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Category : 自己ワーク

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【works】
★ヒーリングセラピー個人セッション
 都内で対面式の個人セッションを行っています。
 幸せと癒し、学びと気付きを得たい方へ、様々に対応させて頂きます。
 潜在意識を日常へと活用することで、より良い人生へ変えることが可能です。
 随時お受けしておりますので、サイトをご覧下さいませ。

★癒しのワークショップ
 毎月一度、都内で女性向けの体験型ワークショップを開催中です。
 沢山の変化・癒し・浄化・成長・気づきを促すテクニックが山盛りです。
 2017年11月5日・12月17日(全て日曜)
 の開催が現在確定しております。11月は11時~15時、12月は11時~19時です。
 ※11月と12月では開催時間、料金が異なります。
 ※以降の開催は決定次第upして参ります。
 ※それぞれ内容の詳細はサイトをご参照下さい。

10月に入り、ぐっと秋らしくなりましたねー。
温かいものが美味しい季節です。



私は最近、何かを食べたり飲んだりする時に、クリーニングしてから…という風に実験、実践するように心がけています。
勿論、これまでも単に食べられることについてであれ、美味しいものを口に出来ることであれ、常に飲食の有難さは感じていましたし、感謝して頂いていたのですが、『クリーニング』という視点でというのは、ここに来て改めて…という感じです。
※『クリーニング』については、ひとつ前のこちらの記事をご参照下さいまし~。

パッと見で「おいしそー♪」と飛び付いても、口にする前にその対象に意識を向ける。
その結果、「……あれ?」というのは珍しくないんだな、ということが分かりました。
見た目はとっても美味しそうだし、顕在的には本当に良く見えていても、じっと"それ自体"に意識を向けると、なんかトゲトゲしている…とか、食べ物自体が怒っている、ションボリしている…といった様子の違いが見えます。
勿論、幸せそうな飲食物も沢山あります。
同じ種類の食べ物でも、一つ一つ違いがあるんですねえ…(今更 笑)。


例えば複数ある食べ物の中から選ぶ時も、顕在的に頭で考えるのではなく、あっちはどうかな? と見るように気を付けています。
"あっち"=飲食物=自分の潜在意識、です。

多少時間は取りますが、そうすることで如何に顕在意識と潜在意識が乖離しているかに気付かされます。いつも割と乖離しておりますー…。
「いつもなら絶対選択肢に入って来ない!」というギャップが激しい程、自分の中で二つの意識が乖離していることになりますね。
二つの意識を擦り合わせして行くことは、幸せにとって最も重要なポイントですので、ちょっと手間でもそこは意識的にコツコツと。

いえ、そりゃ「めんどくさいよー」と思う時も沢山ありますけど。
過去の反復でつい手に取ってしまう、という方がラクな気がしますけども。
しかし、こういうことも地道な訓練がものを言うのは、これまでの歩みで実証済みです。コツコツちまちま、です。



クリーニングとは、物事に付随したネガティブな情報(潜在的な情報)を中和・消去させる為に行うのであり、実際は物事そのものをクリーニングするのではありません。
物事そのものを捻じ曲げる為、無かったことにする為、思い通りの結果を出す為に行う、ということではないんですよね。

更に言えば、対象物に宿るネガティブな情報とは、自分の意識内(顕在意識・潜在意識)に存在している訳です。
その情報を体験しているのは"自分"ですからね。
だから結局、物事についてクリーニングするということは、自分自身をクリーニングすることになります。


顕在意識から見てみましょうか。
食べる時ひとつ取っても、私達は様々な思考をくっつけます。大概はネガティブな思考です。
こんな物を食べたら、こんな時間に食べたら太るんじゃないか、栄養が足りないんじゃないか、身体に悪いんじゃないか、等々。
もう本当に、流れるようにネガティブな思考を沸かせています。
自分の思考に注意を払うと、大量の思考を付着させていることが分かりますので、食べ物を見てから口に入れるまでの一連の思考を度々観察してみられると良いでしょう。

そのまま何もせずに口に入れるというのは、その思考(怖れや罪悪感)を食べたり飲んだりすることになるので、いずれその結果を体験をするだろうなと、私は色々腑に落ちてしまいました。
常に思考があって結果が存在している訳ですから。
健康について神経質なタイプの人は、怖れを見ていると思われるケースが多いので、なんだか納得です。
勿論、病気や怪我の全てがこれと直結している訳ではありませんが、とは言っても無関係とは到底思えません。


潜在的には、その飲食物そのものを見て、どんな様子かな~? というのを確認する所からですね。
事物、現象である『あっち』が自分の潜在意識ですから。
で、怒っていたり悲しんでいたり、目の前に来た時は諸々あるでしょうが、それが本来の状態、あるべき姿に戻ってから頂くのが正しいように思います。
ネガティブな状態のままだと、やっぱりネガティブな思考を食べたり飲んだりしていることになっちゃいますからね。

どうしてその飲食物がネガティブな状態になっているのかについて、私達は顕在的に知ることは出来ませんが、それらは様々な人の手を通って私達の前にやって来るので、そこまでのプロセスで不要な情報がくっ付いている可能性は高いでしょう。
作った人が凄く凄く怒っていて、不満タラタラだったらその情報が色濃く乗ります。
或いは、作物が栽培された土壌の情報なんかも関係あるので、色々な要素が混ざった末に、かも知れません。
そのまま食べると、その情報を食べていることになります。幾ら栄養学的に良い状態があったとしても、です。


しかし、対象物についての自分の思考をクリーンにして、対象物の情報を正常化させてから飲食すると、「私は愛を食べている。私は愛を飲んでいる」ことになります。
この世界で私達が目にしている、体験していることの全ては思考ですから、思考の結果が思考です。
動機と結果はイコールですから、怖れの結果は怖れだし、愛の結果は愛なのです。

自分の意識状態に気を付けるようにすると、日々愛の体験を増やすことが出来ますね。ちょくちょく忘れますが(笑)。
飲食物については毎日のことですから、その結果が何処でどう出るかは分かりませんが、まあ原因を変えたら結果も当然変わりますわなー。
食べる時だけでなく、他人様に何かを差し上げる時も、本当に気を付けようと心を新たにしました。


こうやって自分の思考と向き合うことを知ることが出来て、本当に有り難いな~と思っています。
昔は「でも、じゃあどうしたらいいの? 解ったからってどうにも出来ないじゃん!」って、嘆き悲しんでいました。
どうにも出来ない、無力な自分が凄く嫌いでした。
今も無力であることはそうなんですが(笑)、様々なことを学んだ結果、事象や自分の思考についての捉え方、向き合い方、接し方が変化して来たのは本当に有難いことです。
感謝感謝、ですね。



近年、『ホ・オポノポノ(セルフ・アイデンティティ・スルー・ホ・オポノポノ/SITH)』が大分広まって来たような気がします。
関連書籍も沢山出ていますね~。

個人的なお勧めはこちら(左から順に読むと分かり易そうです)。


       

他にも関連書籍は色々ありますよー。




基本の基本は、「ありがとう」「ごめんなさい」「私を許して下さい」「愛しています」の四つの言葉(ツール)を使うことで、"自分の思考をクリーニングする"というもの。
クリーニング対象は物事に対する自分の反応(解釈)と、物事そのもの、どちらもです。
顕在意識と潜在意識のどちらも自分の思考である為、全てが対象ということです。

特に自分の反応(顕在意識)をクリーニングすることは重要です。
私達は兎角、外側の現象や対象(何処で何があったとか、誰々がこう言ったとかいうこと)にばかり目が行ってしまい、自分の反応を見落としがちなので、自分の思考を念入りに観察し続けて一つずつクリーニングするということですね。
真面目にやっているつもりでも、かなり見落とします。訓練が必要です。コツコツ続ける。
上記の他にも、クリーニングツールが年々生まれ続けている模様です(最近になって凄く増えていることを知りました)。


『ホ・オポノポノ』は願望実現、引き寄せとは全く違います。
が、「欲しい」「必要」「なりたい」「したい」といった欠乏の思考のクリーニングを続け手放して行くことで、宇宙的に正しければ色々やって来る、変わるという結果にはなる。
という意味で、自分の心が平和になるにつれ、豊かさや幸せが増加するものではあるでしょう。

しかしあくまで『自分の心が平和になること』『愛から離れていた自分が愛に戻って行くこと』そのものが目的です。
自分の反応や思考パターンを置き去りにしたまま物質的・状況的な変化をさせることが目的なのではありません。
形や物質や状況の変化は二の次と言いますか、心が修正されたことによる副次的な産物であると言えましょう。
ここを取り違えない方が良いです。ホントに。



改めて見直して思ったのが、『ホ・オポノポノ』は『奇跡のコース』と非常に似通った哲学を骨子に持っているということです。
我々の目的は"自分の考えを絶え間なく手放して行き、取り消すこと"であり、その結果にゼロに至る、愛に戻るというもの。

何故自分の考えを消去するのかと言うと、私達の思考(記憶)こそが愛を遮る障壁だからです。
また、私達が目撃し体験することに新規のものは一切存在せず、全ては過去のリピートでしかないということも同様のスタンスだなと思います。


私が見る限りでこの二つの最大の違いは、『コース』が「この宇宙、世界は抑々実在していない。全て幻想である」と断言しているのに対し、『ホ・オポノポノ』ではこの宇宙に実在性(Identity)を持たせているという部分でしょうか。

但し、"我々が目にすること、体験することの全ては自分の心の中(潜在意識)で起きていることであり、全ては自分である"という部分は一貫して共通しています。
ですから、
「自分が体験すること、それについての思考に自分で責任を取る姿勢が重要である」
「日々、自分の中にある間違った考えを認め、悔い改めることで人生を良いものに"戻して"行く」
という点も同じです。


基本的には自分で自分の中を見詰めて行く、観察を続け、気付き、心の中に隠れていたものを認め、手放して行くというやり方も、大体一緒(ホ・オポノポノでは手放す補助として、クリーニング用のツールを使います)。

誰かにやって貰うのではなく、人のせいにすることも出来ず、例外は存在せず、言い訳は通用せず、ただひたすらに独習し実践し続けるものです。
色々突き詰めて行くと、元は同じと言うか、真実は一つなんだなーと思います。




ところで『ホ・オポノポノ』では"全ての物にはアイデンティティが存在する"という考えが前提にあります。
だから、書籍を読んでいると"物と会話することが可能である"というくだりが度々出て来ます。
昔はよく分かっていなかったのですが、最近になって「そうだ、喋れるんだった…」と思い、試してみました。



もしもーし。



……。





ワー…本当に喋ってる……(ハニワ顔)。



……。




マジで!?






…何と言うかものすご~~~~く、今更過ぎてどうなんだって話なんですが、正直とってもびっくりしました。
「そ、そうか…この物体も私の(潜在)意識だもんな…そりゃ喋るし意識もあるわな…いつも普通に分離してるから忘れてるけど」という理解に後から至る。そしてまたすぐ忘れる(笑)。

人様の潜在意識をリーディングしたり、ということをやるようになっている為、本当に盲点というか今更感で一杯です。
勿論、昔は全く出来ませんでした。っていうか、多くの方と同じく意味が分からんかったですよ。
「物と会話するって、なんじゃそりゃ」と、ちんぷんかんぷんでした。


物と会話する、意思の疎通を図るというのは、言い方を変えると
『自分の顕在意識が、自分の潜在意識と会話している』
『私の顕在意識が、私の潜在意識をはっきり見ている』

ということです。

顕在的に「多分、こう言っている筈だ」と自己都合で捏造したり、妄想することとは根本的に違います。
こっちは否認が根底にあって、『事実を見ないようにしている』ということになりますから。



因みに私が会話を試みて自分の思考と対象物を同時にクリーニングした所、壊れかけていたと思しき20年ものの機械が直ったり、萎れていた植物がその場で蘇ったりしています。
物事と自分の反応とをクリーニングする⇒溜まっている要らない情報が取り消される⇒それ本来の正しい姿に戻る…というプロセスですから、直ることが正しいなら直るし、蘇ることが正しければ元気になる。ということなんでしょうねー。

先日はコンビニでおにぎりを買おうと思って、陳列棚を見ていたのですが、その時思い付いて"あっち"は何て言ってるかな? と見直してみました。
そうしたら、顕在的には全くノーマークだった梅干しおにぎりが「買え―」と強くアピールしていたので、私の潜在意識は梅干しおにぎりを欲していたということに…無論、自覚も無ければ理由も分からないんですが(笑)。


このようなコミュニケーションをすると、自分が如何に潜在意識(事実)に対して目を向けていないか、如何に何も見ずに否定ばかりをしているか、ということに気付かされます。
いつもは、何の根拠も無く分かっている気がしているだけ。
でもそれは気のせい、思い込み、甚だしい勘違いであって、事実とは関連していない。ということです。

何故、昔は分からなかったのにその後分かるようになったのか? そういう専門の訓練をしたの? という話ですが、"そういう訓練"はしていません(あるのか無いのか知りませんがどうやるんだろう…)。
宇宙の神秘を解き明かした訳でもなく、スピリチュアル的に特別な修行をしたのでもなく、単純に自分の事実に気付く、事実を理解をするという繰り返しを続けているだけです。
その結果、なんかこんなことにー。


気付いて来た"事実"の中には、一見して目を背けたくなるような痛い内容も沢山ありました。
社会的な一般論で言うと、信じない人も沢山居るだろうな、ってこともよくあります。
しかし綺麗ごとを片っ端から捲り、長年使い込んで来た「~の筈だ」「こういうもんだ」を引っぺがし、誰がどういうコメントをしようが、納得行かない限りは「なーんか変だなー、おかしいなー」と事実を求め続ける。
結果、「うへぇ…これかい…」というものが現れたりします。
私はこっちの方が多いかも…いや、大体これかな…(笑)。

痛くても何でも事実は事実なので、苦痛やショックを一時的に体験したとしても、いずれそれは通り過ぎ、「なるほど」という所へ落ち着きます。
そうすると、そこで手放した状態になり、嘗てどれほど苦痛に苛まれた内容であったとしても、以後全く動揺しなくなります。

苦痛を抱えているのは我々にとって正しい状態ではなく、絶望はゴールではありません。
私達は苦痛を体験した時、見詰めて手放すよりも誤魔化したり否定して覆い隠すことを選びがちです。
それにより更なる間違いを生み出し続けますが、これまでそうやって覆い隠して来たものを一つずつ解除して行く訳です。
事実に対する否定や間違った考え、防御の数々手放すと、ありのままの事実だけが残ります。結果、ラクになる。
これをずっと繰り返しているんですねー。




『ホ・オポノポノ』でも『コース』でも、
「私は何も分かっていません。これの原因を知りません。どう判断し、解釈して良いのか分かりません」
という姿勢を常に持つようにとあります。

私はこれの原因を知っている、自分はこれについて分かっている、私は自分のことを一番よく知っている、何でも分かっているという思考は、事態を混乱させて延長させる可能性が極めて高いからです。
要するに、「これこれが××なのは、○○のせいだ」「これはこうなる筈だ」という顕在的な考えは、大体違いますよってことです。
確かに私の経験上から言っても、違います。
「あれが原因に違いない」「こういう風にさえなれば良いのだ」「私はこういう人だ」と思うのなら、その思考もクリーニング対象です。
良いことも、悪いことも、自分にとっては当たり前過ぎて見過ごしてしまいそうなことさえも、全て。



本当に勝手な主観でものを書いておりますので、そこは本当に御承知頂きたいのですが、『奇跡のコース』は語調や文法、作りが全体的に固いと私は思っています。
本の装丁から見てもですが、表現も格調高いというか、高級な感じ(笑)。
『ホ・オポノポノ』は、庶民的で気楽な感じ。流石ハワイ発~。っていう印象です。
どちらから入っても良いでしょうが、敷居が低く解り易くて実践し易いのは、ツールが沢山用意されている『ホ・オポノポノ』かな? と思います。

しかしこのどちらも、愛が私達の為に形を取って現れたものです。
その時の自分の理解に応じて、またどちらも相互補完的に活用して行かれたら宜しいかと。
自分の心を平和へと導くツールであることには変わりないので、有り難く使い続けて、平和を沢山体験したいですよねー。


お盆も過ぎまして、気付けば8月31日。
私が子供だった頃は、夏休み最終日でございました…あ、高校生の頃までそうでした。

夏休みと言えば、宿題。
勿論、最初からコツコツやっていた試しは無く(笑)。
懐かしいなあ。

今は人生そのものが宿題な気分で生きておりますわー。





スピリチュアルの道を勉強する理由は、人によって様々です。
大概は外側の世界で何かが起き、それが自分にとっては不利益だから、変えたい…という理由です、っていう人が多いんじゃないかと思います。
人間というのは、問題に直面して初めて「うわ!」って思う生き物ですからね。
良いこと続きの毎日では、自分には何か糺すべきものがあるのでは…とはなかなか考えないものです。

色々勉強して、例えばアファメーション、自己暗示で引き寄せを試したとします。
なるものがある。という体験をした時、多分びっくりするでしょう。
色々試して、なるものとならないものがある、という時に「なんで?」と思う筈です。



例えなるもの・ならないものがあるとして、引き寄せや願望実現を試して何か一つだけでも実現したのなら、それは自分の心が現実を作っているという証拠に他なりません。
能動的に自分が指定したものだけでなく、他のものも全てです。それを『事実』とか『現実』と呼びます。
私達は日々、自分の心の中を見て生きているのです。

自分の外側に、何か現象があったとしましょう。
それを見た時、体験した時、私達はほぼ100%の確率で何らかの反応をします。
とても嫌だという反応をしたなら、嫌だから無くなって欲しい、変わって欲しいって思いますよね。


ここで忘れてはならないのが、『その現象を体験しているのは自分である』ということです。
現象は自分が作ったんじゃない! と言うのならそれはそれとして、少なくともこの時点で嫌だという思考をしているのは自分です。
ターゲットにすべきは先ず自分の反応、つまりここでは「嫌だ」という考え、想い、感情、感覚です。
言語で行う思考以外にも、身体的な感覚(胃が痛いとか)も実は思考なので、反応の全てを拾う必要があります。

一般的には、その現象によって自分が嫌だという反応をしたのだ、と言うことが出来ます。
誰々が○○って言ったから(外側で何かが起きたから)傷付いたというのもそうだし、逆に誰々が○○って言ってくれなかったから傷付いたー、という「こうなるべきなのに無いなんて、おかしい!」というのも、『自分が反応している』という意味では同じですね。
ところが、潜在意識の世界からこういった物事を見てみると、『特定の反応をする自分の思考が先にあるから、その現象が成立する』のだと言えます。


認めて手放すべきはこの『反応』という思考から、というのが問題解消への一歩目としてとってもお勧めです。
我慢するのでもなく、目を逸らすのでもなく、無視をするのでもなく、認めて手放すのです。
テクニックは山ほど世の中にありますから、自分自身が合うと思うモノで構いません。
自分の中で起きている反応について、自分で責任を取るという姿勢が非常に大切です。

あれのせいで、こんなに嫌な思いをさせられた!
という姿勢だけだと、残念ながら手放すとか変化するといった可能性を、自ら潰したことになります。
○○が悪いからとか、○○のせいで、という考えも、認めて手放す対象となります。
そうでないと、外側を攻撃し続けて、ただそこをループすることになりますから、また嫌な思いをする羽目に陥ります。


ありがちなのが、『対象そのもの』『現象そのもの』に対して、変化を要求してしまうことです。
気持ちは分かります…が。その対象や現象そのものを捻じ曲げることは不可能です。
しかし、それに対する自分の反応、思考を捉えて手放すことで、結果的に対象や現象が変化する可能性はあります。
「自分がこの反応をするからこそ、この現象は起きているのだ」と本当に(潜在的に)理解出来るなら、呆気なく消えたり変わったりします。
仮に現象自体が変わらないとしても、自分の反応が平和的なものになるとか、全く気にならなくなったのなら、それで終わる話です。

そこへ至らない道、ループはただの時間の無駄なので、一度でも嫌な思いをし、何らかの事件を目撃・体験した時点で解消のチャンスだと捉える方が、結果的に楽になるスピードが上がります。
一日の中で、自分の反応の癖をよくよく観察し、捉えるということを続ける。
これは練習です。直ぐ忘れて、外側に意識を取られてしまう、というのが私達の一日ですから、とにかく練習。



昔、「ピンチはチャンスだよ!」と言われたことがありますが、正直腹が立ちました(笑)。
「こんなめんどくさいことになってるのに、何がチャンスなのー! どないせーっちゅーねん!」って。
だって意味が全然分からなかったんですー(言った方も、解説が無かったので中身を理解していたかどうかは謎)。
ごめんなさい、今なら分かります…。いや、今ならっていうか今頃っていうか(笑)。


新緑の美しさが目に鮮やかですねー。
とか言っている間に、もう5月終了目前です。




長々と問題が解決しない、と言うなら、それはそれなりに目的があります。
ああならない、こうならない、と言うなら、そうである必要があります。

自分のマズイ所を直視しない為には、あれが問題だこれが問題だと言い続ける必要があります。
自分ではなく自分の外側に目を逸らし続ける為です。


つまり自分は愛されていないということにしておかなければならないし、愛されていないと言い張る為には相手が自分のニーズに沿わないから傷付いたのだと主張しなくてはならないし、相手が自分の為に色々尽くしてくれたとしても、そんなものは存在していないことにしないといけないのです。

鬼の首を取ったかのようにギャンギャン喚き立て続けないと、自分がヤバいことがバレちゃうじゃないか。
心の中でそう囁いている訳ですね。



私がそう言ってるんだから、これはそうだったのだ!
と、マインドは自分の言うことが100%事実であるかのように言い張るのですが、言っていることは事実に対して後から激しい編集を加え、適当に自分で繋ぎ合わせた「私は被害者で、傷付いている」という主張に沿った内容です。

どうにかして自分を被害者で居させたい。
という欲求は、心の中に隠し持つ"恐れ"に裏打ちされています。



自分は相手から愛されていないと言う時、自分が相手を全く愛そうとしていないことに対する疾しさを隠しています。
相手が自分の為に~~してくれないと文句を言う時、自分が相手の為に~~していない後ろ暗さを感じています。
自分が全く思いやりを示さないばかりか、ケチを付けることばかりを繰り返していて、そんな自分が宜しくないことを心の奥底ではよくよく承知しているんですねー。

宜しくない自分を直視して認めるよりも、隠して上から綺麗なラッピングをして、全く違うものに仕立て上げた方が良い、とエゴが言います。
だって自分のヤバさがバレてしまったら、これまでの自分の酷さが明るみに出てしまったら、どうなるか分かったもんじゃない、これまで手に入れたもの、確保したものが全部取り上げられてしまうかも知れないじゃないか。
償えと言われたらどうしようもない程、自分は悪いことをして来たんだから、責め立てられる前にとりあえず逃げておかなきゃ。
そうだ、自分の方が被害者だってことにしちゃえば良いんじゃない?
という理屈(屁理屈)によって、被害者と加害者を主客転倒させるのです。


例えば、自分が一方的な悪さをしたから親に凄く怒られました。という出来事があったとすると、
「あんな言い方しなくたっていいじゃないか。強く怒られて、凄く嫌だった。あんな言葉を使われて、凄く傷付いた!」
…なーんて、被害者と加害者をすり替えることは割とよくあります。
自分が何故怒られたか、親はどんな気持ちだったのかという事実については、全く無かったことにしてしまう。
とにかく、自分が被害者だということにしておけば安全だろう。そう考えるのです。
責任転嫁というやつですね。

素直に「ごめんなさい。私が間違っていました」と認めるよりも、「私の方が傷付いた! 何で謝らなきゃいけないの!」と言って逃げ続ける方が良いよ~、とエゴが囁き続けます。
更に、バレないようにする為、念入りに様々な行動を取ります。
如何に相手が酷いか。如何に自分は弱者であるか。等々、色々とでっち上げの証拠品を集め続け、足が付かないように頑張り続けます。


それはそれでやりたければ全く構わないのですが、先ず何よりも自分が苦しいです。
それをしている間は、ずっと怖いからです。
どんなに恵まれた生活をしていても落ち着かず、全く安心出来ません。
どうにか作り上げた歪な形の砂上の楼閣がいつ崩れ去るか、不安でならないからです。

他人や自分以外のせいで自分はこんなに傷ついている、と言う時、逃げられたような気がして一瞬ラクになります。
誰かを責めている時、自分の中には罪が無いと言って、一瞬ラクになります。
……そんなような気がするのです。勿論、錯覚であって、事実ではありません。



自分の不幸を他人のせいにする時、一瞬ラクになったような気がするので、ずっとそれを続けなければならなくなります。
誰か特定の人や現象のせいで不幸だと言い続けるか、或いは目に付いたものに対して片っ端から文句を付け続けるか。

そうすると、その為だけに生きなければならなくなるので、自分の魂が予定して来た人生計画とは残念乍らサヨウナラです。
自分がとっても伸び伸びラクに生きられる、幸せなコミュニケーションを取れる、自分に満足していられる…そういった毎日は望めなくなってしまいます。

だってそれどころじゃないですからね。
隠して隠して、逃げ続けて、被害者であり続けないといけない。
もっと厳重に固めて、もっと自分が不幸だと言い張って、その為には現象まで動かして…毎日毎秒、それだけです。
『幸せ』なんて、頭に無い状態です。





もしかしたら、そんなことをしなくても、そんな風に逃げ回らなくても良いのかも知れない。
立ち止まって、見直してみるのも良いかも知れない。

…そういう風に思ってみないことには、自分の心に正しい光が入って来られません。

「私の不幸は他人のせいである」と言う時、相手に自分の為の要求をしています。
そうすると、相手がその気にならない限り、自分の幸せは永久に望めなくなります。
しかし「私が不幸なのは何故だろう? もしかして他人じゃなくて、自分と関係あるのかな?」という理由を自分の心の中に求めるなら、自分がその気になりさえすれば、自分で不幸を手放して幸せを体験出来るという軸にシフトします。


他人を責めている時、自分を責めています。
きっと自分はこんなにも責められるに違いないと考え、それがバレないようにと恐れて逃げ回っているので、自分に対して「ちょっとまあ、落ち着きなさいよ。そんなに怖がることもないよ」と声を掛けましょう。

「私は何が怖くて逃げ回ってるのかな?」
と、自分に対し、親身になって聴いてあげることです。
怖れている部分は逃げ回っている状態で居たがりますから、直ぐには口を割らないかも知れないし、暫くは適当に嘘をついて本当のことを言わないでいるかも知れません。
が、忍耐強く優しく接してあげることで、「あれ…言っても大丈夫かな?」とちょっとずつこちらを向き始めます。



これには解決(幸せ)への意欲と忍耐が必要です。
それまでは怖れに乗っ取られて逃げ回る方がラクだと思い込んで来たのに、この作業をすることでその逆へ意識を向けるのですから、その作用からはどうにかして逃れようとするかも知れません。

問題があると言っている時、あれが嫌だこれが嫌だと言っている時、事実を認められない時、私達は「怖いよ~」と言っているだけなのだ、と先ず分かりましょう。
何を怖がっているのか、一緒に見てあげることです。


そうして少しずつ自分の心を理解して行けば、その後はラクな気持ちが増えて行きます。
日常的に嫌な気持ちを誤魔化す必要も無く、無理矢理どうにかする必要も無くなります。
自分の為に、心を見直す意欲を持たれますように。




はー、もう5月目前ですわー!!(笑)
あと少ししたら今年も半年終了。早い早い。そしてもーすぐ夏が…あわわ。←暑いの苦手





「良く思われたい」
「褒められたい」

という言い回しがあります。
ご相談頂く方からも、また知人達からも割と聞く機会が多い台詞です。
このニーズがある場合、何故それが自分の中にあるのか、元を手繰って行かれると良いでしょう。



良く思われたい。褒められたい。
これは未来形の言葉です。「なりたい」とはつまり、「今はまだそうではない」という言い方。
今はまだ良くは思われていない、ってことです。


とすると、「現時点で自分はこう思われている(筈だ)」という前提があるって話ですよね。

ですからここで、

「私は現在、周りの人からこう思われている、と考えている」

内容(思考)を炙り出すと良いでしょう。
「なりたい」以前に、「今はこうです」が分からないとねー、です。
「今はこうなのですが、今後はこうなりたいです」という風に、明確に出来ると自分でも目指す先がはっきりします。




現状使っている思考をはっきりさせたら、次は「何が理由でそのような考えを持っているのだろう」という箇所に意識を向けましょう。
それなりに出所がある筈です。

誰かに言われたことがある、というのが結構多いかも知れません。
何かの体験をした際に、その体験を元に自分で解釈した、定義付けた、ということもあるでしょう。
何にせよ、使っている以上は必ず出所があります。

そこまで行ったら次は、「それは真実だろうか」と問いましょう。
自分は生まれた時から、或いは生まれる前からそのような人であるのか、過去はそうであったにせよ、この先もずっとそうなのか、それは動かし難い真実であるのか、です。
「自分はこのような人です」と思っている時、そのような言動をしっかり取ってしまっているでしょう。
我々は思考している言語に従って言動を行うからです。




「良く思われたい」というニーズを持っている時点で、「私はそうではなく、○○だ」と自分で言っていることになります。
しかし何らかの理由で「それは嫌だ、認めたくない」と考えている。
その部分を補填または誤魔化す為に、「良く思われれば不完全な自分は、元からそうじゃなかったことになるのではないか」と考えるんですね。

『"良く"思われる』のが目的だとしたら、ポジティブなものを目標にしている訳ですから、そこを見据えた時点でポジティブな気持ちを体験していることになります。
でも、「よく思われたい」と言う時、心の目が『私は○○だ』というネガティブな何かを隠したくて言っているのであれば、気持ちがネガティブです。
焦る、逃げたい、嫌だ、怒りを感じる等々、大体宜しくない気持ちを体験していることになります。
自分はそのどちらであるか、特定し直すことも大切です。


偶々今回はこの言い回しを取り上げていますが、自分のことを不完全で曖昧で欠損だらけの後ろめたい存在だ、と思っているのは普通っちゃー普通のことです。
誰でも意識の奥深くにはこのような思考が根深く存在しており、ここから逃げたい、これを無かったことにしたい、という欲求が「褒められたい」とか「良く思われたい」、「ああなりたい」「こうなりたい」「あれが欲しい」といった数々のニーズに繋がっていることが大半です。
喜びを求めているのではなく、苦痛や現実を否定したいのだということになります。

私達は体験したことそのもの、目撃したことそのものに対し、自分を繋げて解釈する癖を持っています。
物凄いスピードで現象と解釈をくっつけるので、まるで現象そのものに意味があるように錯覚しています。
自分が意味付けをし、解釈をすることで、心が揺れる。
注意深く自分の思考を観察していると、一日の内の多くはネガティブな揺れ方をしていることに気付くでしょう。
この宜しくない感じで動揺している自分の心を、私達はどうにかしたい訳です。
咄嗟に誤魔化そうとしたり、逃避しようとしたり、忙しく頭の中を回転させます。



褒めてくれないと、どうしようと思う。
…褒めて貰えない自分は、劣っているのではないか。

自分に同意してくれないと、怒りを感じる。
…同意されない自分は、間違っているのではないか。


そんな風に、いちいち外部のあれこれに対して反応しています。
反応する理由は、心の中で自分が自分をそのように(↑の例のような内容を)考えているからです。
だから形から入ったり、外側を固めて、『それを見えなくして、心を安定させたい』ということですね。



でも、残念ながらなりません。安定しません。幸せではありません。
仮に形を作ることが出来たにしても、心を誤魔化す為という理由では、外側から心にまで影響を及ぼすことは非常に難しいのです。

一瞬ホッとするかも知れない。一瞬嬉しい気がするかも知れない。本当に、一瞬だけ。
何故なら、自分の心が『見たくない・認めたくない所』をガン見し続けているからです。
また戻って来て(実際はそこから動いていないのですが)イヤーな気持ちになって、直ぐ目を逸らそうと外側へ…。
イタチごっこのような繰り返しです。これには終わりが存在しません。



もし繰り返しに疲れて「そろそろこれから手を引きたいなー」と思うのであれば、まず歩みを止めます。
それから、「どうして私は褒められたい、良く思われたいという考えを持っているのだろう。目的は何だろう」と、自分に問い掛ける必要があります。

どんなルートを辿っても、
「私自身が自分をこういう人だと思っていて、それを隠したい・無かったことにしたいからだ…」
と、自分が自分に対して持っている考えに行き着くでしょう。
誰かにそう言われたから、というのがスタートだとしても、それをそのまま採用したのは自分です。



誰かに何かを言われなくても、形を無理矢理変えようと頑張らなくても、自分だけが自分の考えに気付き、手放すことが出来ます。
一つずつ認めて、手放して、楽になって行かれますように。






プロフィール

Sachi

blog owner:Sachi
潜在意識を活用した、ちょびっとスピリチュアルな総合セラピー、癒しのワークショップ・タロットカードセッションをしているSachiです。
穏やかに楽しく成長出来るよう、入手した情報や、日々の気づき&
発見などをシェアして気ままに更新。
イベント情報も随時掲載中です♪

※記事の内容、情報については一個人の捉え方、考え方に纏わるものが大半です。
絶対的な事実という訳ではありません。
また、私の理解や気付きの段階に応じ、記事の内容にも随時変化がありますことを何卒ご理解下さい。
過去の記事をご覧になってセッションやワークショップにご興味を持たれた方は、最新記事近辺を幾つかご確認下さいませ。


旧blogタイトルは『気づきのステップ』。


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