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Category : 自己ワーク

◆ Infomation

【works】
★ヒーリングセラピー個人セッション
 都内で対面式の個人セッションを行っています。
 幸せと癒し、学びと気付きを得たい方へ、様々に対応させて頂きます。
 潜在意識を日常へと活用することで、より良い人生へ変えることが可能です。
 随時お受けしておりますので、サイトをご覧下さいませ。

★癒しのワークショップ
 毎月一度、都内で女性向けの体験型ワークショップを開催中です。
 沢山の変化・癒し・浄化・成長・気づきを促すテクニックが山盛りです。
 2018年2月18日・3月18日(全て日曜)
 の開催が現在確定しております。
 ※以降の開催は決定次第upして参ります。
 ※それぞれ内容の詳細はサイトをご参照下さい。

節分、立春を過ぎまして、暦の上では春ですねー。
とは言え、まだまだ寒い日が続きます。
心身共に、暖かくしてお過ごし下さいますように。



何かを変えたい、良くしたい、手放したい、問題があると言う時、私達は「周りがこうで、誰々がああで…」ということには強く注目します。
でも、『自分が何を言い、何をしているか』については、殆ど意識を向けないように思えます。

例えば
「誰々に○○って言われた!」
と言う時、何故言われたのか、その前に自分が何をしたか、言ったか…というような、自分からの入力情報を見落としがちです。


自分が日頃、自分以外に対してどのような姿勢を持っているか、態度を取っているかというのは、使っている自己像が元になっています。
それは『事実』ではないかも知れません。
「私は○○の"筈"だ!」という勘違い自己像かも知れませんが、とにかく使用中の自己像ではあります。

仮にこの自己像が、事実を遥かに凌ぐとんでもない高さだったとすると、あらゆることに不満を持つでしょう。
年齢や立場的に当たり前のことをする時でも、「何で私がこんなことをしなきゃいけないの!?」と怒り狂うことになるでしょうし、周りが常時褒めちぎらないと「周りがおかしい!」とプンプンすることになるでしょうし、現実と接点の無い荒唐無稽な夢を語ったりもします。


こういった生活態度で過ごしていると、自分にとっては呼吸をするように当たり前の言動が原因でトラブルを起こしたり、他人様に悪印象を与える、それを他人様や自分ではない何かのせいにする…というループに入ります。
特に対人関係では、自分では何が悪いのか全く自覚していないのに、相手からは非常に強い嫌悪をされ…ということになりかねません。
「私は何も悪くないのに、相手が私のことを凄く嫌うんです!」と言いたくなるような結果を体験するかも知れないですよね。

実際は『超・上から目線』で他人様に接しているのに、自分の頭の中では「私は自信が無い」と言い張っていたり…ということも多々あります。
自分で思い込んでいる自分の状態と、実際の言動・態度が逆。そういうことも珍しくありません。
そうすると、体験する結果に強い不満を抱くんじゃないでしょうか。


潜在意識の世界のルールには、『投げたように返って来る』というものがあります。
言い方を変えると、『入力通りに出力される』です。
そこには量や質のブレも違いも無く、自分の思考の通りの体験をする、ということですねー。
でも、前述のように『自覚無く行っている言動や態度』によって、「私はこんな結果を招くような態度を取っていません!」「こんな風に思っていない!」と言いたくなったりするような体験をします。

しかし、結果が出たならそれが現実です。
理由、原因が必ずあります。それも、自分の中に。
日常の自分の言動、態度、姿勢、他人様に向けて何をしているかをよくよく注意して拾う練習をすることは、とても大切だと思います。


私個人のことを振り返っても、自分の言動や態度に無自覚であるが故に招いたトラブルは沢山ありました。
本当に酷かったなーと反省しきりです…申し訳ないとしか言いようがございません…。

この時、「もうやらないようにしよう」だと、根元を断つことが出来ません。
「私は何故、あんな態度を取ったのだろう。それは何の為だろうか」
と、しっかり自分の姿勢から見直さねばなりません。
この見直しを行う際、本当に見直すのであれば、私達は自分の自己像に向き合うことになります。


他人様にどんな態度や言動を取っているか


というのは、


他人様を何だと思っているか


であり、更に


自分を何だと思っているか


でもあります。




これが一直線に繋がると、「あっ」と気付きが訪れ、深く反省することになります。
しかし途中で切り上げてしまうと、繰り返します。

途中で分かった気になって引き上げるのではなく、何度も何度も見直すこと、分かったような気がしても、自分の気持ちや態度が変わらないのなら理解していないのだと肝に銘じ、更に見直すこと。
この姿勢を大切にすることで、根本的な部分からの癒しや理解が可能になります。


複数の他人様に確認を取ることも、可能であれば是非。
「私、あの時どういう態度だった? どういう風に見えた?」
というように、「自分ではこういうつもりだった」というのと、『実際相手からはこう見えていた』内容の整合性を取るのは非常に良いことです。

ここに齟齬があるなら、「ちょっとはそうだったかも知れないけど、そこまでじゃない。相手が分かってくれない!」のではなく、「あっちからそう見えたということは…」と、相手目線で見直してみるんですねー。
「じゃあ、実際はどうだったんだろう。一致するように自分の思い込みを取り払ってみよう」と視点を変えてみるのもアリでしょう。


何にせよ、自分の言動には細心の注意を払うことが重要です。
まずは、そこからです。



外が大雪で凄いことに~(笑)。
東京の雪は湿気が多いので、直ぐに凍って冷凍庫みたいになっちゃいますね。
そうなると溶けるまでがなかなか…です。お外を歩く際にはご注意下さいませ。

暦の上では大寒を過ぎまして、ここから暫く非常に寒い時期に入ります。
どうぞ呉々も暖かくしてお過ごし下さいますように。


去る21日は今年最初のワークショップ開催日でした。
ご参加下さいました皆様、まことにありがとうございました。
今後は2月18日3月18日と続きます。遊びにいらして下さいね~。



毎月色々テーマはありますが、詰まる所
『自分の思考を直視する、本当のことを見る、現実を認める』
という一点に集約されています。
これを経ずして『良い人生にする』とか、『問題を解決する』『幸せになる』『受け取る』といったことは事実上不可能です。

「これは私の心が作り出したドラマなのだ」
と気付いて行くこと、誰かのせい、親のせい、運命や先祖や何か自分以外のものせいではないのだ、という足場に立って初めて、「じゃあどうしようかな」という次の展開に入ります。


あくまでよくある話を挙げますが…。
「超の付く有名人になりたいと子供の頃から思ってたのに、全然ならないまま年を取ってしまった。自分の心の中には何か根深いトラウマがあるに違いない。何十年もなってないけど、これからなる筈だとまだ思ってます! だってそういう人いっぱいいるし!」
「玉の輿に乗りたい、何でもやってくれるイケメン王子に一目惚れされる筈だと思い込んでいるのに、全然ならないんですけど! でも私は超可愛いしお姫様だからなる筈だって思ってます!」
と言い続けて来たとすると、『思っている(筈)、なのにならない』その理由は、自分の思考の中にあります。

長年に渡る「そう思っているのにならないなんておかしい!」という思考を大元から疑うこと、「抑々私は本当にそれを思っているのか」と疑うこと、「ずっと思ってる!」という前提自体を疑うことをやってみて、大変な衝撃を受けた方もいらっしゃいました。
「私、望んでいない! 思っていない! その考えが自分の中に全く無い!! ウソー!!」
「何十年もそれに縋って、その為だけに生きて来たのに!」

というショックは大きいでしょう(お察しします…)。暫しの間のことですが。


前回の記事でも書きましたが。
『自分がこうなる筈だ云々』以外に、『自分が関わる他人様との関係』についても全く同様のことが言えます。

例えば浮気性の異性とお付き合いしている場合。
「あっちが悪い! 私は被害者だからあっちが変わるべきだ! どうして!? 何で!? 酷い!! 酷い!!」と捲し立てているでしょう。
ここで相手を責めたり無理矢理現象に組み付くのではなく、
「自分の中に、この人が私一筋になってくれる、という考えはあるかな? 浮気をしなくなって、それまでの自分が悪かったと謝って、私が望んでいる通りになる…という考えが私にあるだろうか。はっきり明確なイメージがあるかな?」
と、自分の中を探してみるんですね。でも、見付からないと思います。
もし「そう思ってます!」と言い切れるなら、現実体験していることは何なの? って話になりますから。
先ずは「これが現実なのだ。事実なのだ」と完全に認めないと、その先がありません。


現実と接点が全く無いのに「私はこうなりたい、あれがいいと思ってる!」と息巻いてしまう、この考えの正体は何かと言えば、『事実の否認』です。
分かり易い言い方に換えると、「嫌だ! 嫌だ!」オンリー。
見るもの、体験することに対して片っ端から「ああ嫌だ! 何でこうなの!? どうしてよ!!」と文句を言いまくっているだけです。
良いことを望んでいる訳ではないし、これに代わる明確なイメージを持っている訳でもなく、ただ否定を続けて自分は被害者だと言いたいだけ…なんです。

あくまでも事実体験したことに関する否認・否定の思考が主軸で、オマケのように「私はこれがいいのに!」を申し訳程度にくっつけているだけであって、これがメインの思考なのではなく。
でも、フェイクでくっつけたその言葉を繰り返す内に、「私はこれを望んでいる筈なのだ!」がメインのような錯覚を自分に対して起こしてしまうという訳です。
私も昔、やってました(笑)。


しかしある時、「『これは嫌であれがいい』と言ってはいるものの、はっきりとそのイメージが出来るかな? そのビジョンが見えるかな?」と我に返りました。
自分に問い直してみると、「あ。出来ない。口だけ動かしてる…」ということに気付きました。

『良いイメージをしましょう』と各種書籍に書いてあり、多くの先生方も仰っているのに、するもしないもそのイメージが私の中に無い。
土台になるものが無いのだから、頑張りようがない。つまり、「嫌だ」と言うこと自体から無駄だった。
私がしていたのは、ただ動かぬ現実に対して「嫌だ! 嫌だ!」と文句を付け続けるだけのことでした…。
と気付いて、力が抜けました。「何やってんだ自分…」って。ヘナヘナです(笑)。


ここで更に、「嫌だ嫌だと言ってはいるが、この現象を変える必要が果たしてあるのだろうか。あるとしたらそれは何の為だろうか。私の人生に対し、どんな影響があると言うのだろう。どうしてもそれが私の今後に、幸福に、絶対に必要なことだろうか」と自分に問い直しました。

また、「というか抑々私は何故、この現象を見ているのだろう。この体験は何なのだろう。理由はどれだろう。結果が出ている以上、はっきりした出所が、原因がある筈だ…」とも考えました。
何度も、何度もです。粘って粘って、何度も「何故だろう」と問い掛け続けました。
それっぽい理由が浮かんでも、「なーんかピッタリ収まらないなー」という時は、保留。更に疑問を持ち続けました。


結構な時間が掛かりはしたものの、諸々のプロセスを経て「あっ! 私だ! 私が…!!」という結論に達したのです。
あらゆるトラブル、問題の原因は、「自分の思考がこうだからだ、私がこう思っているからだ」という理由以外に行き着くことは本来有り得ないのではないかと私は思います。

病気然り、対人関係然り、我々が体験する問題の全ては、自分の思考。
そこに理解が行って初めて、「ああ…!」と腑に落ちる体験をします。
勿論、前述のように「思っている筈なのにならない!」という件についても同じです。


私がこう思っているから。
私がこう思っていないから。


そのどちらかです。


この観点に立って、不満の残る何かや納得の行かないあれこれについて、見直してみられると良いのではないかと思います。
一つずつ、回収して行きましょう。何事も毎日コツコツと、がお勧めですよー。



そろそろ一月も折り返しですね。
今年が始まって二週間過ぎてしまいました。この調子だと直ぐに来年が来てしまいそうな…(笑)。



今日は『思考の点検』のお話です。


私達が体験する現実とは、『自分の中(主に潜在意識)にその考えが実在するもの』『自分の心がそれを信じている』と言うことが出来ます。
これは多くの先生が仰っていることで、事実その通りです。

顕在的に「私はあれが欲しい!」「これになりたい!」と言っていても、それが顕在意識のみのことであれば、現実化はしません。
恋愛や友人や家族等の人間関係についても同じです。


例えば、自分のことを思い出すとですね。
昔、振られた人に関して振り返ってみると、『その人から好かれる』という思考を探してみても、私の中にありませんでした。
『その人と仲良くお付き合いをする』という思考、イメージも全く無し。見付からない。
また、しょっちゅう揉めた相手とのことを振り返っても、『相手が私に優しく振る舞ってくれる』という思考が存在しませんでした。
スッカスカのスッカラカンで、それはもう気持ちいい程です…。

なので、自分が体験した結果については大納得でございます。
「自分が思っていないこと、思考として持っていないことは体験しないのだ」
というルールを、以降何度も確認することになりますが、この時もそうでした。
「何が駄目だったんだろう」とか、「辛いよー」とか言っている時間が勿体無かったなー…と遠い目です…「何で」じゃないわ。自分だっつーの(笑)。
相手の方は、私の中にある思考を演じて見せて下さっていたのです。
これらの思考も出所がはっきりあるのですが、それはまた別の機会に。



「『自分の中にその考えがあるか・無いか』を検索する…とは言っても、そう簡単には出来ませんよー」
と思う場合は、実際に出した(体験した)結果から、自分の思考を探してみると良いでしょう。逆算方式ですね。

例えば上記のように、「○○さんに振られました」なら、「私の中に○○さんに好かれてお付き合いをするという考え(イメージ)がはっきりあるかな?」だし、「○○という会社の試験に落ちました」なら、「私の中に○○という会社で働くイメージ・思考が実在するだろうか」です。
もしその思考が自分の中にはっきりあるとしたら、もうそうなっているんですよね。
だから、この二つが食い違うことは有り得ません(「思ってるのにならなかった!」ということは無い、という訳です)。


「上手く行かなかった、駄目だった」と言うよりも、『"その件が上手く行く"という思考自体が、自分の中に存在しない』。
そういう見方をしてみると、「あ、無いわ」と気付くかも知れません。
「振られた!」「落とされた!」という「~された」な文章にしてしまうと、結果をコントロールする権利が相手にあることになって、自分は被害者モードになってしまうので、ここは注意ですね。

「もしもあの時ああだったら」「あの時、受かっていれば…」という考えには本当に実利が無いので、オススメしませんです。
事実ではない訳ですから、出した結果に即した言葉にするのが正解であると言えます。



願望実現のセオリーでは「強く思えば実現する」ということが言われていますが、幾ら顕在意識だけで強く思っても、潜在意識に響かない限り何の結果も出せません。
ただ、「何でならないの!」と苛々したり腹が立ったりするばかりです。

自分が信じている…ような気がしていること、つまり顕在的に思っていることを再点検する癖を付けることは、とても良いことだと私は思います。
「…の筈だ!」と思っていたいことと言うのは、何らかの事実を否認している上に載せた飾りであるケースが大変多いのです。
何か別の、認めたくない事実がその下に隠れていますから、引き寄せを試してもアファメーションを唱えても、ならない。
ならないならない、でもなる筈だ、おかしいと言って余計腹が立つ、の繰り返しです。


上手く行かないなーとか、失敗だと思うようなことがあるなら、「私の中に、それが上手く行く(成功する)という考えはあるだろうか」と問い掛けてみる。自分の中を探してみる。
或いは、「自分の態度がこのままで、自分の状態がこれのままで…」という前置きを付ける必要があるかも知れません。

問い掛けを続けると、「本当に自分の思考を体験しているんだ!」ということに徐々に気付いて行くでしょう。
そうすると、相手のせいにしていたことや、被害者気分でいたことも、段々と正しい認識に糺されて行きます。
結果に納得してしまえば、気持ちがラクになって行きますね。


体験したことに納得が行かないままだと、ずっと不快な気持ちを引き摺ります。
または、パターン化させてしまうことがあるかも知れません。
沢山の出来事を一つずつ完了させて、すっきりした気持ちで歩みを進めたいと私は考えています。



先日は12月度のワークショップでした。
長時間に渡り、御参加下さいましてありがとうございました!
今後のスケジュールは後日更新しまーす。



捕捉的に、『日常体験についての意識の向け方』をちょっと書いておきます。
リピーターの皆様には度々ご説明申し上げているのですが、改めまして。



何かを体験した時に疑問を持つにあたり、

「○○さんは何故、こうする(しない、言う、言わない)のだろう」

と考えてしまいがちですね。
でも、これだと答えが出ないんです。

だから、



「私は何故、この体験をしているのだろう。これは私のどのような考えを表しているのだろう」



が正しい疑問の持ち方です。




何故なら、自分の心の中にその理由があるからです。
主語を自分にして問い掛けないと、他人のせいで終わってしまいます。
しかも、好転させるとか、良いゴールを迎えることが出来ないままです。



私達は毎日、自分の心の中で起きている出来事を見ています。
自分の心の中を見る、認めるのは怖いこと。見たくないものが沢山あるから。
何処かでそう思っているからこそ、「あれは自分とは切り離された外側で起きているのだ」と言いたくなります。

人のせいにしておいた方が、ラクなような気がします。
でも、解決はしません。
大体は不幸な結末、後味の悪い結末になります。
気分的にも、自分はずっと怒ったままだったり、思い出す度に嫌~な思いを繰り返します。



でも、自分の心の中で起きているならば、自分の考えの間違いに気付き、改めることが出来ます。
他人様は、自分の思考を態々演じて教えて下さっているのです。
潜在意識と自分の体験の整合性が取れて行くと、心底びっくりします。

例えば、他人様から「お前が嫌いだ」と言われたなら、何らかの理由があって「私が私のことを嫌い」なのです。
凄く簡単に言うとこういうことです。
だけど、自分を嫌っているなんて嫌ですよね。認めたくない筈です。
それに、自分のことが嫌いなんて言ったら、自分の中にはっきりした非があることになってしまいます。
それを見るのも嫌だし、人に見られるのも嫌。隠している気持ちがばれるのは、とっても嫌なんです。

だから、「凄く嫌な気分だ。これは自分を嫌っている相手が悪いということにしておこう、そのせいで気分が悪いのだ。変わるべきは相手なのだ」と考えます。
この考えを持ち出すと、一瞬自分の身を守れたかのような気がしますが、根本的な解決を迎えた訳ではないので、また同じことが起きます。
少なくともずっと嫌な気分を引き摺ります。



「あれは私だ! 私は自分のことをこう思っている!」
と気付く時、目の覚めるような体験をします。
冷水を浴びせ掛けられるかのような感覚かも知れませんし、目から鱗…という感覚かも知れません。
何にせよ、大変なショックを受けます。

「自分の体験と自分の心は本当にイコールなのだ、誰かが私に対し言っていたことは、自分に対する私の考えなのだ」
と理解するなら、それまで敵視していた人や、嫌な人だというレッテルを貼っていた方に対し、詫びる気持ちと共に感謝の気持ちが生まれるでしょう。
それを演じて下さっていたことが分かるからです。


「そのような形で見せて下さらなかったら、私はいつまでも自分の心に気付くことが出来ませんでした。私の心、私の間違った考えをあなたが見せて下さったからこそ、私はここで気付いて改めることが出来ます。ありがとうございます」

ですね。

自分を悩ませる問題だったことが、最終的にはそこに漕ぎ着けると、本当にラクになります。
奇跡のコース/テキスト』にも書いてありますが、


『理解するということは、有り難いと思うことです』


ということなのです。
綺麗事ではなく、本当にそうです。



ただ、ここに至るのには理解のプロセスを辿ることが大半でしょう。
いきなり打てば響くことは少ないのではないかと。

現実をよくよく見ましょう。
これが自分の心です。
自分に対する自分の思考です。
嘘だと思いたくても否定したいとしても、とにかく「そうなのかも知れない」と思ってじっと見つめる所から、です。




今日で11月が終わりますね。
あと一か月で来年です。うーん、毎年思いますが、あっという間です。





自分のパターンを変えられない、人生を変えられない、繰り返してしまうという時、とても苦しい思いをします。
変えたいのに変えられない、それがどうしてか分からない…という葛藤で、罪悪感で、自分の首を絞めている状態です。


「これを見なきゃいけない、でも見たくない」
「(事実を)認めなきゃいけない、でも嫌だ」
「これを変えなきゃいけない、でもどうしてもそれが出来ない」
「こうせずにいられない! やめたい! でも出来ない!」
「あれをしなきゃ、これをしなきゃ」


と頭の中で逼迫している時、怖れに追われ、雁字搦めになっています。
そうすると、結果的に罪悪感を増幅させ、同じ場所をぐるぐる回ることになるでしょう。
そこで、時にご提案しているのですが。


「これをしても、しなくても、どちらでも良いのだ」
「出来ても、出来なくても、どちらでもいい」
「このまま生きて行っても良い。これまでの繰り返しを続けても、ここで手放しても別にいい」
「これが絶対に必要な訳ではないな」



と自分に伝える時、思考に隙間が出来ます。


「どうせしなきゃいけないんでしょ! でも絶対に嫌だ!」
「駄目だって思っているのに、これが無いと(しないと)いられない!」
「あれをしなければ、これをしなければと自分を追い立てずには居られない」


等という強迫的な思考を自分に使っていると、ずっと同じ行動を反復的に取り続けます。
結果、苦しい思いを繰り返すでしょう。
自分を責め、でもその自責の念から逃れようとまた足掻き…を繰り返してしまう。

でも、「どちらでもいいのだ。この瞬間、どちらを選ぶかは自由なのだ」と自分に伝えられると、ほんの僅かでも隙間が出来ます。
その僅かな隙間の中にじっとして、自分を緩めた時、それでもそれをしたいのか、不要だなと自然に思えるかはまた分かりません。
どうしてこれまでその考えを執拗に使い続けていたのか、その原因に気付くかも知れない。
それをすることで実際は何を試みていたのか、またそれが何故一度も叶わなかったか、気付くかも知れません。


しても、しなくても。
出来ても、出来なくても。
分かっても、分からなくても。

どちらでもいい。
絶対に必要なのではない。



ガチガチに固まった考えに隙間が出来るよう、自分にゆっくり繰り返し伝えると良いのではないかと思います。
先ずは、自分の考えを緩めること。です。

勿論これは、「どっちでもいいや。じゃあ無かったことにしちゃえ」「逃げちゃえ」ではありません。
「どちらも、選べる」のです。
どちらかに吸い寄せられる、どちらかに引き付けられる、どちらかを凝視しておきながら目を逸らす、ということではないんですね。
「ああ、私は本当にどちらかを今、選べるのだ」という理解をすることです。

どうしてもそうは思えないよーと言う時、「私は絶対に○○しなければならない、何故なら…」という考えがその下にあります。
じっと堪えて、その考えの正体をよーく見てみると良いでしょう。
これを見るのが嫌で、何かせずに居られなかったりするので、逃げ出したくなるかも知れませんが、じーっとしてじわ~っと見る。
勿論その時、「この正体を見ても、見なくてもいい。どちらをするか、私は選べる」という選択を自分に与えることも出来ます。どちらでも良いからです。


自分に選択の余地を与える、その余地がある、というのを思い出させる為に、是非、語り掛けてみて下さい。







プロフィール

Sachi

blog owner:Sachi
潜在意識を活用した、ちょびっとスピリチュアルな総合セラピー、癒しのワークショップ・タロットカードセッションをしているSachiです。
穏やかに楽しく成長出来るよう、入手した情報や、日々の気づき&
発見などをシェアして気ままに更新。
イベント情報も随時掲載中です♪

※記事の内容、情報については一個人の捉え方、考え方に纏わるものが大半です。
絶対的な事実という訳ではありません。
また、私の理解や気付きの段階に応じ、記事の内容にも随時変化がありますことを何卒ご理解下さい。
※過去の記事をご覧になってセッションやワークショップにご興味を持たれた方は、必ず最新記事近辺を幾つかご確認下さい。
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旧blogタイトルは『気づきのステップ』。


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