◆ Infomation
何となくですが、お盆過ぎかのような空気を感じるここ二日ほどですね。
……そんなもんはただの錯覚で、実際はこれからな訳ですが(笑)。
昨年の2月からワークショップに通って下さっているお客様が、6月のワークショップで行ったコラージュ作成についてblogで書いて下さっています。
いけばな草月流の師範でもいらっしゃる、カツオ先生です。掲載ありがとうございます!
記事はこちらです~。
6月に行ったワークである『他人様に自分のコラージュを作成して頂く』というものは、以前も記事で上げましたが、『あっち"が"自分』の訓練です。
ざっくり言うと、自分で作成したコラージュは、エゴ(顕在意識)が作ったもの。
他人様が作成して下さったコラージュは、意識(潜在意識)が作ったものです。
自分が作ったコラージュ、何故か全く叶って行かない……という方には、理由があります。
自分で作ったコラージュと、他人様が作って下さったコラージュを比較して、大幅に違う場合。
自分自身はこういう人間であるという自己認識について、現実・事実がほぼ考慮されておらず、殆ど妄想で自己像を作り上げている。という可能性が見られます。
多く散見されるケースとしては、自身のみに対する自己愛の肥大化から来る、誇大妄想です。
「自分はこういう人間の"筈"だ」という認識が事実・現実から乖離しすぎていると、現在の自分に比してかけ離れた現象を常に求め続ける為、実際がそうでないことに怒り続けることになります。
だからこのようなタイプの方は、日々プンプン怒り続けているのです。
ならないのはおかしい、こうなるべきだ、周りは自分をこういう風に良く扱うべきだ、何故なら自分は凄い人間だからだ! と、エゴが絶えず言い続けていて、こっちが自分の本心である…と思い込んでいるのが問題なのです。
この辺りについて色々な方にお伺いしましたが、ある程度自分の現実が見えてきた方々は口を揃えて「自分は凄い人間だから周りはそう扱えと言う割に、根拠は全く無いんです……」と仰います。
二種類のコラージュを比較して頂いた時、どちらが現実とリンクしているかと言えば、絶対的に『他人様が作って下さった方』になります。
勿論、我々の人生には常にエゴが共にありますし、エゴのお仕事としては絶えず様々な言葉を囁き続けます。
なので、他人様が貼って下さった内容がこれまでの自己像と相反していて、これは絶対に否定したいというエゴの欲求がある場合、実際に反対側へエゴパワーで突っ走るというケースも有り得ます。
長い時間大暴れした挙げ句あれこれメチャクチャにして、結果ボロボロのヘトヘトになって元の地点へ戻って来る。
最初からああ言う風にしておけば良かった……も、よくあるよくある(笑)。
『他人に言われたことなんて信じないから!』『だって自分はこういう人の筈!』
というのはエゴのお言葉であって、自分の意識ではありません。
他人様が言うことこそが自分の意識なのであって、それについてどう否定しようが攻撃しようが、あるものはある。どうにもならないのです。
と言う訳で、あのコラージュ作成のワークは
『これまでエゴ視点で人生を見ていたことで、不平・不満・怒り・妬み等ネガティブな要素の量産に時間を費やしていた』
というのを、
『人生で起きる全てのこと、目撃する現象の全てが自分であって、どう思うか何をしたいかはエゴであると理解することで、現在の自分を理解し、その上で新たな創造をする』という風に主客転倒させる試みだったのです。
無論、一度で全てが変わる人なんていません。
しかもこのやり方はエゴにとっては死活問題です。
過去やって来たこと、執着し続けて人生の主軸にしていたことの全てを否定することになりかねない上、悪者扱いしていたものの何もかもが自分に跳ね返って来ます。
それはもう当然の如く猛反発するでしょうから、意識的に視点を置き換え続けるという作業を地道に続けなければ、決して自分の現実には作用しないのです。
「私は出来ないんですぅ~~」とか言って、誰かにやらせようとしても無駄です(笑)。
大体、目の前にあることに関して『出来ない・分からない』なんてことも、全てエゴの大嘘ですから。
生活の中では、目にする事象の全て、他人様が言うことの全てが自分になります。
例えば、エゴが「私は結婚したいのに!」と言っていても、実際は全くその様子が無い場合。
事実が全てですから、今んとこそこにフォーカスしてはいないのでしょう。
「自分はもっといい給料を貰うべきだ! 不当な扱いを受けている!」の場合。実際の給料があなたの自己評価であって、それ以外ではありません。
自身でやっているのがその結果。それをどうのこうの言うのはエゴです。
イヤだとか腹が立つとか言った所で、現実に起きたことは変えられません。
変えられるのは、この先のことです。
その為には、先ず現実を全て受け容れること。受け容れるというのは無抵抗でされるがまま…というのではなく、ただ良いも悪いもない厳然たる現在の事実なのだと、全てのカラーと偏見を抜いて現実そのもののみをフラットに見つめられる状態を指します。
差し替えたい別バージョンのリアルな結果を探すには、正確な問いかけが必要です。
これが一番の難関かも知れませんねー。
その上、別の結果を得るにはエゴというフィルターが立ち塞がります。
ストライクな答えが目の前にぶら下がっていても、エゴが聞こえないふりをしたり、見えないフリをしたりするのです。
この辺りを見極められるかどうかも、ある程度以上の地道な訓練が必要です。
私は手っ取り早く「他人様の言うことを聞く」というのを続けています。
だってこれが一番ラクなんだもんよ(笑)。
ただ、プライドやこれまで必死に作って来た自己像(エゴ)に関わる所なので、殆どの人にとってはイヤなやり方だと思います。
手っ取り早くてラクだけど、プライドやこれまでの生き方を否定しかねない方を取るか、プライドは傷つかないし満足だけど、実際に望む変化を遠ざける方を取るか。
それは選べます。
そして起きた結果は、自分以外の人には引き受けられません。
よりスムーズで楽なルートを歩めますようにと願っております。
……そんなもんはただの錯覚で、実際はこれからな訳ですが(笑)。
昨年の2月からワークショップに通って下さっているお客様が、6月のワークショップで行ったコラージュ作成についてblogで書いて下さっています。
いけばな草月流の師範でもいらっしゃる、カツオ先生です。掲載ありがとうございます!
記事はこちらです~。
6月に行ったワークである『他人様に自分のコラージュを作成して頂く』というものは、以前も記事で上げましたが、『あっち"が"自分』の訓練です。
ざっくり言うと、自分で作成したコラージュは、エゴ(顕在意識)が作ったもの。
他人様が作成して下さったコラージュは、意識(潜在意識)が作ったものです。
自分が作ったコラージュ、何故か全く叶って行かない……という方には、理由があります。
自分で作ったコラージュと、他人様が作って下さったコラージュを比較して、大幅に違う場合。
自分自身はこういう人間であるという自己認識について、現実・事実がほぼ考慮されておらず、殆ど妄想で自己像を作り上げている。という可能性が見られます。
多く散見されるケースとしては、自身のみに対する自己愛の肥大化から来る、誇大妄想です。
「自分はこういう人間の"筈"だ」という認識が事実・現実から乖離しすぎていると、現在の自分に比してかけ離れた現象を常に求め続ける為、実際がそうでないことに怒り続けることになります。
だからこのようなタイプの方は、日々プンプン怒り続けているのです。
ならないのはおかしい、こうなるべきだ、周りは自分をこういう風に良く扱うべきだ、何故なら自分は凄い人間だからだ! と、エゴが絶えず言い続けていて、こっちが自分の本心である…と思い込んでいるのが問題なのです。
この辺りについて色々な方にお伺いしましたが、ある程度自分の現実が見えてきた方々は口を揃えて「自分は凄い人間だから周りはそう扱えと言う割に、根拠は全く無いんです……」と仰います。
二種類のコラージュを比較して頂いた時、どちらが現実とリンクしているかと言えば、絶対的に『他人様が作って下さった方』になります。
勿論、我々の人生には常にエゴが共にありますし、エゴのお仕事としては絶えず様々な言葉を囁き続けます。
なので、他人様が貼って下さった内容がこれまでの自己像と相反していて、これは絶対に否定したいというエゴの欲求がある場合、実際に反対側へエゴパワーで突っ走るというケースも有り得ます。
長い時間大暴れした挙げ句あれこれメチャクチャにして、結果ボロボロのヘトヘトになって元の地点へ戻って来る。
最初からああ言う風にしておけば良かった……も、よくあるよくある(笑)。
『他人に言われたことなんて信じないから!』『だって自分はこういう人の筈!』
というのはエゴのお言葉であって、自分の意識ではありません。
他人様が言うことこそが自分の意識なのであって、それについてどう否定しようが攻撃しようが、あるものはある。どうにもならないのです。
と言う訳で、あのコラージュ作成のワークは
『これまでエゴ視点で人生を見ていたことで、不平・不満・怒り・妬み等ネガティブな要素の量産に時間を費やしていた』
というのを、
『人生で起きる全てのこと、目撃する現象の全てが自分であって、どう思うか何をしたいかはエゴであると理解することで、現在の自分を理解し、その上で新たな創造をする』という風に主客転倒させる試みだったのです。
無論、一度で全てが変わる人なんていません。
しかもこのやり方はエゴにとっては死活問題です。
過去やって来たこと、執着し続けて人生の主軸にしていたことの全てを否定することになりかねない上、悪者扱いしていたものの何もかもが自分に跳ね返って来ます。
それはもう当然の如く猛反発するでしょうから、意識的に視点を置き換え続けるという作業を地道に続けなければ、決して自分の現実には作用しないのです。
「私は出来ないんですぅ~~」とか言って、誰かにやらせようとしても無駄です(笑)。
大体、目の前にあることに関して『出来ない・分からない』なんてことも、全てエゴの大嘘ですから。
生活の中では、目にする事象の全て、他人様が言うことの全てが自分になります。
例えば、エゴが「私は結婚したいのに!」と言っていても、実際は全くその様子が無い場合。
事実が全てですから、今んとこそこにフォーカスしてはいないのでしょう。
「自分はもっといい給料を貰うべきだ! 不当な扱いを受けている!」の場合。実際の給料があなたの自己評価であって、それ以外ではありません。
自身でやっているのがその結果。それをどうのこうの言うのはエゴです。
イヤだとか腹が立つとか言った所で、現実に起きたことは変えられません。
変えられるのは、この先のことです。
その為には、先ず現実を全て受け容れること。受け容れるというのは無抵抗でされるがまま…というのではなく、ただ良いも悪いもない厳然たる現在の事実なのだと、全てのカラーと偏見を抜いて現実そのもののみをフラットに見つめられる状態を指します。
差し替えたい別バージョンのリアルな結果を探すには、正確な問いかけが必要です。
これが一番の難関かも知れませんねー。
その上、別の結果を得るにはエゴというフィルターが立ち塞がります。
ストライクな答えが目の前にぶら下がっていても、エゴが聞こえないふりをしたり、見えないフリをしたりするのです。
この辺りを見極められるかどうかも、ある程度以上の地道な訓練が必要です。
私は手っ取り早く「他人様の言うことを聞く」というのを続けています。
だってこれが一番ラクなんだもんよ(笑)。
ただ、プライドやこれまで必死に作って来た自己像(エゴ)に関わる所なので、殆どの人にとってはイヤなやり方だと思います。
手っ取り早くてラクだけど、プライドやこれまでの生き方を否定しかねない方を取るか、プライドは傷つかないし満足だけど、実際に望む変化を遠ざける方を取るか。
それは選べます。
そして起きた結果は、自分以外の人には引き受けられません。
よりスムーズで楽なルートを歩めますようにと願っております。