戻ることが可能だとしています。
ポジションを変えると、それに併せて相手もポジションを変えて来るので、周りの様子を見て自分が何処に居るかを常に把握出来ると、かなり生き易くなるかもと思います。


それから、我々が如何に過去の奴隷としてロボットのように生きているか、そして過去が現在を支配しているということも明言されています。
過去に抑圧した感情を認めて癒すことで、前へ進むチャンスが増えるのだとも。
被害者で居る限り、先へ進むことが出来ないとも書いてあります。

「んー、読めば読む程…」
と思いながら読み進めました(笑)。
私が現在やっていることは、既に多くの先達が伝えて下さったことだったり、自分が色々と実体験を積み重ねることで気付いたことだったりしますので、私が特別スゴイとかではありません。
また、自分のオリジナルだと言うつもりもありません。
真実を追い求めるのなら、行き着く所はみんな同じなのでしょうから。




四つのポジションについては、非常にシンプルで面白いです。
これが真実とは言いませんが、明快で分かりやすい表現です。
人間観察や自分観察をする上で、一体何処に居るかを知る為の簡単な手段として、これを用いると面白いんじゃないかと思います。

という訳で、久しぶりに超お勧めの本でした!
特に、ワークショップにご参加下さっている皆様に於かれましては、直ぐにでも手に取って読んで頂くことをお勧めします。
出来れば今度の日曜までに読んで貰えるといいなーとか思いながら、今日の記事を書いております(笑)。





私は昔から、行き詰まったりやるせないことが発生すると、「神様~!」と(口には出さずに)叫んでいました。
大人になってから自分を探求するようになって、ある日気付いたことが…。


「ああもう! 助けて神様ー!! ……ん? 今、"神様"っつった? なんでココで"神様"なんだ? 会ったことないのに


何よ最後のセルフツッコミ。と突っ込んで下さい。



罰が当たるとか、天罰が下るというような表現があります。
「そんなことをしてると、罰が当たるよ!」
みたいに使いますね。
主に、罪悪を教える為に使うと思われます。

何かのトラブルがあった時なんかは、
「ああ、罰が当たったんだ…」
と呟くことも、人生の中にはあるでしょう。
この時、枕詞には「自分が正しく生きて来なかったから」という表現が入るんじゃないでしょうか。


現代日本では、宗教心が無くても信仰心のある方は大勢いらっしゃると思います。
かく言う私も、宗教に関してはあまり拘りはありません。
でも、何故か子供の頃から「神様~」と縋るように言う癖があった訳です。

何故かと言うと、私の母が熱心に神道を信仰していたので、その影響が甚大かと思われます。
亡き母は所謂自立タイプで、人に頼ることが出来ず、分かち合う相手が人生の終末まで現れませんでした。
だから、それまで縋る相手は神様しか居なかったでしょうね。

母と仲が良かったせいで、何の抵抗もなくその辺りまでフルにコピーしているのが私だ。
と気付いて、「うわーマジですか!」と自分にどんびきしたことがあります(笑)。




"神様"とはそんな風に色々な場面で使う言葉ではありますが、実際問題として神様は個人個人に対して、どれだけ細かく監視とジャッジを下しているのか? という所が大きな疑問になります(マジメな話よ)。
果たして、私がチョイチョイ無駄に呼び掛けるのと同じくらい、気軽に人間に対して手出しするもんか? と。


不思議なことにと言うべきでしょうか、色々な方のカウンセリングやセラピーを行う中で、また自分がイメージワークをやる中で、神様っぽい人を終ぞ見た試しがありません(わざわざ自分でイメージを作る場合は別ですが)。
偶に似た感じの存在が出て来たとしても、それは神様ではなく、人生のガイドさんだったりハイヤーセルフ(高次の自我)だったりして、神様じゃない。

近い存在が出て来たとしても、それらは個人に対して懲罰を与えるものではなかったりするのが面白いなあと思います。
全ては自分で引き寄せていて、仮にトラブルという形で現れたとしても、それは何かを学ぶ為であったり、何かを知る為に用意している教材でしかないということです。
外部的な要因があるように見えたところで、決して神様が与えたのではない、と。
慣用句的に「神様」とか「罰」等と使っていますが、潜在的にはそんな風に縋ってないものなんですねー。



日本は八百万の神々がひしめき合う国ですから、神様は恐らく沢山居ます。
畏れ多い神様から、自称神様(笑)まで、それこそ数え切れない程の神様大フィーバーな国です。
当然、その中でランキングもあるでしょうねー。
もしも「我は神であるぞ」と夢とか幻に登場したとしても、それは神様じゃなくて「自称神様」かも知れないです。

何故って、人間と同じだとすれば分かりやすいと思います。
大物ほどドンと構えていて、そうそう滅多なことでは動かない。
気が小さい人ほど、自己アピールが尊大で傲慢でしつこい。
それと同じじゃないのかなーと、私は考えております。



常套的に使う言葉は、観念を端的に表しているということですね。
気付いたのは結構最近で、ここ数年のことです。
案外遅い?
というのも、やはり自分で自分の観念に気付くのは、オートメーション化している思考を観察し続ける必要がある為、やっぱり難しいのです。
気付いただけ偉いよ自分、と思います(笑)。





────




>ワークショップお申し込みのM.O様
メールが届かない場合を考慮し、速達でご案内を出しております。
ご覧頂きましたら、確認の為に必ず記載のアドレスへメールでお返事下さいませ。
何卒宜しくお願い申し上げます。






お客様への連絡事項です。


>8月21日のワークショップへ参加申し込みをされたM.Oさま

昨日からhotmailよりワークショップ概要を送信しておりますが、エラーが出てしまいます。
自宅PCから再度送信致しましたので、メールが着信しているかどうかご確認下さい。
もし届いておりませんようでしたら、こちらの記事の非公開コメントで携帯アドレスを入力された上でお知らせ頂ければと思います。


・入力された携帯メールのアドレス
・携帯メールの受信設定

のどちらかに問題がありますと、そちら様へメール差し上げることが出来ません。
※@hotmail.comやne.jp等を弾く設定等


ご確認宜しくお願い申し上げます♪







例年バテバテなこの時期ですが、栄養をきちんと摂取していたことで、これまでのようなグダグダぶりは発揮せずに済みました!
奇蹟! ビバ栄養!(笑)



…というところで、11月度癒しのワークショップの日程が確定しましたので、お知らせ致します。


11月13日(日曜) 10:00~13:00


です!

諸事情により、いつもより1時間早くのスタートになります。
参加者の皆様はご注意下さいませ~。
時間以外は、場所・参加費等いつもと同じです(笑)。


癒しのワークショップについての詳細は、HP(PC/Mobile)をご覧下さいませ♪



────



さて、次の日曜は8月度のワークショップになります。
いつもより長いスパンで6週間空いた為、若干私の記憶が曖昧というか、怪しい部分があるかも知れないです(笑)。
参加者の枠が残り1名となりましたよ~。
定員になり次第、参加を締め切らせて頂きます。


少々間が空いたこの期間、夏休みやお盆休みを挟んだ方が多いのではないかと思います。
このようなちょっとした非日常の中で、ワークショップに継続参加して下さっている方が、沢山の経験と気づきのご報告を下さったりして、内容を拝見するに「かなり皆さん進んでるんだなー」という印象です。

お知らせ頂くことも有り難ければ、他人様の気づき・体験を擬似的にでも分けて頂けるというのは、本当に素晴らしいことだと思います。
我々はやはり自分一人の人生しか生きられない訳で、どう足掻いても他人様にはなれません。
色々な方に体験の分かち合いをして頂くことで、多角的なものの見方が身に付いたり、新しい発見が圧倒的に増えます。
仮にそれが他人様の体験であっても、真摯に分かち合う姿勢を持って頂けるなら、情報をバックロード出来る。スゴイ!



しかし毎度毎度書いていますが、本当に今年の皆さんは成長が早いですね!
今年は進み方が"一足飛び"という印象が大きいです。
気づきの大きさも、速さも、これまでと段違いです。
…多分、一応主催している私の反映なのだと思いますが(笑)。

これまで継続して参加して下さっている方、復帰された方、また卒業された方、そして新しく参加して下さっている方等々、小さな寄り合いではありますが、色々な顔を持っています。
皆さんの誰一人が欠けても、完全ではないでしょう。
勿論私も例外ではなく、その恩恵に大いに肖っているのでございます。
心より感謝致します。ありがとうございます♪






終戦記念日です。
7月半ばからずっと、過去の英霊を讃えながら、鎮魂を祈る日々でした。
祈るとは言っても、傅いて祈っていた訳ではありません。

日々の生活を送りながら、今自分が在ることを有り難く思っていたということです。
先に天へと旅立った人達が居たからこその今です。
その誰一人として不要だったことは無いのだと思います。
毎年そんな風に思っていましたが、理解が少しずつ深まるにつれ、また新たな気持ちで祈っています。




さて。
今やっている自己ワークに、『影響の強い親を育て直す』というものがあります。
これはラク夢の月美まりえさんから教わったのです(いつもお世話になっております♪)。



自分の観念を書き換える為には、基本的に自分を見つめる訳ですが、親からの甚大な影響を受けているジャンルを発見した場合は、親の育て直しが有効らしいと知りました。

この観念とは、傷という意味ではありませんです。
「○○とはこういうものである」
という観念です。


「人間関係は上手く行かないものである」
「夫婦とは啀み合うものである」
「仕事とは苦痛に耐えるべきものである」
「お金とは自分には縁がないものである」

等々、こういった感じで表せる内容ですね。
自分の中にある特定の観念が、自分の直接的な体験から来ている場合は、インナーチャイルドワークを用います。
が、両親または血族の誰から受け継いでいるか、はっきりした時に関しては『親の育て直し』を使います。



例えばとある観念を母親から受け継いでいるな、と感じた場合。
「母親はどうしてそのような観念を持つに至ったのか?」
ということを追求するよりも、
「仮に、何の心配も問題もなく、母親が幸せ一杯で育ったらどうなっていたか?」
という部分をフォーカスして見ます。

私も現在やっているのですが、いやいやもうねー(笑)。
やっぱり全く違う人生を歩んでいる訳ですよ。
勿論、私のイメージの中での話ですので、あくまで「if」の域を出ない話ではありますが、「こんなに違うんかい!」と苦笑いする程に違っています。
そして、もしかしたら母はまさにこういう人生を歩みたかったのかも知れないなあ…と思いました。
ちょっとだけ、彼女の思考を覗いたような気分になったりもして、面白いワークです。



イメージの書き換えの何が重要かと言うと、受け継いでしまった観念の書き換えに繋がるということです。
もし、イメージの中の親のように、全てに於いて満足して生きた人の元へ生まれたのなら、今の自分はどうなっていたのか?
ということをシミュレートすることが出来ます。
更に、イメージの中の自分と、現在の自分とを統合することで、新しい観念を定着させることも可能になります。

ところで、こうしたイメージワークは、慣れないものほど繰り返すと良いのではないかと思っています。
特に、現状に対してアプローチが難しいと感じる、ハードルの高さを感じるものに関するワークは、身体に落ちるのが時間が掛かったり、一筋縄ではいかないことが多いので、やっぱり繰り返しは重要ですね。



新しい観念は、身体に落とした上で、実行・現実化も出来る…という所まででワンセットです。
いつも書いていますが、身体は重要なんですよ~。
動くのは自分の身体ですからね。





自分の直ぐ目の前でレシート交換が始まったり、

前の人がやたら小銭を出すのが遅かったり、

何らかの会話が始まったり、

係の人が交替したり等々。


このように、やたらに流れが止まったりすることが多くありました。
しかも、毎度毎度ご丁寧に私の直前で止まる(笑)。



「あるある! あるよね! あれって何!?」
と言われたりしますが、私は生活の中でこれらのスムーズ具合に注目しておりまして。
最近、大分滞りが無くなって来たなーと思っています。




一体何が原因なのかと言いますと、
「常に自分よりも他人を優先しなければならない」
という潜在的な観念に依るものです。
あ、"大体は"ですけどね。


仮に前世とか過去世があったとします。
聖職者や宗教関係者などを何度もやっていると、他者への奉仕が染みついていたりして、それが今生でも強く作用することがあったりもします。

私の場合は、母親が信仰心の厚い人でしたので、その影響をモロ被り…というのも大きな要因かと思われます。
いつも自分以外のあらゆる人に気兼ねして、他人に譲ってしまったり、多人数の中では「一番欲しい物に手を出せない」という人は多いと思います。



私の家は大家族でして、兄弟が多かった関係で、「一番」になったことがありません。
しかも、上にも下にも兄弟が居る、影の薄い中間子(笑)。
真ん中の子供は割と放任で育ちますが、そのせいかポジション取りが大切なことを痛感しながら成長することがそこそこあります。
空気を読んだり、空気を読んだり、とりあえず空気を読んだりする!(笑)

長子がしっかり手を掛けられて育ち、末っ子が可愛がられて育つというパターンを持つことが多いことを鑑みると、真ん中は空気を読みながら、大人受けが良いキャラを選択する場合が多いかも知れないなーと思う今日この頃です。
だから何処かドライだったり、子供の頃から妙に大人びていたりするのかも知れないです。



ところで、この『自分は一番になれない』というのは、色々な側面で顔を出します。
仕事とか~、人間関係とか~、収入とか~、あらゆる所に関係して来る訳ですな。
ここ一番という時に何故か他人に後れを取るとか、そういう癖として顔を出しやすい。
子供の頃に『愛情を独占出来たか』『一番になれたか』というのは、やっぱり大きいなと思います。
こういうのを、一般的に"運が良い"とか、"運が悪い"、または"運が無い"とかいう風に表現するんじゃないでしょうか。

冒頭の列に並んでいる自分ですが、最近の様子を観察していると、ちゃんとスイスイ進んだりしていますね。
つまり、自分を見つめる作業が順調なんだなと思います。
他の所で進展が見られないとしても、一応進んでいるというのが分かるので(笑)、そこは安心です。




自分を一番にしたり、愛情を独占させてあげるというのは、本当に大切なんだと現在進行形で思っています。
そういう意味でも、インナーチャイルドのワークは有効なんですよー。
自分を可愛がって、可愛がって、とにかく可愛がってあげる!
というのは、大人になってからも大切なことです。

今からでは遅すぎる、ということはありません。
やればやっただけ、幸せになるものです。
そして、レジの列はスムーズに進むようになるのです(笑)。






飯田橋でお友達とお会いした帰り、思い立って東京大神宮へ参拝しました。




既に閉門しているかな? とも思ったのですが、滑り込みセーフ。
境内は時間も時間なのでガラガラでして、私達の他には一人二人という感じ。
日中の喧噪が嘘のようでした。

下手に日中に参拝すると、主に"結婚したい女性"の大行列を経て参拝しなくてはいけないので、流石にこの暑さではなあ…とか、そもそも行列が苦手なのでちょっとなあ…等と、近所まで来ても参拝しないことが続いていまして。
あと、別に結婚したい訳でもないので、氏神様をちゃんと大事にしておけば、ここに参拝しなくてもいいか。
とか思ったりもしていました(笑)。


そういう訳で、大分お久しぶりの御挨拶をさせて頂きました。
不義理してすみませんです…という気持ちも若干ありつつ。
私は神社仏閣ではお願いをしない人なので、御挨拶だけをば。
「ご無沙汰しております。参拝させて頂いてありがとうございます」
という程度です。



近年は恋愛・結婚成就の神社としてやたら有名になっていますが、元は伊勢神宮から勧請している神社ですので、こちらへの参拝イコールお伊勢参りと大体同じです(笑)。
実際、恋愛とか結婚にご神徳があるのかどうかは分かりません。
でも、お参りさせて頂けるということは、我々にとって大変ありがたいことであります。
五体満足であること、参拝の為の時間が取れること、移動の手段があること等々、多くのラッキーが重なっているからこそお参り出来る訳ですね。ありがたやー。

個人的なイメージですが、結婚したい人はご先祖にお願いした方が良いような気がします。
ご先祖は子孫繁栄を目的としているので、結構本当に聞いてくれるかも知れません。
ということで、神社仏閣だけでなく、ご先祖も大切にね(笑)。




夜に参拝したのは初めてですが、本殿手前に掲げられていた提灯の明かりが綺麗でした。




提灯



雰囲気ある感じ、しません?
とか言ってますが、単に他の場所は暗くて撮れませんでしたということです(笑)。







いつもは大混雑しているので、参拝もゆっくり出来ませんで。
今日のように人気が無いと、気持ち良く参拝出来て嬉しいですね。
飯田橋は毎月のワークショップを開催させて頂いている場所でもあります。
いつもありがとうございます、と御礼を言えて満足でした♪







空気を読み過ぎる人って居るじゃないですか。
大概は、生育環境に多大な問題点があって、空気を読まなければ生き残れなかった人のことなんですけどね。





……私とか(笑)。



ええ、それが悪い訳ではないのです。
悪くはない。
悪くはないけど……改善も視野に入れようかなという対象ではあります。

空気を読むエネルギーを半分くらい削って、自分の幸せに集中して向けたら、もっと速いスピードで良くなるんじゃないかっていう(笑)。



私が「いいな~幸せそうで」と思っている、とある女性のイメージをすると、自分のようにアンテナ張ってないというか…先のことなんかはあんまりシミュレートしてないような印象を受けまして。
あまりの自分との違いっぷりに「エー」と思ったのですが、何故違うのか、違うのに惹かれる理由はと探ってみました。

その結果。
彼女は今やることと、今の状況を満喫しているので、先のことなんか殆ど考えてないのかも…と思いました。
育ちが幸せだと、自分の危機管理には縁遠くなります。
普段から何手も先まで読む為に、何通りもの分割した思考をしなくて良いのです。
そうすると幸せ一杯な自分に集中出来るし、結果として色々良いものを引き寄せる。

いいですなー。エコですなー。
私も頭の回転数を落とそーっと。エコだし……多分(笑)。



日頃から、何手も先を読み続けるということは、自分の為にエネルギーを使わないということでもあります。
だって自分だけだったら、先まで読む必要なんかありませんから。
それだけ、他人にばかりエネルギーの矛先が向いているってことですね。

こりゃちょっと変更の余地があるなー。と思ったのです。
他人様に使う分を少し減らそう。そうしましょうそうしましょう。
他人様に使うとは言っても、別にお力添えを頑張っていた訳ではないので(笑)。




一般に言われるところの"空気が読めない"というのは、読む必要が無かったから、または読みたくなかったから、という場合が多いかと思います。
感じるのが嫌で何処か意識的に愚鈍を演じているのか、若しくは幼少時に可愛がられすぎて「何もしなくてオッケー! 自分サイコー!!」となってしまったか。
また、あまりにもものを知らなさすぎる、知ろうとしないということも一因だったりします。
社会(情報)と隔絶されて育ったりしても、やっぱりそうなる可能性が出て来たりして。

他にも生理機能的な理由なども絡んで来るとは思いますが、上記の3つが割と大きいかなーと私は思っています。
空気を読める・読めない、そのどちらもバランスであると思うのですが、どの人間も偏っててなんぼな感じがしますね(笑)。



そういう訳で、目指せ中庸。薄めて中和!
ニュートラルを視線の先に見つめながら、今日も暑い中を歩いていたのでありました。






「今までどんな風に自分を見つめて来たのですか?」
とご質問頂くことがあります。
別に一人でウンウン唸り続けて来た訳ではなく(笑)、やっぱり沢山の方の手をお借りして歩いて来ましてね。


それで、あれこれ試して来た結果、


・"何を"、"どう変えたいか"、"それは何故か"までを洗い出してから
・外れを引く覚悟で自腹を切る



というのが大変重要ではないかと思うようになりました。
若かりし頃は、やはり「センセーなんだから(その他、年上なんだからとか○○の免状があるんだからとか色々)きっと魔法のように変えてくれるのではなかろうか」と錯覚していたこともあります。
しかし相手も人間ですから、そんなことはまず有り得ません。
おや? みんな一生お勉強って感じなのでは? と気付いたのも、それから程なくしてのことです。



癒しブームと言われるようになってから、結構な時間が経ちました。
様々な道具やテクニックがあり、複合的に修得される方も多いことと思います。
その中で栄枯盛衰があったりして、消えたものもあるでしょう。
また、日々新しいものが生まれて来ています。

それを使うのは人間です。
色々な人にお会いしたり、本を読んだりして行く内に、人を見る目を養うのが大切なんだなと思った次第です。
でもそれを身に着けるには、やっぱり実践あるのみなんだなという風にも思います。
つまり、身銭を切って自分がクライアントになること。



クチコミで「凄く良かったよ」という話を聞くと、じゃあ行ってみようかなと思ったりしますね。
実際に足を運び、お金を払う時に、そのクチコミを基準にして妄想したラインから上だったか、または下だったか。
という所で判断を下すと思いますが、やっぱり相性や好き嫌いのタイプもありますし、やる側の技量の問題等も含めると、過剰な期待をするのもどうかと思います。

求めるタイプの道具や言葉を使う人であったら、「良かった」と思うでしょう。
でも、そうでなかったら「損した」と思うんじゃないでしょうか。


自分を振り返ってみても、色々とお金を使って体験してみて良かったと思います(今でもやってますよ)。
やっぱり人間は肉体がありますから、体験してこそ納得するものだなーということで。
やってみないと分からないことの方が多いですし、イメージというか妄想(笑)だけでは、結局よくわかんないーという所へ落ち着くんじゃないでしょうか。




変化を望む場合、また自分を見つめ癒すことを始めるにあたっては、上記のことの他にも大切なことが幾つかあります。


・続けること
途中で止めないことは非常に大切です。
一つのやり方に関しても、分かるまで続けること。
「分かった」と腹に落ちた段階で、違うものに手を出す。
自己探求に慣れて余裕が出て来たら、同時進行でもOKかと。でも途中で止めないことです。


・自分のペースではやらない
自分のペースでやるということはつまり、これまで通りのパターンに陥る可能性が大です。
インターバルに関しては、セラピストさんの助言を求めた方が良いと思います。
これまで通りのやり方では、変化することはほぼ不可能に近いです。


・記録する
記録しないと、体験したり気付いた側から忘れて行きます(笑)。
「何があって」「何に気付いて」「どう変化したか」の三点を外すことなく、記録しましょう。
記録方式は、手書きがベストです(忘れにくくなるので)。


・シェアする
これは難しい可能性もありますが、大変重要なことなので書いておきます。
ただ人に話すのではなく、気づきや体験を分かち合うことで、消化吸収が速まる可能性が高くなります。
腑に落ちない、まだ未消化な感じがする時だけでなく、定期的に分かち合いの時間を設けることをお勧めします。



しつこいようですが、これまで通りのやり方をしている限り、変化はまず無いです。
経験者は語る(笑)。


意識的にインターバルを設ける時は、必ず期間を決めることですね。
しかもマインドが「2週間」と言ったら、短縮して「10日」とする方が良いと思います。
なんでかって? 2週間経った頃には、何らかの理由を付けて延長する可能性が非常に高いからですよ!

また、期間を設けずに「気が済むまで~」とか言ってると、まんまとエゴの支配に屈したことになります。
「うーん、まだまだ休みたい…」と言い続けるうちに、忘れようとしてしまうということですなー。




毎日暑い日が続き、自分を見つめることさえ億劫になりそうですね。
栄養をしっかりと摂取して、日々を楽しめますように。






お世話になっているセラピストさんとお話ししていた時に、「運が良い」という話題になりました。


「こういう所に関しては、私って運が良いんだと思うんです」


平たく言うと『ある特定のジャンル』のことですね。
その時に、でもそれってどうなのみたいな話になった訳ですよ。


単に『運』とだけ言うのなら、オールジャンルをカバーしていて然るべきであろう所を、何故わざわざ「○○に関して」と限定表現をするのかいな?
例えば、異性に関してとか友人・親・住居・お金・仕事・旅行等々、挙げれば枚挙に暇が無いじゃないかと。
こんな感じで、他にも「運が良い」という言葉の手前に付くものって沢山あるじゃないかと。
全部引っくるめて運が良い、でもいいじゃないかー。っていうことです。



で、「その運って、誰から貰ったと思います?」と訊かれた訳です。
反射的に「おかんですね」と口から出ました。
言ってから気付きましたが、そういえば私のとあるジャンルの運は、無くなった母とほぼ同じパターンを持っているのですよ。

「私はこの部分は恵まれるが、この部分に運は無い」
といった細かいやり方は、元々私の母が持っていたパターンでありました。
そしてそれを丸飲みしていることに気付き、それを運という言葉で表現していたのねん。
更に言ってしまうと、特定のジャンル内のみならず、『運』という言葉に纏わる観念・定義・イメージを、ほぼ丸ごとコピーしていることに思い当たりました。


これには愕然としました…っていうのは言い過ぎですが、「うわー!!」って思いました(笑)。
いかーん!
これではおかんの二の舞は確実!!

いや、既に二の舞というかこれまで同じ轍を踏んでいた訳で、ルート変更をせにゃならんという訳です。
別にしなくても良いのですが、違う可能性を模索して選択したっていいじゃないか。
ということで、現在は自分の中にある『運が良い』を補完する作業に掛かっております。



運という言葉自体に、私はあやふやな印象がありました。
が、"自分にとっての"運が良いとはこういうことである…というのが見えて来ると、実は偶発性のある乱数的なものではなく、何らかの観念を下敷きにして忠実に再現していることが分かりますね。

だからこそ、運は変えられるんだろうなーとも思います。
人生の何処からでも、遅いということは決して無いのだと思いますしね。
どう変わって行くのかが楽しみです♪




以前、旦那さんの問題に悩んでおられる女性がいらっしゃいました。
話を聞く限り、なんでそんなに大変なのに一緒にいるんだろう? という感じ。


「何処が好きなんですか? どうして好きなんですか? そうまでして一緒に居たいと思う理由は?」


とお尋ねしましたところ、


「分からない。理由なんて無い。大体、理由のある"好き"なんて、本物じゃないし」


というお返事を頂戴しまして。
その方も知りたい訳ではないだろうなということで、それ以上は突っ込みませんでした……が。

"好き"なのに、理由が無い筈もなく。
実は明確な理由或いは目的があって、それを選んでいるのですよー。
と腹の中で呟いておりました。



好き・嫌いはマインド(思考)の産物であって、愛とは全く違いますよ。
というのを、ワークショップではよくお話しします。
好きというのは、必ず理由と目的が存在します。
それに対して、愛は無条件で無償です。

でも、無償や無条件を体験したことがないと、自分で探すことになります。
何を基準に探すのかと言うと、これまで教わって来たことが基準になりますね。
つまり、「これはおまえを愛しているからだ」という言葉(や態度)とセットで体験したことが基準です。
出来る限り、それを再現してくれる人、その再現性の高さを基準に人を選定します。
更により再現性を高める為、その状況になりやすい言動を自分でも行います。
……という要素が絡んだ結果、「え? なにこれ」という結果に結びつく訳ですね。





表層意識では「愛って優しくて、甘くて、フワフワしているもの」というイメージを抱いていたとしても、潜在的に「痛い。苦しい。悲しい」という風にインプットしていたら、潜在意識の方が勝ちます。
何故なら、潜在意識は24時間年中無休だからです。
だから、「愛してるのにー!」とか「愛されたい!」という欲求がある程に、思わぬ結果を招くこともある、と。

これと同様に、「夫婦とは」とか「結婚とは」「家庭とは」等々、僅かな言葉の違いに見えることでさえ、別々の定義付けをしている可能性があります。
特に大きな定義付け、動機付けをしているものに沿って生きることが多いのですが、もしも行きたい方角や在りたい状態と大きくかけ離れているのなら、自分の中の言葉に対する定義を洗い直してみることをお勧めします。



やる時は、ノートなんかに書き出す方式がお勧めですよ。
「私にとって、○○とは…         である」
という感じで。
私もこれは日々行っていますが、いやー日頃意識していないだけに、結構ビックリするような定義が出て来ますね。




現状を把握することから、変化への道程が始まります。
自分を発見するのに、有効な手の一つです。是非。




お盆です

  • 2011.08
  • 08

Edit544

毎度毎度書いている気がしますが、お盆でございます。
7月に済まされた方もいらっしゃいますね。



先祖に感謝を捧げ、鎮魂を願うのがお墓参り。
では一体、何に対しての感謝なのか。
と言うと、やはり今この瞬間に生きていられることでしょうか。
現状が大変でそれが難しいという場合は、手を合わせて、一言「ありがとうございます」だけでも良いと思います。

因みに私は仏教徒ではありませんが、神社もお寺も普通にお参りしますし、お墓もお参りします。
そこに居ないとも言われますが、やはり依代(目印的なもの)ではあるので、故人やご先祖一同と繋がりやすいアンテナであると考えられます。



最近では、お墓そのものが『宗教に分類されている』という認識の方が多いのではないかと思います。
が、お墓というものは元々宗教とはイコールではなかったんじゃないかなと、私は思います。
というか、今でもイコールではありませんですね。
大概は、何らかの形で祭祀を執り行って貰うことが殆どでしょうから、やはり宗教関係者の方に祭祀をお願いすることになる=宗教だ! という解釈になってるだけの話です。

しかし、民俗学的にも沢山の解釈があるでしょうし、その発祥を完全に解明することは不可能ではないかと思います。
故人を葬るとか祀るというのは、文明が発現したことで発生したんでしょうしね。
何にせよ、その必要があったからこそ、墓を建て始めたんだろうなーと。
それぞれの文化では必要だったからこそ、世界中にあるんでしょう。



人類が言葉を持った段階で、アミニズム(自然崇拝、精霊崇拝的な原始宗教)が発生しています。
アミニズムでは、自然の様々なものを崇拝対象としています。
とりあえず目に付くもの、生活に関わって来るものは崇拝しとく(笑)。

万物に霊(魂)が宿ると考えるならば、自然以外にもそれらの対象を沢山探したでしょう。
となると、故人の生前の偉業や功績に準じて、ある種宗教的な象徴としてのお墓を作ったのは確かでしょうね。
しかし、今でも墓を持たない文化の土地もありますし、その文明の背景や気候風土によって、一口に墓とは言っても沢山の形があるのは、とても興味深く面白いことだと思います。
日本国内を見ただけでも、色々な祀り方がありますしね。




個人的なスタンスでは、何らかの致し方ない事情(地球の裏にあるとか、病気で動けない等)がある場合を除き、お墓参りはしておいた方が良いという考えを持っています。
自分の原点、少なくとも肉体情報を提供してくれたのは先祖達です。
今生きていることを感謝出来る場所として、お墓参りをすることもありなのではないか? と、私は思っているのです。


更に、足を運ぶことが大切でしょうという風に思います。
以前、スピにどっぷりな方が、「何でも遠隔で大丈夫だよね♪」と仰っていたのですが、
「それはどうでしょーねー。私は無理っすわー。現地に行きますわー」
とお返事したのを覚えています。

私が先祖霊だったら、嬉しくないですね。
喩えお墓に彼らは居ないとしても、あっちは分かると思いますよー。
ただの横着なのか、礼儀を弁えているのか程度のことはね。
どうせなら、真心がある(=行動が伴う)子孫を守ってやりたいと思うんじゃないでしょうか。




てな訳で、明日は墓参りにレッツゴーして来まーす。




本日繰り出しましたのは、渋谷区(最寄りは井の頭線神泉駅)にある、野菜中心のレストラン『VEGE2』
お店でイベントが開かれましたので、参加して来ました。


愛ある女子会


です(笑)。


愛媛県で農業をなさっている男性を中心に結成された、HAPP(Hojo Agriculture Professional Production)という集団があるのですが、その皆さんが直送して下さったお野菜を、レストランで調理⇒ビュッフェ形式で頂く…という内容です。
私は遅刻して伺う予定で、そして予定通り遅れましたので(笑)、今回写真が撮れず…申し訳ないです。


愛媛県と言えば、蜜柑が有名です。
しかし実は、沢山の野菜を生産しているそうな。
ビュッフェには沢山の野菜を使った料理が並んでいまして、そしてとても美味しかった!
HAPPの皆さんがどんな活動をされているか等のスライド上映もあり、野菜ソムリエの方のレクチャーありで、賑やかな一時となりました。




でもって、今回のイベントの主旨はですね、


・独身女性優先


という注意書きが示す通り、農業に従事されている男性方の、お嫁さん探しへの布石と言えましょうか(笑)。
昨今謳われていますが、農家の嫁不足は深刻な模様です。
こういう形でイベントを開催するのは、なかなか珍しいでしょうね。
何せ、農家の方はお忙しいですから、出会いの場さえ…ということが殆どではないかと思います。
9月の頭には、愛媛へ農業体験ツアーが企画されるそうですよー。

今回はHAPPのメンバーから、二人の男性がいらっしゃっていました。
なかなか素敵な方々でしたので、農業体験も楽しいかも知れないですね。



私は昔、愛媛に遊びに行っていたこともありまして、愛媛! 松山! と聞いて、何だか懐かしくなりました。
親戚(のような人)が、まさに松山でご家庭をお持ちでして、夏休みの殆どを松山で過ごしたこともあるのです。
滞在が長すぎて、帰京する頃には愛媛弁とのバイリンガルになって帰って来るという(笑)。







大変にお久しぶりなお友達からお誘い頂いたのですが、イベント後もお喋りが出来て、楽しい一日でした♪
もちろん、お料理の味はとっても良かったのは、言うまでもありません。
世の中、色々な形のイベントがあるものだなーと思いました。


『愛ある女子会』はまた企画されるかも、とのことですので、いずれ続報が来たらまた掲載します!







前回の記事で
「ACな自分に取り組んだら、色々変わったんですよ」
と書いたのですが、具体的に変わった事例をば羅列したいと思いまース。



・色の好み
暗色オンリー⇒彩度、明度の高い色が好きになった


「目立つと碌なことが無い」「早く大人にならねば」
という観念や焦り等が混ざった結果、私の周りは黒、灰、茶、紺色なんかで埋め尽くされていました。


・髪
前髪は長く!⇒デコ出す


額(=顔)を出せませんでしたが、段々と色々アバウトになり「どうでもいいや」が増えた結果、額は出しっぱなしです。
近年は帽子率が高いので、それはそれで額を隠していることになるのか?(笑)
そういえば、帽子も昔は被らなかったですねー。今は帽子大好きなのですが。


・服の好み
殆ど男物か、色気のない雰囲気の服⇒女物や女性っぽいのもOKに


色と関連しますが、自分自身の女性性を完全否定していたので、服もこんな感じです。
但し、服そのものを買うのは好きだったりしたので、ヘンだったかと言うと、そうでもないかなーと。
だけど総合的にジミーだったと思います。
冬はハイネックとかタートルをよく着ていて、柄物は有り得ないっぽかった記憶があります。
今や特に縛りはなくなったのですが、年々「ラクかどうか」「暑くないかどうか」でのみ決めるように(笑)。


・身体面
生理痛が軽くなった、代謝が大幅up


この生理痛は本当に痛かったです。一番酷い時は、脂汗の出る激痛が一週間続き、眠れない・起きられない・動けない…みたいな三重苦でした。
学校や仕事は、プライドに賭けて絶対に休みませんでしたが、シャレにならない位に痛かったですねえ。
上記の如く、親の教育の成果で女性性を完全否定していたせいでしょう。ええ。
今はお陰様でラクなものです。痛いとは言っても、一般レベルじゃないかと。

また、代謝が異常に低く、汗をかかない人でした。
過緊張な日々だったからだと思いますが、便通も悪いし、水分を摂取しづらい自覚がありました。
水分を欲しないからトイレに行く回数も少ない、という悪循環。
今や汗っかき、暑がりです。何がどうなったのか…(笑)。


・扱われ方
いつも距離を置かれていた⇒引け目が消えた


「なんで私なんかと仲良くしてくれんだろうなー」という、卑屈さが大分解消されましたので、ある程度はどなたとも普通に接していられます(当然、その中での好き嫌いはあります)。
そして、『去る者追わず』を心理的にも出来るようになりました。
誰であっても「私がダメだから疎遠になったのだ」的なことを考える癖があったのですが、今や全然。
その後は仲良くして下さる方が増えまして、大事に思って頂いている実感が増えました。


・人間関係
超いじめられっ子⇒いじめられ難くなった


というか、ほぼゼロになりました。
昔はすっごくいじめられっ子でして、何処に行ってもノイローゼ的問題が発生したものです。
で、自分の中を見つめたり取り組んだりして行くと、勝手に減って行きました。
勿論、不当な扱いを受けたとしても、返り討ちにする気合い充分です(笑)。
だからこそ、誰もそういう風にして来ないんだろうなーという自覚はありますけど。
昔は「なんか分からないけど、自分が悪いんだ」と泣き寝入りする人だったんですよ。
……色んな方から信じられない、考えられないと言われます。


・価値観
規律、ルール、モラルに煩い⇒何となく、大体、まあまあ、アバウト最高~


決められたことは絶対に守らなければならない。例外は無い! 約束は守る為にあるのであって、それを蔑ろにするなんて許せん!
っていう人だったんですよ。ええ、信じられませんが(笑)。
ご存知の通り、現在はケースバイケースとか、まあ場合とか人によるよねとか、困ってなきゃいいんじゃないのー? みたいな、大概アバウトな人になりました。
要するに自分が許されなかったから、周囲にも寛容になれなかった訳で。





他にもありますが、もっと長くなっちゃうのでこの辺で。

総じて、ラクに感じる度合いがグッと上がりまして、楽しいとか嬉しいといったことが増えたし、自分で増やそうと思えるようになったというのは、私の人生前半には有り得なかったことですねー。
毎日毎日、暗澹とした気持ちで過ごしていましたので、「今日は一体どんな嫌なことが」位には思ってた気がする(笑)。

取り組んだら取り組んだだけ、色々な面で変化するのだなということが分かりまして。
結果、多くの面に於いてラクになって行くというのが、私にとっては最大のメリットでした。
「でした」っていうか、現在進行形で「です」でございますなー。



自分自身に取り組んでいらっしゃる他の方にも、色々な変化が起きていると思います。
これらはあくまで、私の個人的な一例ということで。

ご参考までに♪




心理学の分野で、『アダルトチルドレン』という言葉を耳にすることがあります。




wikipediaの該当項目によりますと、


アダルトチルドレンとは、人が機能不全家庭で育ったことにより、成人してもなお内心的なトラウマを持つ、という考え方・現象、または人のことを指す。

(略)

一般には、親による虐待や、アルコール依存症の親がいる家庭や機能不全家庭で育ち、その体験が成人になっても心理的外傷として残っている人をいう。
破滅的であったり、完璧主義であったり、対人関係が苦手であるといった、いくつかの特徴がある。
成人後も無意識裏に実生活や人間関係の構築に、深刻な悪影響を及ぼしている。

(略)

近年では「幼少時代から親から正当な愛情を受けられず、身体的・精神・心理的虐待または過保護、過干渉を受け続けて成人し、社会生活に対する違和感があったり子供時代の心的ダメージに悩み、苦しみをもつ人々」を総称して、メンタルケア(心理療法)が必要な人をアダルトチルドレンと呼ぶこともある。



ということです。



該当項目が多い人は、「これは私のことだ!」と思い、更に「少数派なんじゃないか」「自分はおかしいのではないか」と悩み苦しんだりすることになる場合も。

でもね、心の傷が無い人って居ないと思います。
トラウマと言うから大仰に聞こえるのでありまして。
人生を生きる観念を形成する上での体験は、ある種大切なことだったりもします。
要はバランスの問題かと。



上記のwiki内の項目に、



条件付きの愛情
本来、親は子どもに無条件で愛情を注ぐものだが、親の愛情が無条件の愛ではなく、何らかの付帯義務を負わせる「条件付きの愛」であることが問題となる。
これが継続的に行使される家庭では、子どもは親の愛を受けるために、常に親の意向に従わなければならず、親との関係維持のために生きるようになり、この時点で親子関係は不健全であるといえる。
主に幼少期からこうした手段が用いられ始め、子どもの精神を支配する手段として愛情を制限する。
また、親による子どもへの単純命令を回避する手段としても用いられる。

この手段は子どもが成人する段階になっても継続され、引き続き成人した子ども(Adult Children)の精神を支配する。
実はこの状況は非常に多くの家庭に存在しており、子ども(年齢に関わらず)は常に不健全な状況にさらされている。
しかし、第三者からは一見してこのような家庭は、何ら問題のない普通の家庭として認識される場合が非常に多く「条件付きの愛」はしつけや教育と称される家庭の病理性の深さを象徴する現象であり、最も基本的な精神的虐待である。
しかし現実に、無条件の愛を常に実行できるかというと、これは極めて難しく、健全な家庭を目指すには「条件付きの愛」を減らし、可能な限り無条件の愛を与える方法、あるいは命令と愛情をできるだけ区別する方法を、養育者自身が訓練・勉強する必要があるだろう。




とありますように、普通の家庭でもごく当たり前に行われている躾やマナーの問題から発生している場合も多くあり、恐らく殆どの人が
「まさか! こんなことでアダルトチルドレンなんかになりようがないでしょ?」
という認識をお持ちなのだと思われます。
でも、この定義が適用されるのだとしたら、アダルトチルドレンの潜在的な人口は非常に多いんじゃないでしょうか。
何なら、総員アダルトチルドレン。

ただ、これが原因になって、病理的な行動障害が発生したり、社会適応が難しいという場合。
当然のことながら、適切な手段(メンタルケアを中心としたアプローチ)が推奨されるのでしょうが、基本的に普通に生きられるならば、特に問題は無いと思われます。
上記のページには、興味深い記述が沢山ありますので、もしご興味のある方がいらっしゃいましたら、ご一読をお勧め致します(勿論、この理論や考え方が全てではありません)。



私もアダルトチルドレンの自覚が、大きくあります。いやー、重症でした。
自分に取り組み続けることで大分変化しましたが、やっぱり根深い部分はあるなーと思うことも度々あります。
心の中にある大きな傷は、"観念"または"ブロック"と呼んだりもしますが、これらを長い間を掛けて、よいしょよいしょと解消し続けて来ました。
何なら人生の半分以上はこれの為だったと言っても、過言ではないと思います!
もう胸を張っちゃう!(笑)

お陰で、日々ラクさ度合いが上昇しているのが、自分でもよく分かります。
生きている間に傷の全てが消えることはありませんが、それが悪い訳でもなく、問題視されないのであれば、「ただ傷がある」だけ、ということになるのだ。という理解をしています。




オマケとして、『アダルトチルドレンな自分』に取り組んで来た結果、私の中で何が変化したかを書いておきまーす。

・服の好み、色の好み
・付き合う人の種類
・集団内でのポジション、他人様からの扱われ方
・入って来る仕事の内容
・身体の強さ
・運


…と、大体こんな感じでしょうか。

この中で変化が一番早いのが、身体の変化です。
だから栄養とタンパク質が超大事なんですよ! と言い続けている訳です。
というか、身体を先に作っておく方が、心に取り組むにあたっても非常にラクだと気付いて、長年軽視して来たことを後悔しました(笑)。



丁度、最近書いている「条件付きの愛」が、アダルトチルドレンに関連ある単語として出て来たので、その繋がりで書いてみた次第であります。






色々な方の親子関係を見たりお話を聞いたりしていると、世の中には色々な形があるなあと思います。


・欲しい人から
・欲しい時に
・欲しい形で



満足する程の愛情を貰っている人は、割合としてやや少ないんじゃないか?
と思っているのですが、どうなんでしょうね。




さて、今回は母親と娘の関係について少し。
同性であるということ、また成長と共に「女性」になって行く姿を見て、素直に喜べない母親というのは少なからず居るのだと思います。

『娘の幸せが許せない』という思考を潜在的に抱えているおかーさんは、割といらっしゃいますね。
当然、自分が幸せじゃない訳です。周りからどう見えようが、全然満たされていない。
だから、娘がオシャレする程に憎たらしく、行きたい学校や仕事が選べるなら有り得ないと憤り、イケメンを捕まえれば更に許せず…みたいな感じでしょうか。


口先ではごもっともなことを言うんですよー。
「あなたには似合わないと思う」
「違う方がいいよ」
「こっちは危ないからこれにしなさい」
とかね。

酷いバージョンでは
「ブスねー」
「可愛くない」
「そんなことやってどうするの?」
「無駄に決まってる」
等々。
このように、"とりあえず否定から入る"というのも、黄金パターンと言えましょう。



そして、結婚して不幸になった(と思っている)人ほど「結婚しなさい!」と言うことが多い。
と、以前から思っていたのですが、恐らく自分が不幸だからみんな不幸になれ! 特に娘は私の所有物だから不幸にする権利がある! ということかいな? 等と思っています。

自らの不幸を自覚している人は、逆のことを言いますね。
結婚してもいいことないわよーとか、仕事やってた方がいいわーとか。
だからって、それもどうなんだ。って気がしますけど。



容姿に関して娘を傷つける言葉を投げる人に関しては、複数人を直接知ってます。
そのうちの一人に、
「どうして自分の娘にそういうこと言えるの?」
と訊くと、
「だってブスなんだもん」
等と口を尖らせた返事が返って来て、他人ながら私はドン引きしたことが…いやいやビックリしましたよ。

こういう、親が子供を詰る・罵るというのは、無限にバリエーションがあるなあと思います。
セラピーやワークショップをしていても、出て来る出て来る。
とっても大変な思いをされている方の、何と多いことか。



で、ここで書いておきますが。
それらの言葉のどれ一つ取っても、真実ではないかも知れないよ。
ということです。

その人はその時、個人的に何らかの意図があって、そのような言葉を吐いたのです。
全世界的に正しいことではないと思われます。
気分です。自分の思い通りに行かないことが多すぎて、処理し切れない為に、そういう言葉を投げ付けて来ただけです。
或いは、自分もまたそのように言葉で傷つけられて来たせいかも知れない。


何故なら、甘えているから。
「この位は許されるだろう。こいつなら大丈夫だろう。だって私は苦しいし、不幸なんだから、少しくらいはいいじゃないか!」
というエゴに従ったまでのことです。
本当のことを、淡々と告げた訳ではないのです。
あくまでも、その人の主観…ですらなく、エゴに支配された結果な訳です。

愛ではなかった。
あなたの為を思って言ってるんだ、愛しているからだ、と建前を作ったかも知れませんが、そのように自分をも騙し切っている可能性が高いですね。
「だから言っても良いのだ」と。





これらの被害にお心当たりのある方は、先ず足のお手入れに力を入れてみましょー。
足のお手入れをするのが良いというのは、以前も書きました。
愛情不足の方は、足を大事にすると良いのだそうですよ。
だから、顔に使うような化粧水やクリームを毎日足にも使って、マッサージをして、と手(=愛情)を掛け続けてあげると良いのではないかと。
そして、昨日の記事に書いたように、何でもない自分にご褒美をあげ続けるのもいいです。

とにかく大事なのは、続けることです。
これまでの何十年間かは、枯渇した状態で生きて来た訳ですから、毎日マメに手を掛けてあげることが大切だと思います。



嘗ての親が嫌ったファッションや趣味や遊びを、今からでも沢山やるのが良いと思います。
親に対する嫌がらせみたいだって?
いいじゃないですか! イヤガラセ上等! 親の屍を越えて行け!

嫌がる親の反応を視界に入れつつ、それでもやる。続ける。
自分が「あ、分かった!」と思うまで。
きっとすごく楽しいと思いますよ。
色んな意味で(笑)。





女性誌の特集なんかで、「自分にご褒美」という言葉を見かけることがよくあります。



このご褒美というのは、何かを達成したとか、普段努力してるとか頑張ってるとか、何かしらの条件が先に立ってのことになります。
こういう形で『自分にご褒美』をあげている、という方は結構いらっしゃると思いますし、私もやっていました。



このやり方を分解すると、
『何かが出来た時』
『頑張ったり、努力していると自分が認めた時』
に限って、ということになりますね。

子供に
『良い子にしてたらおもちゃを買ってあげる』
『100点取ったら自転車を買ってあげる』
という、取り引きに酷似したやり方だと思います。




『○○出来たら』
というやり方を用いると、

「素の自分ではいけない」
「何かにならなくては」
「自分自身には価値がない」


というような観念が裏にある可能性が高く、これを続けることで更に強化される可能性が大なんじゃないか。
ということに、気付いたことがありました。




好みの問題ではありますが、私は頑張るのが大っっっっっっ嫌い! でして。
「努力」という単語は、私の脳内辞書にはありません(落丁で)。

なんで努力しなきゃいかんのよ。
頑張れないっつーの。
こっちは生きてるだけでヒイヒイだって!

という状況が長く続いたので、こんなんだといつまで経ってもご褒美にはありつけないなあと考えていました。
但し、頑張ってる方が、また努力している方が、"やってる感"はあるので、それは好きずきだと思いますね。
お好きな方はどんどんやったら良いと思います。




ルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』には、ティーパーティーを開催している不思議なメンバーに遭遇するシーンがあり、彼らは「何でもない日おめでとう!」と喜び勇んで祝っています。

これだ。
イイじゃないですか、何でもない日を祝うのって。
意味なくお祝いとかステキ。
ちょっと捻って、「特に何もしていない自分にご褒美」「何なら毎日ご褒美」辺りを、キャンペーン化しても楽しいんじゃ?
と思い立ってから今に至るまで、毎日ご褒美キャンペーンです(笑)。



でも長年の癖で、「何かを努力したり、必死になったり、頑張ったり達成しない限り、お前には何ら価値が無いのだ」と囁くエゴも抜けきりません。
んー、だからどうしたって感じですが。「また言うとるわ」程度なもんです。
ええ。気にしませんよ。それでもやる。続ける。

そうすることで何が変わるのかと言うと、自分に対して与える癖がつきます。
与える癖がつくと、周囲からの扱いが格段に変化します。
自分にしているように、周りからもされるようになる。ということです。



これをひっくり返すとですね、自分に「何かを達成したことでしかご褒美あげない」方針を貫いている方は、他人からもそういう扱いを受け続けますね。
何かをしないとダメ。何かにならないとダメ。
これは勿論、自分以外の人にも適用されます。
だから、何もしていないのに周りから優しくされたり、甘やかされている人を見ると、無性に腹が立ったり、許せないと思うのですよ。
人からそうして貰いたいなら、まず自分で自分に与えるという練習をしましょー。


あなたも今日から「ダラダラする自分」「何もしない自分」「寝て起きて食事するだけな自分」に、毎日のご褒美を(笑)。






プロフィール

Sachi

blog owner:Sachi
潜在意識を活用した、ちょびっとスピリチュアルな総合セラピー、癒しのワークショップ・タロットカードセッションをしているSachiです。
穏やかに楽しく成長出来るよう、入手した情報や、日々の気づき&
発見などをシェアして気ままに更新。
イベント情報も随時掲載中です♪

旧blogタイトルは『気づきのステップ』。

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