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Category : 癒しと解放

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 ※以降の開催は決定次第upして参ります。
 ※それぞれ内容の詳細はサイトをご参照下さい。

暑中お見舞い申し上げます。

お盆シーズン突入ですねー。
お休みの皆様は体調管理をしっかりしながら、良いお休みをお過ごし下さい。



他人様のお話をお伺いしていると、『このまま続けたい』か『路線変更をしたい』かで、反応がはっきり違うなーと思うことが多々あります。
例えば体調不良で悩んでいる、というお話を聴いたとします。

私が知っている範囲でお話しさせて頂くことの中に、仮に
『こういう物を食べた方が良いですよ』
『これを使うと良いですよ』
という内容があるとしましょう。


御本人は正にそれを避け続けている生活を長年していて、
「じゃあかなり怪しいから、そこからトライしてみたらどうですか?」
と私がご提案したとします。

でも、御本人は
「私は元々偏食で好き嫌いが激しくて…だから食生活を変えるのは無理かな」
「これまでのあれこれを変えずに、インスタントに出来る方法はありませんか?」
と返して来るケースを度々目にします。


反応から見てみると、「現在の体調不良は本人が選んで続けている」ことになります。
「これまでの自分の習慣を変えるのは嫌」
と言っている訳ですから。
「これをコツコツ続けて三か月位で結果は出て来ますよ」等と会話している内に、「…やっぱりいいです…考えます…」と後退りして行くのを見ると、「なるほど、やっぱりインスタント以外は嫌で、そのままがいいんだ」と納得すること暫し。

「自分には問題がある」と言い続けていたい。
そういう傾向は多少なりとも誰にでもありますが、人によってあっさり通過するケースもあれば、いちいち自分で粘着して「こんなに大変なのよ!」と大騒ぎすることもあります。


今までのやり方を変えたくない。習慣を変えたくない。問題があるという考えにしがみ付いていたい。
ということは、この考え方(反応)が自分だと信じ込んでいる、ということだと思います。
別段アレルギーでもないけど単にお肉が嫌いなので、食べたくない。と言っているのが自分。
それによって体調不良を慢性的に抱えているのが自分。
だからこれまで嫌っていた物を食べ始めると、自分が自分ではなくなる気がして嫌だ。
色々変えた結果、健康になった自分は自分じゃないと思うから、出来るだけ今の不調を続けておきたい。

私達は色々な『考え』を自分だということにして、出来る限り『素の自分に対して与えられる幸せ』から逃れ続けようとします。
「問題がある」「辛い」「苦しい」と言い続けていることが、自分にとってのアイデンティティになっている…なーんてことは当たり前のように目にします。



良い悪いの問題と言うより、『本人が何を自分だと思いたいか』なので、反応を見ると「なるほど、そうですか」という感じなのですが、やはり抱えている思考によってはっきり割れるなーと度々思います。
勿論、行先もパカッと割れます。

ちょくちょく幸せへの路線変更を差し出されているのに、自分を否定されているように受け取って、蹴っ飛ばす。
過去(の不幸)を自分だと信じ込んで、過去の幻影を守ろうと必死になる、ということを長々行っているのが私達が『今の人生』だと思っているものであり『自分』だと思い込んでいるものなんだなーと。


昔は自分の反応に無関心というか、全然注目していなかった為に、「ああ、なるほどなるほど」と思うことはありませんでしたが、段々訓練が進んで行くと「確かに、いちいち選んでいる」という場面に気付きます。
とは言え、全部が全部クリーニング対象なので、「なるほど」と頷いた上でクリーニングです(笑)。


それでは、良い一日をお過ごし下さいませ♪



東京は梅雨明け致しましたねー。
昨年の梅雨が極端に短かったので、今年は凄く遅い訳でもないのでしょうが、「長かったような?」という印象です。
本格的に暑くなって参りましたので、水分補給や日陰での休憩等、是非こまめに心掛けて下さいませ。



私が今回の人生を振り返ると、「実際的に選べたことって一つも無かったな~」と思います。
私達は今回初めて様々なイベントを体験する、と思っていたり、自分の思考に無頓着である為に、「こう思えばこうなるから、全部操れるんじゃないか」という妄想を抱いてしまいがちです。
更には体験したことを一つ取っても「こんな考えは私の中にある訳ないでしょ!」って腹を立てたりもして。

でも、済んでみてから振り返れば、
「あの時こう思ったことも、思い悩んだことも、全て過去に最低一度は通った道であって、未完了故にまた全く同じルートを歩んだのだ」
ということが分かります。
事前に(と言うのも変ですが)ある程度のルートを知っている状態で辿ることが増えて行くと、「あ、これかあ」って納得することが日々増えると。


私達は物事を決める時、「どっちが自分にとって得か」というようなことで迷います。
得と言うより、「どちらが嫌な思いをせずに済むか」という消去法で選ぶことが多いかも知れません。
その時は、「こっちを選べば嫌な思いをせずに済む(≠良い)だろう」という判断があって選びますが、結果何を体験したか、どのような感想を抱いたか、というものは既にあるプログラム通りでしかないんだ…ということが分かりました。
プログラムで持っているので、必ずそこへ行くようになっている。

私はその時に初めてショックを受けたのではないし、初めて喜んだ訳でも、初めて悔しく思った訳でもない。
長々後悔を引き摺ったのは、嘗てもその体験をしたからで、完全に同じ反復をしているのだということ。
先にその想いがあるから、そういう反応をするような現象を見た、ということです。
これは『奇跡のコース』でも『ホ・オポノポノ』でも同じことを言っています。



例えば「嫌だから」と言って事実から逃げる時、自分はその時に恐怖とそれを齎す出来事に対するコントロールが出来ている、出来るような錯覚を起こしていたなと思います。
しかし残念ながら(?)、逃げたり目を逸らしたことも過去の反復なので、実はコントロールも何も無かったんですけどね。
逃げてしまえばこれはもう起きない、と思う。その瞬間だけ。でも気のせい。
もし逃亡に成功していたら、今ここで目にしていない筈なんですよね。って。

起きることは起きるし、それを事前に起きないようコントロールすることは不可能です。何故なら予め自分の中にあるから。
逆に、嫌だからと逃げ回っていても、それが何になるかと言うと、別に何にもならないんだなーということです。
いや、ほら。どっちにしても自分の中にあるからですよ…。
隠しているつもりでも、必ず目にすることになるんです。自分の中に無いものは見ませんから。



だから、色々事前に思い悩む時、
「いや、でも自分が持っている見るべきを見るんだよ。こうやってモヤモヤしたのも過去の再生だから、迷いやモヤモヤの方を消去して静かな心でそれを待つのみ」
という風に仕切り直すことにしています。

昔はこういう考え方が出来なかったんですよねー。
一度「どうしようー」って思ってしまうと、ずーっとオロオロしてました。
抑え込もうとか我慢して麻痺させようとか、色々試みて、全部失敗しました。

何でこんなことをやっていたかと言うと、事前の自分のチョイスで結果がコントロールされると思い込んでいたからです。
だから選び取るのにえらく長い時間を要したし、結果に納得行かなかったりもしまして。
何が違って、何がいけないんだろう? って悩んだこともありました。
しかし蓋を開けてみれば、そういう話では全然なかった訳です。
振り返れば、どの地点も避けることは不可能だったと思います(私の場合はですが)。


常に結果が先にある。
結果とは反応のこと。
反応とは思考のこと。
思考とは『今ではない過去』のこと。
それは私の心の中にある。
世界の何処へ行こうが、誰と居ようが、何をしていようが、私はそれを必ず見ることになる。



で、見た上で「あー自分の中にこれがあるんだわ~」と受け止めて、深く頷く。
というのを日々順番にやって行く。他に出来ることは無いのだな。そうかー。
というような理解が積み重なって行く内に、段々楽になって行きました。

いつ起きるか分からない出来事に身構えたり、迷って時間を浪費したり、ネガティブな気持ちに振り回されることが段々と減って行くのは、過去の自分と比較するとビックリ現象と言っても良いんじゃないかなーと思います。
『現実を受け容れる』という言い方でも同じだと思います。

スピリチュアルとは縁遠い方とお会いすることも度々ありますが、事実をその場その場で受け容れている方はいつも落ち着いていらっしゃるし、勿論色々あるだろうけど引き摺らないものだなと頭の下がる思いです。
そういう方々を見習って、静かな心で現実を見られるよう、更に進んで行きたいと思います。(^^)



7月も半ばに入ろうとしておりますね。
如何お過ごしでしょうか。




『ホ・オポノポノ』では、クリーニング対象についての注意として、

『出来事そのものではなく、自分のリアクションをクリーニングしましょう』

と説いています。


何故かと言うと、自分がそのリアクションを持っていることにより、逆説的にそれを言うような出来事を作っているからです。
取り消すには、出来事そのもののみならず、自分がその時に持ち出した反応・リアクション(コメントや気持ち、言い訳等)の方に注目して、そのリアクションに責任持って取り組むことが重要であるということですね。



例えば、誰かに何かを言われたとしましょう。
その時、ついつい「あんなに酷いことを言われて傷付いた。相手が悪いから、相手を対象にクリーニングして取り消せば、この現象は無くなるのだ。相手が変わるのだ」と考えてしまいがちです。
この前提で色々やってみても、多分変わることは無いと思われます。
何故なら、その体験を作り出しているのは自分の潜在意識なのに、出元はほったらかしで末端だけどうにかしようとしているからです。
自分でしている入力作業は止めないけど、出力だけ止めたい、ということですが、それは無理です。

実際に現象だけが外側に単体で存在する、ということはありません。
自分が体験し、目撃し、聞いている以上は、自分の中にあるものを映し出していることになります。
「酷い! なんでそんなことを言うの!?」や「相手は私のことをこう思っているに違いない」等々、色々な反応が次々に自分の中から湧いて来ていて、その思考が受け皿として先に存在していることで、後から乗っかるべき現象を見ている、ということなのです。


現象が先にあって…というのが常識的なものの見方です。
誰もが、発生した後の現象をどうにか捻じ曲げようとしたり、これから起きるか起きないか分からない現象を操ろうと腐心しますが、あまり意味は無いと思われます。
実際にそれが起きて、自分が反応してみて初めて「ああ、こんなものが自分の中にあったのだ」と気付く為、事前にコントロールするというのは不可能なんじゃないでしょうか。

これまで溜め込んだままの過去を振り返り、「あの時、こう思った」「あれを思い出すと今でも嫌な思いだ」といったことを一つずつ丁寧にクリーニング作業をして行くと、段々身軽になって行きます。
結果、「自分の中にあったから、それを体験したのだ」というのがイコールで理解されて行くようになります。
取り消したものについては、もう元ネタが自分の中に存在しなくなる為、発生しなくなります。
「またああなったらどうしよう」と心配になる方がいらっしゃるなら、それも反応なのでクリーニング対象ですね。



一例ですが。
例えば子供さんが居て、何かを改めずにいることで親である自分は繰り返しギャンギャン怒ってしまう。
「何であんたはこうなの!!」と毎日毎日怒鳴り散らしていて、ほとほと困っています。ということがあるとしましょう。

まず取り掛かるべきは、子供に対する考えのクリーニングです。
この時、「子供を何とかしなきゃ」「ウチの子は何度言っても分からない子なんです」「こんなに怒って疲れる」「嫌になる」等というような反応が沢山ありますね。
これを全部、一つずつ手に取ってクリーニングして行く訳です。

これらの考えを『自分が』持っているから、その通りの体験をする羽目になる、という話です。
子供が言うことを聞かないから、じゃないんです。子供さんは、単に自分の考えを映し出す役割を引き受けてくれている。
自分を放置して、子供にああ言えばとか、こういう風に指導すれば…ということでもないです。
もしやり方を変えるのだとしても、自分のリアクション(思考)を同時に見直すことが必要でしょう。



顕在的な話でも似たようなものです。
文句をぶつぶつ言いながら、それでも全部やってあげてしまうなら、相手は「結局何もしなくていいんだ」という風に受け取りますね。
手を出すのをやめて、「ご自分でどうぞ」と言うなら、また違って来る場合もあるでしょう。

「あんまり言うと可哀想だから」と言って放置した時、もっと酷くなりました。
ということであれば、可哀想だとか放置するのは間違っていることになります。
自分の持っている考え、反応の方に目を向けて、現実との相関関係をよくよく見直したら良いでしょう。



自分が当たり前に使っているリアクションの台詞をキャッチするには、日常的に自己観察の訓練が必要です。
誰にでも「ここでいつもキレて終わる」「こういう言葉を使ってまた繰り返す」「私のせいじゃない!」「相手が悪い」というような癖がある為、人と会話している時の自分や、出来事を目撃・体験している時の自分の中を常に常に観察し、また毎日振り返って…ということを練習されるのが良いと思います。

「ついこう思っちゃう」「なっちゃう」と言うのなら、まさにその「ついこう思っちゃうんです」というコメント、「なっちゃう」というその反応をクリーニングしましょう。
そうでもないと、ただ過去をズルズルと垂れ流して繰り返すだけになってしまいます。
いずれは回収して行く道です。見直して拾うのが時間の節約になるので、是非お勧めします。(^^)


梅雨ですね。
程々の梅雨で終わると嬉しいものです(?)。





『自分の考えが自分の体験を作っていました』
という、心の世界の大原則に気付き始めると、「じゃあ、あれは? あれも? あれもなの?」という風に、順番に確認を始めます。
「『私』が、『私のことを』こう思っていたから、あの時の出来事はああだったんだ!」
という風に合点が行く、腑に落ちるということを繰り返して行きます。

意識層の浅い部分での考え(記憶)だと、比較的ラクに気付くことが出来ます。
自分で上乗せしている誤魔化しや転嫁の層が割と少ないからです。
自分で"自分の体験+それに纏わる自分の思考"の見直しをして、これを一枚ずつ捲って行って、ある時「えっ」という日が訪れることになります。「私だったんだ…!」って。
これを使った願望実現のテクニックが、所謂『引き寄せ』ですね。



さて、溜め込んだ自分の思考に気付いて行く作業を続けている内に、どんどんイヤ~な気持ちになる場合があります。
体験している現象に何か問題があっても無くても、関係無く、です。

イヤ~な気持ちが外に向かっている間は、それはそれで良いと思っている場合が多いんじゃないでしょうか。
敵は外に在り。私達は常にそう思っていたいからです。
しかし、過去の回収が進んで行く内に、それが実は自分の内側に向かっていたことが分かって来ます。



『問題とは不平不満のことです』
と、奇跡のコースには書いてあるのですが、私がこれを最初に読んだ時は「なんつーライトな表現だ」って思いました(笑)。

とは言え、自分をよくよく観察して行く中で、全ての問題の理由は自分の心の中にあると定義し、自分の体験と自分の心との因果関係を見つけて行くことになり。
「あっ、違う、私だよ…!」とヘナヘナになること幾度か…全部ですけど。
なので、刈り取り作業を続ける程に「ソウデスネー」って思うんです。ありゃー本当のことが書いてありましたわーって(笑)。


これまで引っ張って来た怒りや苛々なんかも、全部自分の中にあるものなんですよー。とか。
例えば急いでいる時に電車が遅れて大変な目にとか、そういったことも過去の記憶の再生なので、鉄道会社やその他諸々のせいにすることは出来ませんでした。
という風に分かって行くことになります。

一つの事象について「あれは私がそう思っていたからだ」ということに行き当たると、「でもあれは別」という風に分けることが出来なくなります(どうにか例外を作り、分けて取って置きたいものではありますが)。
んじゃあ一体、あれとこれの何処に線を引くの? って話ですよね。例えそれが他人様の言動であっても、です。
世界の裏側で起きている戦争であっても変わりはありません。
私達がみんなで記憶を再生し、過去に溺れているのです。


例えば上記のように戦争があるとして、闇雲に反対しても特に現象に対して干渉することは無いし、結果意味は無い。ということになってしまいます。
だって現時点で抑々戦争を作っている、その記憶を見ているのが肝心の私達な訳ですから。

既にあるものに対して抵抗をしても、それは抵抗にすらならない…という結果に。
じゃあ何になっているのかと言えば、時間を浪費しているだけ、ということになってしまうのです。



何が言いたいのかと言うと、自分個人の出来事でも全く同じなのですよ…。
自分がとても嫌な思いをしている、何か問題があって、或いはこうなる筈なのにならないから不満を抱えているという状態だとして、
「相手/周り(だけ)が変われば自分は幸せなのに」
または
「あれがこうなれば私は不幸でなくなるのに」
という話は残念乍ら成立しないんです…ということですね。


ちょっと飛びましたが、
外側に向けている不満は、自分に対する不満です。
これは自分を見つめる作業を続けて行く内に、段々と解って来ます。
『外側に対する不満の物量=自分への不満の物量』
です。
私達は不満を外側に押し付けたつもりになっていたいのです。


例えば自分のことが嫌いな度合いが極度に強い人は、他者への攻撃性やアピールが相当強いですね。あれもこれも否定します。
大嫌いな自分を見たくないから、外側のことばかりを見て自分を誤魔化してしまう。
誰かや何かを否定しまくるのは、同じ分量だけ自分を否定しているからです。

この場合、まず自分自身を嫌っていることを認める、嫌っている状態を受け容れる…という所(使っている自分の考え)にどうにかして漕ぎ着けないと、『ありのままの自分を受け容れる』というよく聞く場所へは行き着けません。夢のまた夢。
自分大嫌い度が高いと、それに耐えられず更に何重にも防御して行く為に、「私は自分が大好きなんです」という鎧を着込んでいたりもします。
または、「周りが如何に酷いか、自分が被害者か」バージョンの鎧で武装するかも知れない。
何にせよ、素の状態で居ることは不可能になります。
素直にするりと「有難い…」という体験まで到達するのは難しいことかも知れません。



更に記憶をクリーンにし続けて行くと、顕在レベルであれこれ頭を捻じったり、「どうしよう」と考え迷うことを段々やらなくなって行きます。
「ああなったら嫌だからどうのこうの」というような迷いが減ったりもします。無駄だというのが段々分かって来るからです。
「そうだ、抵抗しても時間の無駄なのだ。私はいずれにせよ未処理の自分の記憶を、間違ったままの自分の考えをただ目にするだけなのだから、行くべき所へ行って見るべきを見るだろう」と考えるようになるのです。

事実、今回の人生で『新規で起きる出来事』というものはありません。僅かなことでさえも。
認め、手放してゼロになった状態にしか、新しいものは入って来ないのです。
「今日、転んで怪我をしました。痛いよーと泣きました」という体験は今日したんですよ? と言いたいでしょうが、単に覚えていないだけでいつかの再現です。
記憶の出元があるのです。ですからクリーニングがお勧めです。


間違いを訂正しないまま持ち越した自分の心を糺す為に、私は必ず見るべきを見て、知るべきを知ることになるに過ぎない。
その為に、居るべき場所に居るのだ。いつも、いつも。


そう思えるようになって行くと、自分と周囲の境界線に掘っていた深い溝を埋めて、目を閉じ耳を塞ぎ「私は関係ないの!」と言っていたのを止めて、様々なことを自分の心の中として見るようになります。



ある場所に足を運んだり、持ち込まれた話があって乗っかったりして行くと、場合によっては「えっ」というショックな出来事や、「そんな馬鹿な!」と叫びたくなるような、イヤなことが起きたりもします。
それは何であれ、自分の中にある過去の記憶なのです。今、偶々発生した訳ではありません。
いつかもそんなような体験をしたか、少なくとも似たリアクションを取った出来事があったんです。
で、その後のリアクションが間違っていたから、持ち越して来ていると。

リアクションの訂正=心の修正ですから、自分がした反応を捉え、クリーンにした上で、正しい心の状態に直す。というのが必要なんですね。
こういったことを繰り返して行く中で、段々と本来あるべき正しい自分の心に修正が進んで行きます。


時々道程を振り返ると、「あの時の自分は酷かったなあ」と思うかも知れないし、「あの時分からなかったことが、今は分かるようになった」と思うかも知れません。
誰かに対して「本当に申し訳なかった」と思うかも知れません。
或いは、「ああいう風に思う必要は無かったんだ」かも知れません。


一つずつ、手に取って確かめて行く。
地道な道程で確実に浄化を進めて行きたいものです。



今回は、私が大昔「この違いがよく分からないなー」と思っていたことについて書いて参ります。


昔の私は、「自分がそれを欲しいと思わなきゃ、ならないじゃないか」と思っていました。
「"欲しい"を手放す? じゃあ、永久に自分の手元にそれは来ないってことですよね?」って。
だから手放すなんてジョーダンじゃない、って思っていたことがあります。

思考の仕組み・作用を理解していなかった、という理由でこんな風に考えていたんです。
否認・欠乏によるニーズと、自分の中に元々あるものを確認することの違いを全く理解していませんでした。
何か既にある体験を否定する為・誤魔化す為に上乗せ用のニーズを持っていて、それが執着であり、そのニーズがある限りは絶対に自分はその体験が出来ないのだ、ということが分かっていなかったんですね。


だから根本にある考えは『現実の否定』であって、実際はそれ自体が欲しいのではなかった、という訳です。
否定するには否定するべき事実が必要ですから、否定を続ける限りループを続けます。
自分は求めているのではなく、否定しているのだと分かれば、何を否定しているのか、何を誤魔化したいのか見ることが出来ます。

そこの見分けが出来ていれば早かったなあ、と思います。
自分が願っていることが否認由来であるかの簡単な判定基準は、それを想う時に怒りや苦痛が伴うかどうかで直ぐ分かります。




世に言う『引き寄せ』は今回『願望実現』と同ジャンルと見做しますが、これはざっくり纏めると『上乗せ方式』の考え方です。
あれが欲しい、あそこに行きたい、あれになりたい、等々。
これは、『自分本体』はそのままで、これにプラスして服をどんどん着込んで行くようなイメージでしょうか。
先に着ていたものはずっと着たままで、また上着を欲しいと言う。どんどん増える。溜め込んで行く。
元の自分の体型が見えなくなっていて、それでも更に着込む。どんどん着込む。もう着られませんー。


『ホ・オポノポノ』や『奇跡のコース』はそれとは真逆で、『お掃除方式』です。
私達は既に物凄く沢山、「これ以上無理ー!」って位に着込んでいて、本体が見えない位着膨れしているから、先ずはパンパンになっている服を脱いでどんどこ捨てて行きましょう、と。
脱いで行くことで元々の体型や体質がやっと見えて来るから、そこまで行って初めてそれに合った服を選び直せますよ…って感じでしょうか。
『引き寄せ』が足し算なら、『ホ・オポノポノ』『コース』は引き算です。


ここで言う"服"は"過去、記憶"のことです。
既に私達は過去の記憶を身に着けたまま記憶と一体化しており、それを自分だと思い込んでいます。
また、昔歩んだ道程を外れることなく、また同じ考えのままで同じように歩んでいます。

全く同じ歩みをしている以上、同じ結末を迎えてしまうのは確実です。
だからその状態で「あれが嫌だ」とか「あれが欲しい」と言ったとしても、それは今の素の自分が思ったのではなく、嘗ての記憶にある台詞をそのまんま喋っているに過ぎないのだ、ということです。



願望実現も、やってみたら楽しいと思います。
でも、ならないことも沢山あります。限界があるでしょう。
そこを素直に受け容れられるかどうか、そこに正しく疑問を持てるかどうかで、また先行きが変わります。

間違いの上には間違いしか乗って来ません。途中で「やっぱりあれで良かった」にはなりません。
これを巻き戻して手放すことで、身軽な素の自分に戻れます。
だけど間違いをそのままにして、その上に色々なものを載せても、下にある間違いが消える訳ではないですよね。


私達は怖れや苦痛を隠したり、誤魔化す為に、様々なものを望みます。
苦手なものは苦手だという認識のままで変えることなく、永遠に避け続けて生きて行きたいのです。
怖いものに手を突っ込んで分解するのはどうしても嫌だから、です。
そんな理由で、あれがあれば、これが起きれば、あれを避け続ければこの恐ろしさから逃れられるんじゃないか。これを認めないで済むんじゃないか。無かったことに出来るんじゃないか。等々を並べ続けるんですね。

となると、欲する抑々の動機が苦痛や怖れになりますから、一所懸命色々なメソッドやツールを使っても、フォーカスしている所に着地する羽目になるのです。
それは自分がそこに一点集中で注目しているから。
喜びや幸せを受け取るのとは、別次元の話になってしまいます。


特に『奇跡のコース』では、私達の本質は完全な愛であり、欠けたり足りない箇所の無い完全性が本体であると述べています。
これは、私達が日頃特に疑うこともなく使っている「無いから欲しい」「あれが無いから不幸だ」「足りないから外から得なければならない」という考えとは真っ向から対立します。

自分が抱えている『私は不完全です、怖れです、欠けています、足りません、過去です、"今"ではありません』というその考えを本当に抱えていると認め手放して行くことで、本体が段々見えて来ますよ、ということを教えている訳です(その理解の為に『ワークブック』があり、日々の心のトレーニングの実践を推奨しています)。

結果、どんどん本体にあたる幸せや愛を受け取れる(外側に見る)量が増えて行く、そういうことですね。
私達はこの世界で、自分の内側にあるものを外側に映し出して見ているに過ぎません。
自分の抱える不要な思考が整理されて行けば、当然外側に見出すものは内側にある整理された心…ということになるのです。



一つずつ見て、認めて行くことで、どんどん理解が速くなって行きます。
「あの時に自分が望んだものは、怖れを隠したいからだったのだ」
と分かって行くと、取っ組み合いをする必要がなくなります。

欲しい、なりたい、ならない…という考えが減って行くと、ラクになります。
自分の心をよく観察し、不要な物をどんどん捨てて行かれますように。




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Sachi

blog owner:Sachi
潜在意識を活用した、ちょびっとスピリチュアルな総合セラピー、癒しのワークショップ・タロットカードセッションをしているSachiです。
穏やかに楽しく成長出来るよう、入手した情報や、日々の気づき&
発見などをシェアして気ままに更新。
イベント情報も随時掲載中です♪

※記事の内容、情報については一個人の捉え方、考え方に纏わるものが大半です。
絶対的な事実という訳ではありません。
また、私の理解や気付きの段階に応じ、記事の内容にも随時変化がありますことを何卒ご理解下さい。
※過去の記事をご覧になってセッションやワークショップにご興味を持たれた方は、必ず最新記事近辺を幾つかご確認下さい。
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