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Category : 癒しと解放

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 都内で対面式の個人セッションを行っています。
 幸せと癒し、学びと気付きを得たい方へ、様々に対応させて頂きます。
 潜在意識を日常へと活用することで、より良い人生へ変えることが可能です。
 随時お受けしておりますので、サイトをご覧下さいませ。

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 毎月一度、都内で女性向けの体験型ワークショップを開催中です。
 沢山の変化・癒し・浄化・成長・気づきを促すテクニックが山盛りです。
 現在、お客様からのオファーで行うオーガナイズ形式での開催です。
 ※以降の開催は決定次第upして参ります。
 ※それぞれ内容の詳細はサイトをご参照下さい。

暑いですねー…いつ秋になるのでしょーか…。(^-^;)
本日、あっという間の9月最終日です。




私達がこの世界に生まれてから死ぬまで、どれだけの時間を経ようと『その人』として変わらないもの…という表現として、


『元々のその人』
『素のその人』

というものがあります。
スピリチュアルな表現を使うならば、

『その人のバイブレーション』

というものです。

『持って生まれた魂のバイブレーション』

と言っても良いです。同じなので。




その人が元々持っていて、ずっと変化しないであろう波長、波動があります。
この固有のバイブレーションの延長線上に、適性や特徴、収まりの良い人間関係や生活スタイル…といったものが乗っかって来ます。
年齢を重ねても、他の何か形上だけ変えたとしても、バイブレーションは終生変わりません。

「違う人にはなれないですよー」

と私は度々申し上げますが、

「違うバイブレーションに変えることは出来ませんよー」

と言い換えることも出来ます。
つまり、

「自分じゃなくなることは出来ないんですよー」

です。




『相性』

という言葉がありますが、これが一番世間的に浸透している言い方だろうなーと思います。
バイブレーションが噛み合うかどうかってことですね。

元々の、その人らしさ。
その人が、その人らしく居られるかどうかです。


齟齬が無い。
居心地が良い。
違和感が無い。
楽。
自然。

様々な言い方があります。
でも全部同じなんだと思います。




『既婚者の方にアンケートを取りました』という企画で、『結婚の決め手は何ですか?』というものがあったりしますが、一番多いのが

『一緒に居て楽だったから』
『初対面の時に一緒に生活しているイメージが出来た』
『一緒に居るのが自然、当たり前な感覚があった』

というような内容だったりします。
激烈な一目惚れをしました! という人も中には居られますし、それに憧れる方も多いでしょうが、実際はこれが一番多いみたいです。
自分のバイブレーションに噛み合う人だと感覚的に分かった、ということですね。


結婚だけでなく、お仕事についても自分のバイブレーションに属する何か、というものがそれぞれあるのだと思います。
他にも生活スタイル、土地や持ち物、服装、食べ物なんかもそうですね。

これに関しては"好き"だと思っているものとは全然違う場合もありますので、人によっては「えっ! 絶対嫌だ!」と逃げ出したくなるかも知れませんが、とは言えずっと変わらないものなのです。
もしかすると、この「嫌だ! 苦手だからそこからは逃げた状態で居たい。これを避けたままで別の幸せになれるものが欲しい」という考えを手放すことが、今回の人生の大きなテーマなのかも知れませんし。



もしも主観で「あれがいい!」「あれじゃなきゃ嫌だ!」と言っている内容があるとしたら一旦脇に置いて、『自分が本来持つ固有のバイブレーション』を元に見直してみようかなーという視点をお持ちになってみると、楽で自分らしい人生へ目が向くかも知れません。



9月も下旬、もうすぐ10月なのに昼間は暑いですよー。
本格的な秋はもう少し先でしょうか。



先日、別業界の先生とお話しした際に
「でもこれってよくあるよね」
と頷き合った内容がありますので、その件をば。


私達は人生の中で(人によって程度の差はあるものの)、沢山のトラブルや問題を体験します。
何故、それは起きるのか? 何処から来るものなのか? どうして人により違うのか?
という疑問を持った方は多いと思います。

私もその中の一人でした。
疑問の追及を続けて行く中で、色々な説を耳にして来ました。
ですので、今回はその辺りを羅列してみます。



(1)修行の為
恐らく、かなりポピュラーなのが『魂の修行説』
神(仏)様がその人の修行の為に敢えて選んだ苦難を与えている。
それをクリアすることで、未熟で無知な魂が学んで成長して行く。
これの発展形に
「その人に乗り越えられない苦難は与えられない」
「だから感謝しなければならない」
という話もくっ付いて来ることが多いんじゃないでしょうか。


(2)自分で敢えてチョイス
これは転生の狭間にある『中間生』で自分が意図的にチョイスして来た説です。
理由は(1)と同じで『成長、学びの為』。


(3)Aを知る為にBをチョイス
(2)の亜流とも言える形で、ざっくり言うと『幸せを知る為に不幸を敢えて選んだ』というものです。
「この形の幸せを知る為に、逆であるこの形の辛い思いを敢えて選択した」という感じですねー。



色々と学習して来ての体験上ですが、全部違うと思います。


(1)は「自分に責任はありません」ということになり、更に「自分は元々不完全な存在です」が前提になります。
突き詰めると「ずっと苦痛を体験し続けないといけない。不幸は必要」ということになりますし、ゴールはどこ? って感じです。


(2)も同様で、大前提が「私は欠損した不完全な存在です」というものになります。
この世界を真に存在する世界、『実相』だと設定すれば、問題・粗探しなんか永久に出来てしまいますから、終わりがありません。


どうして「抑々不完全なものとして我々は存在している」と言うのでしょう。
大概、「最初から神が不完全なものとして創造したから」という理由に行き着くんじゃないでしょうか。
ここにも「神のせい」という攻撃性が見えます。エゴの目的通りに、です。

或いは「最初は完璧な存在だったが、罪を犯したのでその罰として苦痛を受けている」という説もあります(聖書に詳しいですね)。
これも「苦痛の出元は神であり、自分達は罰せられるべき存在である」ということです。似たり寄ったり。




さてさて、先日話題に上がったのは(3)なのです。
端的に言うと「不味いものを先に食べないと、美味しいものを美味しいと思えない」ということになります。
でも、美味しいものは単体で美味しいって分かりますよ? と私は思う訳です。

例えば身体的に何らかの異常を抱えた状態で、美味しいものを美味しいと感じられないということは、有り得ます。
それは不味いものを先に食べてないからだ! 比べていないからだ! ではなく、異常を来している原因がある訳ですから、そちらに目を向けて解消の手段を取るべきです。


これらの説は結局、二元論です。
『不幸・悪・問題・苦痛は必要なものである』という足場が発生します。
そんな訳ありませんわー…勿論、この世界は私達(のエゴ)が一緒になって
『全ては二面性があり、変化し滅びるのだ。絶対的なもの(=愛)は存在しないのだ。不幸は存在するのだ。愛なんか嘘っぱちのでっち上げだ。救いなど存在しない』
と言う為に作った宇宙なので、そう言えなくもないのですが。
しかしこの説を使う限り、我々は永遠にこの世界を彷徨うことになり、救われない存在だということになります(エゴはそう言いたい訳ですが)。

私達は、「いや、そんな訳無い無い」とお話ししました。「でも、よく聞くよね、この話」「何でこれを使おうとするんだろうね?」とも。
その人が使っている信念体系にもよりますが、元を辿るとやはり『怖れ』の思考だと思うんです。


驚き、苦痛や恐怖を感じる出来事を体験した時、人は『合理化』を試みようとします。
何らかの理由を探して、この出来事を体験した自分を納得させようとする訳です。
「この出来事にはきっと意味があるに違いない」
という台詞も沢山聞いて来ましたが、合理化の一種だと思われます。

この、理解出来ない、理由が分からないという体験をした際の落とし所。
「分からない」というのは恐怖体験です。我々は怖いままで居るのが嫌なのです。
或いは、体験の元にある理由まで分かっているのに、目を逸らしたくて別の理由をでっち上げることもあります。



全部、怖れに基いているなーという風に思います。
「全て仕方が無いのだ。苦痛は甘んじて受け入れるしかなく、それに抗う術を自分は持たない。救いは無い」
という、自分が愛されるに足りる存在ではないことへの信念。
元から不完全で矮小な存在だということを信じようとする心から生まれたのが、各種のお話なんだろうなと。

世の中には色々な説があるものです。
という訳で改めて現段階でどんな説を信じているか、その元にある考えは何かということを見直してみても宜しいかと思いますよー。(^^)


気温が30℃を下回る日が出て参りました。
とは言え残暑が続くようですので、皆様ご自愛下さいませ。



今日は、度々耳にするお話を。

過去、何らかの出来事があって、何かを諦めたとか、ダメだったとか、嫌な目に遭ったとか、そういった出来事があったとします。
それを語る時、

「あの時ああじゃなかったら、今頃云々だった筈なのに!」


という言い方をすることって結構あるんだな、と思います。
時折、この言い回しを耳にするんです。



あそこで受験に受かってたら、自分が一人っ子だったら、もしもこの親じゃなかったら等々。
内容は多岐に渡りますが、果たしてそうかなー? と思うのです。

私は個人的に自分の人生を振り返って、確かに不満だらけでしたけど、
『もし○○じゃなかったらバージョン』
というストーリーは全然イメージ出来ないんですよね。


あの学校に通っていない自分は想像出来なかったし、勤勉に予習復習をやる学生時代は全く及びもつかず(勉強は1秒もやらないというポリシーでした 笑)、あの仕事をあそこで辞めずに続けているイメージも無ければ、あの人とやり取りしていない自分はと言うと全然…。

という具合に、「もしこれが違ったら今頃幸せだったのに!」と言えるものが無いんです。
度々人生を振り返って確認していますが、やっぱり無い。
この言い方で不平不満を言っている人は、本当に別バージョンを想像出来ているのかなーと不思議に思います。


という訳で、不平不満ポイントを軸に見直してみると良いですね。
文句は沢山あるけど、じゃあ別バージョンのストーリーを綺麗にイメージ出来るのかと。
…多分難しいと思います。というか、出来ないのではないかと。

私はこういう風に自分を振り返って、「やっぱり、記憶通りに一本道だったんだな」と思う訳です。
自分の中にある過去、抱えている未消化の記憶の通りにしか辿らないのだと。
間違いポイントに度々差し掛かって気付かねばならないこともあるでしょうが、それでも大筋変わらないなーという。
嫌で堪らなかったことでも、それの無かった人生って果たしてどんなもんだろう…と首を傾げます。


再生を終わらせて手放すまで、本当には『もしもこうだったらこうな筈だ』なんてことは、分からないのだと思います。
手放してゼロの状態に至るまでは、「あれがこうだったら」と言っている内容は、現実を認めずしがみつく為の逃げ口上です。

「本当だったらああなってる筈だった」

というようなセリフを自分が言っているなら、考え直してみる。
はて、「本当」って何だろうなーと。
何に照らし合わせて言っているのやら、ですから。


こういうものも気付いて手放せると、「なんだ、これ以外無かったんだ」と頷けてラクになります。
認めない認めないと言って逃げ回っていたこと(実際はしがみ付いていること)についても、気が抜けたりします。
理解に段階はありますが、人生のイベントをこういう目線で見直してみるのも宜しいかと思いますよ。


暑中お見舞い申し上げます。

お盆シーズン突入ですねー。
お休みの皆様は体調管理をしっかりしながら、良いお休みをお過ごし下さい。



他人様のお話をお伺いしていると、『このまま続けたい』か『路線変更をしたい』かで、反応がはっきり違うなーと思うことが多々あります。
例えば体調不良で悩んでいる、というお話を聴いたとします。

私が知っている範囲でお話しさせて頂くことの中に、仮に
『こういう物を食べた方が良いですよ』
『これを使うと良いですよ』
という内容があるとしましょう。


御本人は正にそれを避け続けている生活を長年していて、
「じゃあかなり怪しいから、そこからトライしてみたらどうですか?」
と私がご提案したとします。

でも、御本人は
「私は元々偏食で好き嫌いが激しくて…だから食生活を変えるのは無理かな」
「これまでのあれこれを変えずに、インスタントに出来る方法はありませんか?」
と返して来るケースを度々目にします。


反応から見てみると、「現在の体調不良は本人が選んで続けている」ことになります。
「これまでの自分の習慣を変えるのは嫌」
と言っている訳ですから。
「これをコツコツ続けて三か月位で結果は出て来ますよ」等と会話している内に、「…やっぱりいいです…考えます…」と後退りして行くのを見ると、「なるほど、やっぱりインスタント以外は嫌で、そのままがいいんだ」と納得すること暫し。

「自分には問題がある」と言い続けていたい。
そういう傾向は多少なりとも誰にでもありますが、人によってあっさり通過するケースもあれば、いちいち自分で粘着して「こんなに大変なのよ!」と大騒ぎすることもあります。


今までのやり方を変えたくない。習慣を変えたくない。問題があるという考えにしがみ付いていたい。
ということは、この考え方(反応)が自分だと信じ込んでいる、ということだと思います。
別段アレルギーでもないけど単にお肉が嫌いなので、食べたくない。と言っているのが自分。
それによって体調不良を慢性的に抱えているのが自分。
だからこれまで嫌っていた物を食べ始めると、自分が自分ではなくなる気がして嫌だ。
色々変えた結果、健康になった自分は自分じゃないと思うから、出来るだけ今の不調を続けておきたい。

私達は色々な『考え』を自分だということにして、出来る限り『素の自分に対して与えられる幸せ』から逃れ続けようとします。
「問題がある」「辛い」「苦しい」と言い続けていることが、自分にとってのアイデンティティになっている…なーんてことは当たり前のように目にします。



良い悪いの問題と言うより、『本人が何を自分だと思いたいか』なので、反応を見ると「なるほど、そうですか」という感じなのですが、やはり抱えている思考によってはっきり割れるなーと度々思います。
勿論、行先もパカッと割れます。

ちょくちょく幸せへの路線変更を差し出されているのに、自分を否定されているように受け取って、蹴っ飛ばす。
過去(の不幸)を自分だと信じ込んで、過去の幻影を守ろうと必死になる、ということを長々行っているのが私達が『今の人生』だと思っているものであり『自分』だと思い込んでいるものなんだなーと。


昔は自分の反応に無関心というか、全然注目していなかった為に、「ああ、なるほどなるほど」と思うことはありませんでしたが、段々訓練が進んで行くと「確かに、いちいち選んでいる」という場面に気付きます。
とは言え、全部が全部クリーニング対象なので、「なるほど」と頷いた上でクリーニングです(笑)。


それでは、良い一日をお過ごし下さいませ♪



東京は梅雨明け致しましたねー。
昨年の梅雨が極端に短かったので、今年は凄く遅い訳でもないのでしょうが、「長かったような?」という印象です。
本格的に暑くなって参りましたので、水分補給や日陰での休憩等、是非こまめに心掛けて下さいませ。



私が今回の人生を振り返ると、「実際的に選べたことって一つも無かったな~」と思います。
私達は今回初めて様々なイベントを体験する、と思っていたり、自分の思考に無頓着である為に、「こう思えばこうなるから、全部操れるんじゃないか」という妄想を抱いてしまいがちです。
更には体験したことを一つ取っても「こんな考えは私の中にある訳ないでしょ!」って腹を立てたりもして。

でも、済んでみてから振り返れば、
「あの時こう思ったことも、思い悩んだことも、全て過去に最低一度は通った道であって、未完了故にまた全く同じルートを歩んだのだ」
ということが分かります。
事前に(と言うのも変ですが)ある程度のルートを知っている状態で辿ることが増えて行くと、「あ、これかあ」って納得することが日々増えると。


私達は物事を決める時、「どっちが自分にとって得か」というようなことで迷います。
得と言うより、「どちらが嫌な思いをせずに済むか」という消去法で選ぶことが多いかも知れません。
その時は、「こっちを選べば嫌な思いをせずに済む(≠良い)だろう」という判断があって選びますが、結果何を体験したか、どのような感想を抱いたか、というものは既にあるプログラム通りでしかないんだ…ということが分かりました。
プログラムで持っているので、必ずそこへ行くようになっている。

私はその時に初めてショックを受けたのではないし、初めて喜んだ訳でも、初めて悔しく思った訳でもない。
長々後悔を引き摺ったのは、嘗てもその体験をしたからで、完全に同じ反復をしているのだということ。
先にその想いがあるから、そういう反応をするような現象を見た、ということです。
これは『奇跡のコース』でも『ホ・オポノポノ』でも同じことを言っています。



例えば「嫌だから」と言って事実から逃げる時、自分はその時に恐怖とそれを齎す出来事に対するコントロールが出来ている、出来るような錯覚を起こしていたなと思います。
しかし残念ながら(?)、逃げたり目を逸らしたことも過去の反復なので、実はコントロールも何も無かったんですけどね。
逃げてしまえばこれはもう起きない、と思う。その瞬間だけ。でも気のせい。
もし逃亡に成功していたら、今ここで目にしていない筈なんですよね。って。

起きることは起きるし、それを事前に起きないようコントロールすることは不可能です。何故なら予め自分の中にあるから。
逆に、嫌だからと逃げ回っていても、それが何になるかと言うと、別に何にもならないんだなーということです。
いや、ほら。どっちにしても自分の中にあるからですよ…。
隠しているつもりでも、必ず目にすることになるんです。自分の中に無いものは見ませんから。



だから、色々事前に思い悩む時、
「いや、でも自分が持っている見るべきを見るんだよ。こうやってモヤモヤしたのも過去の再生だから、迷いやモヤモヤの方を消去して静かな心でそれを待つのみ」
という風に仕切り直すことにしています。

昔はこういう考え方が出来なかったんですよねー。
一度「どうしようー」って思ってしまうと、ずーっとオロオロしてました。
抑え込もうとか我慢して麻痺させようとか、色々試みて、全部失敗しました。

何でこんなことをやっていたかと言うと、事前の自分のチョイスで結果がコントロールされると思い込んでいたからです。
だから選び取るのにえらく長い時間を要したし、結果に納得行かなかったりもしまして。
何が違って、何がいけないんだろう? って悩んだこともありました。
しかし蓋を開けてみれば、そういう話では全然なかった訳です。
振り返れば、どの地点も避けることは不可能だったと思います(私の場合はですが)。


常に結果が先にある。
結果とは反応のこと。
反応とは思考のこと。
思考とは『今ではない過去』のこと。
それは私の心の中にある。
世界の何処へ行こうが、誰と居ようが、何をしていようが、私はそれを必ず見ることになる。



で、見た上で「あー自分の中にこれがあるんだわ~」と受け止めて、深く頷く。
というのを日々順番にやって行く。他に出来ることは無いのだな。そうかー。
というような理解が積み重なって行く内に、段々楽になって行きました。

いつ起きるか分からない出来事に身構えたり、迷って時間を浪費したり、ネガティブな気持ちに振り回されることが段々と減って行くのは、過去の自分と比較するとビックリ現象と言っても良いんじゃないかなーと思います。
『現実を受け容れる』という言い方でも同じだと思います。

スピリチュアルとは縁遠い方とお会いすることも度々ありますが、事実をその場その場で受け容れている方はいつも落ち着いていらっしゃるし、勿論色々あるだろうけど引き摺らないものだなと頭の下がる思いです。
そういう方々を見習って、静かな心で現実を見られるよう、更に進んで行きたいと思います。(^^)



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blog owner:Sachi
潜在意識を活用した、ちょびっとスピリチュアルな総合セラピー、癒しのワークショップ・タロットカードセッションをしているSachiです。
穏やかに楽しく成長出来るよう、入手した情報や、日々の気づき&
発見などをシェアして気ままに更新。
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※記事の内容、情報については一個人の捉え方、考え方に纏わるものが大半です。
絶対的な事実という訳ではありません。
また、私の理解や気付きの段階に応じ、記事の内容にも随時変化がありますことを何卒ご理解下さい。
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