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resonance

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resonance/ライター&セラピストの潜在意識とかちょびっとスピとか現実とか

◆ Infomation

【works】
★ヒーリングセラピー個人セッション
 都内で対面式の個人セッションを行っています。
 幸せと癒し、学びと気付きを得たい方へ、様々に対応させて頂きます。
 潜在意識を日常へと活用することで、より良い人生へ変えることが可能です。
 随時お受けしておりますので、サイトをご覧下さいませ。

★癒しのワークショップ
 毎月一度、都内で女性向けの体験型ワークショップを開催中です。
 沢山の変化・癒し・浄化・成長・気づきを促すテクニックが山盛りです。
 2019年3月10日・4月14日(全て日曜)
 の開催が現在確定しております。
 ※以降の開催は決定次第upして参ります。
 ※それぞれ内容の詳細はサイトをご参照下さい。

立春を過ぎましたが、まだまだ寒い日が続きますねー。
マスクにアロマオイルのユーカリを水で薄めるなりしてスプレーすると、風邪予防や花粉対策に良いというお話です。
寝る時は、枕元に同じくティッシュにオイルを垂らしたものを置いておくと、呼吸が楽とか。
スッキリ系の香りが嫌でない方にはお勧めですよー。




ユーカリプタスのエッセンシャルオイルは色々ありますので、探してみられると良いでしょう。
ブレンドものもありますし、純度の高い製品もあります。ぜひー。





去る10日は2月度のワークショップでした。
自分で自分を見る時間になる個人セッションとワークショップの最大の違いは、
『他人様を通じて自分の心を知ることが可能になる』
という部分です。

長く生きるに従い、私達は定型文や固定の反応を使い続けるのに慣れて行きます。
『こう聞かれたらこう答える』
『これについてはこういう逸話を持ち出す』
『ここに触れたらこう反応する』

等、自分が隠している部分や直視したくないものが沢山あると、その上に乗っける定型文や固定のリアクションを沢山用意して生きるようになります。
これをしているからこそ、自分自身が長きにわたり不幸を手放せず、幸せを受け取れないと言えます。


一番最初に自分に対し間違った理由付けをして以降(多くは幼児期に決断します)、これを続けることが目的になってしまい、同じリアクションを使い続けることによって自分さえも「まるでそうであるかのような」気がして行きます。
という訳で、単体で質問された時に答える内容については、事実かどうか全く疑問に思わないで応答して居ることが多いものです。
何処かで「…何でいつもこう答えるんだろう」「自分で言っているこれは本当のことかな?」と疑問を持たない限り、同じ応答を続けてしまいます。何故って、言っている間はそれこそが目的だからです。

そんな中、他人様が本当のことをポロッと(或いはズバッと?)言って下さることは非常に多く、例えばワークショップに参加される方々の遣り取りを拝見していると、「おお~!」「そうなの? スゴイ!!」と感嘆してしまうこともよくあります。
言われた本人は頑なに認めなかったり、「今のところはそう言われてもピンと来ない」と言ったりしますが、他の参加者の方々がウンウン頷いて「それです。凄く腑に落ちました」「凄い! ズバリって感じで鳥肌が立ちました!」と大納得しているのもよくある風景です(笑)。


このようなやり取りを度々拝見するに(特定の技術を習得する場として活用するのも、目的に応じて勿論良いことでしょうが)、個々人の作った心理的な防御を突破して行くにあたっては、やはり他人様のこういった思わぬご助力ありきだなーと思う次第です。
「自分でも何でこんなこと言ってんだろうって思うんですけど、何度見直してもそういう言葉になります」
とくっついたりするので、口に出す側も「あれ? あれ? あれ?」と思ってのことだそうで。

こういう現象を体験・目撃する時、
『他人様は自分の潜在意識ご担当』
『みんな繋がっている』
『上辺で何を言おうが隠そうが全て無駄。思考(心)だけが伝わる』

のが本当だということを実感します。


現代日本に多いスピリチュアル関係の集まりや、スピ無関係でも自分が能動的に選ぶ集まりだと、何とな~~~く暗黙の了解で
『否定してはいけない』
『本人が許容している言葉以外は言ってはいけない』
『本人が言うことには全て賛同しなくてはならない』
『本人が言って欲しがっていることを言ってやらねばならない』
『物凄く褒めそやし、甘やかさねばならない』
『ツッコミ禁止』
といったルールがモヤッと存在する場所が多いように思います。

しかしあまりにこのルールを使うと
『現実逃避が酷くなる』
『スピリチュアル依存が重くなる』
『不幸な考えを手放さなくなる』
『正しい人生はもはや望めなくなる』
『他者を攻撃し続ける等、諸々悪化する』
といった弊害が生じます。


無論、本人がどういう思考タイプで生きているかによっては、肯定も必要です。
とは言え、貴重な時間を使って事実ではないこと、嘘を吹き込み続けるようでは、お互い不幸まっしぐらでしょう。
『本当のこと』だけが幸せに戻る為に必要です。
幸せが良ければ事実を知ることを行うでしょうし、不幸が良ければその逆を行きます。シンプルですね。

自分の人生を振り返っても、他人様によって自己の心を驚きと共に理解したことは数限りなく、それはこの先もそうなのだと思います。
例えリアルタイムでは「痛いよー」と思ったとしても、やはり後々振り返れば有難い限りです。
他人様は自分の心を正確に見せて下さる鏡なのです。



節分、立春を過ぎました。
暦の上では春ですが、それ以前に今年は暖冬ですねー。



さてさて、前回の記事に書きました内容は、これまで沢山お話をお伺いして来た中で最も多かったものを、ある程度砕いてご説明しましたものです。
簡単に言うと、前項に於ける『問題』とは
『自分の事実・現実を認めずに歪めた解釈を行っただけ
という一言に尽きますが、その詳細は人によって様々ですので内容を詳細に聞いてみないと(自分で詳細に見直さないと)…だったりもします。

自分で歪めた解釈を正当化する為に、繰り返し同じことを行う必要があり、その為に生きるようになる。
生きる目的が存在しないもの(嘘)を証明する為…ということになるので、幸せや愛されることなんかは一切頭からは消え去ります。
目的に従って人やものの見え方はガラッと変わってしまうので、有難いとか申し訳ないといった考えも別宇宙の話って感じでしょう。

この状態でスピの知識を知ってしまうと、「じゃあきっと特別な何かが自分にはあるに違いない」ということにしたくなるケースも多々見られます。
大変な過去世が、とか、因縁が…とか、宇宙が…なんて感じですね。
その理由付けを沢山集める為に、スピリチュアルジプシーをしている方を沢山お見かけします。
でも実際はとても簡単なことで、最初の歪めた受け取り方をした所を見直せば良いだけです。




私は昔、色々とお話を伺う中で
「なんでこの人は過去世に色々大変なことがあるって設定にしているんだろう?」
「どうして好き放題生きているのに、人よりも遥かに酷い目に遭い続けて来たと主張しているんだろう?」
と首を傾げることが沢山ありました。

拝見する限り全くそのような様子は無く、潜在意識がどうのって感じも無い。何度リーディングを取っても出て来ない。
単純に顕在意識での解釈が捩じれているだけ。なのに、本人はそうだと言って憚らない…どうして?
という疑問で頭の中が「?」だらけだったことがあります(単純に私の能力の精度が…というお話も当然あるでしょうが)。


それと、単純に子供の頃からそういう思考パターン(かなり強い自己愛型)の人が身近に凄く多かったんですよね。
「酷い酷いって、一体何を言ってるんだろう。そんなことをしたら嫌われるに決まってるじゃない。どうして態々嫌われることを選んでやるのかな?」
「そういうことをやるからこういう結果になるなんて、やる前から分かるだろうに、何を考えてるんだろう?」
「なんで直ぐバレる嘘を吐くんだろう。自分の首を絞めるだけなのに」
「どうして全部人のせいにするんだろう?」
と、幼心に疑問を持ち続けていた訳です。

大人になって色々学んでいる内に、「都合が悪いと思って、咄嗟に解釈を捻じったのか…」という落としどころに行った訳ですが、こういう考え方は多少なりともみんなあるよなーと思います。
何があるかと言うと、「そんな筈は無い」「どうしよう、誤魔化さなきゃ」という否認・防御の思考ですね。
一度否認をすると、それについては否認し続ける為に生きるようになります。間違いを認めるまでは、です。



どんな出来事だろうと、どんな内容だろうと、事実に変化はありません。
時間が経とうが、他人が何を言おうが、どんな特別な理由をくっつけようが、事実は一つ。
静かにその事実を受け止められるかどうかです。

兎にも角にも、本当のこと、事実が何処にあるかこそが、癒しの鍵です。
「こうの筈だ!」ではなく、「事実はこれです」に認識を戻すことが癒しです。
誤った認識を糺すことですね。



例えば、何らかの理由で本当に(一方的に)虐待を受けて育ったり、外から色々な現象が起きて「え? え? なんで?」という状態で生きていらっしゃる方もおられます。
こちらは潜在意識に何らかのドラマを抱えている状態ですから、そちらを見直されることで癒されます。
先祖の場合もあれば過去世の場合もあり、本当に人によって様々です。
でもやっぱり、正しい原因(理由、因果関係)を明らかにすることで癒されるのは同様です。

どの意識レベルに齟齬を抱えているかは人によって異なりますが、何にせよ『正しく見直す』ことだけが癒しに繋がります。
事実を正しく見直し、そのまま受け止められますように。


今日は、私がこれまで沢山伺って来た(または見て来た)『不幸』や『問題』について、ある程度の解明が出来る可能性が高いお話を書いておきますねー。



この世界は二元性で出来ている(そのように私達のエゴが作った)ので、『良いだけ』のものとか『永久不変』のものは一つたりとも存在しません。
何故なら、永遠に変わらず非一元的な存在である『愛』を否定する目的で、エゴがこの夢の世界を作って閉じ籠もったからです。
この辺りは『奇跡のコース』に詳しいので、お調べになってみて下さい。
Wikipediaに大変素晴らしい要約が載っています。

例えば美しいものはいつか朽ちて無くなるし、肉体的な生命は必ず尽きます。
輝かしい雄大な自然は、感動を与えてくれる一方で、猛威を振るって生活を破壊します。
世界中にある神話に出て来る神々も、必ず二面性がありますよね。
恵みを与えてくれる一方で、祟ったり怒ったり、選別したり、序列があったり。
…とまあ、必ず両面があってのこの私達の世界です。




このような『あちらを立てればこちらが立たず方式』の考え方を、誰もが持っています。
これは私達が他人様と共に自分を見る時にも、使われることが多い考え方です。
『何かを肯定する際には、必ず別の何かを否定する』
という、エゴの大好きな思考です(エゴは何についても否定が大好物です)。
私達はエゴと一体化している為に、「あれが良い」となると、それを持っていない「これは悪い」、「あれには価値がある」なら、「これには価値が無い」という考え方を何に対しても当て嵌めがちなんですね。

誰かが『良い体験』をしているのを見たとしましょう。褒められるとか、好かれるとかですね。
それが無いからと言って、自分は別に困っていない。それが無いせいで特に嫌な体験もしていない。だけど、『それ』『その要素』を持っていない。
とすると、「あの人は価値がある存在」で、反対に「自分は無価値な存在」という風に自分で勝手に位置付けてしまうことが多々あります。


誰かに価値があるなら、そうでない自分は価値が無いのだ。


と、非常に短絡的且つ謎の理屈で結論を弾き出します。
私達の中には無価値感、罪悪感、恐れが根深く存在している為、ついついそちらに手を伸ばしてしまうのです。



別の例を挙げましょう。
例えばTVで初めて知った国のどなたかが、存在さえ知らなかった莫大な金額の宝くじに当たりました、というニュースを見たとしましょう。
それを見た時に、「へー、そうなんだ」で終わることが出来る人はどれだけ居るでしょうか。
結構な割合で、「え…なんで…?」とイヤーな気持ちになる人が多いのではないでしょうか。

このイヤーな気持ちを体験した時、『目撃した対象物(出来事)が嫌なのだ』と誤変換をしがちですが、実際は「なんで自分にはああいう良い体験が無いのだ」と考えています。
別に困ってもいないし貧困に喘いだ経験が無いのだとしても、『あれが無い(与えて貰えない)自分』をとても嫌なものだと認識しています。
『自分は愛される価値が無い。無価値な者』だという捉え方ですね。


この「自分は無価値」という考えは誰の中にも存在しますが、我に返って見直すことで気付いて手放すことが出来ます。
咄嗟に「あれが無い自分じゃ嫌だ!」という考えを間違って使ってしまったとしても、「でも、果たしてそれは本当だろうか」と考え直せば、「あの考えは間違っていたなー」と糺すことが出来ます。
「○○さんに価値がある、という考え方はあってもいいけど、だからってそこで自分を持ち出したのはおかしい」
「○○さんはああいう風に好かれていたけど、自分としてはそれが欲しい訳でも必要という訳でもないなあ」
「別に困っていないのに、嫌な体験も無いのに、『そうじゃなきゃ嫌だ』とか言うのは変だよね」
等、色々と自分について理解を深めて行けば、「別に腹を立てるようなことではなかった」で話が終わります。

しかし解釈を間違うと、
「自分にはあの人のように○○(特徴等)が無いから、ああいう体験が無いに違いない。じゃあマネして自分もそうだってことにしよう」
「ああいう体験が無いなんて我慢出来ない。自分は不幸だ」
という強迫的で不必要な思考を持ち続けることになり、『他人のマネ人生』や『ゴールの無い追求』を始める人が沢山居るんですね。
そうすると、元々の特質や才能を生かした幸せな人生は絶対に有り得ない(自分が全否定するからです)ので、私が見ている限りでは本当にただただ勿体無いと思うばかりです。




また、自分に非があって怒られたり叱られたり注意を受けた時の解釈も、事実に沿った正しい理解をしない限り、現象ごと反復します。
子供の頃に自分が何かやらかして親に怒られました。という体験をした時、自分の中で
「親が私のことを特別嫌っているからだ。私は悪くないのだ」
ということにしてしまうと、後付けで『親が私を特別嫌っている』という形が必要になってしまう為、自ら悪さを繰り返します。
自分がこじつけた理由を証明しなければならなくなり、怒られる、叱られる、注意されるという結果がどうしても必要になるからです。

結果としてそこだけを引き合いに出して「ほら! 私のことだけ嫌いなんだろう!」とやり続けたい。自分が。
という形が出来上がります(自分がやらかしたから、という部分は大体自分の中では削除しているか、別の出来事に置き換えています)。 
何れ、「私が間違っていました」に行き着くまでは、自分の意思で何度も繰り返すことになります。自分にその必要があるからです。



このように、何らかの体験をした時に、どういった理由付けを行ったかが、その後の自分を決めてしまいます。
別に運命でも何でもなく、自分でその(間違った)考えを選択しているのですが、あまりにもそれが速く、当たり前に感じる為に自覚しづらいものではあるでしょう。

自分で我が身を振り返るしか、軌道修正することは出来ません。
逆を言えば、自分で自分を振り返りさえすれば、必ず訂正が出来る、ということです。
あとはいつ、それに着手するかです。
それらの考えをクリーンにしながら、正しい幸せが受け取れる自分に戻って行かれますように。



長くなりましたので、また補足記事を掲載予定です。



油断していたらとても間を空けてしまいました…明日から2月! わおー。
東京はずっとカラッカラのお天気でしたが、漸く雨が降って参りました。
乾燥に悩んでいた方には恵みの雨となることでしょう。




さて、今年4月までのワークショップ予定でございます。


★2019年2月
2月10日(日曜) 12:00~16:00



★3月
3月10日(日曜) 12:30~16:30

※スタート時間にご注意


★4月
4月14日(日曜) 12:00~16:00



※詳細はサイトへどうぞ




どの回も、内観をじっくり行って頂く予定です。


誰にとっても現在の自分を作っている沢山の思考のパーツが存在し、それに対して無自覚であるが故に悩んだり苦しんだりを続けている傾向は非常に強く、時に『意図的にそれを選んでいる理由』さえ存在します。
これらに正直に目を向ける、というお時間を多く取ることにより、気付く体験を増やして頂ければ…と考えております。

なかなかテーマが降って来なかったので掲載出来ませんでしたが、特定のテクニックやツールを取り入れることは昨年までで一旦終わりまして、実際に自分自身を作っている思考に目を向けて頂くお時間を多く取る形で進めて参りたいと思います。
テクニックやツールのお勉強も、目的によっては大変役立ちますが、ただそれだけの為に時間を費やしてしまうと、肝心なポイントである『自分を見つめること』から目が逸れてしまう虞があります。
なので、取り入れるとしてもちょっとだけ、サポート的に…ということで。
勿論、その都度場合に応じて必要性が判断されれば使いますよー。



どうぞ宜しくお願い申し上げます。




また一段と寒くなって参りました。
ちょっとびっくり…でもこれが普通なんだと思います(笑)。
暖かくしてお過ごし下さい。


私事ですが、何年か音信不通だった古い友人から、生存報告が来まして(笑)。
色々あったものの、今は大変幸せとのことで、ホッと致しました。

何十年も前、子供の頃に夢だった楽器を、ふとした偶然から始めることになって、今はそれに夢中なのだそうです。
ずっと仕事でも家もガミガミ怒っていたのですが、自分の心が喜ぶことに気付いて幸せだとか。
お仕事でも良いことが沢山あったそうで、昇進したり、評価が上がったりとのこと。
でもやっぱり、家で楽器を練習している時が凄く幸せだとメールに書いてありました。



自分の外側に見える形を必死にどうにかして生きるのが当たり前になると、
「私の心は何を喜ぶのか」
について、完全に見失ったりずれた目的を持って追いかけることになります。

自分が欠乏しているのは分かる。
何か足りない気がする。
だから埋めたい。
褒められたら、評価されたら、もっとあれがこうなれば、自分は満足するんじゃないか?
そう思って、外側をもっとガチガチに作り上げるように頑張るのですが、『欠乏』を軸にしている以上は結果が欠乏という…。


何をしようとどこに居ようと、自分の心が喜ばなければ、心が満足しない限り、自分の人生に意味は無いのだと気付いて来ると、
「じゃ、今までやっていたことを更に詰めても無駄か」
と言うことになり易いんじゃないかと思います(だからって、しているお仕事を辞めなければいけない訳ではありません)。

心が満足すること、平和で穏やかな気持ちで過ごせることが良いのだ、と思えて来たら、
「はいはい、これだよー」
と現れて来るかも知れません。
或いは今まで当たり前だと思い込んで見過ごしていたことの中に、それがあったと気付くのかも知れません。
これは人それぞれですね。


何かに急かされるように動き回っても、それは手に入らなかった。
でも、手に入らないと言い続けて怒っている方がいいと思っていた。
満足なんか無いと思っていたし、そんなもの要らないと思っていました。
…という考えの間は、幸せを自分で蹴っ飛ばしていることになります。

そこから、軸を自分の心の満足に移して行くことで、我に返る瞬間が沢山あると思います。
心の平和、穏やかな気持ち、感謝と満足を内側に感じられる一日をお過ごし下さい。





お正月気分も徐々に抜け、そろそろお仕事はじめの方も多いことでしょう。
良いスタートになりますように。




新年最初の記事は『直感』について、です。



「絶対そうだって直感で思った!」
「ピンと来なかった…」

という言い回しがあります。
私も沢山、耳にして来ました。


何らかの選択を目の前にした時、こういう感じで選んだり、拒絶したり…っていうことがありますよね。
これは一体何が元になっているのか、考えたことはあるでしょうか。

まず、これらの「ピンと来ないから」「直感でそうだと思ったから」という理由で取捨選択をしたものが正しかったかどうかは、その後の追跡調査が必要です。
何故って『その選択が本当に自分の幸せに沿っていたか』は、後にならないと分からないからです。



凄く簡単なことを言うと、事実&現実を認めている割合高い人が「ピンと来ないなあ」と言う時、それは自分の幸せに繋がっていないなーという意味です。
逆に、現実を認めず自分の人生を破壊的な方向へ使いたい人が「直感で!」と言う時、結果的に不幸を選んだことになります
実に簡単な種明かしですね。

この辺りが事実どうだったかについては、過去を振り返って見直しをする必要があります。
勿論、こういった無自覚なチョイスも全て過去の記憶の再生です。
とは言え思考的に
『幸せを良いと思っているか、不幸を良いと思っているか』
そのどちらを自分が握り締めているかで行く先が真っ二つに割れるものではあります。


「後先考えないで飛び付いてしまった結果、大変なことに…」
なんてこともありますね。しかしちゃんと結果を解っていて飛び付きます。
「本当に分かっていなかった」ということは無いんです。何処かでは明確に知っています(これが潜在意識の深いレベルでのことだと、ほぼ自覚出来ませんが)。
だからこそ、そちらを選び続けるのです。

「何となくこれかいなーと思って選んだら、凄く良かった」
ということも、同じです。
抑々自分が良いことを良いと認識しているから、「何となく」でもそれを選ぶ。



不幸にコミットしていると、態々外れを選び続けます。
それは何故か。

それは勿論、不幸が『良い』と思っているからです。
或いは、「自分は不幸で、救われないのだ」と信じていて、それを実証するストーリーを潜在的に持っているから。

大概、このどちらかですね。



ところで特別性の演出に利用出来るという理由で不幸の大騒ぎが好きで、自ら望んでそれだけを続けたい、という願望を持っている人は沢山居ます。
表向き、「辛い、苦しい、嫌だ。自分はこんなに可哀想だ」と言ってはいても、手持ちのカードとしてずっと持っていたい。
っていうか、「辛い、苦しい、嫌だ」と言っているだけで、別に手放したり解消する気は全く無いです、という場合も多い訳です。
となると、この目的の為になる選択をし続けることになります。じゃ、良かった。おめでとうございます…になっちゃいますね。

この『不幸による特別性の演出』というものはエゴの得意技とも言えるものでして、そう簡単に手放しません。
だから色々武装して巧妙に隠し、恰も「全く欠片もそんなことは思っていません」という仮面を幾つも被ります。
丸見えだったら直ぐなくなっちゃうかも知れないので、です。

エゴは口先では色々と言うんですが(幸せが良いとか、もっと良い思いをしたいとか)、実際の自分の言動とチョイスとその結果を振り返れば、どちらにコミットしているかは一目瞭然です。
所謂『直感で選んだこと』は、その後の自分にどのような影響を与えましたか? という風に見れば分かります。
ここで真っ正直に見ないと、「何だかんだ言っても困ってないし」「別に悪い訳ではない」「結果的に良かったんじゃないかと」と言って、どうにか正当化しようとしますので、こういった自分が咄嗟に行う誤魔化しも厳密に判断する必要があります。



私が個人的にご縁があった方を見ていると、「ええええ! なんでえええ!?」っていう方を"態々選ぶ"人達は、やっぱり現実を認めていなかったなあと思います。
例えば認めることが辛い事実というのも沢山あるでしょうが(よくあるのが、親に愛されていないとか、実は凄く嫌われているとか、特に何の取り柄も無いとか、他の人に比べて何らかの見劣りがあるとか)、それでも認めてしまえば辛いのは一瞬です。あとは楽になります。

でも、直面する時の苦しさを知っていることで逃げ回って誤魔化して、自分に嘘を吐いてしまう方を私達は『楽』だと思い込んでいるので、逃げちゃうんですね。
結果としては、そちらの方が延々苦しむ羽目になります。
『逃げる』と言うと楽な気がするだけで、実際は『ずっと苦しむ方を選んだ』のです。
だって楽になった訳でもなければ、事実体験していることは苦しさだけだからです。
言葉はマジックだなーとつくづく思います。



あとは、上記のように『キャラ作りの為に特別ぶりたいので態と不幸を選ぶ』タイプも居ますが、それはその人の趣味なんでいいんじゃないかと…いえ、他人はどうにも止められないなあと思って…本当に。
自分は非力で他人様に何が出来る訳でもないので、こういう事例は出来る限り手を尽くしたら、ゴチャゴチャ言わんともうスピリットにお預けするしかないのだなと思うようになりました。

「わー! だから言ったのにー!!」という結末を見る度に、昔はとても自分を責めて悔やんでいたものです(アホですな…)。
が、だからって己の非力さ、無力さを嘆いても何か変わる訳じゃないしな。元から別になんか出来る訳でもなかったわな。
と開き直る努力をするようにしています(笑)。



ちょっと話が逸れましたが、
『直感』『ピンと来た、来ない』
についても、入念に見直してクリーンにして行くことをお勧めします。
これらはただ過去の再現をしているだけであって、且つ不幸の延長をしているに過ぎないのかも知れないからです。

私達には自分を過信する傾向があり、その根拠として「直感」を持ち出すことが多々あります。
これの出所は一体何処なのか? を見直して行くと、「…あれ?」と思うこともあり得ます。
私からは是非、こういったことも振り返って見られることをお勧めしたい気持ちでおります。




2019



新年明けましておめでとうございます。



本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。




気付きと解放の一年でありますように。




皆様、良いお正月をお過ごし下さい♪





プロフィール

Sachi

blog owner:Sachi
潜在意識を活用した、ちょびっとスピリチュアルな総合セラピー、癒しのワークショップ・タロットカードセッションをしているSachiです。
穏やかに楽しく成長出来るよう、入手した情報や、日々の気づき&
発見などをシェアして気ままに更新。
イベント情報も随時掲載中です♪

※記事の内容、情報については一個人の捉え方、考え方に纏わるものが大半です。
絶対的な事実という訳ではありません。
また、私の理解や気付きの段階に応じ、記事の内容にも随時変化がありますことを何卒ご理解下さい。
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