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Date : 2011年07月

◆ Infomation

【works】
★ヒーリングセラピー個人セッション
 都内で対面式の個人セッションを行っています。
 幸せと癒し、学びと気付きを得たい方へ、様々に対応させて頂きます。
 潜在意識を日常へと活用することで、より良い人生へ変えることが可能です。
 随時お受けしておりますので、サイトをご覧下さいませ。

★癒しのワークショップ
 毎月一度、都内で女性向けの体験型ワークショップを開催中です。
 沢山の変化・癒し・浄化・成長・気づきを促すテクニックが山盛りです。
 2017年8月13日・9月3日・10月8日(全て日曜)
 の開催が現在確定しております。全て11時~15時です。
 ※以降の開催は決定次第upして参ります。
 ※それぞれ内容の詳細はサイトをご参照下さい。

最近、友人知人・個人セッションやワークショップにお越し下さっている方々に訊いていることがあります。



「どんな映画・小説・絵本・漫画・ゲームが好き? または印象に残ってる?」
「それは大体一言で纏めると、どういう話?」
「なんで好きなの? どういう所が好き? 若しくは、何処が印象に残ってる?」




ということです。


これすごく面白いですよ。
色々と浮き彫りになりますからね(笑)。







種を明かしてしまうと、『自分の人生のトレース』だったりする。ってか。



勘違いしてはいけない部分を、一つ。
「その話が好きだから、トレースして自分の人生に採り入れている」
のではありませんヨー。
「そういう生き方をしているから、そのような話に惹かれてしまう」
のです。
だからやけに気になって、入れ込んで、同化しちゃうっていうことです。



じゃあ、何処にその元型があるんよ。
って話ですね。
ざっくり分けますと、大概


1.両親、家族の人生(観念)の丸飲み、または真逆
2.自分のインナーチャイルド、バーストラウマ辺り
3.過去世、前世と呼ばれるもの



のどれかです。
1と2は微妙に夢がありませんが、3は何だかファンタジーな雰囲気があるじゃないですか。
カッチョエー! って、思っちゃいそうですわな(笑)。

うちのばーさまがよく言っていたのですが、「自分は止ん事無き身分の高貴なお姫様だったと思う」そうです。
被せ気味に「違うと思う。妄想にも程があるよ」と言っておく所まででワンセットでしたが、あれ本気なんだろうか…(笑)。
現状に不満がある人ほど、こういうぶっ飛んだ妄想を抱きやすいので、心当たりのある方は現実の把握からお勧め致します。





あくまで私の経験上だったり、色々な方をカウンセリングさせて頂いた結果ですが。
色々掘り下げて行くと、3が直接深ーく関わっていて、今の人生に影を落としているっていうのは、事例として見ても案外少ないと思いました。
だけど前世とか過去世って、響きからしてとってもエンタメちっくでファンタジーだし、自分を探る上でそこから入る分には(プライド=エゴの)傷が少ないっぽいし、沢山期待出来るじゃないですか。
だから、自己探求に入りやすいっちゃー入りやすい入り口なのです。
とは言え前世・過去世から入ったとしても、自分を観察・掘り下げ続けるのであれば、ぐるっと一周して今生に戻って来るというオチが待っている(笑)。

一番大切なのは、この肉体を伴って生きている今の人生なのだと思います。
まあ、たった今生きてるのは前世とかじゃないしね。
存在するのは、今・この瞬間だけなので。



話が逸れました。
前世等を知らなくても、実は冒頭に挙げた質問で自分の人生の元型が見えて来たりします。
何故、前世や過去世へ退行することがあるのかと言うと、自分の人生のパターンをイメージで浮かび上がらせる時に、そういう形を取ることがあるからです。
"そういう形"とはつまり、「今でない場所・自分でない誰か」のイメージです。要は元型というやつですね。

だけど、イメージはあくまでイメージだし、裏を取ることが不可能なことも多いし、裏が取れようが取れまいがそんなことは良いと。
そういうパターンのイメージが、自分の潜在意識にある…というのを知ることだけが大事だからです。
それに、前世なんぞ知らなくても、一部の型は分かったりするのよ。自分の趣味嗜好からね。
ということを言いたかったんですねー(笑)。



そうそう。
今の時点までの人生をダイジェストで纏めるのも手ですよ。
100文字以内、または50文字以内で纏めると、どんな文章になるでしょうか。
纏めたくないわー…と思うのなら、それこそ纏めて頂きたい! きっと色々な何かが凝縮して浮かんで来ると思います。



もしも変わりたいのであれば、自分のリアルな姿を求める所から、ですね。





成長したい、問題を解消して前進したい、もっと幸せになりたい────
と思うことは、大概の人なら共通の願いではないかと思います。




しかーし。




その道を歩き出すと、思わぬ所で止まってしまったり(笑)。
人呼んで、それを『抵抗』と言う。






恐らく全人類が持っていると思われます。
本当ですよー。
みんなあるんですよー。

そこそこ調子良く進んで行く内に、
「根本解決はしてないけど、今は結構幸せだし、これ以上はまあいいか…」
と、マインドがささやきます。

ここに気付いてしまうタイプの人だと、
「チッ! 引っ掛からねーでやんの!」
と舌打ちしたエゴが、次のステップへ進まずに済む外因を発生させます。
以下、知っている範囲で羅列しますと。




・関連ある事柄を忘れやすくなる
・電車等の交通機関を止める
・超悪天候を呼ぶ
・ダブルブッキングをする
・家族が病気になる
・自分が病気になる
・諸々トラブルが発生する
・物が壊れる
・割と碌でもない異性に自ら引っ掛かる





等々、様々なものがありますが、羅列した内容は全部実話です(笑)。
ギャグみたいですけどホントですよ。



言い換えるならば、これらは"言い訳"とも言えます。
「だから、出来ない」
「今は、出来ない」
という風に、楯に出来ちゃうのです。


「しょうがないよねー」
とエゴが囁く訳ですよ。

「そのうちチャンスは来るよ」
「このやり方じゃないんじゃない?」
「暫くお休みしてみたら?」
「きっと自分で何とか出来るよ」
「辛いってことは、違うってことだよ」
「悪いのは自分じゃなくて周りだよ」
「結果が変わらなくても充分頑張ってるよ」

等と。


当然ですが、私のエゴもこういうことをよく言います。
今となっては「ああ、またかよ…」と呆れ気味ですが、いちいちエゴを相手にしない技術を訓練の末にそこそこ身に着けられたので、殆ど捕まらないようになれました。
偶にドツボに填ると「やべっ!」と慌てますが(笑)。




填った時の選択肢は四つ。

1.そのままグルグルドロドロオロオロし続ける
2.しょうがないと諦める
3.何とかしようと躍起になる
4.センターに戻る


1~3は考えなくても出来そうですな。
というか、いつもやってる?(笑)

4については、以前の記事にも書きました。
妄想を止めて自分に帰って来ること。たった今の現実に気付くことです。
まあ、難しいよね。うん、難しいよ。
どうやってやるのかと言えば、前も書いたような気がしますが、「呼吸に意識を集中すること」です。




息を吐いて吐いて吐いて吐いて~~~~~~~~~~~~~…………それからゆっくり自然に吸い込む。
これを繰り返すだけでも、相当変わります。
生理的に見ても、慌てている時は呼吸が浅くなって、酸欠状態に陥っていることが殆どです。
だから、ちゃんと呼吸をしてあげることで、正常な思考が戻って来るという訳ですねー。

結果、その瞬間に出来ることと、それらの優先順位が付きやすくなります。
「そうか。やることやるしかないのか」
と、現実に気づける訳です。
とっても簡単なようで、実は難しいことではないかと思います。




その為にも訓練訓練。
呼吸をするという、一見当たり前のように見えて、とても難しい(?)訓練を続けることをお勧めします。







あっという間に7月が終わりそうです。
早いですねえ。



で、7月は2回の新月があります。
2回目はこちら。




7月31日 03:40~新月スタートです!




紙とペンを用意しておくと宜しいかと。
この日は夜中に新月が始まるのですが、あまり焦らずに起きてからゆっくり書けばいいのではないかと思います。
最長で48時間以内を推奨しているようですので、適当に頃合いを見てどうぞー。



願いを書き出したりする行為は、自分と向き合う為の大切な時間です。
なかなか書き出した内容が進行しないのは、

1.達成されると思っていない(全てを信頼出来ない)
2.その何段階か前の状態である為、文言が違う
3.そもそもそれを願っていない(勘違い)


のどれかです。
だから何度か書いてみて、しっくり来るまで書き直すのがお勧めですよー。


まず、願いが叶うと思えないタイプの人は「願いが叶うと信頼出来る私になる」みたいな文章を入れた方が良いのではないかと思います。
段階がかなり浅い部分に居る方は、「○○達成に向けてのステップが明確に分かり、進める私になる」とかね。
願いが沢山出て来ないという人は、恐らく日頃そういったことを意識することが少ないのでしょう。
だから、「自分が何を望んでいるか分かるようになる」とかで如何でしょうか。




「○○な私になる」
「私は~」

といった、一人称視点の単語を入れることと、

「スムーズ」
「簡単に」
「ラクに」

という言葉を入れておくと、その通りに進みやすくなります。
願いが達成される時、結構な痛みを伴う可能性もあるので、それってヤじゃないですか(笑)。
いや、痛いのが好きな人も沢山いますけどー。




そういう訳で、楽しい新月をお迎え下さいませ♪
パートナーやお子様がいらっしゃる方は、一緒に書いても楽しいかと思いますよー。





精神的な成長などに邁進するのは、大変結構なことだと思います。
その過程で、スピ系などの知識が増えることもまた、アリなんじゃないかと思います。



その勉強をしている内に、
「娑婆よりこっちの方が面白い」
と思った結果、現実生活よりもスピな話や、魂がうんたら的なことに比重が移動する場合があったりする訳です。

でも、地に足が着かない状態で居るのは、すごーく不自然です。
普通の方とマトモに会話出来なくなってしまうこともままあり、そういう人を沢山見て来ました。
別にいいんですけど。でも、めんどくさそーだなあと思います。私はね。




では、何が大切なのか?
地に足を着けて生きるには、何をしたらええんかいな?
ということですよね。


私なりの見解ではありますが、その為には







何の役にも立たない上に、自分だけが楽しいこと







を中心にやってったらいいんじゃないかと。
本当ですよ(笑)。


なんかねー。
ちょっと息抜き~とお出かけをしたとしても、変な欲を掻いて「折角だから~」と言っては、面倒な結果を引き起こすことって多いと思うのですよね。
例えば、自分の為に出かけたのに、家族の為に買い物しちゃうとか。
「~しなきゃ!」と言い出して、路線変更したりとかね。




主に自分だけ楽しい。面白い。
っていう色々な行動は、なかなか大人になると実行が難しいことなのでは? と、私は考えています。

なんで『自分だけ』が重要なのかと言うと、そこに他人が混ざっている場合は何処かで「犠牲になっている」とか「義務を果たしている」という思考が挟まりやすいからです。
若しくは取り引きね。「~してやってるんだから~してよ」的な思考です。
そういう部分をオールカットする為に、自分だけ! 自分! 自分ジブンじぶん~~~!
ってな所に専心すると。案外高度な行動だと私は思っています。






お友達と馬鹿話するのも非常に大切です!
これは声を大にして言いたい!
今日もそういう時間があったのですが、店内で絶えず大爆笑。
ヒーヒー笑いながらお喋りしておりました。

特に大笑いをすることで、シリアスに問題だと思い込んでいた何かが「ああ、どうでもいいや」と手放せる状態になったり、思考で頭がいっぱいになっていたのがクールダウン出来たり。
そんな効能もあるよなーと思いながら、帰途に就きました。
でも、それらはあくまで副次的な産物でしかなくて、自分楽しい! っていうのが一番大事だなとも。




「いや~、無為に過ごしてしまった~」

っていうことこそ、推奨したいです(笑)。
ただゴロゴロ寝るのも大いにやって頂きたいです。
ただボーっとテレビを見るともなしに見ている…ってのもアリ。
フラフラと目的なく街に出るのも、何もしないで家に居るのも、素晴らしいじゃないですか。

そういうのが「悪いこと」って思うのなら、それは何故なんでしょうね。
いーじゃん。やろうぜダラダラ。






……などと、自分しか喜ばないことを積極的に導入することに依って、結果として自分の肉体感覚が呼び起こされたりもするでしょう。
「あー、ここに居るわー」って思ったりもする…場合がある、と。
当然ですが、肉体的に栄養が取れている状態の話ですよ。



私は個人的に
「後々、何の役にも立たないこと」
「自分以外の誰も喜ばないこと」
「一切高級でも高尚でもなく、多くの大人からは低く見られていること」

が趣味嗜好の問題で大好きなので、ゲーム大好きだし漫画大好きでございます。

そのせいか、「見た目、非常に普通だよね」ということを色々な方に言われます。
大事ですよ、普通って。バランス取れて見えるってことですものー。



という訳で、自分だけが喜ぶことをやってみたらいいと思います。
あ、だからと言って「そのせいで周りの人に迷惑が掛かる」場合は、ちゃんと天秤に掛けましょうね。
それでもやりたい場合は、結果をキッチリ引き受ける覚悟をしてからドウゾ。




別の何かになる必要も無いし、下手にキャラ付けする必要なんて、全く無いんです。
普通に過ごす中で、地に足を着けることが出来たら、本当にラクちんだと思いますよー。




世間は夏休み。
旅行のシーズン到来ですねー。




旅先での安全を(一部)確保する(かも知れない)グッズをご紹介です。
安全というのは、心の安全かなと(笑)。






・数珠
最初からそれもどうなのっていう感じですか(笑)。
えー、略式の数珠等をお持ちの方は、手荷物に入れておくのもアリかと思いますよ。
数珠でさえあればお守りかと言うと、そうでもありませんが。
念のため、線香の煙とかで燻すとか、日の出の朝日に照らしてから荷物に入れるのがお勧めです。



・お守り
神社仏閣で授与されるお守りのことです。
期限切れでなければ、我々に分からない形でサポートして下さいます。
何処のが良いか分からないという場合は、地元の産土様のお守りがお勧めですよ。
「いつもお世話になっております。住まわせて頂いてありがとうございます」
と、ちゃんとお参りしてから頂きましょう。



・先祖参り
お墓参りや、お仏壇に向かって手を合わせるといった行為もまた、守って頂くには有効です。
いや、旅行がてらお墓参りするんだけど…という場合、またおうちに仏壇が無い場合は、西に向かって手を合わせ、ご先祖様に感謝とお守りをお願いしましょう。



・塩
ここで言う塩とは、粗塩のことです。
食卓塩(塩化ナトリウム)じゃないですよ。ましてや味塩じゃありません。

もし可能であれば、以下の加工がお勧めです。
家の東側にあたる窓際に、紙かお皿を敷いて、塩を盛ります。
窓際の置く場所を調整し、日の出の朝日が当たるように置きましょう。

こんな風に日の出の朝日を当てた粗塩も、お清め効果がありますよー。

塩は、縦10センチ×横5センチ位のチャック付きビニールに、そこそこギュウギュウに詰め込みます。
口が閉まる程度に入れ、量はケチったらダメです。
約1週間~10日程度保つかと思いますが、状況によりけりですので、あまり長く持ちすぎませんよう。
行く場所などに依っては、一発アウトの場合も有り得ます。
使い終わったら、袋ごと燃えるゴミへどうぞ。



・真珠、珊瑚などのアクセサリー
本真珠、あこや真珠などと呼ばれる海で採れた真珠や、珊瑚などは、魔除けのパワーがあるとされておりまして。
女性ならば一つはお持ちかも知れませんし、見た目が物々しくないという理由で、わりとお勧めです。






こんな感じでしょうか。
旅先の宿で寝る時は、ポケットのある服ならポケットへ、そうでなければ枕の下などへ入れてお休み下さい。
移動中などは、カバンに入れておいてもOKかと思いますが、寝る時は気を付けましょー。
勿論のことですが、あくまでも縋るのではなく、気休め程度に思っておきましょうね。



旅行は、縄張りではない土地にお邪魔させて頂くことでもあります。
あまりビクビクする必要はありませんが、「失礼致します」という気持ちを持つと、土地も歓迎してくれるのではないでしょうか。
搾取する気満々だったり、下手にパワースポットと呼ばれる場所を荒らすような気持ちを持つのは、やっぱりNGだと思います。
私が土地だったら嫌だ(笑)。



それと、夏場に持て囃される心霊スポットなどには興味本位で近づかないよう、呉々もお気を付け下さい。
面倒なことになりやすいので、お子さんがいらっしゃる方は、そういう場所に近づかないよう注意だけでもしてあげておいて下さいね。






楽しい旅になりますように♪





1day cafeの面子で、ロケハンをして参りました♪
次回1day cafeについてはまだ未定ですので、決まり次第お知らせいたしますね。


でね。
ロケハンていうか、メインは最近の自己研鑽の進捗状況? でした(笑)。
シェアとも言いますねー。



でもって、



「やっぱ肉喰おうぜ! 肉肉肉ー!!」



という話になり、焼き肉屋さんを探す一行(笑)。
…探したんですが、生憎にも夜しか営業していないのでガッカリ。

と思ったところ、なんとその隣にステーキ専門店を発見!
ああっ! 見付けてしまいましたー!
とばかりに飛び込む3人でした。




ステーキ!




美味しくて大・満・足!


「ウマイ安いウマイ安い」と念仏のように繰り返し言いながら、ひたすら食べていました。
今日は何しに行ったって、ロケハンというより肉食べに行った感じですよ(笑)。
ありがとうタンパク質。超元気になりました。







先日の記事にも書きましたが、癒しや解放、自己成長の道を選択すると、アップダウンや振り幅が一時的に大きく生じることがあります。
ラクになった翌日、どーんと落ちたりする。

そこに色々な原因はありますが、そのひとつには、最近繰り返しているように
『栄養状態が良くない』
という可能性が大きい訳です。


まずベースになる土台作りとして、身体をちゃんと作り、キープする。
その為には、毎日継続して栄養をプールする必要があります。
「した方がいい」のではなく、「必要がある」んですよ!

癒しや解放をして、良い現実が一時的にやって来たとしても。
変化やこれまでにない何かに耐え得る身体でない限り、揺り戻しが酷く発生しちまうんだぜ! と言ってるんです。
栄養が慢性的に不足していると、まずマインドがラクとか平和な状況で維持出来なくなります。
「健全な精神は健全な肉体に宿る」というのは、真理だと思います。



身体が満足な状態でないと、喜びや穏やかさを感じることが出来ない。
私が想うに、まず何かを"感じる"のは身体なんです。心じゃないです。
我々は身体で体験していることを、何故か心というものに分類していますが、色々観察して来た限りでは、身体だなと思っています。

少なくとも脳で情報を分類・処理するのですから、脳に栄養が行き渡っている必要性があるという解釈も出来ます。
なので、脳=肉体レベルで満遍なく栄養を行き渡らせたらいいんじゃないの?
いいんじゃないの? っていうか、それしかないんじゃ…みたいな感じです。



育った環境が私のように
『ガッカリ祭り会場はこちらです(ほぼ年中無休)』
だったりすると、慢性的な栄養不足に陥ったまま、歪な成長をします。

環境が宜しくなかったから、ひねくれたのだ…というより、環境が劣悪なことによって、栄養を尋常でないスピードで消耗していたから、歪な身体=心になっちゃたんじゃないのー。
っていうことですね。



ところで栄養補助食品のサプリなんかは、薬じゃないので一時的に摂っても意味無いのですよ。
毎日摂らないとダメよ。
あと疲れてる時や、ショックなことがあった時、そして良い現実にシフトして行きたい時は、普段の倍~3倍程度を集中して摂り続けないといけないらしいです(消費に摂取が追い付かないから)。



と、今更ですが今日も今日とてしつこく書く!
あと、お肉超ありがとう!! ウマかったでーす!!





もうすぐ8月でございますなあ……(めっちゃ遠くを眺める目)。
今年も、時の経つ速さを実感しております。




さて、7月中旬から8月15日辺りまでは、全国的にお盆~戦争~お盆というコンボが続きます。
そういった影響で、精神的に落ち着かない方も、割と多くいらっしゃるかも知れません。
特に、お盆なんか7月・8月と連続なので、山ほど帰って来られるご先祖様方の影響を、全国的且つダイレクトに受ける時期と言える…かも知れない。と。


具体的にはどういった影響で出るのかっつーと、


・精神的にざわつく
・怪我やケアレスミスが増える
・疲れを感じる



といった形で出る場合がチョイチョイあるかも知れません。

影響は無ければ無いで、何ら問題ありません。
なきゃおかしい、とかではないので、悪しからず。
影響あったからって特別とかでもないですよ。そこんとこ勘違いしないよう、呉々もお気を付けあそばせ。


そんな時は、いつも以上にしっかりと睡眠・食事を取り、更にサプリで補給! なんかが、お勧めです。
普通に夏バテなどで疲れている可能性もありますので、そこはそれ、同じく健康管理をキッチリと~。
というかですね、栄養学的にキッチリ問題ない栄養が取れていれば、あんまりそういう影響も受けなくなるもののようです。
鬱等の症状も、栄養を補って沈静化することが多いという話もあります(一応、お医者さんのお話をちゃんと聞いてね)。



とにかく先ずは、身体から。
栄養をしっかり摂り、身体をマメに休めてあげて、時々のんびりゆっくり過ごす…というサイクルを採り入れられると、かなり影響が出辛くなると思います。
趣味の時間を多く取るのも大変有効だと思います。
いつもよりボディケアに力を入れて、お金と時間を使うのも◎です。
旅行に行かれる方も多いかと思いますので、忙しく動き回るのではなく、ゆっくり身体を休めてあげて下さいねー。


気持ち的には、大過なく過ごせること、身体があって生きられることに、少しでも感謝の念を抱いておくと、更に良いかも知れません。
感謝が出来ないという方は、頭の中で思っているだけでも宜しいかと思います。
ま、無理すんな。ってことでね。



穏やかに楽しく、この夏を過ごせますように。





癒されたり解放されたりという体験の中、至福体験という感覚を知る日がやって来ます。


何もかもが素晴らしい! 愛で満ちている!
という体験なのですが、ヒーリングとかセラピーなんかを体験していると、こういう瞬間が訪れやすくなります。



一見、素晴らしい体験です。
大きな喜びに包まれるというのは、どんな外部的な刺激よりも感じ方に勝ります。
問題などただのまやかしであったと知り、自分は無限の愛に抱かれていると確信出来れば、生まれて来て良かった、感謝しか有り得ない! みたいになるものです。


いいですねー。
体験してみたいですよねー。


しかし。
人の体験は全てプロセスであり、結果ではありません。
果たせるかな、長くは続かないものである。
つまり、一時的なものでしかないと。
そういうことです。




一度、何らかの大きな体験をしてしまうと、そこに基準を求めるようになります。
あの時凄く楽しかった、凄く嬉しかった、大好きだった…等々。
と、そういう所へ思考が飛ぶことも多々ありまして。
懐古主義なんて言葉もありますからね。

あの時はこうだったのに、どうして今は違うのか…といったことを考てしまうことがあり。
「あ。プラス体験に執着しとるわ…」
と気付く瞬間です(笑)。
やっぱり人は、過去に執着したがる生き物ですなー。




中庸、中道という言葉があります。
偏らないこと、極端に走らないで、真ん中を行くこと。
これがまた、非常に難しくてなりません。
エゴは何かに縋ったり、何かに拠り所を求めたがります。
「本に書いてあった」「誰々が言っていた」というような部分にしがみつき、さらには過去の体験にもがっつり縋り付くので、「ええい、真ん中って何処だよ!」ってなるのもまた、よくあることです。

癒しや解放を体験した時、至福感に包まれることがありますが、ここにも執着しやすいので気を付けましょーという話です。
でないと、ヒーリング中毒とかスピリチュアル中毒になっちゃうから。
私は所謂"瞑想"が苦手なので殆どしませんが、瞑想も中期までは中毒性が高くなりやすいものなのではないかと思います。
気持ち良いからね。あれも一種の快楽です。



大体、喜びに包まれた状態や至福感で一杯なのが、『正しいこと』だと勘違いするから縋る訳ですよ。
別に正しくない。
だからって間違ってもいない。
ただ、その状態を体験した。以上、終了。
さあ、今の自分に戻って来い!


…と、時折気を付けてあげれば宜しいのではないかと思います。





大きい振り幅がないと、生きている感じがしない!
という、ジェットコースター中毒みたいな方も多くいらっしゃいますが、それもまたよろしいんじゃないでしょうか。いや、好きずきだし。
こういうタイプの方は、本当には癒されるのを嫌がることがあるので…。
アップダウンに飽きたらどうぞって感じで(笑)。


真ん中って難しいですよね。
別にそれが出来なくても、それはそれでアリだと思いますが、もし出来たらすごーくラクでしょうね~。








んもー辛くて苦しいのは嫌だ! 変わりたい、自分が変わればラクになる筈!


と思って、自己改革や癒しの道に入る方が殆どだと思います。
何を隠そう私もそうです。
何を隠そうったって、全くビタイチ隠してませんけど。




でね。
その道を歩むにあたっては、


「どう変わりたいか」


というのが非常に大切なんですよ。
表現として適切かどうかは分かりませんが、所謂『目標設定』とか『目指す場所の目安』は、あった方が有効であると思います。
立てた目標などは、自己成長と共に後々変化して行くものなので、一時的な方向性を見出すということに於いて、大切なんじゃないかーと。




ここが嫌だ、これを何とかしたい! というのも非常に大切です。
そこを、自分に取り組む突破口として使用するという意味で、大変に重要であります。



しかーし。



取り組み続けることによって、そこにフォーカスし続けることもまた、可能である訳です。
嫌だダメだ辛い! という部分を見つめ、取り組み続けることで、逆に終わらないっつーことも充分に有り得ます。
そこで重要なのが、「じゃあ、どうなりたいのかね?」ということです。





「アレが嫌だ」「こうなるのは嫌だ」「こうなりたくない」というのは山ほど出て来るんです。
だけど、
「嫌だ嫌だばっか言いおって! じゃあオメーは一体どうなりたいんじゃ!」
と訊かれると、ウッと答えに詰まってしまう。

あくまでサンプル的な考えですが、成長過程で嫌な思いを沢山し過ぎると、そっちに触れる機会が当然多い訳ですから、慣れたもの=嫌なものに意識が向くクセが染みつきやすくなります。
そうすると、その環境にない時でさえ、常時「アレが嫌だなあ」「こうなったらどうしよう」という思考に支配されて、「こうなれたら幸せだなあ」とか「こういう自分で在りたい」等とは、夢にも思わないという…。
フフフ。それは昔の私ですよ。







そういう訳で、



・その傷や問題が消えたら、自分はどうなりそうか
・その問題が解決したら、色々な部分でどう変化しそうか
・(自分について)○○という状態から△△という状態にしたい




という感じで、あくまでも自分に対して分かりやすく明文化してみると、良いのではないでしょうか。
意識の上で、フォーカスする場所をずらすってことです。




「××が嫌だから○○する」
という思考パターンは多くあるでしょう。
でも、
「○○になりたい(したい、在りたい)から△△する」
って、結構少ないんじゃないでしょうか。

変わりたい、癒されたいと表面的に言っていても、
「○○が嫌だから」
という思考に支配されていては、しがみついていることと同じ。

だからって、それが悪い訳ではない……んだけど、思考のトリックに気付かないと、いつまで経っても変わらないんだじょー。
ルームランナーで走ってるようなモノだったり。
むしろ変わらない癖、しがみつく癖を強化しているようなものだったりする、かも?




要するに、フォーカスする箇所は大事だよねってことです。
だから、新月を使用したり、コラージュやったりする訳です。
楽しく目先を変えられるといいですよね。







精神科医が分析! 長続きするカップルが実践する3つの秘訣



という記事をネット上で見付けましたので、一部引用させて頂きます。
精神科医のゆうきゆう先生のお言葉です。
ゆうきゆう先生は使う言葉が分かりやすく、語り口が非常に明快なので、かなりお勧めですよー。




精神科医が分析する、長続きするカップルの秘訣


1.感謝の気持ちを表現し、相手に見返りを求めない

2.恋愛感情が友情に変わっていくことに気付く

3.家族でペットを飼う、二人で旅行に行くなど、何らかの体験を共有する





非常に簡潔で分かりやすいですね。
ところで、1がいきなり難しいような気がする方も多いかも知れません。

『愛とは取り引きのこと』
『愛とは奪う為に与えること』
『愛とは支配する・されること』
『愛とは力の奪い合い、パワーゲームである』

という風に教え込まれて来た人は、かなりいらっしゃるという印象があるからです。
愛しているんだー! と本気で言いながら、自分と相手を同時に傷つけ続ける行為をしてしまう。
そのやり方を教えてくれた人も、それしか知らなかったので、そこを責めるのは筋違いであるとも言えます。
だからって、やって良いとかでもないのですがね。



2ですが、変化を特に怖れるタイプの方や、恋愛初期のドキドキ以外は認めない! というタイプの方には非常に高いハードルではなかろうかと考えます。
度々取り沙汰されますが、脳内物質の関係で、所謂"恋愛感情"は保った所で4年がリミットらしいですし。

だけど、そこから愛にすることも不可能ではないので、気合い次第かも知れません(笑)。
どうしてもドキドキしたかったら、パートナーと一緒にバンジージャンプとかするといいと思うよ。
恐怖刺激も立派なドキドキですからね。あまりお勧めはしませんが。



ラスト、3。
情報の共有、シェアですね。これは非常に大事なことだと思いますよー。
出来るだけ多くの情報を交換し、共有することで、一体感を得ることもあるかと思います。
押しつけではなく、自分はこう考えている、という情報開示も大切かと。

ここで難しいと感じることも、珍しくはありません。えーと、これも気合い?(笑)
いやいや、「受け容れて貰えなかったらどうしよう」「拒絶や否定をされて傷つきたくない」という恐怖に気付くことですね。
その上で、どうするかを選ぶってことで。





精神科医だろうがスピリチュアリストだろうが偉人だろうが、大概皆さん同じことを仰っています。
あとは、どの言い方やどの肩書きならば、自分が納得出来るかの差だとも思います。
偏ることなく、満遍なく色々な方のお言葉を採り入れるのが、私は好きですね。






ゆうきゆう先生の著書は多数ありますが、『おとなの~』シリーズが面白いです。
漫画形式でズバッと両断! スカッと爽やか~(か?)。
非常に分かりやすいので、読んでみると宜しいんじゃないでしょうか。


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元・吉祥寺伊勢丹があったビルに行って参りました。


伊勢丹が撤退した後、コピスというファッションビルに変わったのですが、昔からよくウロチョロする『マザーリーフ』という紅茶のお店が入っているのです。





マカロン




本日は、紅茶とマカロンを注文しました。
いやー久しぶりですよマカロン。グラスに入ってて可愛いですよね。



マカロンはどうしてああいうお菓子になったのか、不思議でなりません。
だってね、生地をめんどくさく練るのみならず、絞り出した後で放置して表面を乾燥させるというプロセスが入るんですよ。
予想では、
「生地を絞った後で放置せざるを得ない出来事が発生したが、絞っちゃったので勿体ないから焼いてみたら案外ウマかった」
みたいなことが起源ではないかと思います。


恐らく違うと思いますが。



制作過程の面倒な食品を見る度に、
「出来たのは偶発性が九割以上の筈! そう、それは納豆の誕生の如く!」
というアタリを付けて、誕生のプロセスを妄想してしまうクセがあったりなかったり…(病気?)。






マザーリーフは、紅茶と焼きたてアメリカンワッフルが美味しいのです。
わりとしょっちゅうお店に行ってますが、いつ行っても美味しいですよー。






先日。
「自ら色々と取り組みすぎて、そのせいで無駄な延長戦に入ってたんじゃねーの?」
的なことに今更ながら気付いてしまった私ですが。



お世話になっているセラピストさんに、その話をしましたところ、


「あー分かります。でも、仕事が出来るタイプの女性は、その傾向がかなり強いんですよね」


との言を頂きました。
そうなのかーと、よく分からない納得の仕方をしまして。

いや、嬉しかったから。
「仕事が出来る」と言われたようなものだし(何か違うような気もしますが)。
仕事が出来る…仕事が出来る…ああ、素晴らしい響き!
って、そこかよ! って話ですかね(笑)。
仕事が出来るって嬉しいですよ。
今の時点で、私が言われて一番嬉しい言葉です。ハイ。





さてさて。


取り組まないで居る。
更に言えば、何もしないで居る、というのは非常に難しいことだと思います。
大概暇になると、「何かしなきゃ」とマインドが囁くでしょう。
「仕事しなきゃ」「家事しなきゃ」「遊ばなきゃ」「自分の手入れをしなきゃ」…等々。
何かをしていないと、自分には生きている価値がないとか、何かを受け取る資格がないとか、そういった罪悪感の類を抱えている人に多いタイプですね。

またこれとは別になりますが、嫌なことを頭に浮かべないようにする為、仕事を必死に頑張ってしまったり、自分に向き合わないでおく為に忙しく動き回ろうとするタイプの人にとっては、何もしないということは特に辛い、言うなれば苦行的なものであろうと思います。




難しいですよねー。苦しいですよねーフフフ。
だからどうだよって話ですけど(笑)。
期間を決めて、何もせずにフツーの生活『だけ』すること、取り組まないことを試すのも、新しい発見が色々あるんではないかと思います。

今・この瞬間にしていること、目の前に居る人、在るものに意識を向けるだけ。
っていうのが、実は一番難しいことだったりします。
大概、マインドは過去か未来に飛んでしまうので、ただ居る・在るということは、高度な精神性を要します。
だからこそ、何もしないことに挑戦するというのは、やり甲斐あると思いますよ。



また、自分の目の届く所で発生した出来事は、全て『自分が作った』『そのように仕向けた』という仮定をして、一定期間周囲を観察するというのもアリだと思います。
そして、絶対に取り組まない…っと。

取り組みグセのある人は、取り組まない期間を自分に与える。
差し当たっては、一週間程度から始めてみては如何でしょうか。
取り組み中のインターバルとも言う。



何かが起きた時に
「これは何か解消すべき何かがあるからだ! じゃあやんなきゃ!」
的な直結思考を、一度クールダウンすること。
これを時に応じて使えるようになると、更にラクなんではないかーということで。

大体、「解消すべき何か」とかいうものは、突き詰めるとこの世に無いのです。
「べき」とか「ねば」とか言ってる時点で、既に不自然である。
「やる」か「やらない」か、ただそれだけ。
…ということも選択肢に入れておくと、更に理解が進む、かも、知れない(笑)。
その辺も全部自由ですけどねー。




今日から夏休みに入った学校も多いと思いますので、一緒に心の夏休み~な感覚を採り入れるのもアリではないかと思いますよってことで。






自分の内面を見つめる時にお勧めしているのが、書き出し作業です。




・ノートとペンを用意
・現在の自分の中で、ここを解決したいとか、嫌な思いをしているテーマを設定





それについて



「現時点でどう思っているか」
「それを思い浮かべると、何を感じるか」
「いつ頃から似たパターンがあるか」
「他に類似した感覚があるか」
「何故そう思い、感じるのか」
「誰かに言われたとしたら、それは誰からか」
「その感覚や思考を持っていることで、どんなメリット・デメリットがあるか」



等を、思いつく限り書き出します。
書く時は手書きですよー。
何かを書こうとして出て来ない場合は、一旦飛ばします。
そのうちまた浮いて来るかも知れないと思いながら、頭の隅っこに避けておきましょう。

色々な角度から見つめて書き出す作業は、明確化・意識化するのに大変有効です。
この作業をしている時に、何らかの感情が浮かんで来るのではないかと思われます。
最初は出て来なくても、書き出し作業に慣れて行くうちに、段々と自覚し始めます。



理由は分からなくても構わないので、
「このテーマについて書いていたり、取り組もうとすると…が出て来る」
みたいに書き足すと良いでしょう。
「…」の部分は、初期段階では違和感・イライラ・落ち着かなさという感覚で捉えられやすいかも知れません。
慣れて来たらもう少し細分化してみて、怒り・悲しみ・罪悪感・無価値感・無力感・痛み・憎しみ等々に分類してみると宜しいかと思われます。
私はそうやっていました(←過去形なのは、最近はやり方をもっと簡単にしているからです。適当な瞑想状態に入って、諸々身体に落とすことが殆どになっております)。

こういった感情が複数出て来ても何ら問題ナシです。
また、セットになっている思考も大切ですよー。
最初は思考と感情の区別が付かないと思いますが、それはそれでアリです。ノープロブレム。
間違いの基準は特に無いので、途中で止めたり、一度やって止めるということ以外は、問題になりません。
あ、もしやるのであれば、中途半端に終わらせたらダメですよ。
取り組む前より落ちやすくなりますのでー。続ける姿勢が何より大切です。




経験上ですが、書き出し作業をしている時に、鼻水や涙が出て来ることが多くあります。
出す! 出す! という風に、ガンガン出せたらいいですね。
これまで意識を向けられずに固まっていた感情や思考が、ゆっくり溶け出していると思って下さい。

注意したいのが、一度泣いた程度で癒された等と思わないことです。
ちょっとだけ蓋がずれた…かも? 位に思いましょうねー。
消化というか昇華に至らない限り、癒しは発生しません。
まだそこが分からないのだとしても、全く問題ありませんのでお気になさらず。
追々理解が進んで行くものですので。



自分を癒したり解放する作業を継続的に行う場合、「で、どういう風になりたいか」が大変重要なアンカーになります。
マイナスをゼロに近づけながら、プラスを構築する作業が段々必要になって来ます。
その時に重要なのが、なりたいセルフイメージです。

最初は分からなくても、要らない荷物を捨てて行く過程で、ゆっくりと形を成し始めるかも知れません。
こういうことも、頭の何処かに「分かるといいなー」って感じで留めて置くと、後々がラクになりやすい。
頭の片隅に置いておけば、生活の中でアンテナが働いて、「ああ、こういうのっていいな」とか「この人素敵だな」みたいに思っている自分に気付き始める可能性が高まります。


楽しみながら成長をする為にも、お楽しみ要素を採り入れて行くのがお勧めですヨ~。






10月度のワークショップ日程が決まりましたので、お知らせ致します。


★10月16日(日曜) 11:00~14:00


例によって、@ 飯田橋でございます。
後でサイトの方を更新しておきますねー。






毎度書いているので、くどいような気もしますが。
今年ご参加の皆様は、非常に変化が早くてビックリです。
いつも「人には沢山の可能性が眠っているなー」と思わされます。

会場で私が何をしているのかというと、主に空調の管理です(笑)。
いやホントに。マジマジ。


『癒し』という言葉のイメージってありますよね。
多分、大概が「優しい」「フワフワ」みたいな感じじゃなかろうかと思います。
しかし、蓋を開けると全く違うことが大半で、驚いて尻尾を巻いて逃げたくなる現実が待っています。

私のイメージではありますが、精神的な外科手術をしているようなものなので、一時的に痛みを追体験することが必然的に多くなる訳です。
何にせよ、痛いのは嫌ですよね。
だから抵抗するし、認めたくないし、何らかの言い訳を山ほど思いついては逃げようとする。



癒されたい、幸せになりたい、ラクになりたいと口では言いながら、決して足を踏み出さないことが人間には往々にしてあり、やっぱりエゴの仕組みって巧妙に出来てるなーと思わざるを得ません。
そこまでの姿勢を他人が強制することは出来ないので、やっぱり何処まで行っても自分自身に掛かっているのだと、私は思います。

その一歩を踏み出し続ける姿勢が、難しいんですよねー。
それもよく分かります。
でも、チャンスは確実にあって、その瞬間を掴む瞬発力は、誰にでも備わっていると考えられます。



どの道を通っても、どんなやり方でも良いのだと思います。
エゴに騙され続けることなく、一瞬でも成長への途を選択出来ますよう。






「自分が変わると周りが変わるというのは、実際あるんですか?」







というご質問を受けたことが何度かあります。
答えとしてはですねー。







ある。




とも言えるし、




ない。




とも言えます。







但し、周りや他人を変える目的で、自分を変えようとしても無駄です。
何故かと言うと、目的が『他者を変えようとしている』所だから。
力ずくのコントロール、パワーゲーム参戦。ってことですので、喜ばしい結果は望めませんね。
大体こういう場合は、変化のプロセスや形までを指定していることが殆どですからー。




さて。
しがみつくのをやめる、手を放すことによって、逆に事態が動いてしまうことは大いに有り得ます。
何とかしようとするのをやめると、何とかなってみたりという。
所謂、パラドックスですな。



「これが問題なんですー! これさえどうにかなれば幸せになれるのに!」
というマインドの雄叫び(笑)を、「あーハイハイ」と取り合わずに視点を変えることによって、手を引くという選択をすることが出来ます。
拘ること、執着することは、現状維持を望んでいるのと同義とも言えます。
「変わって欲しい」と望んでいる状態は、「変えたくない」と願っていることとほぼ一緒です。


我々は言語で思考しているので、自分がどんな言葉を使用して思考しているか、どんな言葉を使って話しているかを知ることは、大変重要だと考えます(私はね)。
「変わって欲しい」と思うことは、前提として「変化ナシ」を認めていることになる。
現状がどうであるかを既に認識していて、それを認めたくないという抵抗・葛藤が「変わって欲しい」という言葉に集約されている…と考えると、願った所で変わらないのもむべなるかな。
だって、現実に対するただの抵抗ですから。




厳然たる現実を認めるのは、非常に難しいと思います。
出来ればこうあって欲しい、自分がその状況を望んでいる筈がない、自分が作っているのではないと思いたいからこそ、現実に対して抵抗をする。
まさか、自らがっぷり四ツに組み合っているとは、夢にも思うまい。
という所で最初に躓きます。目を背けまくりです。

そんな中で、自分を解放出来た時の喜びはひとしおです。
自分が手を放すと周囲が動き出すのは何故かと言えば、元々動きを堰き止めていたのが自分だから…ってことが殆どです。
抵抗という大きなブロックをせっせと積み上げて、流れを止めているのは、他ならぬ自分であるということを知ると、周りがどうあろうが問題ではないと分かり始めたりもします。
そこまで来ると、周囲が変わろうが変わるまいが、最早どうでも良いという風に考えるようになることが多いですねー。


また、自分が著しく変化をしたのに、周囲に変化が見られない場合も多々あるでしょう。
それはそれでよろしいんじゃないでしょうか。
いいじゃないですか(どうでも)。

拘りがなくなって、執着が消えたなら、それで御の字ってことで。
仮に周囲の変化がないことに怒りや戸惑いを覚えるのだとしたら、己の『変化』とやらは単なるエゴのまやかしであると言えましょう。







……で、ここまで書いて最後にくっつけときますけどね。
どういう状態であっても、正しいとか間違ってるとか、そういうのはありませんからね。
変化しようがしまいが、癒されようが苦しかろうが、ただそれだけです。
それは今の現実であるということ。
それ以上でも、それ以下でもありませんよーっていう話です。









主観100%

  • 2011.07
  • 16

Edit520

日々色々書いておりますが、内容はあくまで私の経験上云々というのが殆どです。
従って、100%主観です。
私というフィルターを通しているに過ぎず、それが正しいとか、これ以外にないとか、そういったことは全く以てありません。
要は、好みの問題ですな。


今まで色々書いて来た内容を読んで、何らかの誤解(特別なんじゃないか的なイメージ)を与えているかも知れないので、改めて書いておきますよー。
いや、どう注意書きをした所で、読みたいように読むものなんですがね。


私は全く高尚な人格を持っている訳でもなく、あらゆる制約から自由になっている訳でもございません。
何でも好き嫌い上等だと思ってるし、よく喰うしよく寝るし、怠惰な生活が何より大好きです(と、胸を張りたい)。
時に応じて悩みだって出て来るし、なかなか解決出来ないなあと思うことだって、沢山あります。
毎日毎日、出来ないこと・分からないことだらけですよ。



偶に
「何かに悩んだりすることってあるんですか?」
と訊ねる方がおられますが、そりゃーあるっちゅーねん(笑)。


ただ、そこで『取り組む』、若しくは『手放す』という選択肢があることを経験上知っているので、何とかしたいと思った場合に、どっちかの手段を講じるだけで。
この辺も、あくまで経験則です。
別に不思議な力とかそういうんじゃないです。


で、経験を積み重ねて理解の端っこに足を踏み入れたのは、「愛」とは「そのままを認める」「理解する」ということに非常に近いのではないか、ということです。
ジャッジしない。されるがままではなく、受け容れる。



このように色々書いていますが、あくまで文章表現に留まっていますので、実際の体験に勝るものはないと思います。
事実は小説よりも奇なり。
人によって真実は違うと思います。
最近は、沢山の変化を体感していらっしゃる方が周りに多く、それは何よりも自己理解を深める所からというのが、面白いなあと思う訳です。

他人や環境にフォーカスするのではなく、常に自分。
自分を理解すること、認めること、知り続ける姿勢を持っている方は、特に尊敬します。
ま、私がそういう話が大好きだからなんですけどね(笑)。








blog拍手のボタンを押して下さっている皆様、いつもありがとうございます。
今日はわざわざコメントをしてまで「遂に(拍手)一番乗り!」と喜びを露わにして下さった方がいらっしゃいまして、お陰様で大分笑わせて頂きました(笑)。
人を笑わせることが出来るとは、善行積みまくりですなあ。ウンウン。




先日、犠牲についての話が出ました。


『~の犠牲になって~する』


という言い回しで使われます。
犠牲とは何でしょうかね。何故犠牲になるのか。




犠牲というものの発祥から考えてみると、それは何かに対する捧げ物です。
熟語の漢字を見てみると、牛偏が付いていることからして、それは動物だったりしました。
相手は神様が殆どでしょう。
実際に神かどうかはさてき、ヒトのイメージする『神のような何か』です。


「これを差し出すので、怒りをお鎮め下さい」

だったり、

「どうか豊作にして下さい」

だったり、

「罪を帳消しにして下さい」

等。
大概こんな所でしょう。


「私はこうするから、あなたはこうして」
という、取り引きであるとも言えます。
聞こえの良い言い方をすると、エネルギーの等価交換…っぽい雰囲気がありますねー。




人間関係に置き換えるならば、モノではなく自分(の時間的、物理的、金銭的等の、各種自由)を差し出す代わりに、何かを求める行為となります。
一見尊い行為かのようにも思えます。
各種教義ではそう書かれていることも多いですし。

我々は生活の中で自己犠牲をやっていることが多かれ少なかれあり、そこには何らかの目的が伴っていると思われます。
他人からの賞賛を得る為であったり、後に自分の言い分を通す為の投資であったり、本来せねばと思っていることをせずに済む言い訳であったり、はたまた犠牲をやっている自分を美しいと思ってくれという、ナルシスティックな目的だったりすることも珍しくなく。
『加害者と被害者』にも何処か似ている関係性です。



「なんで私ばっかりこんな目に!」
と言いながらそこを離脱しないのは、何らかのメリットを潜在的に認識していて、そこを手放したくないからです。
犠牲をやっていれば、まるで尊い行為をしているようで、自分的評価もアップ! オイシイ!
っていうのが大半でしょう。




犠牲をやっている自覚のある方は、


1.何という神様(比喩ですよ、念のため)に
2.何を捧げることで
3.何を得ようとしているのか



というのを洗い出してみると、面白い発見があると思います。



…とか書いてると、まるで
「いちいち人の行動には裏があり、その裏とは一般的に良いとされていない動機である」
って読めなくもないですな。
いや、その通りなんですけど(笑)。

だからって、それが『悪い』のではありませんからね。
いつもいつもしつこく書いてますが、悪いとか良いとかのジャッジを持ち込むのが、苦しみの始まりです。
ただ単に「ああ、こういう目的があったのか」と認識してしまえばOKだっていうだけで、下心があるのは卑劣だとか悪いとか、そんなことは全く無いと思います。
もしそういう風に思ってしまったのなら、「ん? ところで、なんでそれを悪いと思ってんだ?」という風に、視点を変えることも出来ます。



今・現在の自分が、当然だと疑問を抱かずにいることにメスを入れる。
そうすることで、沢山の変化を体感する最初の一歩を踏み出すことになります。





ワークや癒しを体験すると、一時的に心身が軽く、ラクになります。


帰宅したり、娑婆に戻る…と、必ず落差を体験することになります。
何時も通りの日常が待っていたりする訳です。
何もかもが一気に変わることを望んでしまう中、なかなか厳しい現実だったりもします。
または、一箇所が凄く変わったとしても、違う所に不満を見付けたりとか。



ガッカリ。




……というパターンは非常によくあるのですが、これもエゴ様の罠なので引っ掛からないよう、気を付けましょー。
具体的には、「出来てない時」や「ダメな処」を見るのではなく、「ちゃんと出来た時」「気分が良い状況」に目を向けること。
「でも、あれは変わってないし…」とか「ああ、またやっちゃった! 私はダメな人間だ!」等と頭の中で囁き始めたら、要注意です。
全部まやかしですから、取り合っちゃいけませんよ。

揺り戻しは誰にでも必ず起きます。
だって今まで長々とやってたんだもん。
そりゃ、考えなくても出来る方へ戻りたいわな。



この振り幅があまりにも大きかったり、変化のスピードが速かったり、変化の具合が大きかったりすると、段々身体が悲鳴を上げ始めます。
肉体が、変化について行けない訳です。
だから怪我をしたりとか、へばってしまうことも、ままあることです。
大切なのは、日頃から変化に耐えうる身体作りをすること。
だから、タンパク質なんですってば!(笑)

そして、癒しや解放による変化を体感したら、身体に落とすことが何よりも大切です。
そうでないと、あっという間に以前のパターンに戻っちゃいます。
身体に落とすというのは、腑に落ちるということです。
新しいパターンを、完全に身体に刷り込み定着させる必要があります。
私は変わったはず! って辺りで見切り発車をすると、自分でも分からぬ内に「あれ? 戻ってる…? なんで?」というようなことになりやすいんです。



では、どうやって身体に落とすか。



・シェアする
信頼関係が強固である人と、その体験について納得行くまで分かち合う。話し合う。


・インターバルを設ける
内観や自己観察をしない期間を決め(お勧めは一週間程度)、その間は普通に生活する。


・身体が喜ぶことをする
マッサージやエステを受けたり、自分でやったり、温泉に浸かったり、健康に良いものを意識して食べる。


・引き続き同じテーマを観察する
変化を起こした箇所について、暫くじっと見つめ続ける。揺り戻しが起きても引き続き観察。反芻。





こんな感じですかね。
可能であれば、二つ位は併用も出来ます。
あ、インターバルとは併用しちゃダメよ(笑)。



身体に落ちるまで、三ヶ月程度掛かる…という話を耳にしたこともあります。
ホントの所は分かりません。
私自身の経験で言うと、ものによってまちまちですね。
翌日落ちてることもあれば、半年以上の時間を要するものもあります。
ただ、自分にとって変化への抵抗が大きかった内容ほど、身体に落とすのに時間が掛かるのは確かだと思います。

一番確かなのは、身体感覚です。
消化した、吸収完了! と思う瞬間は、身体が知っています。
くどいようですが、身体の感覚に意識を向ける習慣って、やっぱり凄く大切だと思うんですー。



身体の感覚を研ぎ澄ますには、呼吸を意識することが非常に大切です。
細く長~~~~~く、息を吐き出し続ける練習が効果的です。
吐ききったら、今度は自然に入って来るに任せる…呼吸の度に、身体の関節が緩むイメージで。
というのを繰り返して行くと、身体の意識が少し目を覚まします。
身体が弛緩したり、ラクになるまで、何度でもやりましょう。
これはいつでも出来ますし、お勧めですよ!







先日のワークショップ時に思ったのですが、っていうか日々思うのは。




両親の影響力たるや如何ばかりか、ってことです。





人生を破壊することも可能だし、また豊かに創造することも出来る。





女性にとって母は、自己像(=女性像)のモデルになります。
ここ最近までの日本家庭にありがちなのは、母親が家で一人苦労を背負い込んで、父親が家庭を顧みない。
可哀相なお母さん、私が助けてあげなきゃ…。
ってな辺りでしょうかね。

これが高じると、「お母さんより幸せになってはいけない」に残念な化学変化を起こしたりもします。
ダメ男ばっかり引っかける人は、この可能性を疑いましょう。
お母さんが好きすぎて盲目! と仰る方も、非常に怪しい限りです。
『好きだということにしておかないと困る』ことが、沢山隠れているのかも知れません。



子供の頃は
「お母さん(お父さん)が~と言ってたから」
という理由で、様々な制限を課したり、また選択をします。
社会的なルールを身に着けなければならない幼少期には、必要なことです。
そのまま成長してしまうと、「普通はこうだよね?」という言葉に転化されていることも、多々有り得ます。
「普通はこう」というのは「親が普通はこうだと言ってた」ということですね。

これは我々が自覚しているよりも遙かに細かく、観念として細分化されて行き渡っています。
結婚に対する観念、職業に対する観念、人間関係に対する観念、食べ物に対する観念、洋服に対する観念、旅行や趣味、会話で使う言葉や生活パターンなど、ありとあらゆる部分に食い込み、侵食しています。



私は親を亡くしてから、
「あ、これって私が思ってることじゃないや。親の観念だったわ」
という気づきが日々山ほどありまして、今でも日々それを整理している所です。
自分が嫌悪感を抱いていたのは、親から口を酸っぱくして言われていたからであって、自分本来の価値観ではなかった。
そういうことが沢山あります。

一番代表的なものとしては、『職業に貴賤無し』でしょうか。
私は現在、本当にこう思っているのですが、親が生きていた時は全然違いました。
この仕事は良い仕事、この仕事に就く人間は低レベル…と、篩いに掛けていたんですね。
という訳で、自分にも職業選択の自由は事実上存在しませんでした。
でも、後日考えれば「一体それは何を基準にしているのか」ということばかりです。
恐らく口にしていた親でさえ、意味を理解していなかったのだと思います。
今や私はフリーダムになり過ぎてしまい、草葉の陰で両親(あ、片方はまだ生きてるわ)は爆笑していることでしょう(笑)。




さて、服の好みや好きなタイプの男性にも、両親の影響が被っているというのは、ご存知でしょうか。
好きだと勘違いしているだけで、実は『親が文句を言わない基準』で分けて選んでいたりすることもよくある話です。
小さい頃に「あなたはこの色が似合う」と言われたことを頼りに、今でもそれを律儀に続けているとかもね。
「結婚するならこういう人にしなさい!」という言葉通りにしてみたりとか。
何なら、「お母さんを幸せにしてくれる人」や「私を幸せにしない人」を選んでいる場合もあったりします。

私は思いました。
親を好きか嫌いかに拘わらず、個人の人生の深部まで侵食するその姿は、まるで信仰のようでもあると。
宗教を信仰している人って「ドグマにこうあるから」という理由によって、食べ物を変えたり離婚出来なかったりするじゃないですか。
それに著しく似ていると思うのです。






閃いた私は、この状態をこう命名しました。







『おかん教』






と。



あ、ここは笑う所ですよ。




更には二足のわらじで、『おとん教』を信仰している方も多いかと思われます(笑)。
私は脱会を選べるということが分かったので、日々脱会に向けて着々と己を見つめております。
完全脱会は難しいかも知れませんが、信仰を手放すという選択肢もあると思えば、色々な可能性が見えて来る訳ですね。

今後信仰を続けた所で、『望む形での』奇跡は起こらないと思います。
要は、一所懸命信仰しても、欲しい形で愛をくれるかっつーと、そりゃどうでしょうねーってことです。
言ってしまうと、欲しい何かがあるのだとしたら、それは祈りではなく取引です。
我々は小さい頃から、愛とは取引である、支配であるという風に教わることが多いと思います。
なので、言うことを聞く。その通りに行動する。
だけど、いつまで経っても認めてくれないし、欲しい形の愛は貰えない…という無限ループを経て、年だけ取ってしまうというパターンが大変多く見受けられます。




目指せ、脱会。






自分が恰も、何かの被害者のように感じる時があります。
人生とか他人とか環境とか状況とか、『何か』には色々なものが当てはまります。



・自分を理解してくれないと感じる時
・一方的に○○された時
・(表面的には)望まない状況、状態にある時




が、代表的なパターンでしょうか。
他にも細かいバリエーションはあると思いますが、大体こんな所ではないかと思われます。




でね。
被害者で居ることって、どういうことかなと言うと。



"加害者"になれたりもする、と。
その事例としては、




「○○された! だからアイツは酷い!」


とか


「私はこんなの嫌なのに! なのに変わらないのは○○のせいだ!」


とか


「私は一所懸命~やってるのに! 分かってくれないなんて!」



等と、被害者であることを楯にして、何かを攻撃出来てしまうのですねー。
被害者で居る以上は加害者でもある。


という風に解釈することも可能です。
あ、例によってそれが悪いとかダメだとか言っている訳ではないですので。
角度を変えて見てみると、こういう見方もありますよ、出来ますよということですね。





喧嘩をしたり揉めた時に、被害者と加害者、そして時に仲裁者が発生します。
私が見た限りでは、共通点が二つほどあるような。


一つ目。
全員が同じ土俵に上がっていること。
同じ戦いに参加してますよってことです。

二つ目。
コントロールをしようとしていること。
力のぶつかり合い、パワーゲームですね。
被害者は、思い通りに行かないことを嘆いて一時的に自分の力を放棄し、後に言い分を通しやすくする。そうすることで、相手の優位に立とうとします。
加害者は、相手を打ち負かすことで自己顕示欲や劣等感を補填します。自分の方が優れているというエゴの囁きに従いますが、その後も被害者に支配されるという憂き目に遭います。
仲裁者は、それぞれの意思や目的を無視して、自分が良かれと思う所へ流れをねじ曲げようとします。


大体こんな感じでしょうか。



以前、刑務所で服役されていた方にお話を伺ったことがあるのですが、服役中に発生した諍いは、関わった人の全てが同じように罰せられるのだそうです。
参加したという意味では、全員が加害者であると判断され、例外は認められないのだそう。

被害者と加害者の関係は
『パワーゲームであり、コントロールと支配権の奪い合いである』
という仕組みを分解して考えると、まさにその通りだと思います。
誰もが自分の思い通りにしようとしている。
一見どれだけ言い分や動機が正論に見えたとしても、蓋を開けてみればまた違った見え方をすることもあると。




見方が変わると、ゲームに参加している意義が無くなることがあります。
「あ、やめた」
と、あっさり手を放すことが出来たりね。
勿論、続けることも可能です。
そこは選べる。

選べるっていうのは大事ですね。
分かっちゃいるけどやめられない、というのはなかなか苦しいものがありますが、選べるのはラクです。
状況が全く同じだとしても、在り方を選べるとなると話は違います。
自分の意思で選択しているとなれば、結果を誰かのせいには出来なくなってしまう(笑)。
…まあ、これをやることで自分を際限なく卑下し続ける可能性もありますが。





と、ものの見方の角度が変わると、また全然違うものが見えて来るんじゃないかなー的なお話でした。







あっという間に梅雨明け宣言が出ましたね。
冷夏という噂は全く信じていなかったのですが、あまりにも早すぎる(笑)。




暑い中でも視覚効果で涼しげに♪
新作のアクセサリーをちょっとだけupしますよー。




Silver925グリーンオニキスネックレス

★Silver925 グリーンオニキスネックレス
オニキスと言うと、一般的にイメージされる色はブラックでしょう。
他にもホワイト、グレー(半透明)、ストライプ等が存在しますが、グリーンも比較的よく見られるカラーです。
オニキス自体には「防衛」「集中力」「魔除け」等と言った効果がある、とされています。

私個人としましては、疲れている時にガードしてくれる時間が長く、他の石に比較して頻繁に浄化を必要としないイメージがあります。
要するに、『逞しい』性質を持った石なんだと思われます(笑)。

こちらのグリーンオニキスはうっすらと半透明なのがとっても綺麗です。
石そのものも高品質。
グリーンは日本人のお肌によく馴染みますので、大変美しいと思います♪
グリーンオニキスのネックレスは、もう一種類制作してあります。
こちらはK14ゴールドフィルド製で、沢山の石が連なっているタイプです。




Silver925スイスブルートパーズネックレス&ピアス

★Silver925 スイスブルートパーズネックレス&ピアス
トパーズは元々、イエローカラーが一般的です。
が、稀に薄いブルーの色を持った石が採掘されることがあります。
近年はイエローよりもブルーの方が人気ということで、イエローカラーのトパーズに加熱処理を施して、この美しいブルーを引き出したものが多く出ています。

ブルートパーズは、色の濃さで呼び名がちょっと変わります。
一番薄い色は『スカイブルートパーズ』、一番濃い色は『ロンドンブルートパーズ』、そして両者の中間に当たる色がこの『スイスブルートパーズ』です。

今回使用しているのは、宝石質のスイスブルートパーズ。
細かいカットが本当に綺麗で、キラキラと光を反射して輝きます。
透明感も抜群で、インクルージョン(内包物)もほぼ見られません。
ネックレスはシンプルに一粒。ピアスはフープにシルバービーズを合わせて合計6粒あしらっています。






暫くはイベント参加が無いので、お目に掛けるチャンスは次回1day cafeでしょうか。
ワークショップには、毎月持参しておりますので、気になる方は会場でお目に掛けられます(笑)。



今回ご紹介した物の他にも、沢山新作が追加されております。
ご覧頂けるチャンスが来ましたら、告知させて頂きますね。






本日は、7月度のワークショップでございました♪
ご参加頂きました皆様、まことにありがとうございました!




今回は、グループディスカッションを体験して頂きました。
私はその間、タイムスケジュールの管理だけ。
つまり、居るだけ(笑)。

グループディスカッションとは言えど、みんなでディスカッションではなく。
フォーカスになる被験者を一人ずつ選出し、他の方達がカウンセラーとして話を引き出して掘り下げて行く…という役割分担をした上でのワークでした。
質問する側、される側、そのどちらにとっても、物事の角度を変えて見たり、また普段の他人との会話では出て来ない表現や、切り口を使って掘り下げて行くというのは、なかなか面白い体験だったのではないかと思います。
…私は見てるだけでしたが。オブジェ化(笑)。




毎月企画している私が言うのもなんですが(笑)、今年に入ってからびっくりする程に密度が濃くて、皆さん沢山の学びや癒し、気づきや解放を体験されていらっしゃいます。
毎月お会いする度に、華やか・晴れやかな印象になったり、一皮剥けたように可愛くなっていたり、地に足が着いていたりと、見た目が既に違う! っていうのが確認出来ること、これは本当に嬉しい限りです。

そういう姿を見せて頂けることは、私にとって大変に有り難く、また幸せなことでもあります。
中身が変わっておきながら、外見が変わらない…ということは有り得ません。
だから、会場に入って来た瞬間に
「いい感じに成長しているなあ」
と思える訳です。
参加者同士でも、「すごく明るい感じになりましたね」とか「前より強くなったように見える!」といった会話がよく交わされています。



勿論、ワークの時間が終わって、普段の生活に戻ってからの方が重要です。
お持ち帰り出来る体験を中心に、ワークを行っています。
なんでかって言うと、日常の中で楽に幸せを体感したいからこそ、皆さん集っていらっしゃる訳ですので。

ワークショップ会場では、主に分かち合いや色々なテクニックを覚えて頂きます。
そこでやって、ハイおしまい。では何ら意味がないんですよー。
自宅に帰って仕事やプライベートを過ごす中で、自分とは何者であるか、また宇宙を自分が作っているということへ応用して行けるようになるのが狙いです。

そうして成長していく毎に、一週間前の自分、一月前の自分はまるで他人のように感じるでしょう。
今年ご参加下さっている皆さんは、日常の中で一所懸命に自分と向き合う姿勢をお持ちになっている方が非常に多く、どんどん面子が精鋭化している感があります(笑)。
今後が更に楽しみです!





さて、次回ワークショップは8月21日(日曜)11時-14時になっております。
現在は9月分(9月18日/日曜)までのスケジュールが確定していますが、近日中に10月分を決定する予定でおります。
決まり次第お知らせ致しますので、お待ち下さいませ♪

癒しのワークショップ詳細につきましては、サイトをご覧下さいませ。





私は基本的に、毎日タロットを持ち歩いています。
別にしょっちゅう使う訳でもないのですが、思いついた時にリーディング出来たりするので便利便利。



今日は他人様に3回、自分に1回タロットを使いました。フィーバーですな。
いつやっても「面白いワー」と思うのは、ちょっと他人事みたいですが(笑)。

千差万別とはまさにこのことで、同じカードが出たとしても、その人のテーマによって全く解釈が変わって来る。
一度として同じ並びになることはなく、くるくると姿を変える様は、まるで万華鏡のようだなあと感嘆します。




特筆すべき点は、相談者が表面上どう思っていようと何を言おうと、潜在的な現実までがシビアに浮き彫りになることです。
単なる当て物ではなく、実際どういうプロセスを経て今の状況になったか、また自分は何を望んでいるか、どの方角を見ているのか…。
そういったことが明らかにされていく様子を見ていると、本当に面白いと言いましょうか、優れた道具を開発した人も居るものだなと思わずにいられません。

そういう意味では易なんかも優秀な道具ですね。
天地の理を表すという意味で、似通ったものがあるように思えます。
また、時代やその状況によって、柔軟に解釈を変えて行くことが出来るのも、共通した部分ではなかろうかと。



タロットをやっていて一番大切なのは、まず相談者が"本当は"どのようなテーマを知りたがっているか、まずそこから丁寧に洗い出すことではないかと思います。
エゴは自分のことを上手く騙していますから、『何を問題だと思っているか』を巧みにすり替え、本来の根っこを隠したり出来ちゃう訳です。

そこを引き出し、絡んだ糸を解いていく作業というのが、事前のカウンセリングになります。
実際、タロットが道具として役立ってくれるかどうかは、問いかけを明確化する作業に掛かっていると言えるんじゃないかなーと私は考えております。



実はタロットとか使わなくても、分かるものだったりします。
しかし時には道具の力を借り、より明確に分かりやすく、また短時間で自分の内面を把握する…という手段を執るのも、アリなのではないかと。




で、本日はまことにお日柄も宜しく…じゃなくて(笑)。
自分の為に展開してみた時に、こないだ書いた記事のような内容が出たんですよ。
掻い摘んで言うと、


「取り組む必要無し。頭の中から消し去って良し。廃棄してまえー!」


みたいな内容です(笑)。
質問や内容は全く違うのですが、今の私には
「いちいち取り組まない。丸ごと手放す」
ということが大事な時期なのかも知れないなーと思ったりしました。
自分の内面をつまびらかにするタロットに、改めて感じ入った瞬間でした。




そんなんで、今日も非常に面白かったのでした!





今日は舞台『牡丹灯籠』を観て来ましたよー。
そういえば、怪談の季節ですなあ。


ハイリンドという劇団のお芝居でした。
ハコは狭かったのですが、お客さんギュウギュウ。
階段まで座席扱いでしたもん。


所謂、落語の演目たる『牡丹灯籠』なのですが、随所にアレンジがあって面白かったです。
役者さんがたも非常にお上手で、息が合っていた感じがします。
纏まっていて、外れが無いというか。



『牡丹灯籠』についてご存知ない方は、wiki様にお尋ね下さい(笑)。
えー、一部引用しますと。

中国明代の小説集『剪灯新話』に収録された小説に基づき、三遊亭圓朝によって落語の演目として翻案された怪談噺である。
圓朝没後は、四代目橘家圓喬・五代目三遊亭圓生・六代目三遊亭圓生・五代目古今亭志ん生・初代林家彦六など歴代の大真打が得意とした。
明治25年(1892年)7月には、三代目河竹新七により『怪談牡丹灯籠』(かいだん ぼたん どうろう)として歌舞伎化され、五代目尾上菊五郎主演で歌舞伎座で上演されて大盛況を受けた。
以後、演劇や映画にも広く脚色され、特に二葉亭四迷は圓朝の速記本から言文一致体を編み出すなどその後の芸能、文学面に計り知れない影響を与えた。



…ということで、本来は中国のお話が原本のようです。
そうだ。花の中でも牡丹って、中国ではよく使うモチーフでしたわ。






スカパラの楽曲が使われて(いたような。スカだったし)、更に井上陽水だったり、ダンスがあったり。
おっしゃれー! な演出が多々ありました。ちょっぴりニューウェーブのかほり。
勿論、ギャグがあったり、定番の演出やシリアスがあったりで、凄く面白かったです。
現代人が観て、充分楽しめる演出と内容。

牡丹灯籠は、牡丹の描かれた灯籠を持った美女の幽霊が、夜な夜な恋人の元を訪れて、遂には冥界へ連れて行く…というお話だったと記憶しております。
いや、ちゃんと観たことないんですよね。
っていうか、自分でも訳わからないのですが、私の中では何故か『耳なし芳一』が若干混ざっていた(笑)。

ストーリーは単なる幽霊ものではなく、結構な長さのドラマがありまして。
登場人物も多く、それぞれにドラマが絡まって行くという。
ラストまで観たら、実は因果応報の話だったのねー。
と思った私でございました。




そんな訳で、劇中で使用されていた(ような気がする)、東京スカパラダイスオーケストラの『ゴッドファーザー・愛のテーマ』でございます。







役者さん方もよく訓練をされていて、声も通るし滑舌もいいし、何より演技のテンポが良くて。
私の後ろは照明等の卓だったのですが、スタッフさんも笑っておられました(笑)。

本当に完成度が高くて、凄く面白かったですよ!
7月10日が千秋楽だそうです。
ちょっぴり空席があるそうなので、是非観に行ってみて下さいな~。






先日の記事で、『理想の両親をイメージする』というようなことを書きました。




インナーチャイルドワークと言って、傷ついた子供時代の自分を癒す為のイメージワークがあります。
やり方は色々ですが、基本的には


・傷のある年齢まで戻る
・本来欲しかった何かをイメージする
・「if」の観点から、良いイメージへと書き換えを行う



みたいな感じです。
イメージの中には両親や祖父母等、当時の自分の目線から見た"大人"が登場します。
中でも父母の登場率がダントツに高く、如何に我々が両親の愛に飢えているかが分かります。





ところで、このようなワークを行い、心身共に楽になって現実世界へ戻って来たとしましょう。
実際に今でも両親、或いはどちらかが健在である場合。
更に言うと、昔の自分にとってトラウマの原因となった人物が健在で、連絡を取り合う仲であったり、一緒に住んでいたりする場合。
イメージの中でやってくれたように、愛に溢れた行動を、果たして現実の彼らは取ってくれるでしょうか。

えー、結論から言いますと、非常に非常に難しいと思います。
でも、イメージの中でそういう言動を取ってくれたなら、やっぱり現実でもそうあって欲しい。
と思ってしまうのが人の性。



という訳で、このやり方だと現実で傷つく⇒イメージで癒す⇒現実で傷つく⇒イメージで…(以下略)というループに填る可能性が非常に高い訳ですね。
そこで、代替案として推奨したいのが、『理想の両親でイメージワーク』です。


・好きなタレントさんや有名人、またはオリジナル(笑)の素敵な人を両親に設定
・愛と喜びと幸せ100%で、産まれる前からイメージをしてみる
・自分がして欲しいこと、言って欲しいことだけを言ってもらい、やって貰う
・今の年齢まで育てて貰ったら、いつでもイメージの中で出迎えて貰えるようにする



以上。
大まかにこんな感じです。



あくまで私の経験上ですが、まず暫くは実の親でのインナーチャイルドワークをした方が良さそうです。
頃合いを見計らって(イメージワークに慣れて来たら)、理想の両親によるインナーチャイルドワークに切り替える(併用もアリ)。

プラスの現象を起こすには、プラスのイメージを沢山作る所からスタートすることが大切です。
それにあたっては、こういう形を取った方が良さそうだなと思います。
フィクションだっていいじゃない。所詮はイメージの世界よ(笑)。
これはもちろん、インナーチャイルドに関するワークをやったことがある方に向けての情報ですが、自分を見つめたり傷を癒すことに興味がある方は、是非お試しになってみて下さいませ。




因みに普通の(笑)インナーチャイルドワークは、毎月開催している癒しのワークショップや、個人セッションでも行います。
これはこれで、使えるテクニックです。
イメージワークに慣れていく内に、自分でも出来るようになって行きます。
おうちで自分を癒せるので、是非是非やり方を覚えて頂ければと思いますよー。



…というところで、7月のワークショップは10日(日曜)に迫っております(詳細はこちら)。
残席僅かですので、ご興味のある女性は是非♪







最近、自分の中で「もーめんどくさいなあ」とか「うぇーヤだなあ」と思うような出来事がありました。




己が目に映る森羅万象は、自己の鏡である。
といういつものアレ(笑)に基づいて、途中まで色々見つめていたのですが。







「飽きた」







と、取り組むことを一切止めてしまいまして。
投げた訳ですね。何処かへポイッと丸投げ。
見つめていることや、その問題に関わっていること自体に、突然飽きちゃったんです。
それからちょっと経ったら、その出来事の詳細を上手く思い出せない自分に驚いたという(笑)。




これは嫌で逃げたのでも、見つめることを拒否したのでもなく。
"手放した"ということでありまして。




「これまであまりにも見つめる癖が付いてしまっていたものの、もしかしてとっとと手放せば色々と早く終わってたんじゃね? いちいち取り組んでたから、終わらなかったんじゃね?」





という風に、非常に今更ながら考え込んでしまった訳ですよ。
問題を解決したくて取り組んでいたのに、取り組むことによって延長戦に突入していたりする場合も、なきにしもあらず…か? と。
なんだかちょっぴりパラドックスな感じもしますなー。






問題というのは、マインドが「これは問題です!」と決めてかかることで脳内に発生するのですが、んじゃーこれを止めてしまえば良いじゃないか。
問題が問題じゃなくなれば、どうにかする必要性も消失する。
一番早いのはやっぱり、手放すことだな~って。
本当に本当に、ちょー今更なんですが、基本に立ち返った感じがしました。
なんか最近の私、こういうことが多いなあ。



しかしそれが出来ないのなら、取り組んでもOKだと思いますよ。
見つめる、取り組む、癒す、解放する。
当然アリアリ。アリですとも。

でも、一番早いのは手放すこと。
隠すのでも、棄てるのでも、諦めるのでも、目を逸らすのでも、逃げるのでもなく、丸ごと執着を止めてしまえば話は簡単です。



「執着を捨てる」
と言うと、ちょっと難しい気がします。
分かっちゃいるけど、止められない。
そんなもんです。

なので、飽きるまでやるのもまたアリだと思うのですよ。
とことんまで100%全力疾走で執着してみて、どんつきまで突き進む!
…多分、そのうち飽きます(笑)。
若しくは、疲れて止めるとか。




言い方は全く違いますが、『飽きる≒手放す』でも、これはこれでアリなんじゃないかなーと思った出来事でした♪






私はまだまだ自分を癒し、解放し続ける日々を送っております。
この人生で終わりますよーに。
等と願いつつ(誰に?)、そりゃもう懸命にやっている次第でございます。



今年の4月。
ある日、自分の脚に異変が発生しているのを発見しました。
脛の中央に腫れ物が出来ていまして。
ただ、触っても痛くないし、痒くもない。
一体これは何事か?


暫く考えまして。
「今、自分に取り組んでいるバーストラウマから来ているのではないか」
という結論に達しました。
要するに好転反応というやつです。



お世話になっているセラピストさんとも相談し、とりあえず様子見で。
ということになりました。
別にセラピストさんが好転反応だと言ったからではなく、私がそう思ったからという理由で放置(笑)。

って、放置はしてませんでしたよ。
脚は愛情と深い関係があるということで、「脚に出た=愛情が欲しい」と身体が訴えているのだという風に解しまして、それから脚のお手入れ・セルフヒーリング等を毎日続けて来ました。
腫瘍のように見えるその部分は、ちょっとだけ大きくなって色が変わったものの(直径2センチ位)、それ以外は普通にしている限りで変化も無く。
私は黙ってコツコツと、日々のお手入れをしておりました。



そして今日。
遂に弾けたですよー。
中から脂肪と血液が流出。ちょっと膿もあったのかな。
おー遂にか! と、ビックリ…もしませんでしたけど(笑)。
何にビックリしたって、脂肪がどうしてわざわざ脛に溜まるのかね。ってことです。
考えたところできっと分からないと思うので、分かる日までそこは置いといて。

発症してから、足かけ三ヶ月かかりました。
とは言え、それまでン十年間飢えていた訳ですから、これだけで済んだことを喜ぶべきではなかろうかと。
勿論、違う場所にも色々な症状は出ていますが、これはそこそこ驚きました。
見た目で凄く分かりやすかったし。




私以外の人で好転反応として噴き出したものとしては、身体に刀傷が浮かんだとかいう例もあるそうな。
多分過去世のトラウマか、はたまたご先祖か。
どれかは分かりませんが、何にしても潜在意識下に蓄積されているという意味では、全て同じことなのだと思います。



そんな訳で、任期満了(?)してちょっと嬉しかったというお話。








先日、イメージワークをしたのです。




・好きな同性の芸能人やモデルさんなど、有名人を一人挙げる




ということで、私はモデルさんを一人選びました。
なんで好きかと言うと…という風に掘り下げて行って、更にイメージ。
その方のエネルギーを感じて、そのルーツを探って行くという作業をまして。
そうしたら、「お父さんに愛されて見守られている」というその方のバックボーンを私はイメージした訳です。

勿論、あくまで私のイメージに過ぎませんから、実際の所は関係ないかも知れません。
私は彼女をいいな、素敵だなと感じていた理由として、そういう部分を何処かに見ていたのだということです。


更にイメージの中で、その守られている感覚や愛されている背景を持つ感触を、確かめてみました。
おお、こんな感じなのか…いいなあ…こりゃ楽そうだなあ…。
やっぱり、成功する人はスタートラインが違う場所にあるのねー…。
といった感想を得た私でございます。

知ってはいたものの、やっぱり「この人いいなあ」と思うからには、必ず理由があるんだなーと思いました。
しかも、自分に欠落した要素を持っているから、という理由が大きいのかも知れません。
表面的には意識していなくても、識域下では必ず理由があって、そこから発生しているのでしょう。


勿論、イメージで統合もしました。
いいな、羨ましいなで終わったら意味ないし(笑)。
こんなことを再確認して、「あーそっかー」と頷いた次第です。
他の人に関しても探ってみようかなと考え中。





ところで私は父親に愛されていないとか、そういうことではないです。
ただ、欲しい形で貰えなかったと思っている。そんだけです。
だけど、子供にとっては『欲しい形で欲しい人から貰う』ということは、とーっても大切なことだと思います。

そういう部分から、齟齬が発生しやすい訳ですから。
「これはおまえを愛している故なのだー!」
と言われながら殴られたりしても、子供はそう受け取らないでしょう。
子供に限らず、他人同士だって有り得ない。
という訳で、欲しい側が満足出来るかどうかに、その後の欠乏感や満足感などが掛かっているのだと思いますね。




そして、異性に関しても、なんであってもきっと同じなのだと思われます。
別に有名人でないとしても、身近な友人などで好きな人というのは、何らかの理由があり、日頃そこを意識することがないだけってことでしょうね。

いやー、基本に立ち返った感覚でした。
面白かったわー(笑)。






ワークショップ参加者の方には度々お話ししていますが、古いパターンを刷新しようとしたり、何かを決断すると、それを試すような出来事が必ず起こります。


「転職しよう!」
と思った瞬間、昇進や給与増額の話が来たりする。

「離婚しよう!」
と思った瞬間、配偶者がやたら低姿勢に出て来る。


この辺りが分かりやすい例ですが、大体100%満足のいく内容ではなかったりします。
ここで「いやいや、騙されませんよ?」とそれを躱した所で、更に高度で巧妙なトラップがやって来ます。
そうですね、振り切るまでは大体3回位こういうことがありますね(経験者は語る)。

で、こういうことがあると、私って試されてる? と思ったりします。
神様や宇宙は人を試すような真似はしませんから、残るは自分。
そうですよー自分がやってるんですよー。
自分っていうかマインド、エゴのトリックですよー。
それもこれも、これまでのパターンを続行する為に他なりません。


大概はどっかで躓きます。騙されます。
誰かにではなく、自分に。
で、「やっちまった!」と後で気付いたりする、と。




それまでのパターンを手放す時、痛みが伴うことも多くあります。
痛みと言っても産みの苦しみみたいなものですが、やはり辛かったりもする。
その痛みを怖れて、前進出来ないことだって、よくある話です。

ワークショップに参加して下さっている方が、最近起きた出来事をまとめて下さいました。
皆さんのご参考になるかも知れませんので、ご本人の許可を得ました上で掲載させて頂きます。






[more read]

自分に取り組んで行く中で、受け皿の状態は非常に大切だなと思います。
受け皿=肉体です。

ここ暫く、タンパク質タンパク質タンパク質あと栄養素栄養素ー!
と、かなり五月蠅く書いていますが(笑)、だってコレ本当だったんですもの。
自分で人体実験した結果ですよ。



単純に、体力とか持久力が…ということもあります。
そして他にも。

自分の中にある感情的なブロック、観念的なブロックが癒され解放される時に発生する、『好転反応』。
これがね、身体の状態が良いことによって、かなり軽くなるということが判明しました。


私は抱えているブロックが多すぎること、またそれぞれが根深くて大きいというのも手伝って、解放の度に身体がその衝撃を受けきれず、いやーもういちいち痛いことこの上なかった訳ですよ。

「痛い」っていうのは比喩表現ではなくて、本当に身体が痛いんですよねー。
解放の体験をしたことがある方ならご存知かと思いますが、関節が痛いとか内臓が痛いとか皮膚が痛いとか、色々な出方をします。
勿論、痛い以外の感覚でも出ますが、痛いっていうのが一番自覚しやすい。
このことからも、感情のエネルギーが滞留しているのは、主に身体なのだと思えます。



しかし、身体が受け皿として充分に機能していなかった頃は、受け止めきれないものが別の箇所に出ておりました。
それは、"環境"。
主に対人関係の中で、ドカーン! と出たものです…。
そりゃもう本当に、地雷を踏んだどころではなく、"爆弾が降って来た"みたいな出来事で噴き出していました。

自分の中では「ああ、好転反応か…」と分かるっちゃ分かるのですが、だからって嬉しい訳ではなく。
嫌なもんは嫌。
ってことですよ。


これがまた嫌で嫌で嫌で嫌で仕方無かった(笑)。
自分に取り組み続ける以上、必ずバックラッシュが発生するのを知っている。
それが嫌だと癒せない。だけど今のままでは苦しい。どないしよ…という永久ループが発生しまして。

一応、『このままで居るのは嫌だから、好転反応も許容範囲内と思って取り組む』ということにして来たのですが、いつも何処かで憂鬱で、「今回は何で出るんだろう…はあ…(遠い目)」みたいな感じでヨレヨレしていました(笑)。




それが、栄養に気を付けて身体中心に生活していたら、好転反応がうっすい!
薄いって言うか、軽い? 小さい?
いや、もしかしてブワーっと噴き出さなかったのだろうか。

何にせよ、ラクだったんですよ。
一番のネックだった、対人関係に殆ど出なかったんです。
身体が受けきれるレベルになったんだと思いました。



友人から
「好転反応が分からない。どういう症状のこと?」
という話を聞きまして、
「ぬぁああにぃいい!? こっちは毎度ヒイヒイだっつーに! 無いっていうのは幸せなんじゃー!」
と思ったのも、つい先日の話ですが(笑)。


そういう訳で、今後も栄養を意識して行くべーと思っております。




プロフィール

Sachi

blog owner:Sachi
潜在意識を活用した、ちょびっとスピリチュアルな総合セラピー、癒しのワークショップ・タロットカードセッションをしているSachiです。
穏やかに楽しく成長出来るよう、入手した情報や、日々の気づき&
発見などをシェアして気ままに更新。
イベント情報も随時掲載中です♪

旧blogタイトルは『気づきのステップ』。

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