resonance

Entries

resonance/ライター&セラピストの潜在意識とかちょびっとスピとか現実とか

◆ Infomation

【works】
★ヒーリングセラピー個人セッション
 都内で対面式の個人セッションを行っています。
 幸せと癒し、学びと気付きを得たい方へ、様々に対応させて頂きます。
 潜在意識を日常へと活用することで、より良い人生へ変えることが可能です。
 随時お受けしておりますので、サイトをご覧下さいませ。

★癒しのワークショップ
 毎月一度、都内で女性向けの体験型ワークショップを開催中です。
 沢山の変化・癒し・浄化・成長・気づきを促すテクニックが山盛りです。
 2017年8月13日・9月3日・10月8日(全て日曜)
 の開催が現在確定しております。全て11時~15時です。
 ※以降の開催は決定次第upして参ります。
 ※それぞれ内容の詳細はサイトをご参照下さい。

残暑お見舞い申し上げます。

8月も折り返し、お盆、終戦記念日と過ぎました。
秋の気配…と思ったら、梅雨に逆戻り? のような不思議な気候ですね~。
先日は気温が摂氏21度~22度位まで下がって、半袖サンダルでは肌寒い位でした。





さて、去る13日は8月度のワークショップでした。
ご参加下さいました皆様、まことにありがとうございました!

今回はワークショップの直前に、シェアした方が良い情報が見計らったかのようにどーんと降って参りまして。
その関係上、前日辺りにプログラムを大幅に変更してからの一日となりました。
テーマは『分かち合う』ことでしたので、私から…というより、宇宙からの分かち合いになりますかねー。




日頃の私達は、出来る限り自分を隠して生きようとします。
何を隠しているかというと、主に『都合の悪いこと』です。色々なことが後ろめたい訳ですね。
これらの都合の悪いことを隠した上に、綺麗なデコレーションをして、別のキャラを装ったり、或いは忘れたフリをして生きようとします。
勿論、悲しいことや苦しいこと等を隠している、という場合も沢山あるでしょう。
自分で直面して処理しきれないとなると、やはり押し込んで隠して行くことになります。

その目的は何かと言うと、他人を騙すと言うことでもあり、自分を騙したいということでもあり。
「私はそんな疾しい所を持った人間ではありません!」「私には何も問題ありません」とアピールしたい、思いたい…ということです。
この状態では、分かち合うどころではありませんです~。
毎日ただただ、「絶対見ない。見せない。言わない。言わせない。聞かない。認めない!」っていうのをゴリ押しするのみです。


この状態で、例えば隠している地雷に相当する思考をカバーしたいあまりに、凄い引き寄せを試したとしても、残念ながら達成はされません。
常に隠している思考の方が優先されるからですね。
アレは隠したままで、コレが欲しい…というのを私達はよくやるんですが、大体無理があります。

幸せになりたいけど、アレには絶対に触れないで。
っていうの、心当たりありませんかー。
そんなもの心当たりが無い、と言い切る人の中には、「都合が悪いから記憶を消去しちゃえ」という手に出た結果というケースがあります。
「私が覚えてないから、そんなの元から無いの!」ってことです。でも無くなっている訳ではなく、ただ押し込んでいるだけです。



後ろめたい記憶、疾しい気持ち、苦痛の記憶を隠していると、直接的に不幸の原因になります。
『人間関係や環境や身体的・物理現象としての不幸』の原因になる場合もあれば、『形は整っているものの精神的にずっと不幸だと思い続ける被害妄想』という形での不幸の原因になる場合もあります。
どっちも嫌ですわ(笑)。

気まずいことを思い出したり、嫌な気持ちを思い出しそうになったら、別の何かに目を逸らし、気晴らしをし、逃げ、下の方に押し込んで、忘れたフリをする。
または苛々や憂鬱を誰かや何かのせいにして、攻撃して一瞬スッキリした気になる。
程度の差はあれど、大概こんなことの繰り返しで人生過ぎて行きます。
言い回しがどうかなーって感じですが、でも大概そうなんじゃないでしょうか。
自分そのままで自分にOKを出して生きていられる人って、すごく少ないとは思いませんか?


失敗をし、間違いを犯し、勘違いをし、他人に迷惑を掛け、ズルをして、悪い所で一杯の自分を、悲しみや苦しみや罪悪感に流されず、誤魔化さずに正面から認め、反省し、その都度改めて行ける人こそ、真に自分を愛せる人です。
自分を隠す必要が無く、だから飾る必要も無く、そのままで居られます。

そういう人は、他人様や外側から愛されることに抵抗が無く、「(無いから)欲しい! 頂戴!」とも思いません。
人は必ず、自分を認め、受け入れた分だけ、イコール分量を外側からも受け取ります。
「ありのままの私を愛して欲しい!」「無償の愛が欲しい!」と言うなら、先ずは自分の中に隠しているものを明るみに出し、完全に認めた上で手放さなければなりません。
間違いを修正するという道を通らずに喜びを体験するのは、非常に難しいことです。



ワークショップの実習では、日頃隠している思考を上からべろんと剥がして行く作業を、皆さん一緒に行いました。
とあるツールを使っての作業でしたが、自分・他人関係無く、その人が持っている思考が分かり易くなったようです。
思考は積層構造になっているので、上に出ているものから順番に『認める(確認する)⇒手放す』という作業になります。

とにかくまずは現状使っている思考がどのようなものであるかを確認しないといけないのですが、なにしろこれまで自分さえも欺いてひた隠しにして来た訳ですから(笑)、フツーに会話しているだけでは雲を掴むようなお話になってしまいます。
ということで、今回配布した秘密兵器なツールによって、ビックリする程、まさに手に取るように分かり易くなった+時短になったと評判でございました。
「あれ凄い」とご感想も頂戴しております。

本人でさえも隠し切っていると思い込んでいる思考を、他の方の助けを借りながら具体的に浮き彫りにして行く中、皆さん体調に変化を感じる等、ダイレクトに思考の作用を感じながらワークが進みました。
特にネガティブな思考を見る時、皆さん同じ場所が痛くなったり、重くなったり、急激な眠気や肩凝りに襲われたりで、大変なリアルさでしたよねー。
それが他人様の思考であっても、直接的に圧倒されて「うわー…」と唸っておられました。
「他人のことであっても、自分の中で起きているからそれを見ている」というのを感じられたと思います。



隠している思考の量に応じて、手放す作業の時間は増えます。
或いは、気付きが深く進むなら、一気に剥がれます。
この辺りも、「この程度時間が掛かる」という思考を使っていることが反映されるんですよね。

思考を手放すには抱えている思考に気付く必要があり、気付く為には見つめ続ける必要があり、見つめる為には理解への意欲が必要です。
これを毎日毎日、逃げたくなる思考さえも捕まえて見つめる必要があるんです。



皆さんそれぞれ、今の状態を分かち合い、情報を分かち合い、体験を分かち合いながらの、大変濃い一日になりました。
その後も日常生活でご活用頂いているご報告もあります。是非、毎日続けて下さいねー。

…そんなリアルに一体何やってたのー!
という疑問を解消したい方は、ワークショップへどうぞ(笑)。






今後の確定しているワークショップスケジュールはこちらです。



●9月
9月3日(日曜日) 11:00~15:00
テーマ:『"わたし"を見つめ直す』


●10月
10月8日(日曜日) 11:00~15:00
テーマ:『過去世と今』




詳しくはサイトをご覧下さいませ♪



お盆の時期は、皆さんそれぞれお休みを早目に取られたり、逆に遅くずらして取られたりと、近年は一極集中という形ではなくなっているようです。
それでも、商店街でお休みのお店が多かったりすると、「ああ、お盆かー」と思いますねー。

お盆を過ぎると、何となく空気が変化しますよね。
あと僅かで秋の気配を感じる風が吹きます。あれが毎年不思議です。




さて、明日は8月度のワークショップです。
8月はお盆ど真ん中に例年開催しているような(笑)。






accessory




accessory


accessory


accessory




先月サボったアクセサリー類、再登場です。
ブラウン、マスタード、バーガンディといった秋冬のイメージもあり、載せていないけど真夏リゾートっぽいシェルもあり。どっちよー(笑)。


お店には既に秋冬物のお洋服が並んでいて、体感温度と視覚のギャップが奇妙に感じます。
9月に入るまではどっちつかずな気分かも知れませんねえ。



ワークショップへお越しの皆様、明日お会い出来ますことを楽しみに致しております!



台風…猛暑…雨…そんな毎日です。

前日の酷暑から一転、翌日はちょっぴり過ごしやすくて身体もホッとしております。
皆様、御身体呉々も大切にお過ごし下さいませ。





さてさて、今度の日曜日に8月度のワークショップを控えておりますが、10月分までの予定が出ましたのでさらっと御知らせです!





●8月
8月13日(日曜日) 11:00~15:00


●9月
9月3日(日曜日) 11:00~15:00


●10月
10月8日(日曜日) 11:00~15:00







テーマ等、詳しくはサイトをご覧下さいませ。

ハートを分かち合ったり、過去世をバッチリ見たりと、バリエーションがいっぱいです。
より深く自己を理解することが、沢山の幸せを受け取る一番の近道です。
学びの機会を是非生かして下さいね~♪




8月突入ですー。







スピリチュアルの先生方が共通で仰っているのが、


「我々一人ひとりに、今生に於いての計画・シナリオがある」


ということです。



魂が何の為に計画を持っているのかと言うと、間違った思考の修正の為です。
我々はそれぞれ間違った思考を物凄く沢山持っており、個人レベルの範疇だけで数えてもそれらは莫大な量になります。
これらに気付き、ひとつずつ修正して行くことで、結果的に『良い』人生へとシフトして行きます。

この修正の為の初期計画を、別の呼び方では『ブループリント(青写真)』とも言います。
厳密には『計画』と言うと語弊があるので、単に『思考』と言って良いでしょう。
度々書いていますが、この思考には、顕在的・潜在的どちらの思考も含まれます。
潜在意識とは世界の全てですから、自分が目にするもの、体験するものは全て自分の思考です。
絶え間ない戦争や病気、身近なトラブルの数々を見れば、如何に間違った思考で溢れ返っているかが分かるという訳です。


そんな私達の潜在的な思考を投影したものが自分の人生です。
初期シナリオには、家族関係やソウルメイトの配置、どういった環境で生まれるか、どんな身体的特徴を持つか、どんな思考パターンを持って生まれるかといった設定があります。
幸せ満点人生計画とではなく、「うっかりパターンはこれだよー」っていうのをわんさか抱えて来ます(笑)。

人生を歩んで行く中で、如何に間違った思考を手放し、正しい思考に目を向け直せるか、ということの為"だけ"に私達は生きていると言っても良いでしょう。
これを「幸せに生きる為に生まれて来たんですよ」と言い換えることも出来ます。全く同じです。



思考の中の間違い(怖れ、不調和)が減って行く程、幸せ寄りの人生になります。
私達の本体は完全で完璧な愛なのですが、間違った思考を採用することによって愛・幸せから離れて行きます。
愛から離れまくった思考の集合体で現在の人生を作っている、ということです。
これらを一つずつ「やっべ! 間違った!」と気付いて手放して行くことで、元の自分、完璧な自分へちょっとずつ戻って行く。

全ての人がいずれ完全な愛に戻る選択をすることになるのですが、時間の無駄を省く為、意識的にそれを行うことも可能です。
というか、勝手に思考が戻ることはまず有り得ないので、"意識的に戻ろうとすることを、意識的に行うことが出来る"というややこしい言い方に(笑)。



人生の様々な要因がかなり厳しい人は、思考が愛から離れている部分が大きいと言えるのではないかと思います。
苦しい、辛い、どうして良いか分からない、追い詰められた時、何かに縋りたくなります。
どうしてこんなに苦しまねばならないのか、怒りや疑問が尽きないでしょう。諦めや悲しみに苛まれるでしょう。

その状態を作っている思考に気付いて手放さない限り、抑え込んでも目を背けても、全く意味はありません(経験者)。
まずは「これが現実なのだ」と認める所からです。
否定したり、目を逸らしたくなるのをぐっと堪え、正面からどーんと直視。
いつも目を逸らして失敗したのだ、ここで逃げてループしたのだということを肝に銘じ、腰を据えましょう。
それから、宇宙に助けを求めましょう。



ところで、この初期計画を捻じ曲げることは不可能です。無理です。出来ません。
不幸を変えられないということではなく、基本路線自体を変えることが出来ないんです。
基本路線と言うのは、『元々私はこういう人でーす』というものです。

何故かと言うと、その必要が自分には無いからです。
それまでの思考が癒された状態、間違いを手放した状態で、何か変化があることはあるでしょう。
でも、ジャックポットがチーン☆ ジャラジャラ…みたいなことではないと思われます。


現代によく見受けられる
「自分は赫々然々な凄い人生を送る筈だ!」
という思考を持っていると、一向にそれっぽいことが起きないことに苛々して、あれこれメソッドを試したり、色んな先生の所に行ってみたりするかも知れませんが、先にその「自分は凄いのだ!」という考えを見直した方が結果速いです。

元の自分とはかけ離れた思考を自分に押し付けていること自体が、元の自分に対する酷い仕打ちとも言えます。
「私、何でこんなこと考えるようになったんだっけ…」
と我に返るのが一番早いです。
ちゃんと元の自分自身に裏打ちされているのかどうか、見直したら良いですね。



本を読んでいたりすると『青写真自体に問題がある場合は…』といった言い回しが見られることがありますが、それはカルマのことですね。
カルマも要するに潜在的な思考パターンのことなので、基本的には気付いて手放すってことです。
そうすると自動的に"在るべき形"へと修正が行われます。
ただ、魂レベル(意識層の非常に深い個所)にブロックやトラウマがあるとすると、その思考を把握・理解するまでにかなりの時間を要する場合があります。
でも、忍耐強く見つめることです。早急に「これのせいだ!」と結論付けない方が良いですね。

浄化、癒しというのは、「自分を含めた様々な物事には元々調和に満ちた在るべき状態というものがあり、そこへ戻ることである」と言うことが出来ます。
この在るべき状態とは、私達(の顕在意識)が知る所ではありません。
「あれがいい」とか「ああじゃなきゃ嫌だ」とか「こうなる筈だ!」と自分でいちいち指定する必要は全くありません。

もし「あれじゃなきゃ嫌だ」と思って急いで形だけ手に入れたとしても、心が不幸だったら意味が無いし、自分にはそれが必要ではないかも知れないのですから。
それではない、別の何かが与えられるかも知れないですよね。
だから「やるべきことを行ったら、あとは宇宙にお任せ」と言うのです。『人事を尽くして天命を待つ』という言葉の通りです。



抑々、見るべきを見たら、気付くべきに気付いたら、理解すべきを理解したら、もう「嫌だ」とか否定したいとか変えたいという抵抗は消えているでしょう。
「そうか…」と深く納得していることでしょう。
この時点で癒されている、ラクになっている、愛に戻っているということです。

もしも自分の心がフツーに平和な状態で安定しているとして、そこから何か変化に見えることが起き、丸く収まったということなら、そっちが元々の在るべき形だということです。
という訳で、その贈り物は有難いお気持ちで受け取られたら良いと思います。
『手放すとやって来る』というのは、そういった理屈だと私は思っています。



私、昔はこの仕組みが全然ワカリマセンでした…。
自分の思考に注意を払っていなかったのが無理解の要因ですな。ふー。
どういうことかと言うと、不足や欠乏や怖れを隠す為の蓋として欲しているのか、喜びから欲しているのかの区別が全くついていなかった、ということです。

幸せと不幸、良いと悪いの区別も付かずに居ました。
喜びから望むことと、しがみ付いて執着することの違いも分かっていませんでした。
在るべき姿に向けて思考を修正することもなく、何重にも上塗りしようとしたって、そりゃどうにもなりませんわ~。って、はよ気付け(笑)。



そんな感じです。
自分そのものを在るべき姿へ戻せるよう、そのスピードが上がりますといいですね。
生きるなら、ラクがいいに決まってますからねー。



7月ラストですね~。
昼間の気温がえらいことに…。
栄養をちゃんと取り、こまめに水分補給をして、お外へ行かれる際もちょこちょこ日陰で休む等、お身体は呉々も大切になさって下さい。




本日は拒絶過敏症のお話です。




誰かに"叱られたから"、"注意されたから"という理由で、「それはやらない」という考えである限り、また似たような別のことをやって、叱られます。
『それ』自体はやらないにせよ、自分のスタンスが変わらなければ同じようなことを延々繰り返します。

叱られなきゃいいんでしょ。
怒られなきゃやっていい。


そういう考えだからです。


「何故、それをしてはいけないのか」
「それなのに何故、どのような考えで自分はそれをしたのか」

という風に見直さないと、根本的に改めることが出来なくなります。


因みにこういったことにも「自分を何者だと思っているか」の設定が反映されています。
例えば自分は何をしてもいい筈だとか、明後日の方角へ自分を見誤っていると、誰かが忠告して下さってもブチ切れます。
「よくもこの私様に向かって!」「屈辱だ!」と逆恨みをします。

褒められたい、良い評価だけをされたい、良い思いだけをしたいと言い続けている人は、拒絶過敏症を持っていることが殆どです。
ですので、他者が自分の意見に完全な同意をしてくれない場合は大概このような反応をします。
あまりにも当たり前にキレている為、「え? 私、怒ってます?」と自覚が無かったり、逆に「あなたのせいで腹が立った!」と相手に責任転嫁することも。


何故こういう反応をするかと言うと、自分の現実を認められないからです。
自分がどう認識していようと、事実としてやっちゃいけないことを平気でやったり言ったりしている為、周りの反応はそれに応じたものになります。

実際は過剰に怒られたりしている訳でもないだろうし、あくまで世間的に普通のことを言って下さっただけであっても、自分を見誤り過ぎているせいで「酷い! 酷い! 傷ついた!」と喚き立てたりする。

で、例えばセラピストの先生の所に行ったりして、自分がどれだけ被害を被っている犠牲者であるか、涙ながらに語ったりします。
「愛されて来なかったんです」というのが定型文かも知れません。



拒絶過敏の人の多くは、最初期の環境が極甘で、常に一番、特別、最優先された生活を送っていた為、それを自分の基準にしています(大人になっても一部ではそうかも知れません)。
その後の環境的変化に全く適応せず、現実を拒絶して来ている為、赤子の頃の環境に周りが変わるべきだと思っています。
自分の要求したことが大概通った生活をしていたせいで、大人になってもそうであることへの期待を捨て切れません。

自分の思い通りの言動を相手が取るべきだ、思い通りに周りが変わるべきだと本気でゴリ押しします。
どちらかと言うと、「そうなるべきだ」よりは「なんでこうならないの! ならないのがおかしい!」という現実への否認ですかねー。
何故そんなことを考えるかと言うと、「だって昔そうだったから!」というのが何処かにあるんですね。


年齢と共に成長して行くと、周りの人達は年齢や立場相応の態度や常識を求めて接して来ます。
それは誰であっても当然のことです。
「この年齢なんだから、流石にこんなことは当たり前に分かっているだろう」
と、周囲はいちいち考える以前にそう接しています。

でも、自分が「赤ちゃん扱いをしろ!」と頑強に要求していると、結果が互いに食い違います。
あちらは「何、この人。常識無いんじゃ…」とビックリするし、自分は「酷い! 私仕様に合わせてくれない!」です。
この場合正しいのは向こうですが、自分にはその発想が全く無いせいで、結果のギャップに驚愕します。
そうして「なんでやってくれないの!」「なんでこう言ってくれないの!」「どうしてそんなこと言うの!」「なんで自分がそんなことしなきゃいけないの!」が爆発し、キレたり泣いたりする。
勿論、自分の正当性を不条理に押し付けている訳ですが、自分は怒りを感じているので相手のせいだと思い込んでいます。


それを「愛されていない!」という言葉に誤変換している人も沢山居ます。
でもその中身は愛でも何でもなくて、「赤ちゃん扱いしてくれない!」です。
残念ながら(?)、大人を赤子扱いする等と言うことは、有り得ないことです。
だって事実赤子じゃないし。周りの方も、そんなことをする必要は全然ありません。
下手をすると「きもっ!」って言われたり、「イタ過ぎる…」って思われかねませんよ~。

例えばその忠告は、愛から言って下さったのかも知れません。
愛まで行かずとも、そこで叱って下さらなかったら、教えて頂かなかったら、もっと先まで自分は恥を掻く羽目になって、陰で笑い者になってしまうかも知れず。
そういった違った角度から物事を見直してみないと、正否の判定って難しいと思います。
また、様々な出来事はそれまで気付かずにいたことに目を向ける機会として利用すべきです。



「愛される」というのを「赤ちゃん扱いしてくれて、何でもやってくれて、極甘の砂糖漬けにしてくれる」と取り違えていませんか。
「愛されたい」のではなく、「現実を認めない!」と言っているだけではないでしょうか。

自分は赤ちゃんじゃないんだ。
実際はこの扱いが正しかったんだ。
赤ちゃんの頃の状態を続けたいと思ったことが間違いだった。
何処かでこの考えを修正しなければならなかった。
だって私は大人になったのだし、周りの人はそう思って接して来るから。それはこの先も変わらないのだ。


そのように気付くまでは、自分の中で否認と回避や防御のループを続けてしまうでしょう。
自分に同意してくれる人を探して、長々と彷徨うでしょう(見つかりませんが)。
その時間が本当に勿体無いと思います。

私達は事実を認めるまでの時間をどれだけ引き延ばすか、或いは今すぐ直視して認めるかということ、つまり『いつ事実を認めるか』ということしか選べません。
決して『どれが事実か』を選べる訳ではないんですよね。


事実を直視するまでの時間を短縮し、節約し、その分もっと楽に幸せに生きる方へと活用されることをお勧めしたいと思っています。



東京、梅雨明けましたー。
先日の暴嵐が梅雨の最後だったようです…梅雨? 凄い雹とか降ってましたが、あれって梅雨の現象?

そろそろ夏休みに入る学生さん達も多いことでしょう。
各所のお母様方に於かれましては、平時よりも長期のお休みの方がご多忙というお声が多く聞かれます。
どうぞお元気にお過ごし下さいませ。






なかなか解決しない問題を抱えていて、或いは思い通りに行かないことに苛立ちを覚えていて、色々と彷徨って行くと、スピリチュアルの本や情報を知ることがあります。
その中には、「~~の原因はインナーチャイルドが傷付いているから」「過去世で悲惨な目に遭ったから」「特別な試練を与えられているから」というような情報がちょくちょくあります。

大まかに整理すると、『私は犠牲者です。悪いのは別の何かです』ということが凄く多いなあと思います(特別な試練云々については、何と言うかコメントのしようが…特別性万歳ですよね)。
これまで、「ああならないのはおかしい」「これが解決しない」と長々言って来たものがあるなら、この『自分は被害者100%』という考え方を据えていないか見直されると宜しいでしょう。




問題を解決したいなら、その本当の原因に行き着かない限り、絶対に解決しません。


例えば、本当に幼少期に辛い目に遭って、それが理由で…と言う場合、その時の記憶にスポットを当てることが問題解消に繋がる、というのは確かに事例として沢山沢山あります。
それが『過去世』というイメージである場合も、無いとは言えません(それ程多くはないと思いますが)。
本人の心・思考が「これは実在したことです。これが原因です」とはっきり認識しているなら、それを手放す必要がある訳です。

あくまでも本人の心が嘘偽りなくそう認識していることが重要なのであって、
「運命の人と結婚出来ないのは過去世で悲恋ばかりだったからだ! そうに違いない! の、筈だ」
「異性が苦手なのはあっちに酷いことを言われたから…の、筈だ! 多分そうだ!」
というようなこじ付け(要するに嘘)だとすると、如何にイメージが湧いて来たとしても、幾らリアルに泣いたとしても、結果どうにもならないんです。


事実に対し、後付けで自己都合に合わせて捻じ曲げてしまうと、幾らその逸話をセラピーやイメージワークで弄ったとしても、ビクともしません。
何故ビクともしないのかと言えば、本人が「これが原因だということにしておかないと、自分が困る」からです。
解決したらマズイんです。解決するにあたり、事実関係が明るみに出たらヤバいんです。
という理由によって、本人は「これが原因なのだ!」ということにしておきたいものを掲げます。言い続けます。

過去世のイメージを見て散々泣いて、でも現実に帰れば何の影響も無いことを見て、「これはブロックが巨大過ぎるのだ」と、"それ"に価値を付与し続けたりもします。
これまで使って来た「自分の不幸はこれが原因の筈だ」と言い続けて来たものがあるのなら、それが実在したものか、何度も仕切り直して見直されたら良いと思います。


どうしてそれが原因だ、って思ってるのかな?
それ以外の理由だと何か困るのかな?
その原因というものは、今の人生と何処がリンクしているのかなー?

と言うように、検証を何度もされることをお勧めします。
何故かと言うと、時間が勿体ないからです。



近年割と多いのが、「自分が悪かった・酷かったことを認めたくないあまりに、その時の逸話を完全に改竄・捏造してしまう。記憶を都合よく変えてしまい、自分を被害者に仕立て直してしまう」というものです。
物凄く可愛がられ過ぎ、甘やかされ放題で、特別だ一番だ凄い凄いと煽てられまくり、叱られなかった。何でもOKだった。ダメと言われたことが無い。
そのように育つと、とんでもない暴君になります。所謂問題児、クソガキです(小皇帝という言い方もあるそうな)。

そのルールが通用する家庭内だけで過ごしている間は良いんです。そこは自分サイコーの国なんで、王様だったり女王様だったり王子様だったりお姫様だったりする。
しかしある段階で社会に接触をすると、その自分にピシッと罅が入り、ガラガラに崩れ去る出来事が起こります。
自分は世界で一番凄いんだ、最高なんだ、ちょー可愛いんだ、何でも思い通りなのだー! と、全能感で一杯だったものが、一瞬にして崩壊します。
何故崩壊するかと言えば、元々それは存在して良いものではなかったからです。架空のものだったからです。


人生という視点から見ると、そのショックな出来事自体は『良い』ことです。
そんな人格のままでは、社会と上手くお付き合い出来ないからですね。
自分で問題を起こしておきながら、それを人のせいだと言い続けるような人が、また何でも思い通りになるべきだと言って人に当たり散らすような人が、他人様と調和して行かれる筈が無い。

だから、それまでの幼児的全能感・万能感が、ただの妄想だったのだ、これまでの自分はとんでもない悪人だったのだと知ることは、『良い』出来事に分類されます。
ここで、「自分が間違っていたのだ」と打ちのめされる必要があるからです。



これを、事実とは逆に「トラウマだ!」だの「傷付いた!」だのという捉え方に誤変換してしまうと、それまでの傲慢な人格を持ったまま身体だけ成長します。
但し、その嫌な出来事(全能感がブレるようなシンボル)に関連したものには、寄り付かないよう行動を始めます。
認めないで居る為には、見なければ良い。触れなければ良い。無かったことにしちゃえ。
それがダメなら自分は被害者だって言えばいいや。ワタシ、悪くないもん。

全く以て小さい子供の考え方ですが、思考によって私達は人生を生きるので、見た目は大人でも、おじさんでもおばさんでも、ここに触れそうな出来事や何かを察知すると、幼児性全開で暴れ出したりします。
言っていること、やっていることを見れば、どのあたりで人格を止めたかが分かります。

このような否認のプロセスを経て、拒絶過敏症が形成されるんだろうなーと私は思っています。
架空の自己像に響きそうな何かには、徹底して近寄らない。触れない。見ない。
ちょっとでも架空のプライドに響くことがあると、泣き出したりキレたりする。
これは傷付いているからとか、繊細だからと言うよりも、「事実を認めないから」です。



人生をスムーズに流れるものにしたいなら、『事実を認める』ことが最も重要になります。
本当に自分が幼少期に酷い目に遭っていて、それを完了出来ていなかったのなら、事実を見直して手放す必要があります。
本当に過去世のとある場面に潜在意識の視点が固定されているなら、それを見直し完了させて手放す必要があります。

それと同様に、本当に自分が悪いことをしたから怒られたのだ、あまりにも自分が酷い有様だったから拒絶されたのだ、そんなの当たり前だという出来事があったのなら、事実をそのまま認めて一度深く後悔する必要があります。
悔やむ必要があるのは、「二度とあんな生き方はしない、私は間違っていた」という理解を得る為です。
自分は特別でも一番でも偉くも何ともなかった、それどころか酷過ぎた、ごめんなさい、今後はマトモになろう。そう思い直す為です。


原因がどれに該当するかは人によって異なりますが、これまで定型文として「被害者だ」と言い張る内容があるなら、一度取り下げて見直された方が良いと思います。
何にせよ、本当の原因に行き当たるまでは、絶対に解消しません。それは間違いなくそうです。

これまで解決しなかった、解消しなかったのは、理由に持ち出していたものが違ったからでは?
それじゃないからかも知れないし、主客転倒しているのかも知れない。逆かも知れない。
そのように自分の考えを疑って、何度も何度も真偽を見直すことです。


「もしかして、原因ってこれじゃないかも…」と思った時、「嫌だ!」という反応を自分がしたなら、尻尾を捕まえて引き摺り出した方が良いよーという合図ですね。
自分を正直に観察すれば分かることです。
幸せが良いなーと思うなら、是非意欲的に自分の思考を見直してみて下さい。




先日、インスタグラムで260万人のフォロワーを誇る柴犬まるちゃんのお店、『ギャラリーマルサン』に行って参りました。




私がお店に入った直後。





まるちゃん!


パパさんがお店にまるちゃんを連れていらしたー!!




まるちゃんは数分間の僅かな滞在でしたが、一緒に写真を撮ってくれました。
別のお客様がキャーキャーと悲鳴を上げておられました(笑)。
静岡からお越しだったんですって。そりゃ嬉しいですよねー。


まるちゃんと会ったのはちょっと久しぶりでしたが、相変わらず大きかったです。
オーラ溢れる堂々とした佇まい、夏毛なのにふわっふわ。
それから最近おでこに現れたカモメ眉(肉眼だと分かりにくいのですが、画像だとはっきり見えますなー)。


はいぱーらっきー。と思いました。
ありがたやー。



まるちゃんグッズのweb shopはこちらです。
可愛くて癒される、また運が上がりそうなグッズが沢山ありますヨー。是非に。



ギャラリーマルサン

住所:〒113-0031 東京都文京区根津2-12-3
アクセス:地下鉄千代田線根津駅徒歩1分
URL:http://gallery-maru3.com/


プロフィール

Sachi

blog owner:Sachi
潜在意識を活用した、ちょびっとスピリチュアルな総合セラピー、癒しのワークショップ・タロットカードセッションをしているSachiです。
穏やかに楽しく成長出来るよう、入手した情報や、日々の気づき&
発見などをシェアして気ままに更新。
イベント情報も随時掲載中です♪

旧blogタイトルは『気づきのステップ』。

■カウンセリング&ヒーリング&セラピーを総合した個人セッション、月に一度のワークショップ、またタロット&オラクルカードセッションをご希望の方はサイトをご覧下さい♪


やや細かいプロフィール



癒されています
愛しています
愛されています
ゆるします
ゆるされています
ありがとうございます

メール

名前:
メールアドレス:
件名:
本文:

recommend

マインドの変化を促すことで幸福体験をしたい方に♪



●心静かな時間を作り、暗示や瞑想に活用




●根本的に取り組みたい人は






●でも『コース』は難解だ…という人は




ブログ内検索

月別アーカイブ

Copyright © Sachi